それと同じ頃に柳田邦夫氏の「がん回廊の朝」や千葉敦子氏のがんに罹患した後の著作に触れた頃だ。
当時は大学で医療ソーシャルワークを専攻し、ゼミナールの一貫として様々な分野におけるソーシャルワーカーの実践とその課題などを学んでいた。そのプロセスの中で在宅ターミナルケアと在宅ホスピスが話題になった。
正直な話、それまで「死」ということに対してあまり関心がなかった。しかしただ漠然と死=敗北という考え方には同調できないでいた。そこに在宅ホスピスであり、「死ぬ瞬間」であり、ターミナルケアに触れて、自分の頭の中で何かにひっぱたかれたかのような衝撃を味わった。
そして「がん回廊の朝」を読み、その中の一節に東北の山村から一人の老婦人が国立がんセンターを紹介されてきた。がんセンター創設期の話なので、当時は当然に本人に告知をしていないため、その老婦人は「行けといわれたからきた」という感じで全くがんであることを微塵も疑っていない。そして手術が終わり退院していく。この間一つもがんであることを疑わず、医師や看護師の指示に従って療養生活を送った。退院時にはかなり重篤な状況のがんも殆ど問題のない状況になって退院したと言うくだりがある。またもう一つのエピソードとしてある高名な宗教家ががんにかかった。医師は徳の高い、修行をしている高名な宗教家だから、という判断で告知をした。告知をしても治癒の可能性の高い所祈願に近い状況だということもあった。しかしその宗教家はがんを気にしすぎて結局自殺をしてしまう。
このエピソードがきっかけとなってターミナルケアに関心が向いていった。
そしてターミナルケアの在り方を考えるきっかけになったのが千葉敦子氏の著作とやはり柳田氏の関連著作である。
千葉氏はジャーナリストとして世界をまたにかけて活躍していた絶頂期にがんに侵される。もちろん告知を受け、がんと戦い、自分のがんとの戦いを報道した人物だ。そして最後はがんが脳に転移をして「もう戦えません」という絶筆を送信してその人生を閉じた人だ。
また柳田氏の関連著作の中では医師が、それもがんセンターに勤務している専門医師ががんにかかったと言うエピソードがある。しかも進行性のがんであり、早期発見が難しいがんであったため、余命先刻もされたケースだった。その医師は自分を「医師としての目」で状態を観察し、医師として病状を分析評価し、日々の状況を詳細な記録に残した。しかし一方で「ありのままの自分」の気持ちもまた記録に残していて、この医師の闘病時の記録を読んだことがターミナルケアとは何かを考えるきっかけになったと言える。
このような形でターミナルケアに興味を持つことになり、やがて特別養護老人ホームに就職をし、そこで多くの利用者さんの「し」に直面する中から、自分のターミナルケアというもの、その考えの基本理念というものが確立されてきていると言える。
当時は大学で医療ソーシャルワークを専攻し、ゼミナールの一貫として様々な分野におけるソーシャルワーカーの実践とその課題などを学んでいた。そのプロセスの中で在宅ターミナルケアと在宅ホスピスが話題になった。
正直な話、それまで「死」ということに対してあまり関心がなかった。しかしただ漠然と死=敗北という考え方には同調できないでいた。そこに在宅ホスピスであり、「死ぬ瞬間」であり、ターミナルケアに触れて、自分の頭の中で何かにひっぱたかれたかのような衝撃を味わった。
そして「がん回廊の朝」を読み、その中の一節に東北の山村から一人の老婦人が国立がんセンターを紹介されてきた。がんセンター創設期の話なので、当時は当然に本人に告知をしていないため、その老婦人は「行けといわれたからきた」という感じで全くがんであることを微塵も疑っていない。そして手術が終わり退院していく。この間一つもがんであることを疑わず、医師や看護師の指示に従って療養生活を送った。退院時にはかなり重篤な状況のがんも殆ど問題のない状況になって退院したと言うくだりがある。またもう一つのエピソードとしてある高名な宗教家ががんにかかった。医師は徳の高い、修行をしている高名な宗教家だから、という判断で告知をした。告知をしても治癒の可能性の高い所祈願に近い状況だということもあった。しかしその宗教家はがんを気にしすぎて結局自殺をしてしまう。
このエピソードがきっかけとなってターミナルケアに関心が向いていった。
そしてターミナルケアの在り方を考えるきっかけになったのが千葉敦子氏の著作とやはり柳田氏の関連著作である。
千葉氏はジャーナリストとして世界をまたにかけて活躍していた絶頂期にがんに侵される。もちろん告知を受け、がんと戦い、自分のがんとの戦いを報道した人物だ。そして最後はがんが脳に転移をして「もう戦えません」という絶筆を送信してその人生を閉じた人だ。
また柳田氏の関連著作の中では医師が、それもがんセンターに勤務している専門医師ががんにかかったと言うエピソードがある。しかも進行性のがんであり、早期発見が難しいがんであったため、余命先刻もされたケースだった。その医師は自分を「医師としての目」で状態を観察し、医師として病状を分析評価し、日々の状況を詳細な記録に残した。しかし一方で「ありのままの自分」の気持ちもまた記録に残していて、この医師の闘病時の記録を読んだことがターミナルケアとは何かを考えるきっかけになったと言える。
このような形でターミナルケアに興味を持つことになり、やがて特別養護老人ホームに就職をし、そこで多くの利用者さんの「し」に直面する中から、自分のターミナルケアというもの、その考えの基本理念というものが確立されてきていると言える。
私はここ1年ほどホスピスに関心が向き始め少しずつでも出来る事から・・・
と思い色んな研修会や講習に参加させてもらっています。
保育から介護へ転身して5年、管理者の考え方や業務上の矛盾に耐えかねて居た頃大分では有名なホスピスを知りました。
どうせ仕事をするなら文句ばかりを抱えてるより残り少ない時間を大切に過ごそうとされている方の手伝いが私にも出来ないだろうか?これがターミナルケアへと入っていったきっかけでした。
兼任様のように”その考えの基本理念というものが確立されてきていると言える。”などとはまだまだ言えませんがこれからの大きな課題です。
”基本理念が確立”された方とお話させていただいてると”一本通った”方ばかり。
今週も緩和ケアの講演があります。
さぁ、頑張らなきゃ。
兼任様も又いろいろ教えてくださいね。
あっ。
後、認知症の症例レポートも・・・宿題がいっぱいです。(なにせ22日まではなにも手をつけられない状態でしたので:笑)
施設に入ってからの2~3年は、自分には何ができるか・何にもできることがないというジレンマの中にいました。何度か転職も考え、一つは決定直前まで言ったこともありました。でも結局続けていたんです。その中でいろいろなものを学びました。
やはり経験の中から得られるものは沢山あります。そして、一日一日を何気なく流しているだけだとあまり得るものが多くないように思います。
ikuyoさんもターミナルと出会い、その中で様々な経験をしていく中で「私がターミナルケアで最も大切にしたいこと」が明確になっていくとおもいますよ。
これはケアマネとしてもとても大切なことだと思っています。
柳田邦男氏の著書、がん・死の医学関係のものは私も大半?を読破しています。千葉氏・ロス氏の著書も同様。
特に「がん回廊の朝」はターミナルとは別な意味で、がん医学創世記の先人達の姿勢は私のバイブルになっています。(特に白壁先生の二重造影法誕生が好きです)
仕事で悩んだ時、よく読み返しますね。
そもそも、がん・ターミナルに関心を持ったのは何故か小学生の時(もしかして、兼任CMさんが柳田氏の著書と出会った時期と同じ??)。「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」を読んだ事がきっかけでした。こればっかりは、魂に響いたのでしょうね。
そして今まで紆余曲折を経て、介護というターミナルケアにたどり着いた、と。
長くなりますが、お許し下さい。
私が大好きだった母方の祖母は。
山奥で長くひとり暮らしをしていて気丈だったのですが、高齢になってひとり暮らしが困難になり、入所して。
すぐに原因不明の精神的混乱をきたし、入所時身辺ADL自立が半年足らずで四肢硬直状態となって、Mカテになりました。もちろん、話すことも何もできなくなりました。
そして、ある日の夜勤帯にひっそりと息を引き取っていたのを
発見されました。
その時すでにP●だった私は、何もできなかった。
今、介護の世界に身を置く一人として、祖母の役に立てなかった私は。
償いをさせてもらっているようなものです。
すみません。和田石です。
私ももともと小説よりもドキュメントが好きなのですが、柳田氏に出会ってからは一層ドキュメントにのめりこんでいると言う状況です。
そういえば「がん回廊の炎」という著作で白壁先生ご自身が早期胃がんを発見する件がありましたが、あれも印象深いエピソードです。
ところで最近柳田氏はあんまり書かないんですよね。寂しく思っています。
白壁先生のエピソード、オペ室で外科医と対峙するくだりですね。あそこは読んでいて力が入ります。
どうしようもない・絶対的な存在に対して、一から自分が作り上げてきたもので立ち向かい、壁を突破する。
様々な知識・ツールが発達した今日なのに、壁に立ち向かいきれなくなる後ろ向きの自分が居る時、「後ろ向きになるな!」と発奮させる為あの本を読みます。
柳田氏の新作が待ち遠しいです。
その意味もあってドキュメンタリーがすきなのでしょうね。
我々も「介護保険制度」という車に乗りながら、全く新しい道を切り開いていこうとしている。たまたまその先頭車両に乗っているという感じがしていて、先人たちの言動に学ぶことが沢山あります。
しかし「後ろ向き」にならないまでも「前を見据えていない」自分がいる事にも気がつきます。後戻りはしていないのだけどすすんでもいない。ただそこにとどまっているだけ、っていう感じがするときがあり、そのときに「がん回廊の朝」などの書籍に改めて触れることで、すすんでいかなくちゃ!という勇気をもらっているようです。
ただ、文庫本を読むことがきつくなってきていて困っています(泣)
最初に死を意識したのは小学5年。自宅で大腸がんの祖母の死でした。近隣に住む身内の者達が見守る中での往生は、11歳の自分にとって、こうやって人はしんでいくんだなと、なんとなく納得したのを今でも憶えております。
特養職員を始めとして介護なるものに関わって10年が過ぎました。介護職として関わった方たちの死や、親の死、友人の死にも、それこそさまざまにめぐり合っていますが、顔が違うように人の死に方もさまざまなように感じています。時期を選べないだけに自分自身がその瞬間にどんな状態になるのか、ちょっと予想がつかないのですが、周りに何か感じるものを残したいと思うのは、ごうまんか?ともつらつら考えております。
ターミナルケアの基本は「し」を迎えるためのケアではなく、「死」の瞬間まで帰属している「性」をケアすることにあるわけです。そこに何をして・何を思ってもらうかが問われていると思っています。
多くの経験の中から培ってきた様々なものを駆使しながら、利用者さんのより良い人生の最期の意図こまが、実り多いものになるような支援を、これからも続けていってください。