民主党批判ばかりの日記が増えている。
公共事業大幅削減のマニフェスト、補正予算執行停止など、「アンチ建設業」の政策ばかりを打ち出しているので、反論せざる得ない。
全国で50万社以上、600万人近くの雇用が建設業であるのに、その人々を恐怖と不安に陥れているのだから、「はい、そうですか」と簡単に同意できるわけもない。
言いたいことは山ほどあるが、どうにもこうにも旗色が悪い。800兆円以上の国債残高、欧米と比べて高い公共事業予算、無駄と称され何もかもが否定される大型事業。。。
まあ、それぞれにこちらとしても反論はあるのだが、暴力的なマスコミと民主党の「公共事業悪役論」に抗う元気も出なくなる。
しかし、建設業削減の雇用を農林業で吸収するという、民主党の政策には反論せざるえない。
今現在、なぜ農業と林業が衰退してしまった理由を考えて欲しい。日本の工業製品を輸出するために、海外から安い木材、食料品を輸入してきた歴史がある。そんなことは誰でも知っている。
その結果、田舎で一次産業に従事する人々がどんな生活を余儀なくされてきたか。。。
私の実家は水田農家だった。ピーク時には8ヘクタールの土地があった。米価は60キロ当たり2万円近くまで行ったことがあったように父親から聞いている。それが今は1万円を切り6-7000円というレベルだと思う。
そんななか、規模拡大を国から求められ、借金ばかりが増えていった。田舎では、経営破たんし自殺に追い込まれた近隣農家が幾人もいた。
当家も生活が苦しかった。
父親は、私の学費を捻出するため、兄弟に借金をし、農協にも借り入れた相当あった。
そして、減反政策だ。
つくる意欲を損なわれ、はした金で細々と転作を強制された。
両親は、かぼちゃ、とうきびなど、手間隙がかかる野菜づくりを余儀なくされた。市場に出荷してもたいした稼ぎにもならなず、腰を痛めた。
それでも稼ぎを救ってくれたのが、建設業だった。父親は少しでも時間があれば、土方に出て行った。
農業で食えない分を建設業が補っていたのが地方だったのだ。
しかし、建設業の仕事もどんどん減っていった。
過酷で儲からない農業に見切りをつけた町はどんどん過疎化していった。ピーク時には9000人近くいた人口は、今では3000人だ。
子供も一学年150人いたのが数名しかいなくなった。
まさに限界集落寸前だ。
ここにどうして、雇用が生まれるというのだろう。
多少の戸別補償があてがわれようと、それは生きがいとはならないし、大きな雇用の場となるわけもない。
さらに、今の農業は機械化が進み、少人数で営農するように変わっている。
私は、日本がある程度低い失業率でおさまり、治安がよく、総中流家庭を形成できたのは、批判があろうと「土建国家」を築いてきたおかげだと思っている。
勉強ができなくても、一生懸命働く姿勢さえあれば、いい車にも乗れるし、家も買えた。
そうした国の安定をもたらしてきたのが公共事業なのだ。
だが、一部のエリートは、落ちこぼれや地方を切り捨てようとしている。雇用の受け皿を消失させようとしている。
その傲慢なやり方、論理にはどうにも我慢がならない。
それは「国を安定運営」するということを、放り出すことなるのだ。
無駄は誰にとって無駄か。そのことをしっかり考えて欲しい。
財政面からは、何も公共事業だけが浪費してきたとはいえない。天下りに代表されるような巨大な行政の肥大こそが諸悪の根源だと私は思っている。特別会計含めて200兆円超えるような予算にこそ、メスを入れるべきだ。
この問題は、民主党政権になって、国民の選挙結果だからといって、簡単に受け入れられるものではない。実際、知事会や全国の議会からも民主党の横暴ともいえるやりかたに強い批判が出始めている。
一気に大変革するのは、大きな混乱をもたらす。日本国民は確かに変化を求めたが、生活を壊されることまではのぞんでいない。
しっかり万人の声を聞き、政策に反映させるべきだ。
公共事業大幅削減のマニフェスト、補正予算執行停止など、「アンチ建設業」の政策ばかりを打ち出しているので、反論せざる得ない。
全国で50万社以上、600万人近くの雇用が建設業であるのに、その人々を恐怖と不安に陥れているのだから、「はい、そうですか」と簡単に同意できるわけもない。
言いたいことは山ほどあるが、どうにもこうにも旗色が悪い。800兆円以上の国債残高、欧米と比べて高い公共事業予算、無駄と称され何もかもが否定される大型事業。。。
まあ、それぞれにこちらとしても反論はあるのだが、暴力的なマスコミと民主党の「公共事業悪役論」に抗う元気も出なくなる。
しかし、建設業削減の雇用を農林業で吸収するという、民主党の政策には反論せざるえない。
今現在、なぜ農業と林業が衰退してしまった理由を考えて欲しい。日本の工業製品を輸出するために、海外から安い木材、食料品を輸入してきた歴史がある。そんなことは誰でも知っている。
その結果、田舎で一次産業に従事する人々がどんな生活を余儀なくされてきたか。。。
私の実家は水田農家だった。ピーク時には8ヘクタールの土地があった。米価は60キロ当たり2万円近くまで行ったことがあったように父親から聞いている。それが今は1万円を切り6-7000円というレベルだと思う。
そんななか、規模拡大を国から求められ、借金ばかりが増えていった。田舎では、経営破たんし自殺に追い込まれた近隣農家が幾人もいた。
当家も生活が苦しかった。
父親は、私の学費を捻出するため、兄弟に借金をし、農協にも借り入れた相当あった。
そして、減反政策だ。
つくる意欲を損なわれ、はした金で細々と転作を強制された。
両親は、かぼちゃ、とうきびなど、手間隙がかかる野菜づくりを余儀なくされた。市場に出荷してもたいした稼ぎにもならなず、腰を痛めた。
それでも稼ぎを救ってくれたのが、建設業だった。父親は少しでも時間があれば、土方に出て行った。
農業で食えない分を建設業が補っていたのが地方だったのだ。
しかし、建設業の仕事もどんどん減っていった。
過酷で儲からない農業に見切りをつけた町はどんどん過疎化していった。ピーク時には9000人近くいた人口は、今では3000人だ。
子供も一学年150人いたのが数名しかいなくなった。
まさに限界集落寸前だ。
ここにどうして、雇用が生まれるというのだろう。
多少の戸別補償があてがわれようと、それは生きがいとはならないし、大きな雇用の場となるわけもない。
さらに、今の農業は機械化が進み、少人数で営農するように変わっている。
私は、日本がある程度低い失業率でおさまり、治安がよく、総中流家庭を形成できたのは、批判があろうと「土建国家」を築いてきたおかげだと思っている。
勉強ができなくても、一生懸命働く姿勢さえあれば、いい車にも乗れるし、家も買えた。
そうした国の安定をもたらしてきたのが公共事業なのだ。
だが、一部のエリートは、落ちこぼれや地方を切り捨てようとしている。雇用の受け皿を消失させようとしている。
その傲慢なやり方、論理にはどうにも我慢がならない。
それは「国を安定運営」するということを、放り出すことなるのだ。
無駄は誰にとって無駄か。そのことをしっかり考えて欲しい。
財政面からは、何も公共事業だけが浪費してきたとはいえない。天下りに代表されるような巨大な行政の肥大こそが諸悪の根源だと私は思っている。特別会計含めて200兆円超えるような予算にこそ、メスを入れるべきだ。
この問題は、民主党政権になって、国民の選挙結果だからといって、簡単に受け入れられるものではない。実際、知事会や全国の議会からも民主党の横暴ともいえるやりかたに強い批判が出始めている。
一気に大変革するのは、大きな混乱をもたらす。日本国民は確かに変化を求めたが、生活を壊されることまではのぞんでいない。
しっかり万人の声を聞き、政策に反映させるべきだ。
私の思っていること以上の事が伝わってきます。
結果として良いことでも強行すると暴君になります。民主党はもう少し地方の声を聞いて欲しいものです。
これからはこうやって草の根から声を出していかなければならないのでしょうか。
机上で理想論を語っても、実社会では「無駄」も血液と同様に大事だったりします。
それは、我々下々はよく知っているわけですが、その声をマスコミと知識人とそしてそれに押されている政権は、もはや「暴君」になりつつあります。
こんな駄文でも、何人かの目に留まり、少しでも痛みを感じてくれればいいと思い書きました。