大学の日本文学科を出ていて、現在は編集の仕事に就いている
四十代終盤の私ですが、読書歴は「もっと勉強しろよ」としか
言えないお粗末なものです。
でも貧相な分だけ「書き尽くしても読みきれる」というエッセイに
仕上げられるな~と思って、書いてみることにしました。
(私のブログの一作一作が長いのは、ブログ記事でなく「体験記」
や「エッセイ」として書いているせいです)
幼児期は、母と弟とともにマメに図書館に行って、絵本を3冊と
紙芝居を1作品借りていました。
幼稚園の時、私はすでに「最後の絵の裏側に最初の絵に該当する
お話が書いてあって、最初の絵の裏には2枚目の絵に該当する
お話が書かれている。そのずれを繰り返す」という複雑な構造を
理解して、自作の紙芝居を作っていたりしました。神童!
『ぐりとぐら』『100万回生きたねこ』『こぐまのたろ』などの
王道絵本はしっかり読みました。
一番好きだったのは、かこさとしの絵本です。
同じようなものがちまちまとたくさん描かれている絵が好きで、
『にんじんばたけのパピプペポ』や『からすのパンやさん』の絵が
お気に入りでした。特にパンの絵が見開きいっぱいにたくさん
書いてある『からすのパンやさん』が一番のお気に入り。
大人になってから大好きになったのは『いやいやえん』。
子供向けの絵本や童話って、創作のふりをして「子供に教訓や
学習を与えたい」と書かれた作品は大人の自己満足だよね。
そんな中で『いやいやえん』は、大人が読むと「だから、何?」
というような「想像しっぱなし」な無責任感が楽しい作品。
子供のころより今の方が『いやいやえん』大好きです。
小学一年生になったら、クラスにすごい秀才の男の子がいて、彼は
その年齢ですでに「少年探偵シリーズ」、つまり江戸川乱歩作の
明智小五郎シリーズの少年向け版を読んでいたのです。
図書室で見てみたら文字ぎっしりで漢字も多くて難しい。
でも、面白そうだったのでずっとその本にあこがれていました。
私が「少年探偵シリーズ」を読めるようになったのは二年生の
後半~三年生くらいかな。
しかし、最初に読んだ『一寸法師』が、ただでさえ話が怖いのに、
挿絵が怖すぎた……。これが今もトラウマになっています。
閉店後の真っ暗なデパートで、凶悪犯の一寸法師が、追っ手を
やりすごそうと、マネキン人形に手を引かれる子供に扮している
場面が、見開きでばばーんと描かれていました。
この一寸法師は、身長が子供ほどしかない設定で、私は「小人」と
聞くと可愛い系じゃなくて、この「子供の身長の凶悪な大人」の
イメージがあの絵と共に出てきます。今でも「小人」という架空の
生き物全般が超怖いです。
だって、「小人」として身長30センチとかの大人の姿をした
生き物が目の前に出てきたりしたらすっごい不気味で怖いよね。
「少年探偵シリーズ」は片っ端から読み漁る愛読書となりましたが、
私を生涯の小人嫌いにした怖い本でもあります。
この江戸川乱歩のおかげで、私は「推理小説読み」になりました。
私が人生において一番繰り返し読み、一番好きだといえる作品は、
小学校高学年で読んだアガサ・クリスティーの『そして誰もいなく
なった』です。うわ~、一般人。
当時は、自分でもオリジナルの『そして誰もいなくなった』的な
事件のマンガを描いたりもしました。
小学校高学年~中学校時代にはアガサ・クリスティーをとにかく
たくさん読みました。他の海外推理作家も挑戦してみましたが、
クリスティーが一番面白くて、買い漁って読みました。
『鏡は横にひび割れて』は推理ものとしては愚作だと思います。
私のクリスティーベスト3は、以下のようなランキングです。
1『そして誰もいなくなった』
2『ねじれた家』
3『スリーピング・マーダー』
ランキング3位は「マープル最後の事件」です。私はポアロより
マープル派。どっちも好きだけど。
海外ドラマ「名探偵ポワロ」も大好き。デビッド・スーシェの
ポワロと共に「これぞ本人」と言われるジェーン・ヒクソン版の
「ミス・マープル」も好きです。
なお、私はハヤカワ・ミステリ文庫の表記に従って「ポアロ」と
書きますが、ドラマ版はドラマタイトル通り「ポワロ」と書きます。
そうそう、小学3~4年くらいのときは、会議室の掃除当番に
なるたび、その本棚にあった五島勉の『ノストラダムスの大予言』
シリーズを片っ端から読んでいました。掃除しろよ。
私はその後、この本に基づいて1999年7月、または8月18日
には人類が滅びると思って生き続けることになりました。
人生で初めて「本を読んで泣く」という経験をしたのは闘病記。
『珠子十歳のれくいえむ』でした。小学校高学年の時かな。
中学生のとき、母のある習慣に気がつきました。
毎週日曜日、テープに録音しながら、ラジオで『源氏物語』の
授業のようなものを聴いているのです。
当時の私は「大人になったのに、源氏物語の勉強とか(驚)」と
いう感じで、奇異なものを見る思いでした。学校の勉強でも、私は
『徒然草』や『枕草子』のほうが読みやすくて面白く感じてたし。
これが伏線になって、のちに私の趣味が一つ増えます。
高校1年の時、現代文の授業で、担当の先生がクラス全員に
購入させた書籍が岩波新書『ことばと文化』(鈴木孝夫)でした。
専門の新書というものを見るのも初めてで、渋々読んだのですが、
これが私の世界観を形作る書籍となりました。
この本は基本的には「意味論」の本です。
「ものがことばをあらしめるのではなく、ことばがものをあらし
める」というのがこの本のテーマ。この世界は、粒子レベルで
見れば単なる粒々の集まりであり、物理的な法則性はあっても
それじたいに意味があるわけではない。そこを意味づけして
切り取ることで「もの」が存在することになる。その「意味づけ」
をする手段が「言葉」である…
つまり人が認識することで「もの」が生じるし、認識の仕方が
言語や解釈によって変わるのだから「もの」は非常にあいまいな
ものである、世界は元来「ただの粒々の集合体」でしかない…
というのが、私がこの本から教わった、世界に対する認識です。
高校時代、友人たちは銀色夏生の詩集などを読んでいたのですが、
私は斉藤由貴の詩集『運命の女』を愛読していました。
なお中学生の時に買った斉藤由貴写真集『情熱』が人生で初めて
自分で手に入れた写真集です。当時から尻が軽い!
高校時代からその後、長く傾倒したのが阿刀田高と連城三紀彦。
阿刀田高は書店で見つけた『ブラック・ジョーク大全』という
本を買って、ブラックなショートショートから短編小説へと
読み進んでいきました。
読みやすく端的で、しっかり構成されていて、ひねりやオチも
見事に仕組まれていて、作者と読者の見ているものの「ズレ」を
うまく使っていることに心酔しました。
私の理想形としての作品イメージは、長く阿刀田高でした。
ずっとのちに「自分はキレのいい短編は書けないっぽい」という
結論には達したものの、長年、作風に憧れていた作家です。
現在は日本文学界の超重鎮。今も新作が出版されている超大御所
で、最近私は『源氏物語を知っていますか』を読みました。
連城三紀彦はすでに故人です。65歳での死去は惜しまれます。
『恋文』で直木賞を受賞していますが、この人のすごさは、
恋愛小説でもどんでん返しを仕込んだりして、美しい作品にも
エンタメ要素があって非常に読み応えがあることです。
実は連城三紀彦の真骨頂は恋愛小説ではなくて推理小説。
文学、推理、両方に実力のある作家でした。
こちらは母の本棚で『戻り川心中』を見つけてなんとなく読み、
すっかりハマりました。母の蔵書に何冊もあったので読み漁り、
欠けている分は自分で買ってきました。
推理小説なのに世界観が耽美で非常に情緒的。特異で稀有な
作家さんだなあと思いました。「この人みたいになることは
絶対不可能」と思って、まったく影響は受けませんでした。
(阿刀田高みたいになれると思ったわけでもないけど)
1988年の『黄昏のベルリン』で飽きて、以降は読んで
いませんでした。2002年刊の『白光』を久々に読んだ時も、
普通の作家さんになったな~、と思っちゃいました。
私の読書を語るうえで外せないのは、阿刀田高、連城三紀彦、
そして漫画家ではありますが柴田昌弘です。
高校時代は他に相対性理論、量子力学、宇宙論の本をたくさん
読みましたが、結局全然理解できませんでした。
私の高校の「貸出カード」にはこれらの書籍がずらりと並んで、
そこだけ見ると超スーパーインテリな感じ。
実際は数学の試験で100点満点中17点しか取れなかったり
して数学・物理に関しては完全に置いていかれていたのですが。
横溝正史を読み漁ったのは高校~大学時代かな。
『悪魔が来りて笛を吹く』が一番好き。
テレビで横溝正史作品が放送されるとたいがい見ています。
このくらいの時に読んで面白かったのが、母の本棚にあった
『思い出し半笑い』(吉田直哉)というNHKディレクターの
エッセイ集。家にあったのがなくなってしまって悲しい!
大学受験対策として、よくあるのが「『源氏物語』を読む
代わりに、大和和紀の漫画『あさきゆめみし』を読む」という
行為です。が…残念ながら作中の女人の顔が判別できず、挫折。
その時、役に立ったのが母の蔵書でした。
中学の時、母が源氏物語の講義をラジオで聴いていましたが、
実はこれ、私が二十歳を過ぎるまで続いていたのです。
NHKラジオ第2放送「古典講読」の「源氏物語」はなんと
全472回(9年以上)を費やして「桐壺」~「夢浮橋」の
全部を講義したという…。そう、これを全話聴き倒した母は、
源氏物語が超~大好きな人だったのです。
母の蔵書も源氏物語関連がずらり。そこからまず、円地文子の
訳本を読んでみたものの、つまらなくて挫折。
次に読んだのは田辺聖子『私本・源氏物語』。なんとこれが
めちゃくちゃ面白い。いろいろ読んだ今は、この『私本源氏』
はかなり意訳された「読み物」で、訳本とは言えないと知って
いるのですが、このお陰で私も一気に『源氏物語』が大好きに
なりました。
源氏物語の新しい訳本などが出ると母が買ってくるので、
家に入ってくる訳本はたいがい読みました。
母が源氏物語に傾倒したのは父親(つまり私の祖父)の影響で、
笠智衆似の村一番のイケメンにして文学青年だった祖父は
源氏物語研究が好きだったとのこと。
祖父、母、私と、三代続けての源氏物語ファンとなりました。
ストーリーがわかれば『あさきゆめみし』も楽々読破。美麗な
絵がことさら素晴らしく、描いたのが大和和紀でよかった!
なお、私の好きな女人は葵の上。一択です。
大学では、当時親しかった人に島田荘司を教わりました。
デビュー作だという『占星術殺人事件』を借りて読んで衝撃!
そのほかにも数冊借りましたが、以降は自分で片っ端から
購入して読み漁りました。
御手洗潔シリーズは多少エグくても楽しいのですが、吉敷竹史
シリーズは悲惨すぎて心が塞ぐ…でも読んじゃうけど。
昨年、入院中のヒマつぶし用に『リベルタスの寓話』を持って
行ったのは失敗でした。死体の描写が超エグいスプラッタで、
手術を控えた病室で読むものじゃなかった…
今も書店で文庫の新刊をチェックするのは島田荘司くらいだな。
今、『新しい十五匹のネズミのフライ』を読んでいます。
この人にはスティーブン・キングも教わりました。
映画とかによく使われている海外の大衆作家で、自分には
関係ないと思ってたし、とくにキングの作品は「あらすじで
紹介されるとなんかバカ臭い」というものが多いので、自分で
見つけることは決してできなかった作家さんです。
『デッド・ゾーン』がやっぱり一番おもしろいかな。
なお、「あなたには怖すぎるから読むのはやめておいたほうが
いい」と言われた『IT』は今もなお怯えて手が出せません。
それから、横溝正史の『八つ墓村』のいわくの部分が実際の
事件をモデルにしていると教わり、その事件のルポ、『津山
三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(筑波昭)
も読みました。まさかこんな事件が実際にあるなんて…。
オカルト系の「世界で起こった不可思議な事件」的なものを
読むのは子供のころから大好きでしたが、実際の事件を書物で
具体的に読むというのはまた新たな経験でした。
大学時代は、日本三大奇書といわれる『ドグラ・マグラ』も
読みました。確かに前半はぐるぐるしてしんどいですが、後半
というか全体の最後の4分の1くらいは本当に面白かった。
阿刀田高ファンとして、ショートショートの大先輩・星新一も
読んでみましたが、設定だけ書いてストーリーがないような
作品が多く、好きにはなれませんでした。
確かにいろんな設定を考えることじたいはすごいのですが、
阿刀田高の「そこから人間心理に踏み込む」という深みがなく、
物足りなさを感じました。
大学時代一番の思い出の本は『いちご同盟』(三田誠広)。
読みづらさを芸術だと勘違いしている人に小説を書く際の
アドバイスを求められたら、この作品を例に挙げて話します。
「たいへん平易で素直な文体なのに非常に文学的で詩情がある。
変にごてごて飾らなくても美しい文章は書ける」という感じで。
大人になってからは実用書を読むことが増えたな…。
でも、何の実用書を読んだか、ほとんど覚えてない。
あとは、『8時だョ!全員集合伝説』(居作昌果)や『だめだ
こりゃ』(いかりや長介)といった芸能系書籍、『人んちで
充電すんなよ!』(ふかわりょう)などのネタ本…
w-inds.の慶太君や三浦大知のフォトエッセイみたいな
芸能本的なものや、キムタクの写真集、私服のセンスの悪さを
ネタにした「私服だらけの中居正広増刊号~輝いて~」などの
軽~~い本をよく買うようになりました。
さらに、出版社に勤めるようになってから、本当はそれじゃ
ダメなんだけど、とにかく本を読まなくなりました。
最近、仕事上読まなければならなかった本ですごく面白かった
のが『筒井順慶の悩める六月』(中南元信)。
本能寺の変の後、明智と織田両方に縁続きの筒井順慶が身の
処し方を決めかねて右往左往する様子を描いた作品で、歴史
小説がまるでダメな私もクスクス笑って楽しく読めました。
やばい、社会人になってからの読書歴がスカスカすぎる。
一番ハマって読んだのが『イモムシハンドブック』1~3だし。
実物大の写真がずらりと載って、イモムシ好きにはたまらない
逸品だけど、一般の方には閲覧注意って感じ。
最後の最後で「読書歴、とか言ってソレ?」という話になって
恐縮ですが、反省して、もっとなんかマトモな本を読みたいと
思います。薄くて軽い読書歴ですんませんでした!
四十代終盤の私ですが、読書歴は「もっと勉強しろよ」としか
言えないお粗末なものです。
でも貧相な分だけ「書き尽くしても読みきれる」というエッセイに
仕上げられるな~と思って、書いてみることにしました。
(私のブログの一作一作が長いのは、ブログ記事でなく「体験記」
や「エッセイ」として書いているせいです)
幼児期は、母と弟とともにマメに図書館に行って、絵本を3冊と
紙芝居を1作品借りていました。
幼稚園の時、私はすでに「最後の絵の裏側に最初の絵に該当する
お話が書いてあって、最初の絵の裏には2枚目の絵に該当する
お話が書かれている。そのずれを繰り返す」という複雑な構造を
理解して、自作の紙芝居を作っていたりしました。神童!
『ぐりとぐら』『100万回生きたねこ』『こぐまのたろ』などの
王道絵本はしっかり読みました。
一番好きだったのは、かこさとしの絵本です。
同じようなものがちまちまとたくさん描かれている絵が好きで、
『にんじんばたけのパピプペポ』や『からすのパンやさん』の絵が
お気に入りでした。特にパンの絵が見開きいっぱいにたくさん
書いてある『からすのパンやさん』が一番のお気に入り。
大人になってから大好きになったのは『いやいやえん』。
子供向けの絵本や童話って、創作のふりをして「子供に教訓や
学習を与えたい」と書かれた作品は大人の自己満足だよね。
そんな中で『いやいやえん』は、大人が読むと「だから、何?」
というような「想像しっぱなし」な無責任感が楽しい作品。
子供のころより今の方が『いやいやえん』大好きです。
小学一年生になったら、クラスにすごい秀才の男の子がいて、彼は
その年齢ですでに「少年探偵シリーズ」、つまり江戸川乱歩作の
明智小五郎シリーズの少年向け版を読んでいたのです。
図書室で見てみたら文字ぎっしりで漢字も多くて難しい。
でも、面白そうだったのでずっとその本にあこがれていました。
私が「少年探偵シリーズ」を読めるようになったのは二年生の
後半~三年生くらいかな。
しかし、最初に読んだ『一寸法師』が、ただでさえ話が怖いのに、
挿絵が怖すぎた……。これが今もトラウマになっています。
閉店後の真っ暗なデパートで、凶悪犯の一寸法師が、追っ手を
やりすごそうと、マネキン人形に手を引かれる子供に扮している
場面が、見開きでばばーんと描かれていました。
この一寸法師は、身長が子供ほどしかない設定で、私は「小人」と
聞くと可愛い系じゃなくて、この「子供の身長の凶悪な大人」の
イメージがあの絵と共に出てきます。今でも「小人」という架空の
生き物全般が超怖いです。
だって、「小人」として身長30センチとかの大人の姿をした
生き物が目の前に出てきたりしたらすっごい不気味で怖いよね。
「少年探偵シリーズ」は片っ端から読み漁る愛読書となりましたが、
私を生涯の小人嫌いにした怖い本でもあります。
この江戸川乱歩のおかげで、私は「推理小説読み」になりました。
私が人生において一番繰り返し読み、一番好きだといえる作品は、
小学校高学年で読んだアガサ・クリスティーの『そして誰もいなく
なった』です。うわ~、一般人。
当時は、自分でもオリジナルの『そして誰もいなくなった』的な
事件のマンガを描いたりもしました。
小学校高学年~中学校時代にはアガサ・クリスティーをとにかく
たくさん読みました。他の海外推理作家も挑戦してみましたが、
クリスティーが一番面白くて、買い漁って読みました。
『鏡は横にひび割れて』は推理ものとしては愚作だと思います。
私のクリスティーベスト3は、以下のようなランキングです。
1『そして誰もいなくなった』
2『ねじれた家』
3『スリーピング・マーダー』
ランキング3位は「マープル最後の事件」です。私はポアロより
マープル派。どっちも好きだけど。
海外ドラマ「名探偵ポワロ」も大好き。デビッド・スーシェの
ポワロと共に「これぞ本人」と言われるジェーン・ヒクソン版の
「ミス・マープル」も好きです。
なお、私はハヤカワ・ミステリ文庫の表記に従って「ポアロ」と
書きますが、ドラマ版はドラマタイトル通り「ポワロ」と書きます。
そうそう、小学3~4年くらいのときは、会議室の掃除当番に
なるたび、その本棚にあった五島勉の『ノストラダムスの大予言』
シリーズを片っ端から読んでいました。掃除しろよ。
私はその後、この本に基づいて1999年7月、または8月18日
には人類が滅びると思って生き続けることになりました。
人生で初めて「本を読んで泣く」という経験をしたのは闘病記。
『珠子十歳のれくいえむ』でした。小学校高学年の時かな。
中学生のとき、母のある習慣に気がつきました。
毎週日曜日、テープに録音しながら、ラジオで『源氏物語』の
授業のようなものを聴いているのです。
当時の私は「大人になったのに、源氏物語の勉強とか(驚)」と
いう感じで、奇異なものを見る思いでした。学校の勉強でも、私は
『徒然草』や『枕草子』のほうが読みやすくて面白く感じてたし。
これが伏線になって、のちに私の趣味が一つ増えます。
高校1年の時、現代文の授業で、担当の先生がクラス全員に
購入させた書籍が岩波新書『ことばと文化』(鈴木孝夫)でした。
専門の新書というものを見るのも初めてで、渋々読んだのですが、
これが私の世界観を形作る書籍となりました。
この本は基本的には「意味論」の本です。
「ものがことばをあらしめるのではなく、ことばがものをあらし
める」というのがこの本のテーマ。この世界は、粒子レベルで
見れば単なる粒々の集まりであり、物理的な法則性はあっても
それじたいに意味があるわけではない。そこを意味づけして
切り取ることで「もの」が存在することになる。その「意味づけ」
をする手段が「言葉」である…
つまり人が認識することで「もの」が生じるし、認識の仕方が
言語や解釈によって変わるのだから「もの」は非常にあいまいな
ものである、世界は元来「ただの粒々の集合体」でしかない…
というのが、私がこの本から教わった、世界に対する認識です。
高校時代、友人たちは銀色夏生の詩集などを読んでいたのですが、
私は斉藤由貴の詩集『運命の女』を愛読していました。
なお中学生の時に買った斉藤由貴写真集『情熱』が人生で初めて
自分で手に入れた写真集です。当時から尻が軽い!
高校時代からその後、長く傾倒したのが阿刀田高と連城三紀彦。
阿刀田高は書店で見つけた『ブラック・ジョーク大全』という
本を買って、ブラックなショートショートから短編小説へと
読み進んでいきました。
読みやすく端的で、しっかり構成されていて、ひねりやオチも
見事に仕組まれていて、作者と読者の見ているものの「ズレ」を
うまく使っていることに心酔しました。
私の理想形としての作品イメージは、長く阿刀田高でした。
ずっとのちに「自分はキレのいい短編は書けないっぽい」という
結論には達したものの、長年、作風に憧れていた作家です。
現在は日本文学界の超重鎮。今も新作が出版されている超大御所
で、最近私は『源氏物語を知っていますか』を読みました。
連城三紀彦はすでに故人です。65歳での死去は惜しまれます。
『恋文』で直木賞を受賞していますが、この人のすごさは、
恋愛小説でもどんでん返しを仕込んだりして、美しい作品にも
エンタメ要素があって非常に読み応えがあることです。
実は連城三紀彦の真骨頂は恋愛小説ではなくて推理小説。
文学、推理、両方に実力のある作家でした。
こちらは母の本棚で『戻り川心中』を見つけてなんとなく読み、
すっかりハマりました。母の蔵書に何冊もあったので読み漁り、
欠けている分は自分で買ってきました。
推理小説なのに世界観が耽美で非常に情緒的。特異で稀有な
作家さんだなあと思いました。「この人みたいになることは
絶対不可能」と思って、まったく影響は受けませんでした。
(阿刀田高みたいになれると思ったわけでもないけど)
1988年の『黄昏のベルリン』で飽きて、以降は読んで
いませんでした。2002年刊の『白光』を久々に読んだ時も、
普通の作家さんになったな~、と思っちゃいました。
私の読書を語るうえで外せないのは、阿刀田高、連城三紀彦、
そして漫画家ではありますが柴田昌弘です。
高校時代は他に相対性理論、量子力学、宇宙論の本をたくさん
読みましたが、結局全然理解できませんでした。
私の高校の「貸出カード」にはこれらの書籍がずらりと並んで、
そこだけ見ると超スーパーインテリな感じ。
実際は数学の試験で100点満点中17点しか取れなかったり
して数学・物理に関しては完全に置いていかれていたのですが。
横溝正史を読み漁ったのは高校~大学時代かな。
『悪魔が来りて笛を吹く』が一番好き。
テレビで横溝正史作品が放送されるとたいがい見ています。
このくらいの時に読んで面白かったのが、母の本棚にあった
『思い出し半笑い』(吉田直哉)というNHKディレクターの
エッセイ集。家にあったのがなくなってしまって悲しい!
大学受験対策として、よくあるのが「『源氏物語』を読む
代わりに、大和和紀の漫画『あさきゆめみし』を読む」という
行為です。が…残念ながら作中の女人の顔が判別できず、挫折。
その時、役に立ったのが母の蔵書でした。
中学の時、母が源氏物語の講義をラジオで聴いていましたが、
実はこれ、私が二十歳を過ぎるまで続いていたのです。
NHKラジオ第2放送「古典講読」の「源氏物語」はなんと
全472回(9年以上)を費やして「桐壺」~「夢浮橋」の
全部を講義したという…。そう、これを全話聴き倒した母は、
源氏物語が超~大好きな人だったのです。
母の蔵書も源氏物語関連がずらり。そこからまず、円地文子の
訳本を読んでみたものの、つまらなくて挫折。
次に読んだのは田辺聖子『私本・源氏物語』。なんとこれが
めちゃくちゃ面白い。いろいろ読んだ今は、この『私本源氏』
はかなり意訳された「読み物」で、訳本とは言えないと知って
いるのですが、このお陰で私も一気に『源氏物語』が大好きに
なりました。
源氏物語の新しい訳本などが出ると母が買ってくるので、
家に入ってくる訳本はたいがい読みました。
母が源氏物語に傾倒したのは父親(つまり私の祖父)の影響で、
笠智衆似の村一番のイケメンにして文学青年だった祖父は
源氏物語研究が好きだったとのこと。
祖父、母、私と、三代続けての源氏物語ファンとなりました。
ストーリーがわかれば『あさきゆめみし』も楽々読破。美麗な
絵がことさら素晴らしく、描いたのが大和和紀でよかった!
なお、私の好きな女人は葵の上。一択です。
大学では、当時親しかった人に島田荘司を教わりました。
デビュー作だという『占星術殺人事件』を借りて読んで衝撃!
そのほかにも数冊借りましたが、以降は自分で片っ端から
購入して読み漁りました。
御手洗潔シリーズは多少エグくても楽しいのですが、吉敷竹史
シリーズは悲惨すぎて心が塞ぐ…でも読んじゃうけど。
昨年、入院中のヒマつぶし用に『リベルタスの寓話』を持って
行ったのは失敗でした。死体の描写が超エグいスプラッタで、
手術を控えた病室で読むものじゃなかった…
今も書店で文庫の新刊をチェックするのは島田荘司くらいだな。
今、『新しい十五匹のネズミのフライ』を読んでいます。
この人にはスティーブン・キングも教わりました。
映画とかによく使われている海外の大衆作家で、自分には
関係ないと思ってたし、とくにキングの作品は「あらすじで
紹介されるとなんかバカ臭い」というものが多いので、自分で
見つけることは決してできなかった作家さんです。
『デッド・ゾーン』がやっぱり一番おもしろいかな。
なお、「あなたには怖すぎるから読むのはやめておいたほうが
いい」と言われた『IT』は今もなお怯えて手が出せません。
それから、横溝正史の『八つ墓村』のいわくの部分が実際の
事件をモデルにしていると教わり、その事件のルポ、『津山
三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(筑波昭)
も読みました。まさかこんな事件が実際にあるなんて…。
オカルト系の「世界で起こった不可思議な事件」的なものを
読むのは子供のころから大好きでしたが、実際の事件を書物で
具体的に読むというのはまた新たな経験でした。
大学時代は、日本三大奇書といわれる『ドグラ・マグラ』も
読みました。確かに前半はぐるぐるしてしんどいですが、後半
というか全体の最後の4分の1くらいは本当に面白かった。
阿刀田高ファンとして、ショートショートの大先輩・星新一も
読んでみましたが、設定だけ書いてストーリーがないような
作品が多く、好きにはなれませんでした。
確かにいろんな設定を考えることじたいはすごいのですが、
阿刀田高の「そこから人間心理に踏み込む」という深みがなく、
物足りなさを感じました。
大学時代一番の思い出の本は『いちご同盟』(三田誠広)。
読みづらさを芸術だと勘違いしている人に小説を書く際の
アドバイスを求められたら、この作品を例に挙げて話します。
「たいへん平易で素直な文体なのに非常に文学的で詩情がある。
変にごてごて飾らなくても美しい文章は書ける」という感じで。
大人になってからは実用書を読むことが増えたな…。
でも、何の実用書を読んだか、ほとんど覚えてない。
あとは、『8時だョ!全員集合伝説』(居作昌果)や『だめだ
こりゃ』(いかりや長介)といった芸能系書籍、『人んちで
充電すんなよ!』(ふかわりょう)などのネタ本…
w-inds.の慶太君や三浦大知のフォトエッセイみたいな
芸能本的なものや、キムタクの写真集、私服のセンスの悪さを
ネタにした「私服だらけの中居正広増刊号~輝いて~」などの
軽~~い本をよく買うようになりました。
さらに、出版社に勤めるようになってから、本当はそれじゃ
ダメなんだけど、とにかく本を読まなくなりました。
最近、仕事上読まなければならなかった本ですごく面白かった
のが『筒井順慶の悩める六月』(中南元信)。
本能寺の変の後、明智と織田両方に縁続きの筒井順慶が身の
処し方を決めかねて右往左往する様子を描いた作品で、歴史
小説がまるでダメな私もクスクス笑って楽しく読めました。
やばい、社会人になってからの読書歴がスカスカすぎる。
一番ハマって読んだのが『イモムシハンドブック』1~3だし。
実物大の写真がずらりと載って、イモムシ好きにはたまらない
逸品だけど、一般の方には閲覧注意って感じ。
最後の最後で「読書歴、とか言ってソレ?」という話になって
恐縮ですが、反省して、もっとなんかマトモな本を読みたいと
思います。薄くて軽い読書歴ですんませんでした!