2003/07/04 (金) (´ー`)y-~
軆の芯が突っ張る。
ここ一週間以上、ひょっとしたら二週間くらい、毎日鍼を打っている。鍼を打つ前よりは回復しているが。
…更年期障害かな?
2003/07/06 (日) (;´Д`)
鬱モードが来た。しばらく動けない。
2003/07/08 (火) 。・゜・(つД`)・゜・。
12日のライブ行きてぇ… …タイミング悪りぃ…
2003/07/10 (木) (;´Д`)
人格形成期にモデルを持てないのは不幸だ。
Y先生の合宿に先週ウチを薦めてみる。今日授業中ものすげえ全身硬直して5時間硬直がとれず。そりゃ実家とうまくいってりゃオレの人生全然違ったわけだし。だがそういう基本的なことを忘却しているから四六時中の硬直状態から解放されているわけだし。
思い出した途端肩から内臓にかけ、硬直。
Y先生御免。
で、ウチに電話したとき、妹にちゃんと祝いを言わないオレはそうとうに人間として大事なものを失っている。
2003/07/11 (金) (;´Д`)y-~
午後4時頃起床。
プレスセンターのイベントへ。
その後、予備校へ。
電池切れで、テープ録音できず。
2003/07/12 (土) (;´Д`)y-~
ヒゲを剃った後、朝9時くらいに就寝。
午後3時半起床。
実家へ。
午後7時頃着。
午後7時半、妹2号を交え、夕食。
午後8時半頃、チヅカ従姉来る。
午後9時頃、スーツの不備を指摘される。式用のスーツ発見。
ワイシャツが汚れていること発見。ブリーチに漬けるが、イマイチ。
一応これを持っていき、当日新しいの買えたら買うことにする。
午後10時半頃、導眠剤呑んで就寝。眠れない。
午前一時半頃、空腹を覚え、厨房に行くが、ろくな食べ物発見できず。古いご飯に塩辛と古い漬物で、2杯食べ、就寝。
2003/07/13 (日) 妹2号の結婚
妹2号が結婚。
朝、妹2号は先に横浜へ。
私ら親族は、貸し切りバスで向かう。父は元気がない。
9時半頃横浜着。ワイシャツを購入する。着替える。結婚式に参列。
披露宴。
涙数行下る。複雑な思い。
田舎で親族で集って二次会するということだが、私は直接下宿へ。
親戚たちから、桜茶をまたすぐ呑みたいと言われる。
下宿への道すがら、親族二次会に参加するべきだったかなあ、と、思いが交錯する。身上を家族以外の親戚も混ぜて語るにはいい機会だったなあ、と、自分のことばかり考える。私は家族縁が薄いようだ。家族とは対話が成立しない。婚姻どころか今私は仕事すらしていないじゃないか、とか、なぜそういうことに私がなっているのかというと、とか。
ムラ社会では、「世界観」「世界知識」脳内の構成人員情報が、かなり重なる。都市社会では重なるのはごくごく一部分だ。この世界イメージのズレ。
私の祖父は借金してはならない時期に借金し、祖父は私の父へ借金すべき時期に借金を禁じた。
父にとって「世界」は、商売や経済や法律は、「判らない」「嫌で嫌で堪らんがやらねばならないこと」だ。私は父母の世界イメージの中の「判らない」の部分に無自覚なまま世界イメージを受容した。ここに不幸がある。妹たちは偶然、公務員資格をカバーする学部へ進学した。私は教員以外の資格をカバーしない学部に、そうとは知らず進学した。
とかいったことが脳内を走る。
帰宅。
ミーティングに参加する。
眠るべき時間に眠りそこなう。
実家では眠れないだろうと思って下宿へ戻ったのに、これでは意味がない。
自分のダメっぷりを恨むだけでは治まらないから、親族二次会についての連絡を、なぜ私に前日まで伝えなかったのだと恨むことにする。我が家では、これが最初で最後の結婚式になるかもしれないのに。
…火曜に病院経行こう。更年期障害ではないかどうか。だがやはりむしろ精神的なものだろう。
…「自分を安売りする倫理観」をどう処理したらいいのか、という問題なんだろう。解答はたぶんない。
2003/07/14 (月) (;´Д`)
いつも書こうと思って、書いていなかったこと。
先頭を歩く人々の姿は見える。最後を歩いている人々の姿は見える。前者集団と後者集団の距離はひどく開き、後者は前者を見失ってもおかしくない。私は、前者集団と後者集団の中間点にいないと、気持ちが納まらない。
人々がぞろぞろと歩いているとき、私はそこにいつもいる。前者集団に追いついてそこにいたら、とも思うが、前者集団は後者集団への想像力を欠いていて、どうにも気持ちが納まらない。後者集団の面倒を看ているのはそれはそれで快楽だが、私ごと迷子になる可能性がある。〔05:30〕
家族と対話が成立しないことが判っているくせにそれでもしてしまった。実家相手にクダ巻くオレ。オレは人間として終わっている。父母からの対処は冷淡で、まあ、そりゃそうだわな。それでも冷淡な対処はよいことだ。
1時間眠る。ダメだこれでは授業中眠ってしまうと思い、午前中眠る。昼起きる。
午後、O先生の授業へ。
今日で前期終わり。
論文を28日までに書いてみよう。
O先生やY先生が面白がれる論文を私が書けたら、私の人生も新しい方向に切り開かれるだろう。
私は学部選択も間違ったし、人生設計も間違ったし、とり返しもほとんどつかないけど、まだ何かできるはずだ。
私は頭は悪くないらしい。だが、決定的にものを知らず、その無知を埋めることがついにできなそうだ。いや、できるはずだ。高校時点での決定的情報不足をとり返すのは至難ではある。
というより、オレの愚痴を聞いてくれる誰かがいればそれでいいんだが、それはいない。
近代核家族では、家庭は愛情の領域だ。私の家は愛情の領域ではないけど。前近代世界と近代に挟まってしまっのが尾を引いている。
前提としている情報を得られないのでは判断もできない。そして判断を誤った。
私が頚骨を痛めるほどオールを担いで失った時間とその作業で得た絶望の感情は、誰とも共有できないことだ。共有が誰ともできないことが悔しい。
バイト先探すことと、法学部の入学を調べることにしよう。
2003/07/15 (火) (;´Д`)
オレ、昔、大学の試験を受けるとき、大学にはパンフレットがあるからそれを取り寄せて調べる、ということすら知らなかったなあ。
大学にパンフレットがあると知ったのは去年。大学卒業してから12年経ってからのこと。
大学のパンフレットって、それぞれの学部でどういうことができるのか書いてあったのね。高校の頃に知っていたら全然違ったのに…
パンフレットがあることすら知らなかったくらいだから、大学がどういう目的で存在するところなのかイメージが掴めてきたのも、大学卒業してから10年近く経ってからのことだ。
オレの両親、こういうこと全く知らない人たちだったからなあ。知らないどころではないや。
高校の教師どもは勤め人の子弟だったから、そういう作業をする負担がオレ一人だけにかかっていることを想像すらしなかったし。教師の主観イメージ世界とオレの主観世界が全く合致しないから、オレが何を判ってないのか教師には想像もできなかったし。
大学にパンフレットがあるから取り寄せろとどうして誰も言ってくれなかったかなあ。言われなきゃ判らないのだがなあ。
大学に関する情報、自分なりにけっこう調べたのだが、前提している情報を欠いたまま調べたから、けっきょく何も判らないまま、勘で大学と学部を選んで受験した。
この恨み節は誰にぶつければいいのだろう。ぶつけるところなんてないからオレ一人が背負い込むしかないわけだが。
なぜこんなことを書いているのかっつーと、先日実家に帰ってしまったから今頃になって気づいたことが脳内を日々駆け巡ってしまったわけで。
…が、勉強し直しをしているお蔭で、3年前4年前みたいに他に何一つ考えることができなくなるほどには煩悶しないで済む。
3年前4年前時点では以上のことに気づけもしなかった。何の情報が欠落していたのかすら判定できなかった。
今頃気づいてもどうしようもないっちゃあどうしようもないが。なぜ他の人は大学にパンフレットがあることを知っていたのだろう。
まあ、大学についてのイメージを持てなかった以上、パンフレットを取り寄せても判断できなかっただろうけど。〔7:00〕
法律の勉強。M先生に初めて質問をする。
2003/07/16 (水) ヽ(´ー`)ノ
斎藤淳事務所へ。斎藤淳事務所と今後色々協力関係が作れるといいな。
大学のパンフレット手に入れたけど、前提とする情報が判らんからやっぱ判らんわ。
Y先生のコンパに参加させていただく。
以下、それとは関係なく、メモ。
「他者にものを伝える技術」は、たとえば修辞学とか雄弁術といった学問がかつてあったが、教員へはその技術を伝達していない。
教育とメディアは本来セットで、ある意味競合物だ。
大学が大衆化した70年代以降は、下層文化で生育した下層大衆が、上流階層文化を前提とした大学に続々入学した。
大衆メディアは下層文化を前提としている。
下層文化で生育しても、頭の出来がよければ、大衆メディア情報からの蓄積で、ムリはあるが進学的にはどうにかなる。が、大学が前提している上層文化とは断絶していたから、文化ギャップがあり、その文化ギャップを誰もフォローしない。
下層文化で生育した人間は、上層文化とのギャップに苦しむが、その苦しみを抱えた人は、素で上層文化のヤツに比べ、大きな重荷を抱えることになり、「優秀でない学生」になる。
ブルデューは文が硬いが、このあたりのことを考えるヒントになる。
「学力崩壊」関係の本や、「階層」論も参考になるはずだ。
2003/07/29 (火) (;´Д`)y-~
枝野さんの講演メモを探す。見つからない。
2000年の頃の、別のメモ見つける。
2000年にわりと大きめの仕事依頼されながら、それをこなさなかったことを今頃になって思い出す。
2000年は人生で最も鬱々としたダメな年だった。15歳までの期間を除いて。
あの年、田舎に帰らず、踏ん張っていたら、どうだったか。踏ん張らず、気が弱くなり、全てぶっ壊すことになった。
あの仕事ちゃんとやっていたら金はそんなに苦労しなかったかも。いやどうかな。どのみち、「どう見なされているのか」に耐えられず、「どう仕事すればいいか」を見失っていたから、ダメか。金の問題ではなく、アンデンティファイの問題だったから。
過去のメモを色々見て、過去どういう牢獄にいたのか思い出す。
あれから3年間、死んだような生活をしてきた。[06:40]
2003/08/24 (日) (;´Д`)
「したらば」掲示板へのアクセスを拒否される
2004/04/03 (土) (;´Д`)y-~
2月から同棲。この選択が正解ならいいけど。
『戦争が遺したもの』読む。小熊英二カッコイイ。
憲法の授業受ける。先生のとこになんか圧力でもあったかな。質問しよう思ったけど質問控える。
2004/04/07 (水) (´ー`)y-~
字数オーバーにつき、以下にポスト
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/1274/1025166092/136-140
2005/04/07 (木) 日記は以下にて継続してます
日記は以下にて継続してます。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/
軆の芯が突っ張る。
ここ一週間以上、ひょっとしたら二週間くらい、毎日鍼を打っている。鍼を打つ前よりは回復しているが。
…更年期障害かな?
2003/07/06 (日) (;´Д`)
鬱モードが来た。しばらく動けない。
2003/07/08 (火) 。・゜・(つД`)・゜・。
12日のライブ行きてぇ… …タイミング悪りぃ…
2003/07/10 (木) (;´Д`)
人格形成期にモデルを持てないのは不幸だ。
Y先生の合宿に先週ウチを薦めてみる。今日授業中ものすげえ全身硬直して5時間硬直がとれず。そりゃ実家とうまくいってりゃオレの人生全然違ったわけだし。だがそういう基本的なことを忘却しているから四六時中の硬直状態から解放されているわけだし。
思い出した途端肩から内臓にかけ、硬直。
Y先生御免。
で、ウチに電話したとき、妹にちゃんと祝いを言わないオレはそうとうに人間として大事なものを失っている。
2003/07/11 (金) (;´Д`)y-~
午後4時頃起床。
プレスセンターのイベントへ。
その後、予備校へ。
電池切れで、テープ録音できず。
2003/07/12 (土) (;´Д`)y-~
ヒゲを剃った後、朝9時くらいに就寝。
午後3時半起床。
実家へ。
午後7時頃着。
午後7時半、妹2号を交え、夕食。
午後8時半頃、チヅカ従姉来る。
午後9時頃、スーツの不備を指摘される。式用のスーツ発見。
ワイシャツが汚れていること発見。ブリーチに漬けるが、イマイチ。
一応これを持っていき、当日新しいの買えたら買うことにする。
午後10時半頃、導眠剤呑んで就寝。眠れない。
午前一時半頃、空腹を覚え、厨房に行くが、ろくな食べ物発見できず。古いご飯に塩辛と古い漬物で、2杯食べ、就寝。
2003/07/13 (日) 妹2号の結婚
妹2号が結婚。
朝、妹2号は先に横浜へ。
私ら親族は、貸し切りバスで向かう。父は元気がない。
9時半頃横浜着。ワイシャツを購入する。着替える。結婚式に参列。
披露宴。
涙数行下る。複雑な思い。
田舎で親族で集って二次会するということだが、私は直接下宿へ。
親戚たちから、桜茶をまたすぐ呑みたいと言われる。
下宿への道すがら、親族二次会に参加するべきだったかなあ、と、思いが交錯する。身上を家族以外の親戚も混ぜて語るにはいい機会だったなあ、と、自分のことばかり考える。私は家族縁が薄いようだ。家族とは対話が成立しない。婚姻どころか今私は仕事すらしていないじゃないか、とか、なぜそういうことに私がなっているのかというと、とか。
ムラ社会では、「世界観」「世界知識」脳内の構成人員情報が、かなり重なる。都市社会では重なるのはごくごく一部分だ。この世界イメージのズレ。
私の祖父は借金してはならない時期に借金し、祖父は私の父へ借金すべき時期に借金を禁じた。
父にとって「世界」は、商売や経済や法律は、「判らない」「嫌で嫌で堪らんがやらねばならないこと」だ。私は父母の世界イメージの中の「判らない」の部分に無自覚なまま世界イメージを受容した。ここに不幸がある。妹たちは偶然、公務員資格をカバーする学部へ進学した。私は教員以外の資格をカバーしない学部に、そうとは知らず進学した。
とかいったことが脳内を走る。
帰宅。
ミーティングに参加する。
眠るべき時間に眠りそこなう。
実家では眠れないだろうと思って下宿へ戻ったのに、これでは意味がない。
自分のダメっぷりを恨むだけでは治まらないから、親族二次会についての連絡を、なぜ私に前日まで伝えなかったのだと恨むことにする。我が家では、これが最初で最後の結婚式になるかもしれないのに。
…火曜に病院経行こう。更年期障害ではないかどうか。だがやはりむしろ精神的なものだろう。
…「自分を安売りする倫理観」をどう処理したらいいのか、という問題なんだろう。解答はたぶんない。
2003/07/14 (月) (;´Д`)
いつも書こうと思って、書いていなかったこと。
先頭を歩く人々の姿は見える。最後を歩いている人々の姿は見える。前者集団と後者集団の距離はひどく開き、後者は前者を見失ってもおかしくない。私は、前者集団と後者集団の中間点にいないと、気持ちが納まらない。
人々がぞろぞろと歩いているとき、私はそこにいつもいる。前者集団に追いついてそこにいたら、とも思うが、前者集団は後者集団への想像力を欠いていて、どうにも気持ちが納まらない。後者集団の面倒を看ているのはそれはそれで快楽だが、私ごと迷子になる可能性がある。〔05:30〕
家族と対話が成立しないことが判っているくせにそれでもしてしまった。実家相手にクダ巻くオレ。オレは人間として終わっている。父母からの対処は冷淡で、まあ、そりゃそうだわな。それでも冷淡な対処はよいことだ。
1時間眠る。ダメだこれでは授業中眠ってしまうと思い、午前中眠る。昼起きる。
午後、O先生の授業へ。
今日で前期終わり。
論文を28日までに書いてみよう。
O先生やY先生が面白がれる論文を私が書けたら、私の人生も新しい方向に切り開かれるだろう。
私は学部選択も間違ったし、人生設計も間違ったし、とり返しもほとんどつかないけど、まだ何かできるはずだ。
私は頭は悪くないらしい。だが、決定的にものを知らず、その無知を埋めることがついにできなそうだ。いや、できるはずだ。高校時点での決定的情報不足をとり返すのは至難ではある。
というより、オレの愚痴を聞いてくれる誰かがいればそれでいいんだが、それはいない。
近代核家族では、家庭は愛情の領域だ。私の家は愛情の領域ではないけど。前近代世界と近代に挟まってしまっのが尾を引いている。
前提としている情報を得られないのでは判断もできない。そして判断を誤った。
私が頚骨を痛めるほどオールを担いで失った時間とその作業で得た絶望の感情は、誰とも共有できないことだ。共有が誰ともできないことが悔しい。
バイト先探すことと、法学部の入学を調べることにしよう。
2003/07/15 (火) (;´Д`)
オレ、昔、大学の試験を受けるとき、大学にはパンフレットがあるからそれを取り寄せて調べる、ということすら知らなかったなあ。
大学にパンフレットがあると知ったのは去年。大学卒業してから12年経ってからのこと。
大学のパンフレットって、それぞれの学部でどういうことができるのか書いてあったのね。高校の頃に知っていたら全然違ったのに…
パンフレットがあることすら知らなかったくらいだから、大学がどういう目的で存在するところなのかイメージが掴めてきたのも、大学卒業してから10年近く経ってからのことだ。
オレの両親、こういうこと全く知らない人たちだったからなあ。知らないどころではないや。
高校の教師どもは勤め人の子弟だったから、そういう作業をする負担がオレ一人だけにかかっていることを想像すらしなかったし。教師の主観イメージ世界とオレの主観世界が全く合致しないから、オレが何を判ってないのか教師には想像もできなかったし。
大学にパンフレットがあるから取り寄せろとどうして誰も言ってくれなかったかなあ。言われなきゃ判らないのだがなあ。
大学に関する情報、自分なりにけっこう調べたのだが、前提している情報を欠いたまま調べたから、けっきょく何も判らないまま、勘で大学と学部を選んで受験した。
この恨み節は誰にぶつければいいのだろう。ぶつけるところなんてないからオレ一人が背負い込むしかないわけだが。
なぜこんなことを書いているのかっつーと、先日実家に帰ってしまったから今頃になって気づいたことが脳内を日々駆け巡ってしまったわけで。
…が、勉強し直しをしているお蔭で、3年前4年前みたいに他に何一つ考えることができなくなるほどには煩悶しないで済む。
3年前4年前時点では以上のことに気づけもしなかった。何の情報が欠落していたのかすら判定できなかった。
今頃気づいてもどうしようもないっちゃあどうしようもないが。なぜ他の人は大学にパンフレットがあることを知っていたのだろう。
まあ、大学についてのイメージを持てなかった以上、パンフレットを取り寄せても判断できなかっただろうけど。〔7:00〕
法律の勉強。M先生に初めて質問をする。
2003/07/16 (水) ヽ(´ー`)ノ
斎藤淳事務所へ。斎藤淳事務所と今後色々協力関係が作れるといいな。
大学のパンフレット手に入れたけど、前提とする情報が判らんからやっぱ判らんわ。
Y先生のコンパに参加させていただく。
以下、それとは関係なく、メモ。
「他者にものを伝える技術」は、たとえば修辞学とか雄弁術といった学問がかつてあったが、教員へはその技術を伝達していない。
教育とメディアは本来セットで、ある意味競合物だ。
大学が大衆化した70年代以降は、下層文化で生育した下層大衆が、上流階層文化を前提とした大学に続々入学した。
大衆メディアは下層文化を前提としている。
下層文化で生育しても、頭の出来がよければ、大衆メディア情報からの蓄積で、ムリはあるが進学的にはどうにかなる。が、大学が前提している上層文化とは断絶していたから、文化ギャップがあり、その文化ギャップを誰もフォローしない。
下層文化で生育した人間は、上層文化とのギャップに苦しむが、その苦しみを抱えた人は、素で上層文化のヤツに比べ、大きな重荷を抱えることになり、「優秀でない学生」になる。
ブルデューは文が硬いが、このあたりのことを考えるヒントになる。
「学力崩壊」関係の本や、「階層」論も参考になるはずだ。
2003/07/29 (火) (;´Д`)y-~
枝野さんの講演メモを探す。見つからない。
2000年の頃の、別のメモ見つける。
2000年にわりと大きめの仕事依頼されながら、それをこなさなかったことを今頃になって思い出す。
2000年は人生で最も鬱々としたダメな年だった。15歳までの期間を除いて。
あの年、田舎に帰らず、踏ん張っていたら、どうだったか。踏ん張らず、気が弱くなり、全てぶっ壊すことになった。
あの仕事ちゃんとやっていたら金はそんなに苦労しなかったかも。いやどうかな。どのみち、「どう見なされているのか」に耐えられず、「どう仕事すればいいか」を見失っていたから、ダメか。金の問題ではなく、アンデンティファイの問題だったから。
過去のメモを色々見て、過去どういう牢獄にいたのか思い出す。
あれから3年間、死んだような生活をしてきた。[06:40]
2003/08/24 (日) (;´Д`)
「したらば」掲示板へのアクセスを拒否される
2004/04/03 (土) (;´Д`)y-~
2月から同棲。この選択が正解ならいいけど。
『戦争が遺したもの』読む。小熊英二カッコイイ。
憲法の授業受ける。先生のとこになんか圧力でもあったかな。質問しよう思ったけど質問控える。
2004/04/07 (水) (´ー`)y-~
字数オーバーにつき、以下にポスト
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/1274/1025166092/136-140
2005/04/07 (木) 日記は以下にて継続してます
日記は以下にて継続してます。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/