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オリンピックあれこれ(4)

◎最も感銘を受けた試合
 「いままでのオリンピックで、最も感銘を受けたシーンを教えてください」――長い間、スポーツ記事を書く仕事をやっていると、シンポジウムあたりで、そんな質問をよく受けます。そんな時、私は何のためらいもなく、夏と冬のオリンピックで1つずつ、次の2つのシーンを挙げます。
 夏のオリンピックでは、1988年ソウル大会での男子100メートル決勝で、ベン・ジョンソン(カナダ)がカール・ルイス(米)を破ったレース。そして、冬のオリンピックでは、1968年フランスのグルノーブル大会のアイスホッケーで、チェコスロバキアがソ連に4-3で勝った試合です。ともに、信じられないような最高のシーンでした。
 ベン・ジョンソンはレース後、ドーピング検査に引っかかって金メダルを剥奪されたことはよく知られています。ですから「あれはオリンピックの恥のレースだ」という人もいます。ルール上、走者ベン・ジョンソンなる人物は抹殺され、つまり走っていないことになり、金メダルは2番目にゴールしたカール・ルイスのものになってしまいました。
 だが、私は思うんです。ベンは、そしてあのレースは、ほんとうに存在しなかったのでしょうか。またあれは宇宙人が夢の中で演じたとでもいうのでしょうか。
 そんなことはない。間違いなく、あれはまさに地球上の鍛えに鍛えられた人類が演じた、そして現実にテレビで世界中に流されたベン・ジョンソンが「勝負」に勝った最高傑作のレースでした。
 私は、マラドーナをも失格させた、ドーピングの検査そのものに大きな疑問を抱いています。

◎情念がつかみ取った試合
 グルノーブルでのソ連対チェコスロバキアのアイスホッケーの試合は、世界中の関心の的でした。ちょうどそのころ、チェコスロバキアの民主化運動に対し、鎮圧に乗り出したソ連が戦車を繰り出しプラハの町は大暴動になっていると伝えられていたからです。
 大会1カ月前、ドプチェク政権が発足したものの、「プラハの春」をめざし「二千語宣言」に署名したマラソンのザトペックや体操のチャスラフスカらが監禁されたとの報道もありました。
 当時、ソ連のアイスホッケーは無敵を誇っていました。若くて鍛え抜かれ、まるで機械人間のように正確なパスを通し、ジリジリと相手を圧迫し、破竹の勢いで全勝を続けていました(事実、ソ連はチェコスロバキアに1敗しただけで最終的には金メダルをとりました)。
 政治的なイジメにあっている弱者チェコスロバキアが、どんな反抗心をみせて戦うか。地元新聞はいろんな予想を立てていましたが、やはり「ソ連の大勝」が大方の見方でした。だが、チェコスロバキアには、ほかの国に負けてもソ連だけには負けたくないという情熱のような意地があったようです。
 試合はソ連の圧倒的な攻勢で進みました。パックは9対1か8対2の割合でチェコスロバキア・サイドにありました。ソ連のシュートはまるで機関銃のようにでした。チェコスロバキアはそんなシュートを身を挺して防ぎながら、チャンスをみて1人か2人が爆発的なカウンター攻撃をみせました。
 取れそうもないパックに全身全霊を傾けて食らいつき、反撃する姿は執念そのものでした。あれは技術ではありません。感性とか、情緒に属するものです。そんな捨て身の反撃が、時たま得点につながるものですから、こんな面白いことはありません。
 ソ連が得点するとチェコが返す、チェコがリードするとソ連が追いつく。息詰まる中、終了直前に3-3の同点になりました。引き分けか、と思った、その瞬間。突撃隊員のようなジリクという選手が、猛然とただひとりソ連陣内に突っ込んでシュート。そのパックがあわてふためいたソ連キーパーの脇の下をスルスルと通って、奇跡のようにゴールに入ったのです。
 ゴールを決めたジリクの体は、シュートの後、ソ連バックスの猛烈な体当たりにはね飛ばされて、リンクのすみっこまで転がっていきました。転がりながら得点を見届けたジリクはバンザイしながら塀に激突しました。チェコスロバキアが勝ったのです。まさに唖然という言葉しかありませんでした。判官ビーキのフランスの観衆は床を踏み鳴らして大騒ぎになりました。
 私は、若くてほっぺたの赤い少年のようなソ連選手がどんな表情をしているか、それが興味でした。彼らは喜びに乱舞するチェコスロバキアの選手をジーツと見ていた後、やがて全員が一列に並び、チェコの選手一人ひとりに、お祝いの握手をし、肩をたたき合いました。フランスの観衆からもソ連選手に対し、初めて万雷の拍手が起こりました。
 私は涙がこぼれそうになりました。今この時もチェコスロバキアのプラハで起こっているソ連戦車と市民のもみ合いは、いったい何なのか。そして、オリンピックで相争う国と国の関係や、きちんと選手強化ができる大国と、生きてゆくのもやっとという小国が試合する不公平なやり方に、少なからず疑問を抱いていた私の心に一種のさわやかさをもたらしてくれました。
 
◎フェアプレーこそ
 ソ連選手も(国に帰って兵士になって、どこかへ進駐でもすれば別ですが)、少なくともここグルノーブルでの、このスタディアムでは、その一人ひとりはスポーツを愛する若者なのです。政治や国家の立場や政治的なトラブルを超越して、相手の勝利を率直に祝える生の人間なのです。ソ連のスポーツマンはきちんと礼をつくして静かにリンクから去っていきました。
 スポーツは、少なくともその会場ではまったくの平等です。相手が強いからと言って、選手の人数を増やすこともできない。いわんや戦車などをくり出すこともできない。だが、なぜ人間という動物は、国家という集団になった時、薄情になり他国民をいじめ残酷になるのでしょうか。
 1936年ベルリン・オリンピックの三段跳びで優勝した田島直人さんが、こう述懐されていました。
 「私のライバルはオーストラリアのウインタースという選手だった。私は彼をやっつけることだけを考えていた。にくらしく思った瞬間もある。だが、私が16メートルを跳んで優勝が決まった瞬間、彼が飛んできてくれて『おめでとう』と言ってくれた。ほんとうにびっくりした。私が勝ったのに『オレは負けた』と思った。彼のフェアなスポーツを愛し楽しむ精神はさすがだった。もし彼の方が16メートルを跳んで優勝した時、私は素直に『おめでとう』と彼に言えたかどうか」
 心の底では、常に冷静(?)で、冷め切った私ですから「オリンピックは平和の祭典だ」などという言葉を信じようとしても信じ切れません。しかし、長い間、オリンピックの華やかな開会式や国際試合を見て来た私は、「スポーツは国家間の政治的な反目や憎しみ、そして偏狭なナショナリズムを緩和する手段になり得ないか」と、いつも考えます。
 戦争と平和。憎しみと暴動やテロ。そんな軋轢の間隙を埋めるための、人と人の心を結び付けるスポーツが入り込む余地は、まったくないものでしょうか。書生論かもしれませんが……。
 「ドーピング問題」は次号でまた触れるつもりです。
(以下次号)

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