民主主義とはなんだ
シールズを名乗った若者たちが国会を取り囲みシュプレヒコールをあげた。「民主主義ってなんだ。これだ」。2015年9月19日未明、「安保法制は怒号の中で成立した」と安倍政権は高々と言った。このシーンをテレビは映像を放映した。新聞も書いた。しかしシールズの学生たちが国会を取り囲み、「安保法制反対を唱えたシュプレヒコール」やデモを大手メディアはどれだけ報道したのだろうか。何年か前のことである。「ニュース深読み」という番組をNHKは放映していた。途中から見ていると反原発デモのことになった。司会をしている小野アナウンサーが「NHKや民放も反原発デモを報道しなかったのはどうしてなんですか」とNHK解説委員に問うた。私は身を起こし、テレビの画面に集中した。「全く報道しなかったわけではないんです。『クローズアップ現代』という番組では報道したんです。これだけ情報があふれ、さまざまなできごとがある中で反原発デモを報道すべきかどうか判断ができなかった」。このような発言をNHK解説委員はした。この解説委員の発言を聞いて当たり前のことに気が付いた。ニュースとはNHKが報道すべきだと考えた出来事がニュースとして報道されているということだ。
世界や日本で起きている出来事の中でNHKが報道するに値すると判断したものだけがNHKのニュースになっている。私たちは日々何を報道すべきかという判断をされたニュースを聞き、読み見ている。お金を払って誰かが判断した情報を得ている。報道とは客観的なものだという先入観がなんとなくあるが報道とは主観的なものなんだとあらためて実感したNHK解説委員の発言だった。
今からおよそ百六十年ほど前に「その社会の支配的な思想はその社会の支配的な階級の思想である」と三十代のマルクスは書いている。日々私たちが聞き、見、読んでいるものは現代日本社会の支配的な人々のものの見方であり、感じ方であり、考え方なのだ。
日本は民主主義の国だ。こう新聞やテレビなどのマスコミの人々は言う。だから民主主義国とは国民一般の人々の意見が反映された政治が行われている国だと思ってしまう。しかし違う。国民の意思とは現代日本社会で支配的な人々の意思のことなのだ。現代日本社会の「民主主義」とは現代日本社会で支配的な人々の意志に基づいて行われている政治体制のことを意味しているのだ。
八月二十二日、野田首相は反原発デモの代表たちの要求書を直接受け取った。この出来事を代表者の一人が「民主主義の再稼動」と言った。この言葉を聞いたとき私は感極まってしまった。思わず涙が出てしまったのだ。
日本社会の一般国民の意志に基づいた政治をしろ、と要求している。これが民主主義なのだ。小熊英二という歴史学者は日本歴史始まって以来の画期的できごとだといった。それに対して橋下大阪市長は「社会にはルールがあり、一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではないと思う。とにかくデモをやれば民主的なルールをすっ飛ばせるというのは違うと思うし、直接会えば原発問題が解決するという話ではないと思う」と発言した。
橋下には一般市民が首相に政治的要求することは民主的なルールをすっ飛ばすことのようだ。アメリカが年次改革要望書を日本に突きつけてくることは民主的ルールをすっ飛ばすことになるのかどうか、聞きたいものだ。日本の経団連会長がTTP加入を政府に要求するのは民主的ルールをすっ飛ばすことなのか、どうか聞きたいものだ。橋下には多数の国民大衆が政府に要求を突きつけることは民主的行為ではないようだ。