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サッカーあれこれ(33)

◎守備だけでは未来なし
 「自分たちのサッカーをやろう!」。ブラジルW杯で、日本代表選手たちがよくこう言っていました。この「自分たちのサッカー」って、いったい何でしょう?
 不勉強な私は、その意味するところをあまり理解していませんでした。が、その答えの輪郭を、長谷部誠主将のアエラ(7月21日号)でのインタビューで知ることができました。
 長谷部はこう語っています。貴重な考えなので、長々と引用させてもらいます。
 「簡単にいえば、攻撃も守備もチームとして連動しながら戦うこと。自分たちが主導権を握りながら、強度をあげスピードを出してボールを奪っていく攻撃的なサッカーです」と。
 さらに、注目すべきは、ベスト16という結果を残した前回の南アフリカW杯での、岡田監督批判ともとれる言葉が続いたことです。長谷部はこう述べています。
 「南ア大会では、前からプレッシャーをかけることを意識していたけど、結果が出なかったので、大会10日前くらいに守備的な戦術に切り変えました。いろんな考え方があると思いますが、ベスト16という成績は残せても、日本がこれから20年、30年と長い目でのビジョンを考えたとき、南アでのサッカーは、自分たちのサッカーではなかった、と考えています」
 「正直、ブラジル大会がこういう結果に終わり、継続する難しさも痛感していますが、自分たちのサッカーを貫くことこそ大切かなと思っています。南アでのサッカーを、ブラジル大会でやっても、勝てたという保証はないし」
 「もっともっと自分たちのサッカーを追求しなければならない。勝つためには自分たちのサッカーが必要だと思います」

◎未来につながるサッカー
 長谷部主将のインタビューを読んでなるほどと思い、「自分たちのサッカー」を私なりにこう解釈しました。格上の相手に対して、しばしばとられる「守備サッカー」は、勝つこともあるかもしれないが、未来につながらない。
 チーム全体のバランスを整えて支配率を高め、攻守を連動させて相手ゴールに迫るサッカーをやるべきだ。これは日本サッカーを長期的に考えるときに、たどり着くべき理想、あるいはサッカー哲学ではないか、と。
 古い人間の私は、例えばこう譬えます。千早城に立てこもった楠木正成が、迫ってくる相手を奇策を弄してやっつけても、本当の勝利にならない(笑い)。堂々と中原(ちゅうげん=広い平原のこと)に兵を出して勝つ。それが真の勝利だ、ということではないか。いまの日本サッカーは中原に兵を出せないでいる。
 問題は今回のブラジル大会で、なぜ「自分たちのサッカー」が通じなかったか。次の課題として、まずそれを総括するべきでしょう。
 私は、ケチをつけるようですが、日本の大衆にはまだまだサッカーの根源的なものを支える土壌も文化もないと思います。楠正成の奇策を、またその潔さを称えるような謙虚?過ぎる風潮が、日本民族の気持ちの根底にある。それが目標を曖昧にし、物事の発展にマイナスに働いている。
 これは日本スポーツ界全般に言えることですが、日本のファンは飽きっぽく冷めた一面があります。原因が追及されないまま、「よくやった、まあいいじゃないか」で終わらせることが多い。ひいてはサッカーブームを一過性で終わらせている、
 新聞も騒ぐが、大会が終われば、あとはネズミ一匹も出ず、です。このいい加減さは(政治では許されないことですが)、スポーツでは考えようによってはいいことかもしれませんが、発展にはつながらない。
 しかし、です。サッカー協会にとっては、ここが大切なのですが、「よくやった、まあいいじゃないか」では済まされない最重要の永遠の課題です。「キミたちは、それが仕事なのだから、きちんとやれよ。地位に綿々としていないでくれ」ということです。そして、前回も言ったように、ザッケローニを早々と帰国させたのは間違いだった、と思っているわけです。

◎理解できぬ監督選び
 いまサッカー協会は、敗戦を待っていたかのように、次期監督探しに狂奔しています。なぜそんなに急ぐのか。専務理事あたりは「9月にやる日本代表の国際試合に間にあわせるため」と言っているようですが、目前の試合のための拙速監督を、向こう4年間やらせるというのでしょうか。場当たりですねぇ。
 9月の試合に欧州で働く選手を、どれだけ招集するのか。たぶんJリーグの顔触れが中心になると思います。日本の事情を知らない新監督が、どれだけ的確なメンバー招集ができるのか。サッカー協会のいい加減さには呆れるばかり。長期展望も何もあったものではありません。
 新監督になって「自分たちのサッカー」が覆されることはないか、という質問に対して、長谷部はアエラでこう答えています。
 「日本チームが描くビジョンを前提に、サッカー協会が選定するので、路線が大きく外れることはないはずです」
 いまの協会の新監督選びに、長谷部ほどの冷静さが感じられません。ブラジルW杯での敗北を糊塗しているだけ。

◎出でよストライカー
 日本の将来について、多くの評論家は「日本らしい組織を確立せよ」と言っているようですが、私は「選手個々の能力を向上させるべきだ」と考えます。当たってもビクともしない頑健な肉体、そしてスピードの出る身体能力が、まず基本です。
 しかし、私が考えるところ、問題は案外簡単かもしれない。すばらしい天才的なストライカー、例えば釜本邦茂のような選手が再び出てくれば、すぐに解決する問題ではないか、といえないでしょうか。守備は、まあまあしっかりしているのですから。
 その釜本が協会の派閥から外れ、行政から遠ざけられていることも理解できません。彼はストライカー養成のノウハウを持っているはずです。
 サッカー評論で一家をなしている後藤健生君と、イタリアのカテナチオ(守備本位の戦術)のことを話しているとき、彼が「イタリアはすごいストライカーがいるからこそ、カテナチオが生きると思います」といったので、なるほどと感心したことを覚えています。
 ザッケローニが、2年3カ月ぶりに復帰させた大久保をはじめ、びっくりするほど数多くのFWを起用しましたが、その苦衷のほどが、いまさらながら察しられます。すべて帯に短かしタスキに長し、でした。
 「自分たちのサッカー」は、結局は、得点をとってくれる強力ストライカー待ちということになりましょうか。
(以下次号)



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