Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

日常の幸せは,,矢部太郎「大家さんと僕」と僕~「大家さんと僕 これから」

2019-08-06 14:53:03 | 

一年前、体調不良で心が折れてしまった夏。

ただ日常に流されまい、、と踏ん張っていたはずが、
揺るがないはずの根性は、見事なほどあっけなく崩れおちてしまった。。
今までの積み重ねは、ナンだったのだろう、、と。

入院する前日、家人が一冊の本を買ってきた。
それが「大家さんと僕」。
ページをめくると、ふわふわした線のオトナ二人。
二人は大家と店子という、ドライな関係。

チョット時代ずれしたような大家さんと中途半端な売れ方の芸人の会話は、
噛み合うはずもなく、
矢部さんの困惑ぶりと、内心のほっといて・・・感は、至って当たり前のように見えた。

それでも
流れゆく日常の中で、大家さんと矢部さんのボタンの掛け違いは、
徐々に個性的な面白さに変わり、
お互いの生活が、枯葉色の孤独を帯びた色から、
チョットづつチョットづつ
小さな出来事やプチ共感の積み重ねで、
それぞれの人生に、若葉のような色を放ち出した。

「大家さんと僕」は8年間の凝縮が綴られていたが、
この裏側に埋もれてる大家さんの意思やトラウマは、
読み手の感性が試されるように、うっすらと滲ませる程度。
この描き方に、矢部太郎という人の大家さんへの静かな優しさが見える。

そのうっすらの滲みを一歩掘り下げた本が、一年後、新たな二冊の本に。
この二冊が「大家さんと僕」を再び、今も湧き続ける深い井戸のような物語にした。


◇日常の幸せ 完結「大家さんと僕 これから」◇


大家さんと矢部さんの何気ない会話は、天然ボケと変化球の突っ込み。
だからか、起承転結は予測不能。
なんたって、大家さんが突っ込みで、矢部さんはボケなのだから。

読み手が驚くのだから、当事者の矢部さんの驚きは、えらく共感できちゃう。。

80代後半になっても、大家さんの言葉は優しいのに、鋭い。
矢部さんの何気ない言葉も、大家さんはインプットし、
ここぞというタイミングで緻密にさらりと行動する。
恩着せがましくなく、
矢部さんとのプチワンダフルな想い出の一つにしてしまう大家さん。

そこには、静かな孤独と向き合ってきた人の優しさと、とても上質な想いがある。

大家さんの持ち味は、
意外なほどの芯の強さとフランスのマダムのようにエスプリの効いた言葉。

大家さんのエスプリ感に共感出来るのは、矢部さんも同じ立ち位置で視ているからだと。

ただ一つ
矢部さんが共有出来ないのは、それは<戦争体験>。
「大家さんと僕 これから」の中には、
大家さんの戦争への恐怖と沢山の友達を失った大きな喪失感が、トラウマになっている。

8月が好き。。沢山戦争のことを放送するから、、
矢部さんが戦争に取られたら、どうしよう・・・

色んな場面で、戦争の恐怖を語ると止まらなくなる大家さん。

それでも、矢部さんはその言葉の中に真実の怖さを知り、
戦争体験者の大家さんの言葉を拾い上げ、
大家さんの太陽と隠された月の両方を俯瞰しながら描いていた。

「次は にぎやかな 一冊 がいいわ!!」とノタマッタ大家さんだが、
その想いには、十分なほど応えたんじゃないか、、と。

読み終わり、完結した「大家さんと僕 これから」の余韻に浸っていたら、
今年の6月に「大家さんと僕」と僕がこっそり出ていた・・・


◇こっそり番外編 「大家さんと僕」と僕。。◇


著名人が「大家さんと僕」に寄稿しているパートがあり、
その中で、15歳の小説家、鈴木るりかさんの書評が素敵すぎた。

14歳で作家デビューした精度の高すぎる感受性によろめいたワタシ、、
多くの人が、ほっこり。。という言葉で括りがちなのに、
彼女も大家さんと矢部さんの月の部分を見逃していなかった。

<12歳の文学賞>に2013・2014・2015年と三年連続大賞に選ばれ、
14歳に書いたデビュー作「さよなら田中さん」を是非!!読んでみたいと思う。


矢部太郎という人は、
とても弱そうで、案外弱くなく、
流されていそうで、流されていない。

だからこそ、この三冊が描けたのだと思う。
彼の心の強弱の振れは、大家さんの心の振れにとても良く似ている。

流される日常の中で、しっかりとした物語があったことに、元気づけられた本だった。



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映画「凪待ち」 再生のカケラ。。

2019-07-09 11:11:15 | 映画

2019年
稲垣吾郎主演「半世界」、草彅剛「まく子」、
そして6月下旬に香取慎吾主演「凪待ち」が公開に。

映画館は老若男女入り乱れ、SMAPファンの層の厚さを感じた。
ただ
「凪待ち」だけは他の二作品とは、
ビフォーアフターのように反応が全く違っていた。

映画が終わり退場する観客は、口を閉ざしたまま。
あーだこーだ、、と論じることの出来ない作品だった。

ギャンブル依存症の男が、出口のない底なし沼にハマり、
人生を、信頼を、愛する人を失ってしまう闇の世界に取り込まれていく。

闇の世界に取り込まれた者には、嘘や騙し打ちが止めを刺すように襲い掛かる。
どん底でもがく気力も失せ、狂気と心の歪みが一人の男を、
そして、観る者の精神までも圧し潰す。
サイテーに薄汚れていく主人公の心を、観客は受け止めきれずにいる。

そんな映画が「凪待ち」だった。

観終わってからも、何がテーマだったのか、、
私自身、すっかり混乱してしまった。
が、
一つだけ、強く感じたのは、
主人公/木野本郁男(香取慎吾)の狂気が、
郁男自身の視点で描かれているため、大きな負のエネルギーに圧倒され、
共感出来ない、、

なのに
歯の隙間からも、
目を背けても、
耳を塞いでも
こじ開けて侵入する負のエネルギー。。

ここまで観る側をヘトヘトにさせるのは、、なぜ?と。


◇再生のカケラ。。。凪待ち◇


日々、私たちの周りでは、予想だにしない事件が起きている。
見知らぬ人を巻き込んでの殺傷事件や、恨みへの復讐。

そこには、
パラサイト的な環境に逃げ込んだ人たちが、病んでいる現実がある。

「凪待ち」の木野本郁男は、パラサイト男だが優しさが根っこに残っていた。
ギャンブル依存症に浸食されながらも、
その部分が、かろうじて彼を人として支えていた。

優しさとは漠然とした言葉だけど、日向のような匂いと健やかさなんだと思う。
郁男が「凪待ち」で紙一重の狂気の境界線から、再生へと踏み出せたのは、
再生のカケラとして優しさが残っていたからだ。。と

役者としての香取慎吾は、息苦しくなるほど観る側に迫り、混乱させた。
ううーーーー
なんなんだ・・・・と思いながら観たエンドロールは、
東日本大震災の爪痕を遺す海底だった。

誰もが言葉もなく、退場していく様は、白石和彌監督の思う壺だったのかもしれない。。





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大山淳子「あずかりやさん」&桐島くんの青春 待つエネルギーの愛、、

2019-06-14 10:18:04 | 

◇大山淳子「あずかりやさん」◇

読み始めると、なんとも気持ちのいい静寂が心を潤していた。
それは、
著者/大山淳子さんの名前も知らず、
友人の
「是非!!読んでみて 
なぜか 心が澄んでくるから~」という言葉に導かれた本。

小説なのに、
一つ一つのエピソードが、ピリピリと沁みる不思議な感覚があった。。

エピソードの語り部は、人ではなく、
あずかりやさんの店主桐島君のお店にかかる暖簾や、
店内にあるガラスのショーケース、古いオルゴールや猫の視点で語られている。

ひょんなことから、
盲目の17歳の青年が生まれ育った実家に戻り、一人で暮らしを始める。
偶然、
青年の家に逃げ込んだ一人の男が持ち込んだ<物騒なモノ>が、
「あずかりやさん」を始めるキッカケに。
『預かっってくれ!』と言い残し、去って行く。
その男は、
間もなく警察に捕まり、刑に服すことになるが、青年はそんなことは知らない。
この時、青年は
「あずかりやさん」という珍妙な商売を始めようと決める。
預けに来る人、預けたモノを取りに来る人を、ただただ待つ生活が始まった。

訪れた客は一日100円でモノを預けていく。
どんなものでも一日100円。
それが、使い古した鍋釜、時には幼子だったり、死にそうな子猫も。。

店主の青年が目が見えないため、中味を見られる心配もない。
なので、
預けた自分の顔も見られることもないし、詮索されることもない。
人に言えない事情や悩みを抱えた人たちは、
青年が見えないことへの安心感からか、店はそこそこ営んでいけるようになる。

預かり期限きっちりに取りに来る人もいれば、そのまま取りに来ない人もいる。
期限を過ぎたら、店主のモノとなり、処分されても文句は言わないシステム。

だが、
この若い店主には、人並外れた記憶力が備わっていた。
あずかりモノと預けた人の声色、微かな匂い、言葉の抑揚を瞬時に記憶。
だから、人とモノを間違えることがない。
なにより、青年の静謐な佇まいに、預けた人は抱えている想いをポツポツと話すように。
そして
彼らは「あずかりやさん」で、少しづつ心を取り戻し、心の澱がうすまっていく。

訪れた人たちの幾つもの物語が、「あずかりやさん」で語られていく。
そして続編の「あずかりやさん 桐島君の青春」で、

店主は父母が生きているのに、
なぜ、天涯孤独なのか、、

盲学校では頭脳明晰でスポーツも出来、
みんなの期待の星だった桐島君が、東大受験をせずに、
なぜ突然一人で実家に戻ったのか、、

注目の的だった桐島君の青春の初恋は、、


「あずかりやさん」でのいくつもの謎が、徐々に紐解かれていく。

ひとつ またひとつ
物語を読む度に、言葉に出来ない感情に、ちいさく息をのんだ。
「あずかりやさん」に来た人は、
みんなそれぞれの決着をつけ、前に向かって生きていく。

だが、美しく凛としたあずかりやの店主の物語だけは、
家族という、、とても大事な部分がぽっかり抜けていた。。。。


◇待つエネルギーの愛、、◇

「あずかりやさん」の中には、時代の流れにのまれず、
静かなで誠実な時間が流れている。


そこには、
分刻みのスケジュール、
細く弱い人間関係、
猜疑心、
自分の魂をすり減らすこと、の全てがなかった。。

ただ
一人の青年が長い年月を経て中年になっても、
変わらずに持ち続けていたのが<待つエネルギー>だった。

<待つエネルギー>が、何かと云われると、、ワタシは愛だと。
母親なのか、、どうかは分からないが、、
そこには店主の強い信念と深い慈愛を感じざる得なかった。


そして、
孤独は決して無意味ではなく、
孤独を飼いならすことが、生き方を滋味深くするのだと確信する。

素晴らしい二冊の本を書いた大山淳子さんに、心から感謝したい。



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湯布院の細腕繁盛記!地産地消と遠藤周作「沈黙」

2019-05-29 11:42:08 | 取材

5月の半ば、憧れの湯布院に降り立った。
二泊三日の予定は、恙なく終了。
何もしない、何も考えない、、を目的にした旅。

そして三日目、
天候に恵まれた二日間が、ウソのような暴風雨に。
博多行きの<ゆふいんの森号>までは、二時間チョットの待ち時間。
駅前をあてもなくウロウロしていた時だった。

人力車えびすやの青年に声をかけられた。
「そっちはお土産屋さん通りで
 本来の湯布院はこちらの道ですよ🎵

 電線一本もなく
 大きな田んぼ地帯は 保護地区で
 映画でよく使われる場所ですよ

 その地域が湯布院の温泉の水源なんです」

押しつけがましくなく、なぜかソソラレル言葉に、
博多行きの電車に間に合う最短30分コースで、青年の人力車に乗ることに。

その短い時間で、
湯布院の脈々と続く<細腕繁盛記>を知ることになるとは、思いもしなかった。


◇湯布院の細腕繫盛記!◇

湯布院は、今やアジアの超人気温泉スポット。
博多~湯布院のJR九州の車内は、ほぼ韓国語と中国語。
しかも、
少人数の女性グループか、一家総出という、何気にコンパクトな旅。

まさか
このコンパクトな人数が、<湯布院のおもてなし>と関係あるとは結びつかなかった。
そして
人力車の青年の話は、何気に見ていた風景を全部裏付けるモノだった。

湯布院の最初の危機は、全国の温泉地と同じ事態に直面していた。
あの金満バブル絶頂期、湯布院の広大な田んぼにレジャーランド化を持ちかけられる。
田んぼ一反(300坪)が一億円・・・という、誰もがよろめくゴージャスな商談。
当然ながら、売る農家もいた。
が、
レジャーランド化は実現することはなかった。

この広大な田んぼこそ、湯布院温泉の水源で命綱。
田んぼの地中から浸み込み、50年費やし温泉として湧き出てくる。

この田んぼは、建物も電線も立つことがない保護地域。


湯布院の湯量は日本二位。
豊かな湯量は、一年の雨量が多いことに関係する。
で、
雨の日も多いが、意外なのは雪が積もること。
多くの山々に囲まれた湯布院は、
5月中旬なのに、厚手のパーカーは手放せないほど涼しい。

連なる山々が齎す寒暖差は、九州は暖かいというイメージを覆すほど。
この豊かな自然と湯量を守るため立ち上がった人たちの想いが通じ、
最終的に地元農家と温泉宿はレジャーランド化に動じなかった。

そして
バブル崩壊後も環境保護と条例で、景観と温泉を守り高い建物を造らないことに。
それは、
宿に宿泊できる人数が限られてくるが、ココに湯布院の底力があった。

保護した田んぼや農地の米と野菜は、全て湯布院の宿で食材として消費する。
<地産地消>という理想の形を創り上げた。
湯布院はコレで、バブル崩壊後の観光地崩壊を免れた。

長い不況が団体客を遠のかせ、有名な温泉地はゴーストタウンと化した。
一方、
湯布院は、華美な歓楽街なエロエロ系もないため、
女性グループや家族連れにはもってこいの温泉地として人気が出始めた。

町づくりの整備は、樹木の流れに逆らわず造られ、
細くうねった道に建物が添うように立っている。
人力車の先にどんな道があるかは、曲がってみないと分からない。

古の人々が通った道の風情が感じられる。


湯布院の底力は、未来を見据えた人智だった。
バブル崩壊後30年近く経って、こんなにも明暗を分けた。

小さなタンクがあちこちに見かけられた。
一月5000円で、美肌温泉を自宅に引いている。



◇江戸時代の隠れキリシタン 遠藤周作「沈黙」◇

湯布院へ行く初日。
<特急ゆふ号>というレトロ感満載の電車で、博多から二時間。

湯布院に近づくと、山の急斜面に墓地が。
仏教のお墓の間に、白いクロスがくっくり刻まれた多くのお墓が見えた。
とても不思議な光景は、こんな山の中にクリスチャンが多いことを示していた。

そしてその不思議さが薄れた頃に、
人力車は<隠れキリシタン>が駆け込んだ興禅院に案内してくれた。


1614年徳川幕府の切支丹禁令で、踏み絵が行われ、
キリスト教から改宗しない者たちは、
拷問・火あぶり・簀巻きのまま海へ・逆さ吊りなどの非業の死が待っていた。

隠れキリシタンたちは気の遠くなるような獣道を歩き、
山々に囲まれた湯布院へ逃れてきた。

灯篭の猫脚が、キリストが祭られている目印になっていた。


案内された時、山肌の墓地を思い出した。
そして、
二泊した宿の部屋には、一枚の紙が置かれていた。
そこには
「ここに来て感じた、貴方の幸せを書いてください」と書かれてあった。

こんな宿は、初めてだった。
その文言に、宿の当主と隠れキリシタンが妄想として浮かんだのだった。

遠藤周作「沈黙」は、正に<隠れキリシタン>の苦悩に充ちた小説。
原作を基に、
2017年、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙ーサイレンス」が公開。
生々しく、何が本当で、ナニが正しいのか分からなくなる程、、
観る側に突き付けてくるものがあった。

湯布院の底力に、貴方の感じた幸せはなんですか。。。があるような気がした。


湯布院最後の30分間は、とても価値のある時間だった。
私が見た風景の点と点が、人力車の青年の語りで線として繋がった。
今度は、是非90分に乗車してみたいと思う。



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くたばれ鬱病!中島らものバイブル。。

2019-05-14 18:00:18 | 

◇オスの匂いの立ち込める本 「心が雨漏りする日には」◇

夥しい本で敷き詰められた書店の棚。

なぜか一冊のタイトルに、 ふーーと引き寄せられ、何の本かも確かめずにレジへ。

家でじっくり見ると、中島らも氏の本だった。

名前は知ってるが、ずい分前に唐突に死んじゃった人。

初めて手に取った彼の本は、躁鬱病とのデタラメな共生エッセイ。

 

ページをめくり始めると、しまった・・・ トンデモナイ本を買っちまった、、と後悔。

三年前、

母のアルツハイマーと躁鬱が合体、

その特殊な症状に専門医すらお手上げに。

どうしょうもない孤独と焦りが娘のワタシを孤立させた。

だから、 躁鬱には、二度と関わりたくない。。という想いがあった。

だが、 らも氏の筆圧とういうか、潔く晒された壊れっぷりに圧倒された。

躁や鬱は薬で治るとされている。

が、

そうじゃない特殊なケースは、

樹海のように行けども行けども出口が見つからない。

 

らも氏の場合は特殊なケースで、てんこ盛りの矛盾だらけ。

専門医の指導と入院治療する真っ当な見識を持ちながら、

隙あらば、

身体をお酒で満たすことを選ぶ強烈なアルコール依存症。

 

 この二つをミックスすると、 アルコールで丼一杯の薬を流し込む、、という異常が日常になった。

小説やエッセイを書き、

DJやバンド、

そして自分の劇団で興行を打つ。

 

過剰なくらい自分を追い込むことで、

鬱を抑えたと思えば、

ハイテンションの躁に操られ、暴走をし尽くす。

 

普通の人では持ちこたえられない躁鬱の乱気流の中、

過剰摂取の薬と連続飲酒でガンガン仕事をこなしていく。

まるでオスの本能の赴くまま、、という感じ。

だが、らも氏の暴走の行く手には、

躁鬱の大きな洞穴が待っていた・・・

 

◇オスを失う時、、◇

らも氏はワーカホリックになっていた。

お酒をガソリンにして、仕事をする。

しかも眠らない。

でも死なない。

が、 

その代償として、オスを失ってしまう。

失禁、 下痢が止まらず、おむつをして出かけるとか、

男性機能の不能 歩行のふらつき

転倒

意識の混濁

そして

ナルコレプシー

(コントロール不能の突然の強い眠気で昏倒する)

 視力障害で字を書くことも、読むことも出来なくなった。

 

凡人ならココで挫折するが、

コレがダメなら、アレがあったを思いつく。。

らも氏が語り、妻が筆記というスタイルで、次々と本を出した。

52歳の突然の死まで。

 

躁鬱の一切合切をドーーーーンと綴った「心が雨漏りする日には」は、

反響が予想以上に大きかった。

樹海で彷徨う患者の深い孤独感に、響いたというより、

寄り添ったのかもしれない。

 

らも氏は オスとして、

どこまでも無茶なオスであり、スゴク優しい。

小豆相場のようにデンジャラスなのに、

懐に深く沁みる優しさを持つ人だから、

支えられる人たちに恵まれたのだと思えた。

 

そして

無茶苦茶なエッセイの中に散らばる鬱病へのあったかい手は、

こうだった。

 

◇あったかい手 ◇

1 薬は凄い!薬を飲めば、治る。

2 ナニカに依存してもイイじゃないか。。 

3 時間に圧し潰されないこと。

4 結論の先送りをする。

これは、 躁になると自殺する元気が出てくるための防衛策。

「 明日になってから考えよう。。」

 時間の先送りという思考が、抑止力になる。

5 保健所の精神保健相談に行け!

 全ての精神科医がオールマイティではない。

躁鬱のケースによって、得意とする医師を探してもらう。

この本を読み終わって、不思議な安息があった。 内容は乱気流なのに、癒される。 多分、ワタシだけじゃないと思う。
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