醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1359号   白井一道

2020-03-20 12:30:16 | 随筆・小説



   
 徒然草第183段人觝く牛をば角を截り



原文
  人觝(つ)く牛をば角を截〈き〉り、人喰ふ馬をば耳を截りて、その標(しるし)とす。標を附けずして人を傷(やぶ)らせぬるは、主(ぬし)の咎(とが)なり。人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。律の禁(いましめ)なり。

現代語訳
 人を突く牛は角を切り、人を食う馬は耳を切って、その印にする。印を付けずに人を傷つけた場合は、飼い主に咎めがある。人に咬みつく犬を養い飼ってはならない。これには皆、罰がある。仏教の戒律の戒めである。

 わが闘病記13  白井一道
 入院中、元市会議員であった友人が見舞いに来てくれた。彼からアドバイスを受けていた。「介護保険の申請をした方がいいよ」と。私は早速、知り合いの地元の市会議員に連絡をとった。「脳梗塞、視野欠損」という病を得た。「介護保険の申請は可能かな」と言うと「分かった。包括支援センターに連絡しておくよ。職員が訪ねるよう手配しておくよ」という。翌日、早速包括支援センターの職員から連絡があった。病状の確認をしたいということだった。数日後、包括支援センターの職員が一人、尋ねて来た。少し時間をおいてもう一人年かさのいった職員がやって来た。玄関で病状を話した。年の行った職員が医者と同じような振る舞いをして、私が脳梗塞、視野欠損であることを確認するような事をした。日常生活の状態について、まず、食事の準備、後片付け、出た生ごみの処理の現状、生ゴミは火、木、土、市のごみ収集車が回って来る。そのため可燃ごみ置き場まで朝、8時頃までに出さなくてはならないということ、私が入院中、妻はシルバーに頼って、可燃ごみをゴミ置き場まで出していたこと、私が退院後、ゴミ出しは私の役割になっている事、部屋の掃除はほとんどしていないこと、洗濯はベランダの物干し場に私かしている事、買い物は生協の宅配に頼っている事などを説明した。
 ほぼ二時間近く、微に入り際に渡り日常生活の現状を説明した。若い方の職員が私たちの話を聞き、ノートしているようだった。私たち夫婦の話を聞き、包括支援センターの職員は介護保険申請の手続きをしておきますと言って帰って行った。その日の午前中はすべて介護保険申請の現状説明で終わった。妻は草臥れて休まなければ昼食の準備ができなかった。
しばらくすると包括支援センターの職員から電話があった。市の介護保険課から検査のための職員が派遣されていくことになった。その日時をあけて置いてくれということだった。その検査の前日、初めて聞く女性の声の電話があった。「私は市の介護保険課の者です。翌日、午前9時に伺います。家の前に車を置くことは可能ですか」というような電話であった。一切の無駄を省いた事務連絡だった。
 翌日、私たち夫婦は食事を済ませ、玄関の広間に座布団を用意し、待っていた。市から派遣された検査職員は午前9時丁度、我が家のチャイムが鳴った。てきぱきとした化粧気のない女性がそそくさと靴音高く、やって来た。彼女は私に名刺を出し、介護保険申請を受け、検査に来たことを説明し、私の病状を聞き、脳梗塞視野欠損の状況は医者の方から診断書が出ているのか特に詳しく聞かれることはなかった。ただ日常生活で今までできていたことでできなくなったことはないかということを聞かれた。私は特に困っていることはないが、以前と比べてとても疲れやすくなったという事を説明した。手を広げて下さいと言われ、手を広げ、握る事を確認され、足の指の爪を自分で切ることができるかと問われた。確かに足の小指の爪を切ることに難儀していることを説明した。同じような事を妻にも質問していた。
 検査員からの質問を受けていると包括支援センターの職員がやって来た。特に市から派遣されて来た検査職員と知り合いの仲ではないかと思っていたがそうではなかった。包括支援センターの職員と市から派遣されてきた検査職員は初対面であったようだ。検査員がいろいろ私たち夫婦に質問している間中
一言も発することはなかった。
 小一時間近く、質問を受け、検査員がノートし終わるとこの後、審査があります。今度の審査は一ケ月後だからその後、連絡しますと言って帰って行った。その後、包括支援センターの職員は二人とも居残り、介護保険適用を受けた後の事について説明があった。ケアマネージャーを決め、介護支援の業者にお願いすることになると説明であった。