エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

私の読書歴・追伸

2020-05-28 17:01:49 | 日記
先日書いた読書歴のエッセイに案の定「漏れ」があったので
ちょっと追記します。

子供のころ、サンタさんからのクリスマスプレゼントは、
おもちゃ類1つと、本を2冊というのが常でした。
どんな本をもらったか全然覚えていませんが、とにかく私は、
サンタさんからもらった本はすぐに読み終える素直な子供でした。
が…なぜかどうしても読む気になれず、最後までとうとう
手を出さなかったのが『紅はこべ』。
改めて今、あらすじを調べてみたら、なんか面倒くさそうな話で、
世界的に人気の名作であっても、今の私には読みはじめる気力が
出なそうな作品だな、とは思います。
でも、逆に、子供のころは非常に受け身に、本なら何でも読んで
いたので、なぜ『紅はこべ』を読みはじめもしなかったのか、
まったくわかりません。
買ってくれた親に申し訳ないなと思いながらも、まるっきり
読む気が起こらなかった不思議な作品として記憶に残っています。

このサンタさんのプレゼントは弟も同じでしたが、弟はとにかく
本を読まないのでサンタさんはさぞ困ったことと思います。
しかし、その事態を破ってくれたのが「ズッコケ三人組シリーズ」
と「クレヨン王国シリーズ」です。
いつしか弟の本2冊は、このシリーズが1冊ずつ選ばれることに
なりました。弟もこのシリーズなら楽しく読んでいました。
もちろん、本と見れば放っておかない私も弟のこれらの書籍を
横から借りて読み倒しました。
児童書として人気のこのシリーズ、本嫌いの弟でも読んじゃう
くらい素晴らしいパワーを目の当たりにしました。

高校時代、現代文で読まされた『ことばと文化』は我が世界観の
礎となりましたが、現代社会(倫理)の授業で一部を読まされた
『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』
(岡崎照男訳)も衝撃的でした。
「サモアの酋長ツイアビが、ヨーロッパを訪れた際に目にした
社会について語る」という作品…なのですが、これは実際の
酋長の言ではなく、「と、いう形式をとって現代の(西洋文明の)
社会を批判する」という作品らしいです。
でも、当時は「本当にサモアの酋長が見て感じたことを語って
いる」と思って読んだこともあり、しかも言っている内容が
「確かに、その通り」だったので、私たちのあたりまえの社会は、
見方を変えるとこんなにも奇異なのかと衝撃を受けました。
『ことばと文化』で「言葉という定義の仕方で世界はまるで
変わって見える」ということを概念として理解できていたので、
違う文化・文明から見ると私たちがどんなにおかしなルールに
則って生きているのかを客観的に感じ取ることができました。
私の高校は非常に変わった教育をしていたのですが(都立高校が
それでいいのか!?)、実に良い教えを受けたと思います。

大学の一般教養で「倫理」を選択した私は、その授業で4冊の
課題図書を指定され、仕方なく読むことになりました。
『ノルウェイの森』(村上春樹)、『キッチン』(吉本ばなな)、
『家族解散』(糸井重里)、『シングル・セル』(増田みず子)。
この4冊に対する私の評価がバラバラすぎて面白いです。
『シングル・セル』は読んだはずが全然話を覚えていません。
『キッチン』は、人生で数少ない「読みはじめたものの、
とうとう読み終えることができなかった本」の1つとなりました。
『家族解散』は、読後感が「…で?」という感じ。テーマは
非常に良いのに、浅~く軽~く終わっちゃったな、と思いました。
感性は人それぞれだし、名作との評価もあるこれらの作品を
ディスっているつもりはありません。でも、高校の授業で
読まされた作品と比べると拍子抜けというか、「このへんの本は、
こういうのが好きな人が読めばいい、っていう類の作品だよな~」
と思いました。

あれっ、じゃあ『ノルウェイの森』は?
そう、これだけ完全に別扱いです。
なんだか宗教みたいに世界中に信者「ハルキスト」を持つように
なった作家・村上春樹。彼についての話になった時、私はいつも
「私、全然ハルキストじゃないけど、『ノルウェイの森』は
すっごい好きなんだよね。あれは読んでおいて損はないと思う」
と言っています。
とにかく説明できないような美しさや良さ、重さや深さ、痛みを
感じる作品でした。
小説の技としては、わかる人にしかわからなくて恐縮だけど、
終盤に「直子が~」で始まるあの一文の衝撃は忘れられません。
かつては「『ノルウェイの森』は純文学なのか否か?」が熱く
語られたものですが、今の時代なら充分「純文学」でしょう。
でも、純文学だとかそうじゃないとか、どうでもいいくらい
『ノルウェイの森』は名作だと思います。私は大好きです。
…じゃあ、なんでハルキストにならなかったのか、って?
もちろん他の作品にも手を出してみました。
でも『スプートニクの恋人』を読んで、「ああ、似たような
作品を書いてる作家なんだな」と思って、「私は『ノルウェイの
森』だけでいいや」と結論しました。
それでも、『ノルウェイの森』は、今でもふと、ときどき無性に
読みたくなる、なんともいえない魅力的な作品です。

原作が好きすぎると実写化の際は抵抗が先に立ってしまいますが、
映画「ノルウェイの森」は松山ケンイチが主演だったので、
安心して見に行くことができました。
特に松ケンが好きなわけじゃないけど、彼なら絶対に世界観を
壊さない出来になるだろうという安心があります。
実際観てみて、やっぱり松ケン安心のクオリティでした。
ただ…原作では全然そんな感じはないのに、映画ではとにかく
ベッドシーンばっかりで「そんな作品だったっけ??」と
めっちゃ首をかしげて映画館を出てきました。
映画化としてはまあ頑張ったとは思うのですが、なんかやっぱ
小説には勝てないよな~~~。小説ってすごい。

っということで、「いかん、いちおう私の読書を語るのなら、
『ノルウェイの森』は外しちゃダメな作品だった」という
理由で追伸した次第です。

そしてもう一つオマケ。「星座で人を分類・分析することに
一定の意味がある」という考えに大きな根拠を与えた現象が、
私の読書歴に出ています。

私の読書歴は実に平凡で「だいたいの人がよく読むような作家」
が羅列されているわけですが、その中で「私らしい趣味」と
言えるのが阿刀田高、連城三紀彦です。
そこに漫画家・柴田昌弘を足して私のアイデンティティ3傑と
なるわけですが…

 阿刀田高   1月13日生まれ、やぎ座
 連城三紀彦  1月11日生まれ、やぎ座
 柴田昌弘  12月26日生まれ、やぎ座

ある日ふと気づいたのです。全員がやぎ座だということに。
これは絶対に偶然じゃないと思いました。
「ここには何か理由や法則性があるはずだ」と考えて、星座を
意識するようにはなりました。
でも、実は村上春樹も1月12日生まれでやぎ座なのよね。
そこは「やぎ座の作家が好き」なのではなく、「私が傾倒する
作家に、結果としてやぎ座が勢ぞろいしている」という形で
事象の特性を認識しています。ハルキは私の特別じゃないぜ。

実際、血道をあげて好きな投手は斎藤雅樹と石川雅規、ともに
みずがめ座だし…
(これも「みずがめ座の投手が好き」なのでは決してない)
なかなかおもしろいんです、星座を切り口にした人間分類。
我が読書歴は、思いがけない方向から、私の人間関係構築法に
対して影響を及ぼすことになったというわけです。
本を読むという行為は、人生にいろんなものをもたらすの
ですね…と、かっこよく締めておこうと思います。
でも、「これは外せない」と書き足すのが村上春樹、しかも
『ノルウェイの森』って、ほんとに私って一般人だよね!!

引退試合という幸福~マリンで流した涙を数えて~(後編)

2020-05-20 21:29:24 | プロ野球
私が立ち会い、涙した(ロッテの)引退試合を語るエッセイ、
今回は後編です。
サブローのところが長いのですが、彼の引退については、本当に
言いたいことが多すぎて、こみ上げるものが多すぎて…。

2016年8月31日にサブローの引退が発表されて、私は
奈落の底に叩き落とされました。

悲しい物語は多分、2013年に始まっていたのでしょう。
2015年には「一軍で飼い殺して出場させず、感覚がなまった
ころに突然代打で出す」という起用をされ、2016年には
「二軍で結果を出しても決して一軍に呼ばれない」という扱いを
され、非常にしんどい2年間を過ごしたサブロー。
2016年には二軍の打撃コーチが「サブローは一軍で使える
戦力だった、呼ばれなくて残念でならない」というコメントを
出しています。夏のある時期からサブローが二軍で急激に結果を
出せなくなったのは「そもそも、一軍に呼ぶ気はないんだな」と
察したためだと思います。
サブローにこの仕打ちをした監督は、2015年が3年契約の
最終年でした。この監督の任期が延びてしまう「Aクラスを
確定させる決定打」を打ったのは、皮肉なことに、そして実力の
通りに、勝負強いサブローでした。
その試合のヒーローインタビューで、サブローは複雑な思いに
満ちた作り笑顔をしています。あれは、チームも、サブローも、
負けた方が“結果として”幸せになれた試合でした。
でも、サブローは、自チームの負けを期待することも、ましてや
自らチームを負けさせることも、できる人ではなかった…。
自分自身の素晴らしい勝負強さを、あんなにも呪った日は
ないんじゃないだろうか…。
それでも、あんな場面でちゃんと決勝打が打てる、それでこそ
千葉ロッテマリーンズのサブローです。
ファンのために勝利を届けてくれてありがとう。
そして、そこで決勝打を打ってくれた選手を、翌年にコーチの
お墨付きがあってなお一軍に絶対に呼ばない監督の人間性は…。

サブローの引退発表の日は、自分がこんなにサブローのことを
好きだったと気づいた日でもありました。
私たちファンが愛した、その何倍も私たちを愛してくれた人。
なのに私はファンとしてサブローを守りきれなかった…。

実は引退試合の直前にはいろいろありました。
9月18日日曜、超~元気だった母が突然心停止で倒れました。
その日は斎藤雅樹が二軍監督として優勝直前なので戸田球場に
行くはずが、救急車に同乗して病院に行く騒ぎになりました。
幸い母は蘇生したものの、しばらく入院。巨人二軍の優勝は翌日
見られたけれど、胴上げは延びに延びて、サブローの引退試合の
日と重なってしまいました。斎藤監督の胴上げが見たくても、
その日の行先はジャイアンツ球場でなく千葉マリン一択でした。
まあとにかく、「サブローの見送りじゃなく母の見送り」に
ならなくてよかった~。

こうして迎えた9月25日(日)、サブローの引退試合…
一塁側のベンチ上の席から見つめていて、ただひたすら悔しさと
悲しさばかりがこみ上げて…
外野守備を転々と移してもらえたのはよかったけど、そういう
外面の良いことだけはやってみせるくせに、内側では…。
監督への怨嗟の発露はこのくらいにしておくが、選手からも
漏れてしまっていた本音の声をちらほら聞いた人も多いはず。

とにかくうれしかったのは、巨人の選手たちが来てくれたこと。
坂本、内海、山口、長野、そしてクルーズ。あと、阿部もか。
シーズン中なのに本当にありがとう!
坂本の屈託なく無邪気な輝く笑顔に、殺伐とした心がものすごく
癒されました。ダンナと2人でめっちゃ笑っちゃった。
サブローが巨人にトレードで出された時には憤激したけど、
よりによって巨人に行けたことで、今後の野球人生においては、
とても良い人脈が得られたのかな…と感じました。

ただただ心を痛めて、サブローを見つめて過ごした長い時間。
9回裏、右中間への美しいツーベースを見ることができたのが、
せめてもの救いとなりました。
9回裏をやってるってことは、試合は負けたんだけど。でも、
もし勝ってて9回裏がなかったら、あの打球は見られなかった
わけで、これはこれでよかったのでしょう!
セレモニーで、真っ白なテープの滝を背景に手を振るサブローを
泣きながら見ることしかできない。自分の無力さにじっと唇を
かみしめていました。今書いていても泣けてきます。

サブローが四番にいるロッテが「本当に強いロッテ」だった。
まだやれるのに移籍に道を求めることなく、最後まで「ロッテの
サブロー」として、ロッテファンと一緒にいてくれた。
私たちは、サブローに愛されていることを知るべきだと思います。
 
試合後は気持ちを切り替えて、泣き明かした顔のまま、場外の
「からあげ祭り」に参戦しました。
からあげの名店屋台がいくつも出ていて、試合開始前にはどれも
長蛇の列であきらめたのですが、試合終了後にまだ売れ残りを
売っていました。
宿がとってあると試合後もこうして悠々できるのがいい。
お陰でサブローの掲示物の前でたくさん写真を撮れて、
私のアルバムには泣きぬれて情けない顔の写真が多数
貼られています。

実は後日談として、ちょっと自慢話があって…
日本一の野球雑誌による「サブロー引退特集」の直筆サイン色紙
プレゼント、当選者の一人は私です。
「2015年、あの決勝打がどういう結果を招くかをわかって
いてなお打ってくれたことは決して間違いじゃない。ファンの
ためにありがとう。それでこそサブローだと誇りに思う」という
コメントを書いて懸賞に応募したんだよね。
きっと、この想いが「届いた」んだと思っています。
「ロッテ愛」と書き添えられたサブローのサイン色紙、本体は
大事に大事に保管して、縮小コピーを会社の机に飾っています。

          *

2017年9月24日(日)は井口資仁の引退試合でした。
この前の9月10日(日)には大きく「6」の文字をあしらった
井口引退記念Tシャツが配布されました。私とダンナはそこにも
ちゃっかり参戦してTシャツをもらいました。

ボビー&小宮山の時はチケットが普通に取れたし、里崎の時は
偶然チケットが取れていたわけですが…
サブローといい、井口といい、そしてこの後の岡田、福浦と、
私ったらTシャツ配布まで含めてなんでこうも確実に引退試合の
チケットが取れているわけ?
それは…私の勤め先がチケットをまとめて買っていて、社内に
ロッテファンが私一人しかいないせいです。
おかげで2016~2019年の大事な試合は大半見られました。
一番いい時期にチケットを購入してくれた会社が有難すぎる…。

9月24日(日)ももちろん現地泊。日曜日は宿が安くてイイ!
会社の購入上の都合で、この日の座席は三塁側のベンチ上。
同じ理由でのちの引退試合も三塁側から見ることになります。
さて、球場に向かう私とダンナは明るい笑顔に満ちていました。
井口が引退すると言っても、監督就任が決定していたからです。
井口とはサヨナラじゃない。しかも選手たちに積み重なった
精神的な苦痛や疲弊を、監督交代でとうとう解消できる…。
井口の引退・監督就任には感謝しかありませんでした。
井口なら少なくとも正義はたがえないだろう。きっと選手たちも
安心して野球に集中できるはず。
この年に井口が現役をあきらめて、監督という重責を背負う道を
選んでくれたのは、ロッテにとって本当に幸福なことでした。

引退試合で最初の打席からヒットを打つ井口に「まだまだ現役
いけるやん!」とついつい笑ってしまいます。
この日は全員が背番号6。誰が誰だかわかりづらい!
3回に加藤翔平が先制ホームラン。だが7回に逆転されました…。
2点ビハインドで9回裏へ。サブローの時と同じく「負けてる
お陰でもう一打席、井口に余計に回るよ!」と喜びました。
そしたら…(引退リスペクトで直球を投げてくれたとはいえ)
まさかまさか、井口の同点ツーランホームランが!!!
もう、球場中が、狂喜乱舞を超越した意味不明の大騒動。
「いぐち! いぐちぃぃぃぃ!」とわめきちらす私。
感動と充実感にひたりつつ、延長戦を迎えました。
延長11回、もう一回井口に打席が回ってきたときは「まさか、
そのうえ井口がサヨナラホームランを打って…なんて?」と
期待しちゃったりもしましたが、そこまでの展開はさすがに
なくて、井口の最終打席はライトフライでした。
ライトフライってことは、やっぱ狙ってたと思うけど!
試合は12回裏までかかって、鈴木大地が決めてくれました。
井口、この日、決めてくれたの大地だったの覚えてるか…

セレモニーも終始笑顔で見つめていました。
井口には、光降り注ぐ喜びの舞台が用意されているんだな…。
サブローを、井口政権下で、納得いく形で見送りたかった…と
よぎったりもしました。思っても詮無いことだけど。
笑顔のセレモニーが終わったころには、すっかり夜になって
いました。この日の私の写真は弾けるような笑顔ばかりです。

井口が6月で早々に引退を表明してくれたのも、井口ファンに
対しては本当に良い選択だったと思います。
「ダイエーの井口忠仁」のファンをはじめ、多くの人たちが
井口を見送れて本当に良かった。井口、いい引退したな!

この日に配られた井口の「6」の紙プレートは、大事に
持ち帰って何度か使いました。まだ捨ててないよ!
なお、サブロー引退時の紙プレートも、いつか使う日のために
大事に取ってあります。サブロー、ずっと待ってます!

          *

2018年10月7日(日)は根元俊一の引退試合。
この日もちゃっかり見送りに行きました。
不遇な部分もあって大活躍はできなかったけど、チーム貢献度も
高く、いい選手でした。
でも選手の格としては一段落ちちゃうのでさらっと触れるのみで。
(愛情とは別に、選手の実績については超ドライなので…)

          *

2018年10月8日(月・祝)は岡田幸文の引退試合。
岡田は本当にロッテらしい、いい選手でした。
岡田を全国区の選手にした「東京ドーム美技3連発」は一人で
現地で見ていました。でも、外野席だったので見えづらかった…。
岡田のファインプレーに救われて、球場で何度「おかだぁぁ~」
と叫んだだろう。
そして2010年の日本シリーズ決勝打も懐かしい。テレビで
見ていて胃が壊れそうな緊張感の果てに訪れた歓喜。あの打席、
岡田がへぼへぼな打球を打って「ああ~、やっちゃった~」と
くずおれそうになったら幸いファウルで、その何球か後にあの
決勝打が生まれたっけ。
いろんな思い出がよみがえる一日でした。

この日は、試合前に福浦和也の2000本安打記念セレモニーが
ありました。名球会のブレザーも授与されて、笑顔で拍手!
でも、斎藤雅樹がもらえないブレザーを、打者は容易にもらえる
もんだな、というのもちょびっとありました。

さて、岡田は「一番、センター」で試合開始!
野手の連続打席無安打記録が近づく岡田。ここで打てばなんとか
記録2位で済む。記録保持者にならないために、打ってくれ!
1回裏、岡田の打球は内野フライ。これで58打席連続無安打。
野手の連続打席無安打タイ記録となってしまいました。
岡田…やっぱダメか~。ダメなのか~。
こんなドラマが仕込まれた引退試合もなかなかないぜ!
次こそ、次こそヒットを打ってくれ! 記録を更新するなよ!

試合は3回表でハイ終了~。ノーゲームになったとかじゃなく、
だってデスパイネに1回表にツーラン、3回表にスリーランを
打たれて0-5になっちゃったんだもん。デスパぁ~~~!!
球場全体が「でもまあ、岡田のヒットさえ見られればいいや」
みたいな空気になっていくのを感じました。

3回裏、またもや岡田に打席が回ります。
ここで打てばタイ記録で止まる。記録を更新するな、岡田!
と思いつつ「せっかくだから連続打席無安打記録を打ち立てて
引退するのもアリかも…」とも思いました。
そしたら、岡田のバットが見事にボールを捕えた!!
勢いよく外野を目指して伸びていく打球。やったああああ!!
球場が歓喜に沸き、全員が打球の行方を目で追う――
「バシッ」 へっ?
……白球は、宙に跳んだショート高田のミットに納まりました。
超~ファインプレー。一瞬静まり返る中、高田が着地して、
「ギャア~!」という濁った悲鳴が球場に響き渡りました。
高田のファインプレーにより、岡田は59連続打席無安打となり、
見事、野手のプロ野球記録を更新しました。
「空気読め~~!」と私も叫びましたが、そこはご愛嬌。
選手が全力でプレーしなければ記録に意味なんてない。
高田が空気を読んでヒットにしてくれて新記録を免れたんじゃ
ダメなんだ。そんなの、記録にも記憶にも残らない。
だから、結果には納得したうえで、あえて我々は叫ぶのです。
「空気読め~!」「なにすんだ~!」「高田のアホ―!」
結果が出る前に「空気読め」と叫ぶ人はともかく、結果が出て
からのブーイングや叫びは、ただの「ツッコミ」なのです。

こうして歴史に名を刻んだことで、岡田のドラマは終わり…
と、思うでしょう?
しかし、岡田の引退試合はここからがドラマでした。

5回裏、岡田幸文第3打席、…レフト前ヒット!
7回裏、岡田幸文第4打席、…センター前ヒット!
9回裏、岡田幸文第5打席、…ライト前ヒット!

歴史に名を残したうえに、その直後から全方向に打って猛打賞!
なんだ、この胸アツのドラマ。さらに9回裏には盗塁も記録!
(ただ、この盗塁はホークスのサービスでしたが)
でも「高田、ホッとしただろうな~」と思って、ふふっと笑って
しまいました。「やっちゃった…」って顔してたからな。
いいんだよ、全力でプレーしてくれてありがとう。お陰で岡田が
歴史に名を刻めたし、かえって稀有で感動的な結果になったよ。

2011年、シーズン359連続守備機会無失策で特別表彰。
2011年、2012年に2年連続ゴールデングラブ賞受賞。
連続打席生涯無本塁打記録(初打席からの記録)は、この日、
2501打席まで伸ばして野球人生を終えました。
そして59連続打席無安打は野手の日本記録なのに、それを
樹立しちゃった引退試合その日に猛打賞も記録。
岡田幸文…ロッテらしくもあり、本当に素敵な一流選手です。

岡田の引退セレモニーには紙ふぶきや紙テープはなし。
一応球団的にも選手の格付けはあるんだよね。
なお、セレモニーの後(だっけか)に、バック宙もやってくれ
ました。その身体能力、まだまだプレーできるのでは…とも
思いましたが、また50打席以上凡退されたら困るから(笑)、
涙を流しつつも、笑顔で岡田を見送りました。

          *

そして、2019年9月23日(月・祝)福浦和也の引退試合に
ついては当ブログ別記事「福浦引退試合への挑戦」参照です。

サブローの引退試合の際は母が救急搬送されましたが、福浦の
時は私自身が大病で入院しました。
病院で、リハビリ担当の先生が私の持ち物にすぐ反応したので
変だと思ったら、「夫がロッテファン」とのこと…
「退院後にやりたいことはありますか? 何か目標意識を持って
やったほうが、意欲もわくし継続できると思うので…」
「こんなこと言ったら叱られそうですが、9月23日がロッテの
福浦っていう大事な選手の引退試合で…」
「あっ、福浦選手わかります、夫がよく話してるので」
「チケット確保してあるので、なんとかその試合に行けたらって
思ってます。野球観戦どころじゃない状態ですけどね」
「いいじゃないですか、目指しましょうよ、試合観戦!」

…まあ、そのために必死で頑張ったというより、もともとの
体力と筋力が強かったからリハビリ的にはすぐ結果を出せて、
内科的にはともかく外科的には問題なく観戦に行けたんだけど。
リハビリの先生は野球観戦に行ったことがないそうで、頑張れば
行けるイメージで語っていたと思うけど、実際には片道2時間
かけて行ったうえに、引退試合だとセレモニーがあるから、
ふきっさらしに5時間とか座ってる騒ぎになるのよね。
今思い返すと、あの状態の患者が行くのは無謀すぎたよ!
ほんとに無茶して倒れなくてよかった。

今、ロッテの選手で「絶対に引退試合に行かなければ!」と
思える人はいないかな…(田村はもっと実績を積むべし)
ヤクルト石川雅規投手が引退する時が来たら、命と引き換えても
行きたいけど、最近の神宮のチケットの取りづらさを考えると
難しいかもしれません。見送れない覚悟はしておきます。
とにかく、長いロッテファン人生において、ボビー、小宮山、
里崎、サブロー、井口、岡田、福浦というそうそうたる面々を
見送ることができたのは幸せでした。
川崎球場最終年も観戦に行けたし、私は本当に幸福で幸運な
ロッテファンだと思います。ロッテ球団フォーエバー!

引退試合という幸福~マリンで流した涙を数えて~(前編)

2020-05-17 21:57:57 | プロ野球
プロ野球選手の引退試合を見に行くというのはいいものです。
その選手が引退試合をやってもらえるほど活躍し、愛されたと
いうことも大事。そして、その試合にファンがちゃんと見送りに
行けるということも大事。
生涯最愛の選手の引退試合がまともに開催されなかったうえに、
その試合に行くチャンスも与えられなかった私にとって、引退と
いう淋しい場面ではあっても、引退試合というのは幸せの最高の
形の一つだと思うのです。

私が人生で初めて引退試合・勇退試合に行ったのは、2009年、
ボビー・バレンタイン勇退と小宮山悟引退の試合でした。

2009年10月6日、千葉ロッテマリーンズ本拠地最終戦。
その日は退任するボビー・バレンタイン監督への感謝イベントと、
共にユニフォームを脱ぐ小宮山悟投手の引退セレモニーが
ありました。
本当は仕事がてんこもりでそれどころではなかったけれど、
無理して有給休暇にして仕事を必要最小限で切り上げ、SS席の
チケットを握り締めて、夫婦そろって海浜幕張に向かいました。
天気は涙雨…。まずは現地ホテルにチェックイン。セレモニーが
夜の何時までかかってもいいように、現地泊です。
それからスタジアムへ行き、水浸しになったバックネット裏の
1塁側寄りの座席に座り、ビニールポンチョを着込みました。
なお、小宮山引退記念グッズは試合開始前に売り切れていました。
試合はロッテが追いついて2-2のまま進み、8回2アウトから
ロッテが連打で3点を勝ち越して9回を迎えました。
9回、いつ小宮山が出てくるかという期待と緊張感にざわめく中、
2アウトまでをシコースキーが投げ、とうとう小宮山が最後の
アウトを取りに登場。
ボビーが自らマウンドで小宮山を待ち、ボールを手渡しました。
けれど、シコースキーが残したランナーが2塁に…。
タイムリーは許容として、ホームランが出ると一気に1点差…。
2発打たれたら同点…。だがそれはつまり、ここを抑えたら
小宮山にセーブがつくという場面でもあるのでした。
ここで小宮山がセーブを記録すると最年長セーブ記録達成です!!
最高のエンディングへの期待と、最悪のシナリオへの不安が
交錯する…。結末やいかに!?

初球をいきなりズガーンと飛ばすセギノール。
ノー! ソッコー被弾かああ!? 球場にほとばしる悲鳴!!
だが、深く守っていたライト・サブローがフェンス際でガッチリ
捕球。ゲームセット! 小宮山に最年長セーブ記録がついた!
小宮山、ベンチを出てきたボビーと抱き合う…。超泣き!!
そして始まる小宮山引退セレモニー。すばらしきかなSS席、
ほとんど真正面でセレモニーを見ることができた。SS席を選択
してチケットを手配してくれたダンナに感謝。
雨でビショビショ、ポンチョも貫通してあちこち服が湿っていて、
ポンチョの中には上着、ネックウォーマーと厚着して、厳しい
寒さに耐え続けました!

涙声で「コミー!」と連呼した後は、ボビーの退団セレモニー。
ありがとうボビー、あなたはロッテを暗黒から光り輝く世界へと
引き上げてくれた恩人です。
たどたどしい日本語で(スポーツ新聞各社は「流暢な」と書いて
いたが…苦笑)千葉ロッテを愛する詩を読むボビー。
「ライネンからハ、ボクハ、MARINESの、FAN、デス」
どうしてだ、いくら金になるからとはいえ、あんたはどうして
そんなに千葉を愛してくれるんだあ!と、千葉県民でもないのに
思っていました。もう、自分の顔を伝うしずくの、どれが涙で
どれが雨粒かわからないぜ…。

ボビーも小宮山も姿を消し、我々もホテルへと戻りました。
が……さっむ~~!! 体温下がりすぎ。慌てて湯船に湯を張り、
あったまって出たはずが、芯まで冷えすぎていてすぐまた体温が
下がる。それでまた湯船に浸かり、結局3度も入浴しました。
スポーツニュースをハシゴしたけど、日ハムが優勝を決めたので
(というか、ウチが楽天に勝った瞬間に優勝が決まった)、
ボビーと小宮山のセレモニーのことはテレビであまり取り上げて
もらえなかったのでした…。

1995年、ボビーがロッテを2位にした時の突然の熱狂。
ボビーが去った時の失望。
2004年にボビーが帰ってくると聞いて、「知っていたら、
私も成田に横断幕持って駆けつけたのに!」と叫んだあの日。
そして、2005年の歓喜の思い出と、明るく楽しそうな球団に
生まれ変わった今のチームの姿。
語り尽くせない、ボビーへの感謝の思いをこめて…、私のロッテ
ファンとしての一つの時代が終わった10月6日でした。

          *

そして、2014年はロッテ黄金期の正捕手・里崎智也の引退。

野球シーズン終了の頃にはいつも、「貯まったファンクラブの
ポイント使わなきゃ~」と騒ぐハメになるので、かなり早めに
「海浜幕張の定宿がバカ安で、日焼けしないナイター開催の土日」
を狙って9月28日(日)のナイターのチケットをポイントで
手に入れ、ホテルも取っておきました。
 
そうしたら、里崎智也の現役引退発表…。
引退試合は、なんと9月28日! チケットは狂乱の争奪戦に
なりましたが、その日のチケット、取ってあるよ…!!
しかも座席はライトスタンド。最後の応援、任せてくれ…!
外野席の客は事前に紙吹雪を作っていくよう告知がなされ、私も
指定された寸法に新聞紙や裏紙などを切って万全に支度しました。
 
そして当日、試合開始18時なのに昼前に千葉マリンに着いたら、
チケットの引き換えは14時からで、ホテルのチェックインも
14時…。それで、里崎引退記念グッズ販売の行列の後ろにつき、
2時間並びました。店に入れた時点で、里崎引退グッズは半分
くらいの品が完売。残っていたのでTシャツを2種買いました。
いったん駅前に戻ってホテルにチェックイン。
ダンナと合流して17時にホテルからまたマリンへと出発。
ライトスタンドの指定席につき、カバンから紙ふぶきを出して、
撒きやすいよう袋の中で揉んでスタンバイしました。

スタメン発表――「1番、DH、里崎」に大歓声。
もう泣きそうになる私。いや泣いたかも。
2005年も、2010年も、ロッテの栄光の場には貴方がいた。
第1回WBC、まだ日本中が「なんなの、その大会」でしか
なかった頃、日本を栄光に導いてくれたのも貴方だった。
里崎智也、私史上最高の捕手…
でも、里崎の2打席を見て、あきらめはつきました。里崎らしく
プロの打席に立つことはもうできないんだなと思いました。
試合途中で、応援団が箱にギッシリ入った大量の紙ふぶきを
各列に置いていきます。作りすぎだよ、逆に大丈夫か…と、
思った予想は当たります。

試合は勝ち、セレモニーはめちゃ泣き。タオルを口に当てて
おうおう嗚咽していました。
でも、この現場で、サトのいる空間で泣ける幸福よ。
そして「応援歌が流れたら、そのタイミングで紙ふぶきを」と
応援団から指示があり、とうとうその時がやってきました。
ひやーーーこりゃすごい。
前が全く見えない大量の紙ふぶき。後ろからも新聞紙の塊が
投げつけられて背中にじゃんじゃん打撃。
でも自分の袋からも撒く! 撒く!
里崎が全然見えない、紙ふぶきが多すぎる!
でも、この日にライトスタンドに席を占めることを許された
我々の、これがロッテファンとしての光栄なる務め。
手持ちがなくなっても、足下は膝まで紙ふぶきで埋まって
いるから、足下から拾っていくらでも撒き散らす。
「あ、サト、もうあっち行ってるよ!」
紙ふぶきに視界が奪われ、我々が姿を見られないなんて
皮肉だけど、でも最後に里崎にもらう側でなく与える側に
なれる幸福。
ロッテファンのドすげえ紙ふぶきが、歴史に残りますように!
後でネット動画で見たら、画面がぼやけるほど超絶大量の
紙ふぶきで笑っちゃいました。

終わった、それ清掃だ~! …と、取り掛かったらさあ大変。
掃除にも使おうと思っていた紙ふぶきを入れてきた袋がない!
周囲からも「○○柄の袋を見つけたら知らせてくださーい」
「タオル、これどなたのですか~」「あっ、私のバッグも
ないよ~!」と次々に悲鳴。…みんな、足下の紙ふぶきを
掬っては投げ続けて、いっしょくたにさまざまな持ち物を
投げてしまったのでした。
大量の紙ふぶきを片付けながら、物が発掘されては持ち主に
返されていきます。その騒動の中、「これから里崎選手の
ライブが開催されますので、皆さん球場の外のステージに
お集まりください」のアナウンス。ずる~い、我々外野席組、
まだこれ当分掃除だよ~。
でも「だったらライブ行く」と出て行く人はいませんでした。
全員が全力で紙ふぶき掃除を続けていました。
 
ライトスタンドが片付いても、次はグラウンド!
グラウンドも紙ふぶきが散りに散っていて、掃除は終わら
ない。里崎のライブはビジョンに映してくれるということで、
それを見るしかない。任務が優先だ!
なだれを打ってグラウンドへ移っていくライトスタンドの
面々。完全に「スタッフ」で、素晴らしいなと思いました。
グラウンドもほぼ掃除が済んだ頃、やっと里崎のライブが
始まりました。最初に「今、球場内を掃除してくれている
外野席の方々、ありがとう」って言ってくれたから、多分、
清掃終了を待って始めてくれたんだと思います。

そしてグラウンドに体操座りしてサトのライブ(笑)を
堪能。我々や皆の片隅に置かれたゴミ袋を応援団らしき人が
見つけて「回収します」と集めていきます。ライブ中も、
ライトスタンドやグラウンドのゴミ袋をひたすら球場外へ
運び続ける応援団に頭が下がりました。
里崎がライブを「終電までには終わります」って言ってた
けど(実際はそこまで遅くなかったけど)、やっぱり現地泊
最高だ~。でも、月曜はホテルから出勤するんだけど。
 
ライブも終わり、本当に里崎の姿が球場から消えて…
私とダンナはホテルへ撤収。
もう、やりきったから、笑顔でね!
ボビーの再来日した2004年から里崎の引退の2014年
まで11年、本当に楽しかった。
里崎とともにボビーの時代は本当に終わってしまったんだな
と感じつつ、次の魔法使いの降臨を待って眠りにつこうと
思いました。

また死ぬほど長くなっちゃうから、いったんこれで前編として
おきます。このあとサブロー、井口、岡田、福浦と続くので…。
よく毎回、引退試合のチケットとれたな!
いや、そこにはからくりがあるのですが…そのへんは次回に。

私の読書歴

2020-05-16 17:41:03 | 日記
大学の日本文学科を出ていて、現在は編集の仕事に就いている
四十代終盤の私ですが、読書歴は「もっと勉強しろよ」としか
言えないお粗末なものです。
でも貧相な分だけ「書き尽くしても読みきれる」というエッセイに
仕上げられるな~と思って、書いてみることにしました。
(私のブログの一作一作が長いのは、ブログ記事でなく「体験記」
や「エッセイ」として書いているせいです)

幼児期は、母と弟とともにマメに図書館に行って、絵本を3冊と
紙芝居を1作品借りていました。
幼稚園の時、私はすでに「最後の絵の裏側に最初の絵に該当する
お話が書いてあって、最初の絵の裏には2枚目の絵に該当する
お話が書かれている。そのずれを繰り返す」という複雑な構造を
理解して、自作の紙芝居を作っていたりしました。神童!

『ぐりとぐら』『100万回生きたねこ』『こぐまのたろ』などの
王道絵本はしっかり読みました。
一番好きだったのは、かこさとしの絵本です。
同じようなものがちまちまとたくさん描かれている絵が好きで、
『にんじんばたけのパピプペポ』や『からすのパンやさん』の絵が
お気に入りでした。特にパンの絵が見開きいっぱいにたくさん
書いてある『からすのパンやさん』が一番のお気に入り。

大人になってから大好きになったのは『いやいやえん』。
子供向けの絵本や童話って、創作のふりをして「子供に教訓や
学習を与えたい」と書かれた作品は大人の自己満足だよね。
そんな中で『いやいやえん』は、大人が読むと「だから、何?」
というような「想像しっぱなし」な無責任感が楽しい作品。
子供のころより今の方が『いやいやえん』大好きです。

小学一年生になったら、クラスにすごい秀才の男の子がいて、彼は
その年齢ですでに「少年探偵シリーズ」、つまり江戸川乱歩作の
明智小五郎シリーズの少年向け版を読んでいたのです。
図書室で見てみたら文字ぎっしりで漢字も多くて難しい。
でも、面白そうだったのでずっとその本にあこがれていました。
私が「少年探偵シリーズ」を読めるようになったのは二年生の
後半~三年生くらいかな。
しかし、最初に読んだ『一寸法師』が、ただでさえ話が怖いのに、
挿絵が怖すぎた……。これが今もトラウマになっています。
閉店後の真っ暗なデパートで、凶悪犯の一寸法師が、追っ手を
やりすごそうと、マネキン人形に手を引かれる子供に扮している
場面が、見開きでばばーんと描かれていました。
この一寸法師は、身長が子供ほどしかない設定で、私は「小人」と
聞くと可愛い系じゃなくて、この「子供の身長の凶悪な大人」の
イメージがあの絵と共に出てきます。今でも「小人」という架空の
生き物全般が超怖いです。
だって、「小人」として身長30センチとかの大人の姿をした
生き物が目の前に出てきたりしたらすっごい不気味で怖いよね。
「少年探偵シリーズ」は片っ端から読み漁る愛読書となりましたが、
私を生涯の小人嫌いにした怖い本でもあります。

この江戸川乱歩のおかげで、私は「推理小説読み」になりました。
私が人生において一番繰り返し読み、一番好きだといえる作品は、
小学校高学年で読んだアガサ・クリスティーの『そして誰もいなく
なった』です。うわ~、一般人。
当時は、自分でもオリジナルの『そして誰もいなくなった』的な
事件のマンガを描いたりもしました。
小学校高学年~中学校時代にはアガサ・クリスティーをとにかく
たくさん読みました。他の海外推理作家も挑戦してみましたが、
クリスティーが一番面白くて、買い漁って読みました。
『鏡は横にひび割れて』は推理ものとしては愚作だと思います。
私のクリスティーベスト3は、以下のようなランキングです。
1『そして誰もいなくなった』
2『ねじれた家』
3『スリーピング・マーダー』
ランキング3位は「マープル最後の事件」です。私はポアロより
マープル派。どっちも好きだけど。
海外ドラマ「名探偵ポワロ」も大好き。デビッド・スーシェの
ポワロと共に「これぞ本人」と言われるジェーン・ヒクソン版の
「ミス・マープル」も好きです。
なお、私はハヤカワ・ミステリ文庫の表記に従って「ポアロ」と
書きますが、ドラマ版はドラマタイトル通り「ポワロ」と書きます。

そうそう、小学3~4年くらいのときは、会議室の掃除当番に
なるたび、その本棚にあった五島勉の『ノストラダムスの大予言』
シリーズを片っ端から読んでいました。掃除しろよ。
私はその後、この本に基づいて1999年7月、または8月18日
には人類が滅びると思って生き続けることになりました。

人生で初めて「本を読んで泣く」という経験をしたのは闘病記。
『珠子十歳のれくいえむ』でした。小学校高学年の時かな。

中学生のとき、母のある習慣に気がつきました。
毎週日曜日、テープに録音しながら、ラジオで『源氏物語』の
授業のようなものを聴いているのです。
当時の私は「大人になったのに、源氏物語の勉強とか(驚)」と
いう感じで、奇異なものを見る思いでした。学校の勉強でも、私は
『徒然草』や『枕草子』のほうが読みやすくて面白く感じてたし。
これが伏線になって、のちに私の趣味が一つ増えます。

高校1年の時、現代文の授業で、担当の先生がクラス全員に
購入させた書籍が岩波新書『ことばと文化』(鈴木孝夫)でした。
専門の新書というものを見るのも初めてで、渋々読んだのですが、
これが私の世界観を形作る書籍となりました。
この本は基本的には「意味論」の本です。
「ものがことばをあらしめるのではなく、ことばがものをあらし
める」というのがこの本のテーマ。この世界は、粒子レベルで
見れば単なる粒々の集まりであり、物理的な法則性はあっても
それじたいに意味があるわけではない。そこを意味づけして
切り取ることで「もの」が存在することになる。その「意味づけ」
をする手段が「言葉」である…
つまり人が認識することで「もの」が生じるし、認識の仕方が
言語や解釈によって変わるのだから「もの」は非常にあいまいな
ものである、世界は元来「ただの粒々の集合体」でしかない…
というのが、私がこの本から教わった、世界に対する認識です。

高校時代、友人たちは銀色夏生の詩集などを読んでいたのですが、
私は斉藤由貴の詩集『運命の女』を愛読していました。
なお中学生の時に買った斉藤由貴写真集『情熱』が人生で初めて
自分で手に入れた写真集です。当時から尻が軽い!

高校時代からその後、長く傾倒したのが阿刀田高と連城三紀彦。
阿刀田高は書店で見つけた『ブラック・ジョーク大全』という
本を買って、ブラックなショートショートから短編小説へと
読み進んでいきました。
読みやすく端的で、しっかり構成されていて、ひねりやオチも
見事に仕組まれていて、作者と読者の見ているものの「ズレ」を
うまく使っていることに心酔しました。
私の理想形としての作品イメージは、長く阿刀田高でした。
ずっとのちに「自分はキレのいい短編は書けないっぽい」という
結論には達したものの、長年、作風に憧れていた作家です。
現在は日本文学界の超重鎮。今も新作が出版されている超大御所
で、最近私は『源氏物語を知っていますか』を読みました。

連城三紀彦はすでに故人です。65歳での死去は惜しまれます。
『恋文』で直木賞を受賞していますが、この人のすごさは、
恋愛小説でもどんでん返しを仕込んだりして、美しい作品にも
エンタメ要素があって非常に読み応えがあることです。
実は連城三紀彦の真骨頂は恋愛小説ではなくて推理小説。
文学、推理、両方に実力のある作家でした。
こちらは母の本棚で『戻り川心中』を見つけてなんとなく読み、
すっかりハマりました。母の蔵書に何冊もあったので読み漁り、
欠けている分は自分で買ってきました。
推理小説なのに世界観が耽美で非常に情緒的。特異で稀有な
作家さんだなあと思いました。「この人みたいになることは
絶対不可能」と思って、まったく影響は受けませんでした。
(阿刀田高みたいになれると思ったわけでもないけど)
1988年の『黄昏のベルリン』で飽きて、以降は読んで
いませんでした。2002年刊の『白光』を久々に読んだ時も、
普通の作家さんになったな~、と思っちゃいました。

私の読書を語るうえで外せないのは、阿刀田高、連城三紀彦、
そして漫画家ではありますが柴田昌弘です。

高校時代は他に相対性理論、量子力学、宇宙論の本をたくさん
読みましたが、結局全然理解できませんでした。
私の高校の「貸出カード」にはこれらの書籍がずらりと並んで、
そこだけ見ると超スーパーインテリな感じ。
実際は数学の試験で100点満点中17点しか取れなかったり
して数学・物理に関しては完全に置いていかれていたのですが。

横溝正史を読み漁ったのは高校~大学時代かな。
『悪魔が来りて笛を吹く』が一番好き。
テレビで横溝正史作品が放送されるとたいがい見ています。

このくらいの時に読んで面白かったのが、母の本棚にあった
『思い出し半笑い』(吉田直哉)というNHKディレクターの
エッセイ集。家にあったのがなくなってしまって悲しい!

大学受験対策として、よくあるのが「『源氏物語』を読む
代わりに、大和和紀の漫画『あさきゆめみし』を読む」という
行為です。が…残念ながら作中の女人の顔が判別できず、挫折。
その時、役に立ったのが母の蔵書でした。
中学の時、母が源氏物語の講義をラジオで聴いていましたが、
実はこれ、私が二十歳を過ぎるまで続いていたのです。
NHKラジオ第2放送「古典講読」の「源氏物語」はなんと
全472回(9年以上)を費やして「桐壺」~「夢浮橋」の
全部を講義したという…。そう、これを全話聴き倒した母は、
源氏物語が超~大好きな人だったのです。
母の蔵書も源氏物語関連がずらり。そこからまず、円地文子の
訳本を読んでみたものの、つまらなくて挫折。
次に読んだのは田辺聖子『私本・源氏物語』。なんとこれが
めちゃくちゃ面白い。いろいろ読んだ今は、この『私本源氏』
はかなり意訳された「読み物」で、訳本とは言えないと知って
いるのですが、このお陰で私も一気に『源氏物語』が大好きに
なりました。
源氏物語の新しい訳本などが出ると母が買ってくるので、
家に入ってくる訳本はたいがい読みました。
母が源氏物語に傾倒したのは父親(つまり私の祖父)の影響で、
笠智衆似の村一番のイケメンにして文学青年だった祖父は
源氏物語研究が好きだったとのこと。
祖父、母、私と、三代続けての源氏物語ファンとなりました。
ストーリーがわかれば『あさきゆめみし』も楽々読破。美麗な
絵がことさら素晴らしく、描いたのが大和和紀でよかった!
なお、私の好きな女人は葵の上。一択です。

大学では、当時親しかった人に島田荘司を教わりました。
デビュー作だという『占星術殺人事件』を借りて読んで衝撃!
そのほかにも数冊借りましたが、以降は自分で片っ端から
購入して読み漁りました。
御手洗潔シリーズは多少エグくても楽しいのですが、吉敷竹史
シリーズは悲惨すぎて心が塞ぐ…でも読んじゃうけど。
昨年、入院中のヒマつぶし用に『リベルタスの寓話』を持って
行ったのは失敗でした。死体の描写が超エグいスプラッタで、
手術を控えた病室で読むものじゃなかった…
今も書店で文庫の新刊をチェックするのは島田荘司くらいだな。
今、『新しい十五匹のネズミのフライ』を読んでいます。

この人にはスティーブン・キングも教わりました。
映画とかによく使われている海外の大衆作家で、自分には
関係ないと思ってたし、とくにキングの作品は「あらすじで
紹介されるとなんかバカ臭い」というものが多いので、自分で
見つけることは決してできなかった作家さんです。
『デッド・ゾーン』がやっぱり一番おもしろいかな。
なお、「あなたには怖すぎるから読むのはやめておいたほうが
いい」と言われた『IT』は今もなお怯えて手が出せません。

それから、横溝正史の『八つ墓村』のいわくの部分が実際の
事件をモデルにしていると教わり、その事件のルポ、『津山
三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(筑波昭)
も読みました。まさかこんな事件が実際にあるなんて…。
オカルト系の「世界で起こった不可思議な事件」的なものを
読むのは子供のころから大好きでしたが、実際の事件を書物で
具体的に読むというのはまた新たな経験でした。

大学時代は、日本三大奇書といわれる『ドグラ・マグラ』も
読みました。確かに前半はぐるぐるしてしんどいですが、後半
というか全体の最後の4分の1くらいは本当に面白かった。

阿刀田高ファンとして、ショートショートの大先輩・星新一も
読んでみましたが、設定だけ書いてストーリーがないような
作品が多く、好きにはなれませんでした。
確かにいろんな設定を考えることじたいはすごいのですが、
阿刀田高の「そこから人間心理に踏み込む」という深みがなく、
物足りなさを感じました。

大学時代一番の思い出の本は『いちご同盟』(三田誠広)。
読みづらさを芸術だと勘違いしている人に小説を書く際の
アドバイスを求められたら、この作品を例に挙げて話します。
「たいへん平易で素直な文体なのに非常に文学的で詩情がある。
変にごてごて飾らなくても美しい文章は書ける」という感じで。

大人になってからは実用書を読むことが増えたな…。
でも、何の実用書を読んだか、ほとんど覚えてない。
あとは、『8時だョ!全員集合伝説』(居作昌果)や『だめだ
こりゃ』(いかりや長介)といった芸能系書籍、『人んちで
充電すんなよ!』(ふかわりょう)などのネタ本…
w-inds.の慶太君や三浦大知のフォトエッセイみたいな
芸能本的なものや、キムタクの写真集、私服のセンスの悪さを
ネタにした「私服だらけの中居正広増刊号~輝いて~」などの
軽~~い本をよく買うようになりました。
さらに、出版社に勤めるようになってから、本当はそれじゃ
ダメなんだけど、とにかく本を読まなくなりました。

最近、仕事上読まなければならなかった本ですごく面白かった
のが『筒井順慶の悩める六月』(中南元信)。
本能寺の変の後、明智と織田両方に縁続きの筒井順慶が身の
処し方を決めかねて右往左往する様子を描いた作品で、歴史
小説がまるでダメな私もクスクス笑って楽しく読めました。

やばい、社会人になってからの読書歴がスカスカすぎる。
一番ハマって読んだのが『イモムシハンドブック』1~3だし。
実物大の写真がずらりと載って、イモムシ好きにはたまらない
逸品だけど、一般の方には閲覧注意って感じ。
最後の最後で「読書歴、とか言ってソレ?」という話になって
恐縮ですが、反省して、もっとなんかマトモな本を読みたいと
思います。薄くて軽い読書歴ですんませんでした!

里崎(と田村)のトークショー

2020-05-05 16:34:43 | プロ野球
元ロッテの正捕手・里崎智也はトークが上手くて、スポーツ
関連の番組をはじめ、各所に引っ張りだこです。
現役選手のときにはディナーショーまでやったという…。
キャッチャーとしても好きだし、野球理論などもいろいろ
共感できる部分が多いので、これまで何度か里崎のトーク
ショー的なものに参加しています。

私は野球選手についてグラウンドの上の結果以外は興味が
ありません。でも、引退した選手が現役時代や野球全般の
ことを語るならそこそこ興味があります。
里崎が「ほろ酔い里崎智也のプロ野球語り呑み」という
トークイベントをやっていて、2017年7月20日(木)
のゲストが元中日・立浪和義だというので、行ってみることに
しました。

中日全然興味ないのになぜ立浪?
実は立浪氏には仕事でまとまった期間、取材する機会が
あったのです。(私はアシスタントみたいなものでしたが)
ネット上でいろいろ言われている立浪氏ですが、実際に
関わってみると、礼儀正しく真面目で紳士で、誤解のしようも
ないくらい立派な人です。
取材させていただく側の配慮として「何か買ってくるものが
ありますか」と問えば、立浪氏は「じゃあレッドブルを…」と
遠慮なく頼んできましたが(そしていつもレッドブル、笑)、
そのくらいしかツッコミようがないくらい、礼儀正しさの
極みのような人でした。
周囲に気を配り、私のような下っ端にも丁寧に対応してくれる、
本当に野球が好きで「良きPL学園の教え」を実践する人…
ですが、唯一、女性がカンチガイしそうな天然ボケをやる人
だな、というのは思いました。本人は全然そんな気ないのに、
女性が「あら?(ドキドキ)」になっちゃうような、ちょっと
ズレた親切をやるなー…って。
とにかく、そうした経験から立浪氏に敬意と親しみがあった
ので、立浪ゲストの時に行くことにしたわけです。
なお、個人的な関わり以外の部分では立浪は敬称略です。
私は野球選手を、神たる斎藤雅樹ですら「斎藤」と言うので。

「ほろ酔い里崎智也のプロ野球語り呑み」は、平日開催ですが
19時開場の20時開演という、会社員向けの時間帯です。
そのへんも里崎がよくわかってくれてるよなー!
定時が一般よりちょっと遅めの私も、定時ダッシュで19時
すぎには会場の渋谷「東京カルチャーカルチャー」に到着
できました。
来ている人の大半が好きなチームのユニフォームやTシャツ
を身に着けている、濃い集会でした。私もロッテのビジター
ユニフォームを着用したうえに、里崎引退時に配られた
里崎の顔写真うちわを持参していたので、濃さで言ったら
かなりのものだと思うけど。
チケット購入時に整理券番号がついていて、その番号で席が
割り振られているので、酒やつまみを注文して席につきます。
お客さんは全部で60人前後ってところかな。
見回して驚いたのは、12球団のファンが集っていること。
ロッテファンだらけとか、今回は立浪だから中日ファンも
まざっているとか、そんなもんだと思っていたら、もちろん
ロッテファンと中日ファンが多いんだけど、12球団全部の
ファンが揃っていました。

時間になると、客席横のカーテンから里崎と立浪が出てきて、
すぐそばを通ってステージの上にあがります。
トークショーでは野球関連の話に終始。ガチの野球ファン
ばかり来ている理由がよくわかります。
立浪の話は、取材時に聞いた逸話などもあって微笑。
また、里崎が「ここだけの話」として球界の暴露話をして
「広まったらもうこういう会ができなくなるから、絶対、
公開しないように」と注意したりするんだけど、実際本当に
そのへんの話が今もってどこを見ても知られていないようで、
そこに集う野球ファンの野球愛と、里崎の「場の加減を計る」
技量を感じる本当に良いトークショーでした。

そして、この場を借りて、私は伏して謝罪をしたいと思います。
この時「立浪さんに関するクイズに全問正解した人には、
僕(里崎)と立浪さんの連名の直筆サイン色紙をプレゼント」
という催しがあったのですが…
クイズの内容、取材の時に聞いた内容がたくさんあったため、
全問正解の10名に私も入ってしまいました…
一種の「関係者」が優位に立つのはずるいよねえ。
もしも最後に「正解者は現時点で11人」などのしかるべき
状況になったら名乗り出て、色紙を辞退しようと思っていたの
ですが…
うまいこと、ピッタリ10人だったので、かえってそういう
余計なことを言い出すとイベントが混乱すると思って、黙って
色紙を有難く受け取ってまいりました。
あの場にいて、色紙がすっごく欲しかった方、本当に申し訳
ありません。色紙、超~大切にするのでご容赦ください。

実は最後に色紙をもらいに前に出た時、立浪が遠目に「なんか
この人見たことある??」という顔で私を見ていたような気が
しました。気のせいかもだけど。
もうこの時は取材から5年以上が経っていたし、取材当時私は
下っ端でしかなかったから、記憶にひっかかることはあっても、
「覚えて」はいなかったでしょう。
さらに、当時の立浪には私が斎藤雅樹の大ファン(つまり
傍目には巨人ファン)と伝わっていたので、この日の「全身
ロッテの服装でロッテOBのイベントに来ている人」という
私が「あの時のあのスタッフ」と気づくことはないでしょう。
それでも、ちょっと「知ってるような?」と思ってくれたん
だといいなー。色紙もらっちゃってほんとにゴメン。
当時、立浪が取材に対して「逆に得意だったのは斎藤雅樹さん
ですね」と答えた瞬間にピーンと表情が張り詰めた私。
同席の部長が笑って「この子、斎藤雅樹の熱狂的ファンなん
ですよ」と言ったら、立浪は妙~にうれしそうな笑顔になって
「それはすみません、よう打たせてもらいました」と答えた…
そんな思い出が去来する、立浪との再会でした。

最後、参加者全員で里崎と立浪を囲んで記念撮影をして終わり。
すっごく楽しかったので、「今度はロッテの選手がゲストの
時にでも、また行こう」と、一緒に行ったダンナと帰り道でも
盛り上がりました。

…というわけで12月21日(木)、同じ会場で開催された、
元ロッテ渡辺俊介がゲストの「ほろ酔い里崎智也のプロ野球語り
呑み」にも行きました。
元ロッテ選手同士のトークショーなので、前回よりは客の
ロッテファン比率が高かったと思いますが、やっぱり他球団の
ファンも多数来ていました。
トークの内容も「ロッテ関係者の内輪受け」になることなく、
客席の常連さんとの「いつも~だよね」みたいな掛け合いも
ちゃんとみんなにわかるように話が振られていて、こういう
ところが里崎の引退後の人気の秘密なんだろうと思いました。
個人的には「久しぶりに俊介見たわ~」としみじみ。
でも、立浪のスマートなかっこよさ、里崎のエネルギッシュさ
に対して、俊介は「枯れた一般人」みたいになっててちょっと
笑っちゃった。まあ、ロッテOBなのに「人前に出るモード」
を維持できる境遇にいられる里崎の才能が特殊なだけだけど。

そしてなんと、その翌々日、12月23日(土・祝)には
「里崎智也×田村龍弘 夢のトークショー」に行きました!
里崎と田村! 新旧背番号22、ロッテの元正捕手と現正捕手!
我が敬愛する者同士の、まさに「夢の」トークショーです。
これは「東京インテリア幕張店」の「東京西川」が開催者。
会場は、はるかかなた「新習志野駅」です。
(まあ、海浜幕張駅の千葉マリンスタジアムに通ってる分際で、
新習志野を「遠い」とか「かなた」とか言うのもナンだけどね)

千葉の客寄せイベントでもあるので、トークショーを見るのは
無料なのですが、「幕張店で東京西川の商品を~~円以上
お買い上げの先着50名様には、2人と一緒に写真を撮った
うえにサイン色紙がもらえる整理券をさしあげます」という
スペシャルな特典が!!!!!
その告知を球団HPかなんかで知った我が家はパニック。
「超~行きたい~、里崎と田村だよ、でも東京インテリアの
幕張店ってどこやねん、知らんわ~」とわめいて暴れる私。
「買い物に行って、整理券もらってくるよ」となだめるダンナ。
「たった50名様なんて、どうせ千葉県民で整理券ソッコー
うまるわ~、東京のロッテファンは虐げられてるんじゃー」と
勝手に悲観してますます荒れる私。
数日後、会社の昼休みにPHSに連絡が入り…
「買うのは枕でいい?」…なんのこと?
「他のものは高くて無理だから、1万〇千円の枕を買うしか
なくて、それだったら整理券が2人分もらえるから」
なんと、ダンナは東京インテリアの西川に電話して「今から
買いに行っても整理券は間に合いますか」と確認したうえ、
たった一人で新習志野に整理券を得るための買い物に行って
くれていたのでした。わけのわからん伴侶のために、ほんとに
いつも可哀そう…。
だが、私はというと、「告知から何日も経ってるのに、まだ
50名の整理券がはけてないなんて、主催者がロッテの選手に
ガッカリしているんじゃなかろうか」なんてことにくよくよ
しはじめるのでした。ほんとに面倒くさい性格だな!

枕1つだけをぶら下げて帰ってきたダンナがゲットしたのは
41番と42番の整理券。もっと後でも間に合ったんか!
それでも、ほんとにほんとに有難く、23日当日を迎えました。
新習志野駅まで2時間前後かかる! 車での来店をメインに
想定してる店だから、駅からも歩くと遠い!
こんな距離を、私のためにダンナは頑張ってくれたのか…
感動にむせびつつ「てゆうかダンナアホか、いやアホは私か」
とツッコミながら会場に到着。整理券を持っている客のために
ずらっとパイプ椅子が並べられている。よしよし…
この日の私は、勤め先が観戦チケット購入特典として私に
与えてくれた「TAMURA22」の青いユニフォームを
着用して、例の里崎うちわを持参。
だが「野球呑み」の時とは違って、ユニフォームを着ている
アホは圧倒的に少ない。「トークショーまではユニフォーム
脱いでたら…」と気まずそうに問いかけるダンナに「嫌だ。」
と堂々と答え、トークショー会場周辺に展示されたロッテの
展示物などを見て時間をつぶしました。

そして、選ばれし整理券持参者がロープの中の席に誘導されて
トークショー開始。
やだ~こんな近くで生田村見るのとか超うれしい~。
しかし、里崎を前にすると田村が「借りてきた猫」だったのが
超おかしかった。球団越しだったのかもしれないけど、
田村「背番号22ください」里崎「もっと打たないとダメ」
なんてやりとりが報道の片隅から窺えて、田村はもっと
図々しいくらい先輩にもいろいろ言える人なのかと思ったら…。
とにかく里崎のワンマンショーにアシスタントの田村が時々
話題を振られるみたいな感じになっちゃって笑った。

しかも、田村が背番号22を襲名したのは2016年オフで、
この2017年12月は、背番号22で1年をプレーした後
だったんだけど、里崎から田村にこんな質問が!
「全然怒ってないから普通に答えてほしいんだけど、あれだけ
22番ほしい~とかください~とか言ってて、なんで去年、
22番つけられることになった時に俺に一言もなかったの?」
…ああ、そりゃ~田村が悪い。ほんとに大失敗。
田村って、わりと人とコミュニケーション取るのマメらしいん
だけど、ほんとになんでこれをやっちゃったんだろう。
里崎は「ほんとに怒ってるとかじゃないんだよ」というのを
わかってもらおうとして明るい口調と笑顔で聞いているん
だけど、田村が凍りついてガッチガチ。
「ほんとに怒ってないから、なんでかな~って興味があるだけ
だから気楽に答えてよ」と問いかける里崎に、いったい田村が
どう答えたのか、それも覚えていないくらいに答えにならない
田村の姿が印象的でした。
田村、舞台裏で土下座して詫びとけよ。
要らないのに背番号が来ちゃっても、その番号を背負った
先輩がビッグな存在だったらそれなりに挨拶するもんだろ。
ましてや、自分が「22」を意味のある番号として、サトの
後釜を襲名したくてアピールしてたんだからな!

そんな爆笑・失笑トークの後は整理券を持ってる人たちだけの
スペシャルタイム!
事前に色紙に書き入れる名前を主催者に訊かれていたんだけど、
説明を受けたり誘導されたりする我々を背に、里崎と田村が
一生懸命受け取る人の名前を色紙に書き込んでいる。
里崎には悪いけど、ここはもう田村をガチ見。
やがて順に案内され、とうとう我々夫婦も壇上へ。
色紙を恭しく受け取り、里崎と握手。「先日の『語り呑み』も
行きました」と言ったら「ありがとう!」と言ってくれました。
田村と握手したときに何を言ったかは全然覚えてない。
大好きな人の前ではいつも真っ白になっちゃうんだよね。
里崎すまん。サトをディスっているわけではない。
そして、左から 田村→私→ダンナ→里崎 という並びで
写真を撮ってもらいました。
私が全身全霊をかけて田村の隣に写ろうと神経を尖らせて
ポジションを取ったことを誰も知らない…か、待機列からも
見て取れたか…どっちでしょうね?

さいわい50枚の整理券は全部はけたようで、椅子は50席
用意されていたんだけど、色紙も多分50枚サインして用意
してあったと思います。最後、これが何枚も余っていた様子が
あって、もったいないな~と思いつつ会場を後にしました。
だってさ、私とダンナで行ったら色紙に入れる名前を連名に
して、もらうのを「2人で1枚」にしないと、なんか申し訳
ないじゃない? そういう夫婦や親子が何組もいたと思う。
そうすると、50枚全部は使われないんだよね。
残ったら、主催者や里崎、田村はガッカリしないだろうか…。
変なところを気にしつつも、「田村と握手した~、一緒に
写真にも写った~」と、半分宙に浮いたまま帰ってゆく私
だったのでした。(本当に里崎すまん、あんたも好きやけん!)

なお、この時の4人で撮った写真ですが…
2018年の年賀状には間に合わなかったので、翌年の年賀状
(の、私一人版)において、トリミングして、田村と私の
ツーショット写真に見せかけて使いました。
ダンナと里崎、切り落としちゃってごめんな。
でも年賀状もらった人も、ロッテ田村とか知らないよね~。

それと、東京西川の1万ウン千円の枕は、私が安らかに毎日
使用しております。ダンナの枕は2千円です。

まあとにかくそんなわけで、プロ野球ファンであるという
ことは、それ以外にも実はいろんな楽しみがあるんですな。
私は基本、球場で試合を見る以外はどうでもいいんだけど…
たまにはこういうイベントに参加してみるのもいいもんだね!