かたなのきれあじ!!!

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TheTimeIsRipeforInvestment12「囚人のジレンマ」

2006-07-04 13:35:19 | ご隠居のフォルダ
 まいどどうも、ご隠居です。今日は珍しく予告どおり「囚人のジレンマ」をやります。

 「囚人のジレンマ」はゲーム理論の用語です。ゲーム理論とは、集団において個人がいかに意思決定をするかを考える学問でジョン・ナッシュという人が構築したといわれています。彼については、ラッセル・クロウ主演「ビューティフルマインド」にて映画化されていますので、興味がある方はどうぞ。

 囚人のジレンマについては、例をみた方がわかりやすいのでこちらをどうぞ。

「ある強盗事件の容疑で太郎と花子が逮捕された。別々に収監されている彼らに、取り調べ担当官は言う。

『相手より先に自白すれば釈放する。両方が自白した場合は、2人とも30年の刑にする。もし君が黙秘しているのに相棒が自白すれば無期懲役(100年)だ』(追記:二人とも自白しないで拘留期間が切れた場合は別件で懲役10年程度が科せられるとする)

自分\相手  黙秘    自白
黙秘     10年:10年 死刑:無期
自白     釈放:無期 30年:30年         」

 さて、あなたが太郎だったら黙秘・自白どちらを選びますか?

 黙秘すれば、花子の選択によって懲役10年か、懲役100年(無期懲役)のどちらか。
 自白すれば、花子の選択によって釈放か、懲役30年。

 「自分に取って適切な選択肢」は、自白ですね。条件が同じなので、それは太郎も花子も同じです。その結果、両者が自白し懲役30年が科せられることになります。ちなみに、この30年というのは4通りの結末の中では3番目に悪い結果です。

 このように、自分にとって合理的な判断をしていても結果はそうはならない、これを「囚人のジレンマ」といいます。集団における個人の意思決定メカニズムを考えるゲーム理論はしばしば使えないと揶揄される経済学よりも実生活の役に立つことが多いですから何か漠然と経済っぽいの勉強してみたいと思う方はここから入るのもいいかもしれません。


 

 個人の最適が、集団の最適とは限らないということは直感的に理解できると思います。
 では、以降恐らくおおいにうなずくであろう現実囚人たちの具体例をあげていきましょう。

 まずは異性編から。
 企業合同交流会いわゆる合コン等において、自分が相手投資家たちから大した市場価値を付けられていない一方友人が高値を付けられたりしているとふてくされてそいつをけなす等
自分に買い手がおよそ見込めない状況では、仲間が成功するより失敗したほうがいいので妨害工作に及ぶ、という選択肢をとるのでしょうが、その結果は悲惨です。友人から恨まれることは当然として、更にそのことにより相手投資家からは小さい人間との判断がなされ自らの市場価値は急落します。この類は主に男性投資家にみられ(女性投資家はこんなに直接的でない)、したがって以前に登場した女Winnyの餌食となって当該女性投資家の交友関係の輪の中ではもはや取引など見込めない結果となります。加えて男性投資家からも召喚したくないと思われるという両面ダブルパンチ状態です。 


 次に金銭面。 
小さな金(コピー代や家で出した飯の材料費etc)でも請求する。飲み会であまり飲んでいないor食っていないからと割り勘に文句を付ける。等
これらはどちらも一般投資家から見ると気持ちはわかるんだけどねぇ。といった感想です。前者でいえば、本人は「立て替えたのだから相手には金銭支払い債務があるはずだ」と、後者では「金銭は飲食物消費量に比例して支払われるべきだ」という絶対的平等の原則により当然の意思表示だと思っているのでしょうが。。ほぼ周囲からは、そのような権利主張すること自体器の小さい野郎と見られ市場価値が底値になってしまうということにはあまり意識がいかないようです。これも主に男性投資家の(ごく)一部です。
 (参考)ブランディングの回「悪いイメージ・評価というのを覆すのは大変に難しいこと」



 投資によってリターンを得るのはリスクを負うことが必要だというのはもうくどいくらいに書いていますが、例えば上の例で言えば「自分の損になるかもしれないが忍ぶ」ことがリスクにあたるのではと思います。
 それによって異性編で言えば、「こないだはオレだけ悪かったな。次はお前の為にもっかい開くよ。」金銭編でいえば「お前酒飲めないのにいつも割り勘で悪いな。今日はおごるよ。」というリターンが戻ってくる可能性が高まると思うのです。少なくとも逐一いろいろ言い散らかしてリターンどころか市場価値まで下落させるよりは。


 若干長くなってしまいましたが、またこのような投資家としての才能に見事に恵まれていない人は滅っ多にいませんが、本日の要旨としては、
毎回合理的に利益利益といってきたけれども、たまには小さな損ならばあえて選んでみるような手の方が結果としてより大きな利益として帰ってくるときもあるのですと、こういうことです。



先人の格言「損して得取れ」

TheTimeIsRipeforInvestment11「減損会計・オフバランス」不動産昨今②

2006-07-01 22:02:59 | ご隠居のフォルダ
 一度ものすごい長文を書いていたのに仕上がり直前にPCが突然フォーといったらまっさらまいどどうも、ご隠居です。ということで意気消沈気味ゆえに、今日は簡潔にいこうと思います。不明な点は質問してください。


 今日は前回と同じく不動産「所有」から「利用」への流れを見てみます。前回は価格の決定の仕方からの考察でしたが、今回は会計的な観点でいきます。


 大枠を先に書いておくと、
本日のスキーム:
時価主義的な性格の減損会計制度導入
   ↓
オフバランスへ

です。なんのこっちゃという感想で結構です。とりあえず本日のキーワードは「減損会計」&「オフバランス」ということをまず頭に入れておいて下さい。


 さて、企業には帳簿というものが必要です。まず企業自身が、いくら在庫があってどれだけ売れたからこれだけの利益が出た、などの財務状況を正確に把握している必要があります。そりゃそうですね。
 また上場企業などは広く一般の投資家の人に株を買ってもらうことで資金を調達しますが、それゆえに帳簿(貸借対照表や損益計算書)は公表しなければならないことになっています。投資家はそれを見て「うんこの会社は順調に売り上げが伸びているな。まだ成長するはずだ。よし買おう。」とか「この会社はちょっと負債かかえすぎているなぁ。利益もそんな出ていないし。この株は買いたくないな」などと判断します。つまり帳簿は①おこづかい帳的役割のほかに②その企業の内部を語る紹介文的役割があるのです。

 以前より、損失をこうむるような下手な案件に投資しないように事前のリサーチが必要である旨を述べていますがそれと同じです。例えば帳簿の一種である損益計算書には何にどれくらい金を突っ込んでどれくらいの利益あるいは損失が出たか(=活動内容)がわかりますが、そのような観点から事前リサーチをするとすれば、元彼・元カノはどのような付き合いをしてその結果どうなったか等が損益計算書にあたります。美辞麗句がつらなる企業ホームページ経営ポリシー(人間でいえば見た目)だけで投資決行を決断するのは非常に危険ですので、帳簿による調査が必須だということです。

 
 若干脱線気味になってしまいましたので、次に取得原価主義・時価主義について説明します。これは帳簿の付け方の話です。
 具体例でいきましょう。あなたが今ボールペンを100円で買いました。ので、「ボールペン100円」と帳簿に書きます。翌日なぜか物価が上がってボールペンの定価は150円になりました。このときあなたは持っているボールペンの価値はいくらでしょうか。
仮説①:100円。買ったのが100円だから。
仮説②:150円。今買うとすれば150円だから。

 実は解釈上の違いで①も②も正解です。①が取得原価主義、②が時価主義の考え方です。
 わが国では、帳簿の付け方は取得原価主義が原則となっています。ところが、去年の4月から不動産などの一部の固定資産の帳簿の付け方が変わり、②の考え方が取り入れられることになりました。長らくひっぱりましたが、これが減損会計です。

 時価主義の考え方のいいところは、適正に資産の価値を表示できるところです。じゃあいいことじゃないかと思うでしょうが、企業の少なくない数は逆でした。

 前回書いたように、バブル崩壊までは土地の値段は右肩上がりの成長を続けていました。その後一気に落ち込んで、未だバブル期の地価には到達していません。
 ここで多くの企業が、バブル崩壊以前に取得した不動産を持っている、ということをあげます。企業にとっての減損会計のありがたくなさがわかったでしょうか?

 あなたには15億円で購入した土地と自社ビルがあります。しかし、現在の価値は5億円しかありません。減損会計制度導入以前は帳簿には「資産として15億円分の自社ビルがあります」と書いてあったのが、減損会計制度では「5億円分」と書かなくてはならず資産が減ってしまうことになるのです。


 このような流れで、高値で買った不動産はもはや「所有の意味がなくなった」どころか「所有していない方がいい」という意識が出てきました。このお荷物不動産を処分すれば、帳簿には書く必要がないですね。これが本日第二のキーワード「オフバランス化」(帳簿切り離し)です。
 ただ処分(売る)するのではなく、その際に「その代わりおれに貸すこと」と特約を付けることが多いようです。このような形であれば、元来のように自社ビルで仕事ができるなど処分の後と前では見た目では何も変わっていないことになります。

 
 ということで、不動産は「所有」から「利用」へうつっていくとこういう話でした。長い割にはわかりにくかったかもしれないので一応以下に人間にたとえるとという非人道的なストーリーを載せておきます。



 "あなたはエリートサラリーマンである。あなたは不思議と若く美しいまま全く老けない嫁さんを手に入れた。そんな綺麗な妻のおかげであなたには周りの評価も高く、順調に出世していった。
 数十年がたった頃、異変がおきた。あなたは忘れもしないだろう、平成17年4月1日のことだ。あなたは朝目を覚ますと、昨日まで美しかった妻が汚いババアになっているではないか。なんて汚らしい姿なんだとあなたは失神しそうになってしまった。こんな嫁がいたとあっては人様に顔向けできない。何とかしなければならぬ。「だがおれは、まったく家事はできないしどうしようか。醜い年相応のババアになってしまったがあいつの料理はうまいし、嫁としては全く未来はないが一緒に暮らす価値はありそう。」あなたは深く考えるうちに、次の結論に達した。
 離婚したが、家政婦として雇ったのだ。また独身に戻り、合法的に投資活動にも励める。オフバランスとはすばらしいな。”

めでたしめでたし。




次回予告「囚人のジレンマ」