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オリンピックあれこれ(31)

◎「おもてなし」が商標登録
 ブエノスアイレスで2020東京五輪の招致が決まった9月のIOC総会で、滝川クリステルさんがスピーチで述べた「お・も・て・な・し」が、本年度の流行語大賞に選ばれました。
 この大賞は時事用語の本などを出版する会社が主催している行事の一つですが、世の中には、何かコトがあると金儲けを考える連中がたくさんいます。建設業者や観光業者だけでなく、東京五輪もいろんな人の金儲けの標的になりそうな予感を、私は深くしています。これも経済効果とやらの一環でしょうか。
 新聞情報ですが、「お・も・て・な・し」は、滝川さんのスピーチの2日後に、ある業者によって早くも商標登録が出願されたそうです。登録が認められると、その業者しか使えません。かって「阪神優勝」という言葉が登録されて、阪神球団が困ったことがあります。
 ズルイといえばズルイ話ですが、これが現代の商法の一つ、早いもの勝ちなのです。この業者は「お・も・て・な・し」が流行語大賞に選ばれてほくそ笑んでいることでしょう。まったくお金儲けをする人は抜け目がありません。
 ところで滝川さんのスピーチには後段があります。「もし皆さまが東京で何かをなくしても、ほぼ確実にそれは戻ってきます。たとえ現金であっても」と、滝川さんは言い切ったのです。
 だが、実際には昨年、現金を落としたと警視庁に届けた額は約84億円。これに対し拾ったと届けたのは約30億円、持ち主の手元に戻ってきたのは約21億円だそうです。日本で財布を落としたら、6割以上の人はあきらめるしかないようです。
 滝川スピーチは、きびしい言い方ですが、安倍首相の「汚染水コントロール」や「バカでかい国立競技場建設」といった国際的公約違反に近いものといえなくもありません。

◎日本人らしい、とは
 滝川さんのスピーチの内容は、都と招致委員会が考えたといわれていますが、私がちょっとひっかかるのは、その後「日本人らしいおもてなし」とか「日本人ならではのおもてなし心」などという言葉が一人歩きしていることです。
 なぜ日本人にこだわらなくてはならないのか。日本人らしい、とはいったい何なのか。
 私のつたない海外取材の思い出ですが、たまに泥棒サンにやられたこともありますが、米英独仏伊、旧ソ連、スペイン、オーストリア、スイス、東欧、湾岸、東南ア諸国、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなど、いま目をつむって思い出してみても何一ついやな思い出がありません。みんな親切で、困っている時は親身になって助けてくれました。「おもてなし」は、何も日本人の専売特許ではありません。
 たしか1994年でした。私は数人のサッカー狂といっしょに、ACミランとインテルとのダービーマッチを見にミラノへ行きました。その時、青年の一人がパスポートを入れたカバンを落としました。パスポートがないと日本に帰れません。もう真っ青です。早速、日本領事館へ行って仮のパスポートを申請に行きました。
 ところが、市内のある理髪店から領事館に電話があって「日本人のパスポートが入ったカバンが店の椅子の上に置いてあった。誰か分からないが、客の一人が置いていったらしい」。
 早速、青年が急いで理髪店に行って受け取ったところ、散髪していたお客さん全員が「よかった、よかった」とスタンディング・オベーションをしてくれた。「お礼を」と言ったところ、主人は「そんなの要らない。お父さん、お母さんにお土産でも買って帰れ」といったそうです。
 イタリアにはスリがたしかに多い。だが、人情味あふれる人も多い。私は広場の露店でTシャツを買って、10分くらい後にお金を一桁間違えたことに気がつて、お釣りをもらいに行ったところ、オヤジさんが笑って返してくれた経験があります。
 人でごった返していたし、「そんなこと知らないよ」と言われれば、それまでの状態でしたから返してくれただけで、私は妙に感激しました。それまで、露店のオヤジさんの、平気で大金を吹っかけるような商売に対する偏見があったようです。

◎地球人たれの教訓
 なぜ、この際「お・も・て・な・し」に「日本人らしい・・・心」などといった言葉を付け加えねばならないのか。
 世界中の人たちは、それぞれの土地で、とくに祖先伝来営々として住みついている人たちは、みんな心やさしく生きている人たちばかりです。「日本は天皇を中心とした神の国」といった政治家がいましたが、神がいるのは何も日本だけではない。世界中の国や民族は、それぞれの神や神話を、そして心温まる民謡など持っています。日本だけが特別なんだ、という思想は排他的なナショナリズムに繋がりやすいと私は考えています。日本は世界の国々の一つでしかありません。
 織田幹雄さんは、よく「日本を超越して、地球人たれ」と言っておられました。数多くの外国からコーチを頼まれ、世界中どこの選手にもわけへだてなく教えていた織田さんならではの世界観です。いま私は織田さんの言葉に教えられます。
 「学生らしく」とか「選手らしく」とか。そして「日本人らしく」などと、なぜ「らしい」という枠に閉じ込めなくてはならないのか。そして「らしくない人」を非国民扱いにする。
 私は2020年東京五輪を迎える時に、金儲けをたくらむ商魂よりも、偏狭で独りよがりなナショナリズム?を惧れます。
 そんな考えが、前回紹介した私の「しゃかりきになって金メダルを取ろうとせず、参加各国が喜んでくれるなら、金メダルを差し上げるのが、いちばんのお・も・て・な・し」という言葉になったのです。
 金メダルなんて物は、選手各人が努力して自然な形でとるものです。例えば、施設の完備したスポーツ総合クラブのようなところで、スポーツを楽しむ一般人に交じって遊びながら、才能を発揮した人だけが地域住民に支えられながら取ればいい。
 国家ぐるみでせっつかれて無理に無理を重ねて取らせるものではない。スポーツ人はそこらあたりをじっくり考えてほしい。それでこそ、スポーツは本当の文化なのです。
(以下次号)

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