オールスター休みにはいり どら様も一息。Gさん・ツバメさんと きびしい後半戦の開始にそなえて みなさんゆっくり休んでくださいな。
東福寺の塔頭 霊雲院。 大きなお寺はたくさんの子分のお寺をもっています。 霊雲院もそのひとつ。
細川家と親交があった和尚様が このお寺に住職されるとき 細川家は 寺産五百石を贈ろうとしたが ”出家の後、禄の貴きは参禅の邪鬼なり。庭上の貴石を賜らば寺宝とすべし”と申されたそうな。そこで 細川家は ”遺愛石”と銘をつけて 須弥代と石船と作って贈った。 それが この遺愛石ということらしいです。
この庭も長い歳月の後に荒れ果てたらしいですが 最近になってようやく昭和の名作庭家 重森三玲氏によって修復され 今にいたるというわけ。
明治時代、日露戦争中には 捕虜の収容所となっていたとのこと。
たまたまだったかもしれませんが 訪れる人もまばらで ゆっくり歴史を感じるにはもってこいでした。
祇園祭りのあとの週末は2日間 たっぷり体育館で汗をかいてきた。
母校の体育館は 斜めの土地にたっているため 片側は ドアがない。(窓はあるけど・・) そのため 風のとおりが悪く 蒸し蒸し・・ いるだけでじとっと汗をかく。 しかも 名古屋の夏。
でも こうやって たっぷり汗をかくおかげで 夏ばてしないのかも。
東福寺の塔頭 霊雲院。 大きなお寺はたくさんの子分のお寺をもっています。 霊雲院もそのひとつ。
細川家と親交があった和尚様が このお寺に住職されるとき 細川家は 寺産五百石を贈ろうとしたが ”出家の後、禄の貴きは参禅の邪鬼なり。庭上の貴石を賜らば寺宝とすべし”と申されたそうな。そこで 細川家は ”遺愛石”と銘をつけて 須弥代と石船と作って贈った。 それが この遺愛石ということらしいです。
この庭も長い歳月の後に荒れ果てたらしいですが 最近になってようやく昭和の名作庭家 重森三玲氏によって修復され 今にいたるというわけ。
明治時代、日露戦争中には 捕虜の収容所となっていたとのこと。
たまたまだったかもしれませんが 訪れる人もまばらで ゆっくり歴史を感じるにはもってこいでした。
祇園祭りのあとの週末は2日間 たっぷり体育館で汗をかいてきた。
母校の体育館は 斜めの土地にたっているため 片側は ドアがない。(窓はあるけど・・) そのため 風のとおりが悪く 蒸し蒸し・・ いるだけでじとっと汗をかく。 しかも 名古屋の夏。
でも こうやって たっぷり汗をかくおかげで 夏ばてしないのかも。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます