60年目を迎えた元朝日新聞運動部記者・中条一雄のコラム。
中条一雄の炉辺閑話~いろりばたのひまつぶし~
オリンピックあれこれ(18)
◎戦争とオリンピック
「オリンピックは平和の祭典といわれるが、平和な時にしか開けない。戦争が始まったらひとたまりもなく、つぶされてしまう。かといってスポーツ界あげて戦争を止める努力せよ、などという議論は、現代では幻想にすぎない」
これはスポーツ評論家の川本信正さんがおっしゃった言葉です。1972年ミュンヘン五輪のこと、パレスチナ・ゲリラが選手村のイスラエル選手を襲い、選手もゲリラも全員が殺されました。いろんな新聞が「オリンピックは平和の祭典なのに、こんなことが起こるとは」という風な論旨を展開しました。その直後、私は川本さんと対談しました。そして話題は「戦争とオリンピック」にまで及びました。
古代ギリシャでやられていた古代オリンピックは、よく知られている通り、紀元前から約1300年、1回も休むことなく開かれました。各都市国家が争っている時でも、開催の数カ月前から「休戦使」が、ギリシャ全土を回って「戦争をやめよう」と呼びかけてオリンピックが開かれたといわれます。
1896年に始まった近代オリンピックはどうでしょう。たかだか100年あまりの間に3回も中止になっています。都市開催なのに、政府の助けがなくては開けないほど巨大化したオリンピック。メダルを1個でも多くとれ、と政府が血なまこになるオリンピック。すべて国家がからんでいます。そしてIOCは、政治やナショナリズムに対し、実に柔順です。IOC委員はスポーツ界では威張っていても、政府に対してはからっきし無力です。
私は、1980年のモスクワ五輪ボイコット事件の折り、IOC委員の清川正二さんが「首相の大平君とは一橋大での同級なんでね」と、盛んに言っておられたのを覚えています。同級生なら、理をつくしてスポーツの立場をもっともっと首相に説明すべきだと思ったものです。政府の方針をくつがえせないにしても、IOC委員の立場は日本でなく国際的なものでしょうに。大平-清川の公式会談は最後まで存在せず、記事にもできなかったのは残念な極みです。
近代のオリンピックでは「休戦使」など存在し得ないというのが、川本さんとの対談の結論でした。
◎1964年東京大会の中止説
近代オリンピックで3回も中止になったのは、すべて戦争のせいです。1916年大会は第一次世界大戦で、1940年と44年の2回の大会は第二次世界大戦で、それぞれ中止になりました。
日本が初参加した1912年大会で惨敗したマラソンの金栗四三さんが、死すれすれの荒行ともいえる猛訓練で次の大会をめざしたストーリーは、この連載(14)で紹介しました。だが、次の1916年大会が中止になってしまったのです。
「今度は優勝してみせる、と思っていたので中止の知らせを聞いた時は呆然自失、世の中にこんな理不尽なことが存在するのか」と目の前が暗くなって倒れそうになったそうです。
1936年ベルリン大会の棒高跳びで大江末雄選手と銀銅メダルを分けあった西田修平さんは、「次の1940年東京大会は地元だし、絶対金メダルをとってみせると練習に励んでいたのですが、中国との戦争が始まって、生活もだんだん苦しくなり練習どころでなくなっていた」そうです(大江選手は戦死)。
「戦争30年説」という説があります。一つの戦争が終わったら、戦争直後は、みんな「戦争なんて苦しいものはもうコリゴリ」といっているのに、30年も経てば世代が変わり、「人類は再び戦争を始める」というものです。つまり、人類は所詮争いごとが好きな救いのない存在だ、ということです。
オリンピックの場合は、中止になった1916年の第一次世界大戦と1940年の第二次世界大戦の間が24年です。つまりオリンピックの中止は「24年説」になりそうです。とすると、40年の24年後は64年です。64年といえば東京でオリンピックが開かれた年。
いま一つ。中止になった1916年が第6回オリンピック、1940年が第12回オリンピック、1964年が第18回オリンピックと、回数がすべて6の倍数です。とすれは、1964年東京オリンピックは順番や戦争の輪廻からすれば中止になる可能性があった?
核開発で兵器が高度化し、下手をすれば人類が滅亡するかも判らない。それで(局地戦はあるが)大戦争がやりにくくなった、従って第3次世界大戦は起きにくくなっていた、というのが1964年東京大会を無事にやることができた原因かもしれません。
1964年東京五輪後、私はこんな戦争の輪廻説をある雑誌に紹介し「平和の中で無事オリンピックが終わったことを感謝しなければならない」と書いたことを覚えています。
◎第三次世界大戦
新聞の切り抜きを見ていて面白い記事(考え)を発見しました。1998年12月の毎日新聞とかなり古いのですが、「20世紀精神史」という連載に、電通大教授の西尾幹二さん(ドイツ文学)がこう書いておられます。
「1989年のソ連と東欧の崩壊は、革命ではなく第三次世界大戦の敗北(終結)であった」
あっ、第三次世界大戦はあったのか。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊した年です。東西ドイツが一つになり、東欧諸国では続々と政権が交代しました。冷戦という形で続いていた米ソ間の対立がなくなり、ソ連が支配下に置いていた各共和国を手放し、ロシアという資本主義国に生まれ変わったのです。歴史研究家の目からみれば、あれこそまさしく第三次世界大戦の終結だったのか。
とすれば、第三次世界大戦が始まったのはいつか。1989年は1964年東京大会から25年、その間オリンピックではチェコのザトベックやチャスラフスカらがからんだプラハの春のような事件が東欧諸国では数多くあり、米ソによるボイコット合戦もありました。
情報が発達し、人と人が大量に殺し合う大戦争はなくなりましたが、経済や思想(イデオロギー)がからむ戦争は目の見えないところで進んでいるわけです。
ところで、第三次があったとして、第四次世界大戦は、いつごろやって来るのでしょうか。それは中国がからむものでしょうか。オリンピックの中から、世界史を覗き見るのは興味深いことです。
(以下次号)
「オリンピックは平和の祭典といわれるが、平和な時にしか開けない。戦争が始まったらひとたまりもなく、つぶされてしまう。かといってスポーツ界あげて戦争を止める努力せよ、などという議論は、現代では幻想にすぎない」
これはスポーツ評論家の川本信正さんがおっしゃった言葉です。1972年ミュンヘン五輪のこと、パレスチナ・ゲリラが選手村のイスラエル選手を襲い、選手もゲリラも全員が殺されました。いろんな新聞が「オリンピックは平和の祭典なのに、こんなことが起こるとは」という風な論旨を展開しました。その直後、私は川本さんと対談しました。そして話題は「戦争とオリンピック」にまで及びました。
古代ギリシャでやられていた古代オリンピックは、よく知られている通り、紀元前から約1300年、1回も休むことなく開かれました。各都市国家が争っている時でも、開催の数カ月前から「休戦使」が、ギリシャ全土を回って「戦争をやめよう」と呼びかけてオリンピックが開かれたといわれます。
1896年に始まった近代オリンピックはどうでしょう。たかだか100年あまりの間に3回も中止になっています。都市開催なのに、政府の助けがなくては開けないほど巨大化したオリンピック。メダルを1個でも多くとれ、と政府が血なまこになるオリンピック。すべて国家がからんでいます。そしてIOCは、政治やナショナリズムに対し、実に柔順です。IOC委員はスポーツ界では威張っていても、政府に対してはからっきし無力です。
私は、1980年のモスクワ五輪ボイコット事件の折り、IOC委員の清川正二さんが「首相の大平君とは一橋大での同級なんでね」と、盛んに言っておられたのを覚えています。同級生なら、理をつくしてスポーツの立場をもっともっと首相に説明すべきだと思ったものです。政府の方針をくつがえせないにしても、IOC委員の立場は日本でなく国際的なものでしょうに。大平-清川の公式会談は最後まで存在せず、記事にもできなかったのは残念な極みです。
近代のオリンピックでは「休戦使」など存在し得ないというのが、川本さんとの対談の結論でした。
◎1964年東京大会の中止説
近代オリンピックで3回も中止になったのは、すべて戦争のせいです。1916年大会は第一次世界大戦で、1940年と44年の2回の大会は第二次世界大戦で、それぞれ中止になりました。
日本が初参加した1912年大会で惨敗したマラソンの金栗四三さんが、死すれすれの荒行ともいえる猛訓練で次の大会をめざしたストーリーは、この連載(14)で紹介しました。だが、次の1916年大会が中止になってしまったのです。
「今度は優勝してみせる、と思っていたので中止の知らせを聞いた時は呆然自失、世の中にこんな理不尽なことが存在するのか」と目の前が暗くなって倒れそうになったそうです。
1936年ベルリン大会の棒高跳びで大江末雄選手と銀銅メダルを分けあった西田修平さんは、「次の1940年東京大会は地元だし、絶対金メダルをとってみせると練習に励んでいたのですが、中国との戦争が始まって、生活もだんだん苦しくなり練習どころでなくなっていた」そうです(大江選手は戦死)。
「戦争30年説」という説があります。一つの戦争が終わったら、戦争直後は、みんな「戦争なんて苦しいものはもうコリゴリ」といっているのに、30年も経てば世代が変わり、「人類は再び戦争を始める」というものです。つまり、人類は所詮争いごとが好きな救いのない存在だ、ということです。
オリンピックの場合は、中止になった1916年の第一次世界大戦と1940年の第二次世界大戦の間が24年です。つまりオリンピックの中止は「24年説」になりそうです。とすると、40年の24年後は64年です。64年といえば東京でオリンピックが開かれた年。
いま一つ。中止になった1916年が第6回オリンピック、1940年が第12回オリンピック、1964年が第18回オリンピックと、回数がすべて6の倍数です。とすれは、1964年東京オリンピックは順番や戦争の輪廻からすれば中止になる可能性があった?
核開発で兵器が高度化し、下手をすれば人類が滅亡するかも判らない。それで(局地戦はあるが)大戦争がやりにくくなった、従って第3次世界大戦は起きにくくなっていた、というのが1964年東京大会を無事にやることができた原因かもしれません。
1964年東京五輪後、私はこんな戦争の輪廻説をある雑誌に紹介し「平和の中で無事オリンピックが終わったことを感謝しなければならない」と書いたことを覚えています。
◎第三次世界大戦
新聞の切り抜きを見ていて面白い記事(考え)を発見しました。1998年12月の毎日新聞とかなり古いのですが、「20世紀精神史」という連載に、電通大教授の西尾幹二さん(ドイツ文学)がこう書いておられます。
「1989年のソ連と東欧の崩壊は、革命ではなく第三次世界大戦の敗北(終結)であった」
あっ、第三次世界大戦はあったのか。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊した年です。東西ドイツが一つになり、東欧諸国では続々と政権が交代しました。冷戦という形で続いていた米ソ間の対立がなくなり、ソ連が支配下に置いていた各共和国を手放し、ロシアという資本主義国に生まれ変わったのです。歴史研究家の目からみれば、あれこそまさしく第三次世界大戦の終結だったのか。
とすれば、第三次世界大戦が始まったのはいつか。1989年は1964年東京大会から25年、その間オリンピックではチェコのザトベックやチャスラフスカらがからんだプラハの春のような事件が東欧諸国では数多くあり、米ソによるボイコット合戦もありました。
情報が発達し、人と人が大量に殺し合う大戦争はなくなりましたが、経済や思想(イデオロギー)がからむ戦争は目の見えないところで進んでいるわけです。
ところで、第三次があったとして、第四次世界大戦は、いつごろやって来るのでしょうか。それは中国がからむものでしょうか。オリンピックの中から、世界史を覗き見るのは興味深いことです。
(以下次号)
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