カルトvsオタクのハルマゲドン/虚業BLOG

オタクと政治に関するBLOG

1999年2月1日から2月10日

2012年03月27日 00時42分09秒 | Weblog
2月10日(水)

 東京都知事選、民主党からは邦夫ちゃんが出る。げんなり。自分のことを「少年のような心」とか言っている。「少年のような」とは他者の幼児性を好ましいものとして表現する言葉だ。なるほど邦夫ちゃんの単純な気性は彼の幼児性から導かれるのだろう。鳩山由紀夫がさきがけを出て新党を作りたい旨言い出したとき、菅直人がそれに合流したのは、鳩山氏の能力に期待したわけではなく、鳩山氏の財力が期待できるものだったからだ。
  私は司馬遼の「項羽と劉邦」が好きで何回も読んでいるけど、劉邦も大富豪の呂一族と姻戚関係を結んだことで、漢土制覇の財政的基盤ができた。その後の中国史は建国を劉邦の故事に倣っている。なるほど財力はそのために必要なんだな、と、子どもの言うようなことを恥ずかしげもなく書き置く。午前4時半。

 実家へ。待ち合わせ時間間違える。設計士と打ち合わせ。ひとの足元が見えるととても寒々しい。設計士と、うちの親と、両者の先入観がどれだけ異なるかその溝の埋め合わせをする。ぐったり。
 みいちゃんには会えず。
 ポップの試し刷りをクライアントへ渡す。
 田舎にいる間だけ方言と共通語のバイリンガルになっていることに、田舎の駅で気づく。カタカナで書くと外国語風に一見錯覚するかな、などと莫迦なこと考える。架空の外国描くとき利用しない手はないな、と思う。夢想だけしているバルビバニ国もし描く機会あったら人名にでも使おう。と、夢想をここにメモしとこ。

 

2月9日(火)

 BBSの返信書きながら、漫画とは思索なのだ、と考えがまとまる。以下、拙いおもいつき。
 「芸術は理屈ではない」と俗に言われるが、それは芸術が論理より感性を重んじるからであって、思索でない芸術「も」存在する、と言うほうがおそらく正確なのだ。
 より正確に言うなら、創作家自身の意識に上らない論理(あるいはいまだ言語化されていない論理)に基づく芸術「も」ある、が、論理に基づかない(でたらめな)芸術は存在しない。
 我がものとなっていない思考思想を、(仮想の)教師の目の色を覗くように「思索ぶった」作品を描いたとしたら、それはたしかに芸術ではない。だがそれ以前に思索ですらない。
 良質の思索を表現する手段として、哲学があり、科学があり、芸術があり、小説があり、映画があり、漫画があるのだ。
 「漫画は芸術ではない」と俗に言われるが、この場合の「芸術」は「権威的なもの」の言い換えに他ならない。「権威の」ではない。
 「漫画は商業活動だから芸術ではない」という解釈をする者もいるが、近代社会において商業活動に馴染まない(耐えない)芸術は非常に数少ない。実在するかどうかすら私は知らない。乱暴に言えば商業的価値すらない芸術など論理矛盾である。
 芸術ARTとは工芸する技術を指す。商業的には商業的要請を満たすことのみが(漫画を含めた)工芸商品製作者に求められることだが、そこで求められている商業的要請の水準を超えた生産品を「芸術」と呼ぶ、そういう語の用い方が一般になされている。そして芸術の機能は自己表現である。自己とは内面化した世界である。以上恥知らずなたわごと。
 夜郎自大日記に錨(アンカー)つける。午前7時。

 午後7時起きる。「鎌やん、生活、もとに戻った」と、曽さんから皮肉言われる。とほほ。
 コンピュータ、tommiさんに看てもらうまで諦めないとダメっぽい。明日ポップのクライアントに渡したかったのだけど。
 朝書いた(夜郎自大日記の)文を読んで自分でげんなりする。何を書いているんだか。消すのは恥をかかないという意味で賢明な選択の一つだけど、敢えて愚行侵すのも試行錯誤の一つだろうから、消さないで残しておこ。
 ここ数日、時間を建設的に使っていない。  

2月8日(月) 田舎自慢

 二人とも就寝。私はコンピュータさまと相談中。あかん。自身の非力のみ知る。午前8時30分。

 エナジートロンにかからないのであまり疲労回復しない。ディグさんから電話。いつきさんが受け取り、ゲームしに出かける。
 午後3時半頃もぞもぞと私は起きる。
 ご飯どうしよう、いつ二人戻って来るんだろう、見捨てられちゃったのかな、などと足立真一さんと莫迦話をする。空腹になってきたので一応食い物買い出しに行く。戻ると丁度二人の姿が。中野まんだらけへ行っていたそうな。インドカレー屋さんへ。
 足立真一さんは田舎の苦労を知らない、と、3人でいかに田舎に生活することがしんどいか自慢しあう。
 夜8時をすぎたらもうどこにも明かりがないんだ、足元だって見えない、とか。本屋へ行くには一時間に一本しかないバスに乗って行かなくちゃならないんだ、いやうちの田舎は二時間に一本だ、とか。本屋が歩いていける距離にあるのは贅沢だ、小学生のときは校則で電車に乗っちゃいけないことになっているから、小学生が本買うのはすごく大変なんだ、とか。中学生の頃アニメ雑誌を買うのにどれだけ苦労したことか。いや、うちの田舎にはそもそもアニメ雑誌なんてどこにも置いてなかった、とか。コンビニに行くのにどれだけ苦労するか、うちは車でなくちゃ行けない距離だ、いや、うちは車で40分かかる、とか。テレビからは東京の情報が流れて来るからなんとなく田舎にいても自分は東京の人間とそんなに変わらない生活しているかのような錯覚しているんだが、いざ東京に住んでみると感覚が全然違うんだ、とか。足立さんはもっと田舎の生活というものを知る必要がある、とか。いやそれ以前に俺たちは東京の生活を知る必要がある、渋谷とか俺たち全然知らないじゃないか、とか。
 曽さん仕事から帰ってくる。インターネット覗いた後3人は帰宅。

 
2月7日(日) ペドな自己矛盾

 メモリが足りない。らしい。コンピュータさまが働いてくださらない。ディグさんにillustratorで色々していただくが、photoshopに開けない。あかん。ポップ作成、完全に中断。ディグさん午前5時頃就寝。その後5時間ほどコンピュータさまの中身を眠気をこらえて色々探るが自分の非力を思い知る。1時間くらいでできる作業だと思っていたのは大甘。
 夕方約束があったので、朝10時ころ一旦寝て、3時半頃起きる。池袋GIGOへ。
 よさこい野郎さんと久々会う。他、足立真一さんといつきこうすけさん。ゲームを教えてもらったり、歌ったり、親好を深める。夜11時30分解散。
 いつきさん、私の部屋の近所のインドカレー屋に行ったことがない、と言う。足立真一さんといつきさん、私の部屋にお泊まりに。いつきさんは来訪二回目、だそうな。失礼ながら初回の記憶が希薄。初回はワタワタした来訪だったらしい。
 エロ本とエロ画像とエロビデオでもてなす。
 ロリコンである自身がロリコンというものを最も嫌うというのは、これは欺瞞なのだろうかどうなのだろうか、とか、ペドファイルの非道を訴えるためには猟銃もって小学校襲って少女やり倒して「俺は全存在を賭けて世に訴える、ペドに極刑を!」とお前やれ、俺は嫌だ、とか、あと二三作「学校占領」ネタで誰かがエロマンガ描けば「学校占領」ジャンルが生まれるな、とか、小学校占領にしろ高速道路監禁にしろ実際やるやつ出たらどうすんだ、とか、犯罪「する」機会は誰にでもあるけど犯罪を「実行する」のはまた別な話だ、とか、犯罪行為をすることによっていったい人間は何を得ようとするのか、とか、変態は外見では分からないから姪を大切に思うならくれぐれも他人を信用しないよう妹によくよく言い聞かせている、特に教師と小児科医は信用したらいけない、とか、安心できない時代になってしまったなあ、とか、安心できないのは時代ではなくてお前なんちゃうんか、とか、深刻な話と莫迦な話をする。

 ところで近頃の私は人付き合いに細やかな配慮を欠いている。・・・反省するべき。とくに、大事にしたい何人かには。

 
2月6日(土)

 非建設的に過ごす。深夜、ディグさんに来ていただく。ポップ作成の仕上げを手伝っていただく。

2月5日(金)

 HPに同人誌の記録をアップしたり、非生産的に過ごす。机で、コトリと落ちるように眠ってしまい、気づくと全身痺れている。布団に寝直す。不健康。

2月4日(木) 

 起床すると、曽さんは既に仕事へ。
 ポップ描きするのにコンピュータさまのお力を拝借しようと考える。Illusutratorの解説書求めて、新刊本屋3軒古本屋2軒巡る。今まで解説書も見んと使用としてたんかわしは。
 ついでにHPの表紙の絵も新しくしてみる。
 絵をスキャンしようと思ったら、ドライバがないとかコンピュータさまが仰せになられる。うそお。コンピュータさまが確認せよと仰せになられたとこ確認しようとするけどよくわからないのでインターネットからドライバ持ってこようと繋げ、自分の夜食にトーストをオーブンで焼いていると、ぶつんと真っ暗闇に。ブレーカが落ちた。ぎゃあ。なぜかその後は問題なくスキャンできた。描いた。アップ。

 
2月3日(水) 節分

 午後8時起床。豆まきもせず。
 思うと、子どもの頃、「鬼は外、福は内」と言うのが嫌だった。「鬼」「福」の概念が納得できなかった。「福」を父母にとって望ましい平穏だとするなら、そんな平穏は私にとっては望ましくないものだったからだ。「自分にとって」何が望ましく、「自分にとって」どういう未来が望ましく、その未来を建設するために自身に何ができるのか、というのが多少なりとも得心できるようになったのは、ついここ数年のこと。

2月2日(火) 「だよね」、外国人居留サービス、曽さんの打ち合わせ

 徹夜な状態で、建築設計士さんのとこへ。昔、石森プロのあったトコのすぐ近く。
 設計の打ち合わせした後、だらだらととりとめのない話を。私たちの世代は、「だよね」といえる共通の基盤がない、という話題とか。
 共通の基盤がない状態には人間は耐えられないから、「だよね」と(一応)言いあえる小さな集団を作り、その中に閉塞していく。この、おのおのの小さな集団同士の間では、「だよね」は互いに全く通じない。「だよね」と言える場所は文化が作っていた。現在は互いに異なる文化を生きている。
 父の世代は家父長制を全く自明な前提としている。私の世代には家父長制は悪でしかない。異なる文化を生きるものからは、他者の「自分にとって都合のいい考え方」がよく見える。そしてそれは彼以外の他者にとって耐え難く不快なものである。だが当人はそのことに無自覚である。地元の人間とよりも、香港で生まれ育ったオタクとのほうが文化の断絶がずっと少ない。とか。そんな話。

 ちょっと時間があったので、大学のサークルへ。四年生がいたが、さすがに顔がもうよくわからない。ノートを見ると懐かしい名前があった。昔、合宿のとき、戯れなディベートでこき下ろす側に立ったことを、私は今も反省している。ごめんなさい、水野さん。

 曽さんの付き添いでS社に。私のほうが先に着く。
 書類取りに大手町の合同庁舎の外国人居留サービスセンターへ行く。こういう経験は珍しいものだろうな、と、思う。 雨の浮船さんに示唆されたのだが、韓国系日本人、といった言い方をしないのは日本の後進性だな、とも思う。サービスセンター内、案外、人がいる。不機嫌そうなおばさんが一人で対応している。たった一枚の書類、というか書式要項の書いてある紙片を取りに来ただけだが、おばさんは別の外国人とやりとりしている。その紙片を、おばさんの座る机のカウンターにあるのを発見した。とろうとする。おばさんが不快そうに、「勝手なことするな、この野蛮人が、貴様なにしに日本なんか来たんだ、日本じゃ日本のルール守れ、このボケ」という態度でそれをとどめる。おとなしく順番を待つ。順番待ったあと紙片一枚だけもらって部屋を出る。おのれ日本人め。

 曽さんの漫画の打ち合わせにつきあう。二時間ほど編集さんとのやりとり。編集さんに用ができたので一時間ほど外に出て、食事する。曽さんにおごっていただく。日記つけるようになってから気づいたけど、わし、近頃人からおごってもらってばっかりだ。恩を送っていただいているのだろう。ありがたいありがたい。いずれ私も人に恩を送らなくては。食事しながら曽さんとオチについて意見交換。
 再びS社へ。キャラクターの人間性の掘り下げと動機付けの妥当性が読者の興味共感を喚起する、という編集さんの意見。全く合意する。そのことができるできないはまた別な話だけれど。正直言って、こんなにこの編集氏と意見があったのは初めて。編集氏の曽さんへの理解が深まったことと、曽さんの今回のネームの弱点がわりあいはっきりしていたためかな? 
 曽さんは週に5日泊まり込みで仕事していながらネーム提出している。偉い。私はそれに比べてなんてダメチンだろうか。 

 曽さんと別れ、マンガ防衛同盟の集会で、池袋へ。青山さんがいたおかげで、ためになる話を聞く。土谷くんから、ダメになる話も聞く。

 帰宅後、森見明日さんから電話。ヤングキングアワーズ表紙のこと、おめでとうと言う。中国人女性の名前の案を相談される。曽さんに訊き、答える。森見さんはまさに成功しつつある。
 他者の成功を祝うのは気持ちいい。自分がなんの努力もしていないのにまるで自分が成功したかのような錯覚を、あるいは自分の力で他者を成功させたかのような錯覚を覚えることができるからだ。
 だが、だからこそ、まず自身が成功しなくてはならない。とつくづく思う。

 
2月1日(月) 曽さんのネームを訳す

 お洗濯。
 ポップの絵を描く。没。もう一枚書く。
 曽さんの原稿の翻訳作業開始。私は広東語を知らない。曽さんと相談しながらネームを決定していく。曽さんの原稿のネームを日本語に直す作業は、えーと、5回目かな。曽さんの日本語が達者になったのと、こっちが慣れたので、今までに比べるとわりと順調に。しかしながら、翌朝までかかる。
 曽さんの漫画のネームを、私以外の、広東語の専門家が翻訳したことが、何回かあった。それを見せてもらったことがあった。日本語としては、まあ、正確だった。元の広東語をきっちり翻訳していた。
 ところで中国語は日本語に比べ短い文章の中に多くのものを入れることができる。四文字あれば主語・述語動詞・補語・目的語が収まる。日本語では同じ文字数に入れることができるのは、せいぜい述語だけだ。したがって、正確に訳すほど、喋り言葉としては妙な日本語、漫画のネームではない日本語になっていく。
 小説を翻訳できるのは、文章力がない語学力のある人間では、ない。語学のできる文章家が、翻訳家だ。と、いう話だ。漫画のネームでも、たぶん同じことが言える。 

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