エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

我が人生の名場面・弟編(しかも前編)

2021-01-26 16:52:00 | 日記
世間一般の兄弟姉妹って、どんなふうに一緒に育つんだろう。
私は子供のころから遊び友達に困った記憶はないんだけど、
幼少期はもう圧倒的に弟と遊んでばかりいたと思います。

あんまり脳の発達した子じゃなかった私、3歳頃までの
記憶は全然ありません。母が出産でいなくなってたとか、
弟がやってきたとか、な~んにも覚えていない。
弟とは正確には1年9か月ちょいの差(2学年差)だから、
覚えてなくてもふつうなのかな。

そんな私の記憶を埋めてくれるのは1本のカセットテープ。
録音は、私が「豆っ子太郎」という絵本を弟に読んであげて
いる音声でした。私自身は覚えていないんだけど、すごく
お姉さん然として鼻高々に読んであげるおしゃまな声と、
「それでどうなったのー」みたいな弟の声が入っていました。
声の端々に「私、お姉さんなの。」という自慢げな雰囲気が
漂っていて、ものすごく可笑しい録音テープでした。
それにつけても弟の素直さよ。何歳くらいなんだろう。

小さい頃は、家族で秋ヶ瀬公園にのびろやよもぎを採りに
行きました。のびろは、味噌をつけて苦辛い味を楽しむ
大人の味わいだったので、私はガン無視してよもぎばかり
摘んでいました。素直な弟は家族と共にのびろを掘って
よもぎを摘んでいました。
帰宅すると母と私と弟で、草もちづくり。摘みたての
よもぎで作った草もちは香りが強くて最高に美味しい!
秋ヶ瀬公園かな、他のところかな…ザリガニ獲り・釣りも
やったと思います。メダカやオタマジャクシも獲ってきて
飼っていました。

子供の頃ってよくわからない遊びを編み出すもので、一時、
私と弟でぐるぐる歩いて回りながら「ドージードージー
バンジェンジョン」と歌い続け、途中で「オーエー」と
掛け声がかかるとばったり倒れる、という謎の遊びをして
いました。そしてまた2人で起き上がって、「ドージー
ドージーバンジェンジョン…」。
こうして勝手に遊んでくれるんだから、母にとって少しは、
育児が楽だったのかなあ…と今想像したりしています。

積み木、コマ、だるま落とし、けん玉なんかも弟とよく
遊びました。ブロックもよく作って遊んでたな。
私は紙の「きせかえ人形」で遊ぶのも大好きだったし絵を
描くのも好きだったので、一人遊びもたくさんしていたの
ですが、それ以上にとにかく弟と、家の中では年中遊んで
いたな~と思います。
お正月には親の引率で凧揚げにも行って。
日本にあるスタンダードな遊びは片っ端から弟とやったん
じゃないかなあ。

父は将棋をする人で、私と弟もてほどきを受けました。
まずは駒に慣れるため、将棋の駒の山崩しから。
そして将棋盤の周りを回るすごろくのような「回り将棋」。
いよいよ将棋のルールを教わり、対局です。
父は強いので、何枚もの駒を落としてやってくれます。
弟はそれなりに対局できていたのですが、私は弱すぎて、
とうとう父が「歩と王だけ」になったのに負けました。
そして姉弟対局もさんざんやりましたが、勝った記憶は
皆無です。おかしいな、私のほうが年上のはずだが…

父は釣りもする人で、親子で釣りにも行きました。
護岸でも釣ったし釣り船にも乗りました。ゴカイなどの、
気持ち悪い虫をばんばん針につけて釣りました。
釣ったアジなどを、母がさばいて食卓に出してくれました。
釣ってきた魚も新鮮ですっご~く美味しい。
これも、やっぱり私はどんくさくて、弟のほうがいつも
上手く釣れていた記憶があります。

さらに、父は麻雀も強い人で、我が家には麻雀牌が一式
揃っていました。コタツの季節には、テーブルの上の板を
ひっくり返して父、母、弟、私で麻雀をやりました。
お友達は「ドラえもんのドンジャラ」とかをやってるのに
我が家はマジに麻雀です。
まあ、母も頭数合わせみたいなものだし、子供たち相手
なので、ほんとにお遊びでしたが、十歳にも満たぬ子供を
交えて雀宅囲んでいるなんて、ちょっと変わった家だよね。

それにしても、父って「おいしいとこどり」で、母って
しつけだとか教育だとかの厳しい役割を担うことになって
損だと思うな。
母は、幼い私と弟を連れて、毎週図書館に通っていました。
借りるのは紙芝居を1つと本を2冊だったと思います。
私は声を出して紙芝居をやってみて、絵とお話をずらして
読むようになっているあの構造を理解して、紙芝居を自作
するような神童ぶりをみせはじめます。
一方で、弟はあんまり本は好きではなく、外に遊びに
行きたいのです。図書館に行くことは楽しそうでしたが、
本に興味を持っていたのは圧倒的に私のほうでした。

さらに、小学校に上がると、母は私と弟に夏休みの教材を
買ってくるようになりました。国語の漢字と読解の計2冊、
算数の計算と読解問題の計2冊。1日に4枚の教材が出て、
それをやるように言われます。
私はこれが楽しくて楽しくて。
普通に考えればせっかくの夏休み、なんで毎日余計な
勉強をやらされるのか!? 子供には苦痛なのでは!?
しかし母と私は、揃って、こうして勉強をするのが楽しい
人種だったのです。私は時折「明日の分もちょうだい」
とか言って(国語のほうばっかりだけど)余分にやる始末。
母はもちろん喜び、ますますやらせる気がみなぎります。
「普通の子」の弟にとって、これがいかに苦痛だったか、
想像に難くありません。
当時の私は「このなんかちっさいドリルみたいな勉強の
紙をさばくの、すごーく楽しい」だったので、母と二人で
弟を相当追い詰めてしまったと思います。

毎年、夏にはNHKの岩井の寮に、家族で海水浴に行って
いました。
母は泳げないので、いつも砂浜で優雅にパラソルを立てて
荷物番です。サングラスをかけた小顔で脚のきれいな母が
本を読んで待っていてくれるのは安心感がありました。
私は一回ガチに溺れて、足のつかない深さのところで
浮き輪が外れて暴れているところを父に救助されました。
弟はわんぱくな割にナイーブで臆病なところがあります。
海にビニールプールを浮かべた中でどこか不安げな笑顔で
写っている弟の写真があるのですが、その背後から私が
嬉しそうに浮き輪で近づいていく様子も写っていて、私は
この写真が大のお気に入りです。
実はこの後、私が弟の乗ったビニールプールを少し沖に
運んで行ってしまい、弟が怖くなって泣くのです。
私は意地悪するつもりなんか全然なくて、「沖につれて
いってあげよう」くらいの気持ちなのですが、結果として
無邪気で可愛い弟に向かって邪悪な者が近づいていく、
なんとも言えない悲劇の前の写真になっていて可笑しいの
です。弟よごめんな。姉ちゃん悪気なかったんよ。
私と弟は毎年毎年、砂浜掘ったり磯を覗いて小さい魚や
カニを獲ったり、海でも楽しく遊びました。
潮干狩りにも、家族で何度も行ったっけなあ…

冬には家族でスキーにも行きます。
母は泳げないけどスキーはできるので、家族全員で楽しく
スキーができます。父はなんか一般の人より上のランクの
スキーヤーだったので、子供たちにもスキーを上手く
教えてくれました…が、もちろん弟は上手く滑り、私は
なかなかうまくなりませんでした。足、ハの字にならずに
なんか揃っちゃうんだよね。「わあー」と叫んで滑って
いってしまって父が止めてくれたり転んだり、スキー、
怖かった…。父が私をまるごと抱えて滑ってくれるのが
一番楽しかった。
隣で上手いこと一定のスピードでのろのろボーゲンが
できている弟と好対照だったと思います。

ある年のスキー旅行で、家族を乗せて父の運転する車が
事故を起こしたことがありました。
蛇行した坂のトンネル内が凍っていて、スリップしたの
です。父はなんとかハンドル操作をがんばってしばらく
走行できたのですが、とうとうトンネル壁に激突して
しまいました。
幸い、弟が頬にかすり傷を負っただけで、誰も大きな
ケガをせずに済みました。長く蛇行してくれたので、
全員が身構えていられたのが大きかったと思います。
レッカーしてくれる車を待つ間、車の外で待っていた
時間が長くて寒くて…。
私と弟は当時小学生だったと思います。衝撃の思い出と
なりました。

ところで、母の実家は茨城県のつくば山の近くです。
夏休みには必ず母の実家に泊まりに行きました。
そこには弟の2つ下の従弟が1人いました。
また、その時期に叔母一家も来たりして、そうすると
弟の1つ下の従弟も来ます。
男3人、女1人の面子なので当然「男遊び」になります。
広い芝生の庭で三角ベースをやったり、虫捕りに
出かけたりしました。泊まりに行くのが春休みだと裏の
竹やぶでタケノコ採りを教わったり、田舎の遊びも
いろいろ楽しかったなあ。
「カンペ」という地蜘蛛を獲って遊ぶことになり、
田舎の祖母が袋になっている地蜘蛛の巣のことを教えて
くれて、いざ出陣! となったのですが、私はそれより
アリジゴクに興味があったので、男どもがカンペ獲りを
やっているのに一人でアリジゴクを掘っていました。
そして祖母に「まったく○○は、ごじゃ(ひねくれた子、
変わった子)だから」と言われました。
う~んでもアリジゴクは獲った後も巣を作らせてアリを
食わせたりしていろいろ興味深いんだよ。顔にも、よく
見るとす~っごく小さい目が点々とついていて可愛いし。
でも「みんなでカンペ獲りをするんでしょうが…」と、
協調性のなさに呆れられるような子だったのでしょう。
でも、一人だけ女の子なのにいつも男遊びによく
付き合ってたと思うけどなあ。
ふだんから弟に合わせて遊んでたから、男遊びのほうが
私にとってのスタンダードではあったけど、「○○は
一人女の子だから」とか言ってもらえたこと全然ない。
この田舎でのバケーションは、やがて田舎の本家に次男
が増え、叔母のところに娘が増え、さらに田舎の本家に
三男が増えました。女の子が増えたけど、ちょっと年が
離れていたこともあって、結局田舎に行くたびに男遊び
ばっかりしてたのは変わらなかったな。

弟は「ゴレンジャーごっこ」とかを友達とやるのですが、
まれに、私を仲間に入れてくれました。
弟と男友達+私、ということは私は紅一点。なら私は、
ゴレンジャーの紅一点「モモレンジャー」役だよね、
そう思うよね? でも…
「おまえはキレンジャーな。」
弟は私に三枚目の「キレンジャー」の役をやらせ、
モモレンジャーの役は全然くれませんでした…。
1、2回だけモモレンジャー、やらせてもらえたときは
嬉しかったな。「いいわね、いくわよ」って言って、
イヤリング爆弾を投げる真似をするだけなんだけど。
こういう仲間に入れてもらえるとき、弟の友達からの
私の呼び名は「□□□(弟の名)の姉ちゃん」。
この呼び方で呼ばれるの、いつもうれしかったんだな~。
学校とかで弟の友達に時々「あっ、□□□の姉ちゃん」
とか言われるのもうれしくて。
なんかね、弟がいるって、無条件にうれしいんですよ。

お小遣いとして小銭を手に入れると、2人で近所の
駄菓子屋に行きます。弟はくじびきのスーパーボール
とか袋とじのメンコとかを買います。
私は「10円ガム」「ヨーグルト」「きなこ棒」などの
駄菓子を普通に買うのですが、男の子の買い物って…。
でも、その弟のメンコで、私が一緒に遊ぶんだけどね。
スーパーボールの投げ合いとかも。
なのに駄菓子は自分で食う姉ちゃんよ…。

ところで子供の頃、年賀状って出してましたか?
我が家では、父が木版画で年賀状を制作していました。
木彫りで何枚も版を作って、絵の具で濃淡などを載せ、
多色刷りをするのです。
父は私と弟にも木版画を教えてくれました。
最初は簡単なゴム版画から。子供に彫刻刀を持たせて、
ケガをさせないようによく教えてくれたと思います。
父は家の中で時間をかけて油絵なども描いていて、
私は完全に父の影響を受け、絵にも版画にも興味を
持ちました。一方で、弟はそういう方面に特に興味は
湧かなかったようです。彫刻刀で何かを削る感じは
楽しかったのかな?
私も弟も、木彫りの版画ができるようになりました。

クリスマス、サンタさんがくれるのは、本を2冊と
大きなおもちゃ。私は「こえだちゃんと木のおうち」
「ママ・クッキー(ほんとにクッキーが焼ける!)」
などをもらいました。
が、やっぱ、弟の超合金のロボットや戦隊ヒーローの
でかい基地のおもちゃとかで弟と一緒に遊んじゃうの
です。ライディーンの超合金を「ゴッドバード」に
変形したり、マジンガーZのビニール人形の腹に
マブチモーターをつけて「スクランダークロス!」と
叫んで水の中を泳がせたり、お約束の「パンチが
なくなった」事件が起こったり…
テレビでは、私は確かに魔女っ子ものなども見て
いましたが、弟と一緒にヒーローロボットアニメを
見るのが基本中の基本でした。
ヒーロー系のおもちゃで弟と遊んだ時間は無限。
たくさん、たくさん遊び続けた記憶があります。

当時は「スーパーカー消しゴム」が流行しました。
弟と私は、レースのコースや、「ガソリンスタンド、
車庫、家」などが併記された一般の道のコースを
チラシの裏に書いて、スーパーカー消しゴムのお尻を
パッチンボールペンで弾いて遊びました。
飽きるほどスーパーカー消しゴムを弾いた後…なんと
弟の手に、当時皆が夢と憧れた、「ランボルギーニ
カウンタックLP500」のラジコンカーがやって
来たのです。真っ赤な超かっこいいラジコンカー!
姉弟はスーパーカー消しゴムを忘れてラジコンを抱え、
外に飛び出して思いっきり遊びました。
弟が駆る真っ赤なランボルギーニの軽やかな走行を、
眺めて追いかける至福の時。
これも本当に誇らしく、楽しかったなあ。

さてさて、一体どこまで弟と遊んだ話が続くのよ。
いや…それが、これでまだ折り返しなんですよ。
だってこの時点で、私と弟はまだ東京在住。
この後で一家は福岡へ引っ越し、また新たな幕が開き
ます。もう読む人なんかどうでもいいや、という
ことにして、弟と遊んだ話を全部書くことにしました。

なんか改めてこうして振り返ると姉弟ってすげえ。
どれだけたくさん一緒にいて、一緒に遊んだんだろう。
後編に続く!

芸能界の小さな星座的傾向

2021-01-17 18:48:25 | 日記
今回は、私の好きな芸能事務所「ライジングプロダクション」
のアーティスト、w-inds.とDA PUMPを例に
射手座とさそり座と乙女座についてちょっと語ろうと
思うのだけど、その前にさそり座について少々。

正直、ジャニーズ事務所のタレントは「美男」ってあんまり
いないと思うのね。せいぜいイケメンどまりというか。
それでも、木村拓哉、長瀬智也、岡田准一は客観的に顔が
かっこいいよね。
私はSMAPでは稲垣吾郎派だし岡准には興味ないけど、
木村拓哉、長瀬智也、岡田准一に関しては好みとかじゃなくて
ほんとに顔がかっこいい人と言っていいと思ってる。
そして、この3人が全員さそり座なのは、偶然なのかなあ??

さて、本題。w-inds.とDA PUMPですが、
ここでは「事務所が当初に発足させた初期メンバー」のことを
対象として語ります。「結果的にこういうメンバーになった」
という現在のメンバーは戦略的な要素がないので。

DA PUMP 発足時メンバー
 ISSA     射手座
 KEN      射手座
 YUKINARI さそり座
 SHINOBU  みずがめ座

w-inds. 発足時メンバー
 橘 慶太 射手座
 緒方龍一 射手座
 千葉涼平 さそり座

そう実は、この2組、「射手座・射手座・さそり座」という
構成が特徴として重複しているのです。しかも「圧倒的に
目立つソロボーカルの立ち位置が射手座、補佐が射手座と
さそり座」という構成が同じ。
なお、グループの見た目の面で言うと、DA PUMPでは
「YUKINARIが王子様顔」ということで顔部分の人気を
支えていた側面があります。w-inds.では、身長が
めきめき伸びて見た目もかなり変わった慶太君、当初から結構
髪型を変えがちだった龍一君に対し、涼平君がいつも変わらぬ
涼しげな見た目で「ああ、w-inds.だな~」という
安心感を与えてくれていました。
グループの変遷としても、KENはラップに作曲に振付にと
DA PUMPのプロデューサーに成長していきます。
w-inds.龍一君は、慶太君の声変わりに伴う楽曲路線の
変更で、メインラップやサブボーカルを担当していきます。
そこをYUKINARI、涼平君が自然に支えていく形。
SHINOBU脱退後、YUKINARIはISSAと
KENをメインに、自分はアレンジャー中心に裏方に回る
という選択をしています。
メインの射手座、野心的な補佐射手座、見た目や実力を静かに
下支えするさそり座、という構成なのです。

SHINOBUが置き去りみたいになっちゃってゴメン。
でも、DA PUMPがめきめき実力をつけていく中で、
SHINOBUが謹慎からとうとう帰ってこなかったのは、
この射手座×射手座×さそり座の、実際に結果も出せる
息苦しいほどの上昇志向に対する自分の立ち位置を見つけられ
なかったのかもしれない、と星座分析を通して思っています。

とにかく、DA PUMPとw-inds.は、事務所が
それをどこまで意識していたかはわかりませんが、確実に、
「こういうメンバーを組み合わせると上手くいく」という
同じイメージで構成されているのです。

面白いのが、橘慶太がソロをやってもw-inds.は決して
なくならないし、DA PUMPも、先行きが不安定になった
時に「メンバーを増やす」という選択をしているということ。
ライジングプロダクションの社長・平さんがISSAに
「ISSAがいればDA PUMPでいいんじゃない」と
言ったという話がありましたが、だからって、ISSA一人の
「DA PUMP」にはしないのです。
橘慶太(射手座)にはw-inds.というグループが、
ISSA(射手座)にはDA PUMPというグループが、
必要なんだと思います。

一方で、ライジングプロダクションは、乙女座の会社でも
あります。平社長、安室奈美恵、三浦大知が乙女座です。
安室奈美恵は、スーパーモンキーズ出身ですが、やがて
「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」
となります。そして安室単独になっていく。
三浦大知はFolder出身ですが、もうFolder終盤
にはソロとして「三浦大地」名義で「Big heart~
ミクロマンのテーマ」を、Folder featuring 
Daichi名義で「Everlasting Love」を
発売します。
そして17歳で「三浦大知」としてソロ再デビュー。

決して一人にはしない射手座、最後には一人にしていく乙女座。
そして実際、それは上手くいった、いっていると思います。

もちろん、「私が好きになるアーティスト」とか「私の好きな
芸能事務所」がそういう傾向だからといって、それが芸能界
全体に当てはまるという話ではないのだけれど…
このライジングプロダクションの星座分析は、なかなか面白い
結果だよな、と思っているのでした。

2021年もキラメイジャー笑

2021-01-01 16:52:13 | 日記
あけましておめでとうございます。
病院でひとりぼっちで迎えたお正月。
でも、気分が悪すぎて眠れなかったおかげで、「あつまれ
どうぶつの森」のカウントダウンイベントに参加したうえ、
日付が変わってすぐダンナにあけおめメールを送れました。

まさか、キラメイジャーを三度も病院で観ることになるとは。
入院したばっかりのときは時間さえあれば仕事をバリバリ
やって元気いっぱいだったんだけど、今はそれも難しく…
テレビって、元気な人が観るものだったんだな~と思って
全然スイッチを入れないのですが、日曜日の「魔進戦隊
キラメイジャー」と「麒麟がくる」だけは必死で観ています。

キラメイシルバーのキャラクターの名前は「クリスタリア
宝路(たかみち)」っていうんだけど、「クリスタリア」は
今地球を襲っている敵に侵略されてしまった宝石の国名だから、
いわば「日本太郎」みたいな名前だよね?
宝路は地球人だけど命の危機に陥ってクリスタリアで救命され、
クリスタリア王家に養子に入った人なので、ぱっと聞くと
「クリスタリア宝路」って違和感なく受け入れちゃうけど、
じゃあオラディン王とか王女マブシーナとかはみんな、
「クリスタリアオラディン」とか「クリスタリアマブシーナ」
という名前なのかしら。まあ宝石の国の王家の名前がどう
つけられているかにツッコミを入れても仕方ないけど。

そして「クリスタリア宝路」とかかっこいい名前になって
るけどさ、弟の名前は「博多南無鈴(はかたみなみむりょう)」
なんだから、クリスタリアに養子に入る前のシルバーの名前は
「博多南宝路」だよな。

キラメイジャーの隠れた見どころは、地球防衛組織代表を
演じているのが古坂大魔王なのを活用して、ピコ太郎ネタを
突っ込んでくること。
これが非常にバランスよくて上手い入れ方で、ピコ太郎を
全然知らなければ、物語の展開として何の違和感もなく観る
ことができるのよ。でも、わかる人には非常にわかりやすく、
しかも今流行ってるわけでもない微妙な古さ加減のおかげで
何かに媚びてる感じもなくてただただ笑える。
これがまさに今流行してるネタだったら鼻につくじゃない?
でも今さらピコ太郎とか持ってこられてもね、という絶妙な
風化具合だと思うな。いい味出してるショボさって感じ。

それから敵方ではヨドンナの、自分への「僕」呼びとか、
やたらベロ出すとことかが「オタク媚びかよ、うざっ」と
思ってたんだけど、ヨドンナ役の女の子がえらい可愛いので
結局「うーんヨドンナ、イイな」となっているのでした。

ダンナが病院でもキラメイジャーのOP・EDテーマを
聴けるようにしてくれて、OPテーマまじアガる!!
こんな感じでなぜか、キラメイジャーな入院生活となって
いるのでした。

麒麟がキター 私と大河ドラマ

2020-12-15 13:32:17 | 日記
皆さんNHK大河ドラマ「麒麟がくる」観てますか!
私は珍しく、観ています!

私、そもそも「日本史」が嫌いだし超苦手です。「世界史」は脳内に
存在すらしないレベルで理解できてないけど。
日本史苦手だから、当然、大河ドラマもよーわからんのですよ。
過去の地名もわかんないし、それ以前に日本の今の県の位置すら怪しい
始末。昔のテレビ番組「三枝の国盗りゲーム」を観ていればよかった。
弟がやってたゲーム「信長の野望」ももっと真面目に見ればよかった。
自分で「ポケモン+ノブナガの野望」はやったけど、「ランセ地方に
ある17の国」をめぐる争いじゃあ何も理解できないしなあ…

それでも私と同じ四十代後半の人ならみんな、大河ドラマ「独眼竜政宗」
は観たんじゃないかな! あれはほんとにおもしろかった!
特に、正室の愛姫(めごひめ)の幼少期が後藤久美子だったんだけど、
「国民的美少女」なんて俗な言葉が失礼なくらいのきりっとした完璧な
美少女で最高! 当時中学生女子の私も愛姫には恋焦がれたわ~
成長した愛姫が桜田淳子になったのには言葉を失ったけど…
どうやったら後藤久美子が成長して桜田淳子になるんだろう…

あと、親が観る時は他の大河もチラ見はしていて、「太平記」では
北畠顕家の美少年ぶりに心酔しました。今でも「日本で一番の美少年は
誰だと思う?」と問われると「大河の『太平記』の北畠顕家」と答えて
います。なお演じていたのはこれまた後藤久美子で、彼女に「美少年
武将」の役をやらせた大河ドラマに最大限の賛辞をおくりたい。

こんな私ですが、今年の「麒麟がくる」は欠かさず熱心に観ています。
でも、観はじめた理由が「大河開始直前に明智光秀の書籍の編集を担当
したから、著者に『観てない』とは言えない」なのでした。
歴史に比較的詳しくない人に担当させて、より広い読者にわかりやすい
ように…との会社の方針は正しいと思うけど、まさか私がここまで
歴史に疎いとは思っていなかっただろうなあ…

とはいえ嬉々として見はじめた「麒麟がくる」。
一番楽しみにしてたのが、「信長、ブッダなんだ!」。
「聖☆おにいさん」というNHKドラマがあって、松山ケンイチが
イエス・キリスト役をやっていて「松ケンはほんとに原作を壊さずに
見事な再現を見せるよなあ…」と思って観ていたのですが、相棒の
仏陀の役をやっているのが「染谷将太」という人で、このブッダが信長
…というのが一番の楽しみだったのでした。
正直、松ケンのキリストがハマり役すぎてそっちばっか見てたんだけど
ブッダも温厚で静かないい味を出していて、「あのブッダが信長って!」
と俄然、盛り上がったわけです。

大河にあまり馴染みがなくても、「私の意見は一般大衆とたいがい同じ
になる」という「ザ(ジ?)・一般人」の私。
「麒麟がくる」の前評判、話題は「丸顔の染谷将太の信長ってどうよ」
でした。あの肖像画の細面の優男ふうじゃないじゃん、ってことで。
方向性は違うけど、「あの役者が信長をやるというのは!?」が話題と
いう、見事な「開始前の評価の一致」を見せました。

そして感想も、見事に一般の皆さまと同じです。
○長谷川博己地味で傑出してなさそうだけど、結果として本能寺でしか
 知られていない明智光秀だからこれで良いのでは。
○帰蝶様!! 川口春奈でほんとによかった、この可愛らしさでマムシ
 譲りの策士だから良いのであって、沢尻エリカだったらエグいよ!
 多分沢尻エリカだったら信長との絡みがキモい。
○道三、豪放磊落で面白いキャラに仕上がってていいじゃん!
○叔父上ーー! 道三も良かったけど、叔父上が最後みんな持ってった。
○信長最高じゃん! 少年期は破天荒で幼稚な面があってこれでいい
 けど、大人になってからはどうかと心配したら、全然OK、しかも
 内面が幼いままなのが逆に怖い。さらに、カッコよくも見えてきた!
○美濃編よかったのに、桶狭間までの盛り上がりに対して、その後が
 「あの時代は実は駒、東庵、伊呂波大夫が動かしていた」みたいに
 なっていて萎える。
○正親町天皇が神々しい~~~
○帰蝶様を出せ! 信長と帰蝶が一緒にいるところが観たい!!

ほんとに「ザ・一般人」な私ではありますが、うならされたのはこの
2つの場面。

1つは、幼年期の徳川家康(竹千代)が織田信長と将棋を打つ場面。
竹千代が信長に将棋を打ってくれと頼み、その場にいた光秀と帰蝶が
席を外すんだけど、その場面ですごく感じたのは…
「家康、信長と比べると、光秀は『優秀な一般人』でしかない…」
もうなんというか、醸し出す格というか、器の大きさが違う感じ。
染谷将太の、何も言わずに出ている大物感、それはそれですごいけど、
ここは竹千代の子役の子が「信長に匹敵する大物感」を出していて、
「ひゃ~、これは『光秀じゃない』んだわ…」と思わされました。
天下取りに関わるのは光秀じゃなくて信長、家康なんだなと。
また、長谷川博己の地味さも上手く機能したと思います。
(なのに竹千代、成長して風間俊介になって、大物感が皆無に…)

もう1つは、昨日(12月14日)放送の、将軍・義昭が光秀に
剣術の稽古で軽くいなされる場面。
将軍への接待で指南役が手加減してやられていく中、「手応えがない」
と光秀に指南役を請うた義昭。でもね、剣道を習った経験のある私は
義昭の剣の構えが「まるでなっちゃいない」というのが一発でわかり
ました。
剣術、剣道の何よりの基本は「背中をまっすぐに立てること」。
しかし、義昭の構えは背中が丸まっています。義昭の剣術がいかに
浅はかな付け焼刃であるかがわかる表現。カメラアングルも真横から
捉えていて、義昭の背が丸まっていることをちゃんと映しています。
当然、光秀もひと目見れば、義昭が基本すら身につけていないことが
わかるに違いないのです。
光秀は正直者なので、指南役たちのように手加減してやられてあげる
ような真似はしません。なっちゃいない丸まった姿勢でただむやみに
木刀を振り回し、目をむいて向かってくる義昭…
その立ち合いに、かつての心優しい穏やかな僧侶だった義昭との
思い出が次々オーバーラップしてきて、義昭の変わってしまった姿を
前にした光秀の悲しみが伝わってくる場面だったのですが…
「義昭の急ごしらえの剣術では、剣の名手である光秀にかなわない」
ではなく、「義昭の剣術は構えからしてそもそもなっちゃいない」と
いうことを理解してこの場面を見ると、光秀が「変わってしまった
義昭の姿」を悲しみ、惜しむとともに、「裸の王様となり、周囲が
見えなくなって、仕えるに値しない将軍」を憐れみ、見下す感情が
見えてきます。
この後の光秀の決断は、私には「信長を討ちたくない」ではなく、
「あなたは仕えるに値しない」という視点から導き出したものだと
感じました。

なお、この回、要らんオリキャラ・駒が非常にいい役回りを一つ
しました。貧しい人たちを助ける施設を造るため、駒が稼いだ相当な
金額を義昭に渡していたのですが(町娘が大金を稼いで将軍の愛人に
なって貢いでるのはおかしいよ!)、義昭がなんとその金を「鉄砲を
買うために使わせてくれ、戦に勝ったら返す」と伝えてきます。
「義昭は変わってしまった」という表現の、これが決定打でした。
剣術の話では「将軍の立場なのだから武術の鍛錬もやむなしか…」
とも思いますが、「庶民である駒が、働いて必死で稼いだ、貧しい人
たちを救うための金」で鉄砲を買うという義昭の姿には、かつての
「人を救うために生きる」想いはまったくみられません。
ここは、駒が役に立った場面だと思いました。

あっそうだ、もっともっと評価されていいのは海老蔵のナレーション。
毎回、テロップで名前が出るたび「そういえばナレーションって
海老蔵だったわ!」とちょっとびっくりするんですよ。
でもドラマ見てる最中はまた海老蔵の声だってことを忘れてる。
世間の「麒麟がくる」の評価でも海老蔵の話は全然出ない。
つまり、海老蔵ほどの人が完全に「ナレーターでしかない」役回りを
見事にやりきっていると思うのです。もっと称賛されるべきでしょう!

「麒麟がくる」で困るな~と思うのは「次の場面で信長が出てきたら
見逃したくない」と思ってトイレをガマンしてしまうことかな。
信長のイメージを壊したくなくて、染谷将太がテレビ東京のドラマ
「浦安鉄筋家族」で変なキャラクターを演じているのを見ないために、
間違ってもザッピングでチャンネルを合わせることのないよう必死で
注意したりしていました。
「麒麟がくる」観てて信長に浦安の変キャラがかぶるのは嫌だよ!

とにかく、この作品は「母、叔父、家臣、村の者、すべてに愛されて
まっすぐに幸せに育った明智光秀と、誰からも愛されずにゆがんで
育つしかなかった怪童・織田信長の物語」なんだなーと思います。

こうして日曜日は、朝の「キラメイジャー」と夜の「麒麟がくる」が
必須となっています。野球シーズンはナイターと麒麟の両立が大変
だったんだから!

ところでブログの更新が滞っていましたが、現在入院しています。
なんとか頑張ります。

プロレスと競馬に行った思い出

2020-10-18 21:28:51 | 日記
皆さん、プロレスと競馬って行ったことありますか??
私は1回ずつあります! だいぶ前ですが!
一時期、会社の男3人とつるんでしょっちゅう飲んでいたんだけど、
その仲間の趣味がこんなだったんですよ。
 男1:飲み会  →本項では彼を「飲み会君」とする
 男2:プロレス →本項では彼を「プロレス君」とする
 男3:競馬   →本項では彼を「競馬君」とする
  私:野球
そんで、いつも飲み会ばっかやってるけど、みんなでそれぞれ他の人の趣味に
つきあってみようぜ、ということになりました。
おお、プロレスも競馬も興味ないけど、連れてってもらえるなら安心。
新しい世界に足を踏み入れるのが苦手な私ですが、人生勉強として挑戦して
みることにしました。

<野球バカ、人生初のプロレスにゆく>
2011年10月22日土曜日、「新日本プロレスG1タッグリーグ2011」
ということで、後楽園ホールにプロレスを見に行ってきました!
プロレス君が引率で、飲み会君と私の3人で土曜日に後楽園で待ち合わせ。
競馬君は都合により不参加でした。

当日は、開場1時間前に集合して、喫茶店で事前ミーティング(?)が
ありました。開始1時間前じゃなくて「開場」の1時間前よ。
えらい早くに待ち合わせるなと思ったら、プロレス君から1時間以上かけての
すごいレクチャーがありました。笑笑笑

さて、いざ後楽園ホールへ。
エレベーターがあるんだけど、プロレス君が「ぜひ階段で」とのこと。私が
先日駅の階段を落ちて足にサポーターを巻いてるせいで心配させたけど、駅の
階段とかすでに駆け上がったりしてるから大丈夫。
おススメの階段は、落書きがいっぱい。もはや地紋のように馴染んでいました。
どうやらこの落書きにもいろんな思いやドラマがあるようで、プロレス君が
アツく語っていました。
会場の入り口、せまっ。けっこうこぢんまりとしています。
会場に入ってびっくり、案外席数少ないんだ!
「座り心地がいいし、全体が見やすいから」と選んでくれたやや遠目の席なの
ですが、十分近くで見ている感じ。
逆に、リング至近はパイプ椅子とか木の板を渡しただけみたいなベンチ席で、
ほんとに好きでレスラーに接近したいとかじゃないと、いろんな意味で
無理だと思いました…。「悪役レスラーが登場時に席をわやくちゃに」とか
「場外乱闘で座席に向かってフェンスがガッシャーン」とかやってたし。
リング近くは実際に汗が飛び散ってかかることもあるらしく、そういうのは
無理だなー。プロレス君も、「そういう濃いのは無理だろうから、初心者には
このくらいの位置のほうがいいと思って」という席の手配だったようです。

プロレスは不思議な空間でした。
どこまでウソでどこからホントかわからないけど、ウソっぽさがないというか、
その「自然さ」「違和感のなさ」がすごく不思議。「普通、そこはよけるだろ」
…そういうツッコミは意味のない空間でした。どこまで押してどこまで引くか、
相手の加減と会場の空気を読みつつ、ガチだけどガチじゃないバトルが
繰り広げられていて、不思議なルールで成立している異空間を経験できました。
飲み会君は大はしゃぎだったけど、私は超クールにじっと試合を見ていたので、
引率のプロレス君は「つまんなかったかな?」と気を遣っちゃった模様。
いやあ、独特の世界観を体感できて、おもしろかったよ。
あと、体操の「床」の競技を見てるみたいでもあったし、カンフー好きなので
格闘という意味でのおもしろさもそれなりにわかるし。
それにしても、「プロレスの勝敗」ってどう決まる・決めるんだろう。
ほんとになんか謎で独特の世界だな~と感心しつつ、観戦を終えました。

そこから近い飲み屋に行って一杯ひっかけて反省会!
プロレス君と飲み会君は、2週間後の決勝も一緒に行く約束をしていました。
ところで欠席の競馬君はこの日、馬に行っていたそうで…
プロレスの決勝戦、競馬君は「今日の(競馬の)結果いかんで一緒に行く」
という話になっていたらしいのですが、このプロレス反省会中に彼から連絡が
入って、「行けない」ということになった模様。つまり競馬に負けたから
プロレス代なくなっちゃったって。次の予定は馬次第なのか…。
なお、この競馬君は巨人ファンであることを付記しておきます。

<野球バカ、人生初の競馬にゆく>
2012年5月10日木曜、会社で、競馬君が私と飲み会君の席に涼しい顔で
「これ、よろしくお願いします」と書類を置いていきました。(私と飲み会君、
競馬君とプロレス君は会社の階が違うので、わざわざ届けに下りてきた)
これは仕事の書類ではなく、競馬君自作の競馬に関する資料なのでした。
プロレス君はレクチャー、競馬君は予習資料か! 熱心だな!

5月12日土曜日、「きっとどの急行に乗ったらいいかとかで迷うから」と
余裕をもって家を出たら、府中競馬正門前駅に待ち合わせの30分前に着いて
しまいました。事前に調べたのと違って「競馬開催のため、準特急も(普段は
通過する)東府中に臨時停車します」だったので、余計に早く着いちゃった。
競馬のある日ってダイヤも変わるんだー、と勉強になりました。

待ち合わせピッタリに、本日のホスト役・競馬君登場。
なに、飲み会君から「昨日飲みすぎてさっき起きた」って連絡が入った?
プロレス君が風邪をひいて金曜のうちに欠席が決まっていたので、とりあえず
競馬君と二人で競馬場に入りました。入場料は200円でした。

昼メシが立ち食いになって恐縮する競馬君に「ああ、私のことはオッサンと
思ってください」と言ってがつがつ食う。競馬君が調べてくれた競馬場内の
ラーメンもフライドチキンも美味かった。特にフライドチキンまじウマ。
場内で、競馬君のアドバイスにより、レースの資料としてスポーツ新聞を
買います。私なんかはスポーツ新聞で十分、ということで、前日ロッテが
勝ったのでロッテの記事が充実しているスポニチを購入。競馬君は買うまでも
なく「優馬」なる専門紙を持参していました。
この日は特に大きなレースがあるわけではなく、混まなくてゆっくりできる
日を選んでくれたとのこと。あの、人がぎっしり詰まってファンファーレに
合わせて競馬新聞を振って、ゴールの直前から外れ馬券が宙を飛ぶ光景は
「皐月賞」とかの大きなレースだけで、普段はこんな感じなんだって。
確かにどこも人はいるけど混んではいない、快適な遊び場って感じでした。

それから何度も耳にしたことのある「パドック」なる場所へ連れていって
もらいました。
わあー、馬だ馬だ~。パドックって馬が歩いてるところなんだ~。
仕事中に置いてってくれた資料は「競馬の基礎」で、パドックについても
「馬のこういうところを見れ」とか書いてあったんだけど、全然わからん!

「41か、11か、85ですね。そのへんの数字にひっかけて馬券買います」
我が神・斎藤雅樹の(当時の歴代)背番号。素人なんて、そんなもんですよ。
「11の馬買います~。えっと、これに賭けるんなら、単勝ってやつですか?」
「あ、その馬は悪くはないけど、本命ではないから、複勝くらいにしておいた
ほうがいいと思います」
競馬君のアドバイスを受け、「選んだ馬が3位以内に入れば当たり」という
複勝の馬券を購入。馬券を買う〆切ギリギリだったので、全部競馬君がやって
くれました。マークシートとか初心者には難しいよ!

なんと…11番の馬は見事3位に入りました!
競馬君のおかげで500円が2800円になって戻ってきました。負けても
痛くない値段賭けて、飲み代分くらい稼いだ計算! ちょうどいいリスクと
リターンだね。競馬の「払い戻し」も初体験。
「次のレースどうします?」
「うーん…もう勝ったし、満足したから、また11番、今度は単勝かなあ…。
でも、そんなに何度も11番が来たりしませんよね。あははは~」
それで「背番号41」(斎藤の入団当時)にひっかけて、4-1の枠番連勝な
るものを200円買ってみました。
…そのレースの1着は、11番の馬でした…。斎藤愛を貫いて11番に
こだわるべきだった。私の心に愛が足りなかった!!!
次々とレースが開催されてゆくのですが、全部賭けてたら馬券買うのも大変
だし出費もいいペースになってしまうので「奇数レースは参加、偶数レースは
お休み」と自分で決めて、数百円ずつ馬券を買い続けました。

やっと飲み会君がやってきて、合流。
そして飲み会君も、人生で最初に買った馬券で当たりを出しました。
しかも500円賭けて7200円になった! すげえ!
まあ、私も飲み会君も、その1回限りだったけどね。当てたの。
そしてその傍らで、まったく当たらない競馬君…(苦笑)
競馬君はケータイで馬券を買えるようにしてあって、パドックを見ながら
(普段は見ないそうだが)次々買っていきます。でもことごとくハズレ。
唯一「知人が一口馬主をやってるから」という理由で買った京都の競馬場の
分がプチ当たっただけでした。つまり、全員が「最も無欲な状態」で買った
ものだけが当たったわけ。
ああ、そういうものなんだなあ、と感じ入りました。

何度かやって、自分で馬券を買えるようになったよ!
そして「ビームライフル」という馬がいたので、その名前の入った馬券が
ほしくて競馬君が教えてくれた「がんばれ馬券」なるものを買ってみました。
負けたけど。でも負けないと馬券が手に入らないからいいや。

最終の12レースまで見て、府中駅前まで歩いて、飲み屋に入りました。
ワリカンは一人2000円ちょいだったんだけど、一番儲けた飲み会君が
3000円、ちょっと儲けた私が2000円、競馬君が1000円+端数を
負担してお開きとしました。
競馬君、引率およびご指導をありがとう。でも、あんたがこの日スッた額、
アレはいただけんわ! 競馬はほどほどにね!

<野球バカ、お礼に野球に案内する>
プロレスと競馬の次は、私の引率で神宮に野球を見に行きました。
仕事の後、会社から少し離れたコンビニに集合し、タクシーで神宮へ。
場外に着くと、中からヤクルト側の歓声が聞こえてくる。早く入りたい!
でも神宮はチケット買うのも不便で客泣かせ。悠々と歩く男3人に「先に
行ってチケット買っときますぅ」とか親切っぽいことを言ってダッシュ!
チンタラ歩いてんじゃねえ急ぐぞオラ!というアツい気持ちは心に秘めて☆

外野自由席、ヤクルトファンで埋まるライトスタンドへ。混んではいたけど、
わりとすんなり4人で座れる席を見つけました。私は一番ホームベース寄りに
座って野球に集中。会話より野球優先。しかも食べ物を買う時間を使わない
ように、でっかいパン持参。あとはみんな、てきとうにやってね!
カードはヤクルト×中日。夏休み期間の花火も打ち上げられ、ヤクルトに
じゃんじゃん点が入って傘が踊り(9点入った)、盛り上がりました。
赤川の完投勝利を見届け、ヒーローインタビューまで聞いて万歳三唱して
(ヤクルトファンでもないのにね!)、新宿へ移動して飲んで帰りました。
夏の夜に会社の仲間たちと神宮でビール(私はチューハイ)というのは、
いつも楽しいものです。花火も見られて最高の夜でした。


こうして「仲間の趣味につきあってみる大会」は見事完結。
「興味はないけど、1回くらい見てみようかな」というものは、こんなふうに
先達はあらまほしきものなり、だよね! 我が人生において、珍しく楽しい
貴重な経験となりました。仲間たちよありがとう~☆