エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

ドリフターズと「魚座学」

2020-04-26 17:48:52 | 日記
ザ・ドリフターズは「文化」だと思う。

私は子供のころ、母にドリフを禁止されていて、テレビマンの
父が土曜夜に家にいるときだけ「8時だョ!全員集合」を
見ることができた。そんな日はめったになかったのだが、私と
弟は土曜夜に父が帰宅すると喜んだものだった。

私は自分を「真面目で堅物の優等生」だったように誤認して
いるが、記憶をたどってみると「ドリフ見たい!」など、
ごく普通の子供だったっけね~と思うことが多い。

「お笑い」にあまり興味を持てない私だが、ドリフだけは、
一種の文化だと思って畏敬の念を持っている。
大人になってから「8時だョ!全員集合」のDVDボックスを
買ったし、いかりや長介の葬儀にはダンナと共に一ファンとして
駆けつけ、20時にファンの流した長さんの「8時だョ!」の
声に合わせて「全員集合!」と唱和するのに偶然参加できた。

今回、新型コロナウイルスによって志村けんが亡くなったのは
心から悔しく、歯を食いしばって冥福を祈るしかない。

ところで、ザ・ドリフターズの非常に特異な特徴を知っている
だろうか?

 いかりや長介 → さそり座
 高木ブー   → うお座
 仲本工事   → かに座
 加藤茶    → うお座
 志村けん   → うお座

なんと、5人中3人が魚座という、非常に偏った星座構成に
なっているのである。

実は「魚座」は、お笑い芸人が非常に多いことで知られる。
それだけで考えれば「なるほどねー、ほんとに、お笑いに向いてる
星座なんだねー」で終わってしまうのだが…

では、以下のラインナップをどう思うだろうか?

 プロ野球      長嶋茂雄
 プロサッカー    三浦知良
 大相撲       白鵬
 競馬騎手      武豊
 バンドミュージック 桑田佳祐
 ニューミュージック 中島みゆき
 80年代アイドル  松田聖子
 往年の人気女優   吉永小百合
 芸術家       岡本太郎

好き嫌いにかかわらず、その業界で一般人が皆知っている
という代表格やカリスマ…として挙がる人たちがずらりと
並ぶわけだが、なんと、これが全員魚座なのである。
ここまで揃うと、これは決して偶然の産物ではない。
とにかく、単なる「業界における名声」ではなく、
その世界をよく知らない一般人にも広く認知されているうえに、
「信者」を作る愛され方をする人が多いという印象だ。

実は私、自分の周りの人を星座で分けて性格分析で傾向をまとめ、
それを参考にしている側面がある。「星座占いなんて…」と
言われるだろうが、私がやっているのは決して占いではない。
実際、星座でくくって「傾向分析」をしてみると、上記のように
各星座、特徴的な傾向がみられるのは事実だ。

性格を見て星座の推測をすると当たる確率もけっこう高い。
ただ、女性より男性のほうがはっきり傾向が出て推測しやすい。
女性はいろいろ繕ったり周囲に合わせるしかなかったりするし、
男に惚れて変化したりもするのかな、と思っている。

魚座は小心者で臆病で人の顔色を見たり空気を読んだりして、
自分の期待される役割を感じ取って相手に合わせて生きがち。
自己愛が強いが、それを「愛されたい」という形で体現する。
だから「場を読む」ことが必要なお笑い芸人になる人が多いし、
周囲から愛をじゃんじゃん与えると「化け物」(=カリスマ)
に巨大化する。カリスマ・第一人者になってから、その後の
活躍の息が異様に長いのも特徴だろう。

なお、私の星座分析では「バカ星座」「利口星座」という分類が
あって、うお座は「バカ星座」のほうに属する。
感情や相手に流されやすく、欲望を抑えるのが苦手。気が小さい
ので我慢できずに拙速に行動してしまったりしやすい。
ベッキーが優等生タレントかと思ったらまさかの転落を見せた際、
実は魚座とわかって「さもありなん」と思ったり。
他にチャゲ&飛鳥のASKA、極楽とんぼの山本、宮迫博之など、
「そのへん我慢できなかったのかよ…」という失敗が多い。

まあ私の魚座分析は「話半分」でも「話ゼロ」でも良いのだが、
実際、日本で人気のジャンルにおいて、カリスマが魚座揃いと
いうのは明白な事実。

そして、話は元に戻って、ザ・ドリフターズにその魚座が
3人もいたのだから(しかもカトケンが2人とも魚座!)、
お笑いに興味のない私が「ドリフは文化」とまで言うほどの
ビッグな存在になるのも当然だよなー、と思うのであった。

BY 魚座A型のかもめ でした!

田村龍弘に惚れた(あと、ちょっと柿沼)

2020-04-16 22:05:43 | プロ野球
とうとう勇気を出して、「田村愛」を語ってみることにする。

私は「ピッチャー好き」の野球ファンである。
人や異性では「地味で目立たない器用貧乏な人」が好きなので、
野球の花形である「投手」が好きというのは私の中では意外だが
実は「エースとして活躍している割には地味な人」が好きという
一貫性がある。
だから元巨人の斎藤雅樹とヤクルトの石川雅規が好きなことに
特に理由を必要とはしない。

じゃあなんで、ロッテでは捕手の田村龍弘に走ったのか?

私はボビー(バレンタイン元監督)信者であり、その流れもあって、
元ロッテの正捕手・里崎智也を崇拝してもいる。
里崎のリードは投手を楽にしつつノセていける、ある特徴を持っている。
が、案外世間でその特徴が語られないので、今後の里崎の現場復帰の
際に足を引っ張らないよう、ここでは詳しくは語らない。
とにかく、サトのリードは投手が楽になり、ノッていける組み立てが
基本になっていて、私はそこを高く評価している。
つまり私は、投手が好きであるがゆえに「投手を楽にしてくれる捕手」
が大好きなのだ。

里崎が引退したとき「これで当分ロッテは優勝にふさわしい捕手は
出てこないな」と思った。
が…まさかの、田村龍弘の台頭であった。

江村、吉田が重用されていた中、彼らが戦列を離れてからやっとこ、
穴埋めのような形でメインに使われるようになったのが田村。
だが、田村になった途端、試合が落ち着いた。力不足の捕手が
仕切ってわちゃわちゃする「新人所帯な不安定感」が消えた。
さらに、田村が仕切る試合は実際、勝てた。
以降、田村は正捕手として扱われるようになる。

当時の田村は「いろいろな人に話を聞いて勉強した」と言っていた。
つまり、自分でのし上がってきたということだ。
里崎が田村に何かを教えたかどうかはわからない。当時、もしも
田村が「里崎さんに教えてもらった」と言えば冷遇されるような
環境だったので、もしそうでもそうは言わなかっただろう。
とにかく、田村のリードは里崎の「あの特徴」を引き継いでいた。
投手が楽になり、ノッていけるリード。今はそこにさらに何重もの
応用を加えなければならず、目立たなくはなったが、初期の田村の
リードは実に里崎っぽかった。
クレバーな田村が自分で盗んだのか、里崎に正面から聞いたのか、
あるいは無意識に感じ取って実践したか、それはわからないが、
私にとってはまさに里崎の再来だった。

だが、それ以上に私を魅了したのは田村の野球脳の能力の高さ。
「脊髄で野球ができる」選手――つまり、「脊髄反射の速さで、
一番正しい判断をしつつ適切に対処できる」という天性の能力を持つ
選手がいる。私はそういう選手を最高に尊敬する。
田村はその能力を持っていた。
試合でとにかく目配りができている。「あれっ、何?」という送球を
突然したと思ったらランナーが飛び出している。投げてはいけない
時には反射的に投げかけたところでしっかり動作が止まる。
何をやるにも素早く、こっちの脳がついていけない。
「うぉ、こいつ、脊髄で野球ができる奴じゃん」
そして試合中、打球に合わせてちょこまかちょこまか、あちこちに
走っている。随時、とにかく何かに準備し、対応し続けている。
「いや~これは、二十代前半なのに、すごいプロの捕手だわ…」

この時点ではまだ、評価は最高に高かったが「好きな選手」に
数えるまでの好きではなかった。

私が決定的に打ちのめされたのは、もはやいつのことだったか忘れたが、
ある日の本塁クロスプレー。多分コリジョンルールが導入される前の
タッチプレーだったと思う。
本塁に突入するランナー、体勢を崩してタッチにいく田村。
クロスプレー、果たしてアウトかセーフか!?
私をはじめ、誰もが審判の判定に全身の神経を注いでいた時に、
田村はジャッジをまるで気にせずに別のランナーを刺そうと送球した。
「えっ! 判定は!?」
いや、実際は、本塁がアウトかセーフかを捕手が確認する必要はない。
もしそれがアウトならチェンジになる場面だとしても、もしセーフに
なったら次のアウトを取らなければならないのだから、ランナーが
走っていれば一刻も早くそこを刺すべきだろう。
でも、そんなのは理想論で、やっぱ気になるよね、本塁のジャッジ。
反射的に絶対、一瞬、ジャッジに意識が向かうよね。
それを田村は完全に無視できていた。こいつ本当にすごいと思った。
「四十何年野球見てきて、こんだけ野球脳高い捕手見たことない」

以来もう、田村しかいないと思った。ついていくしかない。

そしたらもー、盗塁も刺すわ刺すわ。
速くて強い「矢のような送球」では決してないのに、反応の速さで
次々刺していく。それでどんなに投手が助かるか。
危機一髪のところで田村が刺してピンチを脱出…なんてシビレる
展開も多々あった。かっこよすぎてそのたびに悶絶した。
2014、2015年は、2年続けて盗塁阻止率が4割を超えた。
盗塁阻止率は3割を超えれば十分で、4割超えは超一流。
2015年に至っては、なんと12球団イチの盗塁阻止率。
今はショートに入る藤岡のタッチがあまりに下手で、本当は
刺せているタイミングでもセーフになってしまう光景をよく見る。
実に残念だ。藤岡のタッチを指導できないコーチ・監督のせいで
田村の盗塁阻止率が下がってしまうのは悔しくてならない。
公に言うことはないが田村も悔しい思いをしているだろう。

ネットで調べ物をしていて、偶然田村の高校時代のインタビューを
見つけたので再生してみた。もう、その時から、語っている内容と
いうか心構えが、高校生のレベルをはるかに超えていた。
実は内野手としても使えるマルチな選手だが、田村を捕手で使わない
なんてナイな、と思った。
使える内野手は探せば普通にいるが、使える捕手はどんなに探しても
そうそう見つかるものじゃない。
その選ばれし者がロッテにいてくれるのだと思うと究極にうれしい。

そんなわけで、ずっと田村LOVEでロッテの野球を見続けている。

…が! ここのところ、ロッテの捕手の中では柿沼友哉が台頭して
きている。里崎の「ともや」の音と西武のMVP捕手・森くんの
「友哉」の字を持っているなんてちょっとズルい。
(なお、私は森くんを「捕手としては」大して評価していない)
今、ロッテファンの中では「正捕手田村、第二捕手柿沼」という
勢力図が定着していて、柿沼人気上昇中である。
正捕手は何かとしんどいところを請け負うために叩かれがちで、
新進の選手は美味しいとこ取りで称賛されがち。今「田村より
柿沼」とか言ってる奴は逆になってみたら実情がわかると思う。
私の田村への評価はかけらも揺らぐことはない。

とかいって私、柿沼も推しだったりする。
だって2016年、WBCの23歳以下大会「WBSC U-23
ワールドカップ」で、我が愛しの斎藤雅樹監督の下で正捕手として
活躍し、自チームの選手が一人も参戦していなくて不利な立場の
斎藤監督を世界一にしてくれたんだもん。厳しい試合で殊勲打も
打ってくれて、斎藤の世界一は柿沼なしにはありえなかった。
そういう「恩」の部分だけでなく、世界大会で1位の座に輝くと
いうのはやはり「能力」と「格」と「星」を持っているはずだ。
だから柿沼も期待してるし、応援している。

捕手は常に人材難。
田村龍弘と柿沼友哉がいるロッテは圧倒的に恵まれているはず。
でもFAで出ていかれてしまう危険があるので、実はこっそり、
田村の実力が球界で過小評価されていてほしいと思ってしまう。
田村~、1つのチームでずっと活躍するほうが絶対いいぞー。
てゆうかどこにも行かないで。
柿沼についても、実は斎藤雅樹が二軍監督をやっているとき、
「WBSCで力になってくれた柿沼がほしい、という話になって
トレードで取られたらどうしよう」と思っていたのだが、斎藤が
球界の現場を去ってしまったので、その点ではホッとした。
これからもずっと、田村がロッテの正捕手で、柿沼がその存在を
脅かすナンバーツーでいてほしい。
ロッテの正捕手・田村龍弘超~LOVE! 最高に応援してる!
(そして、あと、田村の次だけど柿沼もね!)

2016年、二軍球場行脚の記~斎藤雅樹を追いかけて~

2020-04-08 21:33:43 | プロ野球
2015年シーズン終了後、読売ジャイアンツは原辰徳監督が退陣し、
高橋由伸が引退させられて次期監督になることが発表された。
原ファミリーの一人と目されていた斎藤雅樹投手コーチも原退陣に伴い
巨人を去ると思われたが、由伸を支える一員として二軍監督に配置換え
され、2016年シーズンを迎えた。

私は二軍の選手に興味などない。一軍に上がって結果を出してナンボ。
ドラフト一位で華々しく球団入りした選手が、まだ何の結果も出して
いないのにちやほやされて報道がそればっかりになるのは反吐が出る。
(もちろん選手は悪くないし、新入団選手に関する報道は必要だけどね)
なので私は、二軍で修業中の選手を見に行く文化を持たなかった。
が…
一軍コーチとしては球場に行ってもそうそう姿を見られない斎藤雅樹を
二軍では間近に見られる!! こいつは超ラッキー!
そして、「二軍監督…ということは、これから監督修業をして、まさか
いずれはジャイアンツの監督に…!?」という思いも去来した。

思い返せば2008年8月31日ヤクルト×巨人の二軍戦at神宮球場。
神宮はブルペンが客席の目の前にあるので、斎藤雅樹二軍投手コーチを
近くで見られるかも…と駆けつけたら、自由席でブルペン前の席が
余裕で取れた。斎藤コーチ超~目の前ぇぇぇぇ!
その時、東京ドームの一軍戦で掲げるために作った模造紙の斎藤応援
横断幕を持っていた。満員の東京ドームの遥か後ろの席で出せば
ささやかな横断幕だが、神宮のブルペンの真横で出したらデカすぎる
違和感アリアリの横断幕…。(しかも応援対象がコーチだし…)
絶対変だよな、と思いつつ「せっかく作ったから一回くらい使おう」
という貧乏根性で控えめに恐る恐る広げてみた。さらに控えめながら
「斎藤コーチー」と声援したら、斎藤はウンウンとうなずいてくれて、
けれど、笑顔ではあっても真面目に諭されてしまった。
「うん、それ(横断幕)は、しまってもらったほうがいいかな」
まさかの斎藤との直接会話に動揺しつつも感動する私!
「はいっ、すみません、すぐ片づけますっ」
やっぱり斎藤雅樹は正しく優しい人だなあと思ったエピソードだ。
応援されるべきは選手であるとして、変なファンを即座に諭す感性も
素晴らしい。そして変なファンに対しても気さくに声をかけつつ
優しく注意できるお人柄にますます惚れたっけ。
そんな8年前の思い出を胸に、2016年ファーム球場探訪は始まった。

まずはシーズン前、2月27日土曜に「戸田球場」の場所を確認しに
行った。3月3日木曜には二軍のオープン戦「春季教育リーグ」が
いよいよ関東に北上してくる。激烈方向音痴の私がその日に戸田球場に
ちゃんとたどり着くための予行演習&下見だった。なお、その時、
ついでにロッテの二軍球場「ロッテ浦和球場」も外から眺めておいた。
そして3月3日木曜日、平日だから会社を休んで、斎藤雅樹二軍監督の
関東凱旋をお出迎え! 下見の甲斐あって迷わず到着し、しかも少ない
座席にまだ空きがあったので有料の席、しかもバックネット裏最前列の
券を買った。(戸田球場は土手からタダで見られる。有料席数は少ない)
斎藤監督、打撃練習でバットを折ってしまった選手に代わりのバットを
取ってあげたり、撤収の際にボールを拾い集めたりして、いい人すぎ。
選手にナメられるんじゃないかと心配になった。
試合は負けてしまったが、せっかく会社を休んでまで来たので、普段は
やらない「出待ち」もやってみた。
戸田球場、出待ちすると目の前を選手たちが通る~~!
他の出待ちファンたちと共に金網にしがみつき、「斎藤雅樹」タオルを
掲げて待つと、白いシャツ&スーツ姿に着替えた斎藤監督登場!!
かっこよすぎて(ほんとかっこよかった!)みとれていたら、斎藤の
ほうが私の掲げるタオルに気づいて笑顔で「オッ」と言ってくれた。
脳内は上を下への大騒ぎだったが、とにかく必死で「おつかれさま
でしたー!」と叫んだら、斎藤はうれしそうに「ありがとー!」と
返してくれた。その距離約3メートル。
夢心地で斎藤の後ろ姿を見送り、車に乗って去っていくところまでを
ただ茫然と眺めていた…。
そしてふと我に返った時、自分が花粉症対策のマスクを着けたままで、
変なマスク女でしかないことに気づいた。ガーン!!!
それでもこの日の幸せは人生最大級で、帰りのバス停に向かう私は、
戸田球場横の土手を全力ですごい勢いで笑顔のまま駆け登ったのだった。

3月12日土曜日、イースタンリーグ(二軍の東半分の公式戦)開幕。
今度はジャイアンツ球場。こっちは前に来たことがあったので(引退後、
斎藤がまだいるという情報を聞いて訪れたが空振りだった)、行けば
だいたいわかるだろうと、下見はせずに訪れた。
京王線「京王よみうりランド」の駅で下車すると、ファンの送迎に
特別に運行してくれている「ジャイアンツバス」(選手の移動用のバス)
がちょうど出たところだった。私は「ジャイアンツバス」じゃなくても
構わないので、次に出る通常のシャトルバスで球場に運んでもらった。
13時試合開始のところ11時過ぎに到着。チケットは1100円。
ファームの球場は「戸田球場」「ロッテ浦和球場(の外観)」しか
見たことがなかったので、「さすが読売さんの2軍球場は立派だわー」
と感心した。しかもこの時刻ですでに席がけっこう埋まっている!
売店もあってびっくり。超寒いのでココアを買ったのに、凍った状態で
売っている「桔梗信玄餅クレープ」というものまでつい買ってしまって
さらに寒くなった。
一塁側の前の方の席でそれを漫然と食べて試合開始を待っていたら、
三塁側のブルペンで投げ始めた相手投手の姿を見て飛び上がる。
「カツオくん(ヤクルト・石川雅規投手)!!!!!!」
一軍の開幕第二戦での登板が決まっていたカツオくんの、開幕前調整
登板の日だったようだ。夢か幻か、斎藤雅樹を見に来て石川雅規の
登板まで見られるとは…。
超絶夢心地のまま、とうとう斎藤雅樹巨人二軍監督の開幕あいさつ!
いよっ待ってました! …と、思ったら…
マイクが入ってない。やり直しになって斎藤テンパる。
「えー、こんにちは。」開幕のあいさつの第一声がそれ!?
特に紙なども見ずに一生懸命賭博事件のお詫びをしてからあいさつに
進んだんだけど、噛み噛みのぐだぐだのうえに、途中で真っ白になって
長い空白の時間ができる。ああああ(汗汗汗)さいとう~~
「…えー、紙を読ませていただいてもいいでしょうか」
そう言って紙を取り出したが、2枚あったうちの1枚は違ったのか
ちょっと「あれ?」みたいになって、しばらく読んだらまた斎藤は
紙を仕舞った。「だいじょうぶか斎藤~紙は仕舞うな~」と思ったら
案の定で、また空白の時間ができてしまい、また紙を出した。それを
落ち着いてやるならまだしも、けっこうあたふたしていて、斎藤の
開幕あいさつは本当にひどいものだった…。
やっと試合開始。とっくに巨人ファンから足を洗った私、巨人の
二軍選手などまるで知らん。先発は平良という投手だった。
巨人の攻撃になってカツオくんがマウンドへ! まさかこんな展開は
考えなかったからカバンに「石川雅規タオル」が入ってない~~!
しかも打たれるカツオくん。斎藤のあいさつもカツオくんの投球も
ぐだぐだで、開幕戦は巨人の勝利をもって終わった。
平良、完封を目指して九回もマウンドに登ったが1失点してしまった。
だが斎藤は平良を完投させた。それでこそ斎藤雅樹。
選手・コーチ・監督が試合終了後に観客に挨拶。私はでかい声で
「斎藤監督、おめでとうございまーす」と叫ぶ。
初勝利、見届けた。大満足!!
なお、この球場は、退場していく監督や選手たちの姿はある程度
見られるけれど、出待ちみたいな形で前を通ることはない。
帰りはせっかくだから、ジャイアンツ球場名物「巨人への道」を
軽やかに下って駅へと戻り、電車で帰宅した。
翌朝、「斎藤雅樹二軍監督、試合前に謝罪も挨拶大失敗」みたいな
記事が出ていないことを確認して胸をなでおろす。そこは斎藤雅樹、
ニュースにしてもらえない男。映像が出るどころか記事にもならず、
この「ぐだぐだ開幕あいさつ事件」は、当日現地にいた人以外には
バレずに済んだ。あっ私が今バラしてるか。

3月27日日曜日は「斎藤雅樹行脚」ではなく、ロッテ浦和球場の
ロッテ×ヤクルトを、ロッテファンのダンナと見に行った。
ここはバスで30分弱、電車で10分、歩いて15分くらいで着ける。
武蔵浦和駅から歩けばロッテ浦和球場、バスに乗るのが戸田球場だ。
浦和球場は元々座席数が少なくて、球場じたいがめっちゃ狭い。
分かれて座ってなんとか席を確保したが、席数が少なすぎて全体的に
立ち見の人が主だった。
売店とかもありえない環境で、ジュースの自販機しかなかった。
スタメン表は紙に手書きされたものが掲示されていた。
試合は負けたけど、そのへんを期待して見にきてないからいいや。
そして、ここロッテ浦和でも「出待ち」をやってみた。
ロッテの選手もヤクルトの選手も、球場の敷地から道に出なければ
ならず、出待ちポイントにいれば両チームの選手に金網もなく直接
接触できる環境。サインに応じる選手もけっこういて、ファンの側も
一覧表や選手を明記したフォルダーみたいなものを用意して、全員の
サインを手に入れようとしている人までいた。
この年のロッテ新人の目玉、平沢大河は両脇をスタッフに固められて
小走りでロッテの室内練習場へと去っていった。しかし、かつて
「高校BIG3」と言われていたヤクルトの由規(この年は育成契約)
が誰からも注目されずに通っていったのは切なかった。
他に、ロッテ大松だ青松だ誰だ彼だと、いろんな選手が見られた。
選手に直に接することができるのは、戸田球場なら球場脇の広場での
練習中や練習前、あとはロッテ浦和の出待ちだと思った。

なお、4月16日(土)にはダンナを戸田球場のヤクルト×ロッテに
連れていってあげた。土手からさわやかに試合を見た。
土手は混んでいて、隙間に詰まってスポーツ新聞とゴミ袋を敷いて
座ったが、近くに犬のフンがあって臭かった。でも場所を移る余裕は
なかったので我慢した。靴を脱いだりして超~リラックスできた。
どう見ても周囲はヤクルトファンよりロッテファンのほうが多かった。
発声とフルアクションで応援するロッテファン、首から画板を下げて
スコアブックを付けている人、スマートフォンと試合を交互に観る人、
ピクニックの親子連れ、お目当ての若手がいると思しき燕女子、
一眼レフでガンガン写真を撮っているオッチャン…そして試合を
ガチ見している私と、どう見ても付き合わされてるだけの可哀想な
ダンナ。戸田球場そばの土手の、平和な午後の風景だった。

4月23日土曜日は、本来の「斎藤雅樹監督追っかけ行脚」に戻って
西武第二球場に行ってみた。ここは西武ドームの裏手にある。
13時試合開始で、12:15には着いて、勝手知ったる駅前広場で
案内板を探すも、二軍球場への案内がない。右往左往して、結局
売店の人に聞く。店員も「確か」こっちと教えてくれた。
なんとか第二球場にたどり着く。
「席はほとんどないし、入場まで待たされる」という前情報を得ていた
ので、人が溜まっているところで「ここが待機場所か」と思って立つと、
どんどん混んできた。
試合開始15分前くらいだったか、やっと案内の係員が現れた。
「こちら、左の列が入場の列です」…私のいた列でなく、グラウンド
から遠い側に張りついてた人たちが「並んでた」人たちらしい。
事前の案内なきゃわからんわ。通じゃないと快適な観戦はできなそう。
座席は「まるでない」と言っていいほど少ない。
そして、ビジターの控室(というかほったて小屋)、開放的すぎ。
選手がほったて小屋に入りきれないのか、外に荷物置きっ放しだったり、
そのそばで着替えたりしている。
試合開始5分前にはそのほったて小屋から斎藤雅樹巨人二軍監督が
出てきた。客の囲む中を横切ってベンチ入り。客と監督コーチ選手、
入り乱れすぎ。かなり近くで斎藤見られたけど、これってどうなの。
西武の先発は高橋光成。遠い球場入口の掲示板に貼られた手書きの
スタメン表を見ないとスタメンがわからず、戻ってまで見に行くのは
面倒で、光成以外は両チームの出場選手がほとんど不明だった。
14時には背後で西武ドームの西武×楽天の試合がはじまった。
一軍のアナウンスや入場曲、応援の音がまる聞こえ。1回表に楽天が
ウィーラーの殊勲打で先制したことが耳からわかった。
ファウルエリアの芝を鳥が掘って虫を食う。足下をかなへび(トカゲ)
が横切る。のどかだ。だが見づらい。見づらいから5回で帰ろうかと
マジ思った。でも斎藤がいるからガマンした。
7回裏、3被弾して巨人敗色濃厚。背後では西武一軍の応援の音が
響き、メヒアの活躍が感じられた。二軍を見ているのが虚しくなった。
結局負けて、ミーティングの後に引き上げてくる斎藤を近くで見られ
たけど、負けたのでやはり険しい顔をしていて、5メートルくらいの
距離からそっと斎藤タオルを広げて見送ることしかできなかった…
ほったて小屋に斎藤が入っていき、靴を脱ぐ様子、奥に消える様子を
見て満足して帰途につく。
うーん西武第二は厳しい。ワーストに見づらい球場だった。

それから、またジャイアンツ球場に行ったり、ロッテ戦を中心に各種
一軍戦に行ったり、斎藤が指揮を執るフレッシュオールスターが
遠すぎて見に行けずに地団駄を踏んだりした。

日ハムの2軍球場「鎌ヶ谷スタジアム」にも行った。
7月18日、海の日の月曜日。超暑いのに、酷暑の13時試合開始。
斎藤雅樹でもいなきゃ絶対行かない!
だが、ハム×巨人なのに付き合わされるダンナが一番の被害者か。
日暮里から常磐線で松戸に行き、新京成電鉄で新鎌ヶ谷へ。そこに
シャトルバスが来るはずだが、それらしい場所に客の姿がない。
1時間に1本のバスだから混むはず、人がいるはずだが…。
「あれじゃない?」とダンナが近くに停車するバスを指す。しばらく
右往左往していたが、そのバスが鎌ヶ谷スタジアム行きだった。
二軍初心者、しかもビジターにはわかりづらいよ! 
ぎゅうぎゅう満員のバスで体力を削られつつ鎌ヶ谷スタジアムへ。
窓の外の風景がのどかすぎて、試合後のバスに乗り損なったらもう
帰れないと震え上がる。
試合開始1時間以上前にスタジアムに到着。停留所前の広場では
テントで地元の名産等を売っていた。地元の梨サイダーを飲み、
地元じゃない沖縄焼きそばを食べる。
チケットを買って、いざ球場入り。当日券は1500円だったかな。
チケット売り場も入場も行列になっていた。入場の列は長かった。
タイアップの日だったらしく、入口でガリガリ君が1つもらえた。
よさげな席を探すも、ガリガリ君がとける前にあわてて席に座るしか
なかった。選ぼうにも、すべての席が逃れようもない炎天下だった。
鎌ヶ谷スタジアムは飲食売店やおみやげ売店があって、客席も
しっかりしていて素晴らしい。売店周りはジャイアンツ球場以上だ。
いろいろ買って、半屋内の日陰の通路のテーブルベンチで食べた。
試合前のゆるいイベントなどを見て試合開始。だが暑すぎる。
日差しも強すぎる。同伴のダンナは「無理!」と通路のテーブル
ベンチに行ったきり。私も何度も通路に脱出して涼む。
鎌ヶ谷スタジアム、最大の目玉は300円のドリンクバーだった。
水分摂取があまり必要ない「サボテン仕様」の私も世話になった。
ドリンクサーバーよりも、手前の氷の補給コーナーに長蛇の列。
買い物のとき、カバンの中の、さらに財布の中にある小銭まで熱く
なっていた…。
しっかりした球場だけどナイター設備はないらしく、薄暮までに
試合を終えるためには酷暑の13時試合開始にするしかない模様。
何度も「もう無理かも」と裏に下がってはまたスタンドに戻る。
だが、試合途中でスコアボードを見て改めて愕然とする。
試合開始から1時間経過して、まだ三回裏だった…。現状から鑑み、
試合終了まで客席にいるのは無理。通路で試合も見ずに涼んでいる
なら帰った方がいいし、バスが混んで乗れずに帰れなくなったら
怖すぎる。結局、2時半に球場を出た。
私が野球の試合途中で帰るなんて…鎌ヶ谷恐るべし。
二軍戦は総じて暑く、観戦行脚する人たちは鉄人だと思う。
「斎藤雅樹の勝利を見ずに撤退とは不覚!」と、巨人が勝つ前提で
悔しがっていたが、実際2対7で巨人が勝った。
斎藤監督も最初のメンバー表交換と投手交代1回と最後の挨拶で
3回しか出てこなかっただろうから、まあいいや。

7月30日には、斎藤雅樹も登場するトークショーがあるという
ので、またジャイアンツ球場に行って炎天下に耐える。しかも
この日は対ロッテで、巨人の服で一塁側にいるのがつらかった…。
帰りに、ジャイアンツ球場の入場券についてる入園券を使って
よみうりランドに入ってウロつき、ゴンドラで駅へと下りた。

8月16日、17日の二日間は、東京ドームで巨人二軍の公式戦が
予定されていた。対戦相手のヤクルトのファンクラブ会員なので
私はタダで入れる。楽しみにしていたが、16日は台風で中止。
17日に有給休暇を取って行ってきた。
ヤクルトが先発成瀬、キャッチャー田中雅彦という元ロッテ
バッテリーで笑った。なお巨人二軍は0封で負けた…

こうして、この年の私は関東各所で二軍戦を多数見て回った。

そしてこの年、斎藤雅樹率いる巨人の二軍はイースタンリーグ優勝、
さらに日本一に輝いた。
リーグ優勝の日、私は、前日に母が心停止で救急搬送されたという
のに、雨の中極寒の戸田に赴いて見届けた。正しくは、巨人二軍が
2ケタ失点でボロ負けした雨天コールドゲームを見た後、寒さに
震え、雨に打たれつつ、じっと他球場でマジック対象チームが
負けるのを待っていた。しかも優勝決まったのに胴上げはなかった。
胴上げは後日のジャイアンツ球場での試合に持ち越しとなり、
その9月24日の試合も見に行ったが雨で中止になってしまい、
さらに持ち越された25日はロッテ・サブローの引退試合と同日
だったのでジャイアンツ球場には行けなかった…。
やはり母が倒れて救急搬送されたのに球場にばかり行っていたから
バチが当たって胴上げが見られなかったのかな。全身ジャイアンツ
な感じで球場の帰りに母を見舞ったりしていたので、病院できっと
「〇〇さんの娘さんは熱狂的な巨人ファンなのね」と思われて
いたに違いない。実はロッテファンなんだヨ☆

さらに言うと、この年、斎藤雅樹はWBCの23歳以下大会、
第1回WBSC、U-23ワールドカップの監督も務め、世界一にも
なっている。U-23のメンバーに巨人の若手選手は一人もおらず、
身内がいっさいいない中でロッテの柿沼捕手をはじめとする他球団の
選手をまとめて世界大会を制したのは特筆に値する。
(なおWikipediaの「斎藤雅樹」の項にこの世界一の実績が
記載されていないのは「これだからWikiは…」としか言えない!)
あのまま斎藤雅樹が監督修業を続けられていたら、藤田元司監督を
彷彿とさせる名監督になったのではないだろうか。

翌2017年、斎藤雅樹はチーム事情でシーズン途中に二軍監督から
一軍投手コーチに配置換えとなり、2018年シーズン後に
読売ジャイアンツを離れて現在は野球解説者として活躍中である。
個人のWEBサイトやツイッター等を持つでもない斎藤雅樹の
活動情報はとにかく入手しづらいが、これからも彼を崇め、愛し、
尊敬していきたいと思う。

年末年始「木村拓哉祭り」

2020-04-04 17:19:13 | 日記
2月29日に放送されたNHKのSONGS「木村拓哉」を
録画しておいて、やっと本日見ました。
これで、やっと年末のTBSドラマ「グランメゾン東京」に始まる
「年末年始木村拓哉祭り」を全部消化した~、と思いました。

私の立ち位置をはっきりさせておくと、四十代なのでSMAP世代
ど真ん中ですが、好きではあってもファンというほど傾倒していた
わけではないし、木村拓哉のファンかというとはっきり違います。
しかも、「青いイナズマ」のころまでSMAPは嫌いでした。
(というかジャニーズ全般がほんとに心底大嫌いだった)

SMAP解散は残念極まりなく、5人それぞれを応援しつつ、特に
風当たりの強かったキムタクを心配していたのですが、年末年始、
テレビの「木村拓哉祭り」すごかったですね。
そして実力で世間を黙らせたキムタクに改めて感心し、彼の今後に
安心できてホッとしました。

私はTBSドラマ「グランメゾン東京」の第9話からキムタク祭りに
参戦しました。9話って遅っ。なんとなくザッピングしていて、
「あ、キムタク頑張ってんじゃん」と思ってなんとなく見ていたら
面白かったのでそのまま熱狂の渦に飛び込んだ次第です。
料理の魅せ方も美しく、ドラマの見せ方はわかりやすくいい意味で
ベタで、キムタクも実に彼らしくて良いドラマだったと思います。
終盤は会社でも「グランメゾン面白いよ」と騒いでいました。

私、自称「ザ・一般人」。(母音に続くから「ジ・一般人」?)
よく「私の好きになるものはいずれ流行る、私に先見の明がある」
と自慢する人がいますが、私の場合は似て非なるもので「私の感想は
一般大衆の意見とだいたい同じになる」という特性があります。
藤子・F・不二雄のSF短編に「並平家の一日」っていうのがあって、
あまりにも平凡で普通なこの一軒の家を観察するとマーケティングが
すべて済む…という話なんだけど、それと同じで、私一人の
反応調査でけっこう一般人の一般的な反応は確認できると思います。
その私が超ハマるのだから、世間の評価も高かろうというものです。

TBS「グランメゾン東京」が2019年末に良きラストを迎えて
見事に高まった気運に乗ったのはフジテレビ。
1月3日にはキムタク主演映画「マスカレード・ホテル」の地上波
初放送。
1月4日、5日は白髪のキムタクのビジュアルが多くの人の目を
驚かせた2夜連続ドラマ「教場」。
普段なら「教場」くらいはチラ見したかもしれないけどこれを片っ端
から見る騒ぎにはならなかったと思うのですが、「グランメゾン」で
キムタク気運が高まりすぎて、全部かじりついて見ちゃいました。
これが私一人だったら「結局ただのキムタク好きじゃん」という話に
なりますが、ダンナも同じようにかじりついていました。
我が家は夫婦で「男性アイドル(業界)研究会」を結成していて、
ダンナがリーダーです。その研究会を挙げて年末年始キムタク祭りに
がっつり食いついたので、ジャニーズ事務所の狙いは見事に当たった
と言えるでしょう。フジテレビはTBSに感謝すべし!

「マスカレード・ホテル」はちょっとホテルのサービスに疑問アリ!
業種は違えど「サービス業とは」という類の教育を受けた者として、
「客の要望に(無茶ぶりまで含めて)可能な限りMAX応える」と
いうのはおかしいだろ…と思って見てました。
(もちろんそうしないとこの作品のストーリーが成立しないんだけど)
私は「一部のお客様を過度にもてなすのは、お客様の待遇に格差を
産む行為。誰もが大切なお客様だからこそ、特別扱いをする客を
作るべきではない。つまり、できないことはできない、それはやむを
得ないこと。」という教育を受けました。もちろん、できる範囲の
ことはできるだけお客様にお応えするけど、それ以上の部分でね。
だからあくまで「ホテルが舞台のキムタクファンタジーサスペンス」
だと思って鑑賞しました。
いろいろ言いつつも、ハラハラドキドキして、のめりこんだし
面白かった!
でも、見せ方や配役の加減で犯人わかっちゃった…笑

そして「教場」。
キムタク超よかったしドラマも超面白かった!
だけど、1日目の「警察学校どんだけサイコパスだらけやねん」な
サイコサスペンスな導入に対し、2日目の熱血教官と生徒の青春
群像劇なフィーリングは、違う作品かよ!って感じで統一感が
なさすぎでした。
そのへんの違和感は、狙ったのか失敗したのかわかりませんが、
一つの作品として見たら制作側のミスと言うべきだと思います。
が! キムタクが怖くてカッコよくて超よかった!
もともと、私とダンナは以前から「キムタクはもっといろいろな
役ができるはず、やらせないテレビ局が悪い」という意見なので、
ちょっとしか毛色は違わないけど、少し変わった役をやらせて
もらえてほんとによかった!
でも、キムタクはもっと別の味も出せるはず。「教場」でも結局
かっこいいヒーロー役なのは変わらないので、もっと別の役を
演じるキムタクを見たいものです。

年末年始キムタク祭りが終わった後、NHK「SONGS」が
キムタクとB´zの稲葉さんの対談を放送するというので、これは
要チェック!と思って録画しておきました。
キムタクの歌は上手いわけじゃないしどうでもよかったけど、
稲葉さんとのテレビでの対談とか超レアだし。
そしたら、キムタクが一人で歌う「夜空ノムコウ」に涙が…
SMAP解散から、ここまでどんな想いで耐えてきたんだろう。
心ない声に何の反論もせず、ただ黙って自分の仕事だけ全うして。
稲葉さんの作詞した曲も、稲葉さんがキムタクと親しくしていて
知っている「キムタクの心にあるSMAP愛」を感じたよ。
いつかまた5人で、心からの笑顔で私たちの前に立ってほしい。

このキムタク祭りがジャニーズの印象操作だろうが何だろうが、
いくらでものってやるさ。
SMAPは日本の真のスーパースター。
そのうちの一人である木村拓哉のことも、折に触れて応援して
いきたいと思います。

年末年始キムタク祭りについては、以上です。
私とキムタクについてちょっと思い出をまとめてみると…

出会いは、やはり「あすなろ白書」。チラ見しただけですが、
キムタクの取手くんがまじで超かっこよかったのです。
(真面目系が好きなので、もともと眼鏡フェチだし…)
次に、母がSMAP×SMAPを必ず見るので、SMAPが
視界に入ってきてしまい、コントが面白いのを知ってしまった
わけです。
結局、SMAP×SMAPの面白さにやられてSMAPが割と
好きになりました。なお、SMAP嫌いだった友人も次々と
SMAP×SMAPにやられて陥落していきました。
なお、私のイチ推しは木村拓哉でなく稲垣吾郎になりました。
キムタクの写真集2冊持ってるけど。その1冊めは被写体こそ
キムタクだけど「アート写真集」みたいな感じでガッカリ。
2冊めは「MEN’S NON-NO」のグラビアを集めた
もので、これはカンペキ!「長年、日本一カッコいい男として
君臨した男の資料」として購入した甲斐がありました!

とくだんSMAPファンではないので、眼鏡吾郎ちゃんの
「恋の片道切符」にハマったりキムタクの「Beautiful
Life」に激ハマりして毎週号泣したりしていました。
しかし、その程度の私でも、SMAP解散が発表された際は、
怒り、嘆き悲しみました。
悲しみのあまり、渋谷のHMVやタワーレコードで開催して
いたSMAP展示を行脚したりしました。
SMAP×SMAPの最終回は、ダンナと二人、テレビの前で
じっと黙って見ていました。「世界に一つだけの花」が終わって
番組が終わってしまっても、ずっと、じっと黙ったまま画面を
しばらく見つめていました。
木村拓哉を「裏切者」とする一部のファンの意見にはずっと
反対でした。キムタクには守るものもあったし、ほかの事務所に
所属している身近な人もいて視野を広く持つことができたので、
ジャニーズ事務所を退所した後の苦境を正しく知っていたのだと
思っています。
キムタクは吾郎ちゃんに心を許していたと思うので、きっと、
吾郎ちゃんがいる限りSMAPはまた集まれると信じます。
とくだんファンじゃなくても、やっぱり四十代にとって、
SMAPって国民的アイドル、スーパースターなんだよね。

最近「かっこいいおじさん」として若い人にもキムタク人気が
上がってきたという話なので、またもやキムタクが起爆点と
なって、新生SMAPが全国民の人気者になる日が来るのかも。
彼自身が、自分が木村拓哉であることを喜びに感じて、
これからも頑張ってくれるといいな…と思います。