映画に出てくる食事の場面(25) - ラスト・ターゲット(ピクニック)

2018年08月07日 | 映画
ラスト・ターゲット (字幕版)


2010年公開のアメリカ映画。マーティン・ブースのミステリー小説「暗闇の蝶」が原作。監督はアントン・コービン。主演はジョージ・クルーニー、ヴィオランテ・プラシド。映画の原題は「アメリカン」。

ジョージ・クルーニーはプロの暗殺者。スウェーデンで恋人と過ごしていた時に何者かに命を狙われる。返り討ちにしてイタリアに移り、そこで組織の元締めからしばらく身を隠すことを勧められるところから映画は始まる。

私は気に入っている映画で何度も観ています。飽きない映画です。最初観終わったときに思ったのは、こういう映画にジョージ・クルーニーは出るんだということ。意外でした。

この映画で選んだ食事の場面は河畔でのピクニックの場面。ただ食事はしない。請け負ったカスタム銃の試射を依頼人と行うためにピクニックを装っただけ。銃の試射を行う場面は「ジャッカルの日」を思い出させます。





ジョージ・クルーニーが銃を改造する場面が多く出てくる。ヤスリ、ネジを切るダイス、ボール盤を使っての手作業。ここだけでも楽しめるのですが、ジョージ・クルーニーが終始感じている自分の死、猜疑心、孤独を良く表している場面でもあります。この作業をしている間だけは何も考えずに没頭できる。





ジョージ・クルーニーが身を隠したイタリアのラクイラ県にあるカステル・デル・モンテという町がとても美しい。彼はこの地で一人の娼婦と知り合い、その女性との新たな生活を思い描きますが、それは儚い夢に終わってしまいます。




(2018年7月)
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拍子抜け!

2018年08月03日 | その他
昨日休暇を取り再検診。人間ドックの検査で腫瘍マーカーの数値が高く、自分でも左肺上部に分かりやすい違和感があって、この半年間、みょーな咳が続いている。もう観念して色々始末をつけなければならないな、自分だけがこの世から一人でいなくなるのをジワジワ待つのはどんな気持ちなのだろうなどと考えていた。

ここ数日は体調が悪く昨日は特に左肺が痛んだ。咳も出る。痰がからむ。最悪の結果を覚悟して検査に臨んだ。

血液検査、心電図、CTの結果、医師の診断は何もありませんが?左肺は綺麗です。どっちかといえば右に肺炎か結核の跡があるのでこっちかな。でも何年もこちらは指摘されていて変わりがなければ大丈夫でしょう。左肺の痛み?咳のし過ぎで筋肉痛じゃないですか?心配なら年末にもう一度検査しましょう。では(´∀`)

というなんとも締まらない話になってしまった。薬局に寄り鼻炎薬を買って帰宅。大変鼻の通りが良くなり咳も治まってきた。
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8月!(´ー`)

2018年08月01日 | その他
もう今年も色々飽きた。朝起きたら2018年の年の瀬になっていても私としては困らない(^_^)
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平成な感じって何?

2018年07月30日 | 映画
素敵なダイナマイトスキャンダル [DVD]
クリエーター情報なし
バンダイナムコアーツ


「素敵なダイナマイトスキャンダル」という映画がある。柄本佑主演で末井昭の自伝を映画化した作品。末井昭は雑誌「写真時代」を出した人物。「写真時代」は昭和の末期のエネルギッシュなはちゃめちゃな時代を代表する雑誌だった。その映画に柄本佑の妻役で前田敦子が出てくる。前田敦子が好演していて、昭和の雰囲気を良く出している。言葉使い、身のこなし、ああ昭和の末期はこんな感じだったと思わせる。演じるというより素のままなのかもしれない。東京物語に出てきても通用する雰囲気だというと大袈裟か。

前田敦子は昭和の雰囲気を出していたのはわかるのだが、常々思っている事だが平成な感じという例えは分からない。平成な感じという例えがあるとすればだが。年号はきっぱりと別れるが時代の区切りはそうはいかない。

娘が晩飯の時に最近テレビに阿川佐和子をよく見る、阿川佐和子は昭和っぽいと言っていた。それを黙って聴いていたのだが、頭の中で昭和と平成の違いってどんな感じなのかという思いが巡る。阿川佐和子は昭和の生まれには違いないし前からあの感じだし、ああいうのが昭和なのだろうか。

嫁さんが阿川佐和子は昭和の生まれだからと返すと、タモリは違うと娘が言う。ますます分からなくなる。今のタモリは枯れている。昭和の時代のタモリは今とは別物だ。タモリの昭和は下積み時代、今よりエネルギッシュで野暮で荒い。今テレビで出てくる若手芸人などおよびもつかないほどエネルギッシュだった。今は登りつめた後の姿。枯れた今のタモリは平成な感じで通用しているわけか。じゃあ阿川佐和子はエネルギッシュに見えているのか。

阿川佐和子はその出自からもともと登りつめていた。阿川佐和子は喋り方もその内容も外見もおばさんぽくなり下世話な雰囲気を醸し出してきて(実は違うけど、、、)明け透けな感じがする。タモリの方は趣味に生きる好々爺としてきて随分文化人扱いをされているかなと感じる。本当は違うのだがタモリはもうあくせくする気もないし、周りもそう扱わない。

昭和と平成の違いは1990年頃を境にした景気動向に影響された文化の違いなのだろうとは思う。1990年以降に生まれ、物心がついた時は不景気の真っ只中。それからずっと続く日本の経済的低空飛行。枯れたというより諦めや我慢の時代が続く時に生まれ育った娘には、明け透けな雰囲気は自分達とは違う時代に映るのかもしれない。昭和の時代は誰もが上を見ながら明け透けだったが平成の時代は個は立つが目立たず雌伏、篭った感じなのだろうか。

次の時代になったらはっきりするのだろう。しばらく待つ。

(2018年7月)

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ぼくらの地図旅行 - 那須正幹・西村繁男(福音館書店)

2018年07月25日 | 本のメモ
ぼくらの地図旅行 (福音館の科学シリーズ)
福音館書店


1989年1月31日 発行
2007年11月20日 第23刷

那須正幹 1942年広島市生まれ。島根農科大学(現 島根大学)林学科卒。東京の自動車販売会社に勤務。広島に戻り家業の書道塾を手伝うかたわら広島児童文学研究会に参加。姉の竹田まゆみと同人誌「きょうだい」を刊行。1972年から作家活動にはいる。山口県防府市在住。

西村繁男 1947年高知市生まれ。中央大学商学部卒。イラストレーター、絵本作家。神奈川県藤野町在住。

児童書。小学生が地図を頼りに灯台がある海岸まで10kmほど歩くという話。絵が懐かしくて手に取り借りた。どこがモデルなのかわからないが1980年代の日本はこんな感じだったか。どんな感じかというと、田舎も町も荒れていない。町にはちゃんと商店が店を開けていて、田舎の土地はまだ放棄されていない。


(2018年7月 西図書館) 
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映画に出てくる食事の場面(24) - 悪人(刺身)

2018年07月22日 | 映画
悪人 スタンダード・エディション [DVD]
東宝


2010年9月11日の邦画。監督は李相日。出演は妻夫木聡、深津絵里、満島ひかり、樹木希林、岡田将生、他。

不遇な環境で無為に生きる青年が起こした殺人事件、それを知っていながら一緒に破滅への逃避行をする女性の話。

妻夫木聡は土木作業を生業とする青年。祖父母と三人暮らし。荒れるわけでもなく淡々と祖父母の面倒をみる。趣味は車かと見えるが実のところ楽しんでいるわけでもなく無為に日を過ごす。出会い系サイトで知り合った満島ひかりに恋心を抱きつきまとうが、なんの取り柄もない妻夫木聡は満島ひかりから邪険にされる。妻夫木聡の行いは粗暴で無教養で邪険にされて当然のようにも見える。でも金で体を売るような女であっても自分を癒してくれる人への純な想いだけはあった。

満島ひかりは保険の外交員。身を飾り見栄を張ることに自分を見出す。彼女には狙をつけた男性がいる。湯布院の温泉旅館の息子の岡田将生。しかし岡田将生は全く満島ひかりに興味はなくただの遊び相手とも見ていない。満島ひかりを待ち伏せていた妻夫木聡は岡田将生の車に半ば強引に乗り込む満島ひかりを見てしまう。車の跡をつける妻夫木聡。峠道で岡田将生から捨てられた満島ひかりに追いつく妻夫木聡。あなたなんかに助けれたくないと妻夫木聡を振り切る満島ひかり。あげくに、ここに連れてきたのは妻夫木聡だ、妻夫木聡に拉致されたと言い出す。慌てた妻夫木聡は満島ひかりともみ合ったあげく殺してしまう。

深津絵里は紳士服量販店の店員。妹とアパートで二人暮らし。派手で奔放な性格の妹と比べ深津絵里は地味で友人もなく仕事場とアパートを往復する毎日。ある日、アパートに帰ると妹と恋人の逢瀬の場に遭遇してしまう。寂しさと自棄から出会い系サイトを開き妻夫木聡と知り合う。互いに誰かを求めていた。

樹木希林は妻夫木聡の祖母。持病持ちの夫と三人で漁村で暮らしている。実の親から捨てられた妻夫木聡を育てた。ある日いそいそと集会所へ出向く。そこには近所の老人が集まって人の良さそうに見える詐欺集団の売り子を囲み、彼の話術に歓声をあげていた。別の日、町に行く用事があった樹木希林はふと詐欺集団の売り子が教えてくれた住所に寄ってみることにする。そこに待っていたのは顔つきを変えた売り子と強面の男たちだった。

満島ひかりの事件の犯人は当初は岡田将生と見られていたが、妻夫木聡が走査線上に浮かび上がる。追いつめられる妻夫木聡。深津絵里はそのことを知ってしまう。でも彼女はいうのだ。一緒に逃げようと。二人に未来はないかもしれないが刹那の愛はある。それをできるだけ長く続けたい。



この映画で選んだ食事の場面は、妻夫木聡が刺身で飯を食う場面。刺身は樹木希林が魚を捌いて作った。刺身で飯を食べるのが苦手な私は、晩飯で刺身が出てくるたびにこの場面を思い出しながら飯を食べる。

重い題材で登場する人物は誰も幸せにはならないけど、俳優女優陣が皆会心の演技をしていて時を置いて何度も見直している映画。

(2018年7月)
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十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」 ー 西村京太郎(集英社新書)

2018年07月19日 | 本のメモ
十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」 (集英社新書)
クリエーター情報なし
集英社


2017年8月14日第1刷発行

著者は1930年生まれ。作家。1963年、「歪んだ朝」でオール読物推理小説新人賞を受賞しデビュー。

本名は矢島喜八郎。東京陸軍幼年学校に入学。昭和5年生まれだから父とは一つ違い。

父は国民学校を出て熊谷陸軍飛行学校へ行くかどうか迷ったと聞いたことがある。この話は本人が晩年に語ったことで他からは聞いたことがない。だから話半分。立川飛行機に職を求めてほんのわずかの期間だが東京に住んでいたのは事実。この時期の話はなかなか興味深かった。

素潜りで鯉を捕まえていた話、増水した川を泳いだ話、学校の女教師が毎日山越えで徒歩で通勤していた話、東京に行く時に知り合いから東京に子供がいるから渡してくれとオハギを持たされたが東京のどこにいるのか探すのに苦労した話。東京には何でもあったが金がないのでつまらなかった話。工場で兄貴分から目をかけられ苦労はなかった事。戦闘機を松林に隠していたらグラマンから機銃掃射にあい松の幹にしがみつき難を逃れた話。工場が空襲にあい何日もかけて岡山に戻ってきた話。岡山の飛行機工場で勤めたが、駅前の宿舎が空襲でそこも焼け出された話。祖父が心配して迎えに来たこと。戦後は職がなく酒浸りでよく伯父が街まで迎えにきた話。マラソン選手で大会に出た事、バンドを組んで演奏していた話、母と出会いオートバイに乗り遠出をした話。勤め先で空気銃を皆で囲んでいたら天井に向かって暴発して天井が穴だらけになった事、まんが悪いことにそこに警官が偶然来て皆で平静を保つのに苦労した話。こんな話を年老いてからもっと聞こうとしたが既に時期を逸していた。

この本は何の気なしに手に取った本だが15歳、16歳でどれだけの事を覚えているのか。自分で自分の事を思い出してみても記憶はおぼろげ。ただそんなものなのかも知れない。淡々と過ごした15歳前後の事など覚えていないことが普通なのだ。しかし昭和20年という特別な年を挟んでの記憶は強弱はあれど焼き付いているに違いない。父の話と比較してみよう、西村京太郎だとどうなのかと思い借りた。

読み終えて流石に父とは違うなとは思う。それは表現者としての違いか。知識の後付けも多い。多いがそのまとめ方が小説家らしい。でも父の話の方が面白かった。

以下メモ。

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P64 玉音放送の後、何台ものトラックがやってきた。呼んだのは、生徒監や下士官たちである。大型トラックに倉庫にあった大量の食糧や衣服などを積み込んで、何処かへ運び出していった。・・・・。アメリカに渡さないというのは、本心だろうが、自分たちの生活のために、運んだのは、間違いない。生徒監の一人は、戦後の闇市で、あの時の品物を使って成功しているからだ。

P66 日本は、焼土からから立ち上がったとか、ゼロから出発したというがこれは明らかに嘘である。なぜなら、敗戦の昭和20年でも、一か月に一千三機の軍用機を作っていたからだ。(P79 9月5日の新聞記事から)

P67 重工業の設備についても、同じことがいえる。
   戦時中のピーク時を100とした場合
   水力発電 103%
   銑鉄 99%
   鋼材 101%
   銅 82%
   工作機械 63%
   硫酸 86%

P68 復学したのは、昭和21年4月だった。

P68 アメリカのベースだった。とにかく、物があふれていた。パンの残りなんか、どんどんくれた。それが、イギリスのベースに行くと、逆に、何にもなかった。

P69 ただ私の記憶も、年とともに、鮮明さを失っていくので、正確を期すために、新聞の力を借りることにした。まず、戦後最後の8月14日の新聞である。

P122 昭和21年4月 中学四年に復学。

P123 アメリカと4年間戦いながら、本当の敵愾心がわかなかった。あまりの力の差がありすぎると、怒りが具体化しないのだ。

P124 一番の原因は、政府(軍部)が戦争を美化したことだろう。「玉砕」という言葉で美化したのだ。戦争自体を美化され、敵のアメリカ兵も、美化されてしまう。更にいえば、もともと、日本人は、アメリカ人が好きだったという人もいる。

P125 日露戦争の時には、アメリカ大統領が和平を斡旋してくれた。軍部は別にして、一般の日本人は、アメリカを嫌いになる理由がなかったのである。

P125 と、考えていくと、戦争が終わったとたんに、引っくり返ったのではなく、元へ戻ったというのが、正しいところではないだろうか。豹変する国民性というのも、簡単にはその通りだとは、いいにくい。逆に、中国人に対しては、戦争が終わっても、態度は変わらなかった。

P128 昭和23年3月に、旧制中学の5年を卒業した。就職することにした。新聞を見ていたら、日本にアメリカ的な新しい人事委員会を設けるため、国家試験が行われるとあった。

P130 これからの役人は、パブリックサーバントでなければいけないということと、「同一労働同一賃金」の実現ということだ。

あれから70年たった今、新聞を見たら「同一労働同一賃金」という言葉があってびっくりした。

P131 日本のように、大学卒とあると、卒業証明書が必要になる。その仕事に、たまたま、適当な人がいなくて、高卒者を充てることになると、どうしても、給料が低くなってしまうのである。多分、この悪循環は永久に続くだろうから「同一労働同一賃金」は、実現されずに終わるだろう。

P131 昭和23年、研修が終わると、私たちは、臨時人事委員会の職員になった。

P133 文学クラブに入った。同人誌「パピルス」を出したが、私は、まだ小説など書いてなくて、、、、

P137 東京通信工業の社員がラジオの組み立てキットを売りに来る。実は自社株をすすめに来た。

P144 29歳で人事院を退職する。作家を目指す。

P146 退職金は給料1年分。親には内緒。退職金を小分けに親に渡しながら職を転々とする。パン工場住み込み、競馬場の警備員、私立探偵をやりながら小説家を目指す。

P153 昭和38年、32歳の時に「歪んだ朝」でオール読物推理小説新人賞受賞。短編では仕事は来なかった。

P154 昭和40年、「天使の傷痕」で江戸川乱歩賞受賞。これでも仕事は来ない。

P155 昭和42年、「21世紀の日本」の小説部門で「太陽と砂」で入選。石原慎太郎、宮本百合子、フランス文学専門家の3人が選考委員。この三人に併せた小説にしたそうだ。この頃から仕事が来るようになるが、編集者のアドバイスがなければ売れっ子にはなれなかった。

P163 日本人は戦争に向いていない。ここから15歳とは関係なくなるので飛ばし読み。

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(2018年5月 西図書館)
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最近思うこと

2018年07月18日 | その他
還暦前になると身体のあちこちにほころびが目立つ。

歯周病で奥歯を失い、先日の地震の際は帰宅難民になり13km歩いたら膝がガクガクして、以来調子が悪い。人間ドックに入れば再検診。今回は腫瘍マーカーの数値、まいった。ここを閉じる日も近いかも知れない。2016年も再検診だったのだが無視してしまった。2017年は何もなかったので安心していた。今回は少し自覚症状があるから笑えない。10年早い。老眼もますます酷くなる。もうメガネなしではパソコンのモニターに映る文字もまともに読めない。

先日息子から「その本、一年くらい借りていないか?」と言われた。確かに借り続けていて読み通せていないが、私の読み通せていないというのはメモを取れたかどうかなので、読んでいないわけではないけど。

本を読むのが億劫になってきたのは老眼のせい。文字を一つ一つ拾うような読み方ではなく、面でとらえる読み方、上手く説明出来ないが、そういう風な読み方をしてきた自分としては老眼はきつい。パッと認識できないのだ。

老眼のことを考えていたら父のことを思い出した。晩年、認知症にかかった父に色んなことを思い出してほしくて文書を見せたり写真を見せたりしていた。反応が薄く失望を繰り返していたが、父も老眼だったのだ。裸眼で文字が読めるわけがない、写真の小さな顔なんか見分けることができるわけがない。今の自分がそうなのだから。

悪いことをしたと思う。謝りたい。

私の家族には伝えておこうと思う。私が父のようになった時は、せめてメガネをかけさせてくれと。
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隠居の日向ぼっこ ー 杉浦日向子(新潮社)

2018年07月13日 | 本のメモ
隠居の日向ぼっこ
クリエーター情報なし
新潮社


2005年9月15日 発行
2005年10月30日 第4刷

火箸、団扇、釣り忍、ヘチマ、蚊帳、踏み台等々、江戸の町屋でおなじみの小物を題材に軽妙な語り口で綴った読み物。こんな文章が書けるようになりたいものだ。

以下メモ
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P20 頭巾
赤頭巾ちゃんという童話もなじみだが、じつは彼女の被っているのは頭巾ではなく、ネッカチーフらしい。日本語訳をするときに、ネッカチーフより頭巾のほうが一般的に親しみやすいだろうと、そうなったという。

ヨーロッパ系の映画でも頭巾をかぶってるけど。

P149 ちろり
馴染みの居酒屋では、「さんでし」「いちごう」「ちろり」の注文で酒を呑む。

「さんでし」は3デシリットル、「いちごう」は一合、「ちろり」は器の大きさ。この一貫性のなさが良い。
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(2018年6月 西図書館)
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もう自棄の

2018年07月01日 | その他
7月(´・_・`) 今年も半分過ぎました。
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終わった人

2018年06月25日 | 映画
来年5月で定年を迎えます。社内規定で60歳。還暦です。祖父の時は赤いチャンチャンコと赤い頭巾で親戚一同で祝いました。父の時は弟家族と祝いの宴を設け金も無いのに無理をして九州旅行をプレゼントしました。そんな歳に自分もなります。

昨年度(3月決算)に就業規則変更の担当をしていて定年を65歳にしてやろうとしていたのですが賛同を得られず断念。ま、65歳までいる気は無いのですが。こう書くと退職金が潤沢とか資産があるとか想像されそうですが、我が社は退職金無し、資産も築けませんでした。嘱託?それはありです。が、そんなにしがみつく気はありません。正直、今の会社に飽きました。もう一回まだ気力があるうちに別の世界で仕事をしてみたいです。別の世界を見てみたい。そんな事をつらつら考える今日この頃。

今日は予定休暇。母の白内障の手術の日で付き添いで休暇をとっていました。二週間前に右目を、今日は左目の手術の日でしたが母はそれをキャンセル。左目は白内障にかかっておらず、母の申し出に医者の方も了解したそうです。

ということで付き添う必要もなくなり出社をしても良かったし経営会議の日だったので、進行役の自分としては行こうかなという気もあったのですが、いや嘘です、行く気などさらさら無くて何も予定のない日をダラダラと楽しんでいます。サッカーワールドカップ日本代表の第2戦の余韻に浸りながら。

普段通り家を出て映画を午前午後1本づつ観ようかと思ったのですが午後だけ予約を入れ、一人でしゃぶしゃぶの店に入り午前中からビールを飲み飯を食いました。

仕事に就いた頃、つまり二十代の頃から朝の通勤電車で終点まで行ってみたり、今でも会社をサボって映画館に入り浸っていたりしている自分ですが、たいがい確信犯です。しかし今日は何も考えずに暇にしています。

定年退職後、何も考えが無かったらこんな日々なんでしょうか。田舎に帰って自作した野菜と少量の肉で昼からしゃぶしゃぶはありだな。心地よく酔った頭でそんな事を考えています。

さて、予約した映画の始まる時間が近づきました。予約した映画は「終わった人」 笑
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ゲティ家の身代金(トイレ事情)

2018年06月04日 | 映画
先週末、ゲティ家の身代金を観ました。監督はリドリー・スコット。御歳80。見習いたいものです。もめにもめて難産の末に出来上がったった映画のようですが、なかなか良作。面白かったです。映画の舞台は1973年のイタリア。ゲティ三世誘拐事件を描いています。

誘拐にからんでくるのは「ントマラゲタ」という犯罪組織。イタリアのある地方全体がこの組織に裏で支配されていて地方警察も官吏も皆グルらしい、今でも。(町山智浩さんの記事より)

いつもなら食事の場面を探すところで、ゲティ三世が監禁先でステーキを出される場面があって目を凝らしていたのですが、残念ながら食べずじまい。それより気になったのがイタリアの農家のトイレ事情。トイレが無いんだな。ポツンと建つ農家にゲティ三世は監禁されるのだが、チラッとトイレットペーパーが見えたのでトイレはあるのかと思っていたら誘拐された側も誘拐した側も外でする。大も小も。重要な場面で二回出てくる。納屋だからトイレが無いのか?いやいや調理していたから台所はある。時は1973年とはいえ現代ヨーロッパ。ネットを検索するもまだ誰もゲティ家の身代金でトイレについての言及は無し。もしかして、、、とヨーロッパのトイレ事情を調べてみると、おいおいおい外で用足しするのは田舎の農家なら普通だったようではないか。シャベルを持って麦畑とか。なかなかディテールにこだわった映画である。
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はぁ〜(´・_・`)

2018年06月01日 | その他
6月が来た
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読もうと思っている本

2018年05月15日 | 本のメモ(番外)
極大射程
虐殺器官
ハサミ男
邂逅の森
すべてがFになる
比類なきジーヴス
まほろばの王たち
薔薇の名前
ウォッチメイカー

どこから仕入れた情報だったか忘れた。
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ホットドッグの歴史 (「食」の図書館) ー ブルース・クレイグ(原書房)

2018年05月15日 | 本のメモ
ホットドッグの歴史 (「食」の図書館)
クリエーター情報なし
原書房


著者はアメリカのルーズヴェルト大学(シカゴ)歴史学・人間科学名誉教授。アメリカ公共放送(PBS)の食に関する人気ドキュメンタリーの司会・脚本担当。

2017年7月21日 第1刷

ホットドッグという比較的新しい食べ物でもその由来ははっきりしない。似たようなものはそれ以前からあっただろうから。

例として

1901年4月
ニュヨークの野球場でソーセージを温めてパンにはさんで売った。

1904年
セントルイス万博。ソーセージ売りが手が汚れないように客に手袋を貸していたが返してもらえない。代わりにロールパンにはさむことを思いついた。

たった100年前なのだがこんな感じ。

ソーセージの品質については今ではかなり厳密な規格があって、これを守らないと道を外すこととなる。過去は利益優先なのでくず肉や部位によっては骨が混ざったり、筋だったり、要するに何でも有の状況だったようだが、ここからこの範囲までならOKというありがちな規格が今では出来上がっている。確かこの本にその範囲が書いてあったと思うがメモしていない。

日本ではホットドッグの専門店を見かけない。ネイサンズは2003年に日本に進出したが撤退。アメリカの大都会なら100メートルごとに一軒は屋台があるという。まあ、日本には屋台というもの自体が撤去されて見かけないけど。

カナダではジャパドッグが人気とある。テリマヨ、オロシ、オコノミ、ネギミソと和風。

子供の頃、今は全く見かけなくなったが観光地の屋台で売られていたホットドッグは、キャベツの千切りを炒めてカレー粉で味付けしたものが入っていた。私にとってホットドッグはこのカレー味のキャベツが入ったものなのだ。

(2018年3月 西図書館)
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