子どもは教育を要求する権利がある
教育は権利だ。学校制度が始まる前から教育は権利だった。人間の歴史が始まって以来、教育は権利だった。しかし人類誕生以来、現代社会に到るまで権利としての教育は実現していない。
日本にあっては明治五年学制が発布され、教育の対象を「子供」とした。このことは日本の歴史における「子供」の発見であった。教育の対象として子供が「子供」になった。それまでの江戸時代にあって教育は私事であった。武家は武家として私事として行われていた。公家の場合も町人の場合も同じだった。公共のものとしての教育は存在しなかった。
日本にあっては明治維新によって法治主義による政治が行われるようになった。明治期の法治主義はまだまだ法の支配としては不十分なものであったが、それまでの人による支配から法が支配する社会に向かって歩み始めたことは事実である。
公共のものとしての空間が実現したのだ。
国民を対象とした公共のものとしての教育、公教育制度が実現した。この公教育制度の始まりは、また権利としての教育の始まりでもあった。しかしまだまだ権利としての教育は潜在的に可能態として存在しているに過ぎなかった。
本来教育は権利であるはずなのに明治時代に実現した教育は義務であった。法治主義が阻んだのだ。法律が教育を義務と定めたのだ。これは教育を歪めるものであった。本来権利であるものを義務とするのだから本末が転倒することになる。
第二次世界大戦後、全世界の大勢に従って自然なものが自然なものとして認められる世界になった。教育が権利であることが誰でもの常識として憲法の中に規定された。さらに教育基本法において権利としての教育が実現した。法の支配が前進したのだ。潜在的に可能態として存在していたに過ぎない権利としての教育が現実態に向かって大きく前進したのだ。しかしここでもまた権利としての教育実現を阻んだのは法治主義だった。細かな法律を制定しては義務としての教育の延命を図ったのだ。
敗戦後一九五〇年代くらいまでは権利としての教育実現運動が実を結んでいったが一九六〇年代になると徐々に権利としての教育を阻む勢力が力をつけ、教育を歪め始める。
具体的にいうなら学習指導要領の法的拘束性であろう。具体的に実現不可能なことを強制する。これは教育を歪める。なぜなら教育ではないものを教育しようというのだから教育を教育ではないものにしてしまう。
たとえば二〇〇二年に改定された新学習指導要領では「国を愛する心情」の育成が小学六年生・社会科における学年目標の一つに加わった。「国を愛する心情」の育成など教育ではない。なぜなら「国」とは何か。これが不明である。その「国を愛する心情を育成」するとは具体的にどのようなことを意味するのか、不明である。そもそも教育ではないものを教育しようというのだから教育を歪めることになる。法治主義によって教育を歪める。教育を教育ではないものにしてしまう。はっきり言うなら権力機構を国と言い、その権力機構を愛するとは権力者の言うことを何でも素直に聞くということか。そんなものが教育なのだろうか。そんなはずはなかろう。