KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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新しい人よ めざめよ~2011東京マラソン

2011年03月03日 | マラソン観戦記
東京マラソン、僕自身の参戦記については、のちほど書くことにして、やはり、“彼”について書かないといけないだろう。

その日のゴール目前。沿道に置かれた公式時計には現在のタイムと、先頭ランナーのゴールからの経過時間が表示されている。計算すれば2時間7分35秒。'86年の北京でマークされ、その後13年間日本最高記録となった、児玉泰介さんの記録と同じだ。誰がマークしたのだろう。日本人ならいいが、その可能性は低いだろう。日本人トップはどのくらいの差だったのかな。

そんな事を思いつつ、ゴールラインをまたいだ。

記録計測チップを外し、バナナやみかんやドリンクをもらい、荷物預かり所で着替えを受け取り(第一回はかなり待たされたそうだが、実にスムーズだった。)更衣スペースへと向かう。

着替えて、記念写真を撮り、帰ろうとすると、今回のレースの速報記録が貼り出されていた。

優勝はエチオピアのハイル・メコネン。そして、日本人トップとなる3位のランナーは・・・、

川内優輝だった。しかもタイムは2時間8分37秒!!!

日本人ランナーの2時間8分台は北京五輪代表選考レースだった'08年のびわ湖以来である。それを、埼玉県職員で定時制高校事務員の川内がやってのけた!当然、世界選手権の代表に即、内定である。もう、別大マラソンについて何か書くことも無くなった。

川内の名前は熱心なマラソン・ファンには御馴染みだったと思う。昨年のこの大会、今年と違ってみぞれから雪が降りしきる中、最後まで優勝争いに加わって4位でゴールした。優勝した藤原正和との差は17秒。3位でゴールした、前年の世界選手権で入賞した佐藤敦之とは1秒差だった。その時も「市民ランナー大健闘」と陸上専門誌では報じられ、優勝した藤原同様、3ページの特集が組まれた(「月刊陸上競技」2010年4月号)ほどだった。

しかしながら、一般メディアではほとんど取り上げられなかったと記憶している。優勝した藤原にしても、翌朝のワイドショー出演は無かった。主催紙系列のテレビ局にしても、自社の女子アナのチャレンジが東京マラソンのニュースの主役だった。大会初の日本人優勝者、しかもその局が毎年放映している箱根駅伝において、「花の2区」と「山登りの5区」の両方で区間賞を獲得しているランナーだというのに。ちなみに、この時優勝の藤原、2位の藤原新、3位の佐藤、いずれも大学時代に箱根駅伝の2区を走っている。川内も、学連選抜チームの一員として、2度箱根駅伝を走っている。今回の東京マラソン以前に彼の名前を知っていたという人も大半はそうだと思うが、「学習院大初の箱根ランナー」として、彼の名前を知った。

しかも山下りの6区で2年の時は区間6位、4年の時は区間3位で駆け下りている。彼の進路が気になったが、月陸の新年号に記された、箱根ランナーの進路紹介記事には「公務員」と記されていた。

もしかしたら、卒業後は競技を続けないのだろうか、と思った。しかし、2月に別大、3月に東京と2本マラソンを走った。「卒業記念の思い出作り」なら、マラソン1本で十分のはずだ。社会人1年目のその年、福岡も走り、年が明けて東京で2時間12分36秒で4位と自己ベストをマークした。彼を11月のニューヨークシティ・マラソンに派遣したらいいのに、と思った。この大会、ちょうど駅伝シーズンとぶつかるため、実業団に所属するランナーは出場に難色を示してきた大会だ。結局、この大会を最後に実業団(JR東日本)を退社した藤原新が出場したが、途中棄権に終わった。

今回、その藤原の「リベンジ」に期待していたのだが、その藤原がやるべき「仕事」を川内がやって見せた。昨年の4位入賞は、低温でペースが落ちたために、持ちタイムが2時間17分の川内にもチャンスが出た、という印象だったが、誰もが失速するほどの寒さの中、自己ベストを5分近く更新して見せた「強さ」は感じられた。

高速レースとなった今回、夏の世界選手権代表の内定標準記録を大きくクリアしてみせた、彼の強さは「本物」である。

一躍「最強市民ランナー」として脚光を浴びた川内だが、昨年、この欄で毎年年末に実施している「マラソン大賞」において、僕は彼を「ベスト市民ランナー賞」からは外した。大学時代に箱根を2度を走り、卒業後もブランク無く競技を続けているランナーを、「市民ランナー」するのには違和感を覚えたからだ。実際に選出した城武雅は大学時代には陸上競技経験が無いし、藤野浩一は39歳にして自己ベストを更新した点から「ベスト市民ランナー」に選んだ。

彼を「市民ランナー」と呼ぼうが、「公務員ランナー」と呼ぼうが、彼の快挙の価値に何の変りも無い。僕はレース後、午後7時に新宿西口を出発する松山行き高速バスに乗ったので、レース当日夜のテレビのニュースは見ていない。しかし、翌朝帰宅して、朝のニュース・ショーが川内の特集を組んでいたのにはニヤリとさせられた。これまで、東京マラソンというと、新宿の東京都庁をスタートした3万人を越えるランナーが、日比谷や銀座や浅草を駆け抜けるシーンや、芸能人や局アナのチャレンジの密着取材の方が優勝者や日本人トップのランナーよりもスポットライトを浴びていた。内外のトップランナーが集うマラソンでありながら、「運動面」よりも、「社会面」や「芸能面」の事件、という扱いだった。時としては「経済面」のトピックスとして扱われもした。ようやく今回、まともに「運動面」のニュースとして扱われたようだ。

低迷と言われて久しい日本の男子マラソンだが、この数年の傾向として、

「若いランナーがマラソンに挑戦しようとしない。」

ことが指摘されている。4位でゴールした尾田賢典は30歳にして、今回が初マラソンである。マラソン・ニッポンの黄金時代を作った、宗兄弟は20歳で初マラソンを走ったし、瀬古利彦さんは早稲田在学中にマラソン・デビューをした。古い例では、今回の東京もゲストとして走った君原健二さんが東京五輪のマラソン代表になった当時、君原さんは23歳だった。銅メダルの円谷幸吉さんは同学年である。

川内は社会人2年目の23歳だが、既に6回マラソンを走っている。実業団所属のランナーには同様のマラソン歴を持つランナーがほとんどいなくなってしまった。当然、彼は現役最年少のサブテン・ランナーなのだが、それまでの最年少は3年前にこの大会で2時間8分台をマークした藤原新だったのだ。彼は'81年生まれの29歳である。

月曜日のスポーツ紙の多くが彼の走りと記録を賞賛するとともに、

「実業団に衝撃」

との記事を掲載していた。少なくとも、現場の指導者やランナーたちは、昨年の走りや3週間前の丸亀ハーフで1時間2分台で走っている彼の実力は折り込み済みだったのではないか?衝撃を受けたのは彼らに活動資金を提供する側の人、特に、

「マラソンよりは駅伝の方が宣伝効果は高い。」

と信じている人ではあるまいか。実業団と言ってもさまざまだ。いわゆるサラリーマンの仕事はほとんどやらずに、競技が仕事という契約選手が占める、事実上のプロチームもあれば、一般社員同様の勤務をこなし、遠征や合宿は有給休暇を活用するというチームもある。3年前のびわ湖で2時間8分台で走った大崎悟史も、'04年の東京で2時間8分台を初めて記録した当時、所属のNTT西日本はまさにそのような練習環境で、彼も営業の仕事をこなしていた。古くは、高校教員をしながらのトレーニングでボストンマラソン優勝やミュンヘン五輪マラソン代表入りを成し遂げた采谷義秋さんのような人もいた。川内の「快挙」は決して「前代未聞」のものではない。あまりにも例は少ないが。

川内は今後も、現在の練習環境で競技を続けると明言し、陸連もその意向を尊重すると報じられている。ただ、マネージャー役の立場のスタッフの派遣を提案しているという。4月より、埼玉陸協への個人登録でなく、「埼玉県庁」が団体登録するという。采谷さんはミュンヘン五輪の代表を目指し、五輪本番までは教壇には立たずに、「広島県教育委員会」の所属として、少しでもトレーニングに専念できる体制を提供していた。

一部の報道では、川内が同世代のトップランナーたちへ、マラソンへのチャレンジを勧めていた。彼の同級生には北京五輪代表となった早稲田大出身の竹澤健介や東海大のエースだった佐藤悠基らがいる。彼らが川内の走りに何を感じたか。

丸亀ハーフで日本歴代3位の記録をマークした宇賀地強は、彼より一学年若い。人材の宝庫と言われる、今のU-25世代のランナーたちのマラソン・デビューに対して、川内の走りが大きな影響を与えればいいなと思う。早速、今週末のびわ湖で「川内効果」が表われることを期待している。そして、スポンサーである企業の関係者も、「やっぱり駅伝よりはマラソン」と頭を切り替えて、選手たちをサポートして欲しい。

最後に、スポーツ紙の一部は川内に「川内さん」と敬称をつけていた。小学校において、教員が生徒を呼び捨てにすることほ禁じているという風潮の中、本稿に於いて、本稿に於いて、川内をはじめとして現役のランナーたちの敬称を省略していることに疑問と不快感を覚えている人も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない。

報道においては、現役の競技者の敬称は略されるのが「常識」である。だから、既に一線を退いている瀬古さんや児玉さんには敬称をつけ、川内は藤原の敬称は略している。

一部の報道では川内に「川内さん」と敬称をつけていた。川内が「市民ランナー」と聞いて、そうしたのかもしれないがこれは大変失礼なことではないだろうか?時としては、敬称を略しないことが失礼になる場合もあるのだ。



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