ジューンのつれづれ物語 先天性臼蓋形成不全・変形股関節症とともに生きる

先天性臼蓋形成不全・変形股関節症を東海中央病院でAAOで手術。10年後さっぽろ病院で両足人工股関節です。白内障も発覚!!

ジューンの股関節症物語9の2 術後3か月

2011-06-19 19:24:22 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.5.12、術後95日、退院81日 術後3か月の状態

術後3か月の状態変わったこと
これが、一番知りたいことですよねぇ。。。。忘れていたわ。
さてさて、変わったことは
・外出も杖なし
今までは、家の中は杖なしで外は杖です。術後2か月くらいから。
階段はすたすたいくくせに、「あ、荷重だめかあ。」と料理作っているときとか片足荷重にしたりする。
そのために、体がゆがんだとこもあるのです。今はもう、していいのに、くせで片足荷重立ちになっている。また、大切に大切にが頭の中をリフレインするのでそうなってしまう。
外出も「必要最低限。無駄な歩行なし。」といわれてたので、私としては、守っていました。でも、これって、一人一人違いすぎるよなあ。。。3か月たって杖なしにしたら。。。。
 ・速度おちている。 ・歩幅小さくなっている  ・気を抜いたり、意識しないと「は行」する。引きずる感じ。
 ・疲れがはやい ・次の日にだるくなったりする。痛みは鈍感なので痛くはないが、重いというイメージ。
 ・あいかわらず、時々音が聞こえている。雑等の中での騒音で聞こえてないだけか、音がしてないかわからないところ    は、ある。  ・早足もできないというか、力が抜ける。すこーし走るぎみになっても、しっかりは走れない。信号の点滅時 わたりきれないと思った  ・家の中の歩行は本当にささいだなぁと感じるほど、外での歩行は遠い。。
まだ、アクティブな術後をすごしている方のように動きまわっていないので、恐る恐るです。旅行とか職場復帰とかハイキング?とかもまったくしていないです。スーパーに買い物、父の施設。時々映画でも、交通機関でつながっていて、ほとんどあるかない。いつもなら徒歩5分というのが最長かな。必要がないためジャンプのようなことも、術脚の片足で立つとかもしていません。片足スクワットなどで筋トレしているとかの噂も聞きますが、私は、やっぱり、「股関節に思いをはせて。」荷重かけない筋トレしかしていません。もう少し、自信ついたら、するかなあ。。。。うーん。今のところ脚の太さもそろってきているのでいいかあと。。。

術後3か月の状態 できることやいい感じ
・脚のひきつけは、胸につきます。 左にそろってきている。
・あしあげ、うえ、横、うつぶせからもほぼ左と同じ。負荷掛けられても大丈夫。
 ただ、重たい感じは得に横向きあげの時は感じる。これがなくなるともっと上がるだろう。
・バレーのバーくらいの高さに脚はまっすぐあげられる。 前向き、横向き。
・階段は登りも下りも交互にいける。ただ、音がすることがおおい。
・日常動作に困らない。困るのは、腰の方で。。。

術後3か月の状態 できないことや嫌な感じ
・寝ていて起きた時とか力がきちんとはいってない嫌な感じ。。。
・しっかり気合いと筋肉に気をいれていないと脚をひきずる「は行」がおこる。
・付け根がいたくなったり、もっと伸ばしたい感じ。
・脚が重いという感覚はすごーくすごーく軽くむなったけれど、ゼロではない。
・内転側、おねえさん座り方向は、左にすごーく遠い気分だけれど、腰のリハビリの先生にいわせると前より確実にいい。
・音!!!!!!!します。はい。
・腰や膝など弱いところが病んだりする。特に、外でもきちんと歩くになってきて膝あたりに負担がかかっているのがわか  る。
・まだまだ走れるとはならない。かっくんと力が抜ける。
・傷跡はきれいだけれど、赤い太いボールペンで書かれている感じ。硬さや盛り上がりはなくなってきている。比較論だか  らなあ。前に比べたら、ずっといいです。むずむず感もかなりなくなった。しびれ感とかマヒ感もかなりなくなった。ゼロとは 言えない感じです。
・座った時の脚の太さのちがい。がまだ感じる。
・腰のせいなんだけれど。。。屈伸できない。。。。手が床につかないなんてものじゃなく。。。ショックにほどでした。
 これは、腰だよなあ。たぶん、ラジオ体操まともにできない。

術後3か月の状態  今後のこと
・いかに筋肉をつけていくか。
・内転側の可動をどうするか。
・次回検診は、1年後でいいが、遠方と冬をはずす(飛行機が雪でとばないことあり)ことで冬休みずつの1年はきついから、 秋、夏休み、夏休みの予定だが、変!おかしい!があれば、すぐ行く予定です。行かなくても、メール、ファックス、電話の問 い合わせ、こちらでレントゲンをとって送るなど。。。
 腰の術後検診が2週間おきに3か月つづき、1か月おきに1年まで続く。何事もおきてないので、こうなるて、お金が悲しい 気分。被ばくとかともまわりにいわれている。また、運よくなのか、腰のレントゲンをとると股関節がうつっています。腰のド クターはまったく股関節にはふれませんが、私はじっくり見ていて、時々、叫ぶとあわててみてくれる。軽くみてくれる。
・プールに行こうと思ったんだけれど、感染症とかで危ないという方もいる。うーん。。。傷フィルム貼ろうかなあ。。。でも、腰 が嫌なんだよなあ。前もそうだったけれど、競泳用のスイミングスーツは胸ペッタンコになるんだよなあ。。
・体重管理、食物管理(軟骨にいいもの)
・気になることや聞きたいことのたびにメール、電話、ファックスとなる。だって、急にあって思ったりする。不安になったりす る。腰の病院のように患者さんどうしで素人どうしで勝手な判断で不安になったり悩んだり心が病んだりしたくない。ネット で聞いたりするのも疲れた。。。。やはり、一人一人違うからです。先輩たちも時代によってリハビリ指導とか違うし、かえ って混乱したりもあるので、股関節センター問い合わせだなぁ。。。
・左は一生温存したい。術脚はまあ、できるかぎりもたせたい。そのためにできることをする。さっぽろでも岐阜でも、手術し なくてどれくらい・手術してどれくらいもつか聞いてないし、わからないだろう。母親の余命の宣告の時によっくわかった。  わからないのだ。ということ。脚もどちらの病院でもいわれたのは、どのくらいもつかはあなた次第ですということ。だから、 5年もたないと失敗とか15年もたないとダメとかは思っていない。あの、「ぬけるぅぅぅぅ」のときより、今いい感じだからいい のだ。未来の不安は覚悟にかえてます。不安は心が病む。
いつもしっかり体をみつめていなきゃなあ。変化だよなあ。術前の感じはすごくすごく気を使っていたのでみつめていた。
あの時のような痛みだるさはない。違うのだ。あの、脚が抜けるぅぅぅ感覚はなくなった。だからいい。。。ここもひとりひとり違うんだろうな。痛かった人は痛くないが大切なのだろう。私は痛くなくて、術後も痛みには鈍感で。脚が思ったように動かないことや腰の辛さにイラッとした。むっとした。だから、失敗とか後悔とかはない。だって、「ぬ、抜けるぅぅぅぅぅ。」は強烈だったから。。。腰の術後もそうだけれど、半年、1年しないとわからない。でも、腰の手術おわったら、腰は重いけれど左脚はすっきりさわやかになったのです。だから、腰の痛さや重さは1年くらいのこっていてもしかたないというか当たり前。坐骨神経痛はゼロになった。体開いているんだから、腰が重いだるい痛いは当たり前だろう。切り傷だって、二十才こえていま五十才くらいで一週間は痛いしくっつかないし。まだ三か月だもの。当たり前と思うよ。まだ重いとかだるいとか。たかが、脂肪腫とった耳のうらでも一年は違和感あった。今はない。

臼蓋内転骨切り術(AAO)を想う
三か月で日常生活ができるのは、AAOだったからです。札幌のRAO前方進入式に適応していてもそうでしょう。こちらの術式の方の物語を読むと術後経過などがそっくりです。筋肉を切らないとか。。。私は、入院期間が短いということが一番でした。父親のアルツハイマーとかで。。。。また、手術を急いだのは、痛いとかではなく、腰の手術との兼ね合いです。どちらのドクターからも、片方治してもダメ。手術したところが壊れる。するなら、腰と股関節。そして、手術しなければ、いつマヒするかわからないというところです。腰は二週間退院できる。しょくば復帰は三か月程度。AAOと同じで、ある意味無理です。でも、ここで復帰していく方は、たくさんです。一か月の方もいました。それは、仕事を休んだら、職を失うから。だから、患者優先で復帰となります。私は、無給なら三年やすめるという恵まれ方なので、「ぶっちゃけ、どのくらい休職するのがいいでしょう。」と聞いて、どちらも可能なら、半年、一年と言われました。どちらも同じだなあ。と。2010.6くらいの話です。じゃ、サイトと違うとか、イメージと違うという方もいると思う。でも、そこで人それぞれであると思った。また、人と自分はいろいろと違う。。。。と。。。。。
まず、腰の手術後一か月でAAO両脚予定2010.8でしたが、腰もAAOにまけずおとらずの独特手術で腰の先生も「三か月はおいてねぇ。」と、急にいう。退院指導のとき。だから、手術前に何度も何度も確認したでしょう。。。八月に脚の手術するって。。。おじいちゃん、ドクター。。。「先に言ってくださーい。」ナースさんたちは、いつもいつも、「大変とおもうよお。」と言っていれてたんだけれど、私はの耳はおじいちゃんドクターの「大丈夫。超特急でやるから。。。」が頭から離れなかった。ナースさんは、入院してすぐ、いろいろと考え、対応していってくれてました。
そして、腰のレントゲンをいっぱい持って(アナログなんです。。。)三ヶ月後でどうだぁと、検診にいったんだけれど。。。「腰は、要です。この術式は、ちょっと。ボルトで固定でなく自骨だから、安定するまでまちましょう。」となった。。。私は、学校の休職をのばす手続きとか、子どもに迷惑がかかってくるので、いやぁぁぁぁ!またのばすのぉぉぉ。なんだけれど、六か月はあけることとなった。区切りのいいところでティーチャー交代しないといい迷惑で、親は怒るしぃにつながるのです。。。四月からの復帰は無理だなぁ。。。
そのあいだに、両脚の適応基準が変わり、50キロ。この時、年齢は制限なかった。両脚、進行期だったかなあ。最初なら何事もなく、両脚だったのにぃぃぃぃとすっごくくやしかった。両脚している方々がうらやましかった。減量しましたぁ。筋肉も骨もおとさずに。家庭科とかせんもんだし、栄養士だしぃ、体育保健理論もならっているしぃぃぃぃぃ。やっとやっとの手術。でも、6か月たったときの腰の快調さや左脚すっきり。は、びっくり。そして、右が「ぬ、ぬけるぅ。」となった。
そして、2011.2やっと、右だけのAAOとすごい変遷である。左はやる必要なしになっていた。減量によるブラの減ったカップ数かえしてよぉ。両脚やっちゃいたんだよぉぉぉぉ。なので、どんどん変わる基準、術後指導の渦中にずっといたのです。。。。この時になぜ変わるとか。。これは、なんか起きている、不安が募る。。。。や、やめるかぁ、手術。でも、脚ぬけちゃう。いっぱい考えた。腰の経験からも、手術に対する考え方とかが自分なりにできた。とにかく手術して、と、手術は決めた。手術した。手術後脚動かなくてショックをうけた。。。もう、3か月前か。。。
可動域おわったら、速攻でかえらないと甥っ子の卒業式に間に合わない、父親の精神病院から施設転所に間に合わない。車がないと雪国は歩けない。。。ので、AAOの入院期間と術後の生活は、とってもとっても魅力なんです。私のたっての希望で北国から検診いってます。「近隣の方と同じでよろしく。」です。検診のリハビリとか、噂とか今までとか全然わかってなく、腰のリハビリの先生にいわれたのでよろしくって感じでたのんだ。でも、思いおこせば、退院時、「近隣の方が退院後リハビリにくるなら、いきたい。」っていった。してないっていってた。なのに、札幌でリハビリ少しでも満足できない内容でもできるからラッキーだなぁ。と想った。。
入院中も術後の今も想うのは、AAOドクターがゴットハンドとしてよりよく切り続けていけないかということ。腰の病院にくらべて、病棟のバックアップ体制が弱いとか、術後すぐの食事が固形は無理無理とか、歩行器がたりないとか。。。そういう環境的なことが整わないと。。。とおもった。もったいないと想った。だから、手術に没頭できるといかになるには、リハビリの説明は、リハビリの先生がドクターと同じくらい答えられる、とか、術後の不安は、股関節センターやナースさんが、ドクターとおなじくらいできるとかにならないかなぁと思っていた。腰の病院のようにならないかなあ。。。おじいちゃんドクター検診のあとナースさんが書類整理しながら、お話してくれるので、確認したり、不安をいったりしてやりとりでき、「今度また、ドクターにきいてね。」とおじいちゃんドクターをたてるのです。。。。腰の先生は、週3回午後手術しますが、午前外来、午後手術の隙間縫って外来です。午後3人は手術です。。。土曜日やってます。外来。ドクター一人です。。よくやってるなあ。。。。腰だけでなく、首もやってます。
そして、今は、AAOがよりよくなって恩恵を受ける方が増えるように、情報を発信したいなぁ。。。と。。。アンケートの後悔していますの方が約半数いるわけで。。。。
私もいつ後悔になるかは、わかりません。そんな見えない未来のことを考えるのは、「ナンセンスです。」なんだろう。
AAOドクターの腕を認めている方は多い。えてして、おじいちゃんドクターも札幌のゴットハンドたちも、そういう方々はちょっと独特。。。といいますか。。。言葉わるいかなあ。。。うーん。。孤高というか、なんだよなぁと私は想います。。腰のドクターとAAOドクターはある意味そっくりなんだよなあ。。。
なので、ちょっとまとめて、書きたいことは、ある。術前にきをつけたいこととか。。。それを休職中にできればいいなあ。
本日は、外で杖なしで歩いて、筋肉痛になりそうでした。そして、ちょっと膝にきているなあ。傷のむずむず感はおさまっている。傷の方差が少しずつ減っている。。。。いろいろいろいろいろと。。。いつも、一応、全チェックとか異変とかを書きとめている。手書きです。様子みます。あ、音は相変わらず。。。そうしないと、「よくなっている」事も消え去るときがあります。じゅつごすぐ、杖に雪国用スパイクをつけてくれた、元保護者が「だって、先生、あのとき、よぼっよぼだったよぉ。」といった。
ああ、そういえば。。。とすんごーくよくなってんじゃん!と確認できます。
2011.2は、古い病院で手術ラッシュで新病院の引っ越しとかに向かっていました。ので、今のピカピカ病院とは違います。
老婆心ながら、書きとめておきます。

札幌ゴットハンドTHA
この手術を受けた方に借りていた杖や靴下はく器具(東海中央病院では牛乳パックのもの。それよりもすぐれもの。)、マジックハンドをお土産とともに返しに行った。このゴットハンドがRAO前方進入式のドクターだったと近頃結びついた。
手術したものどおしだし、最初このゴットハンドを紹介してくれてたんです。行ってれば、もしかとてRAO前方進入式だったかもかも。左がわるくなったら行ってみようとおもうけれど、50代だから、どんなRAOも適応外なのかしら。。
・手術後の食事
 やっぱり固形はむりだよねぇ。。。
・腰が痛くなる
 術後、MRIもとったんだって。脚手術すると腰にくる人多いなぁ。
・片足の調子が。。。。
 私は筋肉痛、彼女はTHAを考えている。
・今後
 私は温存したいけれど、左は年齢的にTHAだから、さっぽろでこのドクターのところか系列に行こう。彼女は入れ替えがあ り得るらしい。。。
爆笑したのは、やっぱり術後の食事でした。いまも固形なのかなあ。。。


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