【1.人口問題関係=>3.南京城の周辺は無人地帯ではなかった&城外の人口の資料】への反論前の研究ノート その6

2020年03月14日 13時02分34秒 | 1937年 南京攻略...

【1.人口問題関係=>3.南京城の周辺は無人地帯ではなかった&城外の人口の資料】
この南京事件FQAサイトのこの記事の【主張】について反論する前に、情報収集として城外に大量の非戦闘員が居たのかという記録が無いかを調べてみる。
初めに、小野賢二著『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち:第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』から始めて見る。
因みに、【引用】ではなく、当方の要約である為、個人の印象や判断は異なるので、原文は書籍(*1)を読まれることをお薦めする。


【14 [大内利己(=偽名)]陣中日記】

P.259
14 [大内利己]陣中日記

所属:歩兵第65連隊>第三大隊>第9中隊・第3次補充
階級:不明

11月18日 招集。
11月28日 午前9時30分。上海港着。
11月29日 午前6時上陸。巨大な紡績工場横の絹織工場宿営。
11月30日 晴。日本人租界見学。日本人商業開始している。車輌から降りる際捻挫。
12月01日 捻挫の為兵站病院入院。他の戦友明日午前8時に乗船行軍。
12月02日 入院。

【《A》笠原十九司氏の南京事件の範囲開始】

12月03日 入院。
12月04日 入院。
12月05日 入院の儘、慰問袋を受け取る。蜜柑6個。サイダー、キャラメル。
12月06日 晴。入院。
12月07日 晴。寒さ厳しく。郷里の友人の面会があった。戦況を聞くに付け支那軍が憎らしく感じた。
        今朝南京陥落と聞く。

12月08日 入院。慰問袋。朝霜。
12月09日 晴。我が隊は蘇州警備と聞く。
12月10日 曇り。上海派遣軍司令官松井石根大将と北支那方面軍司令官寺内寿一大将の功績に対する感激。
       師団は江陰警備。

12月10日 勅語が貴族院にて行われたと聞く。帝國と中華民国との提携協力に拠り東亜の安定を確保し、
       共栄を願われている。中華民国の帝国の真意を理解しない事への遺憾を表明される。

12月11日 晴。入院。
12月12日 晴。慰問品(煙草)。南京陥落を心待ちにする。要理の父母妻子を想う。
12月13日 晴。相変わらず入院。両角部隊南京攻略へ邁進とのっこと、新聞によると江陰の当方約5里(約20km)の
       鎭江の図山砲大攻撃に両角・田代部隊奮戦と記載。午後報電で南京陥落を聞く。

12月14日 陥落祝式。看護婦などの芸などが披露。
12月15日 入院儘。サイダー1本に梨菓子1箱の慰問品。
12月16日 入院儘。上海から蘇州間の鉄道復旧。煙草一箱慰問。
12月17日 入院儘。
12月18日 煙草とビスケットの慰問品。
12月19日 曇。
12月20日 入院。明日復帰。戦死者の告別式に参列。
12月21日 晴。退院。少し足傷む。上海紡織会社宿営。
12月22日 港付近の支那人宅から毛布を持ち出す。宿営地不明。
12月23日 大連碼頭から乗船。船上宿営。
12月24日 曇り。午後5時に鎭江着。鎭江以外の附近の家々は破壊されているように見える。
        支那人がたくさん居て働いていた。

12月25日 午前10時発。午後5時45分南京着。明日上陸。
12月26日 南京の揚子江の河岸に銃殺された支那人の遺体が重なり山となっていた。対岸の浦口上陸。
        浦口では附近が全部焼き払われてあった。激戦であったと感じる



【土下座強要派】の小野賢二氏の資料は、その【真偽】は兎も角、面白い資料である。このサイトや土下座強要派の方々から【幕府山】での【日本軍の犯罪行為】の【根拠】とされる文献だが、日記が本物ならば面白い事が判る資料でもある。

このサイトの方々の【事件】なるものの主張範囲は【《A》笠原十九司氏の南京事件の範囲開始】は、この人物が第3次補充兵の上、上海で捻挫で兵站病院で入院している為何の参考にはならない。

12月26日の南京の揚子江岸で山となった支那人遺体は、南京の下関碼頭のものか、幕府山のものかは遡航コースが解らないのでなんとも言えないが、下の図を参照して頂けると、幕府山に近づくルートは軍事上運搬的にはあり得ないと分かる。浦口の家屋焼却についても空爆か戦闘か、支那軍逃走の際の堅壁清野作戦によるものかは不明。【激戦振りがよく感じさせる物がある。】と実際には記しているので、伝聞による想像と言える。偕行社の『南京戦史』(*)によると国崎支隊の浦口城攻略は、12日、13日掛かりという激戦であったと記されている。


二つの遡航ルートが在る。
実際には幕府山を通るルートは軍事上はルートとしては考えにくい。

 

 

【参考文献・参照】


(*1)小野賢二著『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち:第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』 全416頁 大月書店 1996年3月14日 【Amazon】
(*2)偕行社『南京戦史』 P.242 第8節 国崎支隊の戦闘=>三、浦口占領 【Link】

【参考サイト・Twitter】


ZF殿サイト及びTwitter
・補記10 幕府山事件(地理編) 【Link】
・ZF殿のTwitter 地理のスレッド 【Link】
・ZF殿のTwitter 収容所の位置 【Link】
・ぎよみどん殿のTwitter 幕府山の画像(7年後の1944年撮影) 【Link】