中野区白鷺で見つけた,アクションペインティング風塗装作品。
篠原有司男(ギューチャン) のように,刷子の代わりにボクシンググローブで
塗ったような塗装。あるいは,塗料が一缶では足りなかったか……(^o^;)。
中野区白鷺で見つけた,アクションペインティング風塗装作品。
篠原有司男(ギューチャン) のように,刷子の代わりにボクシンググローブで
塗ったような塗装。あるいは,塗料が一缶では足りなかったか……(^o^;)。
私は40代の頃、一生一度の出版をした。
200~300人に発送している時、飯島さんだけが
当家のごくごく近所に住んでおられるのに気づき
(手渡ししようか)と住所録に電話番号があったので
電話した。
本人が電話に出られたので、数秒で要件を伝え
(私は「セザンヌ夫人」が好きです。優しくて)
というような言葉を述べると、彼は低い声で急に声を荒げて
(詩に/優しさなんて!)と吐き捨てるように述べた。
慌てた私は、(田村さんが亡くなり、皆で集まり飲んだ後
【友達といえる人たちだった】
と書かれたあの詩も好きです)と付け加えた。
すると、彼は紳士に戻り
(あなたは、僕の詩をあまり読んでいないような気がする。
もっと僕の作品を読んでみて下さい)と言われ
結果として、郵送となった。
私は5年以上、現代詩手帖に投稿しており、本編に
彼の詩が載っていたので、20篇以上コピーしていた。
彼は1974年「ゴヤのファースト・ネーム」で初受賞
し、後5賞受賞したが、私は「ゴヤのファースト・ネーム」
の書き出しを読んでいる。
私は淡々と続く彼の作品より、田村隆一の事を書いた数篇
と、「セザンヌ夫人」が好きなのだ。
彼が直截に好きな人のことを書くと、胸に迫るのだ。
彼は、9年前83歳で逝去された。
1970年以前に、彼は1年位家の外へ出られない
鬱病になったそうだ。
「セザンヌ夫人」のなかの「きみ」は
あるいは「ぼく」だったのかもしれない。
胸にしみる1篇である。
セザンヌ夫人
セザンヌの
「セザンヌ夫人」のまえに来たとき、
(きみはあれほど
光という光がこわくて
夏も近いというのに 戸を閉めきって
ただ息をひそめて ふるえていたのに)
セザンヌの
「セザンヌ夫人」のまえに来たとき、
(何もかもが嫌いになる病気になって
自分のぐるりだけを
ぼんやり眺めていたのに)
きみはようやく
セザンヌの「セザンヌ夫人」のまえにいた。
怪しい空模様の下,気温は12度。寒いので,自転車にハンドルカバーを
装着しました。
ポタリングで練馬区西大泉5丁目にて撮影の,今朝の街中現代美術。
窓ガラスの目隠しシールに劣化の魔術。
高校時、詩を書いていた友人がいて、私も
詩を読んでみようかと書店に行くと、箱入り
「日本詩人全集 全34巻 新潮社」があり
その中から8巻を購入し、今でも保存している。
そのうちの1巻に、室生犀星があり、詩も小説も
娘が犀星の事を書いたものも読んだが、
詩集以外は残っていない。
犀星の作品は、素直でユーモアがある。
若い頃、気になった晩年の1作をこの度読み返したら
とてもいい作品だったので、紹介したい。
私も晩年をこのように、やりすごしたい。
晩年
僕はきみを呼びいれ
いままで何処にゐたかを聴いたが
きみは微笑み足を出してみせた
足はくろずんだ杭同様
なまめかしい様子もなかった
僕も足を引き摺り出して見せ
もはや人の美をもたないことを白状した
二人は互の足を見ながら抱擁も
何もしないふくれつつらで
あばらやから雨あしを眺めた
今朝の6時48分。杉並区の善福寺公園。朝のラジオ体操が終わった時間です。
公園の歩道を自転車で走行中,池の方を向いて4人ほどがスマホや
カメラを向けてました。近づいてその方向を見るとカワセミ。
私が近づくとカワセミが逃げてしまうと悪いので,その人の列の
隙間から撮影しました。
ぶたが赤ん坊を乳母車にのせ
走る
ぶたが赤ん坊を乳母車にのせ
走る
乳母車のなかで
赤ん坊は大人になる
ぶたが大人を乳母車にのせ走る
ぶたが大人を乳母車にのせ走る
(なんか 不公平なんじゃない
ぶたがいう
交代
大人がぶたを乳母車にのせ走る
大人がぶたを乳母車にのせ走る
永遠に壊れない乳母車のなかで
ぶたはぶた
乳母車のそとで
大人は大人
(なんか おかしいんじゃない
ぶたがいう
(どこが
大人がきく
(永遠に壊れない/乳母車と
永遠に生きる/ぶたと大人って?
(物語のなかにね
(そう、
ふかぶかと
ぶたは乳母車におさまる
大人は走りだす
夕陽がながいかげをつくる
たぶん
ふたりは、
逢いたくてたまらなかった
つゞく
小道と
物語のなかで
H14.9.16
今朝は空が青いし,気温も13度でちょっと寒いけど,
ポタリングには快適でした。毎年同じような光景ですが,
大泉中央公園でサザンカの花と蕾を撮影。
その小高いところでは,ハナミズキの紅葉が逆光で鮮やかでした。
すぐ北側の和光樹林公園では,コキアが色づき
始めていました。この後もっと赤くなります。
40代で詩を書き始め、彼女の作品を5~6篇
ノートに書き写し、詩集を買ったのは2~3年前だ。
いい作品は沢山あるが、文庫132に載っている連作
「土へのオード」「火へのオード」「水へのオード」
は面白い。特に「土へのオード」は秀逸で勢いがある。
彼女の作品は、素直で潔い。
彼女の強さが鬱陶しく思える時もあるが
その強さに凭れたい時もある。
今年体調を崩してから、
眠る直前に彼女の作品を読み返している。
「土へのオード13」の内より、1篇を紹介したい。
出だしも中間もラストも秀逸である。
「怨念」という言葉が、
ラスト2行で柔らかくほぐされている。
10
人間は ついにさびしいのだ
土に わが身を返済しなければ
シドミが咲いている
オギョウが咲いている
コケリンドウが咲いている
スギナがぼうぼう伸びている
ショウジョウバカマが咲いている
死んだひとびとの思いが
今やっと 咲いている
アリが匍っている
ムカデが匍っている
アオイロトカゲが匍っている
ヘビが匍っている 若いヘビが藪から藪へ
ミイデラゴミムシが匍っている
ひとびとの怨念が
目もさめる素早さで
うららかに日が照っている
よいお天気だ