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(読書)公益とは何か

2005年02月25日 | 読書感想
 今、世間で最も注目されている? ライブドアのニッポン放送買収問題をめぐって、「メディアの公共性という観点から疑問だ」とする自民党の森喜朗元首相が新聞に出ていました。それとは逆に「自分達の利益のためにグループ支配の構造を続けておきながら、放送の公共性を持ち出し、視聴者や国民のことを考えた番組づくりが行われていない」とするインタビュー記事も記載されています。
 NHK放送の教育テレビの「シリーズ 戦争をどう裁く―第2回 問われる戦時性暴力」の改変問題では、毎日新聞の「記者の目」で、「実はくせもの 公平・公正 錦の御旗に政治的色彩」(2月3日)とのタイトルで書いているように、公共性という形式の元で、実際には一部の人たちの意向が強く働いていたりすることも実際にはあるようです。
 ちなみにNHKは国が設立した「公共法人」という分類になるのですが、地方自治体などが設立する財団法人や社団法人は「公益法人」と呼ばれています。また、私たちNPO法人も民法以外の特別法に基づいて設立される公益を目的とする法人として位置づけられています。 

 ここでいう「公共」とか「公益」とはいったいどういう意味なのでしょうか。
 社会・経済構造の大きな変化の中で求められる新しい「パブリック」の概念や実践のありようを考えるため、「公益とは何か」(著者:小松隆二)と題した本を読んでみました。
 
 まず本書は冒頭で、「小学修身訓 高等科用 巻之三」(1892年)に掲載されている公益に関する教えの引用をしています。

「公益とは、国の為め、世の為めに、幸福を謀りて、己れ一人の為めにせざるをいふなり。人たるものは、忠孝の道を守り、君父に仕ふべき事勿論なれども、又進んでは公衆の為めに、其の便益を増さん事を思ふべし。家計の少しく余裕あるに至らば、則ち公衆の便利を謀るべし。ただ私欲に耽りて、己れが耳目・口腹を楽しましむるは、志士仁人の行ひにあらず。公益の事業甚だ広し。国家の為めに財を損て、力を尽すは公益なり。倉を開きて、窮民を救ふも公益なり。荒地を開き、水利を起すも公益なり。」

 次に、「小学修身訓 高等科用 巻之四」の次の文章も紹介しています。

 「会を立て、社を結び、公益を図らんとせば、ひろく衆人の言を聞き、我が徳器大にして、衆人と共に心力を戮すべし/ 世には、公益を名として、ひそかに私利を営むものあり。遂に公利・公益を害して、我が身を破るに至る。返す返すも、是れらの行ひあるべからず。」
 
 この文面を見て、随分昔の時代のものなのに公益ということの本質的ものに迫っているなぁと正直関心しました。しかし、この終身訓は教育勅語に基づき作成されたものであり、国家による価値観の統制や天皇への忠君愛国、国体の精華という神話の強制などとセットになっているものなので、非常に評価しづらいものであでることも確かです。(言葉と実際の目的とは違うということを常に考えておかないと、今の世の中で真実を見抜くことはできません。)
 同じように、日本では結いという助け合いの良き文化があるのですが、江戸時代には幕府が5人組という隣保組織をつくって町人・百姓を統制するために使いました。また戦前は町内会を戦争への国家動員の道具として利用するなど、儒教の良い意味での道徳・精神性、公共的な意識や組織を政治的に利用するという歴史があるので、冒頭の引用を読んで筆者の真意を理解するのに苦労しました。

 ところで、本書では公益のキーワードとして、〈ニーズ〉〈サービス〉〈ソーシャル〉の三点を挙げています。

 ニーズという点に関しては、かつて極貧など極度に劣悪な状況にあるものを救済するということからはじまり、対等の関係において協力し合うという形態に変わったとしています。また、上からの救済を必要とするニーズや、見返りなどを求めない一方的な貢献の役割も重要ではありますが、現在の公益活動の軸は「参加・協力・連携」であると記述されています。
 この考え方には、大いに共感を覚えます。たとえば、ボランティアの人たちの考え方も色々ありますが、「博愛」「奉仕」だけでは無いことを理解していない方もいらっしゃるので、そういう方とは一緒に活動しにくい分野もありますよね。

 本書を読んで、「世のため、人のため」という志は公益の出発点ではありますが、「そのために何をどのように行う?」ということを今の時代背景や社会状況を掌握しながら実践しなければ本当の意味でのパブリックは見えないのだと思いました。

 * * * * * *

 現在の話題になっているメディア問題も、公共性一般を論じても意味がありません。

 今日の京都新聞に井上ひさし氏の次のコメントが載っていました。

 「かつては各局とも、優れた娯楽性や話題性などを番組づくりで競い合っていた。ところが今は当たった他局の番組のまねが大すぎ、内容も幼稚。衰えかかったメディアを『新しく使えるぜ』と殴り込んだライブドアに、フジテレビ側はテレビをどのように新しく使えるのか議論しながら攻防してほしい」

 本当、そうですよね。結局、「公共」や「公益」を言葉だけで言ってみたり、逆にそれを表面的に信用するというのでは駄目なんです。実際の現状や課題などを広く議論し、本来のありようを探求し実践していく姿勢こそが必要なのではないでしょうか。


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1 コメント

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記事引用 (毎日新聞)
2005-02-25 22:04:39
2005/02/03  毎日新聞



NHK特番問題の底流=臺宏士(社会部)



 ◇実は、くせもの、公平・公正--錦の御旗に政治的色彩 旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げたNHK特集番組「問われ



る戦時性暴力」をめぐり、朝日新聞とNHKとの間で続いている対立は、自民党の安倍晋三幹事長代理(当時は官房副長官)が



松尾武放送総局長(当時)らNHK幹部と放送前日に会い「公平・公正な報道をしてほしい」と要望したことについては本人を



含め異論はないだろう。 「公正な報道を心がけなければならないテレビ局が一方に加担した」。

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