かへる 東の国探訪記

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ウィーン軍事史博物館(42)

2016-01-06 19:44:46 | 旅行
バリケードの横にあるものがこれ。
もう、この車輪を見ても「大八車だ」とは思わない。


これはチラシによると、国防軍の8センチ野戦砲M18である。
第一次世界大戦の頃の曲射砲などと比べると、格段に複雑化し、大きくなっている。


これは展示位置から察するに、国防軍の制服だと思われる。
中央にある像は、どうも大戦間に大統領や首相をつとめた人物のものらしい。
(ザイベル首相かミクラス大統領と思われる)
ガラスケースの表面に、向かい側にあるヒトラーの画像が映り込んでしまっている。
(わざとでも狙ったわけでもない)


これは墺国の議事堂(模型)のようだ。
形だけ見ると、シェーンブルンにあるグロリエッテにも似ている。

墺国は第一次世界大戦敗戦後、しばらくして経済がようやく上向きになりかけたのだが、
世界恐慌のせいで再び不況に陥った。
失業率は25%近いという有様で、国民の政治不信も大きくなっていった。
そんな中、政治闘争の果てに、1934年2月にファシスト勢力と社会民主主義勢力との間に戦闘が起こる。
(いわゆる2月内乱である)
この内戦では数百人の死者を出し、負傷者も4桁に達するという、墺国にとっては大きな事件だった。
ドルフース首相率いるファシズム勢力が勝ち、ここに祖国戦線による独裁政権が誕生する。
オーストロファシズムの始まりである。
ちなみに、墺国のファシスト勢力とは、キリスト教保守系の考え方を持つ集団で、反ユダヤ主義ではなかった。

しかし、ドルフースは同年7月にオーストリア・ナチス党員により暗殺された。
これは、暗殺時に身につけていた衣服とデスマスク(左下の白いもの)と胸像、
そして最期の瞬間に横たわっていた長椅子と写真である。


長椅子に頭部の像だけが置いてあるのは、非常に不気味である。


大綬やペナントなどに描かれている変形の十字は、あの鉤十字を連想させるが、
これは祖国戦線のトレードマークである。


ドルフース暗殺後も軍事政権は続いたが、結局は1938年に墺国がドイツに併合(アンシュルス)されて共和国は消滅する。
首相を務めていたシュシュニックはナチスによって強制収容所に送られた。
(ドイツ降伏の頃、アメリカ軍によって救出され、戦後はアメリカに移住した)
この胸像は、たぶんシュシュニック首相のものだろう。

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