醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  314号  白井一道

2017-02-05 12:29:35 | 随筆・小説

 立春の米こぼれをり葛西橋 波郷

句郎 「立春の米こぼれをり葛西橋」。誰の句だか、知っている?
華女 知っているわよ。波郷の句でしょ。
句郎 波郷の代表句の一つのようだけれど、どこがいいのか、分からない、そんな感じがしない。
華女 そうよね。ただごとのように感じてしまうわ。
句郎 石田波郷というと俳句に興味を持っていない人ですら知っている有名な俳人の一人でしょ。
華女 そうね。そうよ。境涯俳句を詠んだ代表的な俳人だったんじゃないのかしら。
句郎 境涯俳句というと貧苦と病苦を詠んだ暗そうな句だというイメージがあるなぁー。
華女 そうよね。米粒が葛西橋の上に落ちているのに気が付くなんて貧しい生活をしている者の感覚なのかもしれないわ。
句郎 波郷がこの句を読んだのは昭和二一年のことだったようだ。だから戦争直後のことだったから、国民すべてが貧しい生活を強制されていた時代だったのかもしれない。
華女 国民すべてが貧しかったのね。そんな時代を経験することなく育った私たちは幸せよね。
句郎 だからこの句の良さが伝わってこないのかな。
華女 それは想像力の問題なんじゃないの。
句郎 「立春の米」だからもう収穫が終わって三・四カ月たっているから備蓄米もそろそろ枯渇してくるだったのかもしれないなぁー。
華女 戦争直後のことだから、米の収量も今と比べたら驚くほど少なかったのかもしれないわ。
句郎 そうかもしれないなぁー。そういう時代状況を知った上でこの句を読んでみるとこの句が語り始めるかもしれない。
華女 葛西橋、江東区よね。下町ね。人通りの多い、ゴミゴミ街通りと汚れた川がイメージに浮かぶわ。
句郎 そこに白米の米がこぼれ落ちていた。その米に安らぎのようなものを感じたのかな。
華女 日差はあったでしようけれど、風が冷たかったのじゃないかしら。
句郎 立春、春が来たと実感したんじゃないかな。
華女 そうよ。待ちに待った春、それは平和よ。
句郎 安心かもね。
華女 安心していなれるということが平和だということよ。
句郎 米が葛西橋にこぼれ落ちているなんて、なんて平和なんだという喜びの句なのかな。
華女 そうよ。平和を詠んでいるのよ。
句郎 戦争を知らない世代からな、
華女 句郎君は戦中に生まれているんじゃないの。
句郎 戦中と言ってもほとんど記憶に残っているのは戦後の生活難の時代の印象しか残っていないよ。
華女 爆弾を落とされる恐怖のようなものは全然経験していないものね。
句郎 波郷は戦争体験者だからね。その上、病を得て闘病生活が長かったようだから、波郷にとって俳句を詠むことは生きることでもあったのかもしれないなぁー。
華女 きっとそうよ。波郷は結核患者だったんでしょう。
句郎 当時、結核は死の病だったんだろうからね。死に直面する毎日の生活の中から波郷の境涯俳句が誕生したんだろうね。生きたい、もう少し長生きしたい。この気持ちを俳句に詠んだんだろうな。そこに波郷の句がある。