土日どうでしょう?

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関山峠

2009-11-07 19:04:06 | ろ~れんじ2009

\(^=□=^)/ち~~す今日は天気がよろしくて良かったですね~なんか朝っぱらから槍烏賊のなんか来てましていいな~~~と思いつつも・・・・何分収入と支出のバランスが崩れている今月・・・・ボーナスでないと厳しい現実が待ってます・・・。。明日も良さそうで良かった良かった明日は大事な用がありますんで・・・・・。。

え~今月の市報にですね興味深い事が載っていたので・・・全文をそのまま・・・・

旧関山隧道

旧関山隧道が今年2月に、近代化産業遺産の認定を受け、4月、県庁で授与式が行われた。授与されたのは、社団法人関山愛林公益会で、この公益会は、昭和31年の発足以来、一貫して旧関山隧道と旧道を守り、関山の山林を管理している。その努力の継続性概算の認定になったと私は思っている。<o:p></o:p>

関山峠の新道開削事業が始まったのは、明治13年6月。関山村の戸長であった村山和十郎が、山形県令、三島通庸に協力に働きかけ、東根の若宮八幡神社で起工式を行ったのが、6月25日の事であった。<o:p></o:p>

ところが工事を始めた早々、大事故が発生する。7月21日、作並から峰渡りして、小屋の原にあった作業小屋に、開削用の火薬を運ぶため、関山衆100人ほど動員されていた。その途中、坂ノ下で休憩中、ふとした過失で火薬が爆発し、23人の命を奪った。40箱の火薬に誘発するなど、実にすさまじい惨事であった。その「関山街道開削殉難之碑」が、大滝の地にある。<o:p></o:p>

また開削費徴収反対運動もあったが、これらを克服して関山隧道と新道が完成したのは、明治15年11月3日。その竣工祝賀式で、福島県令となった三島通庸が、<o:p></o:p>

関山の木の根岩道開くるも<o:p></o:p>

君の恵みあればなりけり<o:p></o:p>

という歌を和十郎に贈った。三島は、和十郎を君と呼ぶほど、親しい仲であった。<o:p></o:p>

この新道開発によって、旅客や荷物運送などの人力車や馬車で、押すな押すなの賑わいだったという。<o:p></o:p>

しかし、関山新道の繁栄も明治34年、奥羽本線の開通により、旅客や荷物運送も汽車に奪われて、急速に衰退する。<o:p></o:p>

時代は大きく変わり、自動車の普及により、再び関山街道の利用は拡大する。現在残っているコンクリートの隧道は、昭和12年に完成したものである。また、国道48号の新トンネルは昭和43年に開通しているので、旧関山隧道と街道には87年の歴史が存在することになる。<o:p></o:p>

文:大江権八氏  絵:横尾秀夫氏<o:p></o:p>

出ましたみっちーw 私は気になる方です~この村山和十郎さんは新得町開拓の先人だそうで・・・それにしても昔の人は難儀されたんですね~その当時の事を思いながら・・・・・・・(☆。☆) キラーン!!

♪~( ̄ε ̄;)今日はここまで次回は・・・・なんだろ?


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