おやっ、おー、筍が生えてるぞ。ひそかに持って帰って酒の肴にして食ったけどな。古墳の筍の味はまた格別だからな。はははははのは。
径32m 高さ5mの大型の円墳である。四世紀末から五世紀初頭に築造されたとある。長持形石棺(ある意味王者の石棺とも言われている)舟形石棺が検出されている。兄弟、姉妹か、親子か・・副葬品からある程度判断出来そうではあるが・・そこの説明は無い。盗掘に遭って皆無かもしれないがな。
ここも頂塚古墳の草刈りをした方が担当している。既に終わっているので・・傍にある石棺の方もお願いしたいところではあるが・・
早咲きの桜の桜が終わりに近づいている。
ふと足元を・・・可憐な・・ハナニラだな。今の時季は花を探して歩いているようだぞ。
どうも風采の上がらぬ我輩なんかがカメラを覗きながら花の写真を・・変な目で見られている。はは、こればかりは如何ともしがたいな。古墳の写真を撮っている方が気が楽だな。人の目を気にしなくていいからな。
長崎街道はここから始まる。紫川に架かる常盤橋である。賢明なる読者諸氏ならずともご存知であろうあのシーボルトが「風が強い時は内裏(現 大里)から渡るのだ」と記している様に長崎街道の起点を内裏とする説もあるようだが、門司往還であろう。
この木造の常盤橋はシーボルトの『日本』に載ってある挿絵通りに再建されているとのことだ。
頂塚古墳(熊本県)
津袋古墳群中の1基である。大形の円墳と言っていいのだが、五世紀初めに築造され、尚且つ埋葬施設が2基あるということだ。舟形石棺、箱式石棺である。説明によると舟形石棺が主体部であるが・・説明によると地下65mに埋蔵されていたと書かれているのには驚きだが・・はははは。もう少し読むと65cmの元の場所に埋め戻したとある。校正しろよと言いたくなるな。図面からすれば家形石棺のようだがな。
箱式石棺からは女性二体が埋葬されているのが確認されているので、埋葬されている主体の三人は親子、兄弟(姉妹)関係のようである。ひっそりと傍らから主体部の被葬者(男性)を見守っていると言うように感じ取れる古墳である。
当該ブログの記事は令和2年(2020)3月11日から18日までである。