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スポーツ・マスコミあれこれ(23)

◎機械がやる記者の仕事
 先日(3月14日)毎日新聞で驚くべき記事を発見しました。
 滝口隆司編集委員が書いた「複眼思考」というコラムです。それは
 「NHKのクローズアップ現代で、人工頭脳の特集が組まれていた。その中で、10-20年でなくなる可能性の高い職業の一つに『スポーツの審判』が含まれていた。だが、もっと驚いたのは『スポーツ記者』の仕事も人工頭脳で担えるという研究だった」
 私も驚きましたね。審判は、例えば野球でアウト・セーフはもちろん、ストライク・ボールも人工頭脳で判定できるかもしれない。
 サッカーでも、ゴールインはもちろん、微妙な反則も四方八方から追跡するカメラで機械的に判定できるようになるかもしれない。このように、機械が審判にとって代わって判定する時代がくるであろうこと、つまり「審判失業時代」は容易に想像できます。
 だが、スポーツ記者の仕事までも機械がやってくれる時代がくるとは。信じられない。
 たぶん、人工頭脳は「前半xx分、誰それが左からのパスを受けてきれいにシュートし、久しぶりの勝利をつかんだ」とか「堅い守備を見せた誰それの動きは称賛される」といった類いの『紙芝居のような』文章だけがスポーツ記事だと誤解しているのではなかろうか。スポーツ記事って、そんなに簡単なものじゃない。
  
◎ジャーナリスト魂を
 私はスポーツ記者として駆け出しのころ、社会部の若い連中と飲んでいる時、彼らに「スポーツ記事にはジャーナリズムが必要ないからな」と言われ、おおいに傷ついたことがあります。
 スポーツ記事には、記者の意図とか感情は必要ないものか。スポーツ界で「ちょっとこれはおかしいぞ」と思った時に追及する根性は必要ないのか。スポーツ記者もジャーナリストであってはいけないのか。
 私はスポーツ記者は、表面だけをなでて美化し、メダルだ、日の丸だ、よくやったとセンセーショナルに報じるだけの、底の浅い単なる「紙芝居屋さん」であってはならない、ましてや、人工頭脳で処理できるものではないと考えています。
 だが、それが一般社会の世間の人のスポーツ記事に対する通念だとしたらおそろしいことです。また、スポーツ記者ってそんな程度の宣伝屋だと思われているとしたら情けない限りです。だが、それが実情かもしれない。

◎前宣伝にやられた?
 それにしても、サッカーの日本代表監督ハリルホジッチの報道はすごかったですね。新聞によっては来日前から記者会見まで一面、社会面を使って「変幻自在の戦略家」とか「勝利への執着心評価」「戦術自在の名将」「W杯決勝Tへ自信」「新監督、苦難の人生」「託す、勝利への執着心」などなど。薄っぺらな記事で記者の主体性の片鱗すら見えません。
 まだ1試合も、采配ぶりを見ていないのにほめまくり、すっかりサッカー協会の前宣伝に乗った格好でした。世界には、まだこんなすごい人が残っていたのだ。アギーレなんかに頼まず、最初からハリルホジッチに頼んでおればよかったものを、と思わせました。
 ケチばかりつけているようですみません。光った記事もありました。「日本との相性は未知数」(朝日・吉田純哉記者)「難航した新監督選び」(東京・谷野哲郎記者)。こういう目こそ大切でしょう。コンピュータではやってくれない記事だと思いますよ。
(以下次号)
 

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