KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2008名古屋国際女子マラソン雑感vol.1~高橋尚子はなぜ・・・。

2008年03月14日 | マラソン観戦記
録画していたビデオ、序盤を何度も繰り返して見た。30人以上の大集団を支配しているのは誰だったのかを確認するためである。ペースメイカーもなく、強豪と呼べる外国人ランナーもいない。スローなペースでレースは始まった。

原裕美子の位置取りに注目してみた。過去2回の優勝レースではいずれも渋井陽子をマークし、3年前の世界選手権では、優勝したポーラ・ラドクリフに食らいついた。「格上」の、レースを支配しようとしているランナーにぴったりとつくのが彼女のレースだ。彼女の位置取りも定まっていない。弘山晴美についたり、尾崎好美についたり。彼女ほどの嗅覚を持つランナーでも、誰についていくべきか、決めあぐねているのか。

途中で集団が左右に分かれた。結果が分かった上で見ると、ここがポイントだったようだ。原、弘山、尾崎、坂本直子、大島めぐみらの集団から、高橋尚子は離れていた。彼女の前に大南敬美がいる。彼女の後ろについているのは、一般参加のランナーたちばかりだ。強豪ランナーたちは誰も高橋をマークしていなかったのか?

正面からランナーたちの姿を映し出すカメラは、高橋の姿をなかなか捕らえられない。高橋が集団の中に埋もれてしまっているのだ。北京を本気で狙うつもりなら、このくらいのペースなら、もっと集団の前に出ないと。

5kmを17分53秒で通過した後の最初の給水を高橋は取り逃した。本来なら、5km地点の給水所というのは、自身のボトルがきちんと分かり易く置かれているか、走るリズムを崩さずに手を延ばして取ることができるかを確認するための場所だ。取れないなら取れないで、そんなに大きな問題ではないはずなのだ。

しかし、自分のボトルを取り逃した高橋は、ゼネラル・テーブルのコップの水を3杯も取り、足に水をかけた。真夏の大会でもないのだから、最初の給水は、緊張感と低い湿度で乾いた口の中を湿らすくらいで十分なはずだ。

レースの序盤、画面はコース紹介やスポンサーの紹介や注目選手のインタビューを大きく映し出し、レースの模様は小さな画面で映すのみ。まだ、大きな動きはないはずである。

10km手前、CMに入る直前で高橋は集団の最後尾にいた。そして、CMが終わると、
「大変なことが起こりました。」
というアナウンサーの声。高橋が集団から落ちていった。集団が決してペースを上げたからというわけではない。まだ、助走の段階である。
高橋の北京への挑戦は10kmも過ぎぬうちに終わってしまった。

予想外のアクシデントか?いや、ここまで書いたように、改めてビデオで確認すると、失速の前兆はいくらでも見つけることができる。

2時間44分18秒、27位という自己ワースト記録に終わったゴール後、彼女は昨年夏に右膝半月板損傷の手術を行ない、本格的な練習を始めたのは今年1月に入ってからだったことを明らかにした。

実は僕も4年前に左膝の半月板を痛めている。一時はジョギングさえも出来ない状態だった。幸いにも僕の症状は手術を受けなければいけないほどではなく、関節周辺の筋力を強化することで回復することができたが、半年近いブランクは、僕の身体をジョギングを始める以前の状態に戻してしまった。学生時代は武道をしていたのであるが、今も左の膝が曲がりきらず、正座をすることができない。レースや走りこみの間、左膝にはテーピングが欠かせない。(高橋のスポンサー企業の製品をよく使っている。)そういう事情ならやむを得ないことだ。マラソンというのは、夏場にどれだけ距離を踏めるかが勝負を決める。直前の1~2ヶ月前にいくら距離を踏んでも、それは手遅れだ。1日70kmもの走りこみが、事前に話題になったが、それは昨年の夏にしておくべき練習だ。僕も先月のマラソンで、夏場の練習不足のツケを払わされたばかりだったからよく分かる。

しかし、レースの翌日、彼女の代理人が失速の原因が膝の手術であることを否定した。原因不明の体調不良により腹痛があったとか合宿地の昆明でも下痢を起こしていたということを明らかにしていた。

この対応もよく分からない。要は体力の限界による敗北ではないということを強調したかったのであろう。しかし、それにしても、かつてはすしを50個平らげるという大食漢を誇っていたほどの強靭な胃腸を持っていた彼女が、下痢をするとは。加齢によって衰えるのは筋力だけでなく内臓の機能もだという現実を知らされるばかりではないか。それとも、昨今危惧される中国の食の安全に対する不具合が原因だと暗に示したかったのだろうか。どちらの言うことが真相なのかは分からないが、潔さは感じられない。

何を言っても結果論になってしまうが、ここに来て、初めて昆明での合宿を決めたのはどういう理由からだったのだろう。この期に及んで、全く新しいトレーニング地を選ぶというのはリスクも大きい。'91年東京での世界選手権でリタイアし、バルセロナ五輪の選考レースを目指した中山竹通さんは、そのための合宿地に故郷である長野を選んだのだという。ギリギリに追いこまれたら、競技者生活をスタートさせた原点に立ち戻る、という中山さんのその時の選択は正しかった。

ちょうど一週間前のびわ湖毎日マラソン翌日のスポーツニッポンの記事が今となっては示唆的だった。男子のマラソン代表に対しての、旭化成陸上部の宗猛監督のコメントだが、
「(世界のトップとの実力差を埋めるよりも)ベストの状態でスタートラインに立つことが最も重要。新しいことに挑戦するには本番のでの5ヶ月ではリスクが大きい。」
というものだった。前回示したように、過去2年の実績で見れば既に高橋は日本のトップではない。ならばなおさら、「ベストの状態に仕上げる」にはどうすればいいかを考えて欲しかった。2年前の東京国際女子マラソンを見て、僕はこう書いた。

「北京で金メダルを本気で目指すのであれば、いろいろと考え直さなければならないだろう。あるいは、スタッフを入れ替える、といった選択も迫られるかもしれない。あれほどのランナーがガス欠とか、寒さ対策の失敗とか、市民ランナーレベルのミスで負ける姿を見るのはつらい。」

「応援してくれた人たちのために、これからも走る。」
と高橋は言明した。「応援してくれた人たち」とは、沿道で声を枯らして声援を送っていた人や、彼女の走る姿に
「元気をもらった。」
と感謝の言葉を述べる人たちのことだけではない。来年5月まで契約を結んでいるスポンサー企業のことである。企業が支援するのは五輪を目指しそこに手が届くアスリートである。彼女に今回、欠場という選択はできなかったであろうことは想像に難くない。彼女はプロであるはずだが、今の彼女は本当にプロと言えるのだろうか?真のプロ・アスリートとは、競技に打ちこむ以外に、余計な神経を使う必要のない立場ではあるまいか?

(つづく)



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