60年目を迎えた元朝日新聞運動部記者・中条一雄のコラム。
中条一雄の炉辺閑話~いろりばたのひまつぶし~
スポーツ・マスコミあれこれ(22)
◎PL学園の異変
たいへん驚きました。10月11日夕刊と12日朝刊各紙が「高校野球界の名門PL学園(大阪)が、来年度の新入部員の募集を停止することを決めた」と報じたのです。
「廃部の危機」と書いた新聞もありました。新入生を補充しないのなら、いまいる部員が卒業してしまえば「廃部」は必然のようです。まったく「えっ、あのPLが」です。
ともあれ、あのそうそうたる清原和博や桑田真澄、小早川毅彦、立浪和義、福留孝介らがいて春夏計7回も優勝した、あのPL学園の野球が見れなくなる可能性がある。
これは高校野球ファンならずとも、ちょっとしたショックでしょう。 むかし10年間くらい地方予選を駆け巡って、高校野球を取材していた私も「本当に廃部になるのか」と驚いたのも無理ないと言えましょう。
この決定の表向きの理由は、昨年初め部員間のいじめと暴力事件があり、夏の甲子園大阪予選に出れなかった。4月に前監督がやめて以来、適当な後任監督が決まらなかった。仕方なく野球の素人の校長が監督としてベンチ入りし、サインは部員同士で出していたなどなど。主な原因は監督不在のようです。
◎野球学校でなかったのか
さらに驚いた大きな理由は、PL学園は、全国に50くらいある野球を学校の宣伝に使う、いわゆる「野球学校」の一つだったのではないか、ということです。野球学校は、学校経営の営業の一環として、選手にいろんな特権を与えて、宣伝要員に仕立てている学校です。だからちょっとやそっとで「廃部」などと言えないはず。
だが、それ以上に不思議なのは、なぜ監督が決まらないのでしょうか。プロ野球退団者で「高校の監督になりたい」という人は数百人もいるだろうなどといわれているのに、です。
だが、PL学園の事情はちょっと違っていたようです。この「新入生を受け入れない」の決定は、学園を経営する学校法人の理事会でなされ、理事長と学校長の連名で「監督が選任できず、このまま新規部員を受け入れても、本校の教育責任を果たすことが十分できない」との手紙を在校部員の保護者などに郵送したそうです。
消息通によれば、後任監督はPL教団の教義を信仰する人が求められていたとかで、上部の理事会のかなり明確な教育方針が、こうさせたと思えます。PL学園なりに、教団をからめた何か別の宗教的な特別な理由があったとも思えます。
◎学校体育の後進性
以上のPL学園の事件の概要から見て、これは他の有名野球高校に連鎖反応を起して「我々のところも野球をやめる」とでも言い出すような種類のものではないということです。
ただ問題は残ります。へそ曲がりの私が思うのですが、日本の多くのスポーツは野球を含めて、その基盤は「学校体育」にあるということです。長い間、高校や大学が選手養成の場となってきました。少し前までは「学校スポーツを盛んにしなければ、オリンピックなど国際試合で勝てなくなる」と本気で言っている人がいました。
つまり「学校体育」の延長に部活動があり、そこから有名プロ選手が生まれる温床になってきたのです。そして、プロ球界は自らの手で選手を育てることなく、ヌクヌクと高校や大学から有望選手を頂いていたということです(それだけに今回の事件がプロ野球に与えるショックは大きい)。
もちろん高校野球のような国際的に井の中のカワズ的、唯我独尊的なスポーツなら、それで成り立っていきますが、オリンピックなどの国際舞台で活躍するエリート選手を育てる仕事は、学校に頼るべきではない。学校の枠内でしか物が考えられないのですから、これは当然のことでしょう。
学校は本来学業をやるところ。とくに普通校はスポーツをやるところではないからです。
これまた私の独断?ですが、今回の事件は、そういう日本スポーツの体質的な問題を考えさせてくれると思います。そして、高校野球の過度といえる報道を通じて、日本のマスコミはその「後進性」に手を貸してきたと思うのです。その積年の罪は大きい。それだけにマスコミ界に与えるショックも大きい?
◎総合クラブへの移行を
いうまでもなく、欧州のスポーツはクラブが中心になっています。アメリカは学校が母体になっていますが、学業成績の悪い生徒はオミットする制度があります。日本のように学業を放擲してまでもスポーツをやらせる。これは明らかに間違っています。
スポーツの世界は、若いと思っていた選手があっという間に年をとりベテランになる。けっこう新陳代謝の激しい社会です。サッカーでは、どんどん若い選手が出て来るので。顔と名前を覚えるのがたいへんです。
裏を返せば、それだけにジュニア世代の育成は重要な課題です。そんな大切なことを学校に任せておいていいものか。
サッカーは高校や大学の優秀な学生をJリーグに出させる方式をとっていますが、これは一歩進んだやり方といえるでしょう。
サッカーは高校選手権をやめて、クラブを母体としてユース選手権に切り替えるべきだと、私は昔から思っています。そして、ゆくゆくは財政が安定すればですが、サッカー以外のスポーツも吸収して欧州のような「総合スポーツクラブ」に移行すべきでしょう。今回のPL問題が、私をそんな思いにまで駆り立ててくれます。
(以下次号)
たいへん驚きました。10月11日夕刊と12日朝刊各紙が「高校野球界の名門PL学園(大阪)が、来年度の新入部員の募集を停止することを決めた」と報じたのです。
「廃部の危機」と書いた新聞もありました。新入生を補充しないのなら、いまいる部員が卒業してしまえば「廃部」は必然のようです。まったく「えっ、あのPLが」です。
ともあれ、あのそうそうたる清原和博や桑田真澄、小早川毅彦、立浪和義、福留孝介らがいて春夏計7回も優勝した、あのPL学園の野球が見れなくなる可能性がある。
これは高校野球ファンならずとも、ちょっとしたショックでしょう。 むかし10年間くらい地方予選を駆け巡って、高校野球を取材していた私も「本当に廃部になるのか」と驚いたのも無理ないと言えましょう。
この決定の表向きの理由は、昨年初め部員間のいじめと暴力事件があり、夏の甲子園大阪予選に出れなかった。4月に前監督がやめて以来、適当な後任監督が決まらなかった。仕方なく野球の素人の校長が監督としてベンチ入りし、サインは部員同士で出していたなどなど。主な原因は監督不在のようです。
◎野球学校でなかったのか
さらに驚いた大きな理由は、PL学園は、全国に50くらいある野球を学校の宣伝に使う、いわゆる「野球学校」の一つだったのではないか、ということです。野球学校は、学校経営の営業の一環として、選手にいろんな特権を与えて、宣伝要員に仕立てている学校です。だからちょっとやそっとで「廃部」などと言えないはず。
だが、それ以上に不思議なのは、なぜ監督が決まらないのでしょうか。プロ野球退団者で「高校の監督になりたい」という人は数百人もいるだろうなどといわれているのに、です。
だが、PL学園の事情はちょっと違っていたようです。この「新入生を受け入れない」の決定は、学園を経営する学校法人の理事会でなされ、理事長と学校長の連名で「監督が選任できず、このまま新規部員を受け入れても、本校の教育責任を果たすことが十分できない」との手紙を在校部員の保護者などに郵送したそうです。
消息通によれば、後任監督はPL教団の教義を信仰する人が求められていたとかで、上部の理事会のかなり明確な教育方針が、こうさせたと思えます。PL学園なりに、教団をからめた何か別の宗教的な特別な理由があったとも思えます。
◎学校体育の後進性
以上のPL学園の事件の概要から見て、これは他の有名野球高校に連鎖反応を起して「我々のところも野球をやめる」とでも言い出すような種類のものではないということです。
ただ問題は残ります。へそ曲がりの私が思うのですが、日本の多くのスポーツは野球を含めて、その基盤は「学校体育」にあるということです。長い間、高校や大学が選手養成の場となってきました。少し前までは「学校スポーツを盛んにしなければ、オリンピックなど国際試合で勝てなくなる」と本気で言っている人がいました。
つまり「学校体育」の延長に部活動があり、そこから有名プロ選手が生まれる温床になってきたのです。そして、プロ球界は自らの手で選手を育てることなく、ヌクヌクと高校や大学から有望選手を頂いていたということです(それだけに今回の事件がプロ野球に与えるショックは大きい)。
もちろん高校野球のような国際的に井の中のカワズ的、唯我独尊的なスポーツなら、それで成り立っていきますが、オリンピックなどの国際舞台で活躍するエリート選手を育てる仕事は、学校に頼るべきではない。学校の枠内でしか物が考えられないのですから、これは当然のことでしょう。
学校は本来学業をやるところ。とくに普通校はスポーツをやるところではないからです。
これまた私の独断?ですが、今回の事件は、そういう日本スポーツの体質的な問題を考えさせてくれると思います。そして、高校野球の過度といえる報道を通じて、日本のマスコミはその「後進性」に手を貸してきたと思うのです。その積年の罪は大きい。それだけにマスコミ界に与えるショックも大きい?
◎総合クラブへの移行を
いうまでもなく、欧州のスポーツはクラブが中心になっています。アメリカは学校が母体になっていますが、学業成績の悪い生徒はオミットする制度があります。日本のように学業を放擲してまでもスポーツをやらせる。これは明らかに間違っています。
スポーツの世界は、若いと思っていた選手があっという間に年をとりベテランになる。けっこう新陳代謝の激しい社会です。サッカーでは、どんどん若い選手が出て来るので。顔と名前を覚えるのがたいへんです。
裏を返せば、それだけにジュニア世代の育成は重要な課題です。そんな大切なことを学校に任せておいていいものか。
サッカーは高校や大学の優秀な学生をJリーグに出させる方式をとっていますが、これは一歩進んだやり方といえるでしょう。
サッカーは高校選手権をやめて、クラブを母体としてユース選手権に切り替えるべきだと、私は昔から思っています。そして、ゆくゆくは財政が安定すればですが、サッカー以外のスポーツも吸収して欧州のような「総合スポーツクラブ」に移行すべきでしょう。今回のPL問題が、私をそんな思いにまで駆り立ててくれます。
(以下次号)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )