醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1362号   白井一道

2020-03-25 07:35:29 | 随筆・小説



   
徒然草第186段吉田と申す馬乗りの申し侍りしは



原文
 吉田と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎にこはきものなり。人の力争ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先づよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡(くつわ)・鞍(くら)の具に危(あやふ)き事やあると見て、心に懸る事あらば、その馬を馳(は)すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ、秘蔵の事なり」と申しき。

現代語訳
 吉田という馬乗りが言っていることによると「馬にはそれぞれ怖いものがある。馬と人の力で争ってはならないということを知らなければならない。乗らなければならない馬の場合は、まずよく見て、強い所と弱い所を知るべきだ。次に轡・鞍の具に危険な所を見つけ、不安に思う所があるならば、その馬に乗って走らせることをしてはならない。この用意を決して忘れることがない人を馬乗りと言う。これ、秘訣のことだ」と言っている。

 我が闘病記16  白井一道
 歩くことが良いこと、女性の医師に言われていた。体重を落とすね、とも言われた。今までも何回も医師に言われ続けて来たことだ。40代の中ごろのことだった。私は意を決して、ダイエットに取れ汲んだことがあった。その時の方法は油を食べないという方法を取った。体重計を買い求め、毎日体重計に乗り続けた。三ヶ月ぐらいすると体重が減り、体が軽くなったような気がした。一年もすると10キロぐらいの減量に成功した。それで安心したのか、お酒を飲むと食欲が刺激され、食べ始めた。食べ物が美味しくて止められない。仕事の帰り道、馴染みの居酒屋もできた。居酒屋で知り合った仲間との話に息がつく。さらに家に帰り着いては夕食もとった。見る間に体重は徐々に増え始め、半年もすると元の木阿弥80キロに迫る体重になっていた。ダイエットに取り組んだことの鬱陶しさから解放され、好きな物を好きなだけ食べられる楽しさを我慢するアホらしさが身に沁みて感じられた。この間、特に体に異常が感じられる訳でもなかったからである。その後、ダイエットに取り組むことなく、退職を迎えた。
 脳梗塞という病を得て、米の飯は150グラム。みそ汁の塩分は少なくする。肉は基本的に食べない。魚は青魚、野菜中心のおかず、海苔やワカメの海藻類など中心の食事、これらの食事を美味しく食べられる。ダイエットした時のような苦しみを感じることが少しもない。入院中も退院間近の頃、看護師さんが来て、体重を測られたことがあった。75キロぐらいで特に体重が軽くなることもなかった。しかし退院後、みるみる体重が減っていく。ダイエットしているわけでもないのに、体重が軽くなっていく。この間、体重計に乗る事はなかった。それにもかかわらず、私の体重は減っていった。
 150グラムの米の飯、一日一回、朝食だけ、いただく味の薄い味噌汁、漬物は一切食べない。漬物は食べたいと思わない。もともとそれほど好きな食べ物でもなかった。焼きのり、納豆、大根と人参の紅葉下ろし、トマトなどが朝食である。それらを美味しくいただくことができる。身長も一センチぐらい、縮んだようだ。
 これらの食事の用意を自分ものは自分で用意するようになった。私の職務はみそ汁の出汁取りから具の準備まで、みそ汁作りは私の職務である。米砥ぎは退職後、いつの間にか私の職務として定着してしまっている。家内は毎朝、薄塩の塩鮭を食べる。この魚焼きも私の仕事として定着している。妻はそれが当然であるかのような顔をしている。少し焦付きがあろうものなら、不服そうな顔をして今日はこんがり焼きネなとど口にする。脳梗塞を患った夫に対する労いのようなものは何もない。
 昼食は、食パン4枚、牛乳をカップに一杯半ぐらいとバナナを一本の半分だけである。それ以上食べたいとも思わなくなったし、空腹を感じることもない。夕食は鰤の切り身を焼く。この仕事も私がする。二週間に一回ぐらい、豚肉を食べ、三、四週間に一回ぐらい牛肉を食べる。お酒は一切飲むことが無くなった。病を得る前までは毎日、日本酒を一合から二合ぐらい飲んでいた。特に日本酒にこだわって私は飲んでいた。お酒は百薬の長であると今でも思っているが飲みたいという気持ちにならない。医者の言う所によると一合ぐらいはいいのではないかと言っているが飲みたいという気持ちが湧いてこない。不思議なものだ。酔いの楽しみはなぜか遠い昔の思い出になってしまっている。