
南極観測隊が昭和基地に到着したことを報じています。ずいぶん小さな記事です。新聞種は「犬が人をかんでもニュースにならないが人が犬をかんだらニュースになる」当然のことはだれも読んでくれないことのたとえですが、南極観測も日常の中ですっかり色あせたのでしょうか。
南極観測の初めての構想は昭和30年、日本が敗戦からやっと立ち直ったごろですがまだまだ貧しく、観測にかける金はありませんでした。多くは手探りでいろいろな会社に寄付を募ったようです。観測のための建物もバラして持って行ってほとんど素人の観測隊員が組み立てられるものを求められました。、このことに飛びついたのが現在の「ミサワホーム」ベニヤ板で作り軽く保温性に優れた建物を模索し何とか出発までに作り寄付しました。極寒でバッテリーは機能しません松下電器が研究を始めました。
色々あります。オイルが凍って動かない雪上車、食べ物の保管。・・・・日本中の技術を結集して供給しました。もちろんすべて無償です。
これらの会社が今の日本の基礎を作っているのは周知の事実です。経営者の先を読み、何をすべきなのかが見られる気がします。
ちなみに私は当時小学6年生、一番支援していたのは朝日新聞でした。今でも朝日新聞の記者は越冬隊に参加して南極支局を開設しています。
寒い朝です。
南極観測の初めての構想は昭和30年、日本が敗戦からやっと立ち直ったごろですがまだまだ貧しく、観測にかける金はありませんでした。多くは手探りでいろいろな会社に寄付を募ったようです。観測のための建物もバラして持って行ってほとんど素人の観測隊員が組み立てられるものを求められました。、このことに飛びついたのが現在の「ミサワホーム」ベニヤ板で作り軽く保温性に優れた建物を模索し何とか出発までに作り寄付しました。極寒でバッテリーは機能しません松下電器が研究を始めました。
色々あります。オイルが凍って動かない雪上車、食べ物の保管。・・・・日本中の技術を結集して供給しました。もちろんすべて無償です。
これらの会社が今の日本の基礎を作っているのは周知の事実です。経営者の先を読み、何をすべきなのかが見られる気がします。
ちなみに私は当時小学6年生、一番支援していたのは朝日新聞でした。今でも朝日新聞の記者は越冬隊に参加して南極支局を開設しています。
寒い朝です。