ジューンのつれづれ物語 先天性臼蓋形成不全・変形股関節症とともに生きる

先天性臼蓋形成不全・変形股関節症を東海中央病院でAAOで手術。10年後さっぽろ病院で両足人工股関節です。白内障も発覚!!

ジューンの股関節症物語9の2 術後3か月

2011-06-19 19:24:22 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.5.12、術後95日、退院81日 術後3か月の状態

術後3か月の状態変わったこと
これが、一番知りたいことですよねぇ。。。。忘れていたわ。
さてさて、変わったことは
・外出も杖なし
今までは、家の中は杖なしで外は杖です。術後2か月くらいから。
階段はすたすたいくくせに、「あ、荷重だめかあ。」と料理作っているときとか片足荷重にしたりする。
そのために、体がゆがんだとこもあるのです。今はもう、していいのに、くせで片足荷重立ちになっている。また、大切に大切にが頭の中をリフレインするのでそうなってしまう。
外出も「必要最低限。無駄な歩行なし。」といわれてたので、私としては、守っていました。でも、これって、一人一人違いすぎるよなあ。。。3か月たって杖なしにしたら。。。。
 ・速度おちている。 ・歩幅小さくなっている  ・気を抜いたり、意識しないと「は行」する。引きずる感じ。
 ・疲れがはやい ・次の日にだるくなったりする。痛みは鈍感なので痛くはないが、重いというイメージ。
 ・あいかわらず、時々音が聞こえている。雑等の中での騒音で聞こえてないだけか、音がしてないかわからないところ    は、ある。  ・早足もできないというか、力が抜ける。すこーし走るぎみになっても、しっかりは走れない。信号の点滅時 わたりきれないと思った  ・家の中の歩行は本当にささいだなぁと感じるほど、外での歩行は遠い。。
まだ、アクティブな術後をすごしている方のように動きまわっていないので、恐る恐るです。旅行とか職場復帰とかハイキング?とかもまったくしていないです。スーパーに買い物、父の施設。時々映画でも、交通機関でつながっていて、ほとんどあるかない。いつもなら徒歩5分というのが最長かな。必要がないためジャンプのようなことも、術脚の片足で立つとかもしていません。片足スクワットなどで筋トレしているとかの噂も聞きますが、私は、やっぱり、「股関節に思いをはせて。」荷重かけない筋トレしかしていません。もう少し、自信ついたら、するかなあ。。。。うーん。今のところ脚の太さもそろってきているのでいいかあと。。。

術後3か月の状態 できることやいい感じ
・脚のひきつけは、胸につきます。 左にそろってきている。
・あしあげ、うえ、横、うつぶせからもほぼ左と同じ。負荷掛けられても大丈夫。
 ただ、重たい感じは得に横向きあげの時は感じる。これがなくなるともっと上がるだろう。
・バレーのバーくらいの高さに脚はまっすぐあげられる。 前向き、横向き。
・階段は登りも下りも交互にいける。ただ、音がすることがおおい。
・日常動作に困らない。困るのは、腰の方で。。。

術後3か月の状態 できないことや嫌な感じ
・寝ていて起きた時とか力がきちんとはいってない嫌な感じ。。。
・しっかり気合いと筋肉に気をいれていないと脚をひきずる「は行」がおこる。
・付け根がいたくなったり、もっと伸ばしたい感じ。
・脚が重いという感覚はすごーくすごーく軽くむなったけれど、ゼロではない。
・内転側、おねえさん座り方向は、左にすごーく遠い気分だけれど、腰のリハビリの先生にいわせると前より確実にいい。
・音!!!!!!!します。はい。
・腰や膝など弱いところが病んだりする。特に、外でもきちんと歩くになってきて膝あたりに負担がかかっているのがわか  る。
・まだまだ走れるとはならない。かっくんと力が抜ける。
・傷跡はきれいだけれど、赤い太いボールペンで書かれている感じ。硬さや盛り上がりはなくなってきている。比較論だか  らなあ。前に比べたら、ずっといいです。むずむず感もかなりなくなった。しびれ感とかマヒ感もかなりなくなった。ゼロとは 言えない感じです。
・座った時の脚の太さのちがい。がまだ感じる。
・腰のせいなんだけれど。。。屈伸できない。。。。手が床につかないなんてものじゃなく。。。ショックにほどでした。
 これは、腰だよなあ。たぶん、ラジオ体操まともにできない。

術後3か月の状態  今後のこと
・いかに筋肉をつけていくか。
・内転側の可動をどうするか。
・次回検診は、1年後でいいが、遠方と冬をはずす(飛行機が雪でとばないことあり)ことで冬休みずつの1年はきついから、 秋、夏休み、夏休みの予定だが、変!おかしい!があれば、すぐ行く予定です。行かなくても、メール、ファックス、電話の問 い合わせ、こちらでレントゲンをとって送るなど。。。
 腰の術後検診が2週間おきに3か月つづき、1か月おきに1年まで続く。何事もおきてないので、こうなるて、お金が悲しい 気分。被ばくとかともまわりにいわれている。また、運よくなのか、腰のレントゲンをとると股関節がうつっています。腰のド クターはまったく股関節にはふれませんが、私はじっくり見ていて、時々、叫ぶとあわててみてくれる。軽くみてくれる。
・プールに行こうと思ったんだけれど、感染症とかで危ないという方もいる。うーん。。。傷フィルム貼ろうかなあ。。。でも、腰 が嫌なんだよなあ。前もそうだったけれど、競泳用のスイミングスーツは胸ペッタンコになるんだよなあ。。
・体重管理、食物管理(軟骨にいいもの)
・気になることや聞きたいことのたびにメール、電話、ファックスとなる。だって、急にあって思ったりする。不安になったりす る。腰の病院のように患者さんどうしで素人どうしで勝手な判断で不安になったり悩んだり心が病んだりしたくない。ネット で聞いたりするのも疲れた。。。。やはり、一人一人違うからです。先輩たちも時代によってリハビリ指導とか違うし、かえ って混乱したりもあるので、股関節センター問い合わせだなぁ。。。
・左は一生温存したい。術脚はまあ、できるかぎりもたせたい。そのためにできることをする。さっぽろでも岐阜でも、手術し なくてどれくらい・手術してどれくらいもつか聞いてないし、わからないだろう。母親の余命の宣告の時によっくわかった。  わからないのだ。ということ。脚もどちらの病院でもいわれたのは、どのくらいもつかはあなた次第ですということ。だから、 5年もたないと失敗とか15年もたないとダメとかは思っていない。あの、「ぬけるぅぅぅぅ」のときより、今いい感じだからいい のだ。未来の不安は覚悟にかえてます。不安は心が病む。
いつもしっかり体をみつめていなきゃなあ。変化だよなあ。術前の感じはすごくすごく気を使っていたのでみつめていた。
あの時のような痛みだるさはない。違うのだ。あの、脚が抜けるぅぅぅ感覚はなくなった。だからいい。。。ここもひとりひとり違うんだろうな。痛かった人は痛くないが大切なのだろう。私は痛くなくて、術後も痛みには鈍感で。脚が思ったように動かないことや腰の辛さにイラッとした。むっとした。だから、失敗とか後悔とかはない。だって、「ぬ、抜けるぅぅぅぅぅ。」は強烈だったから。。。腰の術後もそうだけれど、半年、1年しないとわからない。でも、腰の手術おわったら、腰は重いけれど左脚はすっきりさわやかになったのです。だから、腰の痛さや重さは1年くらいのこっていてもしかたないというか当たり前。坐骨神経痛はゼロになった。体開いているんだから、腰が重いだるい痛いは当たり前だろう。切り傷だって、二十才こえていま五十才くらいで一週間は痛いしくっつかないし。まだ三か月だもの。当たり前と思うよ。まだ重いとかだるいとか。たかが、脂肪腫とった耳のうらでも一年は違和感あった。今はない。

臼蓋内転骨切り術(AAO)を想う
三か月で日常生活ができるのは、AAOだったからです。札幌のRAO前方進入式に適応していてもそうでしょう。こちらの術式の方の物語を読むと術後経過などがそっくりです。筋肉を切らないとか。。。私は、入院期間が短いということが一番でした。父親のアルツハイマーとかで。。。。また、手術を急いだのは、痛いとかではなく、腰の手術との兼ね合いです。どちらのドクターからも、片方治してもダメ。手術したところが壊れる。するなら、腰と股関節。そして、手術しなければ、いつマヒするかわからないというところです。腰は二週間退院できる。しょくば復帰は三か月程度。AAOと同じで、ある意味無理です。でも、ここで復帰していく方は、たくさんです。一か月の方もいました。それは、仕事を休んだら、職を失うから。だから、患者優先で復帰となります。私は、無給なら三年やすめるという恵まれ方なので、「ぶっちゃけ、どのくらい休職するのがいいでしょう。」と聞いて、どちらも可能なら、半年、一年と言われました。どちらも同じだなあ。と。2010.6くらいの話です。じゃ、サイトと違うとか、イメージと違うという方もいると思う。でも、そこで人それぞれであると思った。また、人と自分はいろいろと違う。。。。と。。。。。
まず、腰の手術後一か月でAAO両脚予定2010.8でしたが、腰もAAOにまけずおとらずの独特手術で腰の先生も「三か月はおいてねぇ。」と、急にいう。退院指導のとき。だから、手術前に何度も何度も確認したでしょう。。。八月に脚の手術するって。。。おじいちゃん、ドクター。。。「先に言ってくださーい。」ナースさんたちは、いつもいつも、「大変とおもうよお。」と言っていれてたんだけれど、私はの耳はおじいちゃんドクターの「大丈夫。超特急でやるから。。。」が頭から離れなかった。ナースさんは、入院してすぐ、いろいろと考え、対応していってくれてました。
そして、腰のレントゲンをいっぱい持って(アナログなんです。。。)三ヶ月後でどうだぁと、検診にいったんだけれど。。。「腰は、要です。この術式は、ちょっと。ボルトで固定でなく自骨だから、安定するまでまちましょう。」となった。。。私は、学校の休職をのばす手続きとか、子どもに迷惑がかかってくるので、いやぁぁぁぁ!またのばすのぉぉぉ。なんだけれど、六か月はあけることとなった。区切りのいいところでティーチャー交代しないといい迷惑で、親は怒るしぃにつながるのです。。。四月からの復帰は無理だなぁ。。。
そのあいだに、両脚の適応基準が変わり、50キロ。この時、年齢は制限なかった。両脚、進行期だったかなあ。最初なら何事もなく、両脚だったのにぃぃぃぃとすっごくくやしかった。両脚している方々がうらやましかった。減量しましたぁ。筋肉も骨もおとさずに。家庭科とかせんもんだし、栄養士だしぃ、体育保健理論もならっているしぃぃぃぃぃ。やっとやっとの手術。でも、6か月たったときの腰の快調さや左脚すっきり。は、びっくり。そして、右が「ぬ、ぬけるぅ。」となった。
そして、2011.2やっと、右だけのAAOとすごい変遷である。左はやる必要なしになっていた。減量によるブラの減ったカップ数かえしてよぉ。両脚やっちゃいたんだよぉぉぉぉ。なので、どんどん変わる基準、術後指導の渦中にずっといたのです。。。。この時になぜ変わるとか。。これは、なんか起きている、不安が募る。。。。や、やめるかぁ、手術。でも、脚ぬけちゃう。いっぱい考えた。腰の経験からも、手術に対する考え方とかが自分なりにできた。とにかく手術して、と、手術は決めた。手術した。手術後脚動かなくてショックをうけた。。。もう、3か月前か。。。
可動域おわったら、速攻でかえらないと甥っ子の卒業式に間に合わない、父親の精神病院から施設転所に間に合わない。車がないと雪国は歩けない。。。ので、AAOの入院期間と術後の生活は、とってもとっても魅力なんです。私のたっての希望で北国から検診いってます。「近隣の方と同じでよろしく。」です。検診のリハビリとか、噂とか今までとか全然わかってなく、腰のリハビリの先生にいわれたのでよろしくって感じでたのんだ。でも、思いおこせば、退院時、「近隣の方が退院後リハビリにくるなら、いきたい。」っていった。してないっていってた。なのに、札幌でリハビリ少しでも満足できない内容でもできるからラッキーだなぁ。と想った。。
入院中も術後の今も想うのは、AAOドクターがゴットハンドとしてよりよく切り続けていけないかということ。腰の病院にくらべて、病棟のバックアップ体制が弱いとか、術後すぐの食事が固形は無理無理とか、歩行器がたりないとか。。。そういう環境的なことが整わないと。。。とおもった。もったいないと想った。だから、手術に没頭できるといかになるには、リハビリの説明は、リハビリの先生がドクターと同じくらい答えられる、とか、術後の不安は、股関節センターやナースさんが、ドクターとおなじくらいできるとかにならないかなぁと思っていた。腰の病院のようにならないかなあ。。。おじいちゃんドクター検診のあとナースさんが書類整理しながら、お話してくれるので、確認したり、不安をいったりしてやりとりでき、「今度また、ドクターにきいてね。」とおじいちゃんドクターをたてるのです。。。。腰の先生は、週3回午後手術しますが、午前外来、午後手術の隙間縫って外来です。午後3人は手術です。。。土曜日やってます。外来。ドクター一人です。。よくやってるなあ。。。。腰だけでなく、首もやってます。
そして、今は、AAOがよりよくなって恩恵を受ける方が増えるように、情報を発信したいなぁ。。。と。。。アンケートの後悔していますの方が約半数いるわけで。。。。
私もいつ後悔になるかは、わかりません。そんな見えない未来のことを考えるのは、「ナンセンスです。」なんだろう。
AAOドクターの腕を認めている方は多い。えてして、おじいちゃんドクターも札幌のゴットハンドたちも、そういう方々はちょっと独特。。。といいますか。。。言葉わるいかなあ。。。うーん。。孤高というか、なんだよなぁと私は想います。。腰のドクターとAAOドクターはある意味そっくりなんだよなあ。。。
なので、ちょっとまとめて、書きたいことは、ある。術前にきをつけたいこととか。。。それを休職中にできればいいなあ。
本日は、外で杖なしで歩いて、筋肉痛になりそうでした。そして、ちょっと膝にきているなあ。傷のむずむず感はおさまっている。傷の方差が少しずつ減っている。。。。いろいろいろいろいろと。。。いつも、一応、全チェックとか異変とかを書きとめている。手書きです。様子みます。あ、音は相変わらず。。。そうしないと、「よくなっている」事も消え去るときがあります。じゅつごすぐ、杖に雪国用スパイクをつけてくれた、元保護者が「だって、先生、あのとき、よぼっよぼだったよぉ。」といった。
ああ、そういえば。。。とすんごーくよくなってんじゃん!と確認できます。
2011.2は、古い病院で手術ラッシュで新病院の引っ越しとかに向かっていました。ので、今のピカピカ病院とは違います。
老婆心ながら、書きとめておきます。

札幌ゴットハンドTHA
この手術を受けた方に借りていた杖や靴下はく器具(東海中央病院では牛乳パックのもの。それよりもすぐれもの。)、マジックハンドをお土産とともに返しに行った。このゴットハンドがRAO前方進入式のドクターだったと近頃結びついた。
手術したものどおしだし、最初このゴットハンドを紹介してくれてたんです。行ってれば、もしかとてRAO前方進入式だったかもかも。左がわるくなったら行ってみようとおもうけれど、50代だから、どんなRAOも適応外なのかしら。。
・手術後の食事
 やっぱり固形はむりだよねぇ。。。
・腰が痛くなる
 術後、MRIもとったんだって。脚手術すると腰にくる人多いなぁ。
・片足の調子が。。。。
 私は筋肉痛、彼女はTHAを考えている。
・今後
 私は温存したいけれど、左は年齢的にTHAだから、さっぽろでこのドクターのところか系列に行こう。彼女は入れ替えがあ り得るらしい。。。
爆笑したのは、やっぱり術後の食事でした。いまも固形なのかなあ。。。

コメント

ジューンの股関節症物語9の1 術後3か月検診

2011-06-19 19:23:53 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.5.3、術後86日、退院72日 とっても楽

とっても楽だ!
久しぶりに階段一段上がった感じ。朝、硬直というか、カックンカックンなし。エェ!なんだあ。これはあ。腰、立ってんじゃん。脚の付けねから、力が抜けない。びっくりだあ。昨日、腰のドクターとの話しで前屈はいいみたいだから、恐る恐る恐るしてみたら、うっそー!の体硬い人になってた。腰の分はもう、柔軟性もとめては、ダメだなあ。っ。て。実は、腰の手術後できなくなること、説明なし!のおじいちゃんドクターなもんで。。みんな腰痛くてスポーツできない、しないと思ってる節もあり、「聞いてないよぉ。先に言ってぇ。」なんです。ははは。私、すざましく体やわかったんですよぉ。ま、いいか。という、岐阜の今の状況なら裁判ざたか、ネット批判か、だろうな。笑えるところが道産子気質か、ドクターのキャラか。。だなあ。久しぶりに晴れ。気分も晴れ。


2011.5.4、術後87日、退院73日 雪


五月に雪は十五年ぶりとか。いつもなら、スキーに行ってる。また、五日まで春スキーいける脚になるのかなあ。脚、悪くはないんだけどなあ。あと少しで岐阜だあ。20度超えてるみたいだな。
脚は悪くない。同じ姿勢のあとも硬直感がなくなっている。一応、岐阜に飛ぶ日は術後三ヶ月たっているから、「何してもいい。」ことになっている。杖は鞄の中で行ってみようかなあ。みなさんはどうしているのかな。。。


2011.5.7、術後90日、退院76日 術後三ヶ月

術後三ヶ月
朝、昨日、いっぱい歩いたらだるい。内側付け根、傷あるちかくは、筋肉痛の感覚。明日飛行機乗るから病院リハビリ行こうかと思ったけど雨だし面倒になる。術後三ヶ月で何してもいいと言われてるから、自分トレーニングだな。明日、杖はたたんで鞄の中に入れて行こうと思う。何してもいいんだけど、何していいかわからない。腰悪いから、腰でできないこともたくさんなのだ。残念。階段ちょっと早足とか、父親の施設内を杖なしとか。。御高齢の方と速度が揃っている。うそぉ。思えば、腰以来九ヶ月、運動禁止だったり、していなかったりだったわ。体力も筋力もティーチャーじゃないなあ。はあ。


2011.5.8、術後91日、退院77日 岐阜へ

岐阜へ
札幌の最高気温が名古屋の最低気温になってれ。はあ。。服で荷物多くなるなあ。。嫌なんだよなあ。腰もわるいから、ゴロゴロトランク引きずるのも良くないのだ。。夕方5時の飛行機は夕食も考えこんでしまいます。そして、不安をひきずっているから、嫌なのだ。岐阜に行くのはいつも不安を持っている。かなり、腰も足もよくなったんだなあ。
とトランクを軽快に引きずってわかる。よたよた帰って来た二月とは違う。いっぱい歩いたけど順調快調。すごくいいです。


2011.5.9、術後92日、退院78日 三ヶ月検診
三ヶ月検診
CTが8時45分なので朝7時すぐホテル朝食。
概要のみまず書きます。
新しい病院は受付機に病院カードいれる。
診察用紙が印刷機からでてくるので、病院フロア地図のついてるクリアーファイルに入れて、レントゲン。
二階放射線科。CTの方はけCTも。
股関節センターへ。日によって二階整形外科か、一階リハビリ室かにわかれる。
私の日は一階リハビリ室。受付に秘書O野さん。私は職場用診断書をお願い。病院ついてすぐ頼む予定が病院ボランティアさんに放射線科に拉致され、トイレさえも行けなくなる感じ。ああ、相性悪い病院だ。またまた「トイレにいきたいの、順番とばさないで下さい。本当は秘書さんに会いたいのだけど、いやあ、連れられてきたあ。」とモンスターにさせられてる気分で放射線科受付だった。。
CTが上がってくるのを一時間くらい待つ。
ご高齢の方多い。混んでる。
診察室へ呼ばれ診察。秘書さんは受付のまま。対応変わった。誰かそばにいるのやだと要望してたもんなあ。私はがっかり。いないから、診断書が二度手間になるのです。
診察終わり、診断書の内容確認、また、ドクターにも確認と時間が。。私は秘書さんいて当たり前でした。札幌の病院にもそういうところあったから。。その方が間違いが少ない。学校で保護者と話す時、違う先生か管理職がいた方がいいのと同じ。次回は要請しよう。過去いてくれてよかったが二回ありました。確認とりやすいし。だれかのクレームだれかの損失につながることあるんだなあ。
リハビリ混んでいてかなり待つ。リハビリはあとでゆっくり書くけど、私は確認のみ。
会計計算にファイルだす。番号札もらう。
掲示板に会計番号でたら、会計窓口か会計精算機にカードいれて支払い。私は診断書があるから、窓口。
CTとると六千円くらい。はあ。
11時は過ぎたかなあ。でした。
まずは、概要だけ。
またまた病院HP内容変わっていろいろ聞こえて嫌だなあ。札幌についてから、パソコン三日ぶりくらいに見てため息。くわしくは、後で書きます。
二月、三月、古い病院での方々に報告したくの取り急ぎ。
音も後で書きますが、一応警告音だけど、術後経過は順調。



2011.5.10、術後93日、退院79日 三ヶ月検診のこと
三ヶ月検診のことを考える
概要は、昨日書いた。今日は、脚だるいし、音はうるさいし。これで検診結果よしといえるのぉぉぉぉぉ!です。
また、病院HPの更新を教えてくれた方々がいるので、見てみた。いろいろな方がいろいろな感想をいったのがよくわかる。
同時期の両脚の方を思う。。。今でも、適応だからきっと大丈夫と思う。祈る。私は手術時期もずれたり左脚が腰の手術により手術なしになったりと、二転三転しているので、自分と重なるのだ。同時期の方も、スクリューの方も。。。。私の中にも思いはある。こうやって自分をさらしているから、いい話、聞きたくない、聞かなくていい話も耳に入る。簡潔にいうと悪口、陰口みたいなことも。。。まあ、いいんだけれど。私は、昔の私のように検討している方や今後を不安に思う方に自分が受けた情報のように自分も発信するだけです。自分が先輩物語から得たものがあったのです。だから、次は、減量世代といいまか、適応がかわったり、術後指導がかわったりの過渡期のことを残しておきたいなぁと。。。
AAOがどんどん改良されてよりよくなってほしい。入院期間が短いのは魅力です。手術決断の大きな要素です。適応するなら、さっぽろのRAO前方進入式の三週間、魅力です。私は診察うけてません。系列病院に行ってはいたんですが。。
適応外かな。。年齢的に自分の骨で治せる、最後のチャンスといわれたのでした。
AAOで良かった人、アンケートみても半分いる。これが八割、九割になるといいなぁと思う。
さてさて、まずは、いつもの感じでかきます。

やっぱり合わないのね。。。この病院。
私は三柿野駅から歩いた。歩く道は、なんとなく。タクシー乗ったイメージを想い浮かべて。だって、8時なんだもの。
いくら歩けなくっても、30分には病院に着く。と、遠かった。。。私のバトル病院は玄関が取り壊し中。そこから、また奥にいくから、時間かかるのだ。ぎりぎり。ああ、受診カード入れる機械だ、北海道整形と同じ感じのつくりだなあ。
と、病院ボランティアさんが普通の方なら親切と受け取る話しかけをしてくれるのですが、
私はあと15分、トイレいって、秘書さんに先に診断書わたして、CTの前に絶対トイレ!!!と自分の計画が頭にあるので、あ、嫌だなぁ。。。。と。案の定、ゆっくりのんびり口調で、プラス、違うご高齢者もご一緒っぽくなり。。。。
時、時間がないんだぁぁぁ。「あの、どこにいけばいいかいってくれません?」と、検診は、きょうはぁ、いっかいでぇ、
あのだから、もういいですってば。自分でした方が速そうだ。と、二階、放射線科という言葉をやっともらいずっかずっかと行くがついてくる。げっ、なんで。。。。
と、受付で秘書さんにといってんのにこっちも「十一番でぇおまちくださぁぁぁい。」だからぁぁぁぁぁぁ。つかれた。
「トイレ先なんだ。ここまで、つれてこられただけ。トイレ行っていいですかぁ。つれてこられちゃったんだもん」とボランティアさんも負けずにいった。「レントゲンっていったから連れてきてあげたのに。」なんてくだらない会話をしているんだろう。
心の中で、頼んでないもん。勝手にきたんじゃん。私は秘書さんって言ったもぉぉぉん。入院中と同じ。伝わらない。話が。。。。
どうして、そぐわないんだろう。。。。と、診断書は、このあと、三十分以上私の手の中に。。。
レントゲンはすぐ。服も脱がなくていいようなに考えてきてる。ただ、暑い。半そでなのにきたぐによりプラス十度は暑い。
CTは入院患者さんに飛ばされたり、八時四十五分のことは、どこかにふっとんでんじゃないのぉぉぉで四人待ち。診断書渡しに行きたいけど、いつが順番か不明。。。。はあ。

やっと検診へ
やつと一階リハビリ室。受付で秘書さんとご対面。はあ。長かった。診断書渡せました。CT処理に時間がかかるのでまちます。このとき、九時半くらい。CTなかったら、即検診だろう。ホテルでもらった新聞読もうとしたら、リハビリの2WA先生と会う。
ちょっと説明してあとでよろしくと。暑い。まわりの人長袖で涼しい顔しているのは、なぜ。。。。
10時すぎたころかなぁ、そろそろですと秘書さんにいわれ、今までのメールのコピーを一応手元にいただきました。
きくことは、二通りの準備。①音があまり重要要素でない場合と、②音は軟骨けずってて大変ですの場合。
さて、どっちかなぁ。THAの心の準備をしておこう。。。ドキドキ。
とアナウンスがはいる。ひさしぶりのドクターの声だ。
受付うしろのドアから中へ。あれ、秘書さんは今日はこないの。。。ありゃありゃ。こまった。今までなら、メール内容ややりとりから、いろいろとフォローしてくれたりしてたのに。。。ああ、だから、さっきコピーくれたんだ。前だつたら。秘書さんがコピーみながら、私が聞きそびれたり、忘れてることフォローしてくれたのになぁぁぁ。
ああ、そういえば、どこかでナースでもない人が話を聞いているとクレームあったもんなあ。。。札幌でも秘書さんとナースと二人のところあるんだよな。腰の病院は、ナースがぴったりついている。。。だって、ついてないと大変なおじいちゃんドクターだもん。フォローなしか。しっかりきかなきゃなぁ。今日は、ドクターと私かあ。疲れるなぁ。。。。
さて、私はずっとがちんこしているので、どんなやりとりしてるのか不思議でしょうか。私としては普通です。
ただ、本音で私は言うし、というだけ。ただ、ドクターはジェネラルなので、かなり頭はつかう。ジーンで対抗してるんだけれど疲れるんだなあ。
「今後もみてもらうから、いえない。」と言う声を聞くが、私はまったくない、まったくの反対。今後があるから言うのだ。今後があるから聞くのだ。自分のことだから、自分で聞くのだ。と、私は思うのですが。。。
私はTHAになったときにはもちろん岐阜にきます。札幌で説明するのは面倒なので。。。それも考えてのAAOの手術だったのです。THAまで手術する気がなかったのです。サイトがなくなりブログになって、最初の発症のところや腰の手術のところなどがなくなってしまっているのでわかりずらくなっているでしょう。私は入院期間が限られていたので、のちのち、THAでいいじゃん。まあ、岐阜には、旅行がてら行こう。って感じで。最初のたくらみは、右だけで十日退院。でも、当時、2010年六月は、「リョウアシです。」といわれたので、じゃぁ手術やーめたっで、第一バトルがちんこがドクターとくりひろげられたのでした。。。。でだしから、私はドクターの印象などが他の方々とかなり違います。。。。入院中と同じなやりとりです。
今後があるから、いっぱい言います。べつに、モンスターじゃないし、クレームじゃないです。聞きたいこと聞く。自分のことを聞きます。噂とかは聞きません。
ドクターはプロのプロなので、手術に対して孤高な感覚じゃないかなあ。あなたのオーダーメイド医療になんの不服があるのかと入院中いわれた。何もなかったんだけれど。。。ドクターに対しては。病棟に不服があっただけで。
ただ、部屋替わりたかっただけです。病棟の対応はかなしかったんです。はい。すごく嫌でした。窓あいてました。風邪をひかされました。プライバシーに無頓着な病棟でした。。。。などなど、私は入院中もいろいろあったけれども、ドクターによる不利益は全くなかったです。どちらかというと、いっぱい話をして、聞けたので納得したとこもあるし、しっかり言い返してすっきりというのもあったし。という感じです。
いろいろと言えないという方が多いらしい。。。また、こういう方のフォローも秘書さんの仕事だったんだよなあ。聞けない人ますます聞けなくなるよなあ。また、確認ができたんだよなあ。。。秘書さんの同席はこんど、自分で要請すればいいんだなあ。と今思う。
入院中は、私の願いでドクターには、ゆっくりのんびりやさしくではなく、「つっけんどん」で話していただいていた。方言の感じが私にはのんびりゆっくりまったりに感じてダメなんです。こういう願いもかなえてもらったのでした。ので、周りの方からは、けんかとか言い合いに聞こえたでしょう。北海道べんで話てたら、東京出身者が、「なんで、みんな怒ってしゃべるの?」といいいます。怒ってしゃべっていると思われる。怒ってしゃべっている、言い合いしていると勘違いされて損してきたことはたくさんあった。言い訳すら面倒なこの頃。でも、他の方ににっこりキラリンと話しているドクターを見て、失敗したかも。。。と思った。いや、いいのだ。
落ち着いてる時は、ゆっくりめで話す。標準語的にお話する時は、よそいきモードの冷静モード。早口の北海道弁は本音まるだしモードです。
さて、詳しく書いてもいいんだけれど、近頃、書くといろいろと誤解やらがある。私がいわれたことを一般論で受け取られて、「うそつき」になっていたりする。また、「同じ状況なのになんでいわれることちがうの?変。」とドクターが非難されることがある。同じ状況はありえないのだ。。。。けれど。。。。
この辺は、ティーチャーと同じなんだなあ。うちの子とあの子が扱いが違うとかのイメージです。。。。一人一人の教育なもので、同じはないんですぅぅぅ。あの子が悪くいわれるときもあるし、あの子の親が悪くなる時もあるし、まあ、ティーチャーが悪くなることが一番かなぁ。ティーチャーのせいにしておくという対応が多いかな。
そして、うちには教えてくれないとか。。。いやぁ、聞かれてないしぃ。。。。なんだなぁ。。。。
ので、どこをどう書いていいかわからなくなっている。ドクターとの話は一人一人違うだろう。。。
「あなたは、どっちの味方なのか。」とも言われる。掲示板やコミュのやりとりと、個人メールの内容がなんだかすごく遠い遠い方もいるし。。。だんだん混乱。もともとパソコン歴が長いので、情報洪水にながされないようにはしてますが、病気すると心も風邪ひいてゆらゆら揺れる。甥っ子にも注意された。。。この子は完全にIT世代なので、きもがすわっているというか。。。炎上とかは小中学生で経験、見てたり。。。私とは感覚が違う。。。
さて、ドクターの話の中で、今回は、病院HPの更新内容が多く語られた。あれ、めずらしく聞く前に話してくれるなぁと思ったのだ。私もあんまり聞くことなかったからかなあ。音のこと以外。。。。
札幌に帰ってから、HP更新されててまたいろいろな話が飛び交っているのを知った。
今回は、白衣長袖のドクターは涼しげで、半そでの私は汗だく。なんか悔しい。26度は夏です。七月です。
「股関節に思いをはせて生活、活動してください。」といわれ、「いやあ、せんせっ、私、いろいろと情報の洪水でナーバスになって、毎日、100パー股関節頭の時ありますよぉ。でも、ばってすぐ動いて、パキッて音たててるけれど。」
「だから、そこです。」「努力はしてまーす。思ってはいまーす。」と、おじいちゃんドクターとのやりとりに近くなってきてはいるかなぁ。腰のリハの先生にもしいわれていることですし。。。学校で管理職にもよく言われています。
 ・画像的にレントゲン、CTとしてわるいところはない。骨のう胞とかもないと
  かも含みます。
 ・音の原因的なものは、2,3考えられる。股関節として悪い音はある。どれと
  はいえない。
  音のところで慎重な動き、気をつけること、という話になる
ということでまあ1年に一度検診で大丈夫となった。が、冬休みは雪で大変だから、夏休みにくるなら、秋に一回検診して。。。その次から夏休みごとで。という計画をドクターの方がメインで考えてくれまして。
ので、今までのデータと紹介状は今回はいらないやということで。。。
音でなやんでいる方、安心しないでください。不安にもならないで。。。ほしい。音して、軟骨がへっている方もいた。削れている方もいる。私は50代といってもいい。腰悪い。股関節の変形はそんなにひどくなかった。一人一人違います。一例としてください。絶対大丈夫とはいわれていません。
また、「今はよくても、今後は。。。」とか、「あの先生は、いつも大丈夫って簡単にいう。。。」とかを思う方々も多くいらっしゃるでしょう。今の所わかりません。また、それを考えて不安になったり後悔したりはありません。何日か前にも書いたと思いますが、今すぐ死なないし、いますぐTHAではないし、職場復帰にむけてにこにこ進みます。経過をよくしていく努力します。経過をよくしていくため元気でいたいです。不安は心が風邪引きになってしまう。。。
まあ、よかった場合バージョンの話に移行する。1年検診といわれたらのバージョン。
 ・してはいけないこと しないほうがいいこと
 ・今後の筋トレとかリハビリ 私はスイマーでもあるのでバタ足系でいこうか   と。。。腰的にもバタはできるはずもないな
 ・学校復帰の注意事項 跳び箱の見本は今はあきらめてます。。。
 ・睡眠時間、栄養、体重、サプリメント
傷の話になってみてもらった。「腰よりずっときれいです。」と失礼なこといった私。おじいちゃんドクターごめんなさぁぁぁい。ドクターもきれいであたりまえっておもってるよねぇ。そういう縫い方だもんなぁ。すみませーん。なんでも想った事すぐ口に出ます。
動きの話で外転とか立って、ベットに術脚かけてまげたりした。。。
やっぱりいわれた。。。。「目標高すぎ。」  北海道では、「何が不服なの?」といわれる。私は不服なの。だっ。
まあ、いいか。と、「あなた、がんばりすぎるから、壊したら、もったいない。」はーい。わかってまーす。腰でもいわれてまーす。この3か月もすんごーくすんごーく我慢してがんばらなかったんだよ。
なので、リハビリはたのんでたけれど簡単にしようと思った。。。だってすごい忙しそうなんだもん。。。。そして、腰の先生と同じことをいわれるなぁと予測がついてしまったから。。。
こんな感じかなあ。内容的に。。。。
音は警告音です。私は痛みに鈍感で恥コツ骨折はやっぱりありましたが、痛みはあれだったろうという感じで、痛くはなかったのです。ので、音が警告。ばっと動かない、がんばりすぎない。など。痛みに敏感な方は痛みが警告でいいなぁと思う。痛かったら動かさないもんなぁ。。。。腰のリハの先生に「動かせちゃうからといってうごかしては、いけないっ。」ときつくきつくいわれてます。結構、まじめなのです。。。。守ってます。子供に規則守れ!とどなってるから、守りますよぉ。
1年は大事に大事にするように。がんばりすぎて、こわさないように。。。こわさないように。。。。腰と同じだわぁ。期間も言われることも。。。
どんな手術も、3か月、半年、1年ってなるんだなあ。。。

診断書
秘書さんに確認される、「どうなりましたか。」あ、そうかいままでみたく聞いていてもらえなかったんだわぁ。1年おき検診になったので、画像CDも紹介状もいりません。七月から職場復帰しまーす。と、このあと、ドクターの部屋に行きお話となっていたので、次の患者さんまで時間かかって申し訳ないな。。。過去2回は、すんなりの診断書だったので。。。
「受け取り後、内容確認してください。」と言われた。そうだよなあ。
しっかり、跳び箱禁止が書かれていた。ひゃぁぁぁぁ。股関節に衝撃をあたえない1年ということです。跳び箱の見本は今しません。鉄棒でグライダーなんて絶対しません。落ちて腰の骨を折った先生みていますし。。。もう、オルガンもマットも一人ですいすい運びません。。。あ、こっちは腰の先生との約束だ。。。。畑おこしもダメだったんだぁ。

リハビリ
かなり待った。この間に病棟の師長さんに出会う。。。。私は病棟でいろいろとあったので、気分は複雑。情報洪水の1滴にちょっと不信感がわいたりする。。でも、それが真実かはわからないんだけれど。。。。
腰の病棟よかったんだもの。腰のナースさんたちって素敵だなって思うのは、おじいちゃんドクターはちょっと不思議な方だし、術式もここと同じで独特。そんな中「うちの先生の術式は最高です。もう、すごい数やっています。とってもいいです。」といいきれるところ。それをみんなでフォローしているところ。すごく誤解受ける受け答えしちゃうおじいちゃんドクターでみなさん2週間で退院して仕事復帰できると信じていた。できないだろうことをナースさんたちがうまく説明したり、お話してくる。決して、おじいちゃんドクターの言い方悪いとかはいわない。決して、おじいちゃんドクターが不信をもたれるようなことは、言わない。言っても言い方がいい。。。。「ちょっとわかりずらかったかもしれませんが。。。」「先生からするとそうなんでよぉ。理論的には、大丈夫なんですよお、でも、実際、お辛い方が多くてですねぇ。。。。。」とかとか。みんなでおじいちゃんドクターの術式をバックアップしている感じ。リハの先生も。看護助手さんも。お掃除さんも。です。
これも学校と同じ。よく、学校の先生の悪口をこどもの前で言わないというのをききませんか。。。でも、難しいですよね。。。。それをやっているって感じです。
そして、岐阜の手術の話で「ここと同じく独特で新しい術式なんですぅ。」なんていったら、「一緒にしないでください。うちの先生は。。。」ひぇぇぇぇ。わ、わかりましたあ。一緒に語って申し訳ない。でも、腰の病院待合室も、術式に対していろんなことが言われています。ある意味同じに見えるんです。。。。岐阜はネットで札幌は待合室で。ギブは画像がパソコンデータ化で、札幌はフィルムでアナログで。でも、そっくりなんだなあ。。。
さて、リハビリですが、2WA先生に申し訳ないです。。。なんか、忙しい中、する必要ないなぁとドクター検診でもわかった。
まあ、状態みてもらった。です。私が腰とここと二つリハビリして思うのは、
 ・日常生活に不便のない可動と筋力
が目標だとおもいます。
すごくいいRAOのリハを聞くとこの目標が数値化されていて角度はかったり、重りをつかったり、数値化して記録されていたりしているけれど、上記の目標は同じかな。かかる期間が違うけれど。
と、だいたい退院時でほぼできていた。そして、2か月くらいで目標には達している。
ここまでだと思った。そのあとは、ドクターも言った「目標たかすき」で、あとは、ジムやスポーツ整形・スポーツリハビリみたいなこととなるだろう。股関節に思いをはせてできることをしていくしかないなぁ。。。。と。
RAOのリハビリ卒業と同じ感じの今の私です。。。。まずは、スイミングかなあ。。。。腰のドクターにまた聞かなきゃあ。
この腰ってのがまた大変なんです。。。そして、今はあまり私はかたっていませんが、筋短縮症もやっかいなんです。

先輩の方々
AAOで数年よい方、一本RAOで今回AAOの半年くらいの方などと待合室でごあいさつ、お話できました。
RAOの方の「昔、RAOも両脚をしていたことがある。」とRAOドクターのお話をうかがいました。なかなか、経過が思わしくなかったそうで、一本ずつになったようです。
条件があえば、3週間入院全荷重退院のRAO、前方進入式があるということに想いをはせる。北海道札幌や恵庭もありますし、たしか、九州だったと思います。AAOもいろいろと両脚の適応基準ができたように前方進入式も適応があれば。。。なんですねぇ。病院HPの更新で「ええっ!ひどい。」今までと違うっとさけびたくなるところですよね。。。。。
でも、これは、前進ととらえています。いろいろとあってここに来たということかなぁと。。。リハビリの表記をみると、退院後、リハビリという方が多くなったから、かなぁと思いました。。。わからないけれど。。変わっていくのは悪くないと思うのです。。。そして、今までのひとりこ一人の方がリハビリってかなり、声あげたと思います。やはり、ドクターには、言わなくちゃと思います。メールもします。時々ファックスもしてきました。
学校の中でも替わることに対しての想いある。若いころ私はいった。「子供はモルモットですか。」何度も指導要領がかわる。今、生活科世代の問題が出ている。。。何年かたたないとわからない部分がある。まあ、逃げでいうなら、決めているのは、文部科学省で私たちに権限はなく。。だけれど、よりよくを考えて授業構築するのだ。総合的な学習も。。。あり、小学校英語もはじまった。前後の子どもたちは、どうでしょう。。。「ええっ!ひどい。」です。。。。うちの子も生活科世代でゆとりだから、すごーく勉強量の減った時代であり、プラス、就職氷河期です。あ、話しずれたなあ。
変な言い方になるかもしれませんが、よりよくなるための前の世代で悪くない。医学は進むのだから。前の世代が悪かったわけでは決してない。と思うのです。その時のベストオーダーだったと思います。そこまでしかわかっていなかったからしかたがない。先の両脚RAOだってそうでしょう。RAOが年齢で適応外が多いのは、たくさんの症例の積み重ね。その時、今のAAOと同じくいろいろなことがあったのだろうと思う。RAOが年齢とか進行具合で適応かがかなり厳しいのは、いろいろと試行錯誤でおちついたところが今と思う。だけれど、プラス、一人一人のドクターの切り方や考え方、時代があるだろうと思う。
私は、AAO減量世代に分類されると思います。可動域をやってからの退院で、3か月無理しないでの生活世代です。ほんの半年前の方とも若干違うと思います。また一人一人でもちがう退院指導があったと思います。
私は術後3か月で、今、手術をしている方や手術検討の方の先輩になるんだなぁ。しみじみ。
今、私は音するけれど悪くなく、痛みなく、事務職なら復帰しているだろうなあ。日常生活にたいして不便ないです。でも、今日だって、すこーし、は行がでるだけで最悪気分になります。。。と、一人一人目指すところも違うのだろう。

サイトほしいなあ。。。
サイトあったら、いいなあ。いろいろな方のブログやサイトにいくけれど、今までのようにはいかないのだ。。うーん。私は過去のこととかわからない。また、三月のことも知らない。あたらしい病院でのことも知らない。知りたいなぁ。。と思う。
手術検討の方はもっともっと願うだろうなあ。AAOの退院までの期間の短さが前方進入式RAOのように入院が短いということがとても重要な方にとって、いろいろなメリット・デメリット、気をつけていくことなんかを把握して納得の手術ならなあ。。。入院期間短いがすごくすごく重要だった私なのです。同じ人いるだろうなぁ。。。。掲示板残っていたらなあ。。。
次の検討している方々、術後の方、知りたいがいっぱいあるだろうな。私はぎりぎり情報が得られてラッキーでした。



2011.5.11、術後94日、退院80日 病院リハビリ

病院リハビリ
岐阜からかえったら、くらーい顔してくるかも。。。といっておいたので、はやく報告しなくちゃと行ってきた。「やっぱり、卒業だねぇ。」ということですが、まあ、2週か1か月に一度程度見てねっということで。。。
腰に平泳ぎはダメみたいなので、まだおじいちゃんドクターから聞いてませんが、ビート板もってバタ足だな。。。もしかしたら、一生バタフライできないのかなぁ。。。。。ターンなんて聞きもしなかったけれど。。。腰の手術後できなくなることは、聞いてなかった。。。「先に言ってきださーい。」ってこういうところです。。。。きかなかった私が悪かったかなあ。。手術したら、すっきりさわやかっていったじゃん。。。今後のことはまだ考えがまとまらない。
父親を外出で1時間連れ出す。今、さっぽろは、つつじ、レンギョウ、こぶし、梅、桜、桃が一斉に咲き誇っているのです。
今年は、梅がおそいこちらは、一分。桜は満開。あと何度桜みれるかなぁって。。。母は、最後五月に家の桜を見て、運動会の合図の花火を聞いて来年の話はしたけれど。。。次はなく逝ってしまった。。。から。とにかく今、全部みせたい。
うちは、桜。お隣は、梅。お向かいが桃。向こうにこぶし。。。とご近所でもお花見すべてできるのがすごいよなあ。
と、札幌戻った日からとにかくバタバタしてる。学校提出書類診断書まとめてとかとか。。。。一気に忙しい気分です。来週、プールかなあ、スポーツジムのプールかなあ。。。

もうあまり書かないと思う
いや、書けないだろう。変化は少しずつだし、職場にもどるし。。。働いているとき、あまり私的にパソコンつかっていない。三十数年の中で十年前に脱パソコンとかってやってた。そして、やっぱり、恐いのだ。昔々恐いとおもったのとやっぱり同じ。いいこともたくさんあるけれど。誤解や文字表現の難しさ、情報洪水、様子見、空気読む、炎上、攻撃、いろいろいろいろ、あった。。。。昔々は、ネットストーカーかなあ。。。また、ネット上のルールの把握の違いとかとか。。。私だって個人情報的に個人名はだしてなくってもある程度出てる。そしていま、患者サイトでないから、ドクターは個人になる。。。。とかとか。学校のパソコン管理とかずっとやってきたので、結構、ぴりぴりとしてしまう。。。。胃が痛くなる。。。でもなあ。。。AAOの情報ほしい人いるんだよなあ。RAOした方でも、もう一本のときは、入院期間的にAAOを検討してる方とか。。。やはり、RAOの適応外の方とかとか。。。北海道からいこうとしている人いるよね。。。
私の計画は。今後両脚温存で。。。なんだけれど。。。禁止事項も多いし。。。
でもでも、私がサイトとかかわった時、どうしてみんな手術したところか、三か月検診かのところで話終わるの?のあとが知りたーいと思った。一年、二年、サイト閉鎖あたりで、片方二年半程度でもう片方一年くらいという方いたんだよなぁ。。。
また、THAになった方とか。。。最長で四年の調子よい方。。。一年以内の不調な方、一年程度でTHAの方。。。
その後知りたいよなあ。。少しずつは書きたいです。。。
そして、今、いろいろと考えていることをまとめて書きたいんだなあ。。時間あるかなあ。考えまとまるかなあ。。。できたらいいなあ。です。これができたら、あとは、少しずつ近況で。。なんてどうだろう。職場復帰の様子って聞きたいとこだよねぇ。。。。どうなるかなあ。この二日間だけでも、かなり時間かかっている。目も疲れているし、パソコン前は、腰が。。。。

調子悪い
札幌帰ってきて昨日、今日、まあ、音するするするする。すごく歩いたもんなあ。腰にもきてる。いつもの自主リハが減ってたると、病院リハで動き悪かった。。。です。。。はぁぁぁぁ。毎日するって大切なんだなあ。そして、どういうわけか、二キロ近く体重アップ。二日でなるはずないんだよなあ。まあ、アップの理由はわかっている。ナーバスな日々、落ち込みの時、たべましたぁぁぁぁ。甘いもの、脂っこいもの。本当に、心病むと全部くずれるんだなぁ。しみじみ。
戻ってきて、甘いもの油ひかえてます。ドクターと体重のこととサプリ食べ物の話したんだよなあ。。。いやちょっと今ひどい食事というのは言ったけれど、体重は大丈夫でーすなんていった。。。どうして、増えるときは、胸のカップからではないのだろう。。。。そんなことでなく、やっぱり元気に笑ってないとダメなものなんだなぁ。軟骨にサプリより食事栄養とどこのお医者さんもいう。これは、得意。だけれど、やる元気でないときもあるんです。ジャンクフードがむしょうに食べ続けたいときあるんだなあ。脚だるいしぃ、なんだかなあ。。。といいながら、父親つれて近くの公園で桜見てる。。。。

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ジューンの股関節症物語8の2 術後2カ月から3か月

2011-06-19 19:23:29 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.4.27、術後80日、退院66日 元気です

元気です

じたばたと考えて、すっきり!子供にもよくいいますが、「死なないから大丈夫」という感じ。悩んでもニコニコしてもTHAになる時期がいつか、くらいなもんだ。私も食堂でみなさんを凍り付かせるかな。そうしたら、いろいろ教えたいわあ。音したら、CT予約とか。ゆうこりんこさんの物語り、minminさんの物語りみたく伝えたいな。でも、残念ながら、サイトはないなあ。。私は他の病院にいちいち説明も面倒だから、THAならまた岐阜だわ。新しい病院。病院はびっくりだろう。モンスターペイシェントがまたきたあ!だろう。モンスター退院でよかったのは、私は対応早くなった。自分でえらべれるようになった。です。診断書二、三週間かかるといってたかたもいたなあ。。どの診断書かなあ。。保険やさんのはどこもかかるかなあ。
と、元気です。思いっキリジタバタもいいなあ。さて、さて、病気休暇は神様のくれた休日。お金ないけど、復帰できる恵まれてるね。でも、産休とれなかった。結婚お祝い金とかないし、まあ、ここで巻き返し?あんまりうれしくないけど。介護休暇も悲しい休暇だったけど。死んだら終わりだから。。
モンスターで病院帰るのも楽しみかもかも。
脚はいつも通り。音するけど悪くない。術足少し太くなったと思う。

経過よくなかったら

術式がどうこうは、しかたない。RAOもいろいろ術式ある。RAOで座骨骨折で一年たっても杖を使ってる方いる。こちらの方が本当に不運かな。だって滅多にないんだもの。通える病院で通院できるよね。手術病院。なかなか通院できないと不調は最悪気分だよなあ。
どんな状態が危険かとか、どう対応するかとかを綴りたいなあと思う。
北海道からの手術の距離的問題、地元病院の対応、大変だよなあ。
さて、地元の股関節病院にお世話になるとききたら、どうしましょう。


2011.4.28、術後81日、退院67日 病院リハビリ

病院リハビリ
惰性という感じ。近頃は整体のように、「付け根伸ばしてください!」とかいってる。五月検診の2WA先生の指示待ち。はあ。

感染症
私と同時期の方もいたとか、三月たくさんいたとか。。おどろいたら、「仲良くならないとそういう話ししない」と。。悲しくなった。私コミュニケーションとったけど、まどあいてて、術後すぐ風邪で咳だしたくないし、うつしたくないから、ひきこもった。診療内科まわしになったから、入院期間二週間のうち、後半一週間食堂出てない。誰にも嫌な思いさせたくなかったし。三週間くらい入院していて外出してる人とかうらやましかったよ。。私は病院前ポストにも行かせてもらえなかったし。外出できるのに退院まだで、外出できない私が先に退院。入院したときひとりぼっちだった。病室の関係で。。ああ。。仲良くなってる時間なかった。
そして、術後三ヶ月くらい菌に気をつけるよう言われた人もいる。風邪もだって。。
病院が衛生管理なってないから、なるの?不潔な病院だからといわれた。じゃ、不潔プラス風邪で、今、傷むずむず痒いよ。。自信もっての語り口調だから、そうなのかな。私は覚悟で遠くに行ったけど心弱くて知識なくて。ダメダメだなあ。
入院中も患者さんの断定表現、自信満々の表現に疲れたんだった。。どうして自信あるんだろう。。医療関係者に確かめて違うことあったよん。
札幌の腰の待合室て「それ、誰からいわれたの?」「ともだち!」「なんだ、ドクターじゃないんだ。」あっはっは。はよくあったけど。。
悪意なくても聞いていて疲れてしまう。


2011.4.29、術後82日、退院68日 悲しい

悲しい
札幌もそろそろ桜。巷はゴールデンウイーク、イギリスロイヤルウェディング、フィギュアスケート世界選手権。ドクターがいった、「何してもいい、術後三ヶ月」まであと一週間。音さえなかったら、私、一週間前倒しで走ってる気がする。。わたしは、無駄な歩行禁止といわれたが、「荷重かけない」はメール問い合わせでいわれた。一人一人違うから?言い忘れ?だって、私の退院指導、本当にあれよあれよでバタバタしていたもの。おまけにデダシハ、診療内科の話しで私の返事、「札幌で精神科いきますから。」から、はじまった。あ、診療内科の先生からは、おかしくないお墨付きいただいてますよ。音は荷重なの?じゃ一年前の方々の一ヶ月で杖を離していくっていうのは?確かめる退院指導書ないもんなあ。腰はある。ああ、あの外転とかの絵読み取れないから、改善もとめたけれど、あのままかなあ。。悲しいとナーバス思考どんどんでこんな感じ。だから、笑っていくことにしてます。ま、いっかあ。。です。


むずむずかゆみとか時々ある。ヒキツリ感が抜けてきた。擦ったし、ひきちぎれるかと思っていたけど、落ち着いてきた。と、背中の傷一つ、すごくきれいになっていた。びっくり。今の傷は赤太いボールペン。少しカタイ。下着のゴムのあたるあたりは平でやわくなってきた。

ダイエット
今してないけど甥っ子に叫ばれた。暖かい日で長袖シャツに腰のコルセットしてたら、「なんか枯れた枝だ。」わかってるよぉ。干からびてるんです。やせてるではないよね。

背中のはり
腰わるくて手術した方に、背中にはりはありませんか。。と聞かれ、その時はないと思ったけど、今日感じた。あります!はあ。


2011.4.30、術後83日、退院69日 サイト閉鎖

サイト閉鎖
掲示板が一足さきに閉鎖になって、がっかりしている人いましたね。私はは偶然、閉鎖決意前の掲示板みたけど。。あとで書き込もうと思ったら、あらら。あとで、だから後悔なんだよね。。いろいろありがとうございました。わたしはまだまだちょっと物語り書きますが。。

気にしてないとき
ゴールデンウイークを利用して、同窓会やらの会議や飲み会が続く。会議にデテルトキ、何もない。痛くも痒くもない。股関節のこと完全に忘れてる。ずっと忘れていたいよ。



2011.5.1、術後84日、退院70日 サイトがない

サイトがない
去年2010年五月から、見るのが週間になっていた。そして、物語り書くのに掲示板とかの話題も見てた。さて、さて。自分は音以外は気にしてない。二ヶ月四週。時々傷まわりむずむずってする。痺れ感みたいのがある。あと一週間でなんでもOK予定。検診で何事もなければ走って帰りたい。術足、立っていると太さが気にならなくなってる。お尻の筋肉は術足の方が鍛えられてるイメージ。日常生活動作不便ない。

心が病む
入院中、病気だといつもと違い、心が病むという。術後もだなあ、疑心暗鬼、不安、見えない未来に押し潰されそうで。聞いて聞いて!私は!わたしは!でも!だって!なんで!こんな感じかしら。。いろいろな情報に一喜一憂して。。でもその揺れ動きを記すのもいいかしら。。と思う。
悪いと妬みそねみが知らずにでて誰かか何かを責めたくなる。自分は傷つきたくないこれ以上。というイメージ。あと一週間で岐阜にいる。ドキドキ。

ストレッチ
延ばすと気持ちいいので様子みながらのばしてます。ついつい子供のころしていたバレーみたく片脚持ち上げたくなるけど腰も悪いしムリムリ。札幌帰ってきたころに比べたら、すごくいいんだなあ。ついつい当時を忘れるから綴る。。


2011.5.2、術後85日、退院71日 腰の病院で

腰の病院で
すごい混み方ゴールデンウイークでも病気は待った無し。いつもの時間にきたけど、いつもの倍の方が朝7時半。徒歩5分の病院は楽だ。腰は順調。「よく養生して、いい骨だねぇ。」いや、そんなに養生してない九ヶ月。岐阜は遠い。岐阜の三ヶ月検診に向けてトレーニングやスポーツやしてはいけない動作を聞く。すらす、ひねるはダメとの事、例えばテニス、バスケ、バレー。スキーはこぶ斜面禁止。多分ジャンプも。フリースタイルは一生だめだなあ。歳だし。スピードも禁止になったあ。わかるなあ、すごい転び方したら困るとのこと。畑おこし禁止。除雪禁止。ごめん、ひねらないようにやってました。あ、運転で捻るようになったなあ。。きゃああ。。
自分の希望は水中ウォーキングとエアロバイク。「それはひねるかい?」とおじいちゃんドクター。絶妙にナースさんが「大丈夫ですネェ。」と。このかけあいがいいわあ。岐阜は。。これがよわい。腰のナースさんは鉄壁のフォローです。
あとは股関節しだいだわあ。あ、プールでは硬性コルセットしようかなあ。


むずむず。下着のゴムのところたいら、下着にかくれるところ、まだ、固くちょっと盛り上がり。下着からでるところ、横の引き攣り感もある。うーん。背中もそうだけど動いたり「あたる」とこは綺麗になるのに時間かかる。そういえば、先輩の物語りの中に「帝王切開にはるテープ」というのを貼ってる方が治りよかったとか。
峠が雪といってる。岐阜は20度こえてる。どんな服きていけばいいんだあ。困ったあ。コートをトランクに突っ込むしかないかなあ。。
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ジューンの股関節症物語8の1 術後2カ月から3か月

2011-06-19 19:22:56 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.4.1、術後53日、退院39日 調子を整える

調子を整える
仰向けは腰をかばってリハビリでしかしないが、仰向けになると付け根付近がひきつる。ので足首を動かすストレッチで延びて楽になる。ついつい負荷の大きいストレッチや筋肉トレーニングに走りがちの私。足上げができないとなると。。また、音がならないようにするには。。と試す、感じ、考える。。の繰り返し。ほぐすはいいなあ。
また、中臀筋というのかな。お尻がキュッとなるところ、お尻のえくぼ。ここを動かすのもいい。特に腰や座骨的に。入院中、動かしたり意識したところだ。負荷ばかり考えずに基本にもどるでいい感じ。
今日から四月、入学受け付け日だな。新年度最初の一歩の日だなあ。。

術足下に
いつも横向きは術足上なんだけど、筋肉がないせいかどうも、ダメ。起き上がって動作開始でコキコキ、パキッで。また、ガクンと骨が中央によるイメージがある。
ので、術足下にしてみると、いい。傷はもう痛まないし。動き出しに違和感がない。ちょっとこれでいってみよう。
仰向け大丈夫な方はいいんだろうな。両足でこの腰なら、どうなったろう。入院中、両足の方と一緒でしたが、大変だったろうなあ。と。しみじみ思います。
足上げの代わり
どうしても負荷を求めるスポーツマンなので椅子に座ってだけの筋肉トレーニングはなあ。と思いながらも基本は大切と実感している。しかたない、仰向けで膝あげだあ。

2011.4.2、術後54日、退院40日 慎重に。
ちょっと慎重に
ちょっと慎重に生きてます。経過があまりよい方向でない方々からの助言あり、音にナイーブになり、ちょっとお疲れモードになり。父親の施設移る荷物とか考えたりするだけで疲れてしまう。


2011.4.3、術後55日、退院41日 患者サイト
患者サイト
昨日夜ちょっとのぞいて、うーんとうなった、掲示板、パスワード掲示板。みなさんのいろいろな想いがたくさん。想い、考え、意見、愚痴、批判、感謝、不安、いろいろ言える、書ける、発信できるそれだけでありがたい場でした。今も。ただサイトは難しいと私個人は長い長いパソコン生活で思う。掲示板でも途中から新規参入して意見書くの難しいとか、気をくれとか、あるなあと。私は日記のように書かせていただきありがたく、です。また、たくさんの情報を得られたこと。だから、自分も物語書いてる。もしかして、今のナーバスになる音は☆☆の前兆でした。ガーン。とかになって誰かのお役にたてるかなあ。とか、漠然と考えてました。入院中、ドクターとガチンコの中で、自分としてあとになってわかるということを理解した。それは、痛み。痛みない方なんだけど、夜中、悪夢となる。悪夢ではなく、現実の痛み。すごかった。これも、物語に書いてありります。ドクターに、それは、あなたの痛み、あなたの痛みの出方、一般論ではない。と。悔しいけど、その通り。荷重やリハビリでは痛くないんだけど、同じ姿勢がダメな私で、今もです。朝起き上がるとき、気合いはいって、さて、今日はどうだ!と。本当に掛け布団が重たく痛みに拍車かけました。反対に、入院中、痛いと昼間苦しい方が寝るとか安静の時、よかったりしてた。
事実と気持ちを書いてきた。病んでいるときは、気持ちが大切かなあ。と。こんなことが不安になるとか、イライラするとか。今は天気。今日は雪。さっきまでの雪はキラキラと気持ちよかった。今は、空はどんより暗く吹雪っぽい。気持ちも暗くなる。から、また、書き留めている。個人であまりリンクしていなくて、ブログ書いている方々もいて、眺めてるだけですが、参考になる。音する人発見して、同じような方いるなあ。と。その方は、よい方向的なので安心してみたり、も、する。反対の時もあり、五月の検診嫌だなあと思ったりもする。うーん。難しいなあ。。
雪降ってる。 空が泣いている


2011.4.4、術後56日、退院42日 腰九ヶ月検診
腰九ヶ月検診
レントゲンみて、「いいね。骨しっかりしてきたね。順調です。」といつもと同じでホッとする言葉を聞いて安心。でも、股関節術後、腰の痛みはやっとひいたところ、腰の辛い感じは術後五ヶ月くらいに戻った感じ。おじいちゃんドクターにはいわなかった。前回はいったけど。筋肉と手術続いたらねぇ。。ということで、腹筋してくださいに戻るわけです。
さて、正面の腰のレントゲンには、ちょうど股関節が写ります。いやあ、隙間ちょっとしかないじゃん。。とつぶやくと、「きちんとかぶってるよ。大丈夫だよ。」どこまでわかって言ってるかは不明です。とにかく腰オンリーなドクターなので。そして、私はレントゲンを過去あまりじっくりみてきてなく、みてもよくわかってないと思います。
腰はよくわかります。はっきりくっきり四番、五番がずれまくっていたので。。それがズレてないというのはわかる。
レントゲン映像を忘れないように術後一週間くらいのレントゲンのプリントアウトと比べるが、大きさと鮮明度が違って隙間しかわかりませんでしたあ。
帰り道、雪の間からクロッカスが咲いていてうれしい。うちの庭は水仙とチューリップの芽がニョキニョキでてきたところです。
そして、やっぱりサイトのレントゲンをみている。引退はやっぱり困るかな。。腰の病院のレントゲンはアナログで大きい。ガタガタとした内側のいびつさが初めてわかった。びっくりしたあ。CE3みたく滑らかになるのかなあ。はあ。

リハビリ八回目
リハビリ中は音わからない。多分、周りがうるさいから。家ははっきり聞こえる。父も母もなく、甥っ子は上だから。。足の抱え込みはCE3の八ヶ月くらいの写真です。と、、やっぱりサイトあるといいよなあ。。
お姉さん座り方向がどうもダメ。でも、抱え込みも、昨日かおとついくらい、あ、よくなったと思えたんでした。前よりはずっといいんだからなあ。。最近はとにかく音が気になって。
と、掲示板に音の事書いて下さる方もいて、やっぱりサイトあるといいなあ。と。


2011.4.5、術後57日、退院43日 傷がかゆい
傷がかゆい
腰の時もそうでしたが、服の素材や触れる感じなどでかゆい。腰の時は、プラス夏なので汗、コルセットの締め付けでした。寝ながら、ああかゆいなあ。と、さすさすとさすっていました。腰の時にもらった軟膏を塗り、服を変える。ちょっとオチツク。掲示板に傷が固いとあったので触ってみる。実は、私はあまり触れないのです。。なんとなく。カサブタはがすのは好きなんだけど。
固いところもある。でした。ちょうど、下着のゴムのあたるところが1番平らです。赤いボールペンから、茶色かかったペンの線みたくなってきたな。

アンケート結果
アンケート結果の後悔してる?が本当に半々の結果になってますね。難しいなあ。私は今現在なら、よかったかな。運転できることと二週間で帰れたこと。これ以上だと父親な状態が危うくなってしまう。一ヶ月なら、どうなっていたかなあ。
でも、三ヶ月検診でなんか悪いとかなら、急に後悔かも。。まずは、一年くらいたたないとわからないかなあ。あ、腰壊れたら、大後悔だわ。
本当に一人一人違うんだなあ。痛みがあるかたは苦しいよなあ。。私、人生で痛みなかったときあまりないから、痛みゼロになったら、どんなだろう。

先輩股関節物語
時々読み返して、あ、そうだなあ。とか、学んだりする。昨日はレントゲンを見た。内側のいびつさ。
今後も考える。今年更新してる方が多いからです。一年くらいでもう片方手術してる方結構いるなあ。うーん。THAの方もいるなあ。
左は痛みと進行度合いと言われた。いつなるかなあ。いてくるかなあ。
と、サイトあると助かるんだけど。

暖かく調子よい
暖かいからか、調子よい。昨日は二十年ぶりの寒さ、アイスバーン路面の朝で、今日は今年最高の十五度。すっと足が動く。びっくり。
出掛けてると調子よい。気がまぎれるからか。な。音していても聞こえないからかな。腰は立ってる方が楽だったよな。椅子に座るが最悪だった。
今週は暖かいというから、楽な日々だといいな。


2011.4.6、術後58日、退院44日 いい感じ

いい感じ
朝起きて動いた感じがいい。私のいいは、まず、起き上がりで腰にくるかどうかが1番のチェック。股関節ではない。そして、股関節が音するかなあ。。です。まず腰にこないから晴々気分。腰悪くない方々は股関節に集中できるのかな。いいなあ。
今日は父親の退院、施設移転。疲れたぁ。はあ。

サイト閉鎖
昨日の掲示板で今月、閉鎖。とでてた。
自分の体験が還元できるかという時だったけど、私は特例九月まで。申し訳ない気持ち。
入院中、CE3に迷惑かけ、なのに、励ましてもらった。今まで病院批判やドクター批判に、クレーマー的にとられないようにかなり気を遣って書いてきた。すごく危機感があった。AAOの術式がどうこうよりも体制。私はドクターをジェネラルと呼んでいた。神の手などのドクターもそんな感じだと思う。ほんの一例。手術がメインで術後の食事はあまり考えてないというか目に入らないのだろう。でも、普通食は無理。それを進言するナース、スタッフがいない。気がついているスタッフはいても、ドクターのパスが最優先になってる。うまくドクターに伝えるスタッフはいないのかあ。とか。かなりの患者さんが食べれてないのに問題意識ないともいえるなあ。
こういうのがいくつもいくつもでついには、何を聞いてもドクターに聞いてからなのだ。でも、術後二日目の生理の対処はドクターじゃ無理だよなあ。。誰も対処出来なかった。。。腰の時はトランクスで生理パッドは無理だから、傷にさわらなければ女性用下着がよいとか、オムツとか、ナースさんたちと話してどれにする?って感じでしたねぇ。股関節の時は生理ですといっても具体的提案はないし、気をつけることも言ってくれないし、たぶん、ドクターまで話し伝わってないでしょう。私はオムツや尿とりパッドをすすめます。なんだか、手術のたんびに生理です。。
話しがそれてしまった。何度も先輩もの語りを読み返したりしてきました。サイト閉じるのは残念ですが、、、私は恩恵ばかりうけて、還元できず、申し訳ないです。
CE3、先輩の方々、掲示板の方々に出会えたことに感謝です。
そうそう、遠くから行く私が、札幌のドクターやリハビリな先生に説明するとき、インターネット見て下さいとよくいいます。病院のサイトより患者サイトを見る方が多い。また、説明が難しいくてもサイト見てもらうとわかっていただけたので。。リニューアル後の術式のところがわかりやすくよかったなあ。。

傷がうずく
カユイからはじまって、傷の周り全体が正座後の痺れづくすぐったい感覚がおそう。さする、さするです。切り傷そのものの不愉快さです。脂肪腫とったあとの耳の後ろの違和感、麻痺感、不愉快さと似てる。何がおきているのかな。熱をもったりも特にない。ひゃぁぁ。です。
あ、今日は始業式だな。三回目に決めた復帰日だ。事務系や中学の主要五教科の先生ならできそう。

2011.4.7、術後60日、退院45日 術後二ヶ月だあ!

術後二ヶ月
悪くないな。幸せなことに。不安はある。音、軟骨ない音なら最悪。腰はすごーく楽になった。膝抱え込みはまたちょっとスムーズ。お姉さんすわり、女の子座りの関節は固いな。。でも確実に少しずついい。家の中の独歩、無駄じゃない歩きは、歩幅は小さい。階段は階段の種類による。階段の高さや奥行き、角度ってそれぞれで。手摺り付きの階段は手摺りつかってスタスタ上っていることもある。無意識にできるっていいなあ。家事とかで座り込んで、やしゃがみ込んでのあとジタバタと立ち上がれないときがある。
痛みはあまりない。筋肉痛的や体固いのに頑張ってますの痛みや術足上にした横向きの時ちょっと重たい。傷の痒みや不愉快さがある。
腰も悪いので靴下はいたり、爪切りはキツイ。
立ってるとき無意識に術足じゃない左に全荷重をかけていると感じた。
立った状態で足の太さ少し同じ感じに近付く。お尻だけで椅子に座っても前ほどの太さの格差は感じない。太さは違うのは確かだけど。
本も読めるようになった。元気になったんだなあ。出掛けたくもなっているし。

今後の心配
いつか人工になるだろう。その時、札幌ではなんていわれるかなあ。この薄い切り方じゃダメとかあるのかなあ。どこかのサイトで自骨手術なしからのTHAが1番いいようなこと書いてた。どこかのお医者さん。手術後は難しいというか、どんな表現か忘れた。。が、手術回数増えるほど難しくなっていくとか。。で、自骨手術した人が手術後悔してた。RAOかキアリーかはわからない。けどした人。これを読んだ手術した人であまり痛くなく進行もあまりなかった方で人工になるのはショックだよなあ。RAOだってAAOと同じだからなあ。
札幌のドクターRAOだけど聴きに行きたくなるなあ。自骨できる時にした方がいいと言ってたなあ。。どこまでもつかわからないけど、自骨は今という感じだった。うーん。私は最初から、後々ゆっくり、要するに退職したら、人工希望だったからなあ。。まっさらの状態で人工がいいなら、札幌のドクターもRAO奨めないよなあ。とか。人工までどうするかは、患者の意思か。。また、状態か。。入院中六十代の片足RAOで十七年で反対側AAOのの方いたけど、筋肉鍛えていて人工にならないでいけそうだなあと思って見ていた。
今、私は温存派です。筋肉でもたせるぞ!です。
ティーチャーやめたら、人工でも大丈夫でしょう。どうなりますやら。


2011.4.8、術後60日、退院46日 薬終わり

薬終わり
セレコックス、痛み止めの飲み薬が今日でおしまい。ボルタレンはごっそり残ってます。退院時、薬手放せなくて不安でいっぱいで、まあ、腰の先生にだしてもらおうかとか考えてた。
いつもこうやって先々考えるのが、私です。ドクターはいつもそれを「ナンセンス」と言った。今になると悔しいけど、ケッカテキにそうですねっ。です。でも、患者ってこうやって先々思い悩むんじゃないの?私だけ?ドクターの「それはあなたの場合です!」の声が聞こえてきそうです。

病院リハビリ
術足の右をかばうらしく、骨盤はずっといわれてた、逃げる感じでひねりがある感じ。本日肋骨下までいじられた。右に傾く感じ。普通に立ってるとき完全に左に全荷重です。無意識。「あ、今荷重ダメっていわれてた?」と聞かれ、うーん、言われてはいないが。。無駄な歩行禁止だけだなあ。。うーん。左右均等を少し意識しないとダメだなあ。。メール問い合わせの元気は減少中。いつもなんか間の抜けた返答なので。。なんとなく、検診までほって置いてる。そう考えるとお金と時間かかるけど、二週間おき、一ヶ月おきの腰の検診は安心感があるかな。可動域は少し広がっている。痛みなし。終わったあとすっきり。なのにちょっと重いもの持って逆もどり。やってしまった。でもまたすぐやるんだよなあ。


2011.4.9、術後61日、退院47日 薬はない
薬はない
薬ないのに寝てるとき、寝返りで傷をずってしまい、傷が裂けたかという痛み。ショック!うつぶせで寝るといいのかな。腰のドクターにはうつぶせか横向きといわれている。切り傷の痛さとは、学校にいるみたい。切り傷、擦り傷、よくなってたなあ。ああ、アオタンもしょっちゅうだった。
調子悪くない
いつもの口癖。いいとはいえないけど悪くない。なんとなく違和感があったり、音したり、力入らなかったり。重たい感じもある。けれど、動けるし、痛み止めが必要でもない。可動域も一ミリずつよくなっている。


2011.4.10、術後62日、退院48日 膝やだなあ

膝のロッキングから、なんとなく痛い感じ。いつもはあまり意識しないんだけど。腰に続き、術後は不安を感じる。筋肉といわれてはいるけど。。
出かける
どうしても見たい映画がよる8時半。父親のめんかいがいつも1時か3時から一時間。これで自由がきかない。就職浪人の甥っ子の食事はできるかぎり作る。心が壊れないようにみている。若干、情緒安定。なので、夕飯後だし、チャンス。
出掛けてみたけど5分の道程が倍から、三倍に感じる。どんどん追い越されていく。はあ。こんなに体力や脚力ないんだなあ。映画館の椅子はまあ大丈夫でした。帰り道駅から5分が何分かかったかな。
昔は振り返ると児童がついてきていなかったり。。というスタスタだったのになあ。。


2011.4.11、術後63日、退院49日 歩いたあと
歩いた日のあと
ずーんと重い感じ。昔昔?の手術前の寝ても痛みとれないイメージを思い出す。そんなにひどくないんだけど。思い出すした。昨日程度でこれなら、ちょっと働けないなあ。。と思う。腰のときも耐久力なくなったと思った。はあ。
うれしい知らせ
同時期入院の方が退院後診察でよい方向で。うれしい。自分も続きたいなあ。いいな。自分がすごく悪かったら、どう思うんだろうか。と、ふと考える。嫉妬するんだろうなあ。どんな状態の方も多かれ少なかれ、不安をかかえて生きているのだろうな。

2011.4.12、術後64日、退院50日 病院リハビリ
リハビリ いつも通りです。お姉さん座りできないの。です。骨盤、右に傾きます。少しは可動域広がっているけど停滞中。
音だけはうるさーーーいっ!ってくらいするのになあ。
庭の桜が少しふくらんだ。でも明日未明、旭川は雪だとか。。
日々日常
忙しい。父親の面会、冬囲いの撤去、自分の病院、とサイトのぞいていない。月曜日、手術した方いるんだけど。。日々日常に戻ってみんな書き込まなくなるのだろうなあ。


2011.4.13、術後65日、退院51日 気が滅入る
気が滅入る
地震があまりに続く。未来がみえない恐怖感。足も同じ。甥っ子の就職も同じ。父親の認知症のいく末も同じ。今日は雨、ドンヨリ暗い。でも、冬に向かうのと違い冷たい雨ではなく、反対に、雪でなく、雨なので一雨ごとに春なのだ。
傷あとは赤い線。盛り上がりはない。でも、寝返りで肉が裂かれる痛みを感じた。まだまだなんだなあ。腰の傷も一つ疼く。もう九ケ月たっているのだ。。
まあ、一日一日いくしかないんだなあ。
パソコン三日くらい開けてないなあ。。


2011.4.14、術後66日、退院52日 いい日もあれば

いい日もあれば
父親、精神科病院から老健に移って一週間。私もなれずとまどい。父親は信じられない量のお菓子を食べる。本人は、三、四日かけて食べているという。はあ。売店禁止をやっと納得。今、徘徊がすごいらしい。が、私が面会に行って置き去りにしてると思われてたり。。で、施設長のドクターと面談になってしまった。施設長も偶然の入院で退院してきたばかりで面談が遅れたとのこと。精神科のドクターもすごいな。入院先のドクターはちょっと。。だったので。
で、認知症と形成不全に共通点を見出だしてしまった。
治らないということ。
認知は薬で形成不全はAAOなどで進行を遅らせることはできる。
行き着く先は、一人一人違い過ぎるということ。家に帰ってこれるかもしれないし、精神科入院かも。私は温存かTHAか左も手術か。。
そして、いい日もあればダメな時もある。。はい、私の術後もです。
認知もいろいろあって、父親の徘徊、認知は進んで体は元気が1番介護者が大変とのこと。認知も本当にすごく一人一人ちがう。半年前、父親はたべなかった。栄養失調で死ぬかというところ。今は食べる食べる、食べたこと忘れるです。。。
股関節も変わるなあと思った。。し、また、あまりに一人一人違う。
母親の癌の自宅介護からたくさんの病院、ドクターと会った。半分とはかなりガチンコ勝負だった。今回は前回の病院と違い、向精神薬の説明を先にしてくれたから、なんとなく安心。前の病院は私がおかしいと思って聞いたら言うだった。ぎづかなかったら言わなかったんだろう。知らないって騙された気分。私の腰も股関節も同じ。でも、腰のおじいちゃんドクターには怒る気分にもならず、笑ってしまった。父親のドクターとも話題になるおじいちゃんドクターです。
どんな病気も通じることあるなあ。。と。
母親の癌末期もある意味同じだ。余命三ヶ月から一年以上元気な方と母親のようにあれよあれよの場合。打つ手なしだけど、モルヒネなどで、痛みあまりなく寝たきりの苦しみなく。。何がよかったかはわからない。。さて、私はどうかなあ。自骨手術はよかったのかなあ。。
今日は十五度、ポカポカ春の日。昨日ねの寒さはどこいったかな。。寒い日もあれば。です。


2011.4.15、術後67日、退院53日 リハビリ

リハビリ
病院のリハビリ十回こえた。五月の検診で筋トレがよしとなるまでいつも同じ感じ。でも、五月で異常無しならスポーツ整形を考えてる。または、スポーツジムはないのでスポーツクラブのヨガか、マシーンの筋トレ。プールも考えたけど。。実はすごーく泳いでいた時期があるので、スイマーになったら、股関節を忘れそうだ。。から。。うーん。プールなら地域プールにいきそう。。病院リハビリはどちらかというと整体みたく気持ちいいわあ。になってます。。病院もプールもスポーツクラブも10分圏内に存在してることが、都会だよなあ。。さて、札幌はゴールデンウイークが桜です。梅よりはやいとか。父親の施設も花見があるけど、小学校の遠足と同じ場所だなあ。

検診にいったら
五月の検診で前日夕方の便と思ったら、二ヶ月前でもダメで午前。うーん。前回は常滑のスタンプラリーがおおあたり!で楽しめた。またもいいけど。。と、岐阜の養老の滝がパワースポットだとか。鉄道がいっぱいあって混乱。北海道はJR北海道しかありません!最初、ドクターと言い合いしたとき、腰悪く足も悪いのにプラススーツケース持って金華山登った私がいたなあ。お金あったら鵜飼の温泉宿希望なんだけど。。一月は名古屋のトヨタがおおあたり!だったなあ。さて、どうしようかなあ。。と、検診結果わるかったら、最初のドクターとの言い合いで落ち込んですぐカッカと怒って。。の時みたくなるのかなあ。。私はいつも一人ぼっちだから、また、昼からビールかしら。その頃サイトはないんだな。


2011.4.16、術後68日、退院54日 久しぶりのサイト
久しぶりのサイト
久しぶりのサイト訪問。今月いっぱいだとのことで二十日にアップしておしまい。にします。掲示板にもあったけれど、経過など知りたいのは山々で。。あ、伝えたいもある。。いろいろな方の経過参考になりました。まだまだ、したかった。。
不調の様子
経過の良くない方はだいたい痛みが主症状でしょうか。私は痛みは本当に気にならない。ゼロではありませんが。手術前や腰、児童期の筋収縮のあの二度と味わいたくない痛みとか日々日常に痛みがあったから。ある意味痛みにドンカンで危険人物と腰の病院でいわれる。また、今はズーンと重い感じ。
1番はやっぱり音。なにかの拍子の最初のパキッ。歩く階段のゴリゴリ。アルイミピタッとはまるとスムーズというイメージ。音はサイトみてもあまりでてないもんなあ。くすん。


2011.4.17、術後69日、退院55日 雪だ
寒いということでなんとなく傷にさわるってことだ。切り傷のかゆみ、疼き、裂かれるような痛み。などなど。夏タイヤに換えても大丈夫だったからホッと。元気なときは子供の日までスキーでそれまで冬タイヤが当たり前だったなあ。
今年の冬はスキーできるかなあ。。と不安になる。。その前にプール学習と遠足だな。。できるかなあ。


2011.4.18、術後70日、退院56日 付け根が痛い

付け根が痛い
朝、起きる時というよりも寝ながら寝返りうったとき、から、あ、痛いなあ、付け根と感じた。音もしてたはず。寝ながら動かせるようになった時の感動はどこへやら。。ぞっとする音と痛さにうんざり。でも、眠たいが勝つ。リハビリの日だから、ほぐしてもらおう。リハビリの先生に動くって自分の足になってきたというこだね。と言われてなんだな落ち着く。

調子悪い
胃の調子です。ずっと薬飲んでるからかなあ。もともと便秘系で腰のコルセットをしているとお腹動かないから大変と腰のナースさんに言われてた。一、二ヶ月にいちどはつらい日があった。それかなあ。ガスピタンでもためそうかなあ。すっきりしたいあ。


2011.4.19、術後71日、退院57日 いい感じ
痛かった次の日、調子よい。面白いものだ。また一つタガがはずれた感じがする。五月の検診はどんな感じだろう。あと三日で退院二ヶ月。はやいな。あの時は雪。今は桜に近づいている。変わらないこともあるけど、変わった事もたくさん。サイトもだ。
札幌駅直結の映画館に行く。1番歩く距離が短いから。少し、歩くの速くなった。ただ、映画館の椅子は座り心地が悪い。前回からなんとなく尾てい骨が痛いと心配してたら、これが原因だったようだ。


2011.4.20、術後72日、退院58日 悪くない
昨日、少しでかけた。でも大丈夫。朝も悪くない。音もあるけどあまり気にならない。痛みも気にならない。ということは悪くない!明日で退院二ヶ月で物語りもEND。五月の研修終わったら、何事もなかったら、なんでもしていいといわれてる。腰もスポーツOKでたら、トレーニング三昧したいんだなあ。腰の方がだめかなあ。


2011.4.21、術後73日、退院59日 退院二ヶ月
ここで一区切りのつもりでしたが、ブログの方法に移行していただいてたのを発見。掲示板に率直ストレートご意見がでてる。そんな中四月手術の方がパスワード掲示板に書き込み発見。minminさんのコミュを覗きたくmixiに挑戦。父親からの後継人として、地震保険のことに電話問い合わせしたり。一日は過ぎ去り、今、22日。想いや考えはある。いろいろ読んで考える。ので、9月30分日までお世話になろうと思う。ブログみたら、コメントというのあった。九月まで掲示板つながりの方々コメント書き込みできるかなあと思った。五月検診での飛行機は夕方出発となり、診察後に養老の滝いくのは無謀な計画だろうか。。帰り飛行機は夜だからどうだろう。。
思考がバラバラ。 誰か書いてたな。リニューアルしてプラス意見マイナス意見両方でてこれから!と思ったと。私も同じ。誰か書いてた。自分から発信したから責任あると。私も同じ。エトセトラ。また、ゆっくりかこう。今、腰の病院待合室。


2011.4.21、術後74日、退院60日 出会い
いろいろつながりたく、しりたく、インターネットサーフィン。ああ、古い表現。ここで、札幌のRAOの方と出会う。迷惑ブロックがなければもっと早い出会いでした。
そして、札幌、恵庭で有名な病院で、前方なんだか式RAOというのがあり、二週間退院です。私より十才くらい若い方が手術していて、半年後にスキーしてます。全荷重も十日くらい。退院後リハビリ。びっくり。でも、適応するかどうかがあるようです。私が行った病院の系列です。股関節全般のサイトで札幌系です。THAで有名なところです。最初の病院で紹介されなかったから、適応じゃないのかなあ。この病院にもくるドクターがやってるんたよなあ。私、入院期間短いの希望したから、適応なら教えてくれると思いたいわあ。札幌近くの若い方いいんじゃないかなあ。と思いました。こういう出会いもこのサイトからです。 ありがたいです。


2011.4.24、術後77日、退院63日 軟骨

軟骨
音でナーバスになり、情報を洪水のようにあびて。。うーん。と。カスベを煮てる。軟骨の食事。高い中華とか食べられないし。いま、手羽とカスベです。後はやっぱり筋肉かなあとまたまた鍛えてます。
みなさん、心配はありませんか。痛み、音、杖、歩き方、跛行など。しつこいぐらいみなさんで問い合わせしたら、患者の心配、不安がわかってもらえないかあ。ドクターは一人一人違うというだろうが。。でも、事例も集められていいと思うんだよなあ。。
いまのところ、痛さは恥骨骨折の時あるとなんとなくわかる。音は?軟骨なんじゃないかなあ。。これは推測。五月の検診で判明したら、必ず報告します。

リハビリを考える
退院後、東海中央病院のリハビリはないらしい。検診でリハビリ予約してできるんだと思ってたけど、違ったみたい。心配やリハビリ考えてるみなさん、予約時声をあげよう!いっぱい声が集まったら、検診にリハビリセットになるかも。です。ならないかなあ。
RAOの方も半年から一年みたいな札幌です。やはり、日常生活に支障がないかのようです。と、なると、私、卒業なんです。四月は検診までのサービスとか、私がお金払ってるから、どうぞという感じです。病院のリハビリですることは、もうないのです。。可動域は。。
さてさてどうしましょうです。のばしたいから、やっぱりヨガかなあ。

入院期間

札幌のRAOの前方進入法は二週間の方がいるとわかったんだけれど。私が行った病院系列でちょっとショックと思ったけど、思いだしました。入院期間きいたら、年齢確認して、三ヶ月といわれたんだったわあ。すぐ忘れちゃう私。だからメモ魔だし、毎日物語り書く。実は手書きの日記かいてます。。


2011.4.25、術後78日、退院64日 三ヶ月検診に向け

三ヶ月検診に向けて
近い方は一ヶ月検診あるのかしら。私は三ヶ月にした。さて、リハビリの札幌の先生に言われてリハビリ予約いれたけど、予約じゃなかった。入院の方のリハビリだそうです。ただ、担当の2WA先生からOKが出てる。メールしてよかった。そして、音がやっぱり気になるからメール。CTになった。メールに近況、傷、痛さ、様子など書いておいたから、診察のときにもプリントアウトしてくれると。そして、また以上の事や聞きたいこっメモしてきてとの事。具体的できめ細やかになってきたなあ。遠いみんなでどんどん変えていけないかな。
わたし、ファックス、メール含めたら、十回以上してます。入院中もそうですが、サイトや先輩の話しだけでなく、直接聞かないと落ち着かないんです。聞いた人のせいにしたくないし。。です。ああ、物語りに書いてあったと怨まれることおきえるのだろう。こわいなあ。。ふう。

音がしたら
この二ヶ月のやりとりでわかったのは、原因というかはCTと診察でないとわからないらしい。それまでは、三ヶ月までは、歩行荷重控える、荷重控える、脚上げ控えるでした。二ヶ月やりとりでわかったことでした。参考までに。
違うとこでは、適合まで様子見とか、軟骨うすくなってるとか、うすくても適合してくるとか、情報の洪水に溺れそうです。まあ、RAOは適合してた。軟骨の厚みも今なら間に合うと言われた。でも、三ヶ月入院は無理
とTHAでいいと思った。でも、腰の手術後右足はぬ、ねけるぅ!のイメージで早く手術してください!でした。CTでは、骨ぶつかっているとこあった。とげとげはすこーし。穴は小さいの一、二個。とにかく腰と股関節セットということで両方治すということに。腰の手術後、RAOだったら、どのくらい手術期間開いたかなあ。あの抜けそうな脚で学校は行けない。と、AAOを安易に決めてないよ。でも、検診結果悪かったら、落ち込みはするなあ。でも、切り方、術式はまあ、いたしかたないから、早いTHAになったら、また、岐阜にいるでしょう。五年以降なら恵庭系にいくかな。温存させたいなあ。


2011.4.26、術後79日、退院65日 耳をすまして


耳をすまして
自分の体に耳をすまして、朝から観察してる感じ。今日は一日百パーセント股関節かしら。気が重い。
朝1番パキッていってくれちゃうのねぇ。カックンカックンでトイレ。仏壇とか玄関掃除、自分の食事と、あ、動かしてると音聞こえる、コリコリ?上げ下げ大きいと鳴るの?動かした時間?
階段や歩くと音するわあ。銀行にいく。車や杖ついて歩くは音聞こえない。まわりがうるさいからかな。と、腰のリハビリの先生言ってたのを思う。「音する前にわかる?音してわかる?」です。です。音聞こえなかったら気にならないなら、骨がぶつかってはいないのでは?ということらしい。うーん、なんともいえないなあ。わかんない。
まあ、どんな様子かだけは把握しておこう。
と、途中で疲れてしまったし。。まあ、いつもと同じだわ。検診の心構えができたということでいいか。腰の入院中も背中がなって不安でドキドキしてたよな。。これは、なんでかは不明のまま。何故って私も他の方もナーバスになって誰もドクターに聞かず、退院決まってからみんな悩んでいたとわかったからです。まあ、痛くないからやっぱ、様子見しかないな。明日すぐTHAになるわけじゃないし。まあ、筋肉つけておくか。。せっかくのゴールデンウイーク。見えない未来に振り回されず、構えだけしておこう。運動むりなら転職かなあ。。高校の臨時とかかな。。と、先々考えると、ドクターは「ナンセンスです」と言うんだよなあ。
股関節センターからのやりとりで「遠くからの人はなかなか検診これないから、気になることとかのためにできるかぎりこたえたい。」と。でも、CTは迷惑かけたなあ。
「どなたの時もよい結果を想っています。」と。受験してる子供達、みんな受かれ!とおんなじだなあ。でも、みんなは受からず次を考える。それと同じだなあ。。
水仙さいた、うちの桜は少しつぼみがピンク。二、三日とことん考えて、ま、いっか。。です。始めて岐阜行った2010.6去年岐阜駅前で空見上げたよ。さわいでもどうにもならないね。


コメント

ジューンの股関節症物語7 術後1か月から

2011-06-19 19:22:28 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.3.9. AAO術後30日、退院院16日

ストレッチ
ストレッチですっきり感がある。無理のない程度で、リビングにあるいろいろなところを利用しながら、やってます。

足の太さ
立っていても術足の右が細い。また、ストレッチやリハビリで左足で踏ん張る事も多く、ますます左足が鍛えられているような感じです。
内出血
かなり小さく色も薄くなったけど、ストッキングはいて歩いてたら、振り返ってみられるだろうなあ。一ヶ月でもまだあるとは。。

2011.3.10 AAO術後31日 退院17日 軽くなる
ふっと軽さを感じる
入院のときも今もふっと足が軽いなと感じる日がある。なんともうれしい時。いつくるかはわからない。近頃は朝の硬直ギクシャクもすごくよくなって、朝歩く時びくびくしてない。少しずつ。確実に。

しゃがむ
しゃがみ込みは大丈夫なんだけど、立ち上がりはジタバタ。物につかまって立ち上がります。狭い家では、壁などをたよりにしてます。荷重かけるのが今嫌なので壁によりかかったりも。今日は完全に雪だ。

薬、痛みどめ
みなさんはいつどんな感じで手放すのかな。私はボルタレンはもうほとんど使ってない。時々、リハビリで痛いときかな。飲み薬セレコックスは今日から、退院後の薬です。自分としては止めていいかと思うけど、入院中痛み止めは消炎作用もあるとドクターにいわれてからなんとなく飲んでいる。昔から少しくらいの痛みはほっておいたからなあ。生理痛で薬飲むようになったのは、保健の先生に我慢するより飲んだ方がよいといわれたからだ。自分の判断は難しい。一ヶ月入院してたら、やめていたかな。
職場復帰
先生やるのは無理。うーん、中学の数学だけとかならできそう。事務とかならぎりぎりかな。腰の時も事務系の方々は復帰してたなぁ。など考えてみる。仕事の内容によるなあ。

リハビリのがんばり
友達から手紙きた。一癖ふたくせのすごい人なんだけど、リハビリがんばりすぎないように。。と。一生ずっとやっていかなきゃならないものだろうと。ずっとつきあっていくリハビリだろうと。なんでこの人は、わかるんだろう。サイトの中でも、病院で会った方の中でもわかってないというか、盲腸みたくとったら手術したら終わり!みたくとらえている人いるのにな。
すごい人だなあ。。といつも感心してしまう。そうだ、父親とかで入院出来ないよぉ!といってた時、ごちゃごちゃいってないでさっさと手術してこいと言われたんだ。世の中、手術したくてもできない人がごまんといると怒られたんだ。


2011.3.11. AAO術後32日、退院院18日

航空券
五月に検診予約したけれどなかなか航空券を買いに行けない日々。でもゴールデンウイークも終わっているし、大丈夫かなと。甥っ子早起き、晴れてるのでやっとでかける。都会の方なので旅行会社はショッピングセンターにいくつもある。でも、二つアウト。混んでいる。先に買い物して違うところに通りかかる。1番空いてる。ちょっと待つ。やっとお話できる。前日に飛ぶけれど、なんと、かなり混んでいた。ガーン。午前の便になっちゃった。いやあ、買えただけいいけど。 。と、過去何度、そしてキャンセル何度。この金額なら韓国にもいけそうだわ。

運転の方が楽
運転無理しないようにとよく言われるけど、雪道歩くのと比べると運転の方が足にやさしいです。これが地域差でよくわかってもらえないところなんだろうなあ。と思います。徒歩5分のコンビニより、車でショッピングセンターの方が足が楽。踏ん張らなくていいし、滑らないし。だから、明日病院リハビリに行く方が大変。

筋肉ほしい
痛みや開き、曲げは毎日少しずつでも一ミリでもよくなっていることを実感できる。だけど筋肉はなかなか実感できない。なんとなく弱々しいし、階段で足あげるのも気力がいる。スポーツジムとかで自転車とかこぐといいのかな。うーん、地道にやるしかないかな。


2011.3.12  AAO術後33日 退院19日

病院リハビリ
腰のリハビリの先生。AAOを調べてきてくれてた。可動域をガンガンいってくれました。2WA先生の時みたく、呻いた、わめいた、踏ん張った。やっぱり自分でできないところに手が届く感じ。週一より増やしていいとのことで増やす気満点。今、タイムリーにたたくところをたたかないと、との事。やっぱりリハビリしていただくと違う。みなさんもリハビリ病院いいところみつかりますように。今日、春みたいな日。うららか。地震で大変な地域あるのに。ポカポカ春の北国です。
歩くのも楽
先週もリハビリの後はすっきり爽やかで楽。これを維持したい。先週はふくらはぎが楽になり、今週は付け根です。なんかうれしい。


2011.3.13 術後34日 退院20日

傷あととの変化
ミミズばれのばんと張った感じが、場所によってひっこんできた二、三日です。ほんの少しですが。日に日にその場所が増えている。長さ的にはニセンチくらいずつです。つながってではなく、ところどころです。みなさんはどうかしら。

明日も病院リハビリ
あまりに調子いいので明日もリハビリ行こうかな。天気は良さそう。あさって、甥っ子の卒業式行くし。。腰の方が痛いなあ。嫌だなあ。 東日本が地震で大変な事になっているけれど、札幌は今日もいららか。ポカポカ。ストーブ消した。札幌は札幌駅と大通り、すすきのが地下通路でつながった昨日だけど、なんとなく気分は沈んでいる感じ。


2011.3.14. AAO術後35日、退院院21日三週間

楽になった
リハビリで足上げるときすごく軽くなった。びっくりするほど。こんなに楽になるんだなあ。と、思います。朝の強張りもなくなり、だるくて重くて目が覚めることもない。あれだけ重くのしかかった布団も普通になった。ただ座っているだけなら、何もない。本当に腰がよかったら、快調なんだけどなあ。。ないものねだり。

病院リハビリ
リハビリいくとぐんと調子がよくなるのでいくことにした。春の雨。小道はザクザク雪。車も大変。地震で月曜日発売の雑誌がない。本州は金曜日発売らしい。読めるだけ幸せだよなあ。被災地は大変な有様で。 リハビリは痛いです。はい。自分ではここまでできません。先生は、「可動域バリバリやっていいとインターネットで見た」とガンガンやってくれます。最初週一でもから行く回数が増えたのは、目指すものの違いです。ある意味普通の生活にたいして支障はなく、これでいいという人はいい。とのこと。でも、私は、左足を目指しているのだ。子供の前で平然と体操をしたいのだ。今まで通りに。鉄棒や跳び箱の見本をしたいのだ。開脚とび足ピンと延ばしてしたいなあ。抱え込み跳び五段くらい軽々だったのにな。そして、スキー。こうなると今で満足とはいかない。股関節形成不全だけど、すごく開いたのです。ストレッチとかお手本だったのです。とにかく五月までやるだけやらなきゃ。

目的、目標の違い
リハビリの先生とも話していて、この目標の違いが入院生活、リハビリ、退院後の生活の違いとなるんだね。と。
退院時期もドクターのお勧めでベストかも。と。長くいてもいい事ないんじゃないかと。あ、私の場合です。病院はバリアフリーだし、動作限られるし。
でも、岐阜の人は退院したら、どのくらいどんな風にリハビリしているんだろう。と。それを確かめてから退院でもよかったかもね。と。私もそこが知りたいところです。近隣の方は東海中央病院にリハビリ通院するのかしら。
私の入院の時は痛みがある方々で日常生活に支障がなければよいという目標の方が多かったのかな?だから、私は焦燥感の人になったのかな。今家の中は独歩で、車おりてコンビニ程度なら、杖なくてもいい感じです。それが目標の方にとっては、バッチリということかしらもともとたいした痛みもなく平然と歩いたり走ったりしていたから、そこにもどりたい。遠足も運動会もある。プール学習も。今まで通りにしたいんだなあ。
せっかくの病気休暇だから、やるだけやらなきゃ。がんばるぞ。
入院中も痛くないのになんで手術を決意したか聞かれたんだった。みなさんはかなり痛かったってことかな。


2011.3.15 AAO術後36日 退院22日

卒業式参加
甥っ子の大学の卒業式。札幌では、コンサートとかが行われる場所。地下鉄で行けるから、雪は大丈夫。でも、すごい人がくるよなあ。。人込みが心配。でも、札幌駅に行った時よりかなり調子はいい。
地下鉄は座れた。会場は混んでいるけど慌てて歩く人とかはいない。地震の募金をしてました。
座るところがなかなか空いてない。が、杖ついていたので来賓系の席のあいているところに誘導され、恐縮。帰りも一気に人は動くけれど怖い感覚もなく普通に歩けました。退院した頃には考えられないです。
昨日のリハビリで腰の方がつらくなってます。いろいろ考えて、ボルタレンをいれて行きました。ただ座るのはなんの苦もなかった。
就職きまってない子結構いるんだなあ。うちもですが、六割決まっているって実感がないです。うちの子の近くに座ってる子たちは、三割弱だな。でも卒業というだけでうれしい。
帰り道、飲食店にたちよってもつらくなく過ごせました。和式トイレもつかってます。すごく調子いい人になるんだろうなあ。


2011.3.16 AAO術後37日 退院23日
地震や原発のニュースが続いていて、悲しい。札幌寒く雪。冬に災害にあったら、寒さでやられるだろうな。

車の運転
車検で代車でドキドキ運転ですが、なんとかなってます。頑張って父親の病院にいったら、日曜日からのノロウィルスが拡大していて、面会できず、病院の一階から、電話。老人福祉施設の審査や待機になってきて、やはり車は手放せない。甥っ子は免許とりたてで。。車運転できることは本当に感謝です。

リハビリ後の痛み
モミ返しじゃないけど、ちょっときてます。でも、どちらかというと、腰かな。痛いけど確実に曲がるし、開く。痛みと引き換えなのかなあ。

傷そばのヒリヒリ感覚
傷そのものの側のヒリヒリ感覚というか、しびれた感じというかがある。耳の後ろの脂肪腫をとった時の感覚と同じ。この時は普通にもどるのに一年くらいかかったと思うのだ。傷そのものではないのです。

明日はまた雪の日のようです。冷えると痛むかなあ。被災地寒いだろうなあ。


2011.3.17.AAO術後38日、退院24日

躊躇なくできる
朝から雪。今までなら、路面を見てさて、運転できるかなあと考える。でも、今日は車乗ってから、「あ、圧雪路面だ。」と気付く感じ。それだけ元気になったんだなあと思います。普通に考えずに動けるということが回復したということじゃないかと、腰の時から思います。今日はマスクも忘れてた。一つ一つ増えていくのだろう。
内出血
ふくらはぎと臀部の内出血がだいたい消えました。結構、かかるものだ。まだ、ゼロではないけれど。


2011.3.18. AAO術後39日、退院25日
小学校卒業式だなあ。被災地は大変だ。

病院リハビリ四回目
前々回まではただすっきりでしたが、前回三回目のあとはちょっとつらい、痛いがありました。動かしずらい場所があり、そこを頑張ると腰にもくるので辛さ二倍です。ので、今日は少し柔らかくです。足を胸に抱え込むはかなりいい状態です。でも、いわゆるお姉さん座りをする方向がかなりキツイです。それでもだいぶよくなっているのですが。。やはり、もともと体が固い男の人なら十分だそうで。。うーん。来週まで自分でまたコツコツです。

足の太さ
手術後、術足は腫れていて、腫れがひいたら、筋肉が落ち、細くなっていた。今、ほとんどジャージとかスエットとかで、椅子に座ると細さがわかる。立っているときは、ちょっとの違いと思うのですが。ふくらはぎはじっくり比べた事がないです。愕然とした足というか太腿の方の長さは感じなくなってます。

ゴリゴリ音
痛さや可動域よりすごく不安におそわれるのは、音です。軟骨をすり潰しているように聞こえてしまうからです。背骨というかもなるんだけど(^-^)股関節の音はドッキリしてしまいます。


2011.3.19. AAO術後30日、退院26日
雪道
父親の病院はノロウィルスで病棟閉鎖。22日までといっていたのに今月いっぱいになった。はあ。なんでおきたのかな。外出も申請できず、母のお寺は一人で行く。が、すごい雪でした。同じ札幌ですぐ近くだけど、ここのお寺の駐車場はいつも雪がすごかったんだ。よく歩けたなあ。。あぶないとこでした。気をつけないとなあ。


2011.3.20. AAO術後31日、退院27日
傷あと
下着に隠れる部分が平らになってきている。腰の手術傷跡もそうだけど動くところや擦れるところはなかなか治らない印象。家は和風なので正座が多くなる。ちょうどひっぱらさる感じだもんなあ。


2011.3.21. AAO術後42日、退院28日 札幌で一ヶ月
日数
毎日数えてたはずだけどなんかずれてるかなあ。何週間表示のほうが自信あるな。退院一ヶ月は自信がある。間違ってたら、ごめんなさい。

確実に春
少しずつ春に。途中大雪二回。冬に戻る時もある。体の調子も同じです。少しずつ楽でよくなっている。でも、腰が痛くなったり、独歩がうまくいかなかったり。昨日、おとついは、歩く速度や歩幅がため息ものです。でも、確実に回復してます。リハビリしていて音すると嫌です。ちょっとでも気にかかる症状があるとイラッときます。ナーバスにすぐなります。

サイトを見て
いろいろな思い、考えがあふれてますね。参加せず眺めているといいますか、見ていたり、他のサイトの情報も得たりという方が多いかしら。。私も同じでした。関わると不都合が起きることがある。面倒が興ることがあると昔昔パソコン通信の時代からわかっていた。
でも、考えて物語書いてます。ブログやなんかを立ち上げる元気はなく、でも、ちょっとでも自分が得られた情報は発信したほうがよいか。と。物語書いた。でも、実際入院中全部削除してもらおうと考えた事がある。
理由の一つは病院体制といいますか。。批判になるのは嫌だしなあ。。でも、変だよな。。いいのかな。これで。みたいなところです。
なんとなくAAOはよくても、このままでは。。ちょっとなあ。と思いました。今日の掲示板にあったように、不具合の方の対応や、ドクター検診のような事。私の世代は50キロダイエットサポート体制です。術前、入院、術後ともかな。せめて入院中。あとは自己責任といわれれば、リハビリと同じだけれど。
そのリハビリもちょっと問い合わせ中。パンフにはスポーツジムやヨガのストレッチもいいとある。また、サイトの中にスポーツジムでガンガン可動域広げるとある。でも、私は退院の時、そこまでは言われてないので。問い合わせ中というのは、個人個人で違うから、後ほどになっている。ウムム。じゃ、パンフにも書かないでほしいなあ。と。
そして、術後あまりよくない方に対して、自分の文はどう受け取られるだろうか。私の文を見て手術して、術後良くない方は私をどう思うだろうか。というところが1番胸をしめつける。でも、私の文は私のただの記録です。今いいとして、五月の検診で大変なことになってるかもしれない。今日リハビリの先生にやり過ぎをいましめらたばかりです。

いろいろなサイト
また、風のうわさ。聞こえてきたことで、様々ドクターのAAOの評価を見て胸が苦しくなる。私は、腰の方でも偶然、独特な手術になった。だから、まあ、なるようにしかならないなあ。と、思います。
今日リハビリいったら術後の方がホールにたくさん。首や腰にマネキンのようなコルセットしてるから、すぐわかるのです。と、聞こえてきます。よくない方々の声。。同じです。AAOと。どんな手術でもそうかな。
手術した病院で話ししてることがとっても北海道的かなあ。知らない方にその後どうするか聞いたりもします。同じ手術を二回目としてするとか。ああ、私には無理。腰の術後二日間は思いだしたくない!そしてお話の輪が五、六人にふえることも。ここは術後三ヶ月まで近隣の方は月二回、六ヶ月から一年くらいまで月一回検診です。徒歩5分病気休暇中なのでまじめに行ってます。
あ、ドクターにもリハビリの先生にも、腰の手術のレントゲンとか説明は、「なんだこれは!」という感じでしたねぇ。リハビリの先生にはご迷惑かけました。どんな手術かわからない中、「腰こわれたぁぁ。」と叫ぶ私に辟易だったでしょう。
さて、腰の先生はおじいちゃんドクターです。おじいちゃんドクターいなくなったら、不具合おきたとき、私どうするのかなあ。彼一人で切り盛りしていて自骨手術したい方で溢れかえっている病院。。これが結構大きい病院なのです。ドクター一人とは思わなかった。腰で有名とは知っていた。まあ、だめになったら、札幌で有名な病院いってボルトで固定になるんだろうなあ。。わかりません。「こんな手術してたらなおせまん」と言われそうだなあ。無理って言われるかも。こっちの方がかなり危険かな。

病院リハビリ五回目
リハビリの先生にドクター検診の時、リハビリ受けてきて、相談もしてきたら。と。言われた。その通りと思います。よく、HP見てやってくれてるよなあと。。「なんか可動域はいつまでとかあったよね。その後どうする?筋肉なら、そういうとこいったほうがいいし。」で、聞いてきたら?ドクター検診の時リハビリの先生に。となりました。
で、右腰、座骨神経痛てきに痛いと告白し、「何した?」と。するどいなあ。ある動作を家ではうまくできないよといわれてたけど、工夫してやっていた。自分ですると骨盤動くから、しないように言われてたんだけど。「スポーツマンはやっちゃうからだめなんだよぉ。気持ちわかるけど。また、動かせちゃうんでしょ。困ったもんだ。」ときちんとおこられました。捻りがあると腰に悪いんでした。はい。リハビリの先生からすると腰術後七ヶ月で股関節手術は早いというイメージです。最初は三ヶ月でやろうと思ったんでした。絶句された。
腰悪くなっていたら、自己責任とわかってますぅ。くすん。やり過ぎはいつも注意される事でした。。気をつける努力します。。気をつけますと断言できない。。また、きちんと怒られよう。


2011.3.22. AAO術後43日、退院29日 腰の手術したこと

腰の手術したこと

メリット
初めての手術じゃないのでちょっと知識があったこと。全身麻酔後のお腹の調子とか排出とか。知っててよかった。
術後六ヶ月までどんなに大変か覚悟あった。実はすぐすっきり爽やか、ナオリマシタ!になると思ってましたあ。いやあ、恥ずかしい。思い込んでるから、術後のことほとんど聞いてなかったあ。ハッハッハ!と笑うしかないです。遠い未来の完治がすぐそこの気分だった。脂肪腫とったときはすぐすっきり爽やかになったほうだけど、痺れ感、違和感なくなったのは、半年以上たってからだった。
「あと五十年腰大丈夫だから。」とドクターにいわれ、一世紀生きれるとは思ってないから、先生。。とこたえた。
病院ホールの先輩方の話しを聞けたので覚悟があった。術後ですが、レントゲンとか待っているとき、不具合やよくない経過、気をつけた方がいい事聞けた。手術した病院でよく悪い方の話しして、その手術した先生の検査うけるなあと思われるかな。県民性かしら。はっきりいう、気質?
覚悟ができた。のが1番です。
六ヶ月いろいろ考えたり、ドキドキしたり、不安になったりも経験済みでよかった。「あ、痛いドキドキ」「あ、捻っちゃった、ドキドキ」「パキッと音したあ。」とかいっぱいあった。月二回検診のたび不安になって、「いいね」といわれてほっとした。まあ、何かあったらすぐ来て下さい。に対応できる場所と時間です。おじいちゃんドクターは毎日外来でてます。手術のある日の午後も手術の合間に外来。ある意味、あまりの多忙さに手術に不安覚えた、去年の夏。今のところ、定期検診以外いってなく、検診ときに聞けばいいやという感じです。だから、岐阜の近隣の方が、このくらい頻繁に検診してるなら、行きたいけど、違うみたいだから、まず、五月。覚悟あってもドキドキはします。心配もします。
岐阜は特診だから、こまめに股関節センターにメールなり電話が確実なのかなと近頃思います。あ、私はファックスまでしたなあ。相談というより近況報告という感じで。入院中もそうだけど、わからない不安は自分でどんどん聞いた方がいいと思ってます。しつこい、心配性と思われてもいいと考えます。一人一人違うからです。また、一人一人問い合わせれば、病院にもみんなが何を不安に思うか、困っているかが伝わり今後の改善につながると思いたいです。
おじいちゃんドクターには、いつも「先に言って下さぁい。」と叫んでます。どんどん対処して下さるのは、ナースさんですが。。

デメリット
病院比較
どうしてもしてしまいました。いやあ、なんとも。手術より、病院環境とか人的、物的環境です。まあ、違って当たり前なんだけど。。
出産したことないけれど、出産の時病院選ぶというのがよくわかりました。
ナースさん個人、個人の違いもあるかもしれないけれど。。
県民性の違いもありかな。結構、ずばずば話す札幌の病院。ホールで悪い話し患者どうしで平然とするように。
だから、「痺れ」といわれてわからないでいると、こんな表現の人、あんな表現の人といろいろ提示してくれたり。話して「それは違う」もはっきりでした。私はのどの痛みで風邪だあといってたら、「それ、チューブの痛みだな。熱ないもん。はい、大丈夫。」っと。札幌ではばっさりきられました。

センター問い合わせ
あさってまで、新病院に移行で閉鎖中。病院内でパソコンとかできないのに、電話で返事をいただき申し訳なく思ってます。リハビリ外来とれました。スポーツジムは私の場合はいいそうです。でも、札幌のリハビリの先生は反対なので多分いかないでしょう。三ヶ月たって筋肉トレーニングになった時かな。とにかく可動域で五月まで。あ、荷重かからない今までもしてる椅子の筋トレや入院中もしてたいろいろ足上げはしてます。まだまだ右足が細いので、筋肉気にしてます。荷重をすごく怖がってる私なのでできそうなところだけ、探りながらやってます。で、パキッとかゴリゴリと聞こえると一気にナーバス。
でも、とにかくトレーニングするくせが夏の腰以降ついているので、結構やってます。ストレッチ系も手当でただ手でさすることも。貧乏症なのかな。とにかく動いてます。父親の病院いくのと甥っ子のご飯とちょっとのお掃除と洗濯だけだからな。仕事復帰できるかなあ。不安になってきた。

次の一ヶ月は。。
一ヶ月たって考えたりした。一ヶ月検診があるようだけど、今いっても腰の時と同じ感想を持つだろうか。いいですね。といわれて、うーん、よくわかんないけど、よしとしよう。という感覚。三ヶ月の時はコルセットとれたから、よくなった実感あったな。さて、次の一ヶ月リハビリの効果はあがるかな。調子はよくなるのかなあ。ドキドキ。
あ、私のいきつけ整形が腰でよかったと思う。おじいちゃんドクターは腰ラブなので、股関節に関しては股関節ドクターの考え優先だからです。
これが股関節RAO,THAで有名な病院から行って戻ってきてたら、うんちく聞いたり、考え聞いたり、批判を聞いたかもしれないからです。もしかしたら、松葉杖二本渡されたりもあるかなあ。と想像してしまいます。でも、いずれ左悪くなったらこの先生にみて貰って比較してみたいとも思う。自分でRAOやってみないとわからないし。でも歳とってたら、比較にならないかな。
膝の先生のとこはまだいってない。退院後一回ロッキングしかかった。膝ドクターも膝ラブだから、興味津々という感じだったけど。膝は様子みてだから、一年くらいいかないかも。。股関節手術終わってそれでも変ならとなってます。亀裂があるといってたのが、リフレイン。


2011.3.23. AAO術後44日、退院30日 薬忘れる

薬忘れる
朝おきて、いろいろやって、自主リハビリの前に飲み薬のむのがいつも。朝はウォーミングアップしないとぎくしゃくしてるし、じんわり痛いのだ。なのに車でゴミすてに行った帰りに薬飲んでないのに気付いた。痛みどめ手放せるのかなあ。。でも、一緒に腰の薬も忘れてた。こちらは血液さらさらと抹消神経の薬で腰以来七ヶ月飲んでいるのかな。この薬の股関節への効果はあるのかなあ。
痛みどめは消炎効果があるといわれたからなあ。なくなるまでのもうかな。

内出血、傷あと
内出血は最後まで残っていたふくらはぎがやっとなくなった!びっくり。お尻の方が先に消えてた。傷あとは下着にかくれる部分は平になってきました。太腿の方はまだ盛り上がり、正座するひきつりがやっぱりある。色はあるけど細くなった。赤いボールペンで線を書いた感じです。やっぱり腰の方が痛々しい感じの傷あとです。腰よりずっときれいといえば綺麗です。


2011.3.24. AAO術後45日、退院31日 あちこち

あちこち移動
父親の施設がみつかりそう。特養ではないから、終の住家ではないけれど。運転できることに感謝している。
ご家族いる入院の方が多くうらやましく。私は一人です。腰の時も。だからか、術後すぐの運転可能は、神様の贈り物か。。。感謝している。退院すぐはタクシーかなり使ったな。
施設移動の時、父親も乗せていく。


2011.3.25. AAO術後46日、退院32日 朝快調

朝快調
毎朝、毎朝ドキドキ。夏からずっと。夏は腰の調子。今は股関節と両方。腰の悪さもあり仰向けで寝たのは術後三日間くらい。あとは、横かうつぶせ。今術足上の横向き。退院時は、ずっしり重かった。二週間くらいで軽くなったと思ったけど、ゼロではない。朝起きての硬直もかなり軽減したけど、ゼロじゃない。力入らない感じや足ひきずるはある。昨日はプラス音付きのナーバス。でも、今日は、スタスタ。びっくり。私のよくなる感じはある日ふっとどんとよくなるときがある。階段曲線ではなく、斜め階段曲線でよくなってる感じです。
ここで独歩の練習したくなるんだけど、「無駄な歩行、トレーニング歩行禁止」とドクターに言われてるから、我慢して、「どうしても歩行時で美しさを追求してみたり、感覚を研ぎ澄ましたりしてる。
腰もやりすぎ自主リハビリを控えてるので痛みがひいてます。やり過ぎはダメなんですねぇ。

筋肉

右足の細さに気を取られていて、お尻の筋肉も落ちてるはずと体育会系の知り合いにいわれた。あせってねじってはいけない腰にいいわけしつつ、ねじった。右はこんなもんか、じゃ手術してない左は?ガーン!こっちの方が過齢による下垂と減量のたるみとトレーニング不足。キャァァァ。でした。はあ。左のヒップアップする元気ない。

疲れ
術後、一ヶ月は頭の働きもかなり悪い。なんだか考えられない。難しい本もダメなんですねぇ。難しいテレビも。やっと頭はクリアーになってきたところ。
今度は疲れがドッとくる感じ。今まではただ張り詰めていただけかもしれません。
朝の家事終わったら眠くなる。2時3時も。夜9時も。夜9時に寝ると歳もあり次の日すごく早く起きることになるから困る。でも、睡眠は手当の一つと思う。3時はお昼寝。ああ、今日は終了式だな。。四月復帰予定でした。ある意味できたろうと思う。でも、役立たず。今、病院じゃないけど新校舎に着工する頃、もしかしたら、始まってるかも。。引越し準備とか見てるだけになっちゃうんだよな。。父親の面会とかで定時、即効で帰るし。運動会も何もできないなあ。。はあ。。考えると疲れるから終わり。

病院リハビリ
五月に岐阜でリハビリみてもらえることを報告。無理な自主トレーニングしてないから、腰もよくなっていること報告。そして、ジムでバリバリやっていいと言われた事報告。「えー!」といわれると思った通。
いきません。ジムのトレーナーと私なら、バリバリやって腰壊すでしょう。と、わかってるので今はいきません。五月すぎて順調なら筋肉トレーニングの方がしたいなあ。と思う。お尻たれてるし。うーん。まいった。


2011.3.26.AAO術後47日、退院33日 ポカポカ

ポカポカ
うららかな春の日。まだまだ日本中大変なのにあまりに春うらら。寒さによる痛み、硬直ない。暖かくなるといいです。相変わらず音はかなりしている。いつも頭や心に股関節と腰があり、プラス今は就職難問だな。


2011.3.27. AAO術後48日、退院34日 傷痕


傷痕の盛り上がりがなくなってきて、平坦になった。完全ではないが。ヒリヒリ感覚はある。よくさする。さすると楽になる。背中の傷痕はまだうずく。ちょっとした下着の締め付けがあったり、腰のコルセットがあたった時。
腰で仰向けが苦手で横向きが多い。術足が下になっての横向きも大丈夫。入院中から一応大丈夫。ちょっと怖いけど。
傷は赤い太いボールペンで書いたみたいな感じです。


2011.3.28、AAO術後49日、退院35日 出来ない事

出来ない事
日常生活で出来ない事は、階段をスタスタ上ること。一度足を揃えないとダメ。足が上がらない感じ。
お姉さん座り。術足右がだめ。これが思い出せないんだけど、まえからかも。。うーん。右足首なんども骨折したみたくくじいて、靭帯のばしてきた。バスケ時代から。バスケしなくなっても年一回はやってる。のでこちらの足はいろいろと左におとる。そして、術前データがない。
腰も悪いので靴下ふつうにはくのとか爪切りとかきつい。
しゃがんだ後の立ち上がり。かなりの気合いをいれるか、何かにつかまってです。
あとは何とかなってるかな。あ、雪掻きだめだな。
腰とからめて、重いものを持つ、リュックもちょっと。遠慮。布団ひっぱってなおすとか無理。なので去年の夏以来、暇でも、亡くなった母の部屋とか片付けられないのでした。

病院リハビリ七回目
リハビリの先生的にはもう病院のリハビリとしては、お姉さん座り方向のみという意識。私としては、胸に抱え込むのも左より膝のお皿半分ちがうから、嫌なんだなあ。。病院リハビリ終わりと言われたら、やっぱり、スポーツジムかな。あと、スポーツ整形が母の緩和病院に新しくできたから、行ってみようかな。徒歩七分。膝の病院なら徒歩10分。まだ整形は近くにある。恵まれた都会かな。でもなあ。
明日あたり、股関節センターに筋肉トレーニングの問い合わせしようかな。25日から、病院新しくなってるよなあ。。検診四月にすればよかったかなあ。うーん。特別リハビリしてない方が大半なのだろう。
さて、病院リハビリは一回二十分くらいで七百十円。スポーツジムはいるなら、月五千円くらい。病院リハビリ今月はもう五千円なるよなあ。今、病気休暇中だから、お金きついよなあ。。うーん。です。


2011.3.29、AAO術後50日、退院36日 春買い物で

春の買い物で
八度、九度だけどポカポカ。春です。南の方ではびっくりされる気温かな。買い物にでた。手湿疹に続き、頭皮湿疹という言葉がでて薬がでてるので見にいった。ら、「傷あとに塗る薬」というのもある。色や膨らみにきくと書いてある。二千円弱。うーん。今日はパス。手術痕にもきくのかなあ。
腰と足比べると足の方が綺麗だな。あんまり背中見えないけどギョッとする色だもんなあ。盛り上がっているし。はあ。
腰に比べると本当にきれい。ケロイド体質系と言われてたけど、どうかな。


2011.3.30、AAO術後51日、退院37日 音

音がある
痛みある方の話しはいっぱい聞くけれど、音はあまり聞かない。と、思う。ずっとずっとなりつづけてる訳じゃないけれど、リハビリで足上げとかするとテキメン聞こえる。憂鬱になる。
なんだか、病院の夢見た。内容は覚えてない。一生懸命何かを訴えていた感じがする。
音が嫌なんです!とでも言っていたのかなあ。


2011.3.31、AAO術後52日、退院38日 食事

食事、ダイエット
昨年、十一月くらいから、今年一月までは、必死の減量。54キロなら当たり前体重だった。骨と筋肉分。両足手術予定だったから、49キロを目指して48キロ。ひからびました。ブラのカップは怖いから、はっきりやってないけど二つはさがってる。入院中現状維持。現在、継続。いわゆる普通の食事ではない。
退院して、最初、つくるの大変だったから、デトックススープをストーブにかけておくのが楽だった。今も楽だから。ストーブ料理もあと少しかな。
さて、退院後も体重を維持した方がいいのだろう。多分、きっと。でも、動けるベスト体重ではない。腰の手術前の51キロくらいがいいんだけど。筋肉ついたら、少しいいかな。
半年くらいダイエットだったので、胃が小さくなってもいるようだ。ある意味、動かない分食べなくてもいいという感じはある。あと三ヶ月で職場復帰予定。できるかなあ。

病院リハビリ
どうもお姉さん座りの方向はダメ。一ミリくらいはいいけど。はあ。と思っていたら、抱え込みがいい。これも少しといえば少しだけど、突っ掛かりが一つとれた感じでうれしい。リハビリの先生と荷重かけない筋肉トレーニングの話しになるが、やはり、主治医しだいなので、股関節センターにメール。

足上げは控えること
股関節センターに筋肉トレーニングの問い合わせ。明日から、また、新病院で手術が始まるとのこと。
痛みはなく、痛いのは腰で、荷重かけない足上げでコリコリとか音すること、まだまだ右足が細いこと、家の中は独歩。歩きだし、動きだしでパキパキ音。という近況をつけ加えました。
ドクターもいたようで、足上げは術後三ヶ月まで控えるようにとのこと。音かなあ。。?
で、筋肉トレーニングは解答なし。いつもの事でなれたけど、いつも返答がどこかずれてる。。筋肉トレーニングしたいんだよぉ。足上げでなくても荷重かけていいなら、いっぱいあるのよぉぉ。再度問い合わせが面倒だなあ。。毎度、話しが通じない気分。そんなに私、文章へたなら、転職だわ。。
もう、的確な返答は一回だけかな。スポーツジムで可動域広げるのはいいということ。。
うーん、また違う表現で聞いてみるかあ。
膝のロッキングに四回くらい襲われて筋肉気にしているんだなあ。。はあ。。あと一週間で術後一ヶ月。もう少しいい感じになりたいな。。
災害まだまだ落ち着かないんだなあ。時間かかるよね。リハビリと同じだな。。


2011.4.1、AAO術後53日、退院39日 調子を整える

調子を整える
仰向けは腰をかばってリハビリでしかしないが、仰向けになると付け根付近がひきつる。ので足首を動かすストレッチで延びて楽になる。ついつい負荷の大きいストレッチや筋肉トレーニングに走りがちの私。足上げができないとなると。。また、音がならないようにするには。。と試す、感じ、考える。。の繰り返し。ほぐすはいいなあ。
また、中臀筋というのかな。お尻がキュッとなるところ、お尻のえくぼ。ここを動かすのもいい。特に腰や座骨的に。
入院中、動かしたり意識したところだ。負荷ばかり考えずに基本にもどるでいい感じ。
今日から四月、入学受け付け日だな。新年度最初の一歩の日だなあ。。

術足下に
いつも横向きは術足上なんだけど、筋肉がないせいかどうも、ダメ。起き上がって動作開始でコキコキ、パキッで。また、ガクンと骨が中央によるイメージがある。
ので、術足下にしてみると、いい。傷はもう痛まないし。動き出しに違和感がない。ちょっとこれでいってみよう。
仰向け大丈夫な方はいいんだろうな。両足でこの腰なら、どうなったろう。入院中、両足の方と一緒でしたが、大変だったろうなあ。と。しみじみ思います。

足上げの代わり
どうしても負荷を求めるスポーツマンなので椅子に座ってだけの筋肉トレーニングはなあ。と思いながらも基本は大切と実感している。しかたないので、仰向けで膝あげだなあ。


2011.4.2、AAO術後54日、退院40日 慎重に。

ちょっと慎重に
ちょっと慎重に生きてます。経過があまりよい方向でない方々からの助言あり、音にナイーブになり、ちょっとお疲れモードになり。父親の施設移る荷物とか考えたりするだけで疲れてしまう。


2011.4.3、AAO術後55日、退院41日 患者サイト

患者サイト
昨日夜ちょっとのぞいて、うーんとうなった、掲示板、パスワード掲示板。みなさんのいろいろな想いがたくさん。想い、考え、意見、愚痴、批判、感謝、不安、いろいろ言える、書ける、発信できるそれだけでありがたい場でした。今も。
ただサイトは難しいと私個人は長い長いパソコン生活で思う。
掲示板でも途中から新規参入して意見書くの難しいとか、気をくれとか、あるなあと。
私は日記のように書かせていただきありがたく、です。
また、たくさんの情報を得られたこと。だから、自分も物語書いてる。もしかして、今のナーバスになる音は☆☆の前兆でした。ガーン。とかになって誰かのお役にたてるかなあ。とか、漠然と考えてました。
入院中、ドクターとガチンコの中で、自分としてあとになってわかるということを理解した。それは、痛み。痛みない方なんだけど、夜中、悪夢となる。悪夢ではなく、現実の痛み。すごかった。これも、物語に書いてありります。ドクターに、それは、あなたの痛み、あなたの痛みの出方、一般論ではない。と。悔しいけど、その通り。荷重やリハビリでは痛くないんだけど、同じ姿勢がダメな私で、今もです。朝起き上がるとき、気合いはいって、さて、今日はどうだ!と。本当に掛け布団が重たく痛みに拍車かけました。反対に、入院中、痛いと昼間苦しい方が寝るとか安静の時、よかったりしてた。
事実と気持ちを書いてきた。病んでいるときは、気持ちが大切かなあ。と。こんなことが不安になるとか、イライラするとか。今は天気。今日は雪。さっきまでの雪はキラキラと気持ちよかった。今は、空はどんより暗く吹雪っぽい。気持ちも暗くなる。から、また、書き留めている。
個人であまりリンクしていなくて、ブログ書いている方々もいて、眺めてるだけですが、参考になる。音する人発見して、同じような方いるなあ。と。その方は、よい方向的なので安心してみたり、も、する。反対の時もあり、五月の検診嫌だなあと思ったりもする。
うーん。難しいなあ。。
雪降ってる。 空が泣いている

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ジューンの股関節症物語6 術後3週間から術後1か月

2011-06-19 19:21:51 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.2.28 AAO術後三週間、退院一週間傷のテープ取る日

睡眠不足
目が覚める。二時間おきくらい。すぐまた寝られるけど。何となくだる重い固まった感じ。ちょっとほぐすストレッチなど。リビングのストーブ前でもうとうと。体力なくなっちゃうなあ。5時にいいや起きちゃえ!
雪掻きあるし。みんなは熟睡できてるのかな。

傷テープ
はあ。とはがす。痛くはない。見た目がちょっとひっつった感じがいっかしょ。大丈夫といえば大丈夫なんだけど。いろいろ考えて、ガーゼで目隠し。見えないと気楽。正座するときひきつるかもとドキドキするだけです。はあ。できた。いろんな防水シートとか準備したけど、ガーゼになりました。古い人間かな。
傷は盛り上がってます。色もはっきり。腰もそうだった。若い子は嫌だろうなあ。さわっても大丈夫だけどこわいから、泡だけでお風呂で洗う。防水とかなしで大丈夫でした。

運転疲れ
久しぶりの朝はアイスバーンで車通勤の方は大変。お日様でてるから緩む。予定。出かける予定。家のまわりは昨日から、アイスバーンにならない対策雪掻きでバッチリ。
10時半、零度だけどお日様でとけてる。今いかなきゃと、ガーン、まだ、日蔭に雪ある。はあ。
初心者のころのようにのたのたと。雪読み間違うとは。これで体力消耗。雪でゆうこりんこさんを思います。わたしは道産子。でも今腰の病院には行く気にならない。道険しいから。徒歩5分なのに。あなたはもっともっと大変だったんだろうな。。あとすこしで雪どけに。あなたの体にもポカポカ春がきますように。

痛み、音
足の付け根が相変わらず。ちょっと歩く距離長かったりすると痛い。リハビリでもポキポキ音楽、聞こえるとテンションさがる。腰は比較論で楽になってきました。ちょっとほっ。。病院まだたどりつけない雪の中。運転の振り返りもかなり楽。市販のコルセットも優秀なんだなあ。
触ると痛いのは、膝、膝下外側。入院中からさすってます。靴べらで。靴べらしか届きませんでした。今は手で。太ももは落ち着いたな。入院中はさすっていたけど。
お尻のえくぼあたりの痛さや筋肉痛みたいのはおちつきつつあります。
膝裏しっかりのびないとだるい、重い。

体力ないな
買い物帰ってきて、寝てしまった。ぎりぎり父親の病院は間に合う。ここが神経遣うから疲れ倍増。腰の術後すぐと同じだわ。ロボット硬性コルセットないだけよしとしよう。動き方とかが腰の応用でいいです。物持つ時は体から離さないように持つとか。この経験が動き安さに結びついてるみたいです。腰の最後のリハビリの説明がいろいろ役立ってます。最初重いの持てなくても徐々にとか、何キロまで持てるでなく、ダメなとこが限界とか。生活密着説明だったな。リハビリは腹筋のみだし。

歩き
元気で気合い入っている昼間は独歩。いいときはスタスタ。夜いまは、ひきずる感じ。持久力かな。筋肉かな。まあ、前の日より少しでもよければよしとする。延び率、角度、歩き方など。

明日は午前は通販が届く。久しぶりの雪は夕方らしい。うーん、父親の病院まで車だせるかなあ。
疲れたあ。おやすみなさい。



2011.3.2. AAO術後22日退院九日

積雪三センチ予定が一センチ。午前が最高気温一度、どんどん下がる予定。甥っ子札幌駅にいく用事あり。法務局いけるかも。後継人の登記されてる証明っていうのがないと後継人疑われる。

うーんと悩んで札幌駅へゴー。

いかに雪をさけるか
まずどう行くかを。新札幌駅はショッピングセンターとつながってるから車で。札幌駅へJR。甥っ子いるから、人込みも大丈夫だろう。札幌駅からは地下通路でいける。ルート完璧。の予定。

恐いものだ
新札幌駅まではいつもで行き慣れているし。でも、駅って人おおいし急いでいる人多いから、何となくこわい。札幌人歩くの速い。どけ方も速い。今までぶつかられたことないけど。不安があると恐いんだな。杖見てサーッと超スピードでどけていってくれます。ほっ。
あ、ヤバイと思ったのは汽車(方言)の中。立ってる、揺れる、ふんばる。この動作に不安を感じる。でも、快速だから、直通ひと駅10分くらい。降りたあともすごい人の波、端っこによける。流れにのったら階段だった。手摺りキープ。

サテンでお休み
用事は5分、甥っ子戻ってくるまで喫茶店。なんか楽。ラッキーと休んでいると甥っ子もどり、汽車へ。札幌からは必ず座れるから、楽。新札幌は勝手知ったる場所だからなんとかなる。

運転
晴れと一度で路面でてます。ほっ。よかった。結構、大きい道で帰れます。立地条件いいです。父親が建てたお家に感謝。ただ、階段ばかりの家。

無駄じゃない歩行は?
何が1番いいのか、メールで聞いたけど、杖を使った正しい歩行。。うーん、家の中で杖使うの?
まず、使うべきか、使わないべきか、どちらでもいいのかの返事が欲しいのだけど、また、まどろっこしいメールのやりとり。外は言われなくても杖アピールします。もちろん。また、杖使った正しい歩き方、実はできません。どうしても杖に頼って力入ります。無駄な歩行しないといっても個人差の多い話しだよなあ。。うーん。まあ、しばらくまどろっこしいメールをしよう。

杖のアイスピッグ
今日から雪でドキドキしてたら、教え子のお母さんが届けてくれて、つけてくれた。やったあ。それにしてもこういう巡りあわせがおもしろい。私あの日やっぱりよぼよぼだったとか。笑えるな。そして明日は高校入試。雪でたどりつけるかな。教え子たち。みんながんばれ!私はリハビリがんばるよ。

ストレッチ
ストレッチで楽になる時ある。今はふくらはぎ。ちょっと階段利用して。とか。さするもいいけど延ばすもよかったわ。膝下はまだちょっと違和感。内出血のところやっぱりやな感じ。

明日は雪に閉じ込められるかな。手術の人もいますね。ひな祭りなんだな。




2011.3.3. AAO術後24日 退院10日
積雪十センチ。真冬日。ずっと降ってる。サラサラ雪だからいいけど。近所のおじいさんが除雪機で車道を除雪。そうでなければ、今までは、車でいったりきたりして雪つぶす。でした。ただ出勤なら、スキーでいえば、パウダースノー蹴散らして運転していく。かな。ただ、雪かきとなると大変なわけです。タクシーには乗れるように小さく雪掻きです。。外にはでれる。

朝、筋肉硬直
朝はとにかくかたまっているイメージです。なのでヒザウラたたき、足首動かしたりとして、トイレ。ぎくしゃくと動きます。リハビリの前にだいたいの家事をすませます。でも立ってるときは、太ももあげとかしながら。そして、リハビリしてると昨日よりまがってないかな。。とか思ってしまう。リハビリ終わると少しスムーズに歩けます。ほっ。寒さもあるのかな。ストーブの前は調子がいい。

膝ロッキング
やだあ、きたあ、ひゃゃぁぁ。これも幼稚園くらいから、あったんだ。ナゼカハ不明だけど、筋短縮症がらみかな。腰の手術後から、何度かあって膝も調べにいったけど筋肉不足ということで運動してた。まだまだ筋肉不足なんだなあ。。と実感。はあ。びっくり。これも痛い。たいした痛くないけれど小さい頃の恐怖がよみがえるからだ。やだな。

アイスピッグの杖

雪の上でも安心ですが、今日の午後は湿雪になり、金具のところで凍ってる。はあ。すごい。今期、一日降雪量最高とか。千歳も降ったんだ。欠航76便。これも最高だろう。三月にこの状況はめずらしい。またネットスーパーにたよらなきゃ。

無駄でない歩行
やっと話しが通じて、杖なしでいいとか。痛みに合わせて使うとか。痛いのは、今は腰だもんなあ。ま、面積はあるけど一つ一つの造りは小さいから、すぐ手が届く家。です。

傷あと
もりあがってます。色も濃いです。下着のゴム部分に直接触れるのが嫌なので、ガーゼあててます。せめて平に近づかないかなあ。お尻も内出血あるんだなあ。

整形は一日一日
と、言われるとおり、一日一日少し楽です。もうすぐ一ヶ月ダナア。しみじみ。


みなさんもよい術後をお過し下さい。




2011.3.4. AAO術後25日、退院院11日

左足こむら返り

術足でない方の足がこむら返りになりそうで目が覚める。5時。いつも午前1時前後にも目が覚めるが今日は一回。こむら返りそうでとめられてラッキーだけど、どこもかしこも弱っているんだなあ。右足の方がなりやすいんだけど。長い一日がまた始まる。雪はまだまだふっているなあ。。そういえば、夜中に市の除雪車の音でちょっと目覚めたんだ。三月にはめずらしい。父親のところは無理かな。

朝はダメ
筋肉硬直か、痛いからか、朝はダメだなあ。つくづく。リハビリ終わると少しらく。腰も術足側の右の座骨神経痛的が1番きつい。腰は要とよくいったものだ。外は猛吹雪で一月みたい。

積雪54センチ
二日間でここまできた。まいりました。それでもぎりぎり雪掻きして人が歩けるようにした。はあ。歩けることに感謝です。腰に負担かけない雪掻きに足もプラスされました。ロボットのような雪掻きです。寒さで痛む感じにならないことに感謝。

足あがる
肋木につかまり、下から、三段目の棒に足かけるのが精一杯だったのに。簡単にあがるようになりました。まだまだ左足には、負けます。重たい足が少しずつ軽くなってます。


2011.3.5. AAO術後26日、退院12日 病院に行く

腰の病院に行く
昨日から週間天気予報とにらめっこ。今日病院か、月曜日か。今日は積雪あるけどすべらない自信がある。月曜日は一度ゆるんだあとになるから、危険かも。病院は徒歩5分、車は朝アイスバーンだから、だめ。外駐車場もこわい。8時の受け付け開始に合わせていくことになる。

徒歩10分、二倍に
二倍かかった。歩き時間。はあ。でも圧雪。といっても歩道除雪機器での除雪だから、削れたところがアイスバーンもある。ゆっくり、ゆっくり。1番怖いのは、横断歩道。車道になるから、アイスバーンが多く、白線が滑るのだ。時々、雪のかたまり。気をつけてやっと到着。

リハビリ効果
朝のリハビリで顔がニヤつく。仰向けで膝抱え込むのが、結構胸に近づく。やった。膝を手で抱えられるようになった。毎日のつみ重ねは大切だな。あとは腰の調子がよいことをのぞむ。なんか自信なく。。病院待合室で待ってます。

腰、大丈夫。
腰が大丈夫でほっと安心。腰壊れてなかったわ。篠田ドクターにいつも「腰こわれるぅぅ。」と叫び続けてた私。ごめんなさい。そして、腰のドクターに診療情報提供書をわたしながら、緊急事態の時、レントゲン撮りたいことと股関節可動域リハビリをお願いすると、「いいよいいよ、今日からやろう!」とあれよあれよとリハビリ室の前です。ドキドキ。

病院リハビリ

ベテランの女の先生。腰のリハビリの先生は土曜日でお休み。
状態の説明をして、「可動域していいんだね。」と確認。
左足と比べる機能評価的なところから。
「これはいい術式だね。よかったね。RAOはこうじゃなかった。」と。
「毎日きちんと自分でリハビリやってきたんだね」。と。
「自信持って下さい。」と。
よかった。いい日だな。週一、確認のためくらいでいけばいいらしい。
退院時角度とか聞く暇もなかったからな。
開脚は30度ちょっと。手術前と同じ。ありがとう、
イケメンといわれてた2WA先生。あなたのおかげです。
まだまだ左足にはおいつかないけど、頑張る気持ちになれた。
やったあ。幸せ気分。さすが三月、あの雪がどんどん溶けてます。
札幌でリハビリは無理と思っていたのでよかった。今日は腰もいい。
気持ちの問題かな。
やっぱり、いい。リハビリ、自分でできない事できる。のばせる。気持ちいい。


入院時も検討した、胃に関わる薬。減らしてもいいとのことだけど。腰の方の薬は今いじりたくないから、そのままに。痛みどめセレコックスは、腰の時も飲んでいたから、まあ、東海中央病院の胃に関わるのをへらそうかな。痛みどめいつまでかなあ。手放せるかな。

また、リハビリがんばるぞとやる気まんまんです。明日はまた雪かな。




2011.3.7. AAO術後28日(一ヶ月)、退院院14日(二週間)

術後一ヶ月
二月は二十八日ですが、一ヶ月。標準パスからいくと可動域開始とか、近い人は一ヶ月検診、ゆっくりの方は退院かしら。私も入院前はこの頃退院しようと思ってました。さて、早期退院となった私は私的にはよかったです。病院はバリアフリーでリハビリが毎日あっても日常のいろいろな動作はカバーできない。腰のとき思い知ったのが、洗濯物がほせない。です。伸び上がりができなかったのです。。今はやっぱりしゃがみ込み動作。戻る時の方がこわいです。慎重になります。気持ち的には一ヶ月ゆっくりしたかったけど、身体的には早くてよかった。職業的に正しく美しく歩くができないと体育が教えられない。座る姿勢も見本だし。冬はスキー学習。できないと誰か替わりにやってくれるけど。。退職考えるな。と。替わりの方の仕事が増えるだけだしな。動いてなんぼの職業だ。掃除、給食とか。あるし。
サイトの中でゆっくり退院するとか看護師さんが一ヶ月くらい入院をすすめるというのを読むと?となる。個別事情ならそう明記されないとパッと読んだ方は誤解されるだろうし、違うページには十日退院とあるし、混乱するでしょう。また、退院した私は、そんなこと言ってもらえなかった気分になったりもします。私は自分の見込みは一ヶ月でしたが、ドクターの指示次第かなと思ってました。
学校も同じで?がよくある。子供とのやり取りで保護者とすれ違うことがある。とくにこどもはその場面のその言葉だけを保護者に伝え、前後左右の事情がとんでしまう。悪気はないのです。
文を書くって難しいですね。個人事情を書いていただけるとみなさんの判断になりますね。私は札幌なので可動域をしてから退院したかったから、最初一ヶ月と考えてました。可動域ははやくて三週間と思ってた。でも、私はドクターの指示で九日目からでした。
と書いておかないと心配になる。

股関節の音
いつもドキドキする音。リハビリの時はいつも。歩くとき時々。パキパキというか。コリコリとかゴリゴリとか。私は軟骨の隙間がすくなーいのでドキドキです。擦り減ってるのかなあと。入院時は、パキパキなって当たり前と、朝、回診の先生たち、ドクターにもいわれたけど、今いってくれる人がいない。から、自分でいっているけれど。。あ、回診の先生一人だと思っていて、二人と気付くまでかなりかかった。年齢も顔も似てました。元気になると気付くんだなあ。。
メールですぐ返信きたわ。荷重かけないように。と痛みないなら、可動域をとのこと。

傷あと
ミミズバレとはよくいったものだ。そのまんま。盛り上がっているし。最初色も全体ブスイロという感じ。今は色はかなり肌色。切り口の太い線がまたまだブスイロ。でも、腰よりずっときれいだな。腰はぶっといピンク色だな。引き攣りはなくなってきて、やっと直視できます。腰は八ヶ月くらいでまだまだミミズちゃんです。めったにみないけど。。腰の先生はいつもキレイといいます。どういう基準なのかしら。。

ネットで調べたり
可動域広げるストレッチやら、フトモモの筋肉トレーニングやら、少し。また、ちょっと元気になってきたということかな。今まで術前にしてたのと同じのが多く、広い浅い知識だなあ。。と。腰で無理はパス、荷重かかるのパス、となるとやっぱり地道に高齢者の椅子使った運動だな。私は腰のため、靴下はくのには苦労してます。背中越し丸める感じがだめです。入院中も術後すぐのベットの上で背中起こして座るが、みなさんとは違いました。腰の悪い方はちょっとつらいなと思います。膝悪い方は膝裏のばすあたりで辛いかなあ。



2011.3.8 AAO術後29日 退院15日

晴れ、午後から雪らしい。午前にいろいろすませなきゃ。

膝裏の筋肉、お尻えくぼ
入院中最初に意識したのは、術足の膝裏の筋肉の伸びでした。ここにのるといいますか。これが1番でした。退院あたりに意識しなくなっていた。いろいろな動作でお尻に力入れるとキュッとなる感じのところ。筋肉痛やこむら返りをおこしそうでした。三週間あたりから、あまり意識しなくなりました。
リハビリの2WA先生もそうなっていくようなこといっていたな。と、なつかしく思う。
ふくらはぎの重い嫌な感じは札幌の病院のリハビリで伸ばしていただいてすっきりです。
少しずつ確実に感覚が変わっていくのだなと思う。あとどのくらいしたら、気合いいれなくても立ち上がれるかな。。と、想う。

リハビリ
面倒になるときがある。父親の病院にいくと疲れる。認知症だから、頭使う。一時間で限界。頭疲れると昼寝が必要になる。はあ。でも病院で一緒に椅子座ってする高齢者筋肉トレーニングはしています。まるで自分がお勧めしたかのように一緒にやってます。自分なりの理由付けをする父親でした。

まだまだ冬で屋内駐車場が車から落ちた雪でアイスバーンがあちこちにあったりする。気をつけないとなあ。。明日は、また真冬日だ。雪も降りそう。北国からの手術は冬はお勧めできないな。と、あらためて思う。また、例年なら、ここまで雪ないはずなんだけどなあ。

コメント

ジューンの股関節症物語5 退院から術後二十日まで

2011-06-19 19:21:25 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
AAO術後 十五日目 2011.2.22 退院1日目札幌

リハビリは、可動域を終わった方と同じと思います。時期が違うだけで。抱え込んだり、うつぶせで足あげたり。私は最初から札幌でリハビリや何かあったらかかる先生を探してません。札幌はRAO,THAのゴッドハンドと呼ばれる方々がいるからです。AAOは全く知らないし、聞く耳もってない。本州から入院ツアーもあります。ですから可動域リハビリをして退院と考えてました。リハビリを体にたたき込んで帰る、また、自主トレーニングを伺うです。ドクターにもリハビリの先生にも言い、それに合わせたベストオーダーをして下さったと思います。今も腹筋しながら書き込みです。
何かの時の駆け込み寺、レントゲンとるのは腰の病院。うまく話しが進めば私の主導でリハビリも手伝ってもらおうかと。もしくは、最後に行った膝の病院。股関節終わっても膝が変ならおいでといわれてます。
腰万全なら、もっとリハビリ楽と予想されます。
あ、今、股関に痛みが?おれたかな。。今腰が1番不安。腰の術後二ヶ月に戻ったイメージです。
あとは自分の知識や腰のリハビリを中心。
だから、ドクター検診も主治医のもとで三月から五月にかけてです。まだ予約してませんが。それ以降は未定です。
得意はスクワット系、泣きたいのはうつぶせで足あげるです。股関節のみで動かせません。ジタバタ。ちょっと違う力にたよってから、形キープ時間を長くします。など工夫しかないな。

運転は自己責任に賛成
私の決めたルールは運転10分以内、ゆっくり速度です。降りてからの疲れるで活動を切り捨てる覚悟。
昨日から運転に向け考えてます。夏なら運転自信ある。今、暖かく、三度ですが、雪は溶け夏路面。夕方はアイスバーン予定。駐車場が雪なく広く杖からのだしいれにできる広さがいいな。ずっといく時間考えマス。雪が溶けていて駐車場が空いている時間。行ってみると自信というか、つくと思いました。私は一人だから、車の中でブレーキガンガン踏むとふとももイタイ。とっさに動くかな。足首は不安なし。車のるとき右足は、手でもちあげました。こわいけど。なんとかなるかな。腰の手術後すぐと似てます。ロボットのようです。どちらかというと腰が不安。
家の前少しは積雪。大きな道は夏路面。すぐブレーキ躊躇なくふめました。反射的でした。自信を持ちました。家の駐車場前スペース、うーん、カーポートと言えばよいか、そこを歩くのが1番タイヘン。杖のアイスピックが必要ないとき札幌に帰ってくる予定でした。もう、春にむかってるので、売ってなかったり、売切れです。取り寄せです。偶然教え子のお母さんが売り場の店員さんで届けてくれることに。装着もしてくれると。ありがたい。予定銀行、買い物できた。限界二時間。だから、綿密なお出かけ計画たてます。出かける前から疲れます。頭ですが。買い物で一仕事です。父の面会はタクシーだなと。

出かける時は、タイヤ四つトランクと杖
私は腰いたいから、リュックがダメです。小さいショルダーバックが限界。また、トランクが重くなると腰ダメです。だから、杖だけで大丈夫な方々は私より楽に動けるのではないかしら。

時間の余裕は、いつもの四倍以上
体力ない。動き鈍いので
また、すぐ立ち止まり安全確認など。休み休み行動。杖は体悪いアピール。困ったらすぐ誰かに助けて下さい、体悪いですと声かけます。声かけなくても気付いて下さるのは、六十代の方々です。いつも同じ苦労してるからかな。あとは、サービス業のプロの方、すぐです。
今札幌で困るのは自動ドアのないところ。腰に力入らないので体全部で押します。と、また、六十代より上の方がドア押さえてくれます。

日常生活がすべてリハビリ
これは腰も股関節もどちらもいわれたし実感。岐阜のトイレ和式に入り、意を決してしゃがむ。可動域やっててよかった。と思う。こういうことが沢山積み重ねです。可動域やって帰ってこなければ動けなかった。私の家の私側、二階部分は畳み和式、甥っ子側、三階部分、フローリング洋式。布団でねます。あ、軽い布団買わないと。昔の綿密の重たいのを使ってます。くすん。

お風呂は嫌だけど
風邪ひきそうだし、1番すべりやすいし、と言い訳沢山並べます。でも血行よくなるし、筋肉のびやすくなってリハビリ夜最後に最適。
入ってよかった。じっくり見ると、立つと両足同じ太さに見える。腫れひいてる。鈍い痛みはすごい内出血のとこ。腰を考え浅く座ると右足細い。あ、ずっとかんじてはいた。ダランと両足筋肉なくふとももがにのうで状態ということ。腫れひいたお腹みて納得。腹筋落ちた。腰支えてない。岐阜でもずっとどうしていいかわからない、腹筋を感じられないとリハビリの先生に言って鏡みたり立ってみて先生に直してもらったり。腹筋またいちからです。はあ。
と生活すべてリハビリで一仕事。バタンキューで眠れます。痛みで起きてボルタレン。

父はぎりぎり
葉書トドクマデ不機嫌で動かなくなり、怒りやすいになってたそうです。葉書ついて落ち着き、連続できて思い出し、私の登場。今札幌の病棟はインフルエンザ阻止のためマスクなしで入れずアルコール消毒なしで入れません。顔思い出せ、とってた葉書をとりにいきました。腰の時より悪化は少ないです。腰では、14日間、股関節移動含め22日間あわないと悪化です。また、父と家事とリハビリです。かなり切り捨てること捨ててます。汚くても北ガスの点検してもらう。貯金かなり崩してタクシーでいろいろ止まって貰う、高いすぐ食べられるサラダ買う。。など。おもしろいのは、もう限界何もしないと思ってもうごいていると気力でたり、体が動いたりする。また、生活がリハビリを実感。

今、毎日、悪夢。ナースコール押す前までの夢。こうしてほしかったや、病院から逃れるのにあがいたりする場面、など、ずっとです。まあ、ボルタレン入れる時間に起きられるということにする。この悪夢終わったら、痛み減って心も治るかしら。と。やっと悪夢ともいい関係。また一日ハードだな。
あ、一度ナース電話してしまった。退院したんですがとかなんとかいった。本当にすぐ対処してほしかったんだな。本当に我慢したんだな。

しばらく書けないと思います。本当は名鉄岐阜の心遣いやホームがちょっと斜めで苦しいとか伝えたい。でも、すべて一人という人あまりいない。誰かくるみたいだし。
退院も家族いれば私みたいな苦労はないです。
すべて一人で、腰の手術半年、減量して、両足不全、手術は右足、筋肉鍛えていて、道産子で先生で、上にははっきりもの言えて、アルツハイマーの父がいてという私の体験です。私のです。

ドクターのベストオーダー医療に対し自分もやることやらないと。

腰の先生もいつも第一声が、腹筋してますか?です。

岐阜いったら可動域してますか?と聞かれるかな。


先ずは忘れる前にここまで。

誰かの参考になれば幸です。誰かを嫌な気持ちにさせたらごめんなさい。

私はこのサイトでありがたいこと沢山あったから、自分も還元したいと思いました。それだけです。今のところすごくはやい展開。いつ、停滞しますか。。



AAO術後16日 2011.2.24 退院2日目札幌

午前1時 いつもの悪夢
いつもこのくらいの時間。夜10時にねてぐっすりで深夜1時 。
悪夢は痛いというか動かない、重い。やっとの思いで起きる動く。
はあ。とごそごそ動いてトイレ行って楽になるパターン。ボルタレンいれてました。
今ボルタレンは二回のイメージでしてた。ねる時と朝4時。
でもいつもこの1時に絶望してた。が、今回、悪夢は、術後、足が木の棒で必死に動かしてた。現実布団の中で動かしてた。甥っ子がリビングにいて、寝ぼけずすんだ。
今まで総合すると、4時間動かさないとかたまって動かなくなり痛くなる感じ。
眠れないときは、ごそごそ動いていた。筋トレしてた。悪夢見るころから、ぐっすり寝てる。ある意味動かせない。寝返りうたない。うてない。
今30分布団で足引き付けして、リビング。うれしいことに昔よくみたスキーやボード番組。やった。スキーエアーだ。私もとびたいな。。
とずっと簡易椅子でかかと上げ下げなど。すごく軽くなる。2時に眠りに挑戦できそう。眠剤もいいな。
母がつかっていたようなマットにエアーが入り続ける電動ベットや、軽い軽い羽根ぶとんなら、もっと楽かも。
今日と明日からで判明するかな。食堂でご飯食べおしゃべりして固まったイメージに似てる。
今、しびれだる重がやっと抜けてきた。
テレビは、雪祭りでのスキーエアーやってるラッキー。モーグルのジャンプ部分だけのスキーです。
そろそろ2時。
同じような方いちどためしてみて下さい。きのう朝4時からごそごそして、朝6時に起きたら、調子よかった。
日常生活がリハビリってこういう事と思います。病院内で同じ症状の方いなかったのかな。2時に寝たら次6時だな。家だと寝れなくてもストレスでなくていいな。
さて、リハビリといえば札幌のどこかの病院で、と皆様考えますか。今の積雪では、徒歩5分の腰病院もいけません。腰の定期検診、三月七日すぎにまあ一応リハビリいってみるけど。。と自主トレーニングのみ。
なんで落ち着いているの?という方いると思います。私は三月七日で股関節術後一ヶ月。標準ではこから、可動域のはず。まあ、固まり固定される事はないだろう。日常生活でトイレそうじとかすごい恰好してやってます。今、夜中2時。働いてる時寝る時間。きっと寝れるはず。。。
結果は二、三日後に。。
お楽しみに。

おやすみなさい。



入院期間中 異邦人を感じた時

2011.2.6-2.21
過去検診、2010.6と腰術後一ヶ月の2010.8、やっと術前検査2011.1腰は六ヶ月計画コルセットいらなくなってきてる。
2010.11から骨と筋肉を落とさない五キロ減量。
札幌は真冬日、インフルエンザシーズン。すべて一人ぼっち。


こんなとこで何に違和感を感じたか、今後の方参考にして下さい。

県民性
病院アンケート結果にも張り出してありましたが、中央処置室で採血などの時、スタッフや患者などの話し声や笑い、私語に違和感のあった方は要注意。病棟はもっとすごいです。大声でお見舞いの方々と話し続けます。
ナース室からも笑い声など響きます。札幌の病院では静かが基本のような感覚でびっくり。とくに術後苦しいときは元気よく話しかけられても。。です。気にならない人は大丈夫。

ゆったりのんびり言葉
問診などでゆったりのんびり柔らかい言葉と感じたら要注意。プラス老人仕様になっていて、私は小学生気分になれました。注射で「ごめんねぇ、いたいねぇ、ちくっとぉ、。。」この辺でツカレ、はやくやって下さい!と心で叫ぶ。

待ち時間
これも病院アンケートにありましたが、いつまで待つかわからない。一日の予定時刻表は写させていただいた。時間ぴったりは有り得ないとしってるけど。途中でお風呂やシーツかえやらの曜日を聞いてメモ。
と、いつ来るか返事されるか、誰が何かわからないまま、また次の日同じ訴え。など。。
時間に正確に生きていたり先々見通しを持ち計画立てるタイプの人間にはつらいです。
そういえば、検診のメールやりとりものんびりで、途中で電話にかえたんだったわ。。

二月は警戒ではな
札幌の二月はインフルエンザシーズンで病院はマスクと消毒で当然でしたが、違った。。

気候の違い
問診でもいいましたが、あたっちゃった。冬の札幌は室温高い。だから、空調をどこにあわせるといってくれればいいが、適当とゆうかのんびり県民性で不明。私のスペースに空調スイッチあれば幸せでしたが。。

意図がわからない
何をするにも何故、どうしてするかわからない。必死にやってたら、ことわってもいいことだったり。札幌のはっきりくっきりつっけんどん説明に慣れ、説明なければ命令的なイメージの私はびっくり。また不安にも。なんで食堂で食べるかなど。
生理の説明もなかったから、尿かん抜いてすぐの生理で可動域にきをつけてタンポンいれるがつらい。よごしたくないから、パットつけるけどトランクスには。。で創意工夫後、尿取りパット1番。でも、マニュアルはないみたい。。あまりいないのだろう。。お勧めは汚れようがなんだろうがナースさんにやってもらいどうするか検討する。です。

札幌は大都会
タクシーは歩いて手をあげて捕まえるもので、歩道は段さがあって広い。病院までどこが歩道か退院近くでわかる。
ワンマン列車初めて、レールの上を歩く、無人駅初体験でした。夜でもギンギンキラキラの結構都会に住んでいる私は大きい通も暗く歩道わからず、夕飯外出で絶句。1番近い中華やさんへ。。が精一杯。

JR北海道しか知らない
二つあるのね、岐阜駅。。料金体形がよくわからない。退院ころやっと理解しました。

減量した人
勝手に体重維持、骨と筋肉つくる食事とおもったが、どうみても変。ついに栄養士さんに聞く。1800キロカロリー。がーん。偶然私は歩きまくってたから体重増はないが、骨と筋肉オチタ。はやく外出できたら、しらすとか納豆とか豆腐とか自衛するんだけど。
体重測定で増えた人たくさん。。

札幌で減量した人向けです。私の苦しかったことです

あ、いろいろな立場の人がいて誰に何をたのむのがベストかもよくわからない。みんな笑顔でしてくれるけど時間かかるし、スタッフの疲労を増やしてしまいます

あ、悪夢脱出理論は正解みたいです。




AAO術後17日 とにかく、2011.2.25なったばかりの深夜零時
悪夢から脱出成功
ねたのは24日夜十時半。薬何もなし。夕方の痛みどめと腰の薬のみ。ボルタレンはこの一週間一日二個か、三個。はやく手放したいタイプだけど、手放した日から、悪夢。また痛み止め使うとよい面をドクターに伺っていたから。です。
まあ、また痛くてとか動かなくて起きるだろうと気楽です。横むきで足首動かしたりしながらねる。今つらいのは膝下。ふくらはぎにひろがる内出血のだる重い感じ。膝弱ってる。膝下、若干腫れてる。そして悲しい座骨神経痛。腰術後サンカゲツにもどるです。
悪夢はやっぱり病院。痛いな困ったなと思っていたら、隣の人が平然とテレビつけて音だす。だから、あ、気楽に電気点けようと、夢と連動しながら、目を開け電気つける。今までは、病院のカーテンなどが目に入るが、ヤッタ!今日はピアノと私の電気スタンド。すぐいろいろ理解し、リビングへ。冷えてきてるかな、ストーブのメモリあげ、トイレ。冷えてたんだ。間に合うか、トイレ。
落ち着いてテレビ。まだニュースじゃん。1番楽な仰向け脚折り曲げ。はあ。ストーブ横ほかほか。落ち着いたら布団いこう。です。ボルタレン半分いれておこう。明日の朝も時間的に大丈夫。はあ。で、携帯手にとり忘れる前に書いてます。
足首ぐりぐり動かしてます。今リビングは私のリハビリ場につくりあげられてます。夏の腰の時はそのまま寝ていいようにもしてました。
疲れたらゴロリとなれる場所確保、パソコン場所、椅子場所。


外出で思い知ったこと 術後13日 2011.2.20 の回想

わたしは外出二日間だけ。朝、10時から夜8時。病院食なし。
体力なあ。すぐ休みたい。いつもより四倍以上スローモーション。腰痛い。寝転びたい。チケットとれたのと骨と筋肉食事デキタコトに満足しよう。各務原の方のアピタショッピングセンター、併設なんとかいうホームセンター、ホームセンターうらから、小学校グランド校舎見える。信号あるほうの商店街、線引いただけの歩道。見ただけでこわい。歩いてません。ドクターの無駄な歩行禁止が頭にリフレイン。JR各務ヶ原無人駅のある通、車多いけど歩道こわい。ロウキン見つけて父の入院費用ふりこもうとしたら、できない。月曜日、岐阜ロウキンと北海道ロウキンは別物としる。はあ。お金おろせたけど振込みは別でした。このあたりお店あるけどとても地図も情報もかけません。はい。
日曜日、夕方のほんの病院のすぐそこいくのも精一杯。一度病院で休んでました。お店情報なんて無理。今にも引かれそう。暗い。嘘みたい。札幌は大都会とわかる。
看板見えるけど行き方わからない。。ひぇぇ。地元じゃないと無理かな。絶望。今までの方は入院期間長いのかしら。私は近くのスーパーすらわからない。1番近い中華やさんで精一杯。骨と筋肉食事によかった。カロリーで炭水化物の麺は残したけど。はあ、こわいよぉ。恐怖感としんどいのミックスでした。

少し楽になってきた。いちじかんかかるな。ストーブに感謝。汗かいてます。おや、このテレビは吉本系の北海道情報テレビだわ。小樽に吉本あるから、たかとしだけでなくよくみます。全国放送でもでたノースランドサファリ、スキー場行く道の途中。入ったことはなかった。

そろそろ寝れそう。おやすみなさい。



AAO術後18日 2011年二月二十五日 朝
6時。寝れました。ほっ。です。ふくらはぎの内出血なおるかなあ。

今日は今三度で雨。どんどん気温下がる。。他の地区ではあまり考えられないかな。運転は無理だな。父の面会はどうかな。うーん。ドクターの無駄な歩きしないがリフレイン。

さて、入院中トラウマ重なったのを告白します。
コルセットとトイレのこと
お風呂の風邪が余命縮めたこと
筋短縮症の痛みとの闘いと消えない、今でも顔わかる騙した看護婦の笑顔


いつもは忘れているのにな。変なとこで思いだす。弱っているからかな。

トラウマのことへつづく。

そうそう、手術ラッシュとわかってたら、手術日変えてた可能性あります。でも、三ヶ月前に予約してたし。
かといって、新品のたてものも怖いです。シックハウス症候郡の化学物質。今はないといっても学校内一部改装でも臭い感じるし、他のとこより微々たるものでもある。臭いだけで私は偏頭痛でしょう。新しいコンビニとかも弱い。年々楽になってますから、いい塗料などつかっているのでしょう。

新病棟の引越しの忙しさわかります。私は学校立て替えプレハブ引越しとかみてきたので。いつもベストの教育ですといっても、物的環境は最悪で運が悪いとしかいえないなあ。

では、トラウマへつづく。


AAO術後18日 2011.2.25
忙しい一日。北ガスきたり、ついに便利やさんぬに駐車場前の氷わり依頼。今日すぐにとは、感謝。受診日予約も考える。宅配便が届く。入院中のもの。片付け。父の施設の話し。などなど。

受診日予約
岐阜気質とドクターの忙しさ、学会などでの変更が有り得ることで、電話かける前にいっぱい準備。飛行機のゴールデンウイーク期間調べたり。さて、予約センターはどうかな。と、最初の代表電話20時コールで。悲しい。予約センター直通があるか札幌NTT番号案内。やっぱり代表電話だけ。今度はワンコールででる。
予約センターにまず最大いつまでの予約が可能かきくとすぐに五月二十日をお勧めする。いや、そうじゃなくて、決めるのは私だから、今あいているの全部言って。と言うと、「でも、うまってしまうかも。」「聞いて今ここで即決するから、全部言って、今空いてるところ全部言って」でやっとと二日をトップに二十日まで。はあ。。やっと。ゴールデンウイーク期間除いて一応一つ決定。決めるのは、私。学会などでずれるときお知らせします。というので、「お知らせきたら近い日にちに入れますか?」空いてるときになるようなので要望いいながら、大野さんに変わってもらう。無理でも要望として、伝えておく。
あ、受診時刻は、9時40分、50分、10時30分、10時40分かな。前泊予定だから、9時40分にしたけど、きっと説明はなかったけど、その30分前に行くことになると思う。あとで確認しなきゃ。病院のでは30分前当たり前でも、私は、久々の予約。予約センターで一言欲しいな。
大野さんにはせっかくだから、聞きたい事聞く。1番はなにもしてないぼーっとしているときどんな格好がいいか。いろんな事教えてもらうが、ドクターに確認してメールお知らせ。ですが、今日は学会でいないとの事。
最終解答はドクター責任持つということか、すごいね。でも、同等くらいに答えられるスタッフがたくさんいたら楽なのに。最終はドクターでも。とかいいながら、学校の中では私もそうか。。

楽でボルタレンなし
父の面会行く前にいれとかないときついかな。と思いながら、楽だったのかそのまま。帰ってきても楽。うーん。一日一日の回復か?
いつもと変わったことは、買い物でてない。あまり歩いてない。父の病院ので、父も車いすにならないように私の筋トレーニングを教えながら、やってた。もしかしたら、可動域にはいったら、やはり無駄歩きは少ないほうがいいのかな。明日は真冬日だから、買い物無理だし。また、探る日々です。お楽しみに。

入院中一緒だった方から、メールがきて、週末帰る方、退院めどのついてきた方が。入れ代わりでラッシュ収束かな。週末帰る方は二週間じゃないかな。帰ってからも頑張ってね。

思いだしたトラウマ
コルセットとトイレ
腰のコルセットしてると、余裕持ってたはずなのに下着おろすのが、なかなかいかない時があり、失敗いっぱいした。便秘のベストタイミングといいトイレゆっくりできないとストレス。

お風呂の風邪
母が緩和病棟でモルヒネがやっとあい、食べられるようになって二日目。お風呂があった。母は得に歳とってからは風邪ひかないよう暖かい日々にしていて、あがったら毛糸の帽子してた。食べられると学校終わっていったら、風邪。ガーン。
せっかく良くなったのに。余命縮んだ。もちろん、一人一人にあわせてふくだけなりにして!と要望しました。知り合いの保健の先生は家でみとろうと病院のから家の間で、風邪が入ってなくなった。スキーシーズンだったな。と、風邪はこわいのです。

筋短縮症
人生最大の太ももこむら返る痛みとの闘いが十年以上。今でも忘れない顔わかる騙した看護婦の笑顔。おしりや腕の痛い注射もしってたけど、太もも注射はなんとも嫌な感じで拒否したんだけど。なにぶん、年少くらい。ただ、こわがってると思うよね。。看護婦はいった、注射しないから、かわいい缶あげるから、おわびにと笑って捕まらないようにしてた私を捕まえやすい場所に誘導し、看護婦たちに押さえ付けられた。注射された。そんな時代。だからか、自分できめる。
前書いたかな。人工股関節あるなら、まだいいや。だめになったら、人工いれまーす。といってました。ははは。
で、AAOも長距離受診も自分で選んだので、自分の選んだ部分での不調はあってもしかたないと思うのです。

みなさんは何か思い出すことにあうでしょうか。

携帯持って腹筋してます。明日から父の病院で筋トレーニングやろう。

真冬日で風邪ひきたくないなあ。。




AAO術後19日目 2011.2.26 退院五日目

やった熟睡
夜10時に寝る。バタンキュー。薬なにもなし。夜中起きる予定だが寒いから、ストーブのメモリーどうしよう。布団重いと感じると痛いから、な。上を厚くするけど風邪ひくかな。など考えてたけど、悪夢なし、熟睡あさ五時半目覚める。やったあ。気分でスタート。でも外は真っ白だわ。

杖二つ
一つは宅配に対応できる折りたたみで入院にも使ってた。家で外用と分けようと札幌でTHA終わってる方に借りてる杖を使う。と、借りてる杖のよさわかる。折りたたみめないけど、ピッタリベストの長さになった。下のゴムがスタッドレスタイヤのゴムのように柔らかく弾力ある。そして、手で掴む柄の部分大きくて安定感覚あっていい。通販て適当に買うよりきちんと選べばよかった。でも、値段も違うのだろう。あ、杖をすごく使ってるわけでもないですよ。今、荷重より可動域なので「無駄な歩行」と自分が判断したときです。普通の家事で歩いていいといっても私家事多いと思う。二世帯住宅で二倍、雪かきつき。今やってきて凍ったのでストーブ前で解凍中。

雪かき
サラサラ雪2センチ、晴れ間見つけて三回。びっくりしないで下さい。札幌だから物品がそろっているし、もう、半世紀近く雪かきしてます。真冬日といっても日があたるととけてまでと陰になるとアイスバーンになるので、とにかく雪をどかします。陰になるときは、降雪も含みます。なんとほうきです。さらさら雪なので。長靴もすべらないやつです。腰のほうでは半年雪かき禁止でした。努力のかいあり明日はブラックアイスバーンじゃない。明日は車もだせるかな。

痛いところ
痛いところがよくわかる。術部の傷や骨、つけ根。など。あと、腰とコルセットのきれたところの背骨。みなさんが腰がなければ、足に集中できますね。膝下は内出血の腫れの辛さだったかな。ボルタレンはいらないかな。ボルタレンは母親の看護で使って、下血したから、なんとなく薬見るだけで苦しい。のです。

内出血
色だけこわく、腫れや熱がなくしなびました。楽になったな。

手術先輩物語
更新嬉しきく、反対の足してる方が多いのですね。私は筋力で持たす気満天です。
コロイドさんのはさすが若者で画像が多く、みなさんの知りたい社会復帰が書かれてます。といっても学生さんでした。また、2009年なので今に近い。そして、彼女の筋肉トレーニング、自主トレーニングは絵があり、私と同じもいっぱいです。なんかうれしい。
私は今画像はいじりたくない体力です。

右足は筋肉ない
浅く座ると右足細くなります。はあ。お風呂はいると見たくないもの見えつていやだな。お尻のところも内出血ある。月曜日、傷のテープとるようにいわれてます。憂鬱になります。

今日も熟睡できますように。




2011.2.27  AAO術後二十日、退院六日

よい睡眠大切
身体ギシギシです。
夜中目覚めて、リビング、というか茶の間でうとうと。いま、ここは、私用につくりあげられてます。父親も母親もいないので。ストーブ横にリハビリ寝転び場所のマット、真ん中ちゃぶ台にパソコンとノート、直角座りできる椅子買ったばかり四千円。そして運よくドレッサーの鏡がありちょうどストーブペチカといいますかの煉瓦円筒のむかい。ここにたったリハビリで身体の線をみることできます。ある意味恵まれた物的環境にあります。マットで寝たので身体ギシギシで反省。いい寝具は身体にやさしい。普通は風邪ひくけど、運よくストーブ前、帽子かぶってた。甥っ子が夜中降りてきたとき、毛布とってくれて、いろいろなドアしめてくれた。毛布は茶の間にも準備してあります。朝いちばん、ハチミチしょうがのお世話になりました。はあ。睡眠は身体癒す薬なのに。みなさん、いい眠りを。

痛いや不安
1番気になるのは、つけ根の痛みとパキパキ音。大丈夫、入院中も大丈夫といわれた。悪い音じゃないとプラス思考にもっていく。傷そのものの痛みも感じる。朝のリハビリを終えて、少し動くと調子よくなる。やっぱり腰が心配になる。はあ。

傷シート 明日はがす日だから、嫌だ。耳の後ろの脂肪腫の時も自分で毎日シート張り替えで。。耳の後ろはあまりみえないから、手探りだけど、今回はみえすぎ。腰の傷は見えなかったから、よかったかも。。
すごく楽。独立歩行
無駄じゃない歩行を今日は美しいく正しくでやってみたら、楽です。あれ、なんでできるの?という感じです。気付いたら、スタスタ階段おりてたり。車庫への内階段は狭く、段差も小さい。でも、荷重になるのかな。ドキドキ。私は可動域の人です。荷重の方は違う動きかしら。はやくリハビリ専門的にうけたいけど、無理かな。腰がきちんとベストポジションにあると本当にらく。腰万全ナラナア。。ないものねだり。

痛み止め
ボルタレンは手放しました。後はセレコックスだったかの飲み薬。腰のときは、四ついっしょ飲みでなく、痛みとめ一個でした。退院間近で手放した。さて、今回は。どうかな。ボルタレンはすごい量残った。がーん。

一日の過ごし方
朝6時から8時ゆっくり家事
8時から9時リハビリ
10時ころ晴れてたら、買い物、運転
お昼は昼食つくり。甥っ子のだけ普通につくる。
2時お昼リハビリ
3時から4時父親の面会すごく疲れたる
4時から5時お掃除
午後は雪によって面会をずらす。アイスバーンでないように。タクシー一日二千円。はぁ。
6時夕食
明日の食事支度も
8時夜のリハビリ
10時には寝るように。
一人暮しみたく楽といえば楽です。
私の食事の大元はらくちん。サラダ系は切ってザルにいれて冷蔵庫。上のトッピング、良質タンパクだけその時用意。デトックススープは鍋に野菜だしになる鳥肉、しょうがいれて、ストーブの上にかけておく。大量に作る。食べるときシチュウ系になったり、中華系、トマト系、いろいろ変化する。減量でなく維持です。いつか普通食事にもどる予定。
と、自分だけに時間そそげる部分がみなさんよりうんと楽じゃないかな。
去年の年末は、大掃除してないし。
ストーブで思い出した。豆料理も楽に。小豆たいてたべたいな。。甘いまの食べたい。
あ、リハビリはいろんなところで。立ってたらろくぼくでみなさんもやった太ももあげさげ。椅子にすわったらカタカタと筋肉トレーニング。とか。
雪かき加わるとちょっときついな。。

明日は傷テープの日だあ。ああ、気重。


回想
術後一日目 2011.2.8

カンファレンス室だったかな。ナースステーション横。自分の荷物、頭床台、三段のたんす、移動されてきてます。
点滴、など。

うそ!足が鉄の棒だ
朦朧の中、術足は足モミモミ機の中。重い。うそだあ、全く動く気配ない。鉄の棒で私の足じゃない。モミモミ機がとまる時もある。足が外向きがらく。また、スコシ、足の指動かす。少し動く。あとで足は内向きがいいと知る。とにかく目覚めたくない。痛み苦しみがくるから。。腰の時そうだった。

水ほしい
唇のかわ干からびてかさかさ。腰の時も一人の私。この時は、唇に水つけてくれたり、した。水は、お昼ごろまで飲めないはずだから、とにかく寝る努力。起きるもんか。

足モミモミ機つらい
とにかく足の位置が固定されるから、つらい。でも腰の時のように寝返りなしではないだけまし。ちょっとモゾモゾ。少し斜めになれる。少し。横向きがいいんだけどだめ。鉄の足に絶望気分。

水下さい
ナースコールで水飲めるなら水下さい!で時間的に飲める。やった!が、水差しで飲ませていただくというより自力首上げ。うそぉ。腰の時はいたれりつくせりだったのは、うごいちゃだめだからかな。

着替え
お願いします!の気分だが、できるならしてといわれできたのは、術部下にして横向きで左足あげる。これはできそう。腰の時みたくベッドのさくにつかまって。術足、右上はガコンと股関節内側入った気分。だめだ。横向けても足あがらない。ナースさんに支えてもらう。それでも動ける方、すごいといわれるが絶望気分。

入れた場所忘れずに
オムツどこか、タオルは?など聞かれる。朦朧と答える。私は一人だから、結構おき場所いれるところこだわった。三段の1番下は術後開けるのむりだなとオムツ中心など。

お昼ご飯
腰の時はヘルパーさんやとって流動食を口に運んでもらったが、自力。背中起こされ、ベッド用テーブルの上にお粥。と、うそだあ。の普通食おかず。がーん。でも腰の時の食べないとだめ、回復のため、また、お腹がますいからさめて動くからガスや便早くださなきゃダメが頭の中リフレイン。がんばりました。。ガスは結構はやいけどガスだけになりがち。はやく便ださなきゃ。便秘の薬かな。座薬がいいかな。

四人部屋に戻る
荷物も一緒。使い勝手考えて荷物いれたから、配置を行く前と同じにしていただく。はあ。尿のくだついてるから、心配しなくていいけど、心配してしまう。一人にしたる。ほっ。

リハビリあったかな。
記憶に自信ないがベッド上で動かされたような。動かないショックが大きく痛いといえば痛いけど、たいしたことは自分はない。足首動いたりすることがうれしい。ひざうら動かすのも。ひまならしてた。ふとんの中。動かすと楽になる。ふとある時楽になる。これから、自主トレーニング好きになる。足が木の棒くらいになる。動かしていると身体すべてにいいみたい。手でも。

夕食自力
昼と同じ。お粥な食べられそうなものいれてぐりぐり掻き交ぜて口に流しこむ。栄養と便のため。必死。カナシイ。のみものどうしたかな。お茶ですんだかな。。家族いないから、自力。だから回復はやかったかも。

本当に動くかな

不安の眠り。でも、寝ないと持たないから寝る。寝るのも必死。腰の傷跡が痛くなる。くすん。一日一日よくなったことを思い出しす。尿かん抜けば楽になったな。あと少しで抜けるよ。と自分ではげます。仰向けは腰につらい。

コメント

ジューンの股関節物語4 術後六日から退院まで

2011-06-19 19:20:59 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011年2月13日 術後六日目
寒さがありちょっと鼻水、喉の痛みがあり、困った前日。眠れなくもなりショックです。下剤の効果はあります。
咳がでないよう、聞こえないように鼻水を喉に落とさない努力や食堂に遅れて行ったり。
リハビリはできるけど咳や咳ばらい聞きたくないし、みんな嫌だよね。3時でも風邪薬でないな。くすん。咳でない努力は大変だ。明日手術の方きたしなあ。。と食堂にいます。片つえの方々は外出。すごい。それでどこがどう痛いか聞いてたら、1番元気そうな方が1番いたそうだったり。びっくりした。ひさしぶりの大笑いでした。
珍しくベットの上にいると足冷えます。気温が下がっているのかな。ホットパックを持ってきていただきました。
風邪薬とうがい薬が届いてホッとします。なんだか今日は一日が長いです。
なんとなくグロッキーですが、元気に見えるようです。
明日のレントゲンまで不安です。新しい痛みっぽいのを心配したり、違和感のあるところがあるとドキドキしたり、悪い事ばかり考えたり。
明日手術の方も一人入り、いろいろ聞かれるたびに一つずつ違う返答が複数あります。それぞれなんだな。考え方、捉え方、体験、感覚、十人十色です。しみじみ。
疲れたぁ。と久々の感覚です。


2011年2月14日 術後七日目
目覚めがいいな。連休明けで一週間目で沢山予定の詰まった日。
レントゲン、初シャワー、採血など。
疲れた分ぐっすりで幸せです。
さて、不安や苛立ちをよぶものってなんだろう
まず、あとから知ったことです
手術直後目覚めて手術した足が楽な外向きにしてたというかなってしまう。でも、どこかの時点、先生きたときとかみんなと話していてとかで気付くと、ショックですよね。そして今そこのばしょが、痛かったりしたら、不安のかたまりになったりします。心配になったら、すぐプロに相談を。思い込みや他人の処方はあなたの処方ではないです。素人の話しは耳栓。しよう。ふぅ。
次に思っていたのと違う時。
うまくいかないとき。とくに回復やリハビリ予定表、サイトに書いてあった事など。リハビリ表通りじゃないとやっぱり不安になりますね。また、ドクターに言われた言葉のひとつひとつの言葉とまわりの方々のいわれたことのズレや、それって聞いてない!私はと違う!って時でしょうか。さて、歩くときを手術を検討してる今より痛みなくきれいにスタスタ歩いてますか?私は腰の時そう思ってました。でも、違いました。私の今の感じなら、何かに捕まって壁とかに、ヨチヨチ足ひきずって歩幅小さく畳み生活はかなりきついだろう。と予想します。
手術検討の今よりずっと歩けると思っていたら、裏切られた気分ですよね。難しいな。
三つ目は、未知との遭遇のストレスが不安をよぶ事も。
例えばサイト見てみあたらない事、書いてない!ことたくさんあります。持ち物の紙オムツと尿取りパットはいつ、どこで何に使うでしょう。サイトの中のどこかに書いてあったかな。ここのサイトだって万能じゃないしハフツー本じゃないし。でも、書いてほしいとか、もっとまとめてよ、とか思いますね。プロや会社じゃないと無理かな。手術時です。パットだけかえていくので枚数がかわります。パットはいろいろ便利で、あててた場所の清拭なときにぬるま湯で洗っていただくときすいとりになります。では、すべてを使いきるかといえば人それぞれです。私は残ったのを生理パットのように使いました。
つづく

いろいろあってここまで。また後日に。
ちょっと疲れたよん。


2011年2月14日 術後七日目
その二
今日は本当に盛り沢山の一日でした。シャワー指導していただいて二番にはいれました。なんとか入れるものだなあ。私はからすの行水人間なので!ハパッと入りました。
採血やレントゲンと盛り沢山。
そしてリハビリが終わった時には雪でした。
そろそろ夕食かというときに先生がレントゲンを持ってきて下さり説明をうけました。何事もなくアンシン。ほっ。 同室の方の手術もうまくいったみたい。お帰りを待ってまーす。ご家族と喜びあいました。
その1に書きたかった事わかりましたかしら?不安を呼ぶのは人との比較。人の言葉だと思います。リハビリの進行でも顔が違うように骨も筋肉もちがうもの。誰一人同じはない。なのに、じぶんの考えが正論でしろうとなのにお医者さんのようにしゃべられると、自分の方が間違っている気分になりますね。いえ、あなたはまちがってません!
そして思い込みをなくそう。心配は聞いて解決を。リハビリ表みて勝手に十日たったら出されちゃうと思い込んでまわりの方にも話すとあれ?ひとそれぞれだよな。。と思いながら十日で出ないとダメな気分の方もでてきて大混乱です。
リハビリの進み、退院じき、みん違って、みんないいよね。うん。うん。
ドクターはあなたにオーダーメイド最高級医療をしています。世界にひとつだけあなただけの治療です。信頼して、確認は素人でなくプロへ。
わたさは頭が大混乱になり心を病む一本手前でした。お話してくれた方々が話しを聞いてくれたり考えゆを受容して下さり、たすかりました。
楽しく笑顔な話題が言いね。否定的、悲観的、思い込みはないほうがいいと思うな。
楽しい入院生活してクダサイ。


靴下はきき
みんなにあたるようですが、あたってない方もいたりして。私は札幌から同僚がつかっていたのを貰ってきましたが、これは、その病院のなので形状等は勘弁して下さり。と、この病院のがあることがわかりもらいました。あとで画像おくれたら、送ります。
これの存在を知らずに裸足の方いるのかなあ。と思ったりします。
2011.6追記
    柔らかく書いてますが、
    私が自分で気づいて、自分で請求して
    やっともらえました。
    「えっ?もらってなかったの?」といわれ、
    このあと、もらってない方が半数はいて、
    もらうラッシュになって足りなくなった。。。 

マジックハンド
私は段ボールに入らず置いてきたけれど、安いので先が掴みやすいのがよさそうだな。売店のは先が太く、動かす音もうるさいです。洗濯機からものを取り出すのにもいります。股関節の制限角度越えないためにも必要です。
私は三連休あけで予定いっぱいの長い一日でした。レントゲンの結果がよかったことが幸せです。
あ、患者さんのご家族で九州の方が私が話すと笑うのです。あ、もしかして北海道弁に反応してるのかなと聞いたら、大当りでした。私も九州弁を楽しくきいてます。私の仕事では転校生で結構いろいろな地方の方言を聞いているので爆笑はしませんが。私の本気の北海道弁は他県の人のみならず、教え子でも、
*早口で怒って聞こえる*言葉の機関銃のようにどんどん言葉がとんでくる
*センセイ!聞き取れませんでしたとなる喋り方。です。
必死で真剣になればなるほどそうなるのでした。

ソーシャルワーカー
医療相談員という職種が札幌では一人一人につく脳外科のようなところ、大きい病院で沢山の科があるとこは、一階入ってすぐに相談室みたいなところなどあって、シュヒギムがあって愚痴外来みたいな病院の悪口も心配も金銭相談も言えるところがあった。
札幌脳外科にくもまっかてま運ばれた時、私はすぐ自分の足でいった瞬間
「きてくれてどうも。今こちりいこうと思いました。会えてよかった。」一人一人に担当が決まってました。それで直り具合を見ながら転院時期と転院を打ち合わすたり、もっと先を見通して、介護保険から、老人ホームの話しをしたりしました。
一階にあるような病院規模では、自分で訪ねるケースが多く、ある意味病院の悪口も言えるところ。母ががんで緩和病棟から自宅介護になるまで余命三ヶ月でした。なんども一日もはやく母の希望である自宅に連れ帰りたいのになかなか進まずついに相談室に乗り込み余命三ヶ月といわれて一ヶ月半すぎた。これだと家帰れるころには余命一日になる。家で死んでしあわせです。それ望んでます。でも家に帰れなかったり病院からでるなかったら裁判起こす!訴えてやるとわめきちらし、次の日無事母を連れて帰れた。
だから、この病院のそういう人に相談したいんだけどソーシャルさんの仕事が違うみたい。私は相談したいことがあってジタバタ。何なのかうまく伝えられずかなしい。そしてバタバタしてるAAOドクターの登場になっちゃいました。なんとか表面上の会話を取り繕ったイメージです。
私はここの病棟にきてから、外国の病院にきたくらいのカルチャーショックで具合わるくなってたのです。それをだれにどう伝えたらいいか考えてただけなのですが。 。
すれちがってしまい、AAOと病棟と二つに闘うことになっちました。モンスター患者になっちゃいました。くすん。
私の長い一日だったのでした。

追記2011.6
      入院以来の悔しい、悲しい、苦しいがたくさんで
      病院に「苦情」をいいたかつたのです。
      札幌の病院では、簡単に相談できるところが
      結構あったので、もう。。。ショック。
       そうだ、「プライバシーのない」病院で
      病室の方にもきかれたくない話をしたかったのに
      そういう場がなくって。。。
      いつのまにか、私は、
      「クレーマー」の「精神病」ということになった。。

      うそぉぉぉぉぉぉ




術後八日目 2011年二月十五日

クレーマー患者の長い二日目。気が重いなあ。
文句いいにくる親の気持ちがわかる先生の私でした。また、新しく学ばせていただいてます。
何が私の心をさすのか見つめる。まず完全プライバシー保護下で心が開放されるように精神科医とかと話したいのだが。ここが伝わらない。大部屋で他人に聞かれながら、今話したくないのだ。だから、クレーマーみたくなって看護師長さんと話せる場をえられたのはよかった。今日やっと真意が伝わり幸せ。
リハビリとか検温とか士長さんとの話し時間とか微妙に重なり悲しくなったりするけど頑張った。いやいやこの頑張ったが今の私には毒だった。がまんしたらだめになる。でも精神科受診まであとひといき。
リハビリの時間がなぜここまで遅れるかよくわかる。今、どんな職場も人手不足かな。はじめてリハビリ室午前にいったら、外来の方もいてリハビリの先生倒れないのかな。というくらい学校でいえば複式授業の渡りを3、4人やってるイメージ。す、すごい。一人に個人指導し他は自習課題をやらせてるイメージ。先生倒れないかな。。
そして精神科外来とれるようになる。ソーシャルさんが心りょう内科を進めてくれました。
部屋もかえていただいてカーテン開けっ放しでごそごそしていたら、お見舞いのかたに声をかけられた。半年前、住所で近いので受診し、ひだりAAOをした方でした。サイトで調べたわけでもなくの手術で十日で退院したそうで、今は何不自由なくやってるそうです。勇気と元気もらいました。今日の幸せ一つ目!聞きたいこといっぱい聞いたけどまたキキタイ。仕事復帰の早さにもぎょうてん。でした。
私の恐れていた畳み生活の難しさも教えていただいた。正座三ヶ月禁止例があるそうです。
薬の先生、薬剤師さんとお話して幸せ、二つ目。意見があったからです。意見が合うと普通生活もうれしいですよね。そして、鎮痛剤を減らす方向にしたいので、いろいろ対策を考えて夜中痛くなったらボルタレン〓座薬〓ににげようと。少しずつ薬ま離していきたいなあと。でも、これは悪夢の始まりに。。
三つ目の幸せ、クレーマーの私の考えに寄り添ってくれる方と会えたこと。見ていてくれる人がいるとうれしいね。
さて、手術の終わった人も一安心。夕食時には十六日手術のかたが二名。
長い一日が終わるだけと思ったら、悪夢が。。
続く

追記
    実は、「幸せ」じゃなかったです。
    看護師長さんとのはなし。
    「クレーマー」「精神病患者」としての扱いなので
    病院側は、理解・共感をしている「ふり」です。
    わかってましたが、もう、早く退院したいから
    私も「ふり」をしていた。2/17のがそうです。
    希望聞いてもらって満足している「ふり」です。。。
    悲しい闘いの日々だな。。。
    股関節治しに来ただけなのになあ。。。
    と、ほんとうに「心を病む」
    だから、物語書くのをやめようと思ってた日々。
    
    なぜ書いているか。。。
    AAOは悪くない。
    ドクターの腕、悪くない。
    AAO受けに来てみんな気持ちよく
    退院できないかなぁ。。って。



2011年二月十五日悪夢
痛い!イタイ!いたい!
いたいです。泣けた。
私の痛いはこれです。
夢か現実かわからず痛いと叫んで目が覚めるパターン。
同室の方が痛いって言っていたよ。と教えて下さって、現実と判明。
私はナースさんに寝ぼけてました。と言ってしまった。そして、二人目のナースさんに薬をもらいました。いつもこんなパターンがある。。。
どうして忘れちゃうんだろう。
と、いたかったんだもん。



術後九日2011年 二月十七日
希望、要望は取り入れられたり、対処していただいて、幸せ。
父親への葉書を出しに看護士さん付きでの外出ができて幸せ。
栄養士さんに相談して、体重維持のポイントや一日ご飯普通盛りで1700キロカロリーを教えていただき、私は小盛にしました。また基礎代謝をあげる運動というかストレッチを教えていただきました。私は過去のその職種につかなかった栄養士系なので、最新バージョンは知らないし、理論、考えは年々かわるので現役栄養士さんは神様に思えた。教師も二十年前くらいはできたばかりの生活科にうろたえてたような。。今は小学生英語だからなあ。教えて貰って幸せ。
リハビリはやる気満々になるテキパキと熱意の伝わる部屋の空気に感動。いま痛くて痛くてだけど今日のホームラン感動です。。。すごーく幸せ。
手あれの薬もいただいたから痛くないよ。
クレームは即座にきて対処も早めを希望されるもの。すぐです。
じゃクレームに対しとっていただいてよかったことはどうかな。よかったを伝えますか。私の世界ではナガーイ、ナガーイ時間がかかるか、こちらからの問い合わせです。
でも、好まざる対応ならすぐ電話のひとつでもする。
今、ああやっぱりの痛さで涙涙。あと少しでキツイ痛み止め使えるねので耐えて待ってます。。はあぁぁぁ。
早く朝がこないかな。きを紛らわしたいよん。くすん。くすん。

 2011.6 本当は、クレームの真実の話は
         伏せて書いています。いろいろたいへんでした。

    ぶっちゃけ、私は、精神病患者扱いにもなりました。。。

    でも、それで、ある意味、要望が通ったのでいいかぁと。
    あとの物語で少しずつ本当の話がでてきます。
    
    「精神病」ってレッテル貼る小説とかあるけれど、
     簡単にできそうです。。。悪意がある場合。

     なので、いろいろと変な表現やなにやらがありますが、
     リアルタイムで書いていたので、残しておきます。 


薬オーダー
時間かかります。ドクターいって、薬剤師まわって自分まで。
休日や夜中などオーダーは平日朝、届くの早くてこの日の夕方。どんな薬でもです。くすん。

リハビリ
土日祝日は休み。三連休にあたったの方々は損した気分になっていましたよ。

ご飯
ドクターから栄養部へ。ドクターの考えだが、私の考えではこのメニューの対応者は三十代男性かな。うーん。世間の社会のつくり、信号の渡る早さとかたしか、三十代男性だったと思う。だから老人が信号渡りきれないとか。
今、選べる食事もなしです。新病棟移行期だからだとおもうんだけど。

ドクター采配は
ドクターの考えが1番にくるイメージですよ。

いたい。イタイ。
当たり前だな。
がんばるぞっ。おー!


とにかく、2011.2.19
可動域も終わり、退院前運動チェックも終わり、あとは私の心一つになりました。
金曜日の夕方なので退院費用の支払い等、月曜日。といってもだいたいおいくらかとか、アフラックみたいな保険の書類や診断書は誰にどう頼むのでしょう。と悩む人いるだろうな。そして、はたして札幌いきチケットはとれるかどうかです。土曜日、今日買いに行き、日曜日ま外出練習して、月曜日午前退院手続き、最終便に乗るが希望です。
さて、うまくいきますか。。
まずいろいろと準備をしましが、土曜日はちょっと不便。やっとATMでお金はいい。ご家族がいる方は気にならないでしょうが行きも帰りも手術もすべて一人の私には必死です。
あ、その前に退院チェックがいいですか?

私の場合の退院チェックを。続く



とにかく、2011.2.19
可動域とも退院チェック。痛そうだし、何するかドキドキ疑心暗鬼になりますね。

可動域
私は術後九日からかな。すごくはやすぎです。かくどなので、いわゆる開くか曲がるかです。痛いらしいです。何故こういう表現かというとこの痛さというかは私にはいつもあったもので、痛さにカウントされません。うさぎとびというのを痛くてもさせられたから、痛くてもするのは慣れかなあ。私の場合は動かないことへのくやしさです。1番苦労は人生最大の痛み筋短縮症によるふとももの注射によってへこんだところがつる、うーん、こむらがえる事ですが。この症状に中学生まで苦しんだから、二度と嫌なのです。だからこむらがえる前に自分で力をいれるのをとめるし、さわられるのは嫌。そこをリハビリの先生がすごく上手にやってくれたのです。声かけ上手で具体的に説明してくれるから。悪いところをバーンとまず一気に叩き潰すのがドクター。いい方向になるよう伴走し援助しもとどおり、またはそれ以上になる手助けを提供し続けるがリハビリの先生だと思います。ので、18日は楽々に足をがばっと恐怖なくできました。
どの動作もうごかないくやしさだけで、私は痛いけど痛くない。実は似た人やっとみつけた。いたいいたいと口に出したり態度にでる人が多く、私のように痛くない人は困りはてすごいストレスになります。心壊れた原因のひとつです。やっと同じ人みちけたよん。

退院チェック
退院チェックとは知らずリハビリ後、バタンキューのところ主治医は有無をいわさずよびだし。股関節の話しをナース室のパソコンみて語る語る、メモする暇なし。忘れる自信がでてしまう今後生活注意事項がまたどんどん。どんどん進みながら、私は行儀悪く机に手をつきゼェゼェしてるのにおかまいなし。
心配事項をきかれ札幌帰りたいけど運転できないと困ると何かのために近隣地域で退院の人と同じく事後の検診をできるかぎり岐阜にきたいと訴えるとゼェゼェと倒れそうな人に、ではチェックします。はいこっち。と、NOをいう暇なし。歩く、階段などつえなし。ただし階段は危険防止でてすりに手を添える。片足立ちとジャンプはこわい。。ちょっとしかできない。と。一人一人に合わせた指導と教育界ではいいますが、やることがかわります。この間、休み無し、文句いう暇なし、反論の余地無しなのでこっちのストレスが大きい。はじめてやったよ、両足ジャンプとか次々。次々。運転は最終は自己責任でオッケー。
はい、札幌帰れます。不安とかありますか、どうしますしか。どんどん進む。みなさんこのように
自分がどうしたいかを聞いてくれます。よりベストをさぐってくれます。心配しないでほしいです。一人一人にあったやり方でやってくれます。
私は頑張ってちょっと返事してやっといえた!まって下さい後で返事します。
ゼェゼェ度数があがり反論があっても質問があっても思考停止。
退院できるならすべてYES!です!ってかんじ。退院したいんだもん。いいや。はい。はい。ばたん。ベットダウン。よくご飯たべたな。あんまり覚えてないけど。

退院判定
でも、必死に聞いたことは、ナンセンスですといわないで痛み止めの話しして!です。きちんと聞いて帰る気満点。お金おいて逃走して岐阜市内のホテルにとまろうか。です。だって疲れ果てたんだもん。めずらしくぐっすり。

私はメモをとらないと忘れるので何度途中でメモをとりたいと思ったか。。忘れちゃうよぉ。

さて、札幌までのチケットを買いに行くにはどうしましょう
家族のいる方は心配ないですが、一人の人はどうすると思いますか。

今まで病棟からポストまで、まあ、敷地内は看護士さんについてきてもらいました。病衣に軽く羽織りました。くつもバレーシューズのまま。

さて外出ではどうしよう。12度ってはるの運動会シーズンだなあ。お見舞いの方方の服をみさせていただき、札幌から半部の重ね着に。
久しぶりの外靴はほぼぺったんこ靴だけど。ちょっと違和感がある。
さて、チケットと軽い鞄が必要。きた時は思いでかいトランクとでかめのショルダー。
このショルダーは腰にくる。トランクも車輪よっつに軽く小さいのへ。
タクシーでショッピングセンターラピタを教えてもらった。ホームセンターもある。向かいに学校。小さな商店街。タクシーで1500円。列車だと名もJRも各務ヶ原。思い帰りはJR.340円くらい。ワンマンやムジンエキはどきどき。
まず鞄は希望をつたえ、軽く小さき。もののいれかえも。
旅行会社でチケットは簡単にとれる。ベンチやただ留まって調子とととのえます。
こりゃ腰の固いコルセットしてた生活と同じ。
お昼は回転寿司、一人だけどボックス席にしてもらいました。あ、外出注意聞くのわすれた。ビールのみたいなあ。
まあ、粗汁とじゃこおろし、鰯の骨のから揚げを食べた。寿司はしゃりを残しながら。
しあわせ。ダナ。選べる食事。
疲れるのは地元じゃないから、休める場所をすぐ探せないとか、階段しかない場所で呆然とする。
また、杖を持ってるとみんな親切で、ぶつかられる心配はありません。
腰の時のコルセットは隠れて見えない時、買い物カートを走って使っている子供に恐怖をかんじた。ぶつかられたら、アウトだあ。。いやあああ。が、杖はどけてくれる方いっぱいです。ありがたい。
はあどっこいしょと座るとおばあさんもいっしょにどっこいしょと、お友達になれたりします。
術後十日は動けますが、持続性と体力がありませんので休み休みです。
腰の術後と同じです。
ですから、私はあと三ヶ月は家事中心で買い物はできて30分だったな。。
しっかり札幌行き航空券ゲット。
私のように遠方からきて、可動域終わってて心配事あれば外出練習してから、退院すると自信がつくと思います。私は本当に一人で帰るので、トランクも腰の先生にいわれた四つ車輪の軽く小さいのにしました。可動域前の退院の方はわかりません。ごめんなさい。

本屋へゴーへツヅク

とにかく、2011.2.19 航空券を買いに外出
午後は本屋へと決めた。理由は私の場合はジャンプ、スポーツ禁止、そして無駄な歩行禁止です。
本屋へ行くのは無駄な歩行でないと勝手な理由をつけて、岐阜市の三省堂でもちろん、見つけたいのは、モンスター患者です。患者は英語でなんていうか今わかりません。今私はそれになっているのはずなので本読んで確かめよう、そして、大人の発達障害の本。私すごく本を読むのでだいたい新書の、たぶん作者の姓名はとちょっとわかっていたので検索してもらう。すんごいプロの店員さんで感動。買えた。かえたけど読む元気なし。JR岐阜と名鉄岐阜はちょっとわかるので休むベンチとかはなんとかなる。でもバリアがいっぱい。私は腰のコルセットをして、腰のためにキャリアトランクをひきずらないように補助させます。札幌のお医者さんの命令です。今、ショルダーバックをこんなに軽くしても腰の手術後のバリンとした座骨神経痛が苦しい。可動域をやっているから、しゃがめるけど立つ時、腰に力が入らない、痛いです。だから腰をかばう。腰をきちんと背筋のばして正しい場所にしないと苦しい。
嫌でも姿勢よくなので体力の消耗がはげしく、ゼェゼェと息し始めると私の限界でベットに仰向けになりたい。ならないと倒れるです。
あ、携帯バッテリがあぶないので、
続く


2011.2.18-19 退院に向けて
私の場合曜日が独特でチケットとらなきゃいけないし、です。
金曜日夕方、先に書いたようにドクターチェック。月曜日、よる8時便とれたら帰ると看護士さん経由で伝えたかな。
翌日の外出許可も合わせてとる。
チケットとって夕方病院、看護士さん連絡。このとき忘れてた外出注意をきく。
実はアルコール呑みたいから、食べる飲むに制限ありますか?で、ないといったら飲んじゃおうかとかたくらんだけど。看護士さんのすばらしい対応が私を押し止め、ノンアルコールビール。
病院で夜、私服のドクター登場。お疲れモード?ありゃ、もしかして紹介状とか手続きとか休みを奪った私?かも。いやあ、今日転校します!の親と同じになったのかなあ。。手術ラッシュなのにな。。教師で疲れ果ててる私と比較すると丁寧だし、申し訳ないな。私ならつっけんどん対応になると思う。
2011.2.20日曜日、名鉄に行きいろいろお願いしたり聞いたり。1番は座席二枚とれることと二枚というかふた席で七百円。あと乗車券。特急、急行いろいろ同額。カルチャーショック。JR北海道もしかして高い?詳しい時刻表と路線図もいただく。帰り時間考えるの楽でした。 とにかく一人だから、気がはります。宅急便どうしよう。お金は?薬?

入院費は?
計算できましたと看護士に連絡きて、払いにいく。六番みどり。

ざっくりいくら?
高額医療上限に食事代、パジャマ代。個室の人は個室代。

アフラックとかの保険や診断書とか
用紙と書類代を1番へ。いつでもよい。



2011.2.21 退院です
お薬とか
看護士さんの確認ドクター指示で薬剤部へ。できると看護士へ。看護士から、いっぱい説明。ああ、すごい。これは、宅配できないからな。

退院後注意など
朝の回診で回診の先生から。1番嫌なのが一週間後、自分で傷テープとることだ。注意事項は可動域終わった人用紙かな。正座とかできるし。

次回検診日予約
看護士さんにいつ頃か言われるが、私は後日決めることに。三月から五月です。私の場合。

リハビリの指導

曜日などによるのかな。私は金曜日までにかなり聞きたいこと聞いたし、先生いっぱい教えてくれた。偶然会って今日どうしますか?と聞かれるが時間がない。。すんごく残念。あせりすぎた。

宅配
複数個で時間も考え、持てないのはすてた。11時ころかな、たのんだのは。三日かかり遠いから三千円くらい。段ボールとトランク。12時くらいに業者きたみたいで支払い。


帰り道
すべて終わって12時から13時。休み休み行かないといけないので、早めにでました。

ご家族とか来る方はゆったりできるのかな。。

感激は名鉄さん。駅ごとひきつぎ。すぐ人くる。岐阜の乗り換えがきつく、変更してもらう。

セントレアのボランティアのおじさんに、「つらそうだなあ。のるか?」と声かけられ助かった。

ANAはびっくり。夕方便にかえてくれて、坂道見つめてるとすぐくる。
あ、座席もできれば一人窓側です。担当さんがいてベストポジション座りがわかり、痛くない!びっくり。感動。トイレも。

とバタバタと千歳発札幌、8時台にのれました。

一人ぼっちで遠くまで帰るでなければゆったりかなあ。。。
いろいろ方に助けられ、新札幌に。大都会だったのね。

札幌の人カルチャーショックへつづく。





術後 十四日目 2011.2.21  みなさんの知りたいこと
夜、今、札幌のお家の布団の中。得意の悪夢で目覚めたけど風邪ひく手前です。うちにいる。でも、電話した。病院に。私、退院しましたよね。と。

荷重訓練後先に書いたように可動域。ここから痛さの闘い。

今、頭クリアーになった。
私の状態は術後14日、減量したけど右AAO、左不全の初期痛みない、なぜなら、2010.7.12にヘルニア、狭窄、滑りの自分だけの骨で治す手術後半年。
みなさんとはかなり違う経緯でしょう。岐阜と札幌のカルチャーショックというか県民性の違いに精神ダメージうける。から股関節は元気なので札幌に帰って、しずかなJR北海道の列車内と暖房がんがんで汗だくで歩く空港に安心。

そしてみんなが何を知りたいかわかった。何が不安を呼ぶかとか、予後の違いの一原因がわかった。

ので、みなさんがドクターのベストオーダー医療を気持ちよくうけるために私の体験をお知らせしたい。誰も傷つかず、個人情報に注意をはらいつつ、病院全体の批判や悪口になること、サイト運営者CE3に迷惑や負担にならないように保護しつつかきます。この物語の文責はジューンです。

パソコンは今開けないので携帯でまどろっこしいです。全部かくので疑心あんき、不安、人と比較してのねたみそねみ、落ち込みなどしないでね。

まずは股関節の手術を支える、背筋、腹筋、ふともも、膝あたりの筋肉どうですか。私は偶然鍛えてました。腰のあと弱ってたので。生活は父親面会、ご飯つくり、筋トレーニングのみ。病気休暇中で全精力使いまたした。腹筋さぼると腰立たない痛くなる。
そして、膝の先生にもきいた、筋トレ。また小学校教諭の知識は本当に広く浅い。体育系の知識あるし、中高校の体育の専門家に知り合いいる。柔道系整体系のせんせいに腰下の歪みを指摘されてました。また老人に対する転ばないための筋力体操とかしてた。今それしながら携帯メールしてます。病院で出会った高齢の方も一度片足悪くしてずっと筋トレしていたようで、術後痛くないようです。

私の場合プラス浅い知識が夏の腰の手術や保健の先生、栄養士、自分の資格栄養士、趣味のスキーなどが自主トレーニングでやっていいこと、これだけは無理がわかる。

基本真面目世代なので真剣にとりくむ。

術後動くところを動かす。足の指はきけんかな。手のグーパーとか。

職業柄、体に耳をすますことをしてきた。私はかなり下手ですが。スキー検定でエッジが。。というのが意味不明でほめられた時の体を覚えこませるとかしてきた。具体的に体を語ったり聞き取ったりする時が多い。マットの前転のせつめいしながら体を感じさせるとか。するとリハビリの先生のいってた事がはっとわかったり、患者さんの言葉にヒントをえてとりいれたり。「立っててつらくないの?」「立って骨つけるためにいいの。」あ、そうだったと。
やはりいわれた事をするかどうか。

未知の物への恐怖の乗り越え
誰もみなあると思います。私はそのために情報収集するくせがあり、ジョークでも、「すごくいたいよ。もういたくて、いたくて」なんていわれると倒れそうになります。
「痛いけど少しずつよくなったよ。」といってくれればちょっと安心。

サテ、荷重では痛くなかった私は、痛み分類が人とちがっただけで堪えられる痛みはいつもあったから、こむら返りくらいになるとこわい。やりたくない。叫ぶでしょう。子供生んだことないから、わからないけどあれが1番痛いときいてます。

可動域にはいったら、鈍痛からしびれ、布団の重さが痛みをよびます。痛いです。くすん。腰が悪いから腰が悲鳴あげてます。腰の手術後三ヶ月くらいのバリンと座骨神経痛。腰コルセットしめあげてもつらい。腰壊れたかもの恐怖。でも、さぐ
る。痛くない、ベストポジションだったり、動作だったり、さすったり、体温あげたり(ストレッチとか)します。するとあ!と気付く時がある。
わたしは頭から下まで全て直角座り。腰上まっすぐ。そうしないと腰痛い。でもこの姿勢維持は体力と腹筋を使うので疲れる汗かくです。みんなのベストポジションあるはず。探って下さい。

インターバルやほぐしを必ずいれる。みんな食堂で固まった経験あると思います。私は固まる前にどこか動かしたり、さすったりしてます。少し予備動作をいれるとスムーズに動くと思います。痛み減ります。私は一緒の入院の方は見てますが深呼吸とスクワット。これも人それぞれでしょう。

痛みの自己防衛をつかむ
私は冷やさない、さする、ベストポジションです。人によって違うと思うので探って下さい。

あとは不安と勇気

不安というのはポキッと音した、新しい場所が痛いみたい。。みんなもかな?です。みんなはあなたに関係ないので自分の体と対話。同じ場所か、いつもか、同じ動作のときか、などです。それで大丈夫と思うならいいし、不安なら、素人の患者に聞かず回診のドクターかナースに聞く。私はなんとなくどんな返答くるかよそうはあります。患者どおしで愚痴るだけならいいけど素人ハンダンでそれ信じて悪化したら、怨みぶしの世界。それからこのサイトも怨み節の標的になりやすい。人間って教育していてわかったけど、自分の都合のよい情報だけを覚えるものなのです。私は勝手な思い込みによる非常識と表現してます。気をつける努力はしてますが。。
だから、自己防衛で入院中メモ魔です。でもメモするひまない病院でした。ドクターにきかないで愚痴るばあいじゃないな。と思います。

勇気
これ、難しい。最初の一歩。うんと、私は子供たちに先生のこと恐くて鬼でいいから信用して。といって説明。とっても具体的に効果音つき。
とびばこの踏切なら、走る、右足、両足、手は遠く。音では、トトトト、トン、ドン、バン。やってる間中いってたりします。すると、時々先生の声ないとできないというので、自分の心の中で自分の言葉で自分でいってごらんと答えます。
リハビリの先生信用して耳をすましてみてクダサイ。あ、でも、ここでもメモかきたいけどかけなくてベットであわてて書いて、わすれたぁぁ。をしました。また、私は手術たてつづけと代謝と粘膜の弱さで、汗かけばあつい、汗ひいてくると指先から凍る。体温復活に時間がかかるなどで、自衛でナップサックに体温調整グッズいれ、汗ふきタオルもってやってました。まわりの人はそんな事してないから、ひとそれぞれかな。

私は、痛くない、できる、大丈夫、ガンバレ、ガンバレ、わたし!おー!がかけ声でした。

あと県民性のちがいや、みんなの知りたい札幌でどうリハビリするのかはツヅク。

今日は三度でとても暖かく、路面渇いているから車で屋内駐車場の5分圏内総合スーパーにいけそうです。ちょっと近所運転してみます。きっと大丈夫。大丈夫。と叫んでます。

今いす直角すわりでどこもいたくないけど、これからの筋トレで痛いでしょう。

私の場合の話しですよ。
      あくまで。

続く。
コメント

ジューンの股関節症物語3 入院2011.2.5から術後五日まで

2011-06-19 19:20:35 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
入院生活はじまりはじまり2011.2.5から

二月五日 札幌発 晴れ
雪予報がはずれ、氷点下でもあたたか。入院は六日の午後。夏なら、朝一番の飛行機で間に合います。でも、今なら噴火や地震、雪のように交通機関も百パーセント確実はないな。と。近い人は手術日入院でしょう。夜、名古屋まで来て宿泊。札幌の私には、春の気温の名古屋です。手袋いらないなんて。
実は、五日から、4時起きです。緊張してるとは思ってないんですが。ということは、年寄りは早起きということかも。

六日 午後2時 入院
日曜日なので静かであり、お見舞いの方たくさん。食堂で看護士さんとお話中は、リハビリで歩いている方を見ましたが同室ではありませんでした。四人部屋で奥二名の方はご高齢で股関節の方ではないみたい。です。動けない方もいらっしゃるので、挨拶のお菓子は箱のままです。病床台がイメージと違い、テレビが上の方でイヤホン1メートル両耳が届かない。売店は、日曜日のため2時に閉まってた。くすん。あまりにベットにぴったりくっついたテレビを見る一日目で悲しい。と、ベットの高さを上げて少し、ほんの少しいい感じに。私の母ならベット操作もできないだろうなあ。。明日、1番で買いに行く決意です。
でも、夕食後同室の方が私のイヤホンからの音量より大きい音でテレビを見始め、看護士さんに聞いたら、消灯10時までいいと。。札幌とは違い過ぎてびっくり。個室でもイヤホンだからなあ。イヤホンで悩んで馬鹿みたいだなあ。。術後苦しかったり、痛いときこの環境はつらいな。。
あとびっくりなのは、札幌ではダメななま花です。ご家族さんが洗面台で枯れた花を捨て新しい花を足してと。。札幌では衛生とアレルギーなどでダメです。ナマゴミも病棟では捨てるところが厳重です。
荷物は、キャスター付き大きい方の三段の物入れをいただき、うれしく。あとはトランクでバッチリです。荷物は心配したほどパンパンではなく余裕です。
なんだか明日手術だけど安静に寝られるかしら。
あんなに頑張って風邪注意してたのに、病院のお風呂のシャワーが寒くてなんだか、喉がイガイガで悲しくなってきました。なんだかなあ。。
個室の方がいいかもと思ってしまった。
夕食もみなさんは、食堂ですが、私は部屋に持ってきていただいたので、みなさんと交流できませんでした。車椅子の方が、股関節の手術の方でしょうか。。。

ちょっと、憂鬱な手術前日でした。
マスクしたまま寝ました。

2011.6回想、追記
      腰の病院で手術前の風邪は絶対ダメといわれて
      いたので、明日の朝風邪ひいていたら、
      手術できないって。。。
      
      悲しくて、つらかった。。。。  


二月七日 手術日
8時みなさんはお食事。私は絶食。ドクターが挨拶に来て下さいました。
9時すぐ、イヤホン二百八十円。持ち物で書くの忘れましたが、紙オムツ二枚入りというのがきちんと売ってました。私は父親と母親の入院の残りがたくさんあったのでそれを。パッドは大量ディスカウントです。父親が家に帰ってきたら、使うので。。
9時15分 ベットに点滴棒とシーツ、バスタオルセットしてくれました。
やっぱり、問題は、便秘です。きっと浣腸です。シャワートイレもダメだった。。くすん

11時
と、日曜日入院なので手術前のリハビリの先生との話しが手術ぎりぎりまで。角度はかったり、力の入り方など。
その分余計な事は考えずにすみました。


2011.6回想、追記
    実は、札幌と比較して悲しくて、くやしくてが
    いっぱいだったのです。。。
    県民性なのか、私から見ると「時間にルーズ」で
    「忘れ去られて放置」されて。。。
    便秘の浣腸がなかなかこなくって。。。
    手術前に手術したくなくなったのです。
    今は新病院で手術ラッシュじゃなく、スタッフも
    かわったから。。。どうかなぁぁぁ。。。。


二月七日夜
すぐに麻酔がかかり、覚めやすいので夜中目が覚め苦痛。痛いなではなく動けないからです。腰の骨を取った左臀部がドーンと重いつらさ。いつもは腰のため仰向けをしてないので腰もつらい。足はモミモミマシーンがもんでます。

二月八日 術後一日目
ずっとうつらうつらで点滴など
1番すごかったのは着替え。横向きになりますが、術部の方のいたさ。そして、足が鉄の棒のよう。術部が上になった時は支えてもらいました。
はあ。
ナースステーション横のカンファレンス室です。ベットも頭床台、棚みんな移動
昼食を背もたれ起こして必死に食べました。お粥以外が普通食だったので
きつかった。

そしてお部屋にまた大移動。やっておいてよかったのは、頭床台をつかいやすくしておいたことです
うつらうつらとリハビリです
足はあがらない、曲がらない臀部外が痛い。体を起こせないのは、腰もあるな。。でもいいですと言っていただきほっです。 夕食もお粥以外普通食です。何とか食べました。
うつらうつらと寝て三度目覚め、目覚めたらリハビリをして、眠気を待ちます。
びっくりは確実に動かしやすくなってることです

追記2011.6
     脚はてつの棒のようにうごかない。
      がんばってがんばって、がんばって、動いたぁ
     水は水さしでなくコップで自力のみ。。。
     術後の食事が固形でびっくり。
     自力食べでびっくり。
     札幌の腰の病院と比較してしまう。
     食べて出さないと「大変」と教えていただいてた。
     全身麻酔後の医の動き確認の聴診器ですが、
     この病院は、説明がなくって。。。
     


二月九日 術後二日目
昨日、先生から手術結果やレントゲンを見せられたのを思い出す。
しっかりファイル。うまくいきました。
さてさて夜中三度目が覚め、リハビリしてたら、右外側の痛みが弱い。足が動く。

朝食は昨日と同じ。点滴も。
朝の検診で日々、頭痛とちょっとの鼻づまり、喉のいたみです。これが手術の麻酔からくるか持病の偏頭痛か難しい。喉もチューブの可能性が。術後ずっと水枕で体温も高めです。痺れ痛みは今のところなし。痺れは捉えが難しいです。腰の時痺れとわかるまでかなりかかった。
元気がでてお茶からコーヒーに切り替えました。元気のバロメーターです。リハビリがなかなか巡って来ないし、うとうとするとまわりの方のお見舞いやら、テレビの音やら。自主リハビリもむなしくなる。元気になって昼寝ができず、お尻が床擦れになりそうです。

昨日リハビリの先生にベット腰掛け姿勢を聞いておけばよかった。
と、看護士さんが歩いて見ますか?と。やった。歩行器でとにかく立てた、恰好はおいておいてあるけたので、ラッキー。尿の管を抜いていただきました
四時半すぎリハビリで正しく歩くです。
結構バテました。夕飯は食堂も考えましたが、自信がなく、ベットに横向き椅子すわりターンテーブルです。明日から椅子の自信がつきました。
歯も磨けて、そろそろお粥もやめようか。
とやっぱり便秘なので薬をいただきました。
リハビリの中で起き上がるというのが腰の悪い私にはつらいです。
筋肉があるとリハビリ楽です。膝の先生に感謝。リハビリが終わり部屋に戻る時、篠田先生に会いました。じつは看護士さんに一ヶ月くらいしてはいけない股関節の動きでひとつ、楽なのでベットの中で外向きにしてしまいます。一応、骨の強さとかで大丈夫とのこと。
腰の時心配を聞けなくてうじうじしたことがあったので、聞くだけ聞きました。百パーセントは世の中ないけど大丈夫といわれると落ち着きますね。本当に寝られなくて明日から、眠剤をいただこうと思います。

追記2011.6
     とにかく、「時間のわからない」病院で
     絶望気分でリハビリ待つ。
     看護師さんが、歩いていいと言ってくれて、
     「うわーぃ。」でしたが、
     歩き方やしてはいけない動きなどわかってない
     質問しても、
     「リハビリの先生に聞いてください。」
     あ、あなたたち。。。プロなの????
     腰の看護師さんは、ドクターより詳しいし、すごかった。。
     またまた、絶望きぶん。不安増大。。。

私の時は、手術ラッシュの古い病院
    今はスタッフも変わったとか。。。

喉の痛みは、手術のチューブの後遺症的なことがあります。
      また。。。もっと大変になる人も。
      ポリープとか。。。
      私はとにかく、腰の時も痛いが一週間はありました。
お通じないと大変です。
      いきむと傷にひびいたりします。
      出さないと大変と腰のナースさんがいってました。 


2011年2月10日 術後三日目
寝られなかった。コーヒーのききすぎかな。
乾燥はマスクで防いでます。食堂デビューで、あ、きっとこの方が股関節だろうとかわかりますね。両足THA,THAとAAOという方々をみてびっくり。すごいわ。大変だわ。と思いました。
まだ朝の痛い注射はあります
便秘薬がしっかりきいてうれしいです。痛い時に踏ん張るのは苦しいです。
シーツかえや大幅な部屋の移動があってバタバタ。私のリハビリは1番最後となりひまでおしりが痛いので、看護士さんと歩いたり、トイレいったら遠回りをしたりです。看護婦さんのリハビリも強い味方です。
今1番リハビリラッシュだそうです。また、股関節手術もどんどん続くので、長くいるなはどうしましょう。。です。
リハビリは暖房がキレかかった5時からですが、股関節から動かすがうまくいきません。骨盤をだしてしまうし、平行棒は手と足一緒の小学生でした。腰の時から体がまっすぐたちません。そこも腹筋の力のいれどこや股関節の使い方を教えて貰ってます。私ははリハリリ表通りねの進み方です。夕食、若い子は仲良く股関節仲間かしら。私は若くないわあ。
私は腰の方とも語り合えるなあ。そうしたら、両足AAO二週間の方とであいました。私から見るとしっかり歩いてましたが、ここまでくるのは、大変だったようです。
きちんと歩けないけど三連休でリハビリはお休みですトレーニング方法をきいておきました。リハビリすると結果がついてくるので自主トレーニングマニアになってます。
なんだか満杯の入院みたいで夜の検診が長いです。ご老人もふえましたねぇ。ご時世でしょうか。
リハビリで〓こわくてできない〓という表現がとびかいます。恐怖で、が標準かな。北海道は、疲れてとかしんどくてが強い意味です。
さて術後、胃のガスに悩む方も多いです。全身麻酔からくるものですね。私はは出過ぎの方です。でも便はなかなかでません。くすん。腰の看護士さんにいろいろいわれたのを思い出します。
みんな毎日少しずつ進歩してます。はやく普通食堂で自分でAかBのおかずをきめたいです。あ!味付けですがやっぱり独特はあるのかしら。赤味噌のおみそ汁にちいきを感じてます。
喉の痛みと空咳はマスクとしょうがあめで乗り越えてます
薬オーダーはドクターなので、
     日曜日とか連休では、薬がでません。。。
     札幌は、個人病院的だつたのもあり、
     いつでも出るイメージだったので。。。
     風邪くすりとか、うがい薬くらいおいておいて。。。
     風邪は、病室の窓あけっぱなしによるもので
     退院までずっと、「闘い」になる一因となりました。。。
     私の場合は、股関節でなく、他のことで
     苦しい、悲しい、悔しい、思い出したくない
     入院でした。。。。
     2011.6
      
     



2011年2月11日 術後四日目

眠剤、下剤の効果が幸せ。起きてすぐすっきり。
寒いなあと思ったら、雪です。朝ニュースの札幌は晴れてたな。札幌の気温はマイナスとか。
傷口を見ていただき、包帯とれました。今ちょっとかゆい気分。体ふきました。シャワーはあるかしら?注射も終わりました。体ふくタオルをいただいたのでシャワーはなし。別にシャワーなくてもいい人間で助かりました。
さて、やっぱり朝食のあと喉が痛くなりからせきもでます。
朝食後もう一度トイレでまたすっきりの予定が、トイレラッシュで慌ててでてしまって、残ってる感じが悲しいです。くすん。また、トライしなくちゃ。トイレがちょっと足りないです。。トイレで出会った方々と愚痴りあってました。新しい病院はきっといいでしょう。
家においてきたマジックハンドがやっぱりあれば。。の場面にかなりあいました。なんとかなったけれど。買いました。五百円。着替えの心配です。無理するタイプなので今禁止の動作をしてしまいそうだからです。いや、短気かな。
さて、寝方ですが腰の悪い私、横向きがOKということで幸せになりました。もっと早く聞いて下さいといわれました。上向きでなければダメと思い込んでました。ははは(笑)傷をみてもらった姿勢で寝たかったです。この姿勢をとりたかったのです。ギズが下になっても気にならないのでラッキーです。
今、病院新築中で荷物整理がされていて、14日16日のAAOベットが表示確保されてます。待ってます。一緒にがんばりましょう。
さて、今日は祝日なので看護士さんと歩きました。正しくと注意されたことをなおすイメージと荷重です。これを意識すると右臀部、太腿うらつりそうで筋肉痛もある。完全荷重ができない。歩行器をもつ手に力が入ります。ベットでのリハビリも筋肉つりそうで悲しくなってくる。トイレのついでにまた歩いてみて、歩幅を小さくしてみると荷重がいい。ああ幸せ気分。ベットでも腰の腹筋も含め何かしてます。腰の手術後のいろいろな場所の筋肉のおちたかことによる不具合を思い出すからです。
根性スポーツ、巨人の星や明日のジョー世代でがんばる事が美徳の時代でした。あ、受験戦争時代でもあるな。でも1番は車を運転して父のとこに行きたい。二番目は笑って下さい、たいくつだからです。また、夜、眠剤なしで眠るためです。寝てると床擦れになりそうです。
祝日は昼間の検温ないのかしら。。四時くらいにきてくれました。私はずっと両足で考えてたので片足の事をすっからかんに忘れていて、今日改めて気付いてガク然とした足の長さの話しをしました。サイトにもあったなあ、そういう話しと思い出しました。だから、両足がいいなと思ったのも思い出しました。こういう事を考えられるのも元気に一歩近づいたということでしょう。
傷はきれいですといわれてますが、腰の手術をしてなかったら、どこが?と叫んでいたことでしょう。背中と同じです。長さは普通?でしょうか。
そして、これは、前書いた事があったでしょうか。私の両足前太ももの筋肉が幼児のときに風邪の筋肉注射でひっこんでいることです。ここがつったら恐いです。
食事テーブルいろいろな席で御祖母様方と話すのすきです。今日は股関節骨折の方でした。リハビリ大変だろうな。
今日はいい事が。父に出すハガキを出してくれた方がいたことです。みんなもちつもたれつかしら。。私も誰かに親切かえさなくちゃ。
明日は連休二日日目です。岐阜は雪だとか。



2月12日 術後五日目
眠剤、下剤の効果が幸せ。ですが、年寄りなので4時に目が覚めてしまいます。
さて、今日あたりでわかった腫れと足の長さ。ちょっとクラクラしました。不幸気分。
ちょっとした痛みは無視してリハビリの先生に言われたとおりやってみるとふっと軽く動きやすい時があります。と、リハビリ楽しくなりますよ。また、小学生の時を思い出してみて下さい。ヤッターの気分。
膝うらを股関節でのばすがうまくいったとたん楽になりました。腰の手術後、実はみぎは足をまっすぐ伸ばせなかったのです。立っても寝てもです。さすがリハビリの先生で三連休前にそこのポイントを教えて下さり感謝です。毎日の看護士さんのリハビリもいいです。たくさんの先生に会う良さを思います。それぞれの個性に合ったもの。ほめられたいい感じ、ダンスを例に教えて下さったり、注意点をズバッとしてきしてくださったり。どれもいいけど、近頃は嫌だった事、悪かった事が先に言われたりしがちだなあと思いました。
私のトレーニングはスキーヤーに戻る目標なので日常生活を目指している方々にはハードだと思います。運動会もあるし、遠足もあるし。水泳もあるな。ウサギとびした星ひゅうまの私です。
そして人それぞれの歩みがあり無理しないのも比べないのも大切。腰の病院でもあなたにその気がなくても歩けるのを見せ付けられる気分になる人もいる。と。いましめられた。
また、いろいろな感覚があるということで、認め合うことにする。入院生活で書いたイヤホンは耳の遠いお年寄りに親切な病院ということです。受け取り方の違いに気をつけたいです。札幌の怒ってくれる病院はテレビ見るひまあるならリハビリしなさい!の愛です。
偏頭痛との闘いは、血圧と気温かな。と。ベットは寒くて。下だからです。椅子座りだと肌寒い。立つと暖かかったんだなとわかり。食堂は汗をかくです。ストーブの調整と同じで30分はなれるのにかかります。
姿勢による血圧もです。
私はいま椅子座りを中心にしてます。活動までにすぐ入れるからです。
具合悪い事がもしかしてこの二点によるものかもしれません。と、私の部屋は風の通り道で寒いとよく訴えがあるそうです。対策は部屋入った瞬間着込むです。
自分独自なのか何か対策ないかとか少しずつ押したり引いたりしながら兼ね合いを見つめています。
明日は連休最終です。さてさて。今1番こわいのは、筋短縮症のところの筋肉痛とつるのではないかの恐怖感と手術した股関節が動かした時、ときどきなることです。腰の時も入院患者さんどうしで背骨がなった!とドキドキしました。でも恐怖感で退院検査までみんな口を閉ざしてたので、発覚は、みんな退院OKとなってからで大笑いしました。月曜日お医者さんに聞かなくちゃ。ドキドキ。
休みの日は人が少ないなら大変がいっぱいです。検温一回りに二時間ということも


2月12日 術後五日目 こぼればなし

今病院は股関節の篠田先生患者さんとご老人の方の骨折だったりTHAだったりひざだったりします。私の父のように認知的な方も多く私は偶然そういう方々と同室です。すると2時間おきのオムツ交換があり、どこかで目が覚めてしまいます。誰も悪くない分困ったな。耳の遠い方と一緒の時は水戸こうもんの大音響ラジオの始まり。はじまり。誰も悪くないのです。困ったな。うちの父も車椅子に座ってナースステーションにいたからなぁ。。家が認知で相手は麻痺とか。
風邪、偏頭痛についてとっかかりが偶然病院によること。寒いお風呂と今日就寝時わかった、汚れたベットを乾かすためにうすく窓が空いていたこと。夕食後部屋で椅子座りで薬やら飲んだり整理したりしてたら今まで以上の寒さで手の先まで凍った。食堂に引き返し暖をとる。入口のドアしめたり、私はありったけのフリースと大判タオル。でも、窓空いてたことがわかると昨日と同じ部屋設定対応でいいわけで。。。
体温高いし、薬かうがい薬をと、のぞみましたが。ドクターいないからなく明日までできるのは暖かくすることと水だけのうがい。マスクは入院以来してます。寝るときも。今、もうやり終わりましたぁ。。
咳やくしゃみは傷にひびくから嫌ねと夕食時話してたところでした。
あすドクター来るまで手立てなしの眠れない夜になってしまいました。いろいろあってねられないかな。体力落としたくないな。
サイトにごはんのこと書いてほしかったとの声があがってました。。全国からきてるので味つけの合う合わないが話題。意見要望は様々です。私は何でも美味しいと思えてしまうので、味音痴であり給食お口に合わなくても食べる指導をし続けすぎて島たかも。持ち物としてふりかけとかだったかな。調味料だったかな。うすいと感じる方が多いよう。小学生も先生ふりかけ持ってきていいですかってクラスでよく聞く言葉だ!ご飯の友があるといいみたい。
入院はあまり楽しみないから、食べるのみんな楽しく美味しくしたいと御祖母様方もおたしゃってました。
同じ手術の情報交換は安心があります。不安の時もありますね。さてさて、どなたかいい対処あれば教えて下さい。手術の方の足の腫れというかむくみです。靴下の跡がつきます。腰のとき私はなぜるようなマッサージしたなあ。でもいまは届かない手。いままでの方でよい方法ありますか。
あ、リハビリが三日ないことでわいた。ここは公立共済学校主体だから、休みが多いんだ。今、土日もリハビリする病院が多いのでリハビリ損気分の連休になってて、サイトに書いててほしかったあ。とおしゃべりしてたのでした。私は公立共済学校系人間だけど北海道にだけ病院ないんだなあ。。知らなかった事教えていただいた気分。

コメント

ジューンの股関節症物語2 手術前まで ダイエット 術前検査

2011-06-19 19:20:01 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
「3度目の手術の決断から右あしのみに」2011.11 

11月9日にメールが届き読んだのは、11日夜。
両AAOは50キロ制限
バタバタとダイエット開始。

腰の手術後許されている運動は腹筋のみ。
日常生活がリハビリといわれてますが、
私の本当の日常生活であれば、11月は
毎週スキーでした。
手術をひかえているから筋力は落としたくない。
不健康なダイエットは貧血などになる。
腰のこともあり骨にいいもの、いいことははずせない。

では、どうするか。
まず食事。1200キロカロリーとしてみる。
一食 主食100、汁物(牛乳なども)50、
   副菜(サラダ、温野菜、小魚など)50、
   主菜(たんぱく質)200
おおざっぱにこんな感じでいってみよう。
運動は、腹筋、腰に負担のでないストレッチ
ストレッチは今後の手術も考えて太ももの筋力も
つくもの。腰の異変を感じたらやめる。

五日間でするすると1キロ減。53キロ。
おっ、簡単かもしれない。と思ったり。
2週間後52.5キロ。うーん。。。。
筋肉ついたからかなあ。と思ってみても
だんだん意欲が落ちる。

ここで、手術に対して改めて考えはじめる。
思い起こせば。。。。。

一度目の手術の決断
 六月に腰(札幌)と股関節受診
 どちらも躊躇しているといわれたことは。。
 ・マヒとかいつくるかわからない
 ・今後の人生を考えて後悔のないように

 自分としては、腰は今痛くないし、股関節は、
 後々人工股関節でいいかなぁと。。。
 ただし、腰と股関節が連動しているのでどちらか
 片方だけ治してもまた負担がかかってしまうらしい。

 股関節の方は片足ずつでも自分はいいかぁと
 おもったけれど、
 ・両足同時です と、いわれてしまった。
 右の方がかなり進行していて軟骨の隙間はない。
 左は隙間はあるけれどずっと痛いのは左だった。
 この時は体重の話はなかった。
 六月は職場の健康診断があつたから52キロだったはず。

ここのサイトも見ていたので手術にはあまり不安は
なかった。はじめて札幌で「ここの骨を切って。。。」
とRAOの話をきかされた時は卒倒しそうになりましたが。

優先順位は腰だったので、予定をやりくりして
腰がおわったら速攻股関節手術と決断。
休職は7月から10月。

一番の心配は家を空けられないことでした。
腰の手術は十日で退院したけれど、父親は完全に
認知症だなと実感。これで岐阜に行くことは無理
と思ったけれど岐阜にいる間、認知症病棟で入院
させてくれるという確約はとりつけた。

2度目の決断
 腰の手術の後にしっかりとするまで、
 3か月から6か月かかることが判明。

 一応11月に股関節の手術をしてもいいと
 いわれ、休職を12月までのばす。

 8月に股関節の受診して最初11月に手術できるという
 見解もあったが6か月後の2月までのばした。
 このごたごたした話の中で今後体重制限がつくかもという
 話を聞いたことはおもいだしました。
 でも、この時は、手術日が2回も伸びる方に気をとられて
 いました。8月では、翌年の予定がたたず、来年の予定が
 でてからということになったから、いつ決まるのか、
 自分の休職が伸ばせるのかなどの心配が先にたっていて
 体重の話は全然頭に残っていなかった。

 とにかく腰は治したけれどこのまま股関節を
 放置しておくと腰をまた悪くするという言葉が
 頭の中をリフレイン。

 こうなったら、翌3月まで休職だぁと休職手続き
 するが、お金が苦しくなってきます。

それでも、10月下旬にやっと手術日が決まりました。
本当にうれしかったのです。

その間に父親はどんどん衰弱し、やっとアルツハイマーの
病名をいわれ、緊急入院。八月は病名はいわれてないのです。
そうしていたら、病棟で転んで外傷性くも膜下となり、
脳外科に転院。認知も進んでしまったな。
でも、「心配しなくていい。」という。
岐阜に行く時に入院してていいという。
面会に誰もこなくても大丈夫という。


3度目の決断
 11月、体重の話。今減量停滞期。
 なんとなく気持ちがおもしろくない。
 11月なら手術できたはずなのに。。。とか。
 体重制限がおきたことは、手術自体に不安が湧き上がる。

 一番の不安は術後いろいろなことが起きていること
 が聞こえてきたこと。
 無理して体重落として体重ではない部分で不健康に
 ならないかいうこと。

 今、腰の定期検診に通っていても、あまりよい
 術後でない方々の話はいっぱい聞こえてくる。
 まわりで聞いている人は不安だろう。
 股関節も人それぞれどうなるかはわからない。
 なのに必死に減量する必要があるのだろうかと思ったりする。 

 だけど、私の年齢は股関節の手術のもう上限ぎりぎりである
 札幌で手術となれば、これからまた1年休職しなければ
 ならない。

父親はやっと認知症病棟に戻ることになる。
でも、何度も環境が変わると落ち着かない。
そして、認知は進む。もう家でみられないと思う。
この三カ月で軽度から重度に移行してしまった。
認知病棟あずかり入院にしてくれるけどその後はこれから。
車の運転ができないと面会はつらいだろう。
股関節の手術後は毎日の面会は難しくつらいだろう。
三月は札幌はしっかり、ツルツル路面です。
外を歩くのは恐怖でしょう。

育てている甥っ子は大学生なので手がかからないと
いえばそうだけど、この不況のあおりを受けている
就活生。そばにいてあげたい。
お金は苦しい。

そんな中で一カ月、いや、一か月以上かかるかもしれず、
術後の不安もあって、岐阜に行くのがいいのかな。

このまま手術をやめて1月に職場復帰という手もある。
また来年の夏に股関節を考えることもできる。

職場復帰を四月にと考えてますが、なにぶん
すごく動く仕事なので不安がうずまきます。

でも、腰の手術後、特に悪い方の右の股関節が
とっても嫌な感じなのである。
左は腰がよくなったら快調です。

一応2週間減量はしている。
でも、体重が減らなかったらどうなるのだろう。

とぐるんぐるんといろいろな考えがわきあがります。
でも、治しておかないと、親の介護もできないんだよなあと。
職場復帰しないと生活できないんだよなぁ。と。

12月になりました。
 自己採血まで一カ月ちょっとです。
 とにかく治すことを一番に考えて手術に向けて
 減量はしていこうと思っています。

12月中旬となりだいたい50キロは大丈夫かなという
 ところまでたどりつきました。ほっ。
父親の認知は進んでも岐阜にいくために自分が入院
していることに「気にするな」という。分かって言ってるかは
不明ですが、ちょつとは安心、安堵。
久しぶりにサイトにいくとなにやら、長い文がある。

ボルトが不具合を起こしているようです
あらら。私の時はどのボルトになるのかしら。
採血1回目の時に聞こうと思いつつ、また、
いろいろと考え始めてしまいます。

もしかして四度目の決断になるのかしら。

と、2010年12月クリスマスです。
掲示版も目を通していますが、せつない術後の方もいらっしゃる。
不安材料も安心材料もある

結局は自分の決断となるのだなぁと思います。
母親の自宅介護の時の決断、今、父親のアルツハイマーの決断と
一人できめなければんらない状況におかれてきて、その重圧に
押しつぶされそうになりながら今だにベストな決断だったのかと
思う日々。
今度は自分自身のこととなり揺れ動いています。
それでも、体重はただいまぎりぎり50キロ。
なんだか、干からびてしまった感じです。
腰の軟性コルセットのサイズがあきらかにあってないです。

2011年1月の術前検査で決断確定となるでしょう。
どう決断するかは見えない未来です。

お正月、カロリーは少し増えた三日間だけれど、
どうしても51キロある。がーーん。
これはやばい。
というか、こんなことなら、おもいっきりたべればよかった。
でも、あと1週間あるとまた、カロリー制限で
2011年1月8日 50キロ
あ、今までの体重はすべて、普通の普段着と
腰の軟性コルセットをつけています。
体重計はあまり信用性のない感じの針のもの。
0(ゼロ)調整自体で信用うすいです。
また、北海道なので普段着は厚いです。
でも、きっと病院でも服着てはかるだろうと思って
安全圏が服着て50キロとした。





2011年1月11日 術前検査 2度目なので楽
 服も考えていったのであまり脱ぎきしないですみました。
 
 検尿 夏はトイレいったあとだったのであせった
 動脈(足の付け根)の血液検査
   夏に悪い右でとったら、ずっと調子が悪いので
   左からとってもらう。やっぱり、右が悪かったんだと
   実感。スカートの下にスパッツなので片足だけぬいで
   待機できました。夏はズボンで全部ぬぎました。
 心電図
   これは普段の検診から足首、手首、ブラの近くということで
   スパッツとスポーツブラでらくらく。
 肺活量というか、ふーっとはくもの  
 レントゲン
   胸はスポーツブラとヒーテックのシャツで大丈夫
   脚は金具ないゴムのスカートとスパッツでぬぐ必要
   なしとなった
   立ってのものと、寝てのもの。
   脚を開いてというのがありますが、札幌での角度を
   決められての
   開脚は最後かなりつらかったので、今回は苦ではない。
 CT
   上着のフリースを脱いだだけ。
 
 そして、入院時の薬をごっそり渡された夏があるので
 今回は、前日の日曜日入院なのでその日の薬を3粒。

 1時から3時くらいです。CTは予定よりはやくしてもらいました。
 17,000円くらいかな。びっくりして、夏はすぐATMに駆け込みました。

2011年1月12日 検診 診察室にはいるとすぐ体重計が
 先生の顔より先に体重計が目に入り、 最初に体重でした。はあ。と。
 うっそーの49キロくらい。
 まあ、よかったなあ。
 両脚の説明を受けて行きます。どういう危険があるか
 麻酔のこと。ボルトのこと

 ボルトは従来のものにもどしたとのことでした。
 また、遠くから来ての手術後の危険についてです。
 化膿がおきたり恥骨骨折がおきた場合。です。
 厳しい結果になることが多いようです。

 途中、同じ手術日の方の採血に先生が中座したり。
 そして、CTを見ていくと右は軟骨がなく骨のぶつかって
 いるところもある。骨がとげとげしているところも3か所。
 痛かったわけです。でも、腰の手術前は右はあまり痛く
 なかったのです。それは、筋肉です。腰の術後、筋肉が
 落ちて痛みがストレートになったのです。
 AAOをしても将来人工股関節の可能性は高そうです
 さて、左はもちろん形成不全ですが、まだ隙間がある。
 でも、骨に穴をみつけたのはびっくり。
 問診の中で腰の手術後左はまったく痛くないという
 こととレントゲン、CTから不全だけど初期。 
 
右だけにしませんか

 ええっ。それは、ダイエット中考えていたことだわ。
 でも、左だっていずれ手術しなきゃならないだろう。
 先生のおっしゃる左は今すぐいじる必要のないことと
 もし、左をすることになっても3ヶ月後にはできるという
 話。年齢制限なし。

 でも、あの減量の日々はちょっとなあ。。。。。。
 ブラのサイズはすごーくかわっちゃったのにな。
 という、なんとなく悔しいのと、いっぺんにすませたいという
 気持ちがあったり、
 腰のこと考えたら、左脚が頼りになるのは心強いという気持ち
 があったり。腰がきかないときは、脚を活用してました。
 腰まげないで、空気椅子のようにして顔を洗ったりです。
 脚をかなり活用しての衣服の着脱をしてたっけ。
 今度は腰と左脚が使えることになる。。。。
 ほんの30秒でグルングルン考えました。
 



2011年2月7日 右脚のみの手術の決断をしました

 たぶん、きっと、いつかの左は
  痛みが出た時やレントゲン・CTでの進行の様子で
  決まるそうです。
 
 その後、歩いてみせたり、屈伸したり、ベットの上で
 片足ずつおしたり、曲げたり、力をいれたりです。
 右は動かしてははずれそうだし、力は入らないしでした


 片足になったので、コルセットなしになりました。
 コルセットの採寸はなく、採血だけです。
 2回目の採血もなくなったので、また、
 飛行機のキャンセルをしなくてはならない。

 採血自体は10分くらいですが、点滴が1時間くらいです
 足首での血圧、体温を測り、手を開いたり閉じたりしながら
 とりました。
 実は腰の時の2単位の方が大変だったのです。
 手動でとっていったので、途中で急に出が悪くなってしまって。
 今回は順調の4単位でほっとしました。
 でも、血管の細い方なんかは、時間かかりそうですね。

コルセットはなくなったけれど日曜入院なので、
病棟でのお話もありました。
壁にお湯はナースステーションにあります。
というのを見て、やっぱり、水筒持って行ってコーヒーだわと
心で叫んでました。
いつも困る保証人とか何かあったらのこととかで心が重くなります。
私はすべて一人でしなければならないのです。
また、同僚の名前を借りようかしら。。。です。
今後私のように一人家族の方々が増えると思うんだけれどなあ。

一番窓口と大野さんから、入院にかかわる書類もろもろいただき
入院の持ち物をお聞きしました。
おむつテープタイプと尿とりパットが必要でした。
Lサイズこでなくていいなら父親のがあるんだけれどなぁ。。。。
腰の時のT字帯新品がひとつあるのだけれど、
いらないみたい。がっかり。

1時50分の岐阜行きのJRにのれました。
費用は3000円くらいだったかしら。

千歳行きは8時なので余裕だわと思ったら、
雪でとばないかも。。。と。。。。
ガーン。

結果とびました。

両脚か片足かは本当に人それぞれのようですね。
また、入院期間や日常生活の復帰は2週間や1カ月くらいで
できるけれど、
自分自身腰で思うのは、大事にしての3か月、
そして、少しずつの6か月、なんとかもう大丈夫の1年かなと

腰だけだったら、3か月後すぐ、職場復帰しようとおもったけれど、
半年経ってみると大事にしてよかったと思います。
体にメスをいれるということ、骨をいじるということは、
1年は大事にしたいものだと実感の日々です。
両脚の方に比べるとちょっとだけ気楽になったかな。
でも、いつかがある爆弾かかえた気分かな。

いろいろな事があった中での片足となったので
両脚に不安を抱える方もいるかもしれませんが、
私の場合は本当に左が腰の手術によって痛みがなく
進後期ではないからです。

職場は六月末まで、病気休暇となっています。
腰からあわせて1年休みとなります。
もちろん、お金はどんどんないです。

さて、減量の詳しいことは、次です。






手術のためのダイエットについて

 ダイエットというよりも減量というほうがぴったりです。
 ボクシングの選手の気分です。

 女性両脚の場合50キロ以下という制限がでた
 2010年11月です。
 私の場合49キロを目標として年末を迎えたいとおもいました。
 2011年1月12日に股関節用のコルセットを作ることもあり、
 1月には減量期でなく維時期にしたいからです。
 手術予定は2月7日です。
 2か月で5キロ減はちょっと嫌なんだけれど。
 やはり、1か月1キロ減ペースがよいとおもっているのです。
 運動ができる環境であれば、せめて、1か月2キロ減かなと思います。

 腰の手術後のため運動による減量は望めません。
 カロリーのみです。
 病気休暇中で家にいます。家事はしていて親の病院に
 毎日面会に行きます。
 働いている時よりぐーんと動く量が減っています。
 年齢47才。基礎代謝はかなり低いだろうと推測されます。
 病院からいいわたされたのは、筋力や骨を落とさないようにとのこと。
 難易度の高い減量ですが、家庭科専門で栄養学もやってきていて、
 食生活アドバイザーもあるのだからここでへこたれるわけにはいかない。

 たんぱく質は筋肉で必要なので肉でなくても
 魚でも大豆でも卵でもいいので必ずとります。
 小魚、納豆、豆腐は魅力的な食材です。
 豆腐は絹がカロリーが低いです。


 まずは、1日 1200カロリーと考える。
 一食 主食100、汁物(牛乳なども)50、
   副菜(サラダ、温野菜、小魚など)50、
   主菜(たんぱく質)200
 おおざっぱにこんな感じです。
 
 各食材のカロリーは本やネットで調べられると思いますので、
 ここではカットします。

 さて11月12日からスタートです。
 服によってちがいますが54から55キロです。

 最初の三日で1キロはするりと落ちました。
 運動ともいえないけれど、腰に負担がなく、
 足の筋肉強化の スクワット系を取り入れる。
 また、基礎代謝をあげるためです。
 両脚(開く)、片足前後(アキレス腱のばすポーズのようなの)、
 片足のみ(シッテイングスピンのイメージ)、
 両脚閉じる30回ずつ。
 後は負荷のかけ方を手の場所などでかえる。
 
 この運動は年明けのテレビでも効果的とやっていてびっくり。
 自分はまちがっていないと元気になれます。
 あとは、腰のためにやっているリハビリで腹筋のいろいろな型
 30回3セットくらい。

 11月15日から十日ほど落ちない。。。。
 53キロあたりをうろうろしている。
 もともと52ー53キロが通常の体重なのです。
 筋肉のせいかと思いながらも困った。
 年齢的に代謝かな。
 まず、代謝対策は「しょうが」にした。
 そして、あまり進められないけれど、もともと、朝食をとるタイプではない私は腰の 入院中と退院後から
 健康のため朝食をとるようにしたのでした。
 ので、朝食は「はちみつしょうが紅茶」かこれにプラス牛乳で「ジンジャーミルクテ ィ」くらいにする。
 もともとの便秘なので乳酸飲料をとることもある。
 
 さて、昼と夜もてこいれをしてまずは、ちょっと一気に落とすことに。
 主食の炭水化物はほとんどなしにする。
 汁物というか副菜はデトックススープ。
 しょうがと塩少しで野菜と脂身をとった鶏肉のスープです。
 野菜もろもろで炭水化物もおぎなう。
 プラスシラスかおきあみ(小さいエビ)、豆腐、脂身のない豚肉。
 豚肉はビタミンでいい食材なので。
 場合によって、大豆・黒豆などプラス。
 スープはとり、牛、魚、などのだしで味を変えていく。
 または、味噌、カレー、キムチ、ミルク、トマトなど味の変化。
 こちらはカロリーがあがる。
 主菜は生野菜サラダに海藻、シラスを乗せた横に
 卵系かレバー系のもの。時に納豆。
 こんな感じにしてみました。
 胃も小さくなります。
 これでまた、するすると落ち始めました。
 12月1日で51-52キロ安定となってくる。
 ちょっと安心。

 もともとアルコールは好きだけれど、毎日飲む習慣はなかったので、
 ときどきアルコールもカロリーも0のビールテイスト。
 気休めにやせるお茶とか。
 がんじがらめではなく、個包装のチョコを2粒くらい食べたり
 パンを食べたら、
 何かを減らしたりと調整していきました。
 2週間に1度くらいは、350ミリビールを口にしていました。
 週500グラム減というペースになっているようです。

 さて、あと1カ月で50キロを切るのかなあと不安もあり、
 マンネリもありです。
 ここで絶対手術するぞ!という強い気持ちがあればもっと
 きもちよく減量できると思います。
 1月の受診までまだどうしようか考えているのです。
 反対にクリスマス、お正月で体重増の可能性があり手術を
 受けたくても受けれないかもしれません。

 12月15日
 1か月と数日で50-51キロになってきました。
 とにかく50キロをきるところまでもっていかなくちゃ。

 12月25日 クリスマスには50キロです。 服をぬげば50をきりそうです。
 ショートケーキ2こ食べました。 ケンタッキー2こ食べました。
 ほかのもので調整はしています。 シャンパンも飲みました。
 このままお正月を乗り切れば、50はきっているでしょう。

 お正月
 お餅は1日に一個。 あとは、おせちの煮物が中心。
 家庭科なのでしっかりおせちを手作りしているのです。
 デトックススープの代わりに煮物からの雑煮用の汁を
 活用してごぼうとレンコンとはお友達です。
 ハムやオードブルも食べたといえば食べた。
 カニずしも食べたなあ。

 1月5日 51キロから52キロと体重計がいう
 あまりのショックにたおれそうになる。
 カロリー的にはそんなにあげてないけれど、炭水化物かしら。
 検診まであと1週間ある。また、「いつも」にもどす。
 そして、このあたりから、急に雪が。。。。 朝昼晩と雪かき。
 という不慮の運動 が。
 これまた、腰の先生にきつく禁止されているので 腰をつかわ
 ない雪かきをする。

 1月8日
 やっと50にもどる。ほっ。
 
 1月10日 昼間に名古屋にとぶ。
 朝すごい雪かきだったけれど、飛行機は飛んでます。
 旅行気分なのですぐビールはのんだ。飛行機のる前にです。
 昼は空港できしめんと炊き込みご飯セットとビール。
 ただし、胃が小さくなっているのか完食できなかった。
 夜は名古屋で温かいものと思い、牛煮込みラーメンのハーフがある
 居酒屋で串焼き三本とビールと、ふだんとは程遠い高カロリーけれ
 ど、量的には少なめかな。です。
 
 胃が小さくなっていたのと、私の場合、腰の手術後ずっと、腰のコルセットをして
 半年なので、コルセットをしている分も食べる量が減るとおもわれます。 

 1月12日 検診
 49キロ!! ヤッター!! なんだけど、
 手術は両脚でなく、右脚だけとなりました。なんだかなあ。
 コルセットの測定はなくなりましたが、病棟に行ったりと、
 お昼はペットボトルのお茶と小さいふくろのスナック菓子です。
 腰の方で薬を飲んでいるので、いつもペットボトルとなにか食べ物を
 持ち歩いています。

 名古屋で少しお土産買って何かたべようかとも思ってもすぐ
 夕食の時間になるので、空費うでゆっくりしっかり食べようと
 とにかく空港へ。でも、
 飛行機がとばないかも。。。ということで、空港で落ち着いて食べて
 いられなくなりハンバーガーでした。
 結局定刻どおり飛んで、夜10時には札幌です。

こんな感じで今1月13日ですがなんとなく
今までの食事が続いてます。
しょうがをとりいれてよかったのは、この冬は風邪ひいていません。
腰の手術のときにとにかく風邪ひかないようにといわれ続けたので
これはよかったです。マスクも活用しています。

多分明日からは、バストアップエクササイズの日々でしょう。
50キロ維持ための対策をこれから考えます。
体重だけでなく、筋肉と骨をおとさないようにです。
あと2週間はどうなるでしょう。

ダイエットの参考にしてください。
ダイエットも一人一人ちがいます。
20代の方が1200キロカロリーでは、危険です。
いろいろと世間の情報もうまくとりいれながら、自分らしいアレンジでいってください。

私の場合は、ちょっと、落とし方が急激なのでお勧めできないところが多々あります。
健康的には、1か月1キロ減とおもいます。せめて、2キロです。
うちの甥っ子が「おばちゃん、病人だ!」と叫びました。
雪かきであせかいたので、着替え途中でタンクトップだったのです。
やはり、どうみても健康的ではないやせ方のようです。

減量して、両脚での情報公開をしたいと思ってたのですが、
右脚のみになりました。
片足手術でも体重はある程度軽い方がいいようです。




入院準備について

一番は体調管理
入院準備といえば、持ち物とかに気が向きますが、体調管理が一番だと思います。
腰の手術の時は入院しての術前検査、自己血の採血などがあり、病院の中で一週間程度すごしたので、体調は病院で。という感じでした。
 「風邪だけはひかないでね。」の先生の言葉はドキドキものでした。同室の方が夏でしたので、クーラーがんがんかけるのです。私はなんと雨の日の入院だったので、ウィンドブレーカーを持っていたのでずっときていて、マスクをずっとしていました。しかし、ついに、「お金はらいます。個室にしてください。」となりました。誰が悪いわけではないのです。体感差はしかたがないと思います。なので、多床室の場合はいろいろと考えてしまいす。この時、近くの病室からは、咳払いや咳が聞こえてくるのです。
それが風邪からのものかどうかはわかりませんが、不安になりました。
 今、北海道は真冬日です。マスクはやっぱりかかせません。父の病院、認知病棟に行
くのもマスクはかかせません。そして、うがいです。ちょっとでも変だと思ったら、生姜です。あまり考えてなかったけれど、そういえば、の、「インフルエンザ」シーズンでした。
 雪まつりとインフルエンザはいつも一緒というイメージです。そろそろ、近くの学校からも学級閉鎖が聞こえてきそうです。新型は私はかかってないです。去年クラスの半分の子 がかかっていましたが、先生たちも次々かかっていましたが、私はかからないで終わっ たのでした。移動の空港や駅でも気をつけなければと思っています。

 体重管理は両脚同時ではなくなったので、あまり気にとめていませんでしが、急にリバ ウンドは、まずいだろうと思いました。朝食をしっかりとるようにしてます。減量の時より 炭水化物が増えたかなという感じで過ごしています。体重の現状維持というところです。
 実は、両脚だとおもっていたので、減量後の事は考えてなかったのです。
 減量後は入院食だから、自分で考えなくていいやと思っていたのです。ですが、二回目の採血もなくなり、約三週間、自己管理となっので、減量中の食事プラス炭水化物ということにしました。今のところまだ、若干体重減になっています。
 ここまでくると入院食での生活でどのくらいの体重になるか楽しみになってきた。
 多分、体重増になると思っています。


次に生活のこと
片足になりましたが、北海道からということと、腰に不安があることで一カ月くらい は入院していられるようにと考えてます。
母親は三年前に他界し、不安の父親は運よく認知病棟での入院ができて安心となりま した。
あとは、大学生の甥っ子です。ので。。。。
新聞は止める、父親の特養や老健の申込み場所に連絡、ストーブはつけっぱなしでい くので、灯油の配達の手配(二世帯のでかい家になっているので、十日に一回きても らうことに)手紙類はしかたがないので甥っ子に頼ることにします。
いろいろな支払いの通帳への金銭の確認。
雪国なので、排雪業者さんへの依頼です。除雪ではないのです。
信じられないことがよくおきます。職場からスキーに三泊四日で出かけた時、もどってくると職場の駐車場の車の上には雪。車はほとんど見えず、雪山です。駐車場は、ほぼ、タイヤの 高さの積雪です。駐車場から脱出するのにみんなで除雪して一時間でした。
甥っ子の食料準備。外食で済ますことも可能ですが、準備できることはしておく。
ある意味、完全に一人の方が楽かもと思います。もしくは、みなさんのようにご家族がいると いいですね。腰の手術の時は、なんと、同僚に入院費のATM引き出しを頼みました。。。



入院に必要なものを宅急便に
 病棟に宅急便で送れるものを送ります。病院から言われた日時指定です。
自分でもっていくのは、キャスター付きのトランクひとつにしたいのです。入院前日に名古屋泊  まりにしています。雪で飛ばないと困るので余裕をみています。また、列車の遅れとかあるのも嫌だなあと思っています。北海道の方が列車は雪に強い印象です。
 宅急便は、タオル類、洗面系道具一式、下着類一式、水筒、コップ、シューズ、文庫本などです。インスタントコーヒーも詰め込みました。 折りたたみの杖。あ、札幌の人工股関節手術をしている病院の患者の会で作っている「靴下をあまりかがまない以下ではける道具」をもっていきます。この手術をした方にいただきました。
 手作りで実物を見ると真似して作れます。マジックハンドや杖もかしていただいています。
タオル類はガーゼタオル系はかさばらないのでいいですね
トイレットペーパーの入っていた段ボール25×45×55一個 二千円くらいす。
集荷に来てもらいました。出歩きたくないのと雪の関係です。
 ご家族と来られる方や近い方は荷物の心配も少ないと思います。私は一人なので困ったのないようにしたいです。腰の時は、実は東海中央病院の連絡先を持っていなく、外出も許可されず、携帯のサイトで調べようとしたけれど、電池がもたなかったりで、同僚にインターネットで調べてもらいました。それ以降、病院からなにから連絡先を携帯に覚えてもらいました。
 トランクには、わすれてはならない薬、病院書類、保険証、高額医療用のもの、職場書類、保険書類、携帯充電器です。 高額医療用の認定証は、事務官がすぐ手配してくれていたので腰の時も今回もすぐ準備できました。医療保険の方は腰の時には退院時とともに受け取り、すぐお金が出たので助かりました。



最後は覚悟というか、気持ちですね
 腰の時もあまり心配はしていなく、今回は、手術日がいろいろな事情でのびた不安はありましたが、手術自体には不安はあまりないです。腰の時は、自分は痛いと感じる方なんだろうかとか、まわりの方からきいている術後の経緯は自分ははやいだろうか、遅いだろうかとか好奇心が勝ってました。
 でも、百パーセントということは、世の中ないのだという変な覚悟というかは持っています。なので自分ができる体調管理などだけは、きちんとしておこうと思うのす。
 そして、今現在の体の様子をよくわかっていたいです。腰が終わって本当に左脚は快調でした。比べて右脚は、信じられない悪化で、ひざも気にかかっています。どんな状態かをきちんとつかんでおきたいです。




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