カルトvsオタクのハルマゲドン/虚業BLOG

オタクと政治に関するBLOG

2000年1月1日~1月15日

2011年12月18日 01時16分01秒 | Weblog
 1月15日(土)

 ディグさんから電話。『ジャンヌ・ダルク』観に行くとのこと。どうしようか悩む。一緒に行くことにする。nutsさん、ご免なさい。
 いつきこうすけさん交え、三人で観る。感想。うーん、いまいち。
 ディグさんの部屋に三人で行く。私は眠くなり、コタツで居眠りする。目覚める。二人が寝る準備している。二人と別れ、自分の部屋へ戻る。

 1月14日(金)

 3月17日ロフトプラスワンで開催予定のイベント『セックスについて色々考える』の件で、渋谷へ。OKさん、宮台真司さん、フリーライター二本松泰子さん、南智子さん、ゲイ雑誌『ファビュラス』編集長長谷川さんほかとお会いする。二本松泰子さんから、児童虐待の興味深い話を伺う。鍋をつつく。
 新宿2丁目にある、長谷川さんの経営するクラブ「エース」へ行く。ふむなるほど、クラブというのはこういうところか、と、観察する。こういうところに来るならもっとお洒落してくれば良かった、と、後悔する。OKさんが「踊りましょう」と言う。初めは躊躇した。上着と荷物をロッカーにしまい、ステップの上手な人のステップを真似る。うまくいかない。よほどぶざまな動きしていたらしい。「最初は体動かしているだけで良いんですよ」OKさんが言う。そのうち感覚が掴めてくる。なんだ他の人もそれほど上手じゃないじゃん、と、度胸が出てくる。よーし、これでもうクラブも恐くないぞ。
 ショータイム。ミズキキョーカという人のストリップ。演劇やダンスの基礎をしているだろう動きが観ていて心地いい。なるほどストリップとはこういうものか、と、思う。ほか、ゲイの方々のショー。先ほどのストリップの方と違い、基礎がないので、私は観ていてもあまり楽しめず。三輪明弘の音楽に合わせての、くちパク。そのほか。2回目のショーで、長谷川さんのお話を聞く。コンドームなしのアナルセックスを「たねつけ」と呼んでいる、という話、『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)の朗読など。
 もていさんとマクドへ。セックスのオリエンテーションについて、お話伺う。政治的な話を、こちらが一方的に話す。

 1月13日(木)

 無為に過ごす。

 1月12日(水)

 雨で寒かった。足立真一さんから、『ジャンヌ・ダルク』観に行くのやめるという電話。nutsさん、松代さんにその連絡。

 1月11日(火)

 以下、宮台真司氏の講義のメモ。講義はあと3回くらいだそうだ。この回は内容が充実していて面白かった。(以下のメモには、鎌やんによる勘違いがあるかもしれない)
 社会学

 性について

 社会学における「性」は、性別論、性別論を土台とした性規範論がある。

 性別論

 自然的性別 sex;アナログなもの
 社会的性別 gender;デジタルなもの

 性の問題は、死の問題に似ている。
 自然的死は、どの時点をもって死とするか特定できない。肉体は徐々に死ぬ。
 社会においては、死はデジタルなものとされる。ある時点をもって死として特定する。かつては心臓停止を瞳孔拡大を含む3つの条件をもって死として特定した。脳死概念が生まれたことにより、脳幹機能停止をもって死と特定するようになった。だがこれについては議論が絶えない。

 遺伝子的性別には、XX、XY、XXY、XYYなどある。

 Y遺伝子により、精巣部分のミュラー管とウォルフ管のいずれが発達するかが決まる。ミュラー管なら女性、ウォルフ管なら男性になる。性腺の分化、ホルモンバランスの違いが生じる。内性器の分化が生じる。第二次性徴の分化が生じる。

 自然的性別には、常に半陰陽がある。アナログだ。社会的性別はデジタルだ。男性か女性か言語を用いて性別判定する。恣意性が生じる。死亡判定に議論があるように性別判定にも議論がある。

 3歳前後は言語習得の臨界点だ。3歳前後に人間は性別自意識・性別アイデンティティを持ち始める。性別は、単なるカテゴリ・ラベルではない。半陰陽の子どもを男女判定を保留したまま育てると、言語習得が遅れる。

 言語は世界に名前を与える、世界を解釈する行為だ。ピアジェ心理学では潜在的行為可能性と呼ぶ。コップ、水、といった言葉は、水を飲むという行為との相関で習得する。(ハイデガーの「存在」の問題)行為には、性別役割による区別が大きな位置を占める。性別アイデンティティの決まらないまま、曖昧なままだと、行為の区別の習得が困難となる。

 ジョン・マネーが『性の署名』で行なった、追跡調査の話。
 半陰陽は遺伝子的には男子だ。半陰陽の双子を、親の希望で片方を男子、片方を女子として性別判定した。その性別判定に従ってそのとおり育っていったそうだ。性別には恣意性がある。

 自然的社会的性別・身体的性別では男性だが、自分を女性だと感じる人がいる。女性型外部生殖器を手術でつけることにより、本人の望む性に、60年代後半からは日本でも手術により性転換ができるようになった。日本では法律上、戸籍の性は変えることはできないが。女性から男性への手術は技術的に難しかった。ここ10年ほどで先進国でできるようになった。

 以上の話には制限条件がある。

 ジョン・マネーが追跡調査した双子は20歳のとき神経症になった。どこまでが恣意的なのか、という条件である。

 性の分化

 �;遺伝子的性別…染色体による性別
 �;性腺による性別…ウォルフ管、ミュラー管
 �;内性器による性別…子宮、卵管、精嚢、前立腺
 �;外性器による性別
 �;第二次性徴、身体的性別

 �から�までは、胎内である。�は�の情報による。�、�、�は�の情報による。Y染色体がない・Y染色体の指令が伝達されないと、ウォルフ管が衰退する。Y染色体からの指令があれば、ウォルフ管は衰退しない。�からの情報は、男性ホルモン(アンドロゲン)のバランスの情報だ。アンドロゲン受容体に問題があると、性分化の失敗が起きる。

 「アダム原則」というものがある。全ての性別を持つ動物においては、メス型が基本だ。オス型は分化した発生形態だ。(イヴがアダムの肋骨より生まれたことに因むが、イヴからアダムが生まれたと言う方が正しい。だから本来はイヴ原則と言うべきかもしれない)

 性分化の失敗は、メスがオスに変わる過程で起きる。
 受精のとき、男女の比率は、女100:男140
 出産のとき、男女の比率は、女100:男105
 男は多く自然流産する。メスからオスへの性分化の失敗が起きる。
 ハーレムを作る動物以外では、動物は一般にメスのほうが大きい。

 性腺のホルモンバランスと脳の働きには相関関係がある。男性ホルモンは空間感覚を司る。脳の空間野(くうかんや)が発達する。オスは狩猟の役割を負った。狩猟をするためには空間感覚が重要だ。空間感覚が弱いと、言語能力(言語野)が発達する。女性は言語野が発達している。

 性医療の発達した社会では、性別は医療操作の対象だ。性別アイデンティティと社会認知がずれることがある。それに起因する不安は治療可能だ。

 性規範論

 死とのアナロジーから。死と生は社会的にはデジタルに分ける。生きている人間に期待することと死人に期待することは違うからだ。
 同様に、男性に期待することと、女性に期待することを分けるのを、性別役割分業と言う。今までは性別役割分業で、社会は来た。
 性規範論には、性愛論、猥褻論などがある。

 性愛論

 高等でない動物は、遺伝的性別に書きこまれたプログラムに従って行動する(生得的プログラム)。
 高等になるほど、「学習」によって決まる(習得的プログラム)。ここには恣意性が生じる。時代・文化で変わる。大脳生理学的には、脳の新皮質に書き込まれたものだ。

 異常性愛は、妥当とされた習得プログラム以外のものを習得することだ。対象異常と行為異常がある。
 A;対象異常…性愛行為の対象が妥当でないもの。死体姦、幼児姦など。
 B;行為異常…サディズム、マゾヒズムなど。
 社会は行為と対象を指定する。

 社会は対象異常から行為異常へ切り替える歴史を持つ。
 ロリコンを例にする。ロリコンは第二次性徴以前の子どもを性対象とするものと、以後の青少年を性対象とするものに分れる。近代以前は性的に隔離されるべきという青少年という概念はなかった。

 フロイト派が本能と衝動の区別を提唱した。これは重要だ。本能は生得的プログラムだ。性衝動は本能に含まれる。エネルギーだ。衝動はエネルギーを外に出す方法を決めていない。対象は決まっていない。特定のものを対象とするフェティッシュ、フェティシズムはこれによる。

 対象異常から行為異常へ切り替える歴史に話を戻す。
 レヴィ・ストロースは、基本構造を、親族構造とした。
 性愛行為の妥当性は、親族構造で決められている。
 多くの社会では平行イトコ(母の姉妹の子、父の兄弟の子)を禁止し、交叉イトコ(母の兄弟の子、父の姉妹の子)との婚姻を推奨する。
 半族(部族の半分)を性的に禁ずる、あるいは部族をもっと多く分け、特定部族との婚姻を認める、あるいはインセストタブー。 

 なぜ正しい性愛行為と正しくない性愛行為があるのか。
 親族原理では、婚姻と親子関係が社会を構成している。
 遺産相続、あるいは誰かがその部族で期待される役割を担えないとき誰がその役割を代わってするのか、を、決定しなくてはならない。
 親子関係を指定する。
 親族原理を壊さないよう、子どもが生まれる可能性のある行為をする相手を、性的行為をする相手を(未開社会では性的行為と出産の関係が不明瞭だったので)、指定する。

 中世に、社会は鱗的社会(ほぼ同じ力を持った複数の部族からなる社会)から、階層社会へ変わる。
 階層社会では、たいがい、婚姻は同階層社会に求められた。

 近代では、階層的性愛関係から、自由恋愛結婚へ変わった。自由恋愛結婚はどういう規則に基づくか?

 恋愛概念romantic loveは、ヨーロッパ1800年代後半から、日本では明治20年以降始まった。
 ルージュモンの説では、romantic loveは12世紀トルバドール吟遊詩人の歌をルーツとする。

 愛の対象は(身分の高い既婚者の)貴婦人、愛の主体は(貴婦人より位の低い)騎士だ。この関係は、キリスト教の神への献身的愛がスライドしたものだ。貴婦人に神を想定した。【理想化の段階】

 のち、宮廷恋愛に移行した。結婚は階層的に行なわれる。恋愛はセックスに至らない。恋愛は貴族の作法だ。

 これも17世紀後半18世紀には、恋愛対象が変わる。女性は理想的美徳を必ずしも持つものではない、となる。にもかかわらず、盲目的な恋愛をする、ストーカー的情熱が現れた。romanticは、主観的だ。【逆説化】

 romantic loveは小説により、庶民化する。【自己言及化】 フランス革命の頃には、小説の中で恋愛の作法を学んだ。(フローベール『ボヴァリー夫人』など)
 romantic love は、近代学校制度と同じくらいしか歴史を持っていない。

 動物行動学者デズモンド・モリス(『マンウォッチング』)は恋愛の手順を8段階に分けた。いかにセックスに至るか、時間と手順が重要となる。この手順を飛び越えることを、逸脱とする。対象規制から、行為規制へ。手順の問題となる。

 90年代のゲイ・コミュニケーションには「ハッテン場」がある。出会いの場所だ。その意味、ノンケのテレクラに似ている。ゲイは比較的性的パートナーの出入りが激しい。「ハッテン場」での出会いには、「その気があるだろう」という前提がある。そのため、関係の希薄さに悩むことになる。

 手順を踏むと、時間がかかる。関係の履歴が生まれる。欲求充足が手順によって引延ばされる。関わりが引延ばされる。それによって「関係」が生まれる。手順をすっとばすと、「関係」ができにくい。

 近代社会では、「正しい手順による性愛」これを「自由恋愛」と呼ぶ。

 社会学は、ニヒリズムの徹底である。

 以上、メモ。
 以下、自習。

 ピアジェ Jean Piaget 1896~1980 スイスの発達心理学者。人間の認識の発生過程を構造的に究明する【発生的認識論】を創始。初期;子どもがおかす間違い方の中に子どもの思考の特徴あ表れてくることに着目。子どもたちとの言葉による問答から子ども特有の論理世界観を明らかにする『子どもにおける言語と思考』(1923)子どもの自己中心性を重要な概念として取り出し、そこからの【脱中心化】を発達の要として重視。 その後3人子どもの父となる。新生児の段階から克明に観察。言葉以前の感覚運動段階に知的活動行動が始まっていることを見いだし、その発生を観察例に基づき理論化『子どもにおける知能の誕生』(1936)『知能の心理学』(1947)『発生的認識論序説』(1947)[ 岩波哲学・思想事典より]

 レヴィ・ストロースClaude Gustave Levi-Strauss 1908~ 構造主義の創唱者。フランスの人類学者。1962年構造主義ブームを巻き起こす『野生の思考』刊行。194-71年『神話論理学』刊行。
 1949年『親族の基本構造』刊行。イトコ婚の制度を例に、近親婚(近親姦)の禁忌が親族集団間の互酬的な女性の交換を促す規範とする視点を提示。イトコは、平行イトコ(父の兄弟の子、母の姉妹の子)と、交叉イトコ(父の姉妹の子、母の兄弟の子)に分れるが、男から見て交叉イトコとの結婚、特に母方交叉イトコ婚を理想的とする社会は多いが、平行イトコとの結婚は禁止される。その謎を、平行イトコ婚は姉妹との結婚と同じく他集団との交換にならないが、交叉イトコ婚は集団間の女性の交換となるからだと解き、別々とされていた事象が女性の互酬的交換という同一の構造の現れであることを示して、構造人類学の最初の成果となった。[ 岩波哲学・思想事典より]

ウォルフ管、ミュラー管;哺乳類では、発生上、雌性が性の基本型となっている。つまり、最初は雌の生殖器ができ、性分化がそのまますすめば雌となる。雄へと分化させる力がはたらけば、精巣がつくられて雄となる。つまり、雌から雄がつくられるのである。雄へと分化させる力は、Y染色体、精巣決定遺伝子などが知られている。精巣ができると、テストステロンという男性ホルモンが分泌され、ウォルフ管(のちに精管となる)の発達を刺激する。のちには、脳下垂体から放出される生殖腺刺激ホルモンとともに、精子の発達を刺激する。
雌の胚にある雌性生殖管の前身であるミュラー管は、ホルモン刺激物質なしで自然に分化するようである。雌の性であることがはっきりときまってから、子宮と胎盤で生産されるエストラジオール(女性ホルモンの一種)が、雌の生殖管の発達と機能に主要な役割をはたす。"性(生物)" Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

男性ホルモン Male Sex Hormone アンドロゲンともいい、男性の生殖器から分泌されるホルモン。二次性徴をうながす。男性の二次性徴をうながすのが男性ホルモンである。おもに精巣(睾丸)でつくられる。精巣から分泌された男性ホルモンは、血液にまじって全身を循環したのち、尿や便にまじって排泄(はいせつ)される。精巣でつくられるおもな男性ホルモンは、テストステロンとアンドロステロンである。"男性ホルモン" Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

ピアジェ、ルージュモン、デズモンド・モリスについてはweb catで検索されたし。

 以上、自習。
 この日のゼミも、内容が濃かった。私の好きな題材で、発表者の高久さんも素晴らしく優秀だった。ところが残念なことに私は前日眠りそこなっていて、ゼミの講義の間、いくたびも居眠りをしてしまった。ひどくもったいないことをした。大失敗だ。高久さん、宮台先生、ごめんなさい。(まだ続くがとり急ぎここまでアップ)

 1月10日(月)成人の日

 新なんか党のMUMEIさんの主催で、新年会。豊川稲理さん、重さん、日本エロマンガ党のA・浪漫・我慢さん、きょーじゅさんとお会いする。マルコムXさんには会えず。
 上野クリニックでは包茎手術しないほうがいいという話や、ちんちん伸ばす手術はどういうやり方するのかとか、脂肪吸引手術するとどうなるかとか、豊胸手術すると乳がどうなってしまうかとか、男はちんちんに真珠入れたがるがそんなもの喜ぶ女はどこにもいないがソープのお嬢さんがたはお愛想にそれを褒めるが単に痛いだけだそんなもの、とか、面白い話伺う。
 MUMEIさん、豊川稲理さん、きょーじゅさんでカラオケ行く。

 1月9日(日)

 無為に過ごす。
 自分という存在の加害者性に悶々とする。
 竜の資料探す。

 1月7日(金)、1月8日(土)

 悪人

 夜になってもぞもぞと起きだす、という生活リズムになっている。これでは銭湯に行けない。
 ディグさんがプレイステーションを返しに来る。
 ディグさんが珍しく自身の画力について愚痴る。メインカルチャーの壁は厚い、5歳の時から英才教育受けてきた人々とまともに戦わなくてはならない、と、ディグさんがこぼす。
 ディグさんや足立真一さんが彼ら自身に要求している絵のレベルの話は、標高が高すぎて私は良き話し相手になれないが、ディグさんの抱える課題とは別な側面で同様のことを私は感じているので、その意味で共感する。
 判っている人には判る、という姿勢は、救われている人だけが救われる、ということと同じではないか、みたいな話をする。
 「悪人が歴史を作る、と、宮崎駿が言っていたのが、判ってきた」とディグさんが言う。マンガ版ナウシカのラストで、地球を浄化し新しい人間の世界にすることをナウシカが拒み、地球の未来をナウシカがただ一人で決め、破壊し、自分一人の胸のうちに秘めたこと、これは悪だろう、とディグさんが言う。ふんふんと私は話を聞きつづける。
 「『もののけ姫』のエボシ御前が、自分の国の民に朝廷のこととか教えないのと同じですよね」
 そんなシーンあったっけ? とディグさんに訊く。ジコ坊から朝廷の手紙を受け取ったエボシが、それを村娘に見せ、意味の判らない村娘をきょとんとさせることで、朝廷の権威をエボシが内心嘲笑するシーンをディグさんが私に説明する。ああ、あったあった。
 宮崎駿の中での「悪人」の解釈がそういうものへ熟成したのは面白い、と、私はディグさんに言う。宮崎駿は悪人を描くのが上手な作家じゃなかった。『コナン』のレプカは、独裁者だが、一人で何もかもしようとドタバタと懸命なので、視聴者からは愛嬌ある人に映ってしまった。
 映画のため多くのスタッフの時間と労力を搾り取っていることに、宮崎駿は時折良心の呵責を覚えるのだろう、と、想像する。宮崎駿は、そういう自分を「悪人」だなあ、と感じるのだろう、と、ディグさんと話す。マンガの連載するのですら、何人かのアシスタントの人生を使い潰さないとできない。「悪人」でなければことを成し遂げられない、とは私も思う。
 「こういうものを私は見た、知った、それを皆に教え伝え、どうするべきかナウシカが皆と評議する、という選択だってありえたわけですよね」とディグさんが言う。
 「一人で全てを抱え込むほうが英雄的に描きやすく、まとめやすくはあると思うけど…たしかに、独善だね。宮崎駿自身のワンマンさのあらわれだろうね。そこが宮崎駿の限界なんだろうね」
 「今までナウシカは最高に完成された作品だと思っていたが、どこが突破口か見えてきた」とディグさんが言う。いい突破口だと鎌やんは思う。
 ディグさん、プレイステーションを再び借りて、帰る。

 

 無意識の癖

 田舎で以前、妹から聞いたことを思い出した。ここに書く。
 妹2号は昨年仕事を変えた。妹2号と同期に入った男性社員がいる。学歴や資格経歴は、同期男性社員のほうが、妹2号より遥かに上だ。実際に働いてみると、妹2号は有能で、男性社員は無能だった。
 同期で、年齢が近いので、職場の人々は気を利かせて、妹2号とその男性社員をよく一緒にさせる。それが堪らなく苦痛だ、と、妹2号がこぼす。
 その男性社員は、人前でしょっちゅう、ズボンの上から自分のきんたまをいじっている、と、妹2号が吐き捨てるように言う。そんなものを見せられると、一日中気分が悪い。同じ空気を吸っていたくない。
 私はその話を聞いて、妹2号に想像を述べた。その男、勉強ばかりしていて、部屋にばかり篭っていて、オナニーぐせがついたんだろうなあ。
 妹2号は私に憤慨して言う。どんなに学歴があっても、もし仮に仕事ができたとしても、人前できんたまをいじっているような男は最低だ。
 まったくそうだ、と、急いで妹2号に同意した。
 以来、人前できんたまを自分はいじっていないか、私はとても不安だ。

 

 「幸せになれるよ」

 正月、実家に帰ったとき、高校時代の友人からえらい久しぶりに電話があった。私の高校の同級生たちは、私の中学までの同級生と違い、それなりに知性と余裕のある人々だったので、校内に虐めはなかったが、この友人は人格タイプとして典型的虐められっ子だった。だから私の友人だった。
 久しぶりに会おう、という誘いの電話だった。彼の口調は、ほんの少し話を聞いているだけでこちらがムズムズしてくるほど、典型的虐められっ子口調だ。なぜ突然電話をしてきたのか私には判らなかった。「ひょっとして宗教の勧誘?」と私は訊ねた。彼は「まさか、違うよ」と否定した。日曜日に会おう、という話になった。
 土曜に、その友人から翌日の件で電話が来た。話をした。
 景気が悪くて、仕事がない、という話を彼はした。同情を私は示した。彼は話を続けた。つらいことが多くて、色々考えて、某宗教団体に入った。とてもいい宗教だ、それを薦めたい、と彼は言った。幸せになれるよ、と、彼は言った。
 君の客観状況が少しも幸せではないではないか、と、言いたかったがさすがにその言葉を飲み込んだ。不幸だから信仰を必要としたことは全く責められることではない。だが、勧誘となると話が違う。飲みこまないほうが良かったかもしれない。
 彼のほかにそこの信者を私は知っている。その人も不幸だった。信心した後は、客観的にはいっそう不幸が続いた。宗教は人の社会貢献欲求を充たす。その人にとって、心の支えがあることは良いことだと思う。だがその人は宗教宗派の選択を誤ったと私はずっと思っている。人の弱みにつけこんでいる、と、私はその宗教団体を評価している。
 君がそれを信仰することを私は否定しないが、金のかかる宗教は信じるに値しないというのが私の持論だ、と、彼に伝えた。会おうという約束をキャンセルした。

 

 『キリンヤガ』

 公立図書館へ行った。『キリンヤガ』(マイク・レズニック著、早川文庫)借りる。
 読了。「SFというジャンルにとどまらず、すべての本好きに読んでもらいたい作品」と訳者が言ったのは誇張ではないと思う。ユートピア物語は常にアンチユートピア物語になる。レズニックはそのことに実に自覚的だと思う。

 未来の物語だ。西洋化してしまったケニアを捨て、主人公コリバが、キクユ族のためのユートピア小惑星「キリンヤガ」に渡る。「キリンヤガ」を西洋文明に「汚染」されることから守るため、キクユ族の伝統を伝える祈祷師として、コリバは孤独な闘いをする。

 『空にふれた少女』は、『キリンヤガ』連作の中でも、著者レズニックが最も好んでいる話だそうだ。「古き良き共同体で暮らすには聡明すぎた少女カマリの悲劇」と裏表紙で要約されている。『キリンヤガ』全編は、この中篇の変奏曲だと鎌やんは思う。
 『キリンヤガ』にはいくつも寓話が登場する。ダチョウになろうとしたモズの寓話を、祈祷師コリバが子供たちに語る。
 寓話を聞いた後、少女カマリが言う。「ダチョウになりたいと願うのと、ダチョウが知っていることを願うのは別なことよ。モズがなにかを知りたいと願ったのはまちがいじゃないわ。ダチョウになれると思ったのがまちがいだったのよ」
 これにコリバが応える。「ちがう。モズはダチョウの知っていることを知ったとたん、自分がモズだということを忘れてしまった」
 作中では、ダチョウは西洋文明人を、モズは少女カマリとキクユ族を指す。
 だが、著者レズニックはこの寓話に暗に別な寓意も与えていると鎌やんは思う。
 ダチョウは(過去の)キクユ族、「ダチョウの知っていること」はキクユ族の伝統社会、モズは「ヨーロッパとアメリカで学位を収めた」コリバを指している。寓話を語っているコリバはそのことに気づいていない。だがレズニックはそれを意識していると鎌やんは思う。読者はそれを受けとってほしいと鎌やんは思う。
 西洋文明に触れた者はみな汚染され、黒いヨーロッパ人になる。コリバはそう主張する。だからコリバは防波堤になろうとする。コリバはなぜそれを主張できるか。ヨーロッパとアメリカをコリバが見てきたからだ。コリバは自分を最も純粋なキクユ族だと信じている。だが、コリバは、純粋なキクユ族になりたいと願う黒いヨーロッパ人、裏返しの黒いヨーロッパ人でしかないのだ。悲劇は全てそこから生まれている。
 ユートピア「キリンヤガ」は、過去に実在したキクユ族の伝統社会ではない。ユートピア「キリンヤガ」ではキクユ族の言葉ではなく、スワヒリ語が用いられている。このことは控えめに書かれている。だが著者が込めている寓意としては重要なところだ。
 著者レズニックは、少女カマリたち、コリバにとってのユートピアに苦しめられる、コリバの対立者たちに共感している。共感の筆致は控えめだ。コリバの一人称であるがゆえなのだが、むしろ読者はコリバと一体化し、物語を読み進める。読者はそのことにストレスも覚えないし、コリバを異常だとも感じない。コリバは善人だ。コリバは物語の中で最も知性と知識を持った人物だ。同時にコリバは、救いようのない父権主義者・人種差別主義者・国粋主義者・鎖国論者・衆愚政治家・狂信者だ。著者レズニックが小説家として有能で上手いのは、にもかかわらず、読者を、狂信者コリバにも(コリバの対立者と)等しく優しい視線を注がせることに、見事に成功しているところだ。
 『キリンヤガ』をいたずらに短絡して政治的に読むのは危険だ、という意見は正しいと思う。狂信者であるコリバと著者レズニックを同一視したら、誤読しかできないからだ。だが、メタレベルでの政治的意図は著者レズニックにはもちろんあると思う。

 鎌やん的には、K・V・ウォルフレンの日本論との呼応を感じながら『キリンヤガ』を読んだ。『人間を幸福にしない日本というシステム』でウォルフレンは言っている。…私(ウォルフレン)には「西欧中心的」という言葉の意味がよくわからない。たしかに私の育った文化は西欧文化と呼びうるし、その育ちが、私の考え方の形成に大きく影響したのも間違いない。そして、その影響のいくつかの側面に私自身が気づいていない可能性があることも認めよう。しかし、私が政治・経済のリアリティについて書くとき、私は、人類の共有財産の一部である概念体系(ランゲージ)を使っていると信じている。
 …日本人技師が計算で代数を使ったら、それはアラブ中心的活動をしたことになるのか? 代数学はアラビアで発達したものだが、それを使う技師をイスラム主義者と呼ぶのはばかげている。フランスのグラフィック・アーティストが木版画の技術を応用したら日本主義者なのか?

 日本にあまたいる少女カマリ、少年ンデミたちの未来が、明るいものとなりますように。

 

 と、それはそれとして。

 鎌やんのHPは3年目、鎌やんのweb日記は2年目になりました。つくづく、昨年は何もしなかったなあ、と、思う。

 1月6日(木)

 体調崩す。

 1月5日(水)

 昼に就寝。夜、ディグさんからの電話で目を覚ます。駅で待ち合わせ、『シックス・センス』観に行く。
 「鎌やんさん、全然この映画の前情報知らないですよね」とディグさんが言う。
 「うん、知らない」
 「映画は変に前情報ないほうがいいですよね。そう言えば、この映画、あまり前情報ないんですよね。そのわりに、興業成績いいですよね」とディグさんが言う。
 観る。
 観終わって、なるほど、観た者が語れなくなるわけがわかった。良質な短編小説のような映画だ。
 隣にいる人とまったく言葉も心も通じない、という現代人の孤独を、オカルトと心理学という似ているようでまるっきり逆のものを題材に、良質に描いている。他者と言葉が伝わらないのは、自分が何者なのか判っていないから、という、そういう話なのじゃないかな、と、ディグさんに言う。
 監督はインド人だそうだ。いい意味でインド的な着想なのかなあ、と、ディグさんに言う。たしか小松左京が言っていたと思うけど、宗教的哲学的思考法は、インドを境に西と東に別れる。西は直線的で、東は円環的だ。仏教はその境界面に生まれ、西に向けて東の思考法を説明したのが仏教だ、とか、ディグさんに雑学開帳する。

 『今、そこにある僕』借りよう思い、貸しビデオ屋さんへ。ない。『アインシュタインの脳』他数本ディグさんが借りる。ディグさんの部屋へ行き、観る。

 『アインシュタインの脳』BBC制作。ディグさんのお気に入りの映画。終始暗い画面。画面を支配する、杉元助教授のふんぐー、ふんぐー、という鼻息。誰彼構わず「アインシュタインの脳を私は探しています。あなたはアインシュタインの脳がどこにあるか知りませんか」とヘタクソな英語で質問する杉元助教授に、通訳の女性が表情を凍らせる。登場する人登場する人、みな善人というかヒマな人たちというか寂しい人というか。切なさ目一杯。二人でヒヒヒと押し殺した笑いをしながら楽しむ。メタレベルでブラックユーモアな、ドキュメンタリー。

 『ホームワーク』イランの小学生を撮影したドキュメント映画。ディグさんは楽しんだそうだが、私は観ているうちに眠りこける。

 『ライフ・イズ・ビューティフル』イタリア映画。98年制作。カンヌ、アカデミー賞受賞。観る。前半一時間、クレイジーキャッツだなあ、と思いながら観る。後半一時間、えらい展開になる。観終わったあと、しばらく二人で沈黙する。「凄い映画だなあ」と二人で言う。
 チャップリンのようなコメディを現代的にやっているところが凄い、というのがディグさんの感想。
 私の感想。私は子供のころコメディが嫌いだった。ギャグは好きだった。ギャグは破壊的だと思っていたからだ。コメディは安全圏の中で楽しんでいるにすぎない、と、思っていた。この映画は前半はコメディだ。そのまま後半の過酷な状況に移り、コメディを続けている、その、ひりひりとした感覚が、凄い。どうやって話を終わらせるつもりなのだろう、と、観ながら思った。納得のいくラストだった。
 「『アンダー・グラウンド』もそうだったけど、自分の国の政治的歴史をきっちり見据えそれをコメディにするというのは、凄いよな」
 この映画を紹介してくれたディグさんに感謝して、自分の部屋に帰る。 

 1月4日(火)

 寝て過ごす。夜、ディグさんから電話。ディグさん来室。12月25日の日記をチェックしてもらう。アストル・ピアソラはブラジル出身ではなくアルゼンチン出身です、と、ディグさんが指摘。ブラジル出身はアート・リンゼイだそうな。ディグさんの評判を落とさないよう修正する。

 単行本作る上で面白いアイデアないか、と、ディグさんに訊く。今のところ、岩波新書みたいな装丁にしたいと思っているんだけど、と、私が言う。
 「それではあたりまえすぎるでしょう」と、ディグさんが言う。ほうほう、と、私は聞く。
 「どうせなら東浩紀さんの『存在論的・郵便的』みたいな装丁にしたほうがいい」と、ディグさんが言う。わ。さすが、センスが服来て歩いているディグさんだ。素晴らしいセンスだ。射程の長いセンスだ。けれど売れませんそれでは絶対に、ええ。
 「お客さんにジャケット買いさせないといけないんだ」と、ディグさんに言う。
 「写真を使ったらどうだろう」とディグさんが提案する。「ロリータエロ写真を流用しても、絶対版権とか主張されることないじゃないですか」とディグさんの提案。それはいかがわしくていいアイデアだ。問題は流通がきっと嫌がる、ということだ。…上手いやりかたを考えてみよう。
 「いっそのこと、デザイナーズ・リパブリックに装丁を依頼してみたらどうですか、ダメ元で訊くだけ訊くのはいいんじゃないですか」と、ディグさんが言う。わお。ディグさんらしい。それはディグさんのコミックスが出たときにしたほうがいいと思うぞ。

 明日『シックス・センス』見に行こう、という話になる。

 1月3日(月)

 前日同様、朝、店番する。店の中、掃除が行き届いていないことに気づく。パートを頼むのをケチるのはやめよう、と、母に提言する。提言は虚しい。自分で営業しない限り根本的解決にならない。雇用関係と血族関係が区別できないのは私にとって絶望的な状況になる。

 新聞読む。選挙の候補者リスト見る。知っている政治家が何人かできたので、それなりに読むことができるようになる。えだの幸男さん、民主党の公認を得ることに成功したようだ。よかったよかった。自分が住民票置いているとこには民主党の候補立たないのね、とか思う。
 えらい体調悪くなる。昼寝する。親戚が挨拶に来る。ここにいるのは邪魔だと妹1号が言うので、部屋へ行く。
 午後7時起きる。夕食食べる。東京へ帰ることにする。妹2号に駅まで送ってもらう。
 時間と精神力を、ムダに消費した。

 1月2日(日)

 (前日より)『おねぷ』から帰宅する。TVで、『朝生』している。えだの幸男さんが出ているので、番組終了まで観る。寝ようかと思ったが、開店時刻なので、そのまま店番する。

 猟犬のうち最も高齢の雌犬が、昨夜から寒さと老齢で体調悪く、店内に置かれていることに気づく。その時まで、この犬がそれほど老いていることに私は気づいていなかった。犬はどこかしら、少年的な動物だ。日が昇ってから、老犬を店外の屋根のあるところへ連れて行く。老犬はまともに歩けない。昨夜よりはだいぶ老犬の調子がいいのだそうだ。父が獣医に連絡。老犬を入院させる。人間で言う中風だとのこと。

 昼寝する。
 妹2号、箱根駅伝の応援より帰還。母方の祖母のところへ兄妹で向かう。母方の祖母の家も、接客業で、客が宴会中だった。伯父伯母従妹の顔を見る。陽気な笑顔で私たちを迎える。疲労している。
 祖母のところへ兄妹三人で来たのは何年ぶりか思い出せない。いざ祖母の顔を見ても、話題が見つからない。妹2号が素晴らしく優れている社交力で祖母と色々話する。退出する。

 母が家族でトランプをしたがっている、と、妹たちが言う。それを買いにそのまま車でコンビニへ。2軒回る。いずれも売り切れ。人生ゲームを買う。帰宅。人生ゲームする、という雰囲気にならない。殺伐とした空気になる。私と母の罵り合いになる。母が言う。見合いの仲介を頼んだ人に、お前は私の悪口を言っただろう、なんて恥ずかしいことをするんだ、そのせいで最近はその人がまともに話を聞いてくれない、と私をなじる。母はその人に嘘ばかり言っているではないか、それを訂正して何が悪い、と私は反駁する。その他、妹たちも口論に加わり、不毛な口論が続く。客が勝手口から侵入したので中断。

 就寝しようとする。眠れない。手荷物から創作ノートを探す。ない。別なノートに日記をつける。

 2000年1月1日(土)

 夕方まで寝る。妹1号帰省。妹1号に複数回起こされる。そのことを起床後なじられる。

 母が建築についてバカな主張を始める。その提案を拒否する。
 見合いしろとか早く東京の仕事辞めて実家に戻ってこいとか母が言う。戻って来たら毎月これだけの給金を払う、と母が提示する。私は実家の経済を把握できていない。実家にいるとき覚える無力感はそれにも起因する。以前自力で算出した年間の実家の経済規模から考えると、母の提示金額は小額すぎる。マンガで同じ金額を稼ぐには、と計算する。少しも難しくない。マンガで稼ぐほうが精神的に楽だし張り合いがある、と、母に述べる。
 私が年間どれだけ稼げば母は納得がいくのか数字を挙げてくれ、と私が言う。そういう問題ではない、と、母が言う。もちろんそういう問題ではないことは私もよく判っている。母の言う意味とは別だが。
 今私の稼ぎが良くないのは二年前に母が病気で倒れ、いつでも実家に戻れるよう仕事を絞ったからだ、と私は言う。弱みを見つけたとばかりに、いつまた再発するか判らない、と、母が同情買いを試みる。
 資産の算定について父に質問する。相続税という概念を父母は飲み込めない。近代経済の概念を父母は全く持たないので、そのことは予想できたことだ。父母抜きで算定始めるつもりだった、と、父母に言う。母が色々錯乱したことを言うが、父は幾つか建設的な情報を出す。

 妹二人と、村の話をする。私の村は、ごく最近まで、村の北方と西方とでは方言が違っていた。それほど人間が動かなかったのだ。近親交配ばかりで、村ごとに顔の特徴がある、という話。

 妹二人、『おねぷ』の生中継観に行く、とのこと。付いて行く。『おねぷ』の行列らしきもの発見。それに加わる。
 列はギャル風の若い女性ばかりで、みなスカート履いている。原田泰造に投げられるために遠くから来たのだろうなあ、と妹たちと話す。テレビスタッフが何か説明している。「ええ~」と下卑た声を女の子達が挙げる。私たちの目の前に並んでいる人が、スカート履いた男性であることに妹1号が気づき、喜ぶ。
 タレントによって客層がはっきり違う、という話を妹1号が私にする。ウルフルズの客層は年齢幅が広く、前向きな良い子が多い、と妹1号が言う。妹1号はウルフルズのファンだ。学校の勉強ばかりしていて現実的対処能力のない青白い同僚にウンザリして、さわやかガテン系が好みのタイプになったようだ。ビジュアル系のファン層は、キメている人もいるけど、たまに凄い人もいる、仮装行列だ、とも妹1号が言う。ちなみに妹2号はビジュアル系が好みなようだ。
 なるほど、自己像を投影しやすいタレントを客が選ぶので、そういう関係になるんだね、という話を妹1号とする。
 妹二人は運良く特等席へ。私は外縁から撮影を見る。私は歓声上げすぎて頭痛する。「そんなに大声出したの?」とあとで妹たちから訊かれる。ああいうときは思いきり騒いだほうが楽しいでしょ、と妹たちに言う。
 特等席で妹たちの隣にいた女の子達は大阪から来ていたそうだ。今夜は野宿すると言っていたそうだ。「寝たら凍死するから、寝ないように頑張って」と言っていたそうだ。
 326のグッズを妹たちは購入。「326のどこがいいの?」と訊く。「自分がゼロならどうしようもない」というセリフがわりとお気に入りだ、と、妹2号が言う。絶望を前提とした前向きさに共感しているのかな、と想像する。

 母方の祖母にいつ空気清浄機を渡そうか、と、3人で相談する。1月2日の夜、妹2号が箱根から帰ってきてからにしよう、と、まとまる。

 田舎の夜はひどく寒い。小中学生時新聞配達していたことなど話す。田舎の冬は、切ない寒さだ、と、妹1号が言う。寒さは肉体に厳しい。寒さは攻撃的だ。田舎の暖房設備は貧弱だ。
 母は愛情表現のできない人で、寛ぐこと、安らぐことに道徳的羞恥心があるのだ、だから家族を寛がせないよう母は行動するのだ、と、妹たちが言う。妹たちにとって母は同性なので、母の底を見透かし許しているところが妹たちにはある。私の母への態度に比べると、妹たちは母に対し同情的で共感的だ。そのぶん妹たちは私に対し軽蔑と嫌悪を持っている。問題は妹たちの側にではなく、私の側にある。私は愛情と欲情の区別がしっかりできていないよな、と、思う。

2000年1月16日~1月18日

2011年12月18日 01時13分47秒 | Weblog
 1月18日(火)

 宮台真司氏の講義をjoannaさんと一緒に出席。
 joannaさんと同人誌交換。お話させてもらう。joannaさんと別れた後、宮台ゼミ出席。
 ゼミ終了時、「次回誰か発表しないか? 他大学の者でも構わないけれど」と宮台氏が学生に訊ねる。立候補したかったけど、原稿抱えているので立候補せず。その旨申し上げれば良かった、と、後悔。立候補者がいなかったので、今期のゼミは今日にて終了。

 社会学 講師宮台真司

 性愛規範論(まとめ)

 性愛の規範は、対象規範から、手順の指定へ、と変遷した。
 「恋愛」は歴史的に日の浅い観念だ。12世紀後半南欧で貴婦人への恋愛、というかたちで生まれたのが原型だ。キリスト教的崇拝・神への崇拝を、貴婦人を理想化する、というかたちで横滑りさせたのが「恋愛」のはじまりだ。16世紀に宮廷恋愛になり、ロマンチックラブとなった。
 1600年~1750年が、宮廷恋愛の時代だ。恋愛は病と見なされた。理想化という条件が取り外された。恋愛対象である女性は、理想的存在ではない。恋愛という病にかかっている人以外から見ると、とりたてて魅力のない女性だ、という認識となった。(逆説化)
 やがて、恋愛は小説に描かれるようになり、小説の自己言及、再帰が起こった。ロマンとは、内面的・主観的、ということだ。

 1;理想化 2:逆説化 3:自己言及化 『まぼろしの郊外』のストーカーへの言及部分で、宮台氏は、このような古典的恋愛の表象は、現在ではストーカーのものとなっていることを語っている。
 10年前講義したときには、「ストーカー=ロマンチックラブ」という図式は生徒に通じなかった。その間に、ロマンチックラブの自明性が消失したのだ。

 手順の問題。手順は、高度な条件に基づいている。それぞれ文化ごとに定義づけられた手順がある。手順を飛ばすことは、異常とされる。
 結婚を前提とする恋愛は、順当な恋愛手順を踏んでいるかどうか、によって、結婚の希少性が保たれる。
 結婚の希少性は、先進国では既に必要のないものとなっている。法慣習の変化、社会の流動性が高い成熟社会では、結婚の希少性は必要ではない。
 日本では、明治20年、北村透谷が「恋愛」という観念を輸入した。日本の「恋愛」はそれ以降のものだ。
 一般的愛着感情・性愛的アタッチメントと、西洋的「恋愛」は別なものだ。日本には日本の「手順」があった。それは「恋愛」の手順とは別なものだ。
 以上、性愛規範論。

 猥褻論

 「猥褻論」は、性に限らず、法など役割関係一般(ソシアル・ケ・ビルデ)に影響を与える。
 「猥褻」は、本来隠されているべきものが表れたとき、それを非難する感情だ。

 猥褻は A;(法的観念としての)猥褻 B;(習俗としての)ワイセツ に分れる。

 法的には「猥褻」の実体があるとする実体論で扱われている。猥褻文書、猥褻図画(とが)。
 だが、「実体」として猥褻はあるわけではない。社会的文脈いかんによって、何を猥褻とするか、法的運用の中でも変わる。

 習俗としてのワイセツは、本来一定の場所にあるべきものが、そうでない別な場所・あるべきでない場所にあるとき、ワイセツとされる。

 ワイセツのない社会はない。
 どんな伝統社会にも例外なくお祭りがある。動物にはお祭りはない。動物にはワイセツ観念がない。人間は例外なくワイセツ観念を持つ。人間は性を秘匿しようとする。
 哺乳類で発情期を持たないものは、げっ歯類の一部と、人間だけだ。ウサギは生理がなく、ものすごく速いスピードで出産をする。ウサギはとても弱い動物だ。特有の繁殖戦略として発情期を持たず常に発情している。
 人間はいつでも発情できる。出会う相手に片っ端から発情する可能性がある。人間は「性本能」を持たない。「性衝動」はある。本能は、エネルギー(欲望)+表現方法(旧皮質に刻まれた生得のもの)。人間は本能の代わりに、新皮質に学習した情報で、一定パターンに行動を制限する。性衝動を一定のかたちに制限したものが、「ワイセツ」だ。

 ワイセツだけで成立した社会はない。
 人間は常に「非性的役割関係」を持つ。同士、首長とその部族、など、性愛的求心力以外の役割関係を、人間社会は必ず持つ。性愛的求心力だけで作られた社会はない。
 「ワイセツ」は、非性的役割関係の場所に性的なものが表れたとき非難する感情だ。
 何が性的で、何が非性的であると感じるかは、時代と文化で変わる。古代韓国では、公式な場所での半ズボンはワイセツだった。南太平洋では、男性のズボンはワイセツだった。

 近代社会は、習俗としてのワイセツの他に、法的な猥褻概念を持つ。猥褻に関する社会的命令を持つ。
 法的猥褻には2種類ある。
 1;人権の侵害禁止
 2;公序良俗(狭義の猥褻)
 猥褻三法というものがある。刑法174条、175条、176条。
 174条「公然猥褻罪」、175条「猥褻物頒布罪」、この両者が狭義の猥褻、「公序良俗」にあたる。176条「強姦罪」人権侵害の禁止。

 176条「強姦罪」は、「13歳に満たざる者及び合意に基づかざる性行為」を禁じている。後、地方条例で、18歳以下を禁じるようになる。近代社会が進むほど、性の規制は強くなる。
 強姦罪は、相手の意思を踏みにじり尊厳を侵害することを、禁止するものだ。

 「公序良俗」の猥褻は、なぜ刑法に設けられたか。アジア諸国・後進開発国は、欧米に比べ、厳しい猥褻罪を持つ。日本では、法と習俗が乖離している。
 明治政府は、西洋同調政策をとった。不平等条約改正を目的とした。「日本が近代化している」というイメージを西洋に与えることを目的とした。明治30年クラウスが『日本の性と習俗』を発表した。男女混浴、若衆宿、性神信仰などが紹介された。ラフカディオ・ハーンなども、日本は性規範が緩い、という手紙を書いている。
 日本の性習俗は、明治政府の目的に反していた。明治政府は性習俗を禁圧した。これが狭義の猥褻罪だ。温泉秘宝館は日本的エキゾシズムとして、ヤコペッティ『世界残酷物語』(映画)でも扱われている。宮台氏はこれを見て、明治政府の気持ちがわかった、とのこと。
 近代化を急ぐ政府にとり、地方のさまざまな性習俗性風習は障害となった。権力の一律な統合に不都合だった。性風習を隠蔽した。
 ソウルオリンピックのさい、韓国が同様のことをした。韓国では犬を食う。また売買春も盛んだ。ソウルオリンピックのさい、ソウルの目抜き通りに犬屋を建てることを禁止した。売春宿を200m四方に閉じ込めた。日本で「ちょんの間」という売春エリア。
 これらは、対内的問題ではなく、対外的問題だ。

 性をめぐるアジア的命令には特殊な事情がある。「習俗としての性」と法(対外的視点)が、乖離している。対内的には、法を守る必要がない。
 そのため、吉原を管轄する警官は、任期が終わるまでに家が建つ。賄賂が常習化している。歌舞伎町の店の多くは無届だが、年間、警察にン十万円の付け届けをしている。新小岩のデートクラブの店長はインテリだったので、警察と話がついていなかった。警察はそこばかりを集中的に繰り返し摘発した。
 構造的問題がある。宮台氏は、人権侵害以外は習俗に合わせて法と作りなおすべきだ、と、考えている。
 習俗と法が乖離していると、裏社会に利権を与えることになる。
 『売る・売らないは私が決める』の中で、松沢呉一氏が言っている。売春防止法は、人権侵害から守るため成立したという神話がある。だが、実際には、人権侵害とは全く関係なく成立した。

 1959年に売春防止法は制定された。それまで、色町にヤクザは出入り禁止だった。売春防止法制定後、色町花街はヤクザだらけになった。
 色町花街が合法の時は、トラブルは警察が介入した。色町花街が非合法の時は、トラブルはヤクザが介入する。
 非合法の周りの脱法行為は、ヤクザによって秩序が作られる。

 1980年代後半、暴力団新法、新風営法が作られた。その結果、巨大な利権を警察が得るようになった。
 日本の猥褻問題は、対外的タテマエと対内的ホンネの二重構造を持つ。近年に至るほど、現状を知らないまま法律が作られる。エリートには二重構造が見えない。法律が作られることによって、意外な波及効果が起きる。
 ヤクザの歴史は約200年だ。差別されている人間たちの互助組織という機能がある。暴力団新法以降、ヤクザはビジネス化する。従来ヤクザ社会に入ることで居場所を得ていたチンピラが暴力団からたたき出されることになる。チンピラのアノミー化が起きる。

 1960年代まで日本の性習俗の研究はintensive(強力)に存在した。宮武外骨、やすだとくたろう(初めてフロイトを日本に紹介)、高橋哲(奇たん倶楽部)など。法規定の多くが、大正時代においてもあまりに習俗と乖離していたことを、研究していた。弾圧され、都市民から批判された。
 70年以降、法が形式的マニュアル化する。昔はホンネ(性習俗)の部分を全員が共有していた。郊外化後期に至り、習俗が変化した。A;法的タテマエを本気で生きる人間 B;ホンネ領域のアンダーグラウンド化した人間 の二つに分かれた。AとBは、相互に判りあわない。また、日本には、法を守るべきという伝統を不足している。結果、抜け駆けに向かって動機づけられる。

 公然猥褻は、制度的営業であるかどうかで、決まる。立ち小便でチンチンを出すのは、公然猥褻ではなく軽犯罪になる。ストリップは先進国では取り締まり対象にならない。猥褻実体論は社会学的に誤り。宮台氏は、公然猥褻罪は不要だと考える。風俗営業の立地規制(風営店が立地できる場所は決められている)はかつてはなかった。今はある。不意に、心構えなしに、目撃するか否かは重要だ。

 有害図書規制の問題。性的雑誌などによる、悪影響論は、立証されていない。効果とコスト、メリットとデメリット、力学的思考は、日本ではできていない。『完全自殺マニュアル』で救われる人がいるというメリットと、それで自殺する人が現れるというデメリットの比較ができていない。見たくないものの不意打ちを食らわない権利、見たくないものを無理矢理見せられない権利が、ゾーニングだ。


 1月17日(月)

 妹2号から電話で罵倒される。「お兄ちゃんは不幸を撒き散らしてるよ」

 1月16日(日)

 無為に過ごす。

2000年1月19日~1月31日

2011年12月18日 01時10分12秒 | Weblog
1月25日(水)~1月31日(月)

 下絵する。タイトル「タコツボ的」に変更。担当さんにネーム見せた時、「これ描いていてつらかったでしょう」と心配される。「いいえ、色々吐き出したのですっきりした気分ですよ」と応える。

 1月29日、新潟少女監禁事件のニュース聞く。新潟県警のwebページ探し人のコーナーに被害者の写真など個人情報があることを知る。新潟県警に削除するのが望ましい旨メールする。その後数人にその情報を知らせ、政治家数人、報道関係者二人にその旨メールする。被害者の人権を警察はどう考えているんだ、という話に、政治家の方面から至ると面白いと思い、そのようにする。いずれこの事件は児童ポルノ法に影響与えるのは間違いない。被害者の人権、というロジックを規制側は間違いなく持ち出すだろう。そのロジックへ対抗するためのアリバイを考えてのこと。
 それはそれとして、個人で楽しむために、県警のwebページを保存する。
 県警にメールを送って24時間経っても、まだwebページが残っている。県警はメールに気づいていないのだろうか? と、考える。国会が空転し異常な国会になっているので、政治家はメールとwebページ確認の上県警に電話、という行動を、誰もとっていないのだろうか。こうしている間に、被害者の個人情報は継続的に侵害されていることになる。自分が県警に電話で一報すれば、そのぶん削除は間違いなく早まるだろう。被害者の人権を重視するのならそれが望ましいはずだ、と、考える。電話するべきか、と、悩む。すごく悩む。一度決めた方針を、途中で変更するのは元も子もなくす、と、考える。電話することを辞める。ひどく胃がザラザラする。
 1月30日昼、県警からメールの返信。webページが削除されたことを確認。
 報道では「人権に配慮し」云々、というフレーズが聞かれた。宮崎勉事件の際は被害者の顔と名前がバスバス公開されていたので、それに比べると警察も人権に配慮するようになったんだなあ、と、思う。
 後日、「人権配慮」していたのは精神病らしい加害者に対してであって被害者に対してではないと知る。がっくり。マスコミに容疑者の情報をリークする公判が困難になるからだ、という話を友人から伺う。なるほど、と、納得する。

 1月30日、レンタルしている掲示板のカウンタが壊れていることに気づき、レンタル元にメールする。

 1月25日(火)

 徹夜して、朝、ネームできる。『蛸壺や はかなき夢を』。2時間眠る。宮台真司氏の講義聞きに行く。来週はテストなそうな。受けてみたいが、〆切最中になるので今期出席はこれが最後。

 教養科目 社会学 講師宮台真司(以下のメモには鎌やんによる勘違いがたくさんあると思うので、気づいた方はご指摘ください)

 テストは自問自答形式。宮台氏が語った内容をなぞる必要はない。「問い」の設定が重要。記述の論理性が大事。

 今までのまとめ。
 宗教と性の問題が、授業の主要部分。天皇制と、動機付けの混乱。

 宗教とは何か。競合するいくつかの定義がある。「聖」「俗」定義は、いくつか有効性がある。日常(俗)で発生する「期待外れ」を、非日常(聖)に隔離することで、日常の温存を図る。

 90年代の日本は、ストリートコンプレックスの時代だったと宮台氏は把握している。「ストリート」「第4空間」は過渡的表象である。「天使の扉」は、学校化された人々が、学校的状況を乗り越えようとすること。脆弱さから、タフさへ移行しようとすることを示す。ドラゴンアッシュなどは「悪そうな奴は皆友達」という感性を持つ。この「タフネス」は、横浜銀蝿的な、幻想のタフネスだ。「ストリート」には実体がない。ストリートのヤマンバギャルの感性は、オバサンの感性と同じだ。

 「意味」的なものから、「強度」へ。「強度」とは、どう濃密さを維持するか、ということだ。いかにして、というところは、宮台氏自身不透明だ。単純にアメリカと比較すると、絶望的になる。(アメリカに存在する階級差文化差にあたるものは日本にはない、と、宮台氏は捉えているから)
 家族の問題に拘泥することを宮台氏は否定しそこから出ることを宮台氏は主張したが、あるミーティングで、「『それ以外』に出るとして、そこにどんな強度があるのか」という質問をされ、それに宮台氏は答えることができなかった。

 動機付け問題

1;日本に限定される要因
 一般に、従来は、「村」からの承認、共同体からの承認、を、動機付けとしていた。所属動機。
 社会が流動化し、所属が見失われていく。
 代替的承認、代替的動機付けはどういうものか、は、いまだ不明。尊厳を「所属」から「試行錯誤」へ、と、宮台氏は捉えたが、なぜ試行錯誤して尊厳を得る必要があるのか、については、宮台氏は答えを持たない。

2;近代社会一般の要因
 長いこと、社会は「親族原理」できた。「ハレ」と「ケ」を、社会は持つ。原初社会の動機付けは、内と外の差異にある。
 どの共同体にも、神話がある。「どうして私たちの社会はこういうかたちでであるのか」…一回的立法、という説明が神話では、なされる。スサノオのようなマレビトが、一回的立法を行った、という説明だ。
 祭は、共同体の外である非日常を呼びこむ作法だ。それによって、共同体の枠を確認するのが、祭だ。
 ヘブライズムは、空間的なものから、時間的なものへ、転換した。無限変転に輝きがあるとする。
 1970年代、instrumental手段的(未来に非日常的輝きを設定)から、コンサマトリ(スペル判りません)(今を楽しむ)へ変わった。だが、「今を楽しむ」ツールが足りない。わざわざツールを作らなくてはならない。なぜそこまでして今を楽しまなくてはならないのか。そのことを思うと、絶望的になる。

 『ファイトクラブ』という映画があった。階級批判としても読み解ける映画だ。だが、ポストモダン的にも読み解ける。生活になんの濃密さもない、だから殴り合おう、それによって非日常を呼びこむ。中流日常文化批判になっている。アナザーワールドをどう呼びこむか。

 結城座という。360年の伝統を持つ人形劇団がある。
 『アンチェイン・マイ・ハート』という劇が公開された。
 結城座は、五年に一度アングラ芝居をする。人形に宿る「闇の力」を再生するためだ。伝統芝居だけを続けると「闇の力」を失う。
 『アンチェイン・マイ・ハート』は、なぜ私たちは、日々砂を噛むような日常を過ごさなくてはならないのか、それは「闇の力」を失ったからだ、という、右翼マインドの演劇だ。
 宮台氏は、足立正生の『銀河系』を連想した。足立正生はベイルートの刑務所にいる、赤軍テロリストだ。日大アングラ映画の旗手だった。1972年PLOに参入した。来月(2000年2月)刑期満了で出所する。
 『アンチェイン・マイ・ハート』は、あくたまさひこ(字、判りません)(橋爪大三郎の劇団出身、三島由紀夫との東大討論で重要な役割をする)、かのうりょうすけ(字、判りません)が制作した。

 「闇の力」は、非日常の力「縦の力」だ。日常の力「横の力」に対する。
 化粧は、本来、神を降ろすものだった。現在は、「横の力」、コミュニケーションツールとなっている。「聖」は、「縦の力」だ。
 根源的質問、端的な問題は、「横の力」(社会内の関係)では、説明できない。「縦の力」(非日常の力)を必要とする。
 いかにして「縦の力」を呼びこむか。
 「縦の力」は「弱い場所」に宿る。たとえば人形は「弱い場所」だ。人なのか物なのか曖昧なものだ。エドマンド・リーチ は、フリークスと呼び、バタイユは「呪われた部分」と呼んでいる。
 「弱い部分」は「境界的存在」だ。狂人などがそうだ。共同体に半分属し、半分属していない、そういう存在だ。共同体の外にある「見えない半影」を見えるようにするのが、「祭」だ。
 「縦の力」が呼び込まれるとき、「横の力」は働けなくなるので、横の力を、一時停止する。これが「祭」だ。ハレとケの交替。

 『アンチェイン・マイ・ハート』は「縦の力」を呼びこむのに成功している。宮台氏は41歳だが、小学生の頃、週に一回、紙芝居を見ていた。年に四回、祭があり、見世物小屋がそこでは立った。小学生の頃京都にいた。そこには非日常的場所があった。安生寺池という、オカルトな場所があった。そういうかたちで、「縦の力」的な物を実感する。
 アングラ映画は、「祭」の、「縦の力」が降りるのを、再現している。

 『銀河系』は、4人のキャラが登場する。「私」、「私」にとりつくビッコの「影」、「白いドレスの女」、「黒い山伏」。
 「私」と「影」は日常を、「白いドレスの女」と「黒い山伏」は非日常を示す。「白いドレスの女」は、アメリカであり、近代の輝きであり、未来である。「黒い山伏」は、大和であり、「縦の力」である。
 ストーリーはこうだ。「私」が「白いドレスの女」と寝ようとすると、「影」が現れ、邪魔する。「私」が「影」を殺すと、「黒い山伏」が現れる。
 これは戦後の近代化を意味している。「影」は、「私」の実存にある、近代に回収できないものを示している。
 アングラ劇は、近代(未来)と、反近代(「闇の力」「縦の力」)という図式を持つ。

 いかにして近代化したか。 原天皇制と、近代天皇制。

 原天皇制は、ヒメヒコ制、生神様だった。部族ごとに利用する「縦の力」だった。それぞれの部族ごとに持つ「聖」「俗」、全ての原初社会は、これを持っていた。
 人形に宿る「闇の力」、芸能の力、これは天皇が体現していた物に等しい。芸能人は、もともとだった。在日の方も多い。芸能の力を持つ者は、「内」と「外」の境界線上に現れる。
 天皇は、もともと依代だ。天皇自体に力はない。「外」にある力を降ろす、憑依する神体だ。原天皇制は、「縦の力」の源泉だった。

 近代天皇制は、「忘却と融和の装置」だ。日本は血縁社会ではない。日本は同じ時間空間を過ごすことで「家族」となる。(中国は血縁社会だ。血縁があれば今まで見たこともない人同士であっても、次の瞬間には抱擁しあう)
 「習合」は日本独特だ。部族間の征服が起きる時、日本は独特な現れをする。日本以外ではふつう、敗北した神は、廃止される。ごく限定的に、勝利した部族が、敗北した部族をそっくり包含する時、敗北した神が勝利した神に仕える、という形式をとる。日本には、この「仕える」原則しかない。 神仏習合、本地垂迹説(仏教の仏を本地(ほんじ)すなわち本源とし、神道の神をその垂迹(すいじゃく)すなわち衆生を救済するために仏や菩薩がとった具体的姿とする"神仏習合"Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved)。
 天皇制は原理主義ではない。近代天皇制は、日本の中の差異を忘却させ、近代国家として融和する。
 戦後、アメリカは、文化人類学者の研究の結果、天皇制を残すことにした。アメリカ化に利用できる、と、考えたのだ。天皇の非日常部分(闇の力)を抹消し、天皇の日常化を果たした(人間天皇)一方、「忘却と融和の装置」としては、徹底して利用した。

 動機付けの問題

 近代天皇制を否定して、「縦の力」を呼び込む、というのが、宮台氏の考えだ。
 芸能の力は「縦の力」だ。日本のロックの流れは、「恥かしき者に恥かしきままに力を与える」(保田与重郎)。ロックを聴く人々は、コミュニケーション不全の人々だ。HIDE、尾崎豊は、聖地を持つミュージシャンだ。これは世界に類がない。尾崎豊は学校への愛惜と憎悪を歌った。

 機能的に分化した社会が、近代社会だ。日本はいかにして近代社会となるか。天皇制は、常に利用されている。アメリカによって、松下村塾によって、古くは聖徳太子によって。
 原初的メカニズムとしての「縦の力」を考える。アメリカ的差異の落差は、日本にはない。

 社会学は、近代社会への自意識を与える学問だ。
 日本では「右」「左」という対立は、全く意味がない。ともに共同的尊厳観だ。忘却と融和に支配される。
 むしろ、「日常体質」か、「非日常体質」か、のほうが、重要だ。

 バークは「連続性」を説いた。喜怒哀楽など人倫的関係の基盤を「連続性」であるとした。それを「伝統主義」と呼ぶ。
 マンハイムは『歴史主義・保守主義』(『歴史主義・保守主義』 / マンハイム [著] ; 森博訳. -- BN00872987 東京 : 恒星社厚生閣, 1969.2)で、バークの言う「連続性」人倫的関係はないから、作らなくてはならない、というのが、マルクス主義だ、と、述べた。

 人倫的関係の与える喜びは、人は誰でも求める。だが、それのみで生きていけるのか。答えはノーだ。非日常性を人は必要とする。シャーマンが必要だ。
 近代社会が非日常の力で動くことはない。(ウェーバーのカリスマ論)
 人倫的喜び、という実存以外の、非日常論が深められる必要がある。

(以下、自習)

リーチ Edmund Ronald Leach 1910~89 正統派の考え方をつねに批判して独創的な見解をのべつづけたイギリスの社会人類学者。ケンブリッジ大学で数学と工学をまなんだのち、中国へわたるが、台湾の少数民族との出会いから人類学へ転身。帰国後、ロンドン大学でマリノフスキーに師事した。1966~79年には、ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジ学長をつとめた。
リーチの貢献のひとつは、社会を静的な均衡を保ったものとして見るのでなく、その動態をみずからの民族誌「高地ビルマの政治体系」(1954)によって明らかにしたことである。そして、当時の人類学の主流だったラドクリフ・ブラウンの構造・機能主義を批判し、人類学の活性化をはかった。もうひとつの貢献は、言語的なカテゴリーの研究、観念体系の分析である。その成果は「文化とコミュニケーション」(1976)にまとめられ、構造主義人類学への接近をしめした。主要著作にはほかに、「プル・エリヤセセイロンの村落」(1961)、「人類学再考」(1961)、「社会人類学」(1982)、「聖書の構造分析」(1984)などがある。"リーチ,E.R." Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.(『人類学再考』 / エドマンド・リーチ [著] ; 青木保, 井上兼行訳. 思索社)

バタイユ Georges Bataille 1897~1962 フランスの作家、詩人、思想家。文化論、芸術論、エロティシズム論、ヘーゲル論、消費論など、多岐にわたる分野で独自の思想を構築した。1970年に「バタイユ全集」の刊行がはじまるとともに一気に評価が高まり、フーコーによって「20世紀におけるもっとも重要な著作家のひとり」と評された。
司書が終生の職業
バタイユは、フランス中部の山岳地帯オーベルニュ地方のビヨン市に生まれた。思春期は敬虔(けいけん)なカトリック信者で聖職者をめざすほどだったが、まもなく無神論者に転向。パリの古文書学校を卒業後、1922年、国立図書館に司書として勤務。オルレアン図書館長をつとめた晩年まで、多彩な表現活動と並行して一生涯を図書館員としてすごした。
1920年代半ば、シュルレアリスム運動に接近するが、ブルトンとはげしく衝突、29年から文化総合誌「ドキュマン」を発行し、同誌はシュルレアリスム離反派の拠点となった。37年、ミシェル・レリス、ロジェ・カイヨワらと「社会学研究会」を組織するが、第2次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)とともに解散を余儀なくされる。戦後の46年には月刊の書評誌「クリティック」を創刊、死ぬまで同誌の編集長をつとめた。
「聖なるもの」の探究
バタイユは、国家公務員としてはたらく一方で、「眼球譚」(1928)、「マダム・エドワルダ」(1941)、「C神父」(1950)などのポルノグラフィー小説を匿名で発表した。そのほか、経済学原論「呪われた部分」(1949)、性の問題を考察した大著「エロティシズム」(1957)、聖なるものをめぐる社会史的考察「至高性」(遺作)など、多数の理論書を執筆している。こうした著書で一貫して追求されているのは、「聖なるもの」の体験と省察である。バタイユは、「聖なるもの」こそが人間の活動分野でもっとも重要な意味をもっていると考えた。
1980年代にはいって、生産中心の世界像に対して、蕩尽(とうじん)、消費を軸とした非生産の世界像を対置したバタイユの「普遍経済学」の試みが脚光をあびるようになった。現在、もっとも注目すべき思想家のひとりにはちがいないが、まだその思想の全体像が汲みつくされたわけではない。"バタイユ,G." Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

日本浪曼派 にほんろうまんは 1935年(昭和10)3月から38年8月まで発行された文芸雑誌。通巻で29冊。発行は第3巻第4号までは武蔵野書院がうけおい、以後は西東書林にうつった。
発起人と同人
日本プロレタリア作家同盟いわゆるナルプの解散によってプロレタリア文学運動が壊滅したのち、ロマンティシズムの思潮があらためて注目されるなかで、詩精神の高揚や古典復興をうたって誕生した。創刊に先だち、保田与重郎によって文芸雑誌「コギト」に発表された「『日本浪曼派』広告」によれば、神保(じんぼ)光太郎、亀井勝一郎、中島栄次郎、中谷孝雄、緒方隆士(りゅうし)、保田の6名が発起人となっている。同人には太宰治、壇一雄、萩原朔太郎、佐藤春夫、林房雄、三好達治らがおり、最終的には52名になっていた。
変質
身辺雑記を写実的にえがく自然主義的な小説を「平俗低徊(ていかい)の文学」としてきびしく批判し、高踏的かつ反進歩主義的な立場をうたった。そのため、文芸誌「人民文庫」(1936~38)を拠点に、散文精神による批判的リアリズムを提唱して進歩主義文学の中心であった高見順、武田麟太郎らからははげしい批判をうけた。実際には、日本浪曼派の日本古代への憧憬(しょうけい)は、明治以来の無秩序な西欧文化の摂取による、近代日本の行き詰まりへの激しい抵抗の一手段であったが、ファシズムの拡大や方向性のことなった俗流の日本主義の台頭によって、当初の緊張感がうしなわれ、戦争の一翼をになう集団に変質せざるをえなくなった。"日本浪曼派" Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

保守主義 ほしゅしゅぎ保守主義には、3つの意味がある。まず第1に、保守主義とは急速な変化をきらう個人の心理ないし態度である。これは自然的保守主義あるいは伝統主義ともよばれる。第2に、保守主義は政治思想であり、18世紀西欧の啓蒙思想、フランス革命に対する反動として生じた。政治思想としての西欧保守主義は、理性よりも信仰を、新しいことの探求よりも伝統を、平等よりも階層秩序を、個人主義よりも全体の価値を、世俗法よりも神あるいは自然の法を擁護する。より一般的にいうと、保守主義は現状を維持することのメリットを強調し、現に存在する権力、富、身分の配分状態を尊重されるべきものと考えるのである。最後に、せまい意味では、保守主義政党(とくにイギリス保守党)の具体的政策、活動を意味すると限定される場合がある。
起源
政治思想としての保守主義の古典的定義は、イギリスの政治家エドモンド・バークの著書「フランス革命の省察」(1790)にみいだされる。バークはフランス革命をはげしく批判し、個々人がその分をわきまえた役割をもつ有機的・伝統的な社会編成を擁護した。バークによれば、有機体としての社会においては、生まれや富や教育によって自然にエリートたるべき者(貴族)が存在し、その統治によって安定が維持されていたのに、革命という酒によった暴徒は、絶対的支配によって習慣、伝統、有機的社会のすべてを破壊し、人々を平等という名の地獄にみちびいているのである。
バークは平等原理や人民主権、普通選挙権、多数決原理を拒否し、秩序、均衡、協調、節度ある支配、そしてとりわけ神法である自然法と習慣を尊重した。といっても、彼はあらゆる変化を頑強にこばんだり、政府の支配をただ嫌悪したわけではない。バークは社会的な紛争や経済的な競争が放置されて、急激に破壊的な対立に転化することをおそれたのであり、慎重な、漸進的な改良は、むしろのぞむところであった。いいかえれば、彼は政府に対して、人々の革命への要求を先取りするような、その結果、人々が革命など必要としなくなるような賢明な政治を期待したのである。
こうしたバークの政治思想は、実際の政治党派的意味をもっていなかったが(バーク自身はホイッグ党員であった)、1830年代になってトーリー党が保守党と称されるようになってから、保守主義は、まずもってこの党の政治理論、政策一般を意味するようになった。
イギリスの保守党
19世紀イギリス保守党の基本的立場は、1688年の名誉革命体制、すなわち貴族、ジェントリーという大地主階級の支配と王権に対する議会の優位を擁護し、維持しようとするもので、中流ブルジョワ階級に支持されたホイッグ党、すなわち自由党のリベラリズムと対立するものであった。やがて、社会的平等をもとめる潮流が強まってくると、社会立法と選挙権の漸進的拡大による上層と下層の協調が保守党の政策となった。そして20世紀になると、保守党は、健康、教育、経済的安定などに対する国家の社会的責任をみとめるようになり、第2次世界大戦ののちには、労働党主導でおこなわれた産業の国有化や福祉国家政策もうけいれるにいたった。しかし、1979年にサッチャー保守党政権が誕生してから、保守党は国家統制や福祉基準、国有化について見直しをはかった。
ヨーロッパの保守主義
イギリスの保守主義が議会政治の擁護と改良主義を特徴としたとすれば、ヨーロッパ大陸の保守主義の特徴は、議会制民主主義とむすびつかず、王権や貴族の専制的支配と手をむすんだという点にあった。保守主義と反動との区別が明確ではなかったのである。その結果20世紀になると、いくつかの国では、保守主義は権威主義的な政府、とりわけイタリア・ファシズムやナチズムに支持をあたえることになった。とくにドイツにおいては、保守主義は「保守革命」を名のって、民主主義や社会主義に対抗する反革命運動にもなった。
アメリカの保守主義
19世紀を通じて、アメリカの政治思想は、経済的個人主義を基本とし、中央政府の権限を強力に制限する立憲民主主義であった。すなわちアメリカ政治思想の本流は、自由と機会均等にもとづく自由主義なのであって、そうしたアメリカの伝統を擁護することが保守主義となるのである。イギリスやヨーロッパからみると奇妙なことだが、アメリカでは、個人の自由、市場での競争、富の獲得、ひとことでいえば進歩を擁護することが保守主義となったのである。ここでは富を獲得することはえらばれた者の証拠となる。やや誇張していえば、アメリカには弱肉強食の社会ダーウィニズムがあり、その結果、優等者は劣等者を指導しうるのだという考えが生まれやすい。
1930年代の大恐慌に対するフランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策は、アメリカの伝統を革新するものであった。ニューディール政策は自由な市場経済に対する国家統制を強め、連邦政府の規模と権限を増大させた。これに対してアメリカの保守主義者たちは、自由な市場への回帰、政府機能の縮小をさけんだ。オーストリアの経済学者ハイエクは、44年に「隷従への道」を書いて、国家の経済統制を批判した。80年代になると、共和党のレーガン大統領のもとで新保守主義がとなえられ、宗教や国家の価値の再評価とともに、税負担の軽減、政府統制および政府予算の削減、市場の活性化がめざされた。
新保守主義
1980年代、サッチャーやレーガン、そして日本の中曽根康弘内閣は、福祉国家政策による財政の硬直化、重い税負担、市場の停滞に対して、市場経済の活性化、福祉政策の見直し、税制改革をスローガンに新保守主義を提唱した。日本においては「民活」(民間活力)の掛け声のもとに、国鉄、電電公社の民営化を筆頭に、いくつかの領域で政府統制の撤廃がめざされた。新保守主義は、社会の活力を統制のない市場経済によって実現し、国家の役割を国防と治安維持におこうというものであり、冷戦体制下では反共イデオロギーも強調された。"保守主義" Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

マンハイム Karl Mannheim 1893~1947 ハンガリー出身の社会学者。ブダペストに生まれる。ブダペスト大学を卒業後、1919年のハンガリー革命ではルカーチらとともに革新的文化人のひとりとして活躍するが、革命の挫折後はドイツへ亡命した。
ドイツではハイデルベルク大学、フランクフルト大学にむかえられ、「イデオロギーとユートピア」(1929)で知識社会学の確立者のひとりとなる。「存在が意識を決定する」というマルクス主義の土台上部構造論をうけとめながらも、その決定論を修正し、存在被拘束性を提唱した。これにより、初期フランクフルト学派をふくむ左右両翼から批判をうけたが、同時に時代を代表する思想家となった。
しかしその後、ナチスの台頭を前に、1932年にはイギリスへ亡命した。イギリスではロンドン大学で教鞭をとり、自己の社会学の理論的整理をすすめた。さらに、より現実的な問題に対しても積極的に行動し、社会計画を推進するという「自由のための計画」をめざす時代診断という立場から活躍した。
第2次世界大戦後はユネスコの委員として活躍したが、帰国することなく病没した。主要著作には「変革期における人間と社会」(1935)、「現代の診断」(1943)、「自由・権力・民主的計画」(1951年、没後編集刊行)などがある。"マンハイム,K." Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

ウェーバー Max Weber 1864~1920 20世紀を代表する社会科学者。社会学・政治学・経済学・経営学・歴史学・宗教学など、それぞれの専門諸科学領域ですぐれた業績を達成して、19世紀の社会科学を代表したマルクスに対比される。またその展開したその成功をもとに、合衆国全域と理論内容においてもマルクス理論に対比される。
生涯と思想の形成
ウェーバーの生涯は、ほぼ近代ドイツ帝国の生成・発展から崩壊までの時代にあたる。その理論の展開は一方で祖国ドイツをめぐる現実とむすびつき、他方でそれをこえて近代西欧社会の特質に目をむけることにより、ひろい世界史的視野をもつことになった。
ドイツのエルフルトに生まれ、ハイデルベルク大学やベルリン大学で歴史・法律・経済などをまなんだ。1892年ベルリン大学で商法の講師となり、ついでフライブルク大学、ハイデルベルク大学の国民経済学教授をつとめた。
父は産業資本を代表する中道派の国民自由党の国会議員、母は誠実なプロテスタントであった。外的な社会活動にむかう政治家の父親と、宗教という人間の内的世界に生きようとする母親とでは、家庭の和はなかなか困難であった。この両親がもった政治と宗教の2要素は、彼の思想や理論に刻印されている。学問的素質は早くから認められていたが、わかいころの学問的関心は、もっぱらヨーロッパ列強の中での祖国ドイツの運命にむけられていた。19世紀の農業革命がひきおこした東部ドイツの社会的変動がドイツ国家や文化におよぼす影響が、ウェーバーの前半期の主要研究テーマであった。この問題意識が一変するのは中年期以降である。
内的生活への眼差し
30代半ばで強度の神経障害にかかり数年間、学問活動とは無縁となる。両親の不和、長男として和解の役割をはたすというより母親側にたって父親と対立、さらに結婚をめぐる問題などが精神的圧迫となり、神経障害をひきおこした。数年間におよぶ、社会から隔絶した妻とだけの閉じられた生活環境から、ふたたび学問の世界にたちもどったとき、彼の関心は一変し、2つの主要な学問領域、宗教社会学と社会科学方法論が形成・展開された。
それは問題意識の深まりと広がりであり、いわば父親的要素から脱皮し母親的要素の目覚めであり、人間の内的世界への深い眼差しであった。それはまた人間の普遍的問題世界に視野をひろげさせ、国境をこえた世界的な学者になる道を準備した。宗教社会学の研究も方法論の研究も、根本的には一つの問題意識から発したものであり、自己省察である。一方は自己のたつ社会的基盤、つまり西欧近代社会の特性の認織であり、他方は、社会科学者として、自分の科学的認識の特質の把握である。
魔術からの解放
後進国ドイツをもつつみこんだ西欧近代社会、資本主義的近代社会は、その個人主義的自由主義、合理主義、巨大な生産力により、特殊ヨーロッパをこえて世界史的影響力を地球規模にひろげた。資本主義的近代社会のただなかに生きる以上、その特性の認識、歴史的形成の跡付け、今後の予測と展望はウェーバーにとり、必然的課題であった。また方法論的研究は、自己をそだてたドイツの学問的伝統(歴史学派)の後進性の批判と、それからの近代的脱皮であった。西欧近代の特性認識はドイツ社会の後進性の自覚であり、それはまたドイツ的学問意識の後進性批判と連結するウェーバー自身の近代的脱皮であった。ウェーバーはその点を「魔術からの解放」(Entzauberung)として、神経症以後の理論展開の核概念に結晶させた。
初期資本主義の倫理
西欧近代の資本主義の特性は合理主義にある。とくに形成過程における経済的合理性とともに、私的生活においても合理性(禁欲生活)が重視されたことは、それが倫理的生活原則(エトス)として確立されていたことによる。その倫理的生活原則は宗教理念に由来するものであった。古典的名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、その明快な分析である。禁欲的生活にささえられた近代資本主義の担い手たちの合理的組織・合理的経営・市民的自立的経済活動は、西欧近代以外の地域や近代以前の権力と癒着した政商的な、またはモラルを無視した冒険商人的な経済活動とははっきり区別されるものであった。ウェーバーはこうした西欧近代の特質を浮き彫りにするために、古代ユダヤ教の世界にまで歴史をさかのぼる一方、アラブからインド、中国そして日本までそれぞれの社会的特性の考察をひろげた。
宗教社会学
それぞれの社会的特性には宗教が強く作用していることに着目して、古代ユダヤ教やイスラム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教などと、それぞれの社会の特性との関係を分析した。このような考察によって、キリスト教ヨーロッパにおいて、しだいに魔術からの解放が進展して、最終的にイギリスのピューリタニズム(→ ピューリタン)において宗教は倫理化され、それが個人の内面的確立と合理主義経済社会を定着させたと結論づけた。ウェーバーがピューリタニズムにおいて重視したことは、その責任倫理であった。責任とは自己の行動・活動の明晰な意識化であった。神経症以後、展開されたこの宗教社会学研究の核心は、同時期にはじめられた社会科学方法論研究の核でもあった。それは、自分がいとなむ科学研究行為自体の明晰な意識化である。それは学問研究者としての責任であった。
価値自由の態度
ウェーバーをそだてたドイツの社会科学では、人間社会を対象とする社会科学は自由や人格の存在するかぎり、自然科学とは方法がちがわなければならないとされていた。彼はそれを批判し、科学研究の方法は対象によらず、研究者の認識目標によってことなるのみとし、科学の研究方法は自然・社会両科学とも同一であると主張した。さらに現象の個性面の研究は、その現象に対する研究者の価値判断に出発するものであることを明らかにするとともに、研究の過程においては、その価値判断自体は抑制されねばならないと論じた。この方法論は価値自由とよばれ、すべての人間行動への価値判断抑制を前提とする理解を中心にすえた理解社会学として結実した。
官僚論と経営学
近代資本主義形成過程の研究は、資本主義発展の未来像の考察におよんで、現代経営学や組織論の基盤である官僚制理論を生みだした。マルクスが資本主義の生産現場を分析対象としたのに対し、ウェーバーは経営組織を問題にした。経営の大規模化は必然的に専門的職能の合理化をすすめ、合理的組織を確立させる。公的行政組織であれ、民間私企業であれ、また資本主義であれ、社会主義であれ、組織の大規模化は人間を専門的職能の網の中にくみこむ。「精神なき専門人」の出現である。
ウェーバーはこうして古代社会から中世をへて、現代から明日の人間社会の生成と行方を考察した。彼のその人間社会の認識は、マルクスの歴史認識の意義をみとめる一方、その唯物史観の一面性を批判して、人間は物的動機にうごかされながらも、理念によりみちびかれるということであった。それはまた彼自身の思想についていえば、大規模組織(官僚制)の中にいようと、人間は羊ではないという自由の主張であった。
主著としてほかに「職業としての政治」(1919)、「職業としての学問」(1919)、「経済と社会」(1921~22)などがある。"ウェーバー,M." Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

 宮台氏の発言、『終わりなき日常を生きろ』から見ると、ちょうど対極のところに来たかなあ、と、感じる。正直になったのだと思う。そのことはいいことだと思う。しかしながら、「縦の力」は、ナチス的なものに結び付きやすいので、そのあたり危うさがあるな、と、思う。交替可能な独裁性が民主政治だから、政治機構的には権力集中を日本は経なくてはならないと私は思うので、その意味、構わないか、とも思う。しかしながら機構の部分とムードの部分はきっちり分けないといけないよな、とも思う。

 RB67さんから連絡。実家のことについてその他相談に乗ってもらう。マンガのネタの打ち合わせもする。帰宅後、編集部から留守電。ネーム一部変更。
 実家から電話。パパ、僕に用があるのならパパが直接電話してよパパ。
 足立真一さんから電話。ちゃんと定期的に食事とってください、足立真一さん。

 1月24日(月)

 ネームする。

 1月23日(日)

 昼、起床。えだのさんのオープンミーティングの日だ、と、思い出す。若干悩み、行くことにする。電車が人身事故でダイヤ乱れてる。五分程度の遅刻ですむ。五分聞き損ねると大損。以下はメモ。鎌やんによる勘違いがあるかも。

えだの幸男オープンミーティング

 公共事業は、すればするほど、借金が膨らむ。借金を作りながらの景気対策は、もう限界だ。現在、日本は、600兆円の借金を持っている。日本のGDP(国民総生産)は、500兆円だ。日本人が1年間、飲まず食わずして稼ぐ金額が、GDPだ。
 収入が全て利息の支払いにしか回らない経済は、不健康だ。ドンと金を使った瞬間は、経済成長する。100兆円借金して、100兆円投資すれば、100兆円分の経済成長が起きる。投資が一巡した瞬間、ドスンと経済成長は落ちる。これでは意味がない。
 今までは、経済が右肩上がりに成長することが、ベースだった。景気が悪くなる理由としては、1;景気には波がある。供給過剰のとき、景気は悪くなる。 2;円高不況。輸出が苦しくなる。…というのが、今までだった。
 今の景気の悪さは、違う。
 1;海外ではまだ日本製品は売れている。
 2;国内では製品が売れない。
 …これが実情だ。
 金がなくて、ものが売れないなら、インフレ政策しかない。だが、日本の貯蓄額は1年で100兆円増えている。今の不況は、将来への不安が生み出したものだ。将来が不安だから将来に備え貯蓄する。金が貯蓄に回り、回転しないから、不況となる。不況になれば、増税への不安が増す。年金への不安。介護保険への不安…ホームヘルパーの数が足りないので寝たきりになったとき、自分の老後を自分で何とかしなくてはならない、という不安。不況により、リストラが行なわれる。倒産の不安、人員削減の不安。貯蓄に回っているぶんの金が流通すれば、10%から20%ほどの経済成長がある。
 政治は、将来への不安を減らすべきだ。年金、介護、老人ホーム、グループホームなどへ、五兆円も投資すれば、寝たきりのときの不安が解消される。
 かつて、無医村がたくさんあった。過疎の村へ医者を送るため、医学部を多く作った。今では医者は供給過剰になっている。
 病院は、「薬価差」で経営されている。これは医療保険制度の問題だ。薬をバンバン使う医者のほうが儲かる仕組みになっている。医療現場は不透明だ。マジメにやっている医者が評価されにくい。

 雇用の問題。日本は、失業に伴うデメリットが大きすぎる。転職すると、住宅ローンが払えなくなる。自己破産するしかなくなる。これは宜しくない。有効な政策として、国がローンと家を引き継ぐ、というやり方がある。政府が金をばら撒くより、安心して国民が金を使えるようにするほうが先決だ。国の借金を小さくし、将来への不安を小さくするのが、国がとるべき政策だ。梶山静六、加藤紘一は、えだの氏と同意権だ。

 自自公がやったことはどういうことか。管理コントロールで世の中をよくすることができる、というのが、自自公の発想だ。公共事業は、通産省が金を管理する。
 今まで150年間くらいの日本は、一握りの人間による管理、というやり方が、必要だったかもしれない。そのことへの好悪の感情は別として。かつては、一握りの人間しか、外国へ行けなかった。「欧米(とくにアメリカ)に、追いつき追い越せ」、を、日本は前提としていた。いかにアメリカの真似を効率よく全国津々浦々に取り入れるかが、日本の従来のやり方だった。今までは、「管理」でやってきた。そして自自公は「もっと管理を強くすれば良くなる」という考え方だ。

 管理しなくてはオウム「みたいなもの」に対応できない、というのが「管理する」自自公の言い分だ。だが、盗聴法(通信傍受法)、住民台帳法などは、カルトやストーカーに対し、有効だろうか? むしろ、オウム「みたいなもの」が現れる根本原因を探るべきだ。すでに第2第3の麻原は登場している。

 「欧米追いつけ」は終わった。
 1;日本は欧米に追いついてしまった。モノにおいて、達成してしまった。じゃあ、どうする、目標が見つからない。
 2;豊かになったことで、日本の経済システムが終わった。日本の人件費は、かつては欧米よりずっと安かった。今、東南アジア・中国の人件費は、日本よりずっと安い。かつては、発展途上国は、政情不安になると経済が混乱したが、今では政情が不安になっても、経済は安定している。
 日本は、他の国では真似できないものを生み出すことが大事だ。「管理」とは逆のもの、異端のもの、新しいもの、人と違うものを、価値だと認めることが必要だ。

えだのさんと、出席者の、質疑応答

Q;リスク社会だということをよく認識する必要が、これからの日本にはある。地方分権の徹底が必要だ。リスクを回避するためには、対面で話できるかどうかは重要だ。近隣の結束力が大切だ。

えだの;国家がコントロールする部分を減らすことが大事だ。というか、国家によるコントロールはすでにできなくなっている。国家以外での部分というものが、生活には多い。

Q;公安調査庁は存在自体税金の無駄ではないか?

えだの;公安調査庁はもういらない。歴史的役割を終えた。
 国税という概念はもういらない。地方が、自由に税を決めることが出来るようにするべきだ。

Q;介護保険の問題

えだの;医療が介護を引き受けているから、医療費がかかっている。介護保険の短期中期的問題は、サービス提供量が少ないことが重大だ。

Q;年金、401K

えだの;基礎年金は、税で賄われるべきだ。401K確定拠出型年金は、払う額は決まっているが受け取る額は決まっていない、という年金だ。公的年金で、減税措置として、というのが401K導入のロジックだ。401Kは、アメリカの制度だ。えだの氏は401K導入に反対の立場だ。投機的な年金は、民間ですればいいことだからだ。国がやることではない。

Q;産業

えだの;既存産業は、今後、成長ゼロだろう。残りの部分で伸びるしかない。その邪魔になっているものを取り除くのが、政治の仕事だ。銀行がリスクの高いベンチャー産業に投資するのは、背任的だ。

Q;トップダウンと首相公選制

えだの;かつて、管直人は、「民主主義とは交代可能な独裁性のことだ」と述べた。首相公選制になれば、国民と政治の距離が近くなる。政治は国民に対し弱くなる。
 このことと、権力内部でのトップダウンは両立する。
 権力内部では、首相は政府各省庁大臣へ対してはトップダウンを徹底するべきだ。権力内部では、独裁であるべきだ。

Q;年齢差別禁止法

えだの;現在、就職の年齢差別を禁止する法律を作っている。難航している。終身雇用制を否定し、自由に転職できる社会に移行するために、法の整備が必要だ。

Q;選挙の争点

えだの;選挙の争点は、年金問題にしたいと思っている。どう争点を持っていくかが、本当の選挙戦だ。

 質疑応答の時間のとき、私はこんなことをえだのさんに提言。

 a;選挙において、争点をいかに設定するかが最も重要だと思う。「天下りを是とするか非とするか」を争点としてアピールしてほしい。

 b;教育問題。学校以外の社会を知らないまま教員になり、学校の中のことしか知らないまま子どもを教育し、その子どもが学校以外の社会を知らないまま教員になる、という無限循環システムは、生徒にとって絶望的だ。他の職業から教員に転職しやすく、場合によっては2年以上教員以外の職を経験した者を優先して採用するようなシステムにしたほうが、いいのではないか。

 c;13歳から20歳までのどの時点からを成人とするかは、ある意味、どの時点であっても構わないと言える。ならば、成人になったかどうかを自己申告・自己登録制にしてしまったほうが、いいのではないか。成人になることに十分なメリットを与え、それと引き換えの責任を与える。成人することに、積極的な意味が生まれ、動機づけに有利なはずだ。「寄らば大樹の陰」という発想は幼稚なものとされる価値転換が起きるはずだ。少年法の問題、ベンチャー企業家の育成にプラスに働くはずだ。

 cの成人の自己申告制、自分ではいいアイデアだと思う。元服制度の復活。未成年を社会から隔離する近代社会から、次の社会に移行できるように思う。誰にもデメリットはないはずだと思う。建設的批判を求めます。

 1月22日(土)

 大学のサークルの同級生・後輩と新年会。

 1月21日(金)

 非建設的に過ごす。

 1月20日(木)

 テンプラ学生する。

 1月19日(水)

 実家から借金するため田舎へ。相談事は父のみにしよう。金も父から借りよう。10万円借用。
 無知は無知を再生産する。無知で不安で無力感に襲われているから、父母は私を手元に置きたがる。父母の衝動は近親姦的衝動だが父母はもちろんそのことを自覚できない、今後も一生。
 父が記憶の捏造をする。事実と異なるところを私が父に指摘する。
 父は祖父によって一生を曲げられた、と、言う。「だからお前も人生の望みを捨てろ」、と、言う。10年前から繰り返している繰言。20年前も言っていた。
 学問をつけると生意気になって仕事をしなくなって一生貧乏する、村にはそういう例がたくさんある、と父が説法する。
「じゃあ、どうして世の人は大学に行きたがったり、大学にやりたがったりするんでしょうね?」と父に訊く。かなり最近になって、やっと気づいた有効な質問。父は答えることができない。父母は答えを知らない。私も答えを知ってるわけではない。
「大学はお前が行きたがったんじゃないか」と、母が言う。論理のすり替えと、責任転嫁。非現実的な努力至上主義の世迷言を母が繰り返す。盲目的でさえあれば全てうまく行く、というロジック。自身は何ら状況改善のための努力はしないが、他者には超人的努力を求める、そして自分自身は盲目的であるから、他者にどれだけ残酷なことを要求しているのかは自覚しない。無知ゆえに無駄な苦労を強いられているという客観状況を否認し、自分が超人的な努力家だからそうしているのだ、と、母は詭弁する。
 父母がほしがっているのは便利な奴隷だろう、と、私が言う。父はそれを認める。母は否認する。
「偉くなろうなんて思うな」と父が言う。「歳を考えろ、10年遅い」と父が言う。20年前は何を提言しても10年早い、と、拒絶された。10年以上時間を浪費させられた結果、経験するべき人生経験を10年分剥奪された。私だって何をするにもことごとく10年余計に時間がかかってしまったことが悔しい。

2000年2月

2011年12月18日 01時08分05秒 | Weblog
2月29日(火)

 店番と帳面する。夜、東京へ。

 2月28日(月)

 実家へ。通夜に参加。店番と帳面する。

 2月27日(日)

 朝、実家から、大宮へ。大宮駅でえだの幸男さん、街頭演説されている。前を通ろうとして、猛烈に恥かしくなって、踵返してしまう。えだのさんにこの上なく失礼なことをしたと思う。食事した後で何か手伝いしよう、と、思う。軽く食事を採り、駅前へ再び行く。えだのさんの姿見えない。…食事前に手伝い申し出れば良かった、と、後悔する。
 ソニックシティへ行く。
 早く着いた。準備前の部屋で、本を読んで待つ。えだのさんとスタッフがコンビニ弁当を食べている。以下、オープンミーティングの内容。

 えだの幸男オープンミーティング「住民投票と民主主義」

 住民投票

 吉野川可動堰では、徳島市の有権者の半数以上が参加し、「NO」を示した。中山建設大臣は、「考慮する」とは言うものの、消極的だ。
 今までの住民投票は、「迷惑施設」に関するものだった。巻町の原子力発電所、火葬場、産業廃棄物処理場、など、必要ではある(かもしれない)が、自分のところにあると困る、という、迷惑施設だった。
 吉野川可動堰は違う。洪水を防ぎ、工業用水となる施設だ。迷惑施設ではない。だが住民は「NO」を示した。

 民主国家では、国民から支持を得ていることにより、権力を持つ。
 住民投票は、主権を持つ国民の意思の反映だ。住民投票をするのは、原則的には当然の事柄だ。だが全てを住民投票にかける、というのは、現実的ではない。
 たとえば火葬場、ゴミ焼却場、原発などは、できれば近くにない方がいい施設だ。日本中どこにも作れなくなる。ものごとが回らなくなる。「迷惑施設」は、その地元だけの問題ではない。
 政治的な問題は単純ではない。政策も単純ではない。政策とは、組み合わせだ。税少なく、行政サービス多く、国が借金せず、というのは現実的ではない。政策の組み合わせは、無限にある。政策の組み合わせ・パッケージを議員が提示し、それを住民が選択するのが、議員代表制・間接民主制だ。住民が常に政治政策に頭と心を煩わせるのは、現実的ではない。
 選出された代表による議会の意思と、住民の声とのズレが、明確になったのが、吉野川可動堰だ。吉野川可動堰は、政策パッケージとは関係ない、独立した問題だ。議会と住民の意思のズレを減らすために、住民投票は今後有効に活用した方がいい。

 国会における野党の役割

 一月から、民主党は国会に出席しなかった。野党の役割として、筋としては、国会ボイコットは間違いではない、とえだの氏は考える。選挙戦略としては、国会ボイコットは間違っている、と、えだの氏は考える。
 アメリカは大統領制だ。大統領は、議会による意見の了承を必要としない。議会と大統領は、完全に分れている。
 イギリスは議院内閣制だ。議院内閣制の場合、議会はものを決める場所ではない。ものを決めるのは与党だ。内閣が法案を出すが、その際、与党の了承を必要とする。議院内閣制では、政府と与党は一体だ。党議拘束は与党として当然の行動だ。法案は、国会に提出された時には、通過することが決まっている。
 では国会は要らないのか? 今、自自公がやっていることは、「国会は要らない」という意思表示だ。
 野党は、国会で議論するためにいるのではない。
 1;国民に、どういう法律が作られているのか知らせる役割
 2;国民に、今のままの政府でいいのかどうかの判断材料を与える役割
 これが野党の役割だ。国民がそれによって、今の政府がダメだと判断したら、政党を替える、これが民主制だ。
 野党が国会で必要な議論をする充分な時間を設けるのが、国会の最低限のルールだ。採決をいつするか、何時間議論するかは、これも多数決で決める。

 通信傍受法(盗聴法)のとき、重要な法案だったので、1人あたり4時間の議論をしよう、という話になっていた。だが、1人あたり2時間野党が話したところで、採決になった。これでは、野党の本来の役割が果たせない。えだの氏は議論のための準備をしておいたが、1分も国会では発言できなかった。
 議員定数削減も、公聴会などの手順が必要。

 民主主義と多数決はイコールではない。多数決は必ずしも正しくない。多数決であっても奪えない人権はある。それが民主主義だ。
 差別の人権は、多数決では進まない。差別者は被差別者より多数なのだから。終戦直後、冤罪事件が多かった。これも多数決で進むものではない。
 民主主義が多数決だ、というためには、全ての権利が平等(対等)だ、という前提が必要だ。
 1;人の平等な(対等な)権利が奪われていないこと
 2;正確な情報が、投票する人々に与えられていること
 この二つの原則が、多数決には必要だ。この原則が崩れている。
 議員定数削減は、多数党にとっては得、少数党にとっては損になる。民主党にとっては得になるが、だからこそ、少数党の意見を聞かなくてはならない。
 民主制が危うくなっている。そのバランスをとるためには、住民投票を進めることは大事だ、と、えだの氏は考える。

 質疑応答

 住民投票によって、地元の人間関係が分断される心配があるが、実は元から分断と対立はある。住民投票は本来は人間関係をスムースにするシステムだ。無記名投票はそのためにある。吉野川では、建設省は投票しないキャンペーンを張った。投票自体を嫌うのは元からやましさがある。

 日本では民主制についての教育がなされていない。
 議員内閣制を前提とするなら、これ以上議員を減らすのはムリだ。行政を政治家が指導するには、トータルで500人は必要だ。
 大統領制なら、議員は少なくていい。

 今、住民投票をするには、ハードルが高い。有権者の半数が投票しないと成立しない。住民投票のハードルはもっと低くしたほうがいい。

 政策の内容をなぜ政府はろくに説明せず、マスコミは国民に知らせていないのか。消費税のとき、「福祉のため」導入する、と述べていたが、実態としては「福祉のため」ではなかった。だから政府は国民に説明しなかった。
 また、新聞の政治欄の記者は、政治に興味を持っていない。だから新聞の政治欄には政策についての記事がない。
 今まで日本の政治は、政策で選挙をしてこなかった。(利権で選挙をしてきた)
 政策の宣伝も、議員の多くはヘタだ。説明責任の重要性を議員が今まで理解してこなかったからだ。

 銀行への公的資金の問題。 

  夜、NSに関し、懐かしい知人数人から電話あり。

 2月26日(土)

 会計士のとこへ行く。私に関して勝手な物語が作られていてぶちぎれる。
 知り合いの伯父さんとこへ人生相談に行く。
 親戚に不幸あり。

 2月25日(金)

 見合いする。自分がどのくらい文化的に貧困なのかよく判る。父母はNSを観ないで就寝。

 2月24日(木)

 所有地の伝達が今までなされていないので、それを父からされる予定で外出。父母による無断設計変更の件を車中で問う。父、機嫌損ね、帰宅しようとする。
 親戚のとこに人生相談しに行く。

 2月23日(水)

 夜、実家へ。

 2月22日(火)

 撮影。撮影中空腹で腹がなる。情けない。
 会計士に電話。

 2月21日(月)

 NSのスタッフの方と話する。夜、ディグさんが来る。部屋の片付け手伝ってもらう。

 2月20日(日)

 夜、NSの企画の話伺う。

 2月17日(木)~2月19日(土)

 特に何もなし。

 2月16日(水)

 午前中、図書館へ行く。五冊ほど本借りる。まず1冊目読む。メモとりとりなので、えらい時間食う。昼になり、激烈に眠くなる。編集さんから電話。今日受け渡しにするか明日受け渡しにするか相談する。今日にしてもらう。受け渡しの時間まで無理矢理起きている。風邪っぽくなる。編集さんに会う。暗い愚痴を編集さんにこぼす。前回愚痴った時よりもっと酷い。体力が落ちて風邪ひきかけていたせいだと思う。

 帰宅する。リズムが狂って眠気が来ない。感情が後ろ向きになっている時はネームするのが吉だな、と思い、ノートに色々書く。
 金がないと、性根が卑しくなる。なぜ今私は金がないのだ? そういう境遇になろうとしたからだ。馬鹿げた衝動。
 いったん足を食い尽くすと、なかなか身動きがとれない。蛸は心が病むと自分で自分の足を食い、自分で食べてしまった足は、もう再生しないそうだ。

 2月13日(日)~2月15日(火)

 原稿する。

 ネットする。自分がいかに近現代史を知らないか思い知る。自虐する。自分に教養がない理由を色々探す。恨むことのできる全てを恨む。終いにはスペイン無敵艦隊まで恨む。恨み尽くし、恨みリストに上がったあの人に無理矢理お願い、というか脅迫、してみるか、など、思い詰める。その結果得るものと、それを得るために何を用意しなくてはならないか考えてみる。時間と労力の浪費、現実逃避では、と、思う。独学でとりあえずどうにかしよう、と、とりあえず思う。

 14日夜、原稿完成。ディグさんにアシ代代わりに夕食を奢る。マンガ家はアシスタントの人生を食い潰すことで成立する、というマンガのアシ代が、ご飯おごるだけ、というのだから、私はいけ図々しい。食事中、黒沢清の話をする。『CURE』をもう一度観る必要覚える。レンタルビデオ屋さんへ行って、借りる。

 15日、編集さんから電話。原稿完成していることを告げる。明日取りに来てもらう約束する。

 2月12日(土)

 保坂展人・宮台真司「ホントの話2000」聞きに行く。
 世田谷ごえんの会3回目、だそうだ。1回目は灰谷健次郎、2回目はきな昌吉、辛淑玉(スン・スゴ)がこれまでは司会していたそうだ。今回は保坂展人と宮台真司の二人のみで。会場は100人定員。全部は埋まっていなかったように思う。及川健二さん、二本松泰子さんがいらしていたので、同席する。パイプ椅子で、メモをとるための肘掛がなく、メモをとるのが難しかった。以下はメモ。鎌やんによる勘違いなどあるやもです。

 保坂展人氏は、社民党衆議院議員。予算委員会、法務委員会などを務めている。議員になる以前は教育ジャーナリストだった。15歳のとき、内申書に「彼は問題児なので、合格させないように」と書かれ、高校に落ちた。16年間、その件について裁判した。「内申書裁判」と呼ばれている。
 「ホントの話」は、タウンミーティングの試みだ。タウンミーティングの伝統は、欧米にはしっかりとある。日本には乏しい。日本では、政治は、中曽根康弘のように、永年議員によってなされている。これはおかしい。
 国会議員は、政党に参加していると、政治番組以外ではかえってマスコミに出にくくなる。今回は、宮台真司氏と、きわめて異常な犯罪が頻発しているその背景などについて、話をしたい、というのが、保坂氏の意図だ。

 宮台真司;98年に「切れる少年」が問題となった。ハイジャック事件、通り魔殺人などの事件が続いている。これらの事件は、いずれも動機が不透明だ。「現代的犯罪」と呼ばれる。1970年以降現れた「現代的犯罪」は、それ以前のような貧困などの明確な理由を持たない。
 89年に連続幼女殺人事件、綾瀬市のコンクリ詰殺人事件が起きた。新潟女性監禁事件は、今起きたかのような錯覚をするが、9年前に発生した事件だ。幼女連続殺人、コンクリ詰殺人の直後に起きた。
 綾瀬市のコンクリ詰殺人では、家庭の階上の子ども部屋で、女性が監禁された。
 連続幼女殺人では、母屋のはなれ、家庭の隣の部屋で、幼女の死体が解剖された。
 新潟女性監禁事件では、家庭の階上で、女性が監禁された。
 家庭の中、家族の中で、家族が知らないまま、事件が起きている。
 容疑者はいずれも、小中学生の頃、「神童」と呼ばれていた共通性がある。

 1;くいちがう感覚地理(ディスコミュニケーション)
 2;永続する幼児的全能感
 3;学校化によって底上げされた自尊心

 1;くいちがう感覚地理
 感覚地理とは、どう主観的に地理を意味付けるか、ということだ。同じ場所に住んでいても、その地理の意味付けが、食い違っている。
 酒鬼薔薇事件のあった神戸市須磨ニュータウンの公園では、子供は遊んでいない。子どもからは、公園は遊び場に見えないのだ(感覚地理のくいちがい)。大人の目が届きすぎるところでは、子どもは遊べない。
 須磨ニュータウンでは、「タンク山」が、子供たちの居場所だった。宮台氏は学生時代、よく屋上に行った。「タンク山」は屋上と似たものだ。ニュータウンは、機能的にゾーニングされすぎている。「タンク山」は、偶発的な、意味不明な場所、機能的な意味を持たない場所だ。
 ムラ的な生活では、人々の感覚地理が一致していた。今は、感覚地理が人によりバラバラだ。人により、前提がバラバラで、見とおしが互いに効かなくなっている。
 日本には、前提の異なる人との議論という伝統を、持たない。ディスコミュニケーションが進行する。

 2;永続する幼児的全能感
 フロイトは口唇期・肛門期などの概念を作った。幼児期の人間は、全能感を持っている、とした。全能とは、「他者」がいない、ということだ。「父親」の審級(現実の父親でなくていい)は、「禁止」する機能を持つ。「父親」の審級により、幼児的全能感は克服される。
 コミュニケーションは、「他者」がいるから成立している。一定条件下だと、「他者」概念を持たないまま成人する。若い人には、「他者」概念を持たない人が多い。社会で初めて「禁止」に出会うことになる。鬱屈し、爆発する。
 幼児的全能感は、「くいちがう感覚地理」と相関関係にある。同じ家庭にいても、年齢差、文化差によって、感覚の地平が互いに異なっている。「承認」や「禁止」が起きにくい。「禁止」されても猫がにゃーにゃー言っているのと同じ、「禁止」の機能を果たさない。宇宙人から「承認」されても、意味がない。 

 3;学校化によって底上げされた自尊心
 「学校化」とは、学校的価値観のみを唯一の価値観とすることだ。田舎、郊外ほど、「学校化」は深刻だ。学校化により、「尊厳」のリソースが不足している。むしろ都市の方が、学校的価値観以外の価値観を多く持つ。田舎、ニュータウンでは、どこの高校を出た、どこの中学校を出た、という高校閥、中学閥の学校ランキングが唯一の物差しとなり、それが一生ついて回ることになる。

 ストーカーは、70年代の東大にたくさんいた。女性がちょっとやさしい言葉をかけ、ちょっとお世辞を言い、一度食事をしただけで、ストーカーになる東大生がいた。ストーカーは数年後早大慶応にも現れた。偏差値高いところから低いほうへ、と、ストーカー現象は流出した。
 ストーカーになるのは、地方県立校出身者が多い。地元で否定された経験を持たないから、ストーカーになるのだろう。東京では、価値観は多極化している。そのため学校的全能感は否定される。
 80年代90年代になると、低い偏差値でも全能感を持つようになる。「母子カプセル」化が進行した、ということだ。子育ての情報、「いい子」の像を、マスコミ情報に頼った結果だ。

 保坂展人;多摩ニュータウンで人間を観察したことがある。80年代後半のことだ。子どもが、町に、全然いない。よくよく見ると、アパートの横、大人が見渡すことのできないところに、子どもはいる。冬だったが、歩道橋の下、日陰のところにアジトを作り、子どもはそこにいた。大人から見えないところを、子どもは求める。遊び場は、カオスのところにある。町をのっぺりと機能化し、カオスを消すと、遊び場が消える。遊びにより得る、「感情を外に出す」ことが、封じられる。

 宮台真司;「くいちがう感覚地理」について。行政、建築の今までの間違いを、反省するべきだ。「見渡せるオープンスペース」は反省されるべきだ。空間は設計しきれない、感覚地理は把握しきれないことを、謙虚に受け入れるべきだ。建築したものを、リサーチし、現実に人々がそこでどう生きているのか、どう利用されているのか調べ、フィードバックするべきだ。
 再開発ブームがあったが、再開発された場所は、テレクラの待ち合わせ場所になる。再開発されたポストモダン建築は、人を匿名化する。地方の人々には、地元・地方に根ざしたいという欲求と、そこから無名化したいという欲求を、同時に持っている。
 町を機能化することで、ディスコミュニケーションが広がる。目に見えない部分が増える。目に見えないいい部分も生まれるかもしれないが、目に見えない悪い部分も生まれる。目に見えないから、チェックができない。

 保坂展人;京都小学生殺人の動機に学校の問題があるが、これを単純化してとらえ、日の丸君が代の強制といった言説が力を振るう恐れがあるのではでないだろうか?

 宮台真司;日の丸君が代の強制は、まさしくバカ政治家の行動だ。そして、そのようなバカ政治家を選ぶ、民度の低い国民の問題だ。一方、リベラルな官僚によって、教育の自由化プランが推進されている。経済界からの強い要求に応えたものだ。
 日本は今、うまくいっていない。うまくいっていないことに対し、二通りの対応がある。「昔の枠組をもっと強化すれば」「昔の枠組を取り替えなくては」
 学級崩壊の理由を「子どもを甘やかしたからだ」、とするのは誤りだ。日本は文化的歴史的に「厳しいしつけ」を持ったことはない。日本では子どもは神様、という文化を持っている。ヨーロッパでは、子どもは家畜と同じ、だから厳しくしつけなくては、という発想だ。大人になる「自覚」とは、日本では、ムラ共同体への所属を意味していた。
 近代学校教育は、軍隊、監獄を、モデルにしている。号令一下、黙々と動員される人間を、生産した。近代学校教育は、歴史的役割を終えた。そこで作られるタイプの人材を、今はもう必要としていない。G7各国で、いまだ一斉カリキュラムなのは、日本だけだ。

 保坂展人;小中学校の中身は、自分が子どもの頃ですら無意味だったのだが、今はもっと無意味になっている。授業は、無意味なものに耐える、ということにしかなっていない。
 生徒から見て、教師はものを教える機能を果たしていない。
 学校には、裏学校がある。塾などのことだ。教育産業従事者の雇用の場として、共依存になっている。ムダな公共事業が、土建業者の雇用の場として、共依存になっているのと同じ構造だ。

 宮台真司;大学生の学力低下が言われている。東大は世界46位の実力だ。まったく無意味な学校だ。マスコミは「ゆとりカリキュラムのせい、選択カリキュラムのせい」と言う。だがそうではない。
 FM東京で、96年と98年に、アンケートを取った。大学生に、将来やりたいことがある人の割合を調べたら、2割から3割ほどだった。ここが問題だ。高校卒業時点では、日本の学力は、低くない。動機付けの不足が、問題だ。
 日本以外の先進国では、70年代に色々うまく行かなくなったので、教育改革がなされた。絶えず子どもらに、どういう目標を持っているのか、そのための手段はそれで正しいのか、検証させている。日本では、バブルがあったこともあり、疑問を封殺し、問題の先送りをした。結果、試行錯誤が不足する。
 日本の教育システムは、右肩上がりのときにしか通用しないシステムだった。昔は国民的合意を持つ目標があった。重厚長大産業を中心とする、終身雇用制を前提としていた。近代過渡期だった。それに対応した教育システムだった。成熟社会には、目標は、各自それぞれとなる。情報サービス産業が中心になり、企業寿命は短くなる。各自が自尊心を持つための試行錯誤が必要となる。
 子どもは、自信のない状態で、試行錯誤をしなくてはならない。そこでは「承認」が必要だ。「承認」は、褒めりゃいいって問題ではない。
 19世紀、アドラーは、「褒めてはダメだ」と言った。褒めることは敏感な子どもにとって承認の反対物となる。「かけっこが早いから褒める」と、「かけっこが早ければ、ボクでなくてもいいんだ」「かけっこが早くなければ、ボクはだめなんだ」というメッセージを与えることになる。
 成熟社会を生きるためには、承認力ある大人を必要とする。だが、承認力ある大人はいないので、承認できるシステムを、作らなくてはならない。

 保坂展人;オウム信者は「こういう子どもに育てたい」というタイプの人々だ。
 JCOからほんの10mほどのところに、電線工場がある。彼らは、JCO事故のとき、何も知らされていなかった。
 早期幼児教育は、くもんとおる、ししだなど、東大には入れなかった人々が、東大に入ることこそを人間の幸せだと考え、薦めているものだ。
 大人が、信じられるもの、頼れるものを持たなくなったので、子どもの教育に頼るようになっている。

 宮台真司;JCOの事故でも危機管理、危機マニュアルの必要性が言われている。これは誤りだ。そもそも危機管理とは、戦時概念だ。マニュアル外のことが起きたとき、決断する心構え、責任のとりかたを、危機管理という。JCO事故は、マニュアルに従ってさえいない。日本はマニュアル外のことに対応できない。日本は非常事態に対応できない。
 責任responsibilityは、共同体の外へ対応する、概念だ。日本語の「セキニン」は、共同体内へのtask(労役)を意味する。「他者」概念がない。根本は、教育の問題だ。所属と自分をイコールとしているのは、ダメだ。
 政治は、教育が、戦場となっている。
 「何がいいことなのか悪いことなのか子どもにちゃんと教えなくてはならない」という言説を吐く、所属と自分をイコールとしている単純な人が、教育の改革を嫌っているのは、自分の居場所がなくなることを直観的に感じ、「恐ろしいことが起きる」と感じているからだ。(たしかに恐ろしいことが起きるだろう、所属と自分をイコールとしている人たちの「所属」が無意味化するから、彼らにとっては、世界がなくなるに等しい。だが、「恐ろしいこと」なのは、彼らの実存にとって、であって、日本にとって、世界にとって、ではない)
 日本では、投票率が高いほど、田舎だ。田舎の人は、動員されるからだ。
 一般企業は、リストラをしている。リストラとは、不採算部分をなくし、収益部分を拡大する、ということだ。日本の政治は、公共事業のような不採算部分に予算をつぎ込んでいる。20年後30年後、土建業はなくなる。なくなる土建業の延命に予算を使うより、土建業から別の産業への転換をすることに、予算を使わなくてはならない。今の政治は、土建・ゼネコンにいまだに金をムダ遣いしている。

 保坂展人;日本では、教育がテーマで選挙になったことがない。政治不信は行きつくところまで行っている。北海道で講演したとき、政治家の人と話をしたりしたらとんでもないことに巻きこまれるんじゃないかと思っていた、と、話してくれた人がいた。政治家を信頼する国民は、1%しかいない。政治を不信にしておくことで、得する人がいるのだ。落選させるべき議員のリストなど、いくつかの点で、民主政治的には日本より韓国の方がむしろ進んでいる。

 宮台真司;IMFと金大中政権により、韓国は血縁経済を壊した。日本も、既得権益がなくなってしまえば気づく。そうなってしまえばいいとすら思う。
 複雑な利害の対立が、私たちの内側に実はある。「日本人」という「忘却と融和のシステム」の中にいるから、隠されている。
 日本には、信頼できる政治システムがない。国民のほとんどは、小渕首相より自分の方が優れていると思っている。有事の際、日本はアメリカ軍に組み込まれる。これは問題だ。だが有事の際小渕首相の統制下に入るのと、どっちをマシだと感じるだろうか。小渕よりは優秀なアメリカ軍司令官の統制下に入る方がまだマシだと感じるのではないだろうか。これは笑い事ではない。ここが大きな問題だ。
 日本は、自分の所属集団以外のことを考えたことがない。
 文部省のプランは、リベラルな官僚寺脇氏によって、だいぶいいものに変わっている。文部省プランはエリート教育に関しては何も言っていない。
 初等教育、読み書きそろばんは、しっかりとなされなくてはならない。だが、自分が幸せになるためにはどうすればいいか、教科と現実がどう対応しているのか、の、動機付け装置が必要だ。
 旧帝大生き残りのため、大学院が肥大化した。大学院はもはや研究機関ではなくなっている。この弊害は、とくに理科系で深刻だ。エリート教育が必要だ。宮台氏自身、小室ゼミで集中的にエリート教育されたことで、今がある、と、述べる。日本では、松下村塾のように、エリート教育は有志による私塾によってなされてきた伝統がある。
 中学校高校教育では、学校への所属意識・忠誠心を何より大事として教育している。だが、忠誠心が高ければ有能、などと、企業は考えていない。
 教育をリベラル化することと、教育が地方分権化することは、両義的だ。

 以上、メモ。このあと、下北沢での打ち上げに参加。保坂展人氏の秘書さんとお話させていただく。その後、及川健二さん、二本松康子さんらとカラオケに行く。

 2月7日(月)~2月11日(金)

 原稿する。金がなくてどうしようか思う。発掘。コミケ申込書郵送する。

 2月6日(日)

 コミケ主催「シンポジウム表現と著作権を考える」参加。有明会議場7階。エレベーターで牛島えっさい氏に会う。

 1200人収容の会場で、来場者は400人程度か。意外に参加者が少ない。西村大樹さんから伺ったところでは、スタッフ300人にまずチケットを配ったそうだが、スタッフには地方在住の人間もいるので、全員が来れるわけじゃない、とのこと。宣伝が上手じゃない、と、私は西村さんに言う。コミケの力があれば金をかけずに宣伝する方法はいくらでもあるだろう、と、意見する。だが一気にドンと人が来ても困るよな、と、思う。(続きは後日アップしまする)

 2月5日(土)

 足立真一さんに下絵をファクスする。ものすごく同情してもらう。
 足立真一さんは感受性が強いので、足立真一さんに未完成状態で見せたのは足立真一さんにとっていいことではなかったようだ。私はそのことを反省するべきだ。おまけにいい気になって足立真一さんに説教までしてしまう。私はかなり最低の人間だ。

 2月4日(金)

 ひどく気が滅入りペン入れが進まない。その愚痴を掲示板に書く。足立真一さんが心配して電話してくださる。同情してもらう。MYさんに連絡する。愚痴言ったり愚痴聞いたりする。

 2月1日(火)~2月3日(木)

 ペン入れする。

 びくびくしながらディグさんに下絵を見せる。「批判はしないでくれ」とお願いした上で感想を聞く。ギャグが多くて面白い、と言っていただく。ほ、と、助かった気持ちになる。

 新潟少女監禁事件に関するスレッドが2ちゃんねるの同人ボードにもあったので、情報を求める。エロジャンルへの切断操作の話題のみに終始されるのを読んで、胃がチリチリする。
 特定ジャンルへの切断操作で自分のジャンルを温存しようというロジックは、オタクというジャンルを切断することで日常を温存しようとするロジックを肯定する。
 倉橋由美子の『大人のための残酷童話』再読し、思いつき、虚業掲示板に「動物村の話」というのをアップしてみる。まだこれはラフスケッチの段階で、象徴化などが未整理だ。が、それでもアップ。

2000年4月

2011年12月18日 01時05分18秒 | Weblog
4月29日(土)、4月30日(日)

 『ソビエト帝国の崩壊』(小室直樹著、カッパブックス)読了。ソ連分析の裏側に、日本批判がある。だが、日本批判の部分はストレートではなく、愛国者を自称する狂信者を気にしてか、表面的にはソ連をこき下ろすことで日本賛美しているかのような体裁になっている。日本の官僚統制経済はソ連経済に似ているとか、日本のエリートとソ連のノーメンクラトゥーラは似ているとか、分析の部分ではウォルフレンと近い見解だと思う。それを80年に書いた知性はたいしたものだと思う。だがウォルフレンとの違いの部分、日本批判がストレートでなくどえらく婉曲した、人の目を気にしたものなところが、色々考えさせる。婉曲にせざるを得ないと感じさせた理由は、とか、ウォルフレンは外人だから日本的シガラミから自由でだから批判がストレートで力持てたのだろうとか。だがストレートであるほうがロスが少ないよとか。
 知り合いのやっているラーメン屋へ父と行く。隣町のラーメン屋で修行したのだと父から聞く。もっと激戦区の美味いラーメン屋で習えばよかったのに、と、思う。味はまずい。
 低気圧が近づいているのか、体調が悪い。右肩から右手にかけ、痛むので、携帯カイロをつけたり、湿布を貼ったりする。 

4月28日(金)

 WIN98CDロムを親戚に返却。みいちゃん家にビデオ帰しに行く。従兄の話す事業の現状その他に、色々情けなくなる。教育のない人間がエリートたちの真似しちゃダメだよ、と感じる。自分をその言葉で裁くと、痛くなる。みいちゃんには会わずに帰宅。
 ラジオつける。雑音しか入らない。実家はラジオの受信できない場所だったことを思い出す。

4月27日(木)

 親戚に電話し、WIN98CDロム借りる。ネームする。

4月26日(水)

 ディグさんの下宿へ行き、自転車を借り東京電力へ。電気代とんでもない金額なので払えず。ディグさんからふくやまけいこのマンガ見せてもらう。ディグさんと昼食し、まんだらけへ行き、ふくやまけいこ2冊買い、コアマガジンへ。
 永山さん伊藤剛さんからインタビュー。えらい気を遣っていただく。手の写真撮影。後で気づいたのだが、掌を撮影してもらえば良かった。手の甲を撮影してしまった。腹を見せたくないという無意識の表れか? 逮捕の話を久しぶりにしたので、「手を出して」という言葉に指紋押捺連想して掌を下に向けてしまったのかな。インタビューの内容、思い返すと、ちとオーバーな表現幾つかして誤解招くかも、と、反省。その後編集さんに原稿渡す。
 実家へ。

4月25日(火)

 電車で都立大へ。弁当と原稿と電車内で読む予定の本と下宿に置くTAとで、くそ重たい荷物抱えて。
 宮台先生の授業及び他の授業聞く。ゼミの女子学生さんから挨拶される。ホームページ見た、と、言われる。
 東京の下宿へ。電気が止まっている。仕方ないのでそのまま就寝。

4月24日(月)

 目覚し時計セットにしくじり、午前6時半まで寝てしまう。
 表紙に呻吟する。肉体労働の反動で、身体中が痛い。手の皮が厚くなっている。胃が荒れて、口臭がする。
 編集さんから電話。表紙について色々と。
 資料探しに図書館へ。休館。
 夜、父母と口論。生きているのが厭になる。
 日記を記していて、自分の思考力がズタズタに断片化していることに気づく。何と何が関連しているのか、自分で把握できていないことに気づく。チャーリー・ゴードンだっけ。プロレタリアートとして、日々バカになっていく。
 漱石の『三四郎』読了。中学生のとき、読もうと思って数ページめくった時には、「上野」「本郷」などの地名は、アルクトゥールス星以上に想像困難な場所だったので、全く読み進めることができなかった。
 25日午前2時、表紙描きあげる。原稿入れる封筒が見つからない。

4月23日(日)

 記憶が怪しいが、天気が崩れて、体調悪かったような気がする。
 妹2号がお茶の会。妹1号と母が行く。
 妹1号ぶち切れて去る。
 父母の知人の前で私がぶちぎれる。

4月22日(土)

 記憶が怪しいが、天候がよかったような気がする。肉体労働する。
 妹1号が来る。

4月21日(金)

 記憶にない。表紙に呻吟していたと思う。

4月20日(木)

 記憶にない。4月7日から19日にかけての日記をアップしたりしてたように思う。
 編集さんから表紙について連絡があったと思う。表紙に呻吟していたと思う。

4月19日(水)

 朝5時起床。ネットに触る。電話回線が事業用なのでテレホーダイにすると、えらい高額になるそうな。東京の電話をこっちに持って来るか。あれは個人用だから。また東京の足場がそれだけ貧弱になる。悩みどころ。
 実家の電話機は客からの問い合わせに答えるためのもので、こちらから外へ発信する習慣が、実家にはない。今月は私が外との連絡を電話回線で随分したので、金額に父母がおったまげることだろう。東京にいたときには隣県だったところとの連絡が、遠距離通話になる。電話機に表示される通話代に、せきたてられる思いがする。そのため、電話口ではひどく早口になってしまう。
 客からの問い合わせの電話に明け暮れる。今この文を書いているほんの数分の間に、問い合わせ電話3件、来客1件ある。自身の生活を理性的に考えることが徐々に困難になり、衝動的受動的に自分の思考が変容して行くのを感じる。
 足立真一さんのマンガ企画に口挟ませて頂いている。今までネットが繋げなかったので、10日間ほど離れていたが、この日、参加を試み、シナリオ作ってみる。理性的に自身を客対視することができず、自分の位置を見失い内面に没入しいたずらに観念的になり、同時に観念が我が物として熟さず皮相的に思考している代物だというのが、逆説的に顕わになる。
 近所の図書館に行く。小学校以来の顔なじみの司書さんから、書名さえ判れば本の注文自体は容易になったということを、伺う。ポパーの本を注文する。ただ、本を取り寄せることは容易でも、読むことが容易であるかどうかは別問題だ。脳が痺れて知恵熱が出るような刺激的な本は、労働し接客しながらでは決して没入することはできない。
 単行本の表紙用原稿、ものすごく遅れている。
 ホットミルク用のネーム、数日中にかたちにする必要がある。
 実家の時間感覚は1年ごとにリセットされ、連続的ではない。接客応答を前提とするので、受動的非時間的に思考が調整されていく。未来に予定を設定し、それに向けてなにかを積み上げて行く、計画性、というものが、感覚的に説得力を覚えなくなっていく。
 東京にいるときにも、私は計画的に行動できる人間ではなかった。
だが、計画的に行動しなければ、私は何一つ得ることのない人生を送ることになる。ネットは私にとり、世界と自分が繋がっている感覚を取り戻すための重要な要因だ。東京にいたときとは別な意味で。ここで日々の反省をし、自分はマンガ家であり計画との間にどれだけズレがあるのかを確認する作業が、私には必要だ。このwebページの性格は、ある側面演劇的だが、ここで演目が変わる。
 昨夜の睡眠時間は3時間半。肉体労働をするのでなければ、それほど長い時間の睡眠時間を必要としないが、それは不断に緊張状態が続き、リラックスする瞬間を持たないということだ。外に向けて緊張しつづける状態では、高度な内容の本を読むことは、困難だ。どうにかしなくてはならない。
 コンピュータは店内に設置したので、コンピュータいじっている間は、自動的に店番状態になる。父母留守中、コンピュータで文を作っていると、船修理の業者さんいらっしゃる。聞いてない。修繕予定の船を貸し出しして、とらぶる。

4月18日(火)

 午前5時起床。朝の仕事したあと、食費浮かすよう弁当作ってもらい、都立大まで車で行く。途中、一端インター降り、乗換駅の警察署へ借金を返す。
 宮台先生の授業受ける。授業内容はこちらにアップしました。
 授業の直後、足立真一さんに電話する。私はものすごい早口になっている。我ながら人が変わったようだ。移動時間に連日五時間程度かかり、時間が非常に貴重になっている。電話代も神経を脅かす。ということなど言う。
 ついでなので都立大の他の授業を覗く。一つの授業は面白く、2つの授業は生徒の勉学の意欲を阻害するのが目的であるかのように退屈、うち一方は教員の知識のなさと意欲のなさと無能力さに憤慨する。1つはまあまあだった。
 宮台ゼミ参加。終了時間が夜10時過ぎると宮台先生が言ったので、ひ、しまった、駐車場が閉まる、とハラハラする。幸い9時30分に終了。
 夜11時半、帰宅。食事の用意がある。あれ? 私用の食事かな? 書置きぐらいしておけばいいのに、どういう謎かけだろう? と、思って食べる。ネットに繋ぐ。夜12時半、妹2号帰宅。妹2号用の食事だったと判明。憤慨され、なじられる。 

4月17日(月)

 寝過ごし、午前7時起床。
 ネットに繋がらない。プロバイダに相談。win98の一部が壊れているらしい。親戚に電話。win98ソフト持っていないか訊ねる。win98ソフト求め、色々なとこへ電話する。電話業者来る。見てもらう。ネットに繋がらないおかげで色々予定が狂っていて私は爆発寸前になっていた。午後5時、どうにか繋がる。
 ここ数日の交通費などの出費が大きく、母からなじられる。
 あじまるさんから電話。長電話する。

4月16日(日)

 5時起床。実家の仕事したあと、えだの幸男さんのオープンミーティング聞きに行く。
 実家から、乗換駅まで車で。
 オープンミーティングの内容はこちらにアップしました。
 駅前でえだのさんが街頭演説していたので、それを聞く。意を決して、チラシ配布を手伝わせていただく。
 市川さんと会う。
 実家から携帯に電話。車を翌日父が使うとのこと。
 天下国家を語る会参加。中国の大学の講師しているというオジサンなどと話する。
 ビール飲んで、少し酔っていた。乗り換えの直前で、気が抜け、気づくと、県庁所在地で目が覚めた。乗換駅へ戻ろうとするが、終電は終わっていた。車を父に渡さなくてはならない。乗換駅までタクシーで行く。予定外の出費。駐車場料金を払いきれない。駐在所へ行く。警官不在。警察内線で、帰宅するのに必要な金を貸して下さいな、と、電話する。警察署まで来て下さいな、という返事。片道30分ほど、寒空を歩く。無駄な労力だ、と、思う。
 自宅に着いたのは、午前2時半。
 ネットに繋がらない。

4月15日(土)

 5時起床。私が現在使用している部屋は父母が用意した。前の住人である妹1号へ対し父母は説明責任を果たしていない。そのことを問題だと母に主張する。当然母には何が問題か理解できない。妹1号が不在だから問題ない、というのが母のロジック。このロジックは父もよく使う。設計を父母は勝手に変えたが、私に連絡しなかったのは私が不在だったからだ、というロジック。母を説得する。不在だからという理由でほしいままにしていい、勝手に使用していいというロジックが仮に通るのだとしたら、ウチの飛び地を知らない人物に不法占拠されることを認めるということになるではないか、と、説明する。なんとか通じる。父母には不在であることとこの世にいないことの区別がつかない。法的観念がないからだが。
 実家の仕事したあと、東京へ。下宿では雨降っている。下宿からTAとる。これで下宿への電話は通じない。電話を下さった方に申し訳ない。
 ディグさんと駅で待ち合わせ。湯木さんと対面。埼玉へ。いつきこうすけさんと合流。『アイアンジャイアント』観に行く。
 『アイアンジャイアント』立体感と金属の感覚のリアルさに、ビックリする。立体感はCGの応用だとディグさんが言う。冒頭屑鉄屋との出会いのシーンは、アメリカ映画的だが、あまり感心しない。ジャイアントが少年にとりペットであることを暗示することとなる。これはよくないと思う。中盤、少年がジャイアントに、望むとおりの人生を送れる、という説得をする。少年がなぜそういう思想を持つようになったのか、私には違和感がある。劇中ではそれは語られていない。アメリカ少年の俗情に依拠していると思う。子供向け映画だからこれでよし、というのが製作者の姿勢だろうが、その姿勢は感心しない。少年自身がそのことについて悩み、その上で解答を出す、というほうが説得力があると思う。
 映画を見た後、午後7時頃まで4人でお茶したりするが、帰りの時間が気になったので、私は早めに退出させていただく。いつきさんたちに駅まで送っていただき、田舎へ。
 TA、東京にあるものを接続。繋がらない。

4月14日(金)

 実家の電話回線は業者に頼んで複数回線、子機沢山、父母は機械の内容全く把握していない、という状態。業者さんにせめて配線をどうにかしてくれるよう電話する。
 TOMMIさんと連絡とり、試行する。
 TAはNTT製なのでNTTに電話する。
 電話コード発見。延長する。プロバイダに相談する。繋がらないのはTAの問題だろうか?
 夜、介護保険に関するビデオ、借りていたものを観る。妹1号に電話。堀田力について質問。妹1号がかつて使用していた部屋を現在私が使っていることを、妹1号はちゃんと理解していないこと判明。妹1号の荷物をどうにかするほうが互いのためだろうと提言する。メチャメチャ言われる。

4月13日(木)

 スキャナとラジカセを修理に出す。
 ACアダプタ置いてある電気屋判明。入手。接続。モデムに電気が走らない。壊れているのか? イライラがたまる。
 実家はISDNなのでTAがあることに気づく。TAとコンピュータ繋ごうとする。電話線が短く、配線にひどく苦労する。コンピュータの置ける場所は限定されている。無理矢理電話線引っ張って、なんとか配線する。試行する。繋がらない。TOMMIさんに連絡とり、色々相談する。全然繋がらない。ものすごくイライラする。

4月12日(水)

 知り合いのおじさんに手伝ってもらい、車で、東京へコンピュータとりに行く。帰って設置してみると、モデムのACアダプタを忘れてきたことに気づく。電気屋数軒回る。どこにもなくてイライラが頂点に達する。ACアダプタとりに東京行こうかと思いつめる。

4月11日(火)

 朝5時起床。2時間ほど実家の仕事した後、渋谷へ。
 渋谷を少し歩いただけで、足がじんじんする。靴が小さい。だからこの靴を田舎に置いておいたのだ、と、気づく。
 編集さんと会い、宮台先生を待ち、宮台先生の携帯に2度電話する。
 宮台先生到着。
 宮台先生としては、軽いお喋りをするつもりでいらしただろうに、個人授業のような内容になる。おそらく読み物としては面白いものになったと思う。私が意気込んでいてその姿が傍目に痛々しいものでもあると思う。痛い感じは私の売りの一部でもあるだろうから、営業的にはそれでよし。ただ、対談終了後、私はやたら胃が痛かった。ものすごく緊張したのだと思う。私は、自分のことを、あまり緊張しない人間だと思っていた。本番に強くで動じない人間だと思っていた。ここ半年、そうではないということを思い知らされた。対談終了後、私はバリバリに肩が凝っていた。宮台先生には申し訳なかったと思う。
 靴屋へ行き、靴を購入。余計な出費だ。
 編集さんに食事奢っていただく。コミックスの原稿二本編集さんへ渡す。
 宮台先生との対談で疲弊し、感情が昂ぶっている。気持ちを落ち着ようと、みいちゃんに電話。留守。ディグさんに電話。ディグさんに電話。ディグさんの下宿に少しお邪魔する。藤間さんに電話する。
 下宿へ行き、田舎へ送る荷物幾つかまとめる。田舎へ。 

4月10日(月)

 朝5時起床。
 ぶち切れたあと、テレビつけてると、えだのさんが出ていて、演説している(参照:えだの幸男のWEBページWhat's New「第147回国会における森内閣総理大臣所信表明演説に対する代表質問」)。演説内容に感激して終了後画面の前で拍手してしまう。
 宮台先生と話したい内容をレポート用紙にまとめ、宮台先生と編集部にファクスする。

4月9日(日)

 朝5時起床。2時間ほど実家の仕事した後、原稿作業へ。
 足立真一さんから電話。ゆっくりと話する、という感じにはいかない。ごめん、足立さん。コンピュータを今週の初めには入れたい旨伝える。
 床屋へ行く。
 宮台先生に、対談の日にち決めの電話する。

4月8日(土)

 朝5時起床。2時間ほど実家の仕事した後、原稿作業へ。
 画板を買いに文具店数店廻る。ない。その現実が受け入れにくくて、ストレスがどかっと自分を襲う。画板くらい。他のことはともかくとして、せめて画板くらい地元で入手できてもよさそうなものだと思っていたのに。
 宮台先生に対談のための電話をする。対談の日取りについて、編集部に伝える。
 電気屋へ行く。
 足立真一さんからありがたいことに電話。田舎から話すると、なにかにせきたてられるような感じになってしまう。

4月7日(金)

 記憶にないが、たぶんぶちきれてた。部屋で原稿する。『タコツボ的』の虎息子状態になる。
 『ホットミルク』の作家インタビューコーナーで取り上げていただける、という話を編集さんからの電話で伺う。自分は孤独ではない、と、心強く思う。
 コンピュータを実家で新しく購入する予定で、コンピュータのリースのところへ連絡する。地元の電気屋に観に行く。
 税理士のところへ行く。この税理士は案外ボンクラだな、と、思う。別の税理士に替えたいな、と、思う。だが田舎では選択の自由はメチャメチャ少ない。

4月6日(木)

 実家に宅急便で色々送る。編集部に直しのすんだ原稿を送る。
 豊川稲理さんから花見の誘いの電話。参加できない旨と、しばらく田舎に行く旨伝える。「じゃあ、またこっちへ来た時に」と、豊川さん。私もそのつもりだが、果たしてそれはいつになるだろう。田舎へ。
 4月7日からの予定が、4月8日からだと母から聞く。なんじゃそれは。貴重な時間を搾取された。

4月5日(水)

 単行本のための直し作業する。
 ディグさんに部屋の鍵を渡す。東京に居場所があるのだ、と、信じられることが、私にとってなにより重要。
 足立真一さんに、ときどき電話してください、と、お願いする。

2000年5月

2011年12月18日 01時04分40秒 | Weblog

5月28日(日)~5月31日(火)

 記憶にない。ハードディスクがいっぱいになってしまったコンピュータいじってイライラしていたと思う。

 浜にいる雁の一羽の脚に釣り糸が絡まり歩行困難になっているのをどうにかしようと父と画策する。陸から父が投網で捉えようとするが、失敗。エンジン船で追う。数回投網かけるも失敗。
「犬ならある程度説得可能なのだが、鳥はバカで説得できない。バカは助からない」と父と言う。
 父は途中でもうあきらめようというが、雁は初め飛んで逃げるものの、次第に水中に潜って逃げるようになるので、疲れてきているのだと見る。岸際へ追いこめば捕獲できると父を説得し、そのように試みる。捕獲。父が獣医へ連れていく。

 火曜、宮台先生の授業行く。

5月27日(土)

 寝ないまま朝の仕事する。
 高速バスで東京へ。ペン先をグロスで購入。電車に乗り換えて、大宮へ。枝野幸男さんのオープンミーティングに参加。

5月26日(金)

 東京行こうかどうしようか悩むが、体力的限界を考えて、行くのを止める。スキャナを購入。翻訳ソフト購入。フロッピー使える。スキャナ、配線できないものだと気づく。
 NHK教育荒俣宏の人間講座と、テレビ朝日朝まで生テレビ交互に観る。

5月25日(木)

 父に手伝い、ワイヤーを張り、埋める。

5月24日(水)

 寝て過ごす。フロッピーのドライブが動かなくなっていることに気づく。

5月23日(火)

 早朝、足立真一さんのマンガのネタ作りのチャットに参加し、寝そこなう。朝の仕事する。眠らないまま、車で、南大沢へ。
 宮台先生の授業聞く。宮台先生の機嫌、ネットで見る限り宜しくないのではないか、その原因は自分にあるのではないか、宮台先生に自分のページでの授業ノートについて黙認お願いしたの先週だし先週はムリなスケジュールで巻末対談原稿チェックお願いしてたし、と、私はビクビクしていたが、宮台先生のご機嫌は宜しい感じだった。授業内容は面白かったが、脳味噌を使う作業に寝不足はこたえる。授業の3分の一ほど、眠ってしまう。
 別な授業に参加。この授業も面白いのだが、やはり三分の一ほど眠ってしまう。
 編集さんと会い、ゲラをチェックする。
 駐車してある車に戻り、仮眠とろうとするが、眠れない。
 ゼミ参加。やはり三分の一ほど眠ってしまう。
 事故らずに帰る。

5月22日(月)

 寝ないまま朝の仕事する。午前7時頃就寝。午前11時頃編集さんから電話。マンガ原稿完成した旨伝え、受け取りについて打ち合せる。電話の後再び就寝。午後1時頃昼食のため起床。その後再び就寝。午後4時編集さんから電話。車で待ち合わせの乗換駅へ向かう。午後5時編集さんと会う。原稿を渡し、コミックスのあとがきのチェックをする。明日南大沢で残りの青焼きのチェックをしよう、という話になる。

5月21日(日)

 原稿する。父から仕事の手伝いを頼まれるが、急を要することでないのなら私は今多忙だから勘弁してくれと答える。「いつになったらお前はヒマになるんだ」と訊かれる。6月までは忙しい、と、実家に来る以前から説明していることを、この日も答える。
 散髪する。
 夕食後、私をヒマだと思っているらしい母がアホなことを私に対し力説し始めたので罵りあいになる。
 徹夜して原稿完成。

5月20日(土)

 ディグさんといつきこうすけさんを車で送る。土産物屋数店巡る。
 図書館へ本を返し、『日本人の境界』借りる。
 原稿する。夜、足立真一さんと電話で色々と話する。

5月19日(金)

 ディグさんといつきこうすけさんは遊園地へ。
 母から、近くの美術館でする創作能の招待券がある、と、聞く。私が行くより、2人が観るほうが勉強になっただろうに、と、思う。「一人ぶんしか招待されていない」と母が説明する。
 美術館へ行く。複数来ても良かったようだ。衣装は素晴らしかった。士郎正宗の『ORION』に出てくるアマテラスの実物みたいだった。演奏も素晴らしかった。しかし劇としての内容は乏しかった。
 夜、ディグさんといつきこうすけさんに原稿手伝っていただく。色々話する。

5月18日(木)

 ディグさんといつきこうすけさんは釣りなどする。私は原稿する。
 夜、3人で温泉へ行く。
 その後、私の部屋で3人で色々話する。ディグさんの持って来たノルシュテインのビデオと、ディグさんがほしのふうたさんからダビングしてもらった『氷の女王』(題名これで合ってたっけ?)のビデオ観る。

5月17日(水)

 ディグさんといつきこうすけさんは釣りなどする。私は昼寝る。私は夜、原稿する。まだ下絵がやっと終わった状態なので、手伝ってもらえるところがない。

5月16日(火)

 2時間だけ寝たのかな? 朝の仕事をする。
 ディグさんから電話。水曜にこちらへいつきこうすけさんといらっしゃるとのこと。今日だったら車で迎えに行けるよ、と、伝える。
 車で東京へ行くのは危ないからやめろと母が怒鳴る。口論する。腹が立ってそれが原因で事故ったら、みろ私の言ったとおりだろう、私のいうことを聞かないから、と母は考えるに違いない。そのことが腹立たしい。
 都立大へ。宮台先生の原論と、もう一つ別の講師の授業聴いて、編集さんとの待ち合わせ場所へ行く。青焼きが間に合わなかった、という連絡が来る。
 車でディグさんの下宿へ向かう。ナビゲーター付の車だったが、地図が少し古く、途中、何回も迷う。午後5時待ち合わせだったが、午後6時にディグさんの下宿へ到着。
 ディグさん、いつきこうすけさんと3人でファミレスで食事。拘束道路への入り口までの間、若干迷う。幸い実家へ無事辿りつく。
 私が友人を連れてきたので父母の機嫌はすこぶる良い。

5月15日(月)

 原稿する。
 編集さんから電話。青焼きの受け渡しを明日、南大沢でしよう、という話になる。
 ディグさんから遊びに来ていいかという電話貰う。承諾する。

5月14日(日)

 朝、実家の仕事した後、伊藤剛さんと電話。東京へ行く、現場で原稿チェックしましょう、という話になる。
 乗換駅へ車を置き、レヴォへ。足立真一さん、いつきこうすけさん、あじまるさん、よさこい野郎さん、にゃんこMICさん、黒埼まいりさん、豊川稲理さんの顔を見る。黒崎まいりさんからコミック頂く。偶然A-10さんに会い、同人誌貰う。いかがわ四郎さんには会えず。
 館の許容人数を超えて人間がいるのと、通路が狭く机配置してあったため、館はパンク状態で、同人誌を買い来た人が同人誌を立ち読みすることが不可能な状態だった。予想できたことだろうから、初めから全通路一方通行にスタッフが決めておけばいいのに、と、思う。人間の流れはだいたい一方通行だったが、ときどき他者はどういう流れで移動しているのか全く考慮しない人間が流れを逆流して、えらいことになっていた。スタッフは怒鳴っているヒマがあったら一方通行設定のために動きなさいと思う。
 昼、チラシが捌けたので、退出する。出ると、男性向け創作の館へ向けて、延々人の行列がトグロを巻いていた。

 永山薫さんの事務所へ。永山さん、伊藤剛さんと話しする。ピザ奢っていただく。午後6時頃退出。

 よさこい野郎さんに電話。電車で、よさこいさんの住む駅へ。よさこいさんの下宿へ。高知の美味い酒ご馳走になる。あんまり美味くてごんごん飲んでしまう。かつおの生節ご馳走になる。これも美味い。
 午後8時頃、あじまるさんが来る。あじまるさんが詳しい、70年代東映番長映画、少しだけ観る。あじまるさんはこういう知識を持つのならもっとマンガの中でその薀蓄を利用されてほしい、と、提言する。午後9時頃退出。
 幸い乗換駅を乗り過ごさず、無事に自宅へ帰る。

5月9日(水)~5月13日(土)

 記憶にない。原稿していたり、コミックスの青焼き見ながら修正訂正のやりとりを、親の目を隠れて、編集さんとしていたと思う。
 足立真一さんからレヴォに来るかどうか電話で訊かれる。行けない、と、答える。
 13日の時点で、伊藤剛さんから、ホットミルク7月号でのインタビュー原稿チェックの連絡が来る。14日が〆切で、テープ起こし原稿上がるのも13日の夜か14日朝だそうなので、ネットでどうやりとりするかについて取り決める。
 あじまるさんから電話来る。レヴォ行こうかな、という気になる。
 コミックスの対談原稿の直しを尾城さんへファクスで、夜、送り、その後、レヴォで配布するためのチラシを作成し、コピーする。

5月8日(火)

 都立大へ。 宮台先生以外の授業も聴く。

5月7日(月)

 コミックス収録の対談原稿の直しと、マンガ原稿していたと思う。

5月7日(日)晴

 バスジャック事件と、豊川殺人事件の記事を新聞で読む。「バスジャック」という言葉の使用少なく、「バス乗っ取り」という言葉の使用が多いのは、バスハイジャックが言葉として正しいからなのかな?
 豊川殺人事件犯人の少年が、人を殺す経験をすることで成長できると思った、と供述しているのは面白い。豊川殺人少年の思考は合理的だ。情を排している。
 つらつら思う。「情がない」という人を非難する言葉がある。同時に「感情的になるな」という人を非難する言葉がある。感情がなくなってしまえば楽なのに、なぜ自分は感情という益体のないものを抱えているのだろう、と、私は以前随分感じたことがあった。ネットで同じ言葉を時折見かける。管理教育は人間に感情を棄てることを要請する。
 実は「感情」と「情」は別概念だ。
 人間的感情の伴わない言説には欺瞞がある。官僚的答弁、タテマエの発言、肉声のない発言は、無内容で有害だ。相手の立場に立って考えることを怠っているにすぎない知的怠惰を当人は「客観的」だと思っている。こういう発言は自身の虚弱さを覆い隠そうとする衝動に支えられていることが多く、保身的で、怠惰な現状肯定論となることが多い。自身を客観視できていない時点で、少しも客観的ではない。「感情」のない発言は警戒しなくてはならない。「感情」は豊かであるべきだ。「感情」と理性は両立するし、理性は「感情」に支えられる。
 「情」という語は特殊な使われ方をする。固定した人間関係の中では、物事の選択肢は必然的に酷く限られてしまう。選択肢があらかじめ酷く限定された状況というのは、それ自体不健康だ。旧い日本の村社会ではそれが常態だった。固定した狭い人間関係の中で、あらかじめ限定された選択肢から選ぶ、という行為は、その人間集団の誰にとってもさほど嬉しいことではない。皆が辛い思いをするのは他に選びようがないからだ、という共通認識・前提がそこにある。この前提の不合理、人間関係が固定していること、あらかじめ選択肢が酷く限定されていることの不合理に対してそれぞれが抱く憤りの感情が、「情」だ。
 かつて日本社会は「情」で動いていた。地域人間集団の「情」の共有を、「地域共同体」と呼んだと思う。「馬鹿は感情でしかものを見ない」という箴言はラ・ロフシュコーが作ったが、「情」によって繋がっていた集団は、まさしく感情でしかものを見ない。「情」の共有ができるかどうかが「仲間」(=固定した選択肢の乏しい人間関係)であるかどうかの判断基準だ。
 この判断基準は、当人の主観では正しいことだ。「仲間」であることと「固定した選択肢の乏しい人間関係」であることは、固定した選択肢の乏しい人間関係の中にいる当人にとっては不可分だからだ。が、外から見ると誤っている。「固定した選択肢の乏しい人間関係」の外に「仲間」を見出すことを、あらかじめ排除しているからだ。
 「情」による紐帯は、不健康だ。「情」は不合理の忍従の共有なので、他者に対しても不合理の忍従を要求する。「情」による行動は、行動者にとっては愛情表現となり、「固定した選択肢の乏しい人間関係」にはいない人間にとっては不合理で攻撃されることに等しい。「情」は攻撃の意思なく攻撃的だ。「情」は理性を抑圧し、理性に敵対する。
 前置きが長くなった。
 豊川殺人事件の少年は、おそらく、日々「情」という攻撃に晒されていたのだろうと私は想像する。「情」という不合理の忍従への対抗は、合理性という形をとる。ゆえに少年は「合理的」だった。
 同時に、「感情的になるな」と教えられていたのだろうと想像する。ゆえに少年はその規範に従って、人間的感情を棄て、殺人を決意した。
 少年の行動は、何も間違っていない。間違っているとしたら、それは規範のほうだろう。と、「客観的」(=相手の立場に立つのを怠って、人間的感情を伴わず)に締めくくってみたり。

 私に連絡なく父母不在する。父母が不在の間、パートが何していたか判らない、と、下司な勘繰りを父母がする。10年前も同じことを言っていた。いまだ何ら現実的対策をしていない。父母に対策能力がない以上私がどうにかするしかないのだが、対策を実行するためには正直言って父母が最も邪魔だ。

5月6日(土)晴

 午前4時半開店。連休が過ぎたので、客足は落ち着いた。レジャーに行くなら今日はいい日だ。
 店番の後、部屋を移動。妹2号が使っていたところから、1号が使っていたところへ。1号の荷物、移動する。後日1号が激烈に怒ることは判っているが1号に正当性はない、と自分に言い聞かす。1号の部屋のほうが仕事に適している。
 午後になって4時間眠る。夕刻の労働をし損ねる。
 夜、ネームする。8ページ。足立真一さんが同人誌用に考えたネタ、盗用する。先日足立真一さんと電話した時、このネタのラストについて相談に乗っていただく。このネタの本質は虐めでしょ、と、提示され、それまでどうにも生命がなかったキャラに、生命宿る。結局虐めという人間関係しか自分にとってリアルな人間関係ってないんだな、とか思う。無理矢理8ページに収まったが、我ながら無理矢理だ。どうしたものかと思う。15日までに描きあがるだろうか。ギリギリと言うより、無理がある。ホットミルクには宣伝用2ページマンガを描いて、16ページに仕立て直してぷちみるくに載せてもらうほうが、ネタとしてのできは良くなるのだろうけど。

5月5日(金)晴

 寝損ね、午前4時半開店。午前9時まで店番。機械的に客へ説明口上を述べ挙げること、2時間のうちに約40回。顎がかったるくなる。午前7時半過ぎから眠くて死にそうになる。
 午前9時就寝、午後2時昼食食べに起きる。
 外を見ると、帰途の自動車の渋滞が、おそらくインターチェンジからだろう、実家の前まで続いている。日頃自動車で10分ほどの距離の移動に、おそらく1時間も2時間もかかるだろう。日本の狭い国土に自動車文明は適さないとつくづく思う。
 夕刻、編集さんに昨日描いた表紙原稿をファクス。
 連休前から、右肩から右肘、右手首、右手が痛む。急に重労働したからだ。
 夜、母に対しぶちぎれる。日々新潟監禁事件の犯人に自分が似てきたと感じ、情けない。
 客に対する説明口上に慣れるほど、内面と口頭の言葉が断絶し、内面を口頭で語ることが困難になる。自分自身とは断絶している自分では信じていない相手が望む言葉を喋ることに私は慣れている。客を人間として見ないからだ。客もこちらを人格ある人間とは見ない。それを好ましいことだと思う思わないと、慣れている慣れていないは別なことだ。前者は判断、後者は所与。口頭で自分が本当に感じていることを人格ある相手に語れる力は私にはほとんどない。本当に思っていること感じていることを、人格ある相手に対し口にすることに、酷くエネルギーを要する。信じていることを口頭に出すことに抵抗があるから、その時アガリ症になるのですね。信じていないことなら平気で言える。これが日常化すると、自分に対して嘘を平気でつけるようになる。宜しくない。
 原稿を宅急便で送る。直前、イライラしていたので原稿をコピーしておくこと忘れる。

5月4日(木)晴

 寝損ね、午前4時半に開店し、店番。
 午前5時半頃、母が起き出して、私の店番の邪魔をする。当人は手伝っているつもり。
 午前9時頃、編集さんに表紙ファクスする。就寝。午後2時、昼食のため起きる。
 肉体労働する。風が強く、労働に適さない。ずぶ濡れになる。
 編集さんから電話。
 午後5時過ぎ、再び労働。風が収まり、労働に適す。労働の途中、店に戻ると、母が同情を惹こうとする発言をする。労働を終了させた後、母に対し暴言する。私の発言は適切な発言ではなかったが、内容は間違っていない。私のテレビを客へ貸す。ついにテレビもなくなった。私は何から情報を得ればいいのだろう。知的障害者という言い回しがあるが、完全に情報障害者だ。
 休祭日という制度は不合理だ、という話をパートのおばさん相手にする。ゴールデンウィークは、一斉に国民が移動するので、渋滞し、休日を1日中車中で過ごす人が沢山出てくる。宿泊地もその時は、「貨幣が商品に恋」する状態になる。資本主義なら商品が貨幣に恋するのが常道だ。貨幣が商品に恋していたのは旧ソ連だ。日本は案外ロシアによく似ている。キリスト教でもないのに、週に一度一斉に休日をとらなくてはならない理由などない。一斉に休日を取るから道は渋滞し、余暇の時間を疲労困憊して過ごし、観光施設はパンクする。不合理だ。各人が週一度を目安に好きな日を休日にするほうがよほど合理的だ。休日に労働している人間は、平日労働する人間と曜日が分断され、交友を続けるのが困難になる。
 客の食事の片づけをする。父と妹2号が帰宅する。
 NHKでジブリの制作風景ドキュメント放送しているのに気づき、居間で見る。母が父相手に私の暴言の件を曲げて伝え、同情を買おうとし、私をこき下ろす。私がいないと思ったのだろう。母と罵りあいになる。
 表紙描きなおす。
 5月5日午前2時、布団に入るが、眠れない。生活が窒息気味になっている。

5月3日(水)晴

 この日も寝損ね、店番。まずいリズムになっている。
 店番の後、午前8時頃就寝。
 昼食のため起き食事すると腹痛。午後5時頃までだらだら過ごす。昨日の懸念と決意を思い出すと自己嫌悪しそうになるが自己嫌悪するのはやめておく。夕刻の実家の仕事する。
 午後8時、閉店したうえでネット繋いでいると、来客絶えず。
 部屋で表紙原稿試みる。
 5月4日午前2時頃布団に入るが、記憶がモザイク状になっていて、時間の順番が把握できないことに気づき、ああ、プロレタリアな思考ってこうなんだな、台風のように襲う目の前の事象を処理することを優先し、事象はそれぞれ無関係にランダムに訪れ、生活は事象によって停止寸断される。観念的なことを考える能力がないから考えないのではなく、観念的なことを考えているとケガするから考えているわけにはいかない。観念的思考を抑圧しているから、かえって突き抜けて、ときに現実に足場を置かないほど観念的になってしまったりする。プロレタリアな賢明さと、そうでない人間の賢明さは別物なんだな、などと頭ん中ぐるんぐるん駆け巡り陰鬱になって眠れない。
 寝るの辞めて表紙原稿する。絵を描くことに夢中になっていると、陰鬱な気持ちや頭ん中駆け巡っていたものが消える。この効能を私は必要としているのだな、とか思う。

5月2日(火)

 5月1日夜から2日朝へかけて、眠れず。午前4時ネットに触っていると、来客。接客。そのまま店番。
 午前8時頃就寝。昼に起きる。にわか雨すぐやむ。
 杭打ち。アヒルの死骸を埋める。野焼き。父から聞くところによると、今年はヒヨドリ鴨が二羽釣り糸に絡んで死んだそうな。
 肉体労働しながら、コアのインタビューのときの話を脳内で反芻する。自分が宮台さんの授業を受けることでしているのは、体系化だ、という言葉を与えられた。体系という言葉には馴染みがないので私にはよく判らない。フォーマットのし直し、という言葉も与えられた。この言葉にも残念ながら馴染みがないのだが、当っているのだろう。プロレタリアな生活は、断片的経験は得ても、その経験は他の何とも繋がらずに終わる。何と何がどう繋がっているのか把握し、意思によって自身の生活を好転させるための視点と知的支えを得ることが必要だ、と、感じる。
 宮台さんの授業は、私が必要としているものよりは、観念的だ。私の実家の生活には欠片の文化性もない。金曜日に、ラジオを聞こうと思って、スイッチを入れたら、ラジオ電波を受信しない場所なのだということに気づいた。ラジオの電波くらい入ってもいいだろう。情報化社会とは一体どこの国の話だ。文化的なものことごとくにごく初歩的な困難がある。文化的なもの一切から隔離しているから、自分の生活が文化的に貧困であることにすら気づけない。日本軍の戦艦は乗せられる限りの武器を搭載し武装していたが、居住性が劣悪だった。兵士にとっての居住性を考慮しないような軍隊は敗北する。
 父の甥が死んだので、明日は父が不在。父の仕事を明日は肩代わりしなくてはならない。家事は終わりのない労働だという話があるが、実家の仕事も終わりのない労働だ。意識的にどこかで止めない限り、労働はいつまでもある。気を抜くと、一生をこれで費やしてしまう。今日はついうかうかと9時間も費やしてしまった。森鴎外は創作と宮勤めを両立したそうだが、誰にでもできることではないなあ、と思う。誰にでもできることではないから、鴎外は偉大なんだろうなあ、と思う。だが宮勤めだから両立できたのかもな、と、意地悪く思う。
 実家の仕事のための買いだし。量販店が出来ているので、場所を覚える。村で購入する米に比べ、量販店の米のほうが安い、と、父が説明したが、その帰途、別な店でもっと安くもっと質のいい米を売っていること判明。この店は道幅の狭い古い幹線道路に面している。それは30年前なら利点だった。現在は欠点だ。道路が渋滞し、ここに辿りつくことが出来なくなるからだ。交通事情の変化は栄枯盛衰を支配する、ということを、宮崎市定の本で読んだが、ここもそうだな、と思う。私の実家もそうだ、と思う。今のところ偶然実家の仕事は経済的には巧くいっている。そのため父母は必要とされる経営努力を怠り、そのことに無自覚だ。日々を煩雑にし、盲目的にすることで、経営努力を怠っていることを忘れようとしている。幸い、今年からは事業内容が変わったので、従来ほどは煩雑ではない。
 編集さんと連絡。やっぱり表紙を描き下ろすことにする。
 夜、足立真一さんから電話。話する。フリクリ薦められる。蔦屋を近所で発見したので、そこにあると良いなあ。私はひどく早口になっている。思考が実家のお仕事モード、プロレタリアモードになり、そのため、自分の会話が変だ、と、感じること数回。マンガ家としての自意識を保つのは難しい。マンガ家としての自分という自意識と、実家の仕事している自分という自意識は、完全に分断され、統一がなかなか難しい。実家の仕事している自意識で足立真一さんとの会話することに、過剰に警戒している自分に、この文を書いて気づく。実家の仕事のことは他者とはまるっきり関係ないことだ、だから語るべきではない、と、意識しすぎているのだろう。統一が難しい。そしてマンガ家としての自意識を保つのはもっと難しい。マンガ家としての自意識に誇りを持てる自分への説得力が必要だ。
 自分がいたずらに観念的になっているのではないか、とか、全く人と話が通じないのではないか、という、不安が会話をおかしくする。足立真一さんに対してすらそうなら、この世の誰に対してもそうだろう。思考が負の循環をしている。

5月1日(月)

 雨が降ってもおかしくない湿度だが、幸い雨降らず。
 表紙新作の絵を描くのあきらめ、編集さんにその旨伝える。編集さんの声に力ない。体調が悪いのか、生活上トラブルでもあったのか、自分にも責任の一端があるのかな、と。申し訳なく思う。
 母が機嫌良くなり、話が全く通じなくなる。
 無人の舟が風で漂流していることに気づく。父が不在なのでとりに行く。
 舟をとりに行きながら、コアのインタビューのときの話を脳内で反芻する。なぜ自分は美術系の学校に行かなかったんだろう、と、考える。絵を勉強して看板屋にでもなるのか、と、言われたことを思い出す。そして私の知る唯一の美術系の学校を出た人は看板屋だった。直接その人に話を聞きに行けばよかった。私はそのことをしなかった。当時人に会って話を聞こうというモチベーションが、全く内面になかった。話を聞いたところでどの程度勇気付けられたかは疑問だ。
 なぜ国語の成績が異様に良かったのだろう。何を答えさせたいのか心を読む時間がやたら多かったからだな、と、思う。国語のテストは出題者の心理分析をして望みに適う解答をすれば正解だ。自分の考えなんか主張すると不正解になる。
 父は夜間の高校卒業で、母は中卒で、父母は近隣で知る限りの中では、経済的に最も成功した。祖父の弟は祖父の仕送りで大学に行き、最後には大学教授になったそうだ。家からは金を持っていくだけで家に1銭も入れなかった。祖父は弟と縁を切った。当然だ。以後祖父は子供に学をつけなくなった。
 父の弟は大学に行った。父が仕送った。父の弟の家は、父が建てた。おかげで我が家は経済的に過剰に逼迫した。文化どころの話じゃない。ごく当然のこととして、私は児童労働に従事した。休日祭日は労働、平日は学校。社会との接点がない。私は図体が大きくてとろくて成績が良くて村から見ると金持ちに見えた。虐められッ子で、人に心を許さなくなった。大学と経済的成功が意識の上で繋がらないどころか対立するので、美術系の大学へ行ったら極貧になる、という父母の説明は説得力があった。
 今からでも美術系の学校受験しようか、とか考える。学費をどうしたものか、と、考える。私に必要なのは単純なデッサン力とかなので、別段大学にいく必要はない、と、以前もりしげさんから提言されたことを思い出す。代ゼミの美術大受験コース程度の技術で充分だろう、と、もりしげさんからは提言された。夏を過ぎれば金銭に不自由しなくなるので、とにかく学費後期ぶん払い込んで、実家から通えば良いな、と、考える。このことは父母と相談するまい。
 給料貰ったので、電気代振り込む。母へ借金一部返済。
 アヒルが死んでいる。
 店番しながら、現在の実家の料金設定の不合理さについて考えるため、事典を開き、ミクロ経済学の項を読む。
 『歴史とは何か』読了。ポパーへの反論があって、ほうほう、と、思う。幸い、私の中で少しは知が連鎖している。 

2000年6月

2011年12月18日 01時03分46秒 | Weblog
6月22日(木)~6月25日(土)

 父母と下らないことで口論になる。
 親戚を味方にするべく多数派工作を計る。ぐったり。

6月21日(水)

 選挙ポスターを家の前に貼る。

 法事がある。夜、叔父と口論する。
 日本はどんどんダメになっていく、最近の若い者は恩情を知らなくてちっとも人の思いやりと言うのが判らない、政治に関心を持っていない、ダメだ、といったこと、叔父が言う。
 私は反論する。主観的にどういうつもりでいるのかなんてものは他者には判らなくて当然だ、同じ屋根の下にいても全く違う世界を見ているのだから。同世代間での問題は、全く話が通じないという大前提からどうしたらいいか、ということだ。
 日本政治の対立点は、ルールに基づかない「恩情」による支配か、ルールによる自由競争か、だ。
 他者に対し政治に関心がないと憤慨している層がむしろ政治的行動をとっていない、むしろ若年層のほうが政治への関心度は高い。
 と言い返したので、わやわやに口論になる。

6月20日(火)

 都立大へ。
 帰途、電話を下宿から持ってくる。
 民主党の選挙事務所へ行き、選挙ポスター貰う。

6月19日(月)

 柳の枝切り。ロープ貼り。山椒摘み。山椒は茨だらけで往生する。

6月18日(日)

 父母不在。パートのおばさんに愚痴る。
 鳩山由紀夫のサンデーモーニングでの失言に脱力して、鳩山由紀夫にメール送る。

6月17日(土)

 朝、雨。雨の日は全く客が来ない。昼になって晴れ上がる。

6月16日(金)

 許可がいる要らないで父母と口論になる。環境庁窓口へ行く。以前と違って、簡単に資料をコピーしてもらう。父母の主張が誤っていて私の主張が正しいことが証明される。父母と口論すると全く持ってムダに消耗する。

6月15日(木)

 早朝から大宮へ。初め枝野さんのいる場所が見当たらない。枝野さんより早く演説していた自民党候補が駅内からちょうどよく見えるところに自民党の旗を残しておいたので、自民党候補が演説しているのかと思った。自民党候補が演説したあと片付けなかったのだそうだ。
 駅前で枝野さんが演説する傍で、チラシ配布を手伝わせてもらう。枝野さんが演説する向かいで、不細工な男がギターで尾崎豊声張り上げて歌っていたので、音が交錯して、なんだかもう、な感じになる。権力に反抗するのはいいけど反抗するべき対象間違えるなよな。自民党の旗が見えるところに残っていたので見えないところに移す。
 ウグイス嬢の男版である、カラスをさせてもらう。
 民主党の政策をまとめた冊子を貰って、帰宅する。

6月14日(水)

 大宮。枝野さんの選挙事務所へ。選挙宣伝チラシの投函手伝う。
 候補者が演説している間、演説の聞こえる範囲でしか、選挙チラシの投函ができないのだということを初めて知る。走り回り足がパンパンになる。

 宛名書きの葉書を100枚預かってディグさんの部屋で書く。

6月13日(火)

 電車で都立大へ。宮台先生、休講。
 私は大宮へ。枝野さんの選挙事務所へ行く。選挙チラシ、選挙ポスター、選挙宣伝葉書には、皆、選挙管理委員会が発行したシールを貼っておく必要があるということを初めて知る。シール貼りを手伝わせてもらう。単純作業だが、量が膨大なので重労働。
 帰り際、枝野さんが駅前で演説するのを聞く。応援演説者が演説するほど票が逃げていくだろうなと思ったのは私だけではないはず。民主党の内部も色々大変そうだなあ、と思う。
 宛名書きの葉書100枚預かって、下宿へ。ディグさんの下宿で宛名書き。ディグさんの下宿で寝る。

6月12日(月)

 下宿代を払い、電車で居眠りして寝過ごし寝過ごし、朝東京を出て、帰宅に一日かかる。夜帰宅。
6月7日(水)~6月11日(日)

 原稿する。
 10日に宮台先生から、授業ノート、アップしていいよ、という許可のお電話いただいたような気がする。その前の週だったかもしれない。
 原稿日曜のうちに終えるのはムリっぽいので、夜、コアマガジンへ原稿持って行く。コアマガジンで描きあげる。

6月6日(火)

 ネーム作業のため睡眠不足で、都立大へ。授業中眠る。
 車に戻って仮眠とる。ゼミ寝坊する。

6月5日(月)

 捌かれる鯉を見て、『殺すとはどういうことか』着想。ネーム完成。ファクスする。

6月4日(日)

 尾城さんから電話。ネームができないので相談乗ってもらう。

6月1日(火)~6月3日(土)

 win98が壊れているので、win98買う。ノートン買う。
 3日の日に、単行本届く。