KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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ベルリン・天使の疾走~世界選手権雑感 vol.10

2009年10月23日 | 五輪&世界選手権
三週間も更新を中断させてしまい。申し訳ない。すでに閉幕して2ヵ月近く立っている。前回の女子マラソンの話で終わってもよかった。しかし、もう1人のメダリスト、男子やり投げの村上幸史について触れないわけにはいかないと思う。

やり投げについては、全くの門外漢であるがなんといっても愛媛が産んだ、世界選手権2人目のメダリストである。彼の名前はもちろん、以前から知っていた。毎年、6月に開催される陸上競技の日本選手権、愛媛新聞においては、この大会の結果で最も大きなスペースで報じられるのは男子やり投げでの彼の優勝記事だからである。

彼の名前を今回の世界選手権で初めて知ったと言う人も少なくないだろう。世界選手権も3度目、五輪にも2回出場しているこの競技の「日本最強」の男なのだが。まあ、仕方ないかも。「世界陸上」のキャスター氏でさえも、予選での彼の投てきを見逃したというくらいだから。

(このキャスター氏、かつては女子走り幅跳びの池田久美子や男子3000mSCの岩水嘉孝の決勝進出の際に
「いやあ、こんな選手がいたんですね。」
とコメントしたくらいだから、もしかして日本選手権は見ていないのだろうか?)

彼が人口1400人の生名島出身であること、中学時代は野球部のエースで甲子園の常連校からスカウトされるほどの逸材だったことも広く知られることとなった。「報道ステーション」で生名島が紹介された際、コメンテーターである朝日新聞の一色記者が目を細めていたのも印象的である。(一色氏も松山出身。本人の談によると、甲子園で三沢高校と延長18回投げ合った井上投手が入社しているのが朝日新聞の入社を決めた最大の動機だったのだという。)

生名島、現在は隣の弓削島と合併して上島町となっているがかつて生名村だった頃には島を一周するコースで10kmのロードレースが開催されていた。夏には、そのコースを走るランに1kmのスイムをスイムを加えたデュアスロンが開催され、トライアスリートがトレーニングを兼ねて多数出場していたという。どちらの大会も参加することが出来なかったことを少し悔いているが、3年前に隣の弓削島で行なわれている駅伝に出場したことがある。大学の先輩にその島出身の人がいて、その人の紹介で「助っ人」として出場したのだが、小・中学生の走る部門もあり、さながら「冬の運動会」のような賑わいだった。

その中継点で、着替える場所として提供されていた町営図書館の中に、村上の活躍を子供たちに伝えるスペースがあった。彼のプロフィールに写真、国内外の主要大会での成績がパネルで展示されていた。言うまでも無く、今回のベルリンでの活躍のことも大きく展示されているだろう。

その夜、打ち上げの席で興味深い話を多く聞けた。この駅伝、かなり伝統のある大会だったようで、かつては隣の因島に事業所があった、実業団の強豪、日立造船のランナーたちや、都道府県対抗女子駅伝の愛媛代表チームの監督も弓削高校の教員だった頃には走っているのだという。更には小・中学時代にこの大会で区間賞を取った子供が高校は海を渡って駅伝の強豪校に進学し、現在も実業団チームの指導者になっている人もいるという。

この先、ここから
「僕も村上さんのように、世界で活躍したい。」
「あんなに肩が強くないから、マラソンでオリンピックに出たい。」
という子供たちが出てくるかもしれない。

さて、今回の村上の快挙はなんといっても、世界選手権の大舞台で、自己記録を更新してみせたことである。(ちなみに、それまでの自己記録は、アテネ五輪前に、愛媛の競技会でマークした。)日本歴代2位となる83m10の快記録。日本記録まで4m50と迫った。その記録保持者である溝口和洋氏が日本人初の世界選手権入賞者である、ということも今回初めて知ったという人も少なくないだろう。

その溝口氏のライバルで、ロス五輪入賞者だった吉田雅美氏。12年前のアテネ大会では、世界記録保持者ヤン・ゼレズニーの「まさかの予選落ち」に解説者席で
「も~~~~!何してんだよ、ヤン!」
と絶叫したことが視聴者の笑いを誘った。41歳の若さで逝去された氏に、自身の記録が破られる瞬間を見てもらいたかったと思う。

某夕刊紙が、
「村上に球界が熱い視線」
などという記事を掲載されていた。今後、始球式などの出場要請は増えるかもしれないが、「投手として入団」もありかも、というのだが、冗談だろう?100mの五輪代表スプリンターが代走専門選手としてプロ野球入りした前例があったが、今の野球ファンが受け容れるだろうか。話はむしろ逆だ。

「野球王国」と呼ばれる愛媛だが、高校の野球部というのは、「単なる高校の部活」以上のものであった。少なくとも、高校生の息子がいるという人が、
「お子さん、学校では何か部活をなさってますか?」
と聞かれて、
「野球部です。」
と答えた場合と、他のスポーツの名前を口にした場合とでは、明らかに反応が違う。所謂「運動神経」(正しくは、そんな名称の神経などないというのだが)の発達した子供は皆、野球部を目指すというのが長く続いてきたのだが、その陰では、他のスポーツをしていたら、もしかしたら日本のトップクラスになれた少年が野球部で万年補欠に終わった、という例も少なからずあるのではないかと思ってしまった。事実、僕の従兄弟にも、中学校時代に県大会でエースとして優勝を経験したピッチャーだったのに、古豪と呼ばれる伝統校で先輩からのしごきに耐えかねて退部した、という人がいるのだ。その人は息子にはラグビーをさせている。

村上は指導者との出会いに恵まれたとも言えるだろう。そして、彼の素晴らしい点は、世界選手権後の初の競技会となったスーパー陸上で、82m41の国内自己ベストをマークしたことだろう。タイソン・ゲイら世界のトップ・アスリートが集う大会に「メダリスト」として凱旋した大会で、実力を存分に見せ付けた。

愛媛出身のアスリートと言えば、まずは女子マラソンの土佐礼子、メジャー・リーガーの岩村明憲、ビーチバレーの佐伯美香、引退した人ではサッカー、“ジーコ・ジャパン”のMF、福西崇史氏に少し古いが野球の西本聖氏。いずれも、玄人には評価の高い実力派というか、二宮清純氏好み(笑)というか。村上もこの系譜に加わった。

中世、瀬戸内海を席捲した村上水軍の末裔といわれる男が、北欧勢がトップを占める競技で堂々と戦った、というのがある意味で痛快である。なんといっても、
「水軍がバイキングに勝った」
のだから。彼はいわゆる、「プロ」ではなく、所属するスズキでは、午前中はオフィスにも顔を出す、「昔ながらの実業団アスリート」である。今後、競技一本に専念する契約を結ぶかもしれない。どのような形であれ、今後の活躍を期待したい。

(了)


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