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サッカーあれこれ(31)

◎成田の出迎え1000人
 W杯1次リーグで惨敗した日本代表チームが、早々と帰国してきました。ブラジルでは、まだ決勝トーナメントをやっているというのに……。
 若い選手だけでも現地に残して、決勝まで観戦させて、勉強させてやればいいのにと思いました。思わぬ(?)敗戦に、協会幹部は正気を失ってしまったのか、そこまで考えてやる余裕がないのか。
 成田空港には、約1000人のサポーターが出迎えたそうです。空港までの交通費だってバカにならないのに、驚きです。選手が到着ロビーに姿をみせると、大きな歓声とともに口々に「お疲れさま」とか、中には「ありがとう」と声を掛けていたとか。花束を渡す人もいたそうです。
 こんな時、辛口批評のセルジオ越後さんあたりなら、こう言って嘆くでしょう。「こんな心優しいサポーターばかりだから、日本は強くならないんだよ。サッカーは厳しい批判をすることで進歩するんだ」と。

◎日本人のカン違い
 仁川空港に帰国した韓国チームは「韓国サッカーは死んだ」という横断幕やヤジに迎えられたそうです。イタリアやスペインあたりでは不成績のときは、空港で選手は腐ったトマトや卵を投げられると外電で読んだことがあります。なぜ腐ったものなのか、よくわかりませんが、マスコミも徹底的にたたくのが慣習みたいです。
 日本でも、1998年のフランス大会では3連敗したせいか、帰国時にFW城選手が30歳の男性から、珍しくペットボトルの水を掛けられた事件がありました。なかなか得点してくれないのでイライラしていたのでしょう。
 日本人はおしなべて本当に心優しい。マスコミは、とくに欧州で働く連中を必要以上にもて囃し、スター並みの人気を盛り上げ、サポーターもそれにつられて騒いでいます。だが、私は言いたい。
 テレビで見てください。外国チームには、本田や香川レベルの選手がゴロゴロいるんですよと。協会幹部はじめ、サポーターにいたるまで、日本人は何かカン違いしています。
 現地取材した多くのレポーターやフリーランスも、日本が負けるとどんどん帰国しています。なぜ決勝まで見ないのか。これで「僕はブラジルW杯を取材しました」と言ってほしくないですね。

◎惜しいザックの帰国
 帰国といえば、傷心のザッケローニ監督も、早々とイタリアへ帰りました。見送りは長谷部と内田の2人。「日本で素晴らしい時間が過ごせた。すごく寂しい」という言葉を残して。
 惜しい。彼は彼なりのイタリアの風土が育てた、きちんと一本筋の通ったサッカー哲学を持っていました。そして、今回の敗戦はザッケローニひとりの責任ではないからです。
 Jリーグの監督や新聞記者、テレビの元選手の解説者、そして熱心なサポーターらを集め、ザッケローニをまじえて、日本が戦ったビデオでも見ながら、徹底的に敗因を分析するシンポジウムを開いてほしかった。
 ザックの選手起用や采配での心理的なプロセス、就任当時の心境と4年間に考えていたこと。協会への注文など、これらを細かく知ることは、日本サッカー界にとっても、大きなプラスになることでしょうに。
 「負けました。監督はクビです。ハイ、さようなら」というのではもったいないし、あまりにも味気ない。
 それなのに協会の幹部は、敗戦の自らの責任をごまかすかのように、次期監督探しに狂奔しています。まさに「オイオイ違うよ。お前さんたちも辞めるべきではないか」です。あまりにも刹那的かつ拙速的、そしてゴマかしのやり口です。
 解説者を含めて、よく「日本らしいサッカー」と言っていた。そんな確立したものが日本にあったのでしょうか。外国人監督に、すべてを任せた形でいいものか。そこらあたりからジックリ考える人物はいないのか。
 目先の勝負に一喜一憂することなく、日本式サッカー哲学を確立してほしいと思っています。例えば、日本人数人で固めた監督団を作り、ゼロからフィジカル、戦う理念、精神、心理面などを研究を、4年といわず長期的な観点から探るべきでしょう。
 拙速できめた新しい監督が、9月の親善試合、そして来年1月のアジア選手権あたりで、いい成績を挙げられなかったら、世論に負けて、また首のすげ替えなんてことがありそうです。これではとんだ恥じさらしです。

◎ツキで決まる監督の手腕
 監督には、手腕の善し悪しではなく運も必要です。囲碁や将棋のような勝負事、とくに麻雀あたりはツキ(幸運)があるかないかで結果に大きく影響を与えることがあります。それと同じです。
 これは選手についてもいえます。若いときのサッカーの思い出ですが、何だか調子が良いときは、決まらないと思った得点が運良く決まったりする。運には流れがあるようで、巧い選手は、その流れをキャッチできるのでは、と思ったものです。
 最近のサッカーは、監督の影響力が大きくなって作戦や事前の準備、さらに選手交代が試合を大きく左右します。それでも、なおかつ試合になれば監督のツキ(勝運)いかんで勝負がきまることが多いと思います。
 2002年のトルシエ監督は、選手規制がきびしく、その指導はなかなか手が込んでいて狡猾なところもあったが、究極的には運の強い人でした。それに反し2006年のジーコ監督は選手の自主性を重んじて、サッカーの真髄のようなものを感じさせてくれた。指導者としてはすばらしいかった。だが、結果は2敗1引き分けでツキがなかった。
 私は、ザック監督は人が良く、運の強い人だと思っていました、だが、気の毒なことに、なぜか大会に入ってツキが落ちでしまった。選手の体力低下や気力欠如といった思わぬ欠陥が表面化してしまった。
 監督には、サッカーも勝負事ですから、われわれ人間には手の届かない、そんな神の手のような運不運がついて回るものでしょう。例えばPK戦は運が左右します。その勝敗までも監督の責任だと、その手腕をあげつらうようなマスコミですから、負けた監督はつらいことです。
 ザッケローニ監督よ、ご苦労さま。
(以下次号)

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