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ビジネスマンじゅんごろうのONとOFF

ビジネスマンならではの視点で趣味やビジネス、社会について論じます。

逆張りで映画へ

2007-04-01 21:41:49 | 映画・DVD
桜が満開になり、天気のよかった今日の日曜日は
多くの人が花見を楽しんでいたのではないだろうか。

昨日の早朝ジョギングで桜並木の下を走って十分楽しんだので、
映画の日である今日は都内の映画館で映画を見に行った。

案の定いつもの週末より混んでいなかったように思う。
このようにあえて人と違うことをやって、恩恵を得ることを
「逆張り」という。やみくもに人と違うことをやるのではなく、
多くの人が見過ごしている価値を見出そうとする戦略だ。

企業の戦略で論じられることが多いが、「雨の日にあえて
ショッピングに行って混雑を避ける」など個人の行動にも
応用できる。

さて見た映画はトニースコット監督の「デジャブ」。
トニースコットとデンゼルワシントンの組み合わせで有名なのは
「クリムゾンタイド」だが、今回もかなりハラハラさせるシーンが
多く、まあまあ楽しめた。

しかし、相変わらずの爆発シーンとカーチェイスはすこし食傷気味だ。
本筋と関係ないところのアクションシーンが余計と感じたのは私だけ
だろうか。
そして、この監督はイギリス出身なのにアメリカ的なハッピーエンドを
好むらしく、最後はめでたしめでたし的な結末だ。

たまには「逆張り」戦略で視聴者を裏切る結末にしてもらいたいものである。
"スパイゲーム"ではそれを試みて失敗したのかもしれないが。

Incovenient truth

2007-02-12 12:03:31 | 映画・DVD
「不都合な真実」という映画を観た。

米元副大統領のゴア氏のプレゼンテーションを中心に構成されている
この映画を観ようと思ったのは、地球温暖化について知りたいと思った
からではなく、ゴア氏の説得力について興味があったからだ。

なるほど、プレゼンを引き立てるための仕掛けがちりばめられている。
温暖化によって水位があがって海水で陸地が覆われていく様をデジタル
に表現したり、「ゆでがえる」を表すわかりやすいアニメーションが
出てきたりする。ちなみにゆでがえるとは、蛙は熱い湯に入り込むと
ショックで外に出て生き延びるが、冷たい水に入った状態で徐々に
熱して熱くすると蛙が変化に気づかず死んでしまうという例えだ。
ただし、映画のアニメーションでは『死ぬ』ことの表現をやわらかくする
ためか、「死ぬまで気づかない」、ではなく、「助け出されるまで気づかない」
とユーモラスに表現して笑いを誘っていた。

プレゼンの中で、なんと言ってもゴア氏の力強い言葉が印象的である。
ゴア氏の言葉が飾り物ではなく、真に迫っていると感じるのは自分自身
の生い立ちについて惜しみなく明らかにしていることも一因だと思う。

息子を大事故で失いかけた経験や実姉がタバコを十代から吸っていた
ため、肺がんで亡くなったらしい。

どうも温暖化や環境問題というのは偽善的なにおいがすると思うのは
私だけではないだろう。成長を遂げた先進国がこれから成長する途上国
に公害の非を説くのは説得力がない。
ただ、ゴア氏が主張するように経済成長と環境保護は矛盾しない、という
言葉は重い。

では一個人としてどうすればよいのか?
この映画の最後のエンドロールに個人ができる取り組みをひとつひつ
紹介していた。
「環境にやさしい電化製品を使いましょう」
「できるだけ公共の交通機関を使いましょう」
「エアコンの温度を調整しましょう」
などシンプルなものばかり。

まずは温暖化という事実を直視する必要がある。
そして自分が行っている一つ一つの行動が温暖化に「貢献している」
ことを意識することだ。

ゴア氏は映画の中で講演中に受けた質問に対してこのような
回答をしている。

プレゼン方法とともに個人の行動について考えさせられる映画だった。

恋から卒業式

2006-03-27 00:06:08 | 映画・DVD
「恋から」こと「恋のから騒ぎ」の12期生が昨日の放送で卒業した。

12年も続くこの番組を思わず毎週見てしまうのは、なぜだろうか?
同じ時間帯に見たい番組がないわけではない。テレ朝は香取慎吾の
SmaSTATION、テレ東のWBS土曜版など、重ならなければ必ず見る情報
番組が目白押しである。

昨日とその前の週の放送で、恋から人気の秘密を垣間見たシーンがあっ
たので、それを紹介しながら思わず見てしまうポイントを少し分析してみよう。

放送を見た人は気づいたと思うが、先週の放送で「眼鏡をはずした大橋巨泉」
がこんなことを言った。
「スタッフはひどいんです。XXさんはもてないキャラでお願いします。
もてないキャラなので、もてる話はしないでください!って言うんですよ。」

なるほど、と思った。
この番組は毎年個性の強い素人の女性が出演しているが、一様ではない。

モデルのようなきれいな女性から、地方から出てきた素朴な女性まで。
年齢層も18才から30才までだが、最大ひとまわりも違う。

つまり、ターゲットとする視聴者の共感を得られる様々な「キャラ」
を取り揃えていると考えているのだ。
それぞれのキャラは番組内の「持ち場」で活躍をすることになる。

例えば、男にもてようと努力しても報われない女性が「巨泉」に
共感を持って番組を見ていたとしよう。
努力が報われない話を繰り返されるたびに、そのタイプの女性達
から支持を得られる。が、逆に彼氏ができたなんて話をしてしまうと、
反感をかってしまう。

このような「持ち場」を意識的に作ることを、マーケティング用語で
「ポジショニング」という。番組ディレクターは巧みに出演者をポジショ
ニングすることで、番組に展開を持たせることに成功しているのだ。

ポジショニングを理解するには以下のようなマップを作るとわかりや
すい。

       もてる系
          ↑
貧乏系<--------------->セレブ系
          ↓
       もてない系

出演者を分類してみると左下に来るのが、「獅子舞」や「巨泉」、
右上に来るのが前列に座る女性というところだろうか。

恋からをこのような目で見ると面白い。
ポジショングの仕方もその年の出演者によって変わることも
あるし、出演者間の「ポジション」合戦も激しいこともある。

来週からは13期生。まだこの番組が衰えることはないようだ。

ちなみにポジションニングについてもう少し学びたい人は
こちらのサイトをどうぞ。(ポジショング戦略)


Memoirs of a Geisha

2006-01-22 01:36:05 | 映画・DVD
「映画・DVD」というカテゴリを作っておきながら
一つもこのテーマで書いたことがなかったので先日久しぶりに
映画館で観た「サユリ」(原題: Momoirs of a Geisha)について
書いてみたい。

「なかなか面白かったな」というのが私の率直な感想だ。
ところがこの映画が日本と中国で論争が起きているらしい。

この映画の内容はタイトル通り芸者をテーマにしたものだが、
芸者の描写の仕方と芸者を演じた女優が論争のポイントだ。

サユリを演じたのは日本でもアジエンスのCMで有名チャンツィー。
他のメインとなっている2人の芸者を演じているのも日本人ではない。
「ゲイシャ」の本場である日本人を主役に起用しないのは何事だ!
という主張が一つある。

また映画の中で芸者が売春婦まがいの役回りをするシーンが出てくる。
芸者とは「芸術や文化に通じた洗練したエンターテイナー」であるのに
その名をが汚された!、というのがもう一つ。

中国の批判はこの2つめのポイントに対して向けられている。
どうやら中国にも同じような職業があり、彼女らは絶対に売春などしない
とのことだ。

この論争に対する私の意見はこうだ。
「映画なんだし面白ければいいんじゃない」

歴史をテーマにした映画が公開されるたびに事実と異なるという論争
が少なからず巻き起こる。
しかし、客をひきつけるために少なからず脚色されていることを前提
にしなければならないのではないだろうか。

映画の製作者側の肩をもつわけではないが、彼らは歴史を伝えたいの
ではなく、映画というエンターテイメントを提供したいのだ。
もちろんそのために歴史をゆがめて伝えているとしたら、非難されて
しかるべきだが、今回に関してはそれほどひどいものではなかったと
思う。

むしろ映画を観終わったとき、芸者というプロの職業について尊敬の念を
抱くような心地よい後味があった。

中国ではこの映画の一般公開が延期されたらしい。
このところの日中関係の冷え込みも影響しているのかもしれない。