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サッカーあれこれ(17)

◎クラマーさんを訪ねて
 9月初め、私はデットマール・クラマーさんを訪ねて、彼が住む南ドイツのチロル山系のふもとの保養地ライト・イム・ウインクルに行ってきました。
 思い起こせば17年前。不安いっぱいで初めてクラマーさん宅を訪問しました。それ以来、取材のため3度。2008年には私の「クラマーさんの伝記」の出版を記念して、ビバ・サッカーの同好の士10数人とともに訪ねました。これを合わせると、今回は5度目の訪問でした。
 17年前の初訪問は地図と首っ引きで不安いっぱい。ミュンヘン空港から地下鉄を乗り継いで中央駅まで行き、中央駅の最左端の長いプラットフォームを行けども行けどもたどりつけず、やっとザルツブルク行きの電車を見つけました。あの時の列車の横の「ザルツブルク行き」の標識を発見したときのホッとした気持ちは生涯忘れないでしょう。
 列車に乗ってプリーン・アム・キムゼーという駅で降り、そこからさらにバスに乗り継ぎ、山の間を縫うようにして約1時間。やっとという思いでライト・イム・ウインクルに着きました。
 だが、今回の旅は楽でした。私がクラマーさんの本を書くときに通訳として助けてくださったドイツ語の名手・明石真和さん(駿河台大学教授)が、すべてを取り仕切ってくださり、リムジンバスでの移動が主でしたから。ただ、1回だけ列車を利用しました。相変わらずミュンヘン中央駅のザルツブルク行きのプラットフォームの長いこと。
 今度は年を取ったぶんだけ、荷物が重く、まさに死の行進でしたが、同行の人がいてくれるだけ安心でした。ミュンヘン中央駅の雰囲気は17年前そのままの感じでした。

◎もう最後の旅か
 ライト・イム・ウインクルは小さな町ですが、周囲は緑の木々や芝生に囲まれ、色とりどりの別荘風のがっちりした建物が散在する、まさに定年後の豊かな老人の天国です。私が朝夕散歩した風景や建物は17年前とほとんどそのまま。私にとっては、まるで生まれ故郷のような、なつかしい風景になってしまいました。
 定宿のホテル兼レストランの顔なじみの若主人はすっかり貫録がつき、こぼれんばかりの笑顔で出迎えてくれました。
 80歳も半ばを越えると、みなさんもやがて経験するでしょうが、サッカーのボールを思い切り蹴っても、ほとんど飛んでくれません。それほど筋肉、体力の衰えはすざまじいものです。町を歩いていて足腰に痙攣がきて立ち往生することなどしょっちゅうです。
 そんな私が、なぜドイツに行こうと思ったのか。それは明石さんが私を誘ってくださったからです。先に紹介したとおり、明石さんは私の「クラマーさんの本」の作成を助けてくれた方(この人なくして、あの本は完成しませんでした)。明石さんは
 「大学の用事でミュンヘンに行きますが、時間を空けますからクラマーさんのところへ行きませんか」
 クラマーさんは、ことし88歳に、私は87歳になりました。もうお会いする機会も少くなかろう。ひょっとするとこれが最後になるかも知れない。体ウンヌンなど言ってはおれない。明石さんの言葉に、「がんばろう」と二つ返事で行くことにしました。
 そして、すぐに私が思い出したのが小澤通宏君のことです。日本代表として1956年メルボルン五輪から1964年東京五輪直前まで活躍していた広島・東洋工業の元選手です。かねがねクラマーさんに会いたいと言っていた。そこで、声をかけると夫人も同行することになりました。その詳細は次回に。

◎気持ち豊かな旅
 クラマーさんは、事前の連絡では「膝の手術をしたばかりで、来てくださっても十分なおもてなしができないかも」という話でしたが、お会いするとハリのある発音はそのまま、お元気そのものでした。ただ、ご夫人がご両親の加減が悪く、帰国されていて目下独身生活とか。
 「9月3日朝10時半にこちらから、キミたちのホテルへ行く」という言葉通り、きっちりクラマーさんらしく1分のズレもなく時間通りきてくださり、あとはみなさんのご想像に任せますが、小澤夫妻を交えて会話がおおいにはずみました。
 クラマーさんの行きつけの山の上のホテル(このホテルにはかって平木隆三君一家が泊まったことがある)で食事を、町中のレストランで大きなケーキを御馳走になったりしました。驚くのは、どんな店でもクラマーさんの回りに見知らぬ男女客が寄ってきてサインを求めることでした。中にはハンブルクやハノーバーから来たという人もいました、みんなクラマーさんがバイエルン・ミュンヘンの監督をやっていたことを覚えているんですね。もう40年も前の話なのに。
 私がホテルで、5人の孫に送る日本への絵葉書を書いていると、クラマーさんがその絵葉書を見て「サインしてあげよう」と、5枚全部に小さくサインしてくれました。おかげで「これ、クラマーさんのサインだよ」と、書き添えることになりました。
 相変わらずやさしくて、気の効く、ウイットのある温かいクラマーさんでした。
(以下次号)

  
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