今回の介護保険制度の改定については、平成21年度からの改定に際して「一部報酬がアップ」した改定となった(と厚生労働所は言っている)ことから、その「後追い」をするようなアップの改定にはならない。なぜならばそれをしてしまえば「制度の持続性」という根本理念を換えていかなければならなくなるから。ということは報酬がアップすることはなく、「パイの大きさ」は変わらずに幅広い支給を行うことが求められるので、当然に報酬は引き下げの方向に向かっていくこととなる。
報酬に関することだけでなく、制度そのものについても、「地域包括ケア」という名のものとに、「包括報酬」性を取り入れて事業所の報酬を抑制しよう(正確には支援をどのくらい実施しても積算ではなく定額とする。それによって事業所は仕事をしても報酬にならない⇒支援の削減となる)としている。これによって利用者へのサービスの低下=生活支援の切捨てが行われようとしている。
またこのプロセスにおいては訪問介護の「生活援助」を切り捨て(報酬の対象外)とするという議論も行われた(これについては反対意見が多数で見送られる可能性が高い)りもしている。
介護支援専門員に対しても「段位性」なる奇妙奇天烈な話も持ち上がってきた。
ケアマネジメントの質に対して「段位」をつけ、優劣を明確化しようという話のようだ。
武道の段位、囲碁将棋の段位のように、優劣が明確に基準設定でき、その基準に達している甲斐ないかを明確かつ客観的に判断が出来るものならともかく、ケアマネジメントのように「適正なケアマネジメント」すら確立していないものに対して、いったいどのようにして段位授与の判断が出来るのだろう。
これも単に「段位昇格」のための「上納金」を吸い上げていくための口実でしかないのであろう。
このように今回の介護保険制度の改定は「制度の持続性」と収入の枠を変化させずに幅広いサービス提供、決め細やかなサービス提供を目指すという「上面」の元、実質的に報酬の切り下げ、支援の低下をもたらすものでしかない。
このような結果にならないようにという思いから、日本介護支援専門員協会が、きわめて短時間の中で多種多様な項目について、幅広く現場の介護支援専門員の声を集めるように求めた「緊急アンケート」にも協力をし、この発想では生活が成り立たないということを訴えてきた。
しかし、検討の場で、介護支援専門員の職能団体のトップはそれをきちんと伝え切れているのか。
検討の場にいる「有識者」が理解できているのだろうか。
このまま厚生労働省の思い描いた方向に進むのであれば、介護現場は崩壊する。
制度は残った。しかしその制度に基づいて支援をする事業所が存在しないという事態を招きかねない。
利用者の生活もそれに伴って崩壊へ進んでいくであろう。
今後高齢者の生活はどうなってくるのだろうか。
自己責任で、自分のことは自分で守らざるを得なくなるのだろうか。
それが出来ていればいいけど、それが出来なければのたれ死ぬしかないのだろうか。
国ではそこまで面倒を見ないという意思の表れだろう。
日本という国にとって、高齢者は、特に要介護高齢者は「お荷物」でしかないのであろう。
存在してほしくない存在なのであろう。
こんな社会にすまなければいけない国民は不幸だ。
生きている価値がないといわれているんだから。
これが「制度の持続性」を追求した結果もたらされる社会であるとするならば、介護保険制度なんてものはなくなったほうがましだ。
報酬に関することだけでなく、制度そのものについても、「地域包括ケア」という名のものとに、「包括報酬」性を取り入れて事業所の報酬を抑制しよう(正確には支援をどのくらい実施しても積算ではなく定額とする。それによって事業所は仕事をしても報酬にならない⇒支援の削減となる)としている。これによって利用者へのサービスの低下=生活支援の切捨てが行われようとしている。
またこのプロセスにおいては訪問介護の「生活援助」を切り捨て(報酬の対象外)とするという議論も行われた(これについては反対意見が多数で見送られる可能性が高い)りもしている。
介護支援専門員に対しても「段位性」なる奇妙奇天烈な話も持ち上がってきた。
ケアマネジメントの質に対して「段位」をつけ、優劣を明確化しようという話のようだ。
武道の段位、囲碁将棋の段位のように、優劣が明確に基準設定でき、その基準に達している甲斐ないかを明確かつ客観的に判断が出来るものならともかく、ケアマネジメントのように「適正なケアマネジメント」すら確立していないものに対して、いったいどのようにして段位授与の判断が出来るのだろう。
これも単に「段位昇格」のための「上納金」を吸い上げていくための口実でしかないのであろう。
このように今回の介護保険制度の改定は「制度の持続性」と収入の枠を変化させずに幅広いサービス提供、決め細やかなサービス提供を目指すという「上面」の元、実質的に報酬の切り下げ、支援の低下をもたらすものでしかない。
このような結果にならないようにという思いから、日本介護支援専門員協会が、きわめて短時間の中で多種多様な項目について、幅広く現場の介護支援専門員の声を集めるように求めた「緊急アンケート」にも協力をし、この発想では生活が成り立たないということを訴えてきた。
しかし、検討の場で、介護支援専門員の職能団体のトップはそれをきちんと伝え切れているのか。
検討の場にいる「有識者」が理解できているのだろうか。
このまま厚生労働省の思い描いた方向に進むのであれば、介護現場は崩壊する。
制度は残った。しかしその制度に基づいて支援をする事業所が存在しないという事態を招きかねない。
利用者の生活もそれに伴って崩壊へ進んでいくであろう。
今後高齢者の生活はどうなってくるのだろうか。
自己責任で、自分のことは自分で守らざるを得なくなるのだろうか。
それが出来ていればいいけど、それが出来なければのたれ死ぬしかないのだろうか。
国ではそこまで面倒を見ないという意思の表れだろう。
日本という国にとって、高齢者は、特に要介護高齢者は「お荷物」でしかないのであろう。
存在してほしくない存在なのであろう。
こんな社会にすまなければいけない国民は不幸だ。
生きている価値がないといわれているんだから。
これが「制度の持続性」を追求した結果もたらされる社会であるとするならば、介護保険制度なんてものはなくなったほうがましだ。
すごく参考にさせていただいています。
うまくいえないのですが(頭悪いもので)
しかし今回のコメントは、自分も漠然と感じていたことで、それを明確に理解できた?
とても難しく、巧妙にぼかした、改革会議になっていますが、職能団体である協会の発言にも不安を感じていました。
どう考えても低い報酬で、現場は必死にもがいている現状。本当に改善しようと思うなら、給付金などせず報酬アップにするはずだし、集中減算も、おかしい。
だけど、国はそれを理解している振りして、実はない袖は振れないとばかり、合理化適正化をするといいながら個妙に、規制をかけ、制度を複雑化していく。
今回もその流れになりそうな観が否めない。
最初から生きず待った制度、今後どうなるか、とても不安です。
正直、個人的に限界です。
すごく参考にさせていただいています。
うまくいえないのですが(頭悪いもので)
しかし今回のコメントは、自分も漠然と感じていたことで、それを明確に理解できた?
とても難しく、巧妙にぼかした、改革会議になっていますが、職能団体である協会の発言にも不安を感じていました。
どう考えても低い報酬で、現場は必死にもがいている現状。本当に改善しようと思うなら、給付金などせず報酬アップにするはずだし、集中減算も、おかしい。
だけど、国はそれを理解している振りして、実はない袖は振れないとばかり、合理化適正化をするといいながら個妙に、規制をかけ、制度を複雑化していく。
今回もその流れになりそうな観が否めない。
最初から生きず待った制度、今後どうなるか、とても不安です。
正直、個人的に限界です。
つまりこのことは再就職支援に関して鳩山内閣の時に検討指示が出されたもので、その他の職種についても再就職時に適正な報酬を評価できるように考えだされたもので、決して介護報酬評価との関連でケアマネジメントを評価しようというものではありません。
介護であれ、医療であれ、報酬に関して、どの職種も相当な打撃を受けていることは、事業主
にとって最大の問題です。やはり、我々も生活がかかっているわけですから。
兼任CMさんのような立場であれば、なおのことこのような思いをされるのは当然の心理だと
思います。
私は、リハビリ(OT)職種ですが、今年15年になります。あの頃のリハビリ報酬は何だったのか?リハビリを国としてもどんどん推進し
よう。それが、今では、ダラダラリハビリで、
期限が来れば、打ち切り。
報酬としてカウントできなくても、根気強く継続していくことで、生活に変化がみられた方は仕事を通じて嫌というほど、体験してきました。おこがましいようですが。。。
私の仕事のプロフェッショナルの言葉として、やはり(生きていること)を実感していただくこと。
兼任CMさんが武道段位について触れられています。私は、おこがましくも有段位者でもありますが、段位審査に合格し、段位をあげていっても、試合で負けることは多々あるんですね。(俺は段位者?肩書きだけやなあ))と思うことなんていつもです。つまり、武道においても、段位の質なんて自己研鑽の結果はもちろんですが、審査員の判断、その時の状況、そして運。段位をあげていくにつれ、明確な基準って何だろう?と思うことなんてざらなんです。(一応、個人的意見として。。報告します。)
ケアマネジメントについても同じようなことが言えるのではないでしょうか。(このケアプランで完璧。私はプロだ)と思っている人はどれくらいいるのでしょう。いや、そういう人にケアプランなんて作ってほしくない。
私は、本当のプロっていうのは(本当にこれでいいんだろうか、間違ってないだろうか)といつも苦しみ続ける能力を持った人のことを言うのだと思います。
本論に戻ります。考えてみますと。。。では今後(敬老の日)はなくなってしまうのでしょうか。昭和41年(としよりの日)から敬老の日となったことの意味って。。。。
少なくとも、どんな厳しい報酬体系になろうとも、私は、敬老と言う言葉を忘れず、仕事を続けていけたらと思っています。