醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  326号  白井一道

2017-02-26 12:18:14 | 随筆・小説

 老いて病の話とは、ねー

 年取ると病気の自慢をするという。私たちもそのような歳になったのかもしれない。
 今でもケーブルテレビの人気番組「必殺」に出ている俳優の藤田まことが大動脈瘤破裂で亡くなって久しい。私とほぼ同世代といってもいい立松和平も亡くなって久しい。当時の新聞に発表された死因は多臓器不全であったが、本当の死因は大動脈瘤破裂であったという。昨日まで元気に動き回っていた人が突然亡くなる。そのような激烈な死因となる病が大動脈瘤破裂というものである。古くは司馬遼太郎、河野一郎の死因が大動脈瘤破裂であった。
 友人のNさんは同じ疾患を持っていた。Nさんは七・八年位前健康診断で動脈に小さな瘤ができていることを医者から告げられた。当分特に治療の必要はないが、経過を見てくださいと言われた。半年にいっぺん通院し、瘤の経過を観察した。瘤は年々大きくなった。一年で数ミリ大きくなる。瘤の直径が5センチ以上の大きさになると破裂の危険性があるといわれている。Nさんの大動脈の瘤の大きさが去年の暮れに危険域に達した。手術が必要だと忠告された。現在手術の成功確立は100%だという。手術の心配はないが、いつ破裂しても不思議はない状態だといわれた時は幾分嫌な気持ちがしたという。痛くも痒くもない。何の自覚症状もない。突然ある日、爆発が起きる。そのような病なのだ。「沈黙の殺人者、サイレントキラー」といわれる所以である。動脈からの大量出血が死に至る。藤田まことは体型から見るとメタボじゃなかった。体の動きは若々しかった。しかし体の中は老いていたのかもしれない。この病の原因は動脈の血管が硬くなり、伸び縮みしなくなる。血管が血圧に耐え切れなくなりからの出血が直接的な死因である。
 立松和平は六二歳で亡くなった。元気そのもののように見えた。腹部の動脈に瘤ができていた。それに気がつかなかった。それが命取りになった。年を取り血管の中にゴミがたまる。そのゴミが堅くなる。血管が細くなる。血液を体の隅々まで送り出すためには血液を送り出す圧力を強くしなければならない。血液が体の途中で詰まってしまうと手が痺れたり、足の先が痺れたりする。すぐまた血が流れてきて痺れは瞬間的なもので終わる。すぐ治まる。だから気にしない。そのようなちょっとした体からの情報に重大な情報があるのかもしれない。Nさんは体に気をつけ、注意を払っていたので、無事だった。手術も今は足の付け根にある動脈から道具を入れ瘤の根本を切り、そこに蓋をする。カテーテルとおなじような手術のようだ。このような治療をステントグラフト療法という。Nさんはこのような手術をした。切り取った瘤はそのまま放置する。数日間の入院で退院できる。野手さんは無事退院し、数日間傷口が痛んだが、元気を回復した。Nさんは自分の体の中の状況を知っていた。だから助かった。私たちは病気の自慢をするよりも自分の体からの情報を受け取る能力を身につけることが元気・長生き・ポックリの人生を送ることができるのかもしれない。自分の体を知ることによって残された人生を知ることができればきっと命は輝くに違いない。
 余命を健康に過ごすためには精神的に元気であることが体の健康をもたらすという。それには適度なお酒を楽しむことが一番ではないかと思うがいかが。