1月7日、佐藤義彦先生の退職記念講演会が開催されました。講演会の様子はこちら。
休み明けの初日、しかも平日ですから、どれくらい人が集まるか不安でしたが、全くの杞憂でして…当日、会場はたくさんの学生、卒業生、教職員でいっぱいになりました。
講演会の前日、神谷先生から「佐藤先生のご紹介、よろしく」とメールが届きました。
えぇっ!なんでぇ!?
と叫んでいる時間はないので、さっさと紹介用の原稿をまとめました。
最後の言葉は、「この講演で、学部生の皆さんにはぜひ佐藤先生の精緻な解釈学に触れて…」でした。「親族法か、家族法か?」という論題ですから、親族と家族とは違うのかとか、親族法は一対一の関係、家族法という呼称は団体法的色彩が強く、民法では不適切という解釈論が展開されるのだと思っていました。
ところが、講演開始早々、「親族法か家族法かとう話はまぁ横に置いといて…」で、先生のこれまでの道が語られました。
これは意外な展開でしたが、お会いする機会のなかった磯村哲先生や於保不二雄先生など、昔の先生方のエピソードをうかがうことができ、私には大変面白かったです。
また、自称「しんどいことからは逃げる」タイプ、けれど、「『どうせお前には無理やろう』と言われると、カァッとなって『何くそ、やってやる』と火がつく」タイプの佐藤青年が、いろんな偶然や必然の積み重ねから民法学者となり、同志社の教員となった話は、「入学後、できるだけ早い時期から将来の目標を定め、目標に向かって努力しなさい」と教えられている学生さんには、まさに目からウロコだったのではないかと思います。
私の父親はちょうど佐藤先生の一つ下、母親はさらにその一つ下の「同世代」ですが、私が小さいころ、よく母親が♪ケセラセラ、なるようになる、先のことなど、分からない♪と歌っていました。「山よりでっかい猪は出ん」ともよく言われました。父親は長崎県の五島の出身ですが、「なんで大阪に出てきたん?」の答えは「別に…偶然…」。
だから、佐藤先生に、ふと自分の親が重なります。
こうしてああして、と頭の中であれこれ考え、あぁ、もしこうだったら、どうしようなどと心配するより、あくまでも「なるようになる」「ダメなら、またその時考える」…もしかしたら、幼少時に戦争を体験した世代が、無意識のうちに身につけた強さなのかもしれません。
高校受験や大学受験でピリピリしていたときには、親の「根拠なき楽観」が妙に腹立たしく思えたこともあります。
でも、最近は、それもありかな、と…
もちろん、目標に向かってひたすら努力も大事ですが、努力すれば何でもかなうわけではありませんし、人生、先の先まで予測できるわけでも、予定どおりに進むわけでもありません。
世の中、「こんなはずじゃなかった」がいっぱいです。
そんなときには、考えても仕方ありませんから、とりあえず、目の前のやるべきことをやる、もしくは、やりたいことをやる…きっかけは何でもいいし、動機が不明瞭でも不純であってもいい、将来の見通しなんて考えなくてよいから、「やりたい」「やろう」と思ったことをやる…まさに、「なるようになる」という切り抜け方もあるのかな、と。
実際、佐藤先生と同じく、私の大学院進学理由も「もう少し民法の勉強をしたいと思って…」。大学教員になるなんて、考えていませんでした。それが、今、母校の教壇に立っているわけですから、不思議なもんです。
ついでにいうと、結婚して子どもを産むとも思っていませんでしたし、子どもが学校ぎらいになって、毎朝ハラハラするとも思っていませんでした。
それでも、今の暮らしに大きな不満はありません。なるようになっているわけです。
佐藤先生の講演は、そういう意味で、「元気のでる」お話でした。
休み明けの初日、しかも平日ですから、どれくらい人が集まるか不安でしたが、全くの杞憂でして…当日、会場はたくさんの学生、卒業生、教職員でいっぱいになりました。
講演会の前日、神谷先生から「佐藤先生のご紹介、よろしく」とメールが届きました。
えぇっ!なんでぇ!?
と叫んでいる時間はないので、さっさと紹介用の原稿をまとめました。
最後の言葉は、「この講演で、学部生の皆さんにはぜひ佐藤先生の精緻な解釈学に触れて…」でした。「親族法か、家族法か?」という論題ですから、親族と家族とは違うのかとか、親族法は一対一の関係、家族法という呼称は団体法的色彩が強く、民法では不適切という解釈論が展開されるのだと思っていました。
ところが、講演開始早々、「親族法か家族法かとう話はまぁ横に置いといて…」で、先生のこれまでの道が語られました。
これは意外な展開でしたが、お会いする機会のなかった磯村哲先生や於保不二雄先生など、昔の先生方のエピソードをうかがうことができ、私には大変面白かったです。
また、自称「しんどいことからは逃げる」タイプ、けれど、「『どうせお前には無理やろう』と言われると、カァッとなって『何くそ、やってやる』と火がつく」タイプの佐藤青年が、いろんな偶然や必然の積み重ねから民法学者となり、同志社の教員となった話は、「入学後、できるだけ早い時期から将来の目標を定め、目標に向かって努力しなさい」と教えられている学生さんには、まさに目からウロコだったのではないかと思います。
私の父親はちょうど佐藤先生の一つ下、母親はさらにその一つ下の「同世代」ですが、私が小さいころ、よく母親が♪ケセラセラ、なるようになる、先のことなど、分からない♪と歌っていました。「山よりでっかい猪は出ん」ともよく言われました。父親は長崎県の五島の出身ですが、「なんで大阪に出てきたん?」の答えは「別に…偶然…」。
だから、佐藤先生に、ふと自分の親が重なります。
こうしてああして、と頭の中であれこれ考え、あぁ、もしこうだったら、どうしようなどと心配するより、あくまでも「なるようになる」「ダメなら、またその時考える」…もしかしたら、幼少時に戦争を体験した世代が、無意識のうちに身につけた強さなのかもしれません。
高校受験や大学受験でピリピリしていたときには、親の「根拠なき楽観」が妙に腹立たしく思えたこともあります。
でも、最近は、それもありかな、と…
もちろん、目標に向かってひたすら努力も大事ですが、努力すれば何でもかなうわけではありませんし、人生、先の先まで予測できるわけでも、予定どおりに進むわけでもありません。
世の中、「こんなはずじゃなかった」がいっぱいです。
そんなときには、考えても仕方ありませんから、とりあえず、目の前のやるべきことをやる、もしくは、やりたいことをやる…きっかけは何でもいいし、動機が不明瞭でも不純であってもいい、将来の見通しなんて考えなくてよいから、「やりたい」「やろう」と思ったことをやる…まさに、「なるようになる」という切り抜け方もあるのかな、と。
実際、佐藤先生と同じく、私の大学院進学理由も「もう少し民法の勉強をしたいと思って…」。大学教員になるなんて、考えていませんでした。それが、今、母校の教壇に立っているわけですから、不思議なもんです。
ついでにいうと、結婚して子どもを産むとも思っていませんでしたし、子どもが学校ぎらいになって、毎朝ハラハラするとも思っていませんでした。
それでも、今の暮らしに大きな不満はありません。なるようになっているわけです。
佐藤先生の講演は、そういう意味で、「元気のでる」お話でした。