エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

福浦引退試合への挑戦

2019-09-27 10:38:17 | プロ野球
体力がもともとの何割引しかなく、さらに自律神経失調で不調がランダムに
訪れる日々ですが、9月23日(月・祝)のマリンスタジアムへ、
ロッテ福浦を見送りに行ってきました。
先日「神宮まで頑張って行って、行列に並んでグッズをもらう」という
イチかバチかの挑戦をしてみたのも、「このくらいできなければ、
福浦の引退試合に行くなんて無理」と思っていたのです。

試合開始は14時。我が家からマリンスタジアムまで2時間弱。
開場は12時、早く行くのも遅く行くのも不安だけど、10時半に
家を出ました。12時半に球場に着いて、引退記念グッズ売り場や
福浦パネル等には目もくれずに入場。(とんでもない人だかりで、
今の私にはそこに割ける体力がまったくない)
ダンナは現地泊の荷物をホテルに預けに行くなど別のミッションが
あるので「席で合流」となっていて、別行動だった。

席に荷物を置いて、ファンクラブの来場ポイントをつけに行ったら、
いつもはすいている三塁側カスタマーセンターが大行列!
「来場ポイントの最後尾は、階段の上となっております」
まじか…(愕然、脱力)

延々と並んで、やっと来場ポイントをつけると、次は食料調達。
今の私は胃がナーバスですぐに気持ち悪くなってしまうので、
球場で食べて大丈夫そうなものはうどんくらい。すぐ横の店で
うどんを買うことにしたけど、これまた長蛇の列に並ぶしかない。
そして…麺類はゆでる時間があるので、列が進まない…。
脂汗が出てきて、体をおかしなだるさが襲うが、油ものを食べて
気持ち悪くなるのも怖いのでとにかくうどんを買うしかない。
脂汗をだらだら流しつつ、30分並んであおさすだちうどんを買った。

胃がからっぽになると気持ち悪くなる今の私。
ふらふらで気持ち悪いまま席に戻り、恐る恐るうどんを食べてみる。
「ああ、生き返る~」…よかった。食べてもっと気持ち悪くなったら
どうしようかと思った。
今は、食べても食べなくても気持ち悪くなることがあるので
けっこうストレス。空腹だけで気持ち悪くなるなんて…

それにしてもすさまじい風。18~19メートルとか…
座ってるだけで風に押され、抵抗して体力を使う。
福浦の息子のファーストピッチセレモニーを経て試合開始。
1回裏に3点が入り、ホッとする。
2回裏、3回裏にも1点ずつを追加して、明るい引退試合になる。
実は4回裏くらいに一旦体力が尽きて「ダメかも」と思った。
半分しか食べられなかったうどんが消化されてまた空腹になり、
風にびゅうびゅう吹きつけられて体力が失われた模様。
糖分を含む飲み物でなんとか回復して試合終了まで持たす。

この試合、日ハムのマリン最終戦でもあったんだけど、
同じく引退を表明しているハムの田中賢介選手もスタメンで、
賢介が打席に立つたびに球場じゅうから拍手が起こるのも
野球って、スポーツっていいなあと思わされた。

福浦には4打席、ヒットが出なかった。
いい当たりはあったけど、やっぱりもう引退するんだなと、
思い知らされるような寂しさがあった。
6対1でリードして9回表を迎え、福浦が1塁の守備に就く。
最初の打者は三振。次の打者はヒット。次の打者は三振。
おいおい、三振ばっかで、福浦の守備機会が全然ないじゃん!
そこで1球、益田が1塁に牽制球を投げた。
「よかった、福浦が守備できた」と球場じゅうが喜びに
ほころぶ。
そして…1、2塁間にヒット性の当たりが飛んだ!
2アウトとはいえ、5点差あるとはいえ、ランナーが2人に
なるのは嫌な、…!?
その瞬間、福浦が横に跳んだ! 捕った!!

まさかの、福浦の素晴らしいファインプレーで試合終了。
なんという幕切れ。
球場を覆う感動の渦。「ふくうらーーー!!」と私も叫ぶ。
去年は福浦の2000本安打もこのマリンで見届けて、
今年は福浦の引退試合をこうして見届ける。
ありがたいことだ。うれしいことだ。
病状によっては、治療状況によっては来られなかった。
最悪の場合はこの世にいなかったかもしれない私が、
予定通りに球場に来て福浦を見送っていることを
本当にありがたいと思った。

まずは今年マリン最終戦の日ハム選手・監督・コーチらが
レフトスタンドへの挨拶。そのあと、日ハム応援団が
田中賢介の応援歌を演奏しはじめたので、私も、そして
球場じゅうのロッテファンも一緒になって賢介の応援歌を
合唱して「かっとばせー賢介ー!」と叫ぶ。

やがて夕焼けが球場の空を覆い、福浦の引退セレモニーが
厳かに始まった。まずはビジョンにかつての名場面が流れる。
2005年のプレーオフ、里崎のツーベースで福浦が
激走ホームインした場面はテレビで見ていた。
2010年のCS1st、西武ドームで延長11回に
福浦が勝ち越しホームランを打った時は、外野席の外側、
立見席の位置から見ていた。「ポールのそばでこれだけの
高さがある、ああ、ホームランだなあ」と思って上空を
見上げていた。まるでスローモーションのようだった。
2018年、福浦の2000本安打を見るために、一人で
陣取ったバックネット裏上空の席。今日はもう無理かと
思われた第4打席、バットに当たり美しく伸びていく打球、
沸き立つ客席、外野に弾んだ瞬間の歓喜、二塁へ向かった
福浦を心配してハラハラした気持ち(笑)。
また一つ、思い出を分かち合った選手が去っていく。

井口があの時、監督になってくれたおかげで、福浦が
2000本安打を達成できた。
そして、そのお陰でこの日に4打席も立てて、1塁守備で
好捕を決めて、勝利して、こんなに素晴らしい引退試合を
することができた。
あんな状態のチームの監督を、言ってみれば火中の栗を
拾うような形で選手たちを引き受けてくれた井口に、
心から感謝したい。

花束贈呈で、初芝とサブローが来たのはうれしかった!
球団にとっても大事な人として登場してくれたのだと思いたい。
いつかまた、ロッテのユニフォームを着た彼らに再会したい。
初芝よりサブローの方が歓声が大きかったのは、ごめんね、
2010年にまたファンが増えた分だと思ってね初芝。
てかこの場面で福浦と自撮りするサブローに笑った。

福浦は、場内一周の挨拶に三塁側から回ってきた。
我々夫婦は三塁側の席のかなり前のほうだったので、
しっかり福浦の顔を見て目を合わせて手を振ることができた。
背中を見送り、外野のロッテファンのエリアにさしかかると、
紙吹雪が舞い始める。風速はまだ15メートル近くあって、
里崎の引退の時の舞い散る紙吹雪ではなく、舞台装置のように
舞い上がり、美しい渦を巻く紙吹雪となった。
その美しい紙吹雪の中を進んでいく福浦を見送りながら、
思っていたのは「片づけ、大変だあ」だった。
里崎の引退試合はライトスタンドにいた我々。セレモニー後、
外野席の者は紙吹雪の清掃までがミッションだった。
今回の外野席組は、あんなに舞い上がって広がった紙吹雪、
片づけ大丈夫だったかなあ。いつまでも空から降りてこない
紙吹雪もあったし。

場内一周の後、福浦の胴上げ。
9回宙に舞った福浦を囲んで選手たちが記念撮影して、
セレモニーは終わった。
もはや、感動していて体調がどうとかは全然なかった。

が…それは球場を出るまで。宿泊先のホテルまでもそれなりに
歩くので、体力がほとんど尽きていてつらかった。
それでも、この日、福浦を球場で見送ることができて、
本当によかった。福浦、長い間ありがとう、お疲れ様。
でも、これからの千葉ロッテマリーンズもよろしくね!

神宮引退試合・今めいっぱいのエクストリーム

2019-09-21 22:53:30 | プロ野球
私はロッテファンながらヤクルトの石川雅規投手が大好きなわけだけど、
会社の野球好き仲間の友人は西武→楽天ファンと変遷しつつも
ヤクルトの館山昌平投手が好きで、ヤクルトのオープン戦を雨の日に
一緒に見に行って「ヤクルトファンでもないのに、なんで私たち、
こんなくそ寒い中、震えながらオープン戦見てるんだろうね」と
笑い合ったりしていました。
そして、「石川はまだ現役を続けるだろうけど、館山はそう遠くない
日に引退を決めるだろうから、引退試合には一緒に行こうね」と
ずっと言い合っていたのです。

月日は流れ、ヤクルトのファンクラブ会員が爆増して神宮のチケットも
買いづらくなりました。(ほんとにここ数年で圧倒的に環境が変わった!!)
今年、9月にとうとう、館山投手の引退が決まりました。
引退試合は9月21日と、発表されるや否や始まったチケット争奪戦。
発表があったのは平日で、私は療養中のため自宅にいて、館山ファンの
友人は仕事中。スワローズのファンクラブに入っているのも私だけ。
私がチケットを取るしかないのに、うっかり若干出遅れてしまいました。

チケットが残っているはずの表示を何度クリックしてもエラーしか出ません。
実質、『チケットの残りはゼロだが、いくつかが「仮押さえ」の状態
だからソールドアウトになっていなかった』という状況だったようです。

一緒に館山の引退試合に行きたかったけど「2人」でチケットを取れる
可能性はもうない。でも、ソールドアウトになっていない以上は、
1人だけならなんとか取れるかもしれない。
何度もエラーになりつつクリックを繰り返していると――
仮押さえが1枚できた! もう1枚、場所は違ってもいいからなんとか、
とクリックし続けるもとうとうこの1枚しかキープできず、とにかく
この1枚を確保しました。
それから間もなく、スワローズ公式サイトに「9月21日中日戦チケット
完売のお知らせ」が出ました。
ほんとに私の購入手続きが終わってから間もなくでした。

このたった1枚のチケットは、彼女が行くべき。
「チケット1枚だけなんとか取れたけど、あまりいい席じゃない」と
打診したら、やっぱり彼女は「行かせてもらいます」と感激してくれました。

実際は、手術で圧倒的に体力がなくなってしまった私には、今、
神宮球場に行き、ぎゅうぎゅうの客席で何時間も試合を見る自信が
ありません。トイレも我慢できないことがある状況だし…
今は長い距離歩けないから、信濃町から神宮球場までの距離も厳しい…
だから、チケットが1枚しか取れなかったのも神様の采配かなと思いました。

そして9月21日…
試合開始1時間半前に、神宮球場に乗り込む私の姿が… アレ?
スワローズのファンクラブのポイント「スワレージ」が1万ポイント以上
貯まっているのに使い道がなくて、ファンクラブ限定の館山の引退記念
グッズを友人にプレゼントしようと思って。
2日に1日は若干体調が落ちるんだけど、さいわい21日は調子のいい日。
だから、ちょっと無理をして、神宮球場まで行きました。
19日にダンナに付き添われて会社まで行ってみてかなりしんどかったのに
この日は一人っきりで相当歩いて神宮球場。
しかもグッズの交換は長蛇の列、並ぶこと1時間!!!

なんとこの日、館山と畠山の引退試合だというのに、大学野球が長引いて
球場周辺は人があふれて大変な騒ぎ。友人も入場列でだいぶ待たされた
ようだけど、無事に入れて、外野で投球練習をする館山から見ることが
できたようです。ほんとによかった。
その頃、私も無事館山グッズを手に入れて、帰途につきました。
館山グッズは荷物になるから友人には後日送付で。

さすがにへろっへろのぐったりで東武練馬まで帰ってきたけれど、
晩ごはんのお弁当を4人分買って帰るという最後のミッションが…
何せ、昨日母が外出先で救急搬送されたもんで…(おいおい!)
ちょっと無理をしちゃったけれど、人のためだとけっこう頑張れる
私なのでした。倒れなくてよかった。

観戦することはできなかったけど…
館山は最後にセカンドゴロでアウトを取り、畠山は最後にヒットを打てたと
いうことで、試合結果はともかく両選手いい引退ができたようでよかった。
2015年のヤクルト優勝は、神宮のライトスタンドで現地観戦してたので
館山と畠山にもいい印象しかない。楽しい思い出をありがとう。

遠い将来、カツオくん(石川投手)の引退試合が開催されるときには…
こんなにチケットが取れなくなってしまった神宮に、私は行けるんだろうか。

そして、今の私には、神宮球場に行ってグッズ交換の列に1時間並んで
帰ってくる、ただそれだけがエクストリームなことになってしまった。
無理をするわけにはいかないけど、なんとか活動量を増やしていきたい。

もはやエクストリームではない日々

2019-09-16 08:06:29 | 日記
でかい手術を受けて血液量が800ccも減って、
3週間ほどの入院から帰ってきました。

ホントは「術後3週間の入院」が術後2週間で
出てきたので、基本的には私は普通の人よりも
健康で元気だということなのでしょう。

だが…なんだこりゃ。
体力の減少は感じていたし、早く仕事に復帰しないと
いけないから、じゃんじゃん動き回って体力を回復
しなければ、と思ったら…
退院翌日、動いてみたら全然ダメだった。

徒歩15分ほとんど上り坂の道はまだしんどいだろうと
3分歩いたバス停からバスで巨大スーパーに行き、
母とともにスーパーの中を歩く間に体力が尽き果て…
スーパーの冷房が効きすぎていたこともあって
エネルギーがすべてなくなり、母が会計を済ませて
いるころにはもうろうとして気力だけで立っていた。
帰りのバスは座れてよかった。

こんなんじゃダメだと、夕方徒歩5分のコンビニに
行ってみた。
体力ゲージの減りが半端ない。
ゲージの最大値が減っているのは仕方がないとして、
一歩歩くごとに地面にエネルギーが抜けていくような
すごいエネルギーの減りを見せる。

これまで体力ゲージが100あって、会社行って
球場行って16時間フル活動で残りが10になる、
みたいな感じだったのに…
今はゲージが50しかないのに、10歩歩くと
ゲージが1ずつ減るくらいの感じだ。

退院の翌々日は体中が重くてほとんどじっとしていた。
血液800cc減ったのはさすがにまずい。
しかもこれは若いうちに製造しておいた血液のストック。
今からいくら鉄分を摂っても800cc分を回復する
量は作ってくれなそうだ。
体内の赤血球の量が足りてこその体力ではないか。

元のように無茶ができる身にはもう戻らないのか。
これでは貧血気味で体力がなくてへろへろのモヤシっ子だ。
しかも消化器全般が治療により激弱っている。
私の武器「食って治す」が通用しない…
47歳はここからどこまで回復できるのか!?
これまで自分がいかに漲って恵まれていたのかを痛感する。
また漲った日々に戻れるよう、なんとか必死で頑張りたい。