カルトvsオタクのハルマゲドン/虚業BLOG

オタクと政治に関するBLOG

1999年2月11日から2月20日

2012年03月27日 00時42分48秒 | Weblog
2月20日(土) 永山さんに会う

 曽さん仕事へ。
 Illustratorいじくる。わかんなくってディグさんに来ていただき教えてもらう。前にtommiさんに教えていただいたとこがわからなず、作業が完全にストップする。発狂しそうになってtommiさんに電話する。通じない。
 永山薫さんから電話。唐沢俊一氏のロフト、観に来てみませんか、とのお誘い。足立真一さん風邪だというのを私が無理矢理呼び出す。
 出かける間際、tommiさんから電話いただく。疑問の箇所を教えていただく。ありがとうございます。
 足立真一さんと待ち合わせ。足立真一さん体調が崩れ辛そう。長電話の後で体調崩れたそうな。ごめん。
 松沢呉一さん、伊藤剛さん、山崎一幸さん(メールマガジンradica)にお会いする。
「あら。俺、すっかり『永山一派』ですね。永山さんのおっしゃってた『全方位外交』を心がけてたのに。」
「全然全方位外交になってないよ」と、永山さんから諭される。そうだったか。
 山崎一幸さんから、notのみで組み立てるプログラムの話を教えていただく。「~ではない」という指令のみで論理を組み立てると、機械内部では簡単で単純になる。外からはよくわからないものとなる。(閉塞的)オタクの思考法との共通点が感じられる。
 私と足立真一さん両者へ、もっと仕事しなさい、と永山薫さんから忠告される。ごもっともでございます。作品でもって読者をねじ伏せていないという事実に対して謙虚にならなくては。現在の美少女漫画業界は、三流エロ劇画の末期に似ている、という話を伺う。そうなのか。なら、あのときと同じく、たぶんそう遠くないうちに劇的に流れが変わるのだろう、と私は予想する。漫画業界には余裕がなくなっている。漫画家はこの厳しい状況で生き残りを真剣に考えなくてはならない。という話題。どういう作家が生き残るか、という想定では、たぶん永山さんと私の想定は異なる。「自分だけは絶対生き残る」という、ここだけは、私は自分にとって都合のいい思考を捨てない。これが単なる欺瞞に終わりませんように。
 松沢呉一さんから、ガロについて面白い話を伺う。
 駅へ行くと、終電が終わっていた。あちゃ。足立真一さんと「つぼ八」へ。力とはなんだろうか、知名度は力だ、といった話をする。絵の勉強をちゃんとはじめます、と足立真一さんに誓う。足立真一さん、ズタズタな体調でお帰りになる。お疲れさまです。

 作品描くことに力回すべく、HPはほったらかしか、閉鎖にするのが吉かな、と思う。とりあえずこーゆー公開の日記に本当のことを書く必要も義理も、誰に対してもないということだけ記して自戒しとこ。

 

2月19日(金) 長電話7時間

 足立真一さんから電話。7時間ほど話す。いくつも着想をいただく。
 男の描く女の子は、つまるところ自分の内面の女性像だし、少女は性の未分化な内面の子どもなのだろう、と言ってみる。「ああ、なるほど」と足立真一さん妙な得心の仕方する。私の内面が想像できたそうな。
「どんなことがわかったの?」と恐る恐る訊いてみる。
「鎌やんさんは、本当は他者に優しい人じゃないでしょう。優しくしよう優しくしようとして優しくしているでしょう」
 そ、そうだったのか。自分のこと、ひょっとしたら根の優しい人間かもしれないと思っていたのに(笑)。

 

2月18日(木) こみくら10、勝者

 キャッチホン機能が正しく機能していない。NTTのせいではなくて私のせいらしい。ターミナルアダプタの取説見つからない。

 COMICアリスくらぶ10号届く。もりしげさんの漫画が久しぶりに載っている。町田ひらく先生はカバーに名はあるけど載っていないようだ。町田ひらく先生を天才と認めるにやぶさかでない理由の一つはその生産量にもあるのだけど、珍しく落とされたのだろうか。天才も人なり。タカハシマコ先生の漫画はいつも痛くていい。聞くところではやおいの世界の巨匠だそうな。
 町田ひらく先生の「ALICE BLAND」とすえひろがり先生の「タイムマシン」とその他雑誌含め数册本を編集さんからいただく。・・・こんなに編集さんに本頼んどいたかな? あ、チョコも入ってた。あれ、手紙があるぞ。手紙には、コアから私のコミックス出るかもという話が潰れた、とある。がく。そうか。編集さん気を遣ってくださったのか。コアの営業を説得できるよう説得力を自分で演出しないとなあ。どうやら法案の行方などで営業さんがびびっているらしい。
 そうか。児童ポルノ法案は人ごとじゃないんだよな、まったくもって自分の生活に直結してたんだな、と、莫迦なこと思う。自分一人のため、とだけ考えて動けるほど人間は強くない。大義に殉じているんだと思わなければ日々を生きるのだって辛すぎる。そして心底そう信じることができるときにたぶん人間は充実する。充実を求めてカルトの餌食になったりもするわけですが。事象において利己的な行動に限って人間は自身の心に対しそれを利他的行動であると言いくるめようとする。今回の場合、自身の心に対して説得力持たせるために「法案をネタにして金儲けしたろ」という行動から最も遠い行動を自分に対してさせているのだろう。そういう意識に無自覚であるほうがおそらくそういう行動がとりやすい。
 法案のことでしなくちゃならないこと、しばらくほったらかしにしていたのだが、連絡するべきとこに連絡してみる。自分がしなくちゃならなかったことは、自分抜きにどうにかなっているっぽい。そのことは自分にとっていいことではきっとないだろうけど。

 私は麻雀が弱い。自分の手の内にばかり夢中になり、周りを見ないからだ。そしてそれ以上に、強気になるべきときに強気にならないからだ。負けることが何より嫌いなのに、勝つことにはやましさばかり感じるからだ。勝つ人間は、勝つことになんの心の痛みも感じないよう自身を訓練づけた人間なのかもしれない。
 勝者の概念が私は誤っているのかもしれない、と、思い直す。どう自分は思いこんでいるのか。勝者は一人である。勝者は孤独である。私はこの孤独が怖いのかもしれない。たった一人である存在は、やっかみの的である。たった一人である存在に対しては、無名な群衆ではないという理由によって、脅威を感じない無名な群衆に彼を変えようと、彼以外の群衆は、執拗に、入れ替わり立ち替わり画策し続ける。
 しかしこの自分の思いこみは改変するべきだ。勝者は孤独だが、勝者は複数いる。孤独に耐えた者同士だけが真の連帯を知る。したがって、その連帯を求めるためにこそ、勝者にならなくてはならない。孤独な勝者だけが孤独ではないのだ。
 以上、畳の水練。 

 

2月17日(水)

 非建設的に過ごす。

 

2月16日(火) 自分語

 某方言をHPの目次に試みに用いてみる。他者に用いているのか自身に用いているのか誤解被りそうな説明文になってしまった。なかなかむずかしい。

 曽さんの原稿少し訳し、S社へ。
 打ち合わせのあとで曽さんが愚痴る。
「編集さんの言ってる内容は俺、理解できるのに、内容が理解できていないと思われる。そうじゃない、言葉がなに言ってるのかわからないんだ。俺、日本語の名詞よくわからないんだ。もっと簡単な言いかたしてくれれば俺わかるのに。
 これ、仕事場でも同じだ。『サカヤを描け』って言われても、俺、何言われているのかわからない。『サケを売っている店を描け』って言ってくれれば、俺、わかるのに」
 曽さんの語学力はそうとう上がっているが、それでも日本人の小学6年生くらいの語彙しか持っていない。漢字の熟語は、広東語と日本語では発音が全く違う。広東語の音は日本になく、日本語の音は広東語にはない。私たちは漢字熟語を耳で聞いたとき、その音を自分の知る発音として拾い、それを脳裏で文字化視覚化し、意味を同定する。文字で書けばすぐに理解できるが、その漢字熟語を耳で拾うことは、彼にはできない。
 日本人同士であっても、ひとは、「自分語」を話し、互いに「自分語」を自分の脳裏の辞書で訳しあってコミュニケーションしている。突っ込んだ話をする相手に恵まれていなかったり、人格が未熟だったり、交流する関係ではなく服従させる関係しか経験していなかったりすると、日本語を習得せず「自分語」だけですませている人というのは、案外多い。
「子どもや外国人と話すると、その人がほんとに頭いいのかどうかわかるよね。難しい言葉をただ言葉としてだけ覚えている人は、別な言葉で同じことを言うことができない。自分が言っている内容がわかっていない人は、『自分語』が通じないと、『自分自身がろくすっぽ理解できていないのだ』とか『自分の説明する能力が弱いんだ』と想像することを拒否して、『相手が莫迦だ』という結論に飛びつきたがる」
曽さんが聞き違える。「頭弱い人?」
「そうだね、頭いい人か頭弱い人かわかるね」

 

2月15日(月) もののけメイキングビデオ

 コミケ申込書郵送。サークルカットは時間との闘いに敗れる。受かりますように。
 曽さんの原稿訳す。意見交換。曽さん、今日編集部に持っていく予定を、明日に延ばす。
 肩から首にかけて痛みが走る。寝違えに近い状態に。久しぶりに接骨院へ行き、低周波治療してもらう。
 曽さんから焼き肉おごっていただく。

 ジブリのもののけメイキングビデオ第2集レンタルして観る。ディグさんから「NEWTYPE」見せていただく。ターンAガンダムと映画版ウテナとガメラ3の記事を読む。なるほど、これが噂のシド・ミード・ガンダム。

 ジブリのビデオで、「もののけ」の(宮崎アニメらしからぬ)残酷シーンを宣伝のさい、あえて前面に出した、という戦略が明かされる。(短期的に)作品にとってマイナスに見えるような記事こそ、記者は喜んで飛びつく。そういう記事が、ある程度の時間の中で語られるうち、プラスに転じるのだ、とのこと。
「そうか!」とディグさんと得心する。「シド・ミードデザインのガンダムを宣伝の前面に出している理由はそれか」

 宮崎駿への評価はディグさんと私はほぼ一致する。彼は現在存命する数少ない本物の巨匠だ。
 高畑勲への評価はだいぶ異なる。「蛍の墓」の評価で、いつものことだが、意見が分かれる。
 私が言う。「高畑は観念を転がす作家だ。俺はそこが嫌いなんだ。視聴者がアニメに求めるのは転がされた観念自体ではない。アニメの動きそのものだ。観念は動き自体で語らなくちゃダメなんだ」力説しながらいつも自分がやっていることがまるでその逆であることに気づかされる。そのことも私が高畑を評価したくない理由の一つだ。
「主人公がなんら建設的なことをしていないところがダメだ」と言葉を続ける。
「主人公がけなげに最大限の努力をして、それでも悲劇的結末を向かえなくちゃ納得もできないし共感もできない。高畑は甘いんだ」
「主人公はたしかに何も建設的なことができていないけど、それは彼が子どもだからじゃないですか。普通の子どもが戦争という極限状態に置かれたら、だれだってろくなことができない、妹と二人きりで暮らそうなんて莫迦な夢想を、子どもらしい夢想を考える、戦争というものはそれすらも許さない、そこが共感できるしいいところなんじゃないですか」と、ディグさん。
「戦争が極限状態だと言ったって、醜いエゴイズムが露呈されるのは、別に戦争状態だけに限らない。現代にだってある。『戦争』を『醜いエゴそのもの』として捉えるならば、あの映画が現代で作られたからには、現在今ここで直面するだろうエゴイズムに通じるものがあの作品の中で、具体的に語られなくてはならない。そうでなければ現代に作られた意味がない。過去のある時期をけなしているにすぎない。あるいは憐憫しているにすぎない。だとしたら情緒に流されたにすぎず、本来作品が訴えるべきであった、あるいは作者が転がしたはずの観念は視聴者に届かないことになるはずだ。
 なるほど、ディグさんの読み方は意義深い。俺にはそういう読み方はできなかった。ディグさんがその捉え方を用いて自覚的に作品を作ったなら、それはいいものになるだろう。だけど俺にはあの作品がディグさんが読みとったほど自覚的であるとは思えない。これは、俺が冷たい見方をしすぎているのかもしれないし、ディグさんが俺より作品に対して好意的に観ているせいかもしれないけど」と自分に都合良く記憶している幼少期への怨恨を込めて私は力説する。
「どうしてそんなに『蛍の墓』が嫌いなんですか?」
「人間のエゴイズムの醜さは、あんなもんじゃない」
「ほんとに人間が嫌いなんですね」

 

2月14日(日) コミティア

 眠らないままコミティアへ。毬藻公司さんのお隣だと、着いてからわかる。色々ご迷惑おかけしました。
 コミティアでは「新筋肉番長」入手できたのが嬉しい。あと、すすき野さん、MDGさん他と同人誌交換させていただきました。
 手伝ってくださると言っていたディグさんの到着が遅れる。眠さと空腹で気が遠くなり人の声が聞こえなくなり反応応対できないことしばしば。失礼しました。
 お客さんで、励みになった、といった旨をおっしゃってくださったかたがいらっしゃったのは、こちらこそ励みになりました。
 ディグさんが来てくださったので、店番から離れ、初めてTRCの食堂施設でご飯食べる。ハズレ。
 コミティア終了後、ディグさんよさこいさんとTRC近くの水族館覗く。こんなとこに水族館あったと知らなかった。こういう施設はできる限り利用するべきだと思っていたのでいい機会だった。水族館でペンギンを見る。水の妖精クリオネの食事するシーンのビデオ見る。なるほど、「クリオネの食事シーンはおっかない」と聞いていたけど、これは怖い。カールビンソンのチカちゃんそのまんま。クリオネは貝の仲間だと知る。
 タイ料理で栄養補給して二人と別れる。
 曽さんサッカーに行っていて不在。家についてすぐ寝る。

 

2月13日(土)

 Illustratorいじくったり、tommiさんにいじりかた教えていただいたりする。
 よさこいさんから電話もらう。コミティアには行きます。

 中国史の夜郎の資料見つける。夜郎はオアシス国家でなく中原から見て南西、蜀(四川)の上流とわかる。時代は漢の武帝の頃。紀元前1世紀くらい。後で日記、書き直しておこう。

 曽さんの原稿を訳す。意見交換。
 コミケ申込書のカット描き。うまくいかない。

 

2月12日(金)

 tommiさんにつきあっていただいてHDD購入。コンピュータさまの改造していただく。

 

2月11日(木)

 非建設的に過ごす。
 曽さんが言うには、香港ではバレンタンデーは男が女性に贈りものするそうだ。
「花とか贈るわけ?」と私が訊く。
「そう。日本はいいなあ。日本と香港とやっぱ全然違う」と、曽さん。
「日本では、最初にチョコレートの会社が『バレンタインデーは女の人が男の人にチョコを贈る日だ』、って広めたからね」などと知ったかぶる。
曽さんが続けて訊ねる。「じゃあ、クリスマスと同じでこの日はホテルがいっぱいになるのか?」
「クリスマスほどじゃないけど、まあ、多少はあるんじゃない?」と知ったかぶる。
「いいなあ、日本は何でもセックスだな」
どうも誤った日本像を植えつつある。
 曽さん、財布を落とす。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿