醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

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2017-02-04 10:47:56 | 随筆・小説

恋猫の恋する猫を押し通す  永田耕衣

句郎 二月というと恋猫の季節だね。
華女 嫌な鳴き声だわ。煩くて。
句郎 押し止められないような激しい鳴き声かな。
華女 体の奥深くから噴き出してくるような激しく暴力的な鳴き声よね。
句郎 永田耕衣の句に「恋猫の恋する猫で押し通す」と言う句は、恋猫を実にうまく表現していると思うな。
華女 そうね。季語「恋猫」を表現しようとすると俗っぽくなりがちよね。それを耕衣は真正面からとらえて表現していると思
うわ。
句郎 終戦直後の昭和二十一年雑誌『世界』に桑原武夫が俳句「第二芸術論」を発表した。この出来事は俳句会大きな打撃を与えたようだ。
華女 「第二芸術論」とは、どのようなものだったの。
句郎 桑原武夫は息子の国語の教科書に載っていた俳句を見て、疑問に思ったことが発端だった。
華女 桑原武夫とは、何をしていた人なの。
句郎 京都大学のフランス文学の先生だった。スタンダールの小説を翻訳し、日本に紹介した文学者だった。幅広く文芸評論をし、大きな影響力をもっていた人なんだ。
華女 桑原武夫は俳句を何だと言ったの。
句郎 俳句は菊人形と同じような第二芸術だと言った。一級の文学ではないと主張したんだ。
華女 それはひどいわ。当時の有名な俳人たちは反論しなかったの。
句郎 「俳句は芸術でしたか」と高浜虚子はきょとんと笑っただけだったようだ。
華女 正々堂々と反論すればよかったのにね。
句郎 その時、永田耕衣が詠んだ句が「恋猫の恋する猫で押し通す」だった。
華女 分かる気がするわ。
句郎 桑原武夫に対する反論になっているかもしれないよね。
華女 そうよ。恋猫が恋するように俳人は俳句を詠まずにはいられない。そういうことよね。人からあれこれ言われることはないわと言うことよね。
句郎 そうなんだ。余計なお世話だ。芸術であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。俳句は俳句として自立した文芸として認めてくれている人々がいてくれたらそれでいいじゃないか。なにも自慢しているわけじゃないんだから。
華女 そうよね。
句郎 だから永田耕衣のこの句は根源俳句だといわれているようだ。
華女 根源俳句ね。なるほど。分かるわ。
句郎 恋猫が恋するのは生の根源であるように俳人が俳句を詠むのは俳人の生の根源にあるものだということなのかな。
華女 誰にとっても自分が感じたことを絵や音、文章で表現したいという欲求があるということなのよね。
句郎 「恋猫の恋する猫で押し通す」。ぼくにとっちゃ、憧れかな。社会の中にあっちゃ、「恋猫の恋する猫で押し通す」ことなんてできないからね。
華女 「鞦韆はこぐべし愛は奪うべし」なんてできないということよね。
句郎 そうかな。そんなことしたら家族や社会が壊れてしまうことがあるからね。自制しなくちゃ社会は成り立たない。でも人間の根源的な要求が疎外されるようなことがあった時には恋猫の恋する猫になることもある。