醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  359号  白井一道

2017-03-31 14:21:47 | 随筆・小説

 「さび」とは

華女 芭蕉の俳句というと「さび」とか「わび」とかを詠んだ俳人というイメージがあるでしょ。「さび」とは、何なのかしら。
句郎 句の「さび」とは、いかなるものかとの問に芭蕉の弟子の去来は答えているんだ。
華女 何と答えているの?
句郎 「さびは句の色也」と『去来抄』の中で書いている。
華女 句の色とは、何。句に色なんてないわ。
句郎 去来は続けて書いている。「閑寂なるをいふにやあらず。たとえば老人の甲冑を帯し、戦場にはたらき、錦繡をかざり御苑に侍りても老の姿有るがごとし。賑やかなる句にも、静かなるにもあるもの也」とね。
華女 「さび」とは、閑寂なことじゃないの。「古池や蛙飛び込む水の音」の句は、閑寂な「さび」を表現した句じゃないの。
句郎 「古池や」の句は確かに静かさを表現した「さび」の句じゃないかと思う。しかしこのような静かな句だけではなく、「賑やかな句」にも「さび」はある言ってる。
華女 賑やかとは、老人が甲冑を身にまとい、戦場で華々しく活躍するようなことかしら。
句郎 そう、錦繡をかざり御苑に花見をしてもそこに老の姿が表現されているなら、それが「さび」ということなんじゃないかな。
華女 「老の姿」とは、白髪とか、皴、しみ、曲がった腰と言う事なの。
句郎 もちろん、そういうことなんじゃないかな。
華女 そんな老の姿が「さび」ということには、ちょっと抵抗感があるわ。
句郎 そうだよね。でもせっせっと働く老いた農夫、無駄のない身のこなし、やさしさに満ちた皴の中の笑顔、若者の中にあっても圧倒的な存在感のある老人、こうした「老の姿」に「さび」があるということなんじゃないかな。
華女 なるほどね。確かにそんな老人はいるわね。
句郎 そんな「老の姿」がイメージできる句が「さび」を表現した句だということなんじゃないのかな。
華女 具体的にはどのような句があるかしらね。
句郎 「花守や白き頭をつきあわせ」。この去来の句を師の芭蕉は喜んで「寂色よく顕れ、悦べると也」と『去来抄』にある。
華女 「花守や白き頭をつきあわせ」の句の季語は「花守」かしら。
句郎 季語は「花守」。桜の花を管理する人のようだ。元禄のころ、謡曲『嵐山』が流行った。「花守」という言葉を聞くと謡曲「嵐山」を想像したという。桜花爛漫とした嵐山の中でひっそりと健気に働く花守の老夫婦の姿が瞼に浮かんだようなんだ。大堰川の流れと風の音だけの「寂しさ」が「花守」という言葉にはあったみたいだよ。
華女 「花守や白き頭をつきあわせ」。この句に「寂び色」があるのね。
句郎 「寂び色」とは、使い込んだ煙管の寂び色みたいなものじゃないかな。だから「老の色」なんだ。いぶし銀の輝きなんだ。老俳優の名演技にいぶし銀の輝きがあるように、嵐山に働く花守の老夫婦にもいぶし銀の輝きのような日常生活があるに違いない。そのような老夫婦が表現されている句には「寂び色」があると芭蕉は述べてくれたと去来は言っている。