一度ものすごい長文を書いていたのに仕上がり直前にPCが突然フォーといったらまっさらまいどどうも、ご隠居です。ということで意気消沈気味ゆえに、今日は簡潔にいこうと思います。不明な点は質問してください。
今日は前回と同じく不動産「所有」から「利用」への流れを見てみます。前回は価格の決定の仕方からの考察でしたが、今回は会計的な観点でいきます。
大枠を先に書いておくと、
本日のスキーム:
時価主義的な性格の減損会計制度導入
↓
オフバランスへ
です。なんのこっちゃという感想で結構です。とりあえず本日のキーワードは「減損会計」&「オフバランス」ということをまず頭に入れておいて下さい。
さて、企業には帳簿というものが必要です。まず企業自身が、いくら在庫があってどれだけ売れたからこれだけの利益が出た、などの財務状況を正確に把握している必要があります。そりゃそうですね。
また上場企業などは広く一般の投資家の人に株を買ってもらうことで資金を調達しますが、それゆえに帳簿(貸借対照表や損益計算書)は公表しなければならないことになっています。投資家はそれを見て「うんこの会社は順調に売り上げが伸びているな。まだ成長するはずだ。よし買おう。」とか「この会社はちょっと負債かかえすぎているなぁ。利益もそんな出ていないし。この株は買いたくないな」などと判断します。つまり帳簿は①おこづかい帳的役割のほかに②その企業の内部を語る紹介文的役割があるのです。
以前より、損失をこうむるような下手な案件に投資しないように事前のリサーチが必要である旨を述べていますがそれと同じです。例えば帳簿の一種である損益計算書には何にどれくらい金を突っ込んでどれくらいの利益あるいは損失が出たか(=活動内容)がわかりますが、そのような観点から事前リサーチをするとすれば、元彼・元カノはどのような付き合いをしてその結果どうなったか等が損益計算書にあたります。美辞麗句がつらなる企業ホームページ経営ポリシー(人間でいえば見た目)だけで投資決行を決断するのは非常に危険ですので、帳簿による調査が必須だということです。
若干脱線気味になってしまいましたので、次に取得原価主義・時価主義について説明します。これは帳簿の付け方の話です。
具体例でいきましょう。あなたが今ボールペンを100円で買いました。ので、「ボールペン100円」と帳簿に書きます。翌日なぜか物価が上がってボールペンの定価は150円になりました。このときあなたは持っているボールペンの価値はいくらでしょうか。
仮説①:100円。買ったのが100円だから。
仮説②:150円。今買うとすれば150円だから。
実は解釈上の違いで①も②も正解です。①が取得原価主義、②が時価主義の考え方です。
わが国では、帳簿の付け方は取得原価主義が原則となっています。ところが、去年の4月から不動産などの一部の固定資産の帳簿の付け方が変わり、②の考え方が取り入れられることになりました。長らくひっぱりましたが、これが減損会計です。
時価主義の考え方のいいところは、適正に資産の価値を表示できるところです。じゃあいいことじゃないかと思うでしょうが、企業の少なくない数は逆でした。
前回書いたように、バブル崩壊までは土地の値段は右肩上がりの成長を続けていました。その後一気に落ち込んで、未だバブル期の地価には到達していません。
ここで多くの企業が、バブル崩壊以前に取得した不動産を持っている、ということをあげます。企業にとっての減損会計のありがたくなさがわかったでしょうか?
あなたには15億円で購入した土地と自社ビルがあります。しかし、現在の価値は5億円しかありません。減損会計制度導入以前は帳簿には「資産として15億円分の自社ビルがあります」と書いてあったのが、減損会計制度では「5億円分」と書かなくてはならず資産が減ってしまうことになるのです。
このような流れで、高値で買った不動産はもはや「所有の意味がなくなった」どころか「所有していない方がいい」という意識が出てきました。このお荷物不動産を処分すれば、帳簿には書く必要がないですね。これが本日第二のキーワード「オフバランス化」(帳簿切り離し)です。
ただ処分(売る)するのではなく、その際に「その代わりおれに貸すこと」と特約を付けることが多いようです。このような形であれば、元来のように自社ビルで仕事ができるなど処分の後と前では見た目では何も変わっていないことになります。
ということで、不動産は「所有」から「利用」へうつっていくとこういう話でした。長い割にはわかりにくかったかもしれないので一応以下に人間にたとえるとという非人道的なストーリーを載せておきます。
"あなたはエリートサラリーマンである。あなたは不思議と若く美しいまま全く老けない嫁さんを手に入れた。そんな綺麗な妻のおかげであなたには周りの評価も高く、順調に出世していった。
数十年がたった頃、異変がおきた。あなたは忘れもしないだろう、平成17年4月1日のことだ。あなたは朝目を覚ますと、昨日まで美しかった妻が汚いババアになっているではないか。なんて汚らしい姿なんだとあなたは失神しそうになってしまった。こんな嫁がいたとあっては人様に顔向けできない。何とかしなければならぬ。「だがおれは、まったく家事はできないしどうしようか。醜い年相応のババアになってしまったがあいつの料理はうまいし、嫁としては全く未来はないが一緒に暮らす価値はありそう。」あなたは深く考えるうちに、次の結論に達した。
離婚したが、家政婦として雇ったのだ。また独身に戻り、合法的に投資活動にも励める。オフバランスとはすばらしいな。”
めでたしめでたし。
次回予告「囚人のジレンマ」
今日は前回と同じく不動産「所有」から「利用」への流れを見てみます。前回は価格の決定の仕方からの考察でしたが、今回は会計的な観点でいきます。
大枠を先に書いておくと、
本日のスキーム:
時価主義的な性格の減損会計制度導入
↓
オフバランスへ
です。なんのこっちゃという感想で結構です。とりあえず本日のキーワードは「減損会計」&「オフバランス」ということをまず頭に入れておいて下さい。
さて、企業には帳簿というものが必要です。まず企業自身が、いくら在庫があってどれだけ売れたからこれだけの利益が出た、などの財務状況を正確に把握している必要があります。そりゃそうですね。
また上場企業などは広く一般の投資家の人に株を買ってもらうことで資金を調達しますが、それゆえに帳簿(貸借対照表や損益計算書)は公表しなければならないことになっています。投資家はそれを見て「うんこの会社は順調に売り上げが伸びているな。まだ成長するはずだ。よし買おう。」とか「この会社はちょっと負債かかえすぎているなぁ。利益もそんな出ていないし。この株は買いたくないな」などと判断します。つまり帳簿は①おこづかい帳的役割のほかに②その企業の内部を語る紹介文的役割があるのです。
以前より、損失をこうむるような下手な案件に投資しないように事前のリサーチが必要である旨を述べていますがそれと同じです。例えば帳簿の一種である損益計算書には何にどれくらい金を突っ込んでどれくらいの利益あるいは損失が出たか(=活動内容)がわかりますが、そのような観点から事前リサーチをするとすれば、元彼・元カノはどのような付き合いをしてその結果どうなったか等が損益計算書にあたります。美辞麗句がつらなる企業ホームページ経営ポリシー(人間でいえば見た目)だけで投資決行を決断するのは非常に危険ですので、帳簿による調査が必須だということです。
若干脱線気味になってしまいましたので、次に取得原価主義・時価主義について説明します。これは帳簿の付け方の話です。
具体例でいきましょう。あなたが今ボールペンを100円で買いました。ので、「ボールペン100円」と帳簿に書きます。翌日なぜか物価が上がってボールペンの定価は150円になりました。このときあなたは持っているボールペンの価値はいくらでしょうか。
仮説①:100円。買ったのが100円だから。
仮説②:150円。今買うとすれば150円だから。
実は解釈上の違いで①も②も正解です。①が取得原価主義、②が時価主義の考え方です。
わが国では、帳簿の付け方は取得原価主義が原則となっています。ところが、去年の4月から不動産などの一部の固定資産の帳簿の付け方が変わり、②の考え方が取り入れられることになりました。長らくひっぱりましたが、これが減損会計です。
時価主義の考え方のいいところは、適正に資産の価値を表示できるところです。じゃあいいことじゃないかと思うでしょうが、企業の少なくない数は逆でした。
前回書いたように、バブル崩壊までは土地の値段は右肩上がりの成長を続けていました。その後一気に落ち込んで、未だバブル期の地価には到達していません。
ここで多くの企業が、バブル崩壊以前に取得した不動産を持っている、ということをあげます。企業にとっての減損会計のありがたくなさがわかったでしょうか?
あなたには15億円で購入した土地と自社ビルがあります。しかし、現在の価値は5億円しかありません。減損会計制度導入以前は帳簿には「資産として15億円分の自社ビルがあります」と書いてあったのが、減損会計制度では「5億円分」と書かなくてはならず資産が減ってしまうことになるのです。
このような流れで、高値で買った不動産はもはや「所有の意味がなくなった」どころか「所有していない方がいい」という意識が出てきました。このお荷物不動産を処分すれば、帳簿には書く必要がないですね。これが本日第二のキーワード「オフバランス化」(帳簿切り離し)です。
ただ処分(売る)するのではなく、その際に「その代わりおれに貸すこと」と特約を付けることが多いようです。このような形であれば、元来のように自社ビルで仕事ができるなど処分の後と前では見た目では何も変わっていないことになります。
ということで、不動産は「所有」から「利用」へうつっていくとこういう話でした。長い割にはわかりにくかったかもしれないので一応以下に人間にたとえるとという非人道的なストーリーを載せておきます。
"あなたはエリートサラリーマンである。あなたは不思議と若く美しいまま全く老けない嫁さんを手に入れた。そんな綺麗な妻のおかげであなたには周りの評価も高く、順調に出世していった。
数十年がたった頃、異変がおきた。あなたは忘れもしないだろう、平成17年4月1日のことだ。あなたは朝目を覚ますと、昨日まで美しかった妻が汚いババアになっているではないか。なんて汚らしい姿なんだとあなたは失神しそうになってしまった。こんな嫁がいたとあっては人様に顔向けできない。何とかしなければならぬ。「だがおれは、まったく家事はできないしどうしようか。醜い年相応のババアになってしまったがあいつの料理はうまいし、嫁としては全く未来はないが一緒に暮らす価値はありそう。」あなたは深く考えるうちに、次の結論に達した。
離婚したが、家政婦として雇ったのだ。また独身に戻り、合法的に投資活動にも励める。オフバランスとはすばらしいな。”
めでたしめでたし。
次回予告「囚人のジレンマ」