醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1342号   白井一道

2020-03-01 10:41:35 | 随筆・小説



    徒然草第166段 人間の、営み合へるわざを見るに

原文
  人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。

現代語訳
 人間が築き上げた技を見ると、初春の暖かな日に雪仏を造り、そのために金銀・珠玉の飾りを付け、お堂を立てようとすることに似たものだ。その構えは良く安置してあるかに見えるが。人の命はまだまだあると思っていても足元から溶け消えていく雪のようなものに励んでいることが実に多い。

 信仰を説いたことが宗教を大衆化した 白井一道
歎異抄第三章「第三条」
原文
 一 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世 のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。 この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむ けり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむここ ろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のここ ろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を とぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなる ることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、 悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往 生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰 せ候ひき」。

現代語訳
 善人でさえも浄土に往生できるのだから、悪人が浄土に往生できないはずがない。 ところが、世間の人たちは、「悪人でさえ往生できるのだから、善人が往生 できないわけがない」と言う。この考えは、正しいように思えるが、 阿弥陀さまの本願、つまり本願他力の考えではない。その理由は次のようなものだ。自力作善の人、善い行いをして、修行を積み極楽往生を遂げようとしていることは、他力に頼る心が欠けているからだ。そのような心であっては阿弥陀仏への信心がないということなのだ。しかしながら、自力の心を翻し、阿弥陀仏にすがろうという気持ちになり、他力を信ずる心にさえなるなら、真実報土への往生を遂げることができよう。 煩悩の塊みたいな私たちは、どんな修行をしてみたところで解脱はできない。煩悩具足の私たちは修行も十分できなければ、学ぶこともできない。ただひたすら本願他力を信仰する者を阿弥陀仏は極楽への往生を約束してくれるのだ。煩悩具足の塊だと自覚できる者こそ本願他力を信ずる気持ちは強い。このような強い信仰心を持つ者こそが極楽への往生を遂げないはずがなかろう。「善人でさえものが往生できるのであるなら、悪人が往生しないはずがない」と言うことだと、親鸞はおっしゃいました。
信仰↓極楽往生  法然、浄土宗、親鸞、浄土真宗

マルチン・ルターの宗教改革
 アイスレーベンの農家の家系に生まれたルター。農夫から経営者に転身した父ハンスは息子にも学問の道を選ばせた。ルターは父の期待通り当時の大都市エアフルトで教養学を修める。しかし、法律を学び始めた22歳の夏、帰省旅行の道中で雷雨に遭遇。稲妻とともに投げ倒され、死の恐怖を味わったルターは「聖アンナ! 私は修道士になります、お助けください!」と叫ぶ。当時は聖人を通して神に祈ることが普通だったのだ。激怒する父や止める友人らをよそに、ルターはアウグスティヌス修道院の修道士になり、聖書研究に打ち込みはじめた。
すべての人に聖書を
ラテン語だけでなく、ギリシャ語やヘブライ語にまで遡って聖書を読んだルターは、教会や聖人を通さずとも、人は誰でも聖書を読むことで、神に直接祈り、神の慈悲を受けることができると説いた。そのためには聖書をラテン語から民衆の言葉であるドイツ語に訳す必要性を痛感。後に出版したルター訳の聖書はその後近代ドイツ語の統一に影響を与える。また、聖書の理解には時に歌いながら祈ることも大切と考え、簡単なドイツ語の賛美歌(Choral)を作り、自らリュートを演奏して歌った。日本でも有名な「神はわがやぐら」はよく知られる1曲だが、ナチスの行進曲に利用された暗い歴史もある。
95か条の提題
聖書に書いてあることを信ずるべきだと確信したルターは、修道士の立場で当時濫用されていたカトリック教会の贖宥状制度を批判する。教会は自ら変わるべきだと主張した。この主張を1517年ヴィッテンベルクの教会の門に掲げた。これが「95か条の提題」といわれるものである。一方、カトリック教会はルターに自説を撤回するよう迫る。これを拒否したルターは1521年、ついに教会を破門される。同年ヴォルムス帝国議会で神聖ローマ皇帝カール5世に召喚を受けるが、ここでも自説の撤回を拒否し、帝国追放を宣言される。その帰り道、ルターを支持していた有力諸侯の一人、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(賢公)に保護され、居城であるヴァルトブルク城にて新約聖書のドイツ語訳を完成させる。こうして聖書をドイツ民衆のものにした。
ウィキペディア参照