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1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 徳川家康公が二代将軍秀忠公に「天下を取るは至難の業。が、天下を守り続けるは、もっと難しい」と。

2025-07-04 21:25:28 | 法話

【7月5日投稿分】


今年の7月8日は、早いもので、行年73歳で他界した父(わが寺の先代)の23回忌になります。この日は衝撃的な死を迎えた、安倍元総理の祥月命日(立ち日)でもありますね。もし父が生きていたとしたら、今年で96歳に。檀家さんには、90代がゴロゴロおられまして、その人達は70代、80代だった頃と比べても現在、見た目は然程変わりはありません。父も生きていたとしたら、そう変わってなかったかもしれませんね。


父は他界の5年前、拙僧に住職の座を譲り、先住(先代住職)となりました。父の決断は、徳川家康公のそれに習ったものだった。家康公が秀忠公に「天下を取るは至難の業。が、天下を守り続けるはもっと難しい」と。秀忠公も「大名達はわしの事を『上様、上様』と呼んでくれてはおるが、心は常に皆、駿府(現在の静岡県。家康公在所)の方に向いておる。失敗し、恥をかきながらも、10年経てば、それなりに将軍の風格が出てくるものだ」と。父は常に「代替わりは、親が元気な内にやった方がよい。檀家さんも、お前が住職の仕事をするにぎこちなくても、後ろにわしが控えておると思えば、安心してお前(拙僧)の成長を待つ事が出来るというもの。出来るだけ早い内に代を譲るぞ」と拙僧に。


父が拙僧に住職の代を渡して3年後、大腸から始まった癌が、小腸、膀胱、腹膜、肝臓、肺にまで広がり、余命半年の宣告を。他界する前年の12月、応急処置の手術の後に「俺はあと、どのくらい寿命があるんだ」と拙僧に。「半年だよ」と即答を。暫く目を閉じていた父だったが「半年か、時間がないな」とそれからは、ベッドの中から仕事(寺院運営のノウハウ)の指導を。あとは、大好きな時代劇を見ながら楽しい時間を。その時、拙僧「父さん、えろうリラックスしとる様だが、死ぬのは怖くないんかい」と尋ねると「怖くない事あるかい。お前から余命を宣告された時、そりゃ、怖かったばい。人間は、初めて経験する事は、やっぱ、不安なもんだよ。が、恐怖を覚えたは一瞬だったな。俺の知っている事をなるべく多く、お前に渡しておかなきゃ、の心に瞬時に変わったばい」と。


立ち日の7月8日を迎えた時、父はホスピス(死を迎える病院)にいた。昼の1時からお寺で先祖供養の法要があるので、病院を出ようとすると、主治医から「どこに行くんですか。お父さんの死に目に会えませんよ」とそう言われた。対し拙僧「大丈夫です。自分が戻ってくるまで、父は死にはしません。待ってくれております」と。この言葉には、何の根拠もありませんよ。『親が死んだくらいで、お寺の仕事を休むな』と父に言われていたもので。


先祖供養の法要が終わったとほぼ同時に、病院から「間に合わん」と連絡が。あとの事はわが寺の僧侶さん達に任せて、急ぎ病院へ駆け付けました。拙僧が病院に着いて30分後、父は安らかに旅立ちを。拙僧、父の耳元に口を当て「父さん、長い事、お疲れさんでした。俺は寂しくないよ。夕方までにはそっちに逝くから。これからの事だが、葬式が終わるまでは、ゆっくり体を休めておきない。が、葬式が終わったら、すぐにお寺の仕事を手伝えよ。じゃないと、お寺が潰れるぞ」と父の亡骸に。『夕方までには、そっちに行く』という意味は、信長公が好んで舞った『敦盛』の一節『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』から取ったもの。人間界の50年は、向こうの世界の1日という事。そう考えたら人間は誰しも、明日には先だった人達に会えるという事。これが本当かどうかなど、どうでもいい事。そんな近くに、そんなすぐに、また、先だった人達に会えるのか、と思ったら、死んで逝く事も、まんざらではないかな、と思えますよね。


父の枕経、通夜には、父と大変仲の良かった高僧が本山から来られ、拙僧に「英照さん、お父上様、おめでとうございます。見事に人間界を卒業されて逝かれましたね」との言葉を。この意味のわからない人から言えば「人が死んだというに、何がおめでとうや」と反感を買いそうですが、拙僧にとっては、これ程の労いの言葉はなかったですね。この高僧も8年前に他界を。父の葬儀には、800人を超える会葬者が。葬式というは、故人の生き様を1発で表しますからね。会葬者の数に故人の生き様が現れます。人間は2度死にます。1度目はこの肉体が滅ぶ時、2度目は故人を知っている人達(伴侶、子供、孫、知人など)が旅立つ時、その時一緒に。50回忌で年忌法要が終わり、永代供養になるは、故人を知っている人達がいなくなる(他界)からです。さあ、先祖の供養というは、お世話になった故人への御礼報謝にて。自分の命がある限り、しなくていいという事はない。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が。何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、7月10日になります。添付写真は、わが寺の先代坐像。






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