我々は一体なにからできているのか?
と言う問いは多くの人々にとってどうでもいいようなことなのかもしれないけれど、それでもやっぱりというか結局と言うか僕にとってはそれはとても大事な問題なわけで、だからこのことに関して言及せずにいることはやっぱりできないと思うわけです。
それで、問題なのは、我々は点からできているのか?それともひも(普通は線というが超ひも理論から引用してひもと呼ぶ)のような物、あるいは平面のようなもの、あるいは立方体のようなものからできているということです。ひもも平面も立方体も点の集まりじゃないのか?と思われる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、私たちはいくらひもを刻んだとしても、そこから点を取り出すことはできず、1回刻めば2本のひもになり、もう1回刻めば3本のひもになり、いくら刻んでもそこから点を得ることはできません。同様のことは平面にも言えて、平面を1回刻めば2個の平面になり、2回刻めば3個の平面になります。立方体の場合も又叱りです。
ということで、我々は点からできているのか、あるいはひもや平面や立方体のようなものからできているのか?という問いに対して答えることはなかなかに難しい問題、いやかなり難しい問題だということができます。
と言う問いは多くの人々にとってどうでもいいようなことなのかもしれないけれど、それでもやっぱりというか結局と言うか僕にとってはそれはとても大事な問題なわけで、だからこのことに関して言及せずにいることはやっぱりできないと思うわけです。
それで、問題なのは、我々は点からできているのか?それともひも(普通は線というが超ひも理論から引用してひもと呼ぶ)のような物、あるいは平面のようなもの、あるいは立方体のようなものからできているということです。ひもも平面も立方体も点の集まりじゃないのか?と思われる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、私たちはいくらひもを刻んだとしても、そこから点を取り出すことはできず、1回刻めば2本のひもになり、もう1回刻めば3本のひもになり、いくら刻んでもそこから点を得ることはできません。同様のことは平面にも言えて、平面を1回刻めば2個の平面になり、2回刻めば3個の平面になります。立方体の場合も又叱りです。
ということで、我々は点からできているのか、あるいはひもや平面や立方体のようなものからできているのか?という問いに対して答えることはなかなかに難しい問題、いやかなり難しい問題だということができます。